普遍的真理 VOL14
テーマ:ブログ
今度はマイクロ波強化での熱中症誘導が始まりました。
余計なことをしゃべらせたくない相手は
口を封じてしまえ。。
これが彼らの常套手段です。
久しぶりに正午を迎える公のサイレンがなりました。
実はこれは地域への特定の合図らしく
一年間を通じて数回程度しか鳴りません。
刺客部隊でも出てくるのか、
実行すべき作戦でもあるのか、
私の所為で、警戒しなければならない人間達が
この地域に暴れるためにやってくるのか。。
地域丸ごと策略絡みという、
SF小説で出てきそうな社会に
私は今、現実に生きています。
今日二つ目の記事となりました。
一つ目は工作員の愚痴と
ロスチャイルド・ロックフェラーの話です。
日本の中には大勢の帰化人がいます。
そんな人間達の中に日本人と言う意識を持たずに
意図的に表では日本人を演じて
実はメーソンや他民族の利益を図っている人達がいると言うことに
私達は気がつかなければならないと思います。
争いたくないといって説得しても、
それを無視してはあざ笑うように、
どこかの組織の人間を煽っては私に攻撃を仕掛け
私に戦うことを強要してくる人間達によって
私は滅んで行くことになると思います。
今は急に自衛隊機が飛んでくるようになりましたが、
今度は国内の傀儡組みの出番でしょうか?
工作がひどく、やはりメール受信さえも
妨害されているらしい事に昨日被害者とのやり取りで気がつきました。
何から何まで妨害されて私は今、
究極の体験をし続けているのかもしれません。
肉体や脳への科学力による人為的関与含めてです。
どこからか妙な音波信号も聞こえてきだしましたし
手の骨も痛いです。
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すっかり落ちている意識のためか
夜間の右脳へ刺激等のためなのか
精神汚染を受けているためなのか
苛つきを少し誘導されただけで
それに反応してしまう状態にもなっています。
魂の意識にしがみつく事で
何とか加害者と同じ意識にはならないように
努力はしています。
半ば魂からの”印象”を感じられなくなっている
私のことなど信頼しないでくれて構いませんが、
私達に真理への指針を与えてくれた
イエスキリストの真の教えと、
アダムスキーの話は信頼してください。
この社会に存在する数少ない真理への近道です。
(勿論、他にも真理への道はあるでしょうが
これ以上にまとまっていて体系化されたものはないと思います)
この聖人たちの真理を認めると、
多くの人間達が自らの主張の誤りを認めなければならなくなります。
それが都合が悪いからと、多くの人間達が提携しては
その真理を隠蔽していることを私達は理解できるはずです。
霊が存在しなければ困る人間達。
霊界としての天国が存在しなければ困る人間達。
エイリアン(異種生命体)が存在しなければ困る人間。
四次元を理解されては困る人間達。
太陽系の実態を理解されては困る人間達。
強いては私達が真理に目覚め覚醒されては困る人間達。
そんな人間達が、今揃ってこの社会の支配者層側について
一般市民を誤った価値観の中で眠らせ続けようとしています。
私達に出来ることは正しいと信じたこと
為すべきだと感じたことを実践していくことだけです。
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今日も聖書の記述を解説して見たいと思います。
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ローマ人への手紙12章
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そういうわけですから、兄弟たち。
私は、神の哀れみのゆえに、貴方がたにお願いします。
貴方がたの体を、神に受け入れられる、
聖い、生きた供え物として捧げなさい。
それこそ、貴方がたの霊的な礼拝です。
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私達の体を神に捧げると言うのは、
私達がこの身を持って
神の意志を実践しなさいと言う例えだと思います。
イエスの奥義を理解し実践している人間は
精神=魂を通じて神の意志を感じる事ができます。
そしてその行為こそが”礼拝”であり”信仰”なのです。
ここではパウロは自らがイエスの奥義を与えた人間に対して
あるべき生き方を指し示している内容だと捉えれば良いと思います。
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この世と調子を合わせてはいけません。
いや、むしろ、神の御心は何か、すなわち、何が良いことで、
神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、
心の一新によって自分を変えなさい。
私は、自分に与えられた恵みによって、
貴方がた一人一人に言います。
誰でも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。
いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、
慎み深い考え方をしなさい。
一つのからだには多くの器官があって、
すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、
一人一人互いに器官なのです。
私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、
もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。
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【この世と調子を合わせてはいけません。】と言うのは
この社会が神の意志とかけ離れた方向へと進んでいるのだから
そこに適応し順応してはいけないと言う事だと思います。
人が神の意志を無視して独自の価値観とエゴで作り上げた社会。
そこには真実は無いから、それに順応することは
神の意志を無視する事になると言うことだと思います。
【神の御心は何か】を感じるのは
いうまでも無く私達の魂=精神です。
完全なる物(三次元の法則を司るのは神の意志ですから
神の意志こそが完全であることになります)は
そこから与えられることを私達は理解しているはずです。
【私は、自分に与えられた恵みによって、
貴方がた一人一人に言います。】
”恵み”とあるのは、パウロがイエスの奥義を利用して与えられた、
”神の意志を感じ、それを口に出して福音すること”を
言っているのだと思います。
精神を感じるようになった結果、
精霊を受け入れた結果、そこから与えられる能力は
人によって異なる場合もあります。
それがパウロの場合は神の意志を語ることが中心で
パウロはそれを実践していたと言う事ではないでしょうか。。
【神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、
慎み深い考え方をしなさい】
神の意志を感じると言っても私達はただの人間です。
増して生命の科学・イエスの奥義の初心者でもあります。
精神から感じることの出来る神の意志、
そして与えられる能力はそれぞれ異なりますし
その時の私達の進化や心の状態にも影響されます。
その時の程度に応じて、
正しく感じたことを実行しなさいと言うことであり、
背伸びをしたり自分のエゴを混ぜてはいけない。
謙虚な気持ちでその時々に感じた神の意志を
実践しろと言う事ではないでしょうか。
【私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので】
人によっては予知能力、千里眼、テレパシー、直感像が開花したり、
頻繁に印象を受け止めることもあるかと思います。
私のようにブログを書いていたり人に教えようと
語っていたりすると、その時に閃く事もあります。
パウロのように、
語るべき言葉が次から次へと流れてくることもあり
頭への攻撃がまだ少ないときには
二時間も連続して室内で生命の科学を
語り続けている事もありました。
そしてここの意味は、その人の役割、
もしくは得意分野は異なるので、
人体でいえば各器官がそれぞれの役目を果たしているように
それぞれが独自の得意分野で神へ奉仕をしろということだと思います。
中には癒しの力を発揮するような方も
いるのかもしれません。
「精霊によって(魂と脳の進化で)与えられた賜物(能力)を使用し
万物へ奉仕しなさい。。それが創造主の意志です」
と言う事ではないでしょうか。
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奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。
勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、
指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。
愛には偽りがあってはなりません。
悪を憎み、善に親しみなさい。
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、
尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
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ここから読み取れる魂の意識は
慈愛であり、正義であり、謙虚であり、平等であり、同情です。
そんな意識を持ちながら
創造主の意志をしっかりと感じるよう努力し続け、
神の意志を実践しろと言うことだと思います。
当時の時代の背景を考慮しながら、
イエスキリストの死の余韻が消え去ら無いうちに
イエスの教えを少しでも拡散しようと
それに特化して生きていた人間達の姿と意識が
ここからも読み取れるのではないでしょうか。
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あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。
祝福すべきであって、のろってはいけません。
喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣きなさい。
互いに一つ心となり、高ぶった思いを持たず、
かえって身分の低い者に順応しなさい。
自分こそ知者だなどと思ってはいけません。
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、
すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、
すべての人と平和を保ちなさい。
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ここからは平和の意識、同情の意識、謙虚の意識、調和の意識が
読み取れるかと思います。
いずれも精神=魂から感じることになる宇宙的想念です。
”全ての人が良いと思うことを図りなさい”と言うのが、
結果的に全ての人にとって良い効果をもたらす事を
実践しなさいと言う意味だとすれば
私達が行動を起こそうとするときに
考えなければならない”最善の策”を意味していると思います。
そしてそれこそが義と認められる行為でもありました。
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愛する人たち。自分で復讐してはいけません。
神の怒りに任せなさい。
それは、こう書いてあるからです。
「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。
渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、
あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
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神が復讐するというのは旧約聖書の引用ですが
実際神が直接手を下すのではなくて
悪行をしていた人間の魂には
何らかの汚れが刻み込まれ、
もしくはエネルギーの減少でも見て取れて
それに応じてその人間が死んだ時に法則の適応を受け、
結果としてはそれ相応の報いを受けることになると言う
意味だと思います。
私の様な組織的犯罪被害者であっても
間違っても電磁波技術で応酬するようなことがあってはいけないのです。
私達は復讐をすることで、その相手と同じ報いを
自らの魂に課すことになるからです。
そして復讐という意識は創造主の意志には無いことです。
ユダヤ教の教えの人格神と異なり、
真の創造主は裁く存在ではないはずです。
すでに作り上げてある法則を通じて、
独自の見えない真の戒律を実践している存在だと思います。
そしてその法則には、創造主の意志にかなうための
あらゆる仕組みが張り巡らされていて、
それが裁きに繋がるものであれば
私達はそれに抵触してはいけない。。
私達は創造主の意志通りの進化を望まれ、
本来はそれを誘導するための法則の中で
生きているのだと思います。
学びが足りなければ、そのための機会を転生を持って与えられ、
(この社会では因果の法則と言われているもの)
それでも理解できないで資質が無いと判断されれば
その魂は無に帰して別の意識へと作り変えられると言うのが
創造主の転生の法則だとアダムスキーの記述にあったはずです。
創造主の意志に基づいて
この宇宙は常に進化していると言います。
それは物質でも魂でも同様にです。
その進化に追いつかない物、
もしくは進化する意志の無い物は消えていく一方で、
その意志を実現しようとする存在は
創造主のエネルギーで満ちた存在になり
予定通りの進化をし続けていく。
それこそが創造主の法であり
私達が意識すべき一番の戒律だと思います。
【地球人の苦悩を光の前の暗黒のように消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】
私達はその戒律を意識しながら、
創造主の意志を述べ伝えて行きましょう。。
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P.S.
魂が創造主の意識の経路であり
創造主の意識の分身でもあるのですから
それを強く感じれば感じるほど
私達は創造主の望むことを実践しようとすることになるはずです。
魂のささやきどころか
理性的に考えれば当たり前と思える道徳さえ
まともに実践される事の無くなっているこの社会で
私達は心と言うエゴに囚われた悪魔に変貌しつつあるのだと思います。
善と悪、なる意識は創造主の意識には存在しなくても
私達は物事を善と悪で判断する事を常としています。
そしてその判断基準は自分の心の作り上げてきた価値観です。
異なった価値観で判断されれば
善となるものの悪となるものも異なる事がなぜ理解できないのか?
この社会の中に争いが絶えないのは、
結局は個人的価値観で物事の善悪を判断している人間が
山ほど存在しているからだと思います。
例えばユダヤ教徒パリサイ派長老会サンヘドリンと
その傀儡にしてみれば、
私や覚醒者、ハイテク被害を訴えている人間
反ユダヤ主義者、ユダヤとその傀儡の批判者は、
自分達が作り出そうとしている自分達にとっての
平和な社会を乱している”悪”になるわけです。
創造主が作り上げたこの社会の中で
何が正しいか正しくないかを判断できる唯一の基準は
魂からの創造主の意識ですが
多くの人間がそれを感じることができなくなっているからこそ
本来容易に誤っていると判断できる価値観さえも
価値観の一つとして認められると言う誤った社会が
まかり通ることにもなります。
感覚器官と脳の本能と個人の体験により作り上げられた
その心という脳に由来する意識に拘る事で
私達は本来持っている自分の資質を忘れかけています。
そして精神=魂の存在を完全に無視して
三次元の現象の社会に心を持って囚われたとき、
精神=魂を感じる事のできる人間がいなくなった時に
この社会は創造主の意識から完全に離れた
存在へと変貌するのだと思います。
地球の法則の奉仕者達は
その事を望んでいるようにしか見えないのです。