岡崎城の観光
岡崎城に行ってきました。
石垣以外は 昔の岡崎城の建物などは残っていませんが復原された大手門と復興天守閣がありました。
天守近くにおそらく当時のままだと思われる空堀が大規模に残されています。家康の有名な遺訓である「人の世は重き荷を背負いて遠き道を往くが如し急ぐ不可らず」の碑などが建てられています。
お城自体の入場料は200円程度(割引あったら170円)で良心的と言えます。
城内は普通の博物館なんですが、どちらかというと岡崎公園がいい。
岡崎公園内には、田楽と菜飯が楽しめる茶屋があるので、是非、堪能したい。
岡崎城(おかざきじょう)は、別名竜城、竜ヶ城(たつがじょう)ともいい、1452年(享徳元)西郷稠頼(つぎより)によって築城されたという。その後、家康の祖父松平清康は1530年(享禄3)ころ、安城から居城を移し岡崎城を拡張,整備した。1542年(天文11)にはこの城内で幼名竹千代、後の徳川家康が生まれている。家康は1560年(永禄3)、桶狭間(おけはざま)の戦い以後自立し、1570年(元亀元)に浜松へ移るまでこの岡崎城を本拠として、三河統一を成し遂げている。1590年(天正18)、家康の関東移封に伴い、豊臣系の大名田中吉政が入城し、大規模な城郭の拡張整備が行われた。江戸幕府成立以後は、代々家格の高い譜代大名の居城となり、岡崎の城下町は五万石ながら東海道の交通の要所として栄えた。
本丸天守閣は1617年(元和元)、本多康紀(やすのり)によって建てられたが、明治初めに取り壊され、現在のものは1959年(昭和34)に復元されたものである。現在は本丸、二の丸一帯が岡崎公園として整備されている。
石垣以外は 昔の岡崎城の建物などは残っていませんが復原された大手門と復興天守閣がありました。
天守近くにおそらく当時のままだと思われる空堀が大規模に残されています。家康の有名な遺訓である「人の世は重き荷を背負いて遠き道を往くが如し急ぐ不可らず」の碑などが建てられています。
お城自体の入場料は200円程度(割引あったら170円)で良心的と言えます。
城内は普通の博物館なんですが、どちらかというと岡崎公園がいい。
岡崎公園内には、田楽と菜飯が楽しめる茶屋があるので、是非、堪能したい。
岡崎城(おかざきじょう)は、別名竜城、竜ヶ城(たつがじょう)ともいい、1452年(享徳元)西郷稠頼(つぎより)によって築城されたという。その後、家康の祖父松平清康は1530年(享禄3)ころ、安城から居城を移し岡崎城を拡張,整備した。1542年(天文11)にはこの城内で幼名竹千代、後の徳川家康が生まれている。家康は1560年(永禄3)、桶狭間(おけはざま)の戦い以後自立し、1570年(元亀元)に浜松へ移るまでこの岡崎城を本拠として、三河統一を成し遂げている。1590年(天正18)、家康の関東移封に伴い、豊臣系の大名田中吉政が入城し、大規模な城郭の拡張整備が行われた。江戸幕府成立以後は、代々家格の高い譜代大名の居城となり、岡崎の城下町は五万石ながら東海道の交通の要所として栄えた。
本丸天守閣は1617年(元和元)、本多康紀(やすのり)によって建てられたが、明治初めに取り壊され、現在のものは1959年(昭和34)に復元されたものである。現在は本丸、二の丸一帯が岡崎公園として整備されている。
大樹寺
大樹寺に行ってきました。
岡崎城の北側にあります。徳川家康で有名な大樹寺です。
鉄道の駅からは離れていますが、名鉄東岡崎駅から、路線バスが頻繁に運行されており、旅行者の訪問にも利便性が高いと感じました。
お寺の中の展示は1人400円で見ることが可能ですが、行って良かった。徳川家、代々将軍の位牌があります。その位牌は通常よりも大きく、将軍の身長と同じサイズでつくられているそうです。一番の見どころは本堂・山門・総門と岡崎城の天守閣が一直線上に並んでいることで、本堂前から天守閣がちっちゃく見えます。
大樹寺(だいじゅじ・だいじゅうじ)は、愛知県岡崎市鴨田(かもだ)町にある寺。正式名称は大樹公寺。成道山松安院(じょうどうざんしょうあんいん)と号し、浄土宗西山(せいざん)派に属する。1475年(文明7)に岡崎城主松平親忠(ちかただ)を開基とし、勢誉愚底(せいよぐてい)を開山として、戦死者の回向(えこう)を弔うために創建された。爾来(じらい)、松平家歴世の菩提(ぼだい)所ならびに祈願所となり、徳川家康もしばしば参詣(さんけい)したという。松平8代の墓と家康の木像および歴代将軍の等身大の位牌(いはい)を安置する。本堂、開山堂、山門など建物の多くは徳川末期に再建されたものであるが、多宝塔は1535年(天文4)の造営で国重要文化財。大方丈には岡田為恭(ためちか)の障壁画(国重要文化財)があり、その他多くの寺宝が毎年8月16~18日に虫干し展覧される。
岡崎城の北側にあります。徳川家康で有名な大樹寺です。
鉄道の駅からは離れていますが、名鉄東岡崎駅から、路線バスが頻繁に運行されており、旅行者の訪問にも利便性が高いと感じました。
お寺の中の展示は1人400円で見ることが可能ですが、行って良かった。徳川家、代々将軍の位牌があります。その位牌は通常よりも大きく、将軍の身長と同じサイズでつくられているそうです。一番の見どころは本堂・山門・総門と岡崎城の天守閣が一直線上に並んでいることで、本堂前から天守閣がちっちゃく見えます。
大樹寺(だいじゅじ・だいじゅうじ)は、愛知県岡崎市鴨田(かもだ)町にある寺。正式名称は大樹公寺。成道山松安院(じょうどうざんしょうあんいん)と号し、浄土宗西山(せいざん)派に属する。1475年(文明7)に岡崎城主松平親忠(ちかただ)を開基とし、勢誉愚底(せいよぐてい)を開山として、戦死者の回向(えこう)を弔うために創建された。爾来(じらい)、松平家歴世の菩提(ぼだい)所ならびに祈願所となり、徳川家康もしばしば参詣(さんけい)したという。松平8代の墓と家康の木像および歴代将軍の等身大の位牌(いはい)を安置する。本堂、開山堂、山門など建物の多くは徳川末期に再建されたものであるが、多宝塔は1535年(天文4)の造営で国重要文化財。大方丈には岡田為恭(ためちか)の障壁画(国重要文化財)があり、その他多くの寺宝が毎年8月16~18日に虫干し展覧される。
八丁味噌の郷
八丁味噌の郷に行ってきました。
八丁味噌の歴史資料館もあるので楽しめました。帰りには、おみやげまで貰えて、うれしかったです。
昔ながらの味噌作りの工程が人形や展示物を使って、わかりやすく展示されています。 とても大きい味噌樽からはにおいがしました。
試飲させてもらったり、みそソフト食べたりお土産に試供品をもらったりして、入場無料だけど充実した内容でした。
予約していくと、真剣に味噌つくりをしっかり説明してくれて、味噌のありがたさと先人の大変さが良く分かります。
八丁味噌の郷(はっちょうみそのさと)は、
正保2(1645)年創業の八丁味噌の老舗。昔ながらの味噌づくりの工程や資料を展示する史料館、天然醸造の味噌が仕込まれた大きな杉桶が並ぶ熟成蔵を見学することができる。
赤味噌の代表ともいえる八丁味噌は大豆・塩・水のみでつくられ、風味を落とさず長期保存が可能なため、重宝されたといわれる。この味噌が名古屋・三河地方の代表的名物料理、味噌煮込み、味噌カツ、味噌おでんなどの味噌料理の原点となっている。ここでは、その八丁味噌に関する資料を展示。現在も仕込みに使っている直径6尺もある仕込み桶が100本並び圧巻。仕込み用の蔵を利用した史料館では、江戸時代から戦前まで受け継がれた仕込みの様子を紹介。試食もできる。所要40分。
八丁味噌の歴史資料館もあるので楽しめました。帰りには、おみやげまで貰えて、うれしかったです。
昔ながらの味噌作りの工程が人形や展示物を使って、わかりやすく展示されています。 とても大きい味噌樽からはにおいがしました。
試飲させてもらったり、みそソフト食べたりお土産に試供品をもらったりして、入場無料だけど充実した内容でした。
予約していくと、真剣に味噌つくりをしっかり説明してくれて、味噌のありがたさと先人の大変さが良く分かります。
八丁味噌の郷(はっちょうみそのさと)は、
正保2(1645)年創業の八丁味噌の老舗。昔ながらの味噌づくりの工程や資料を展示する史料館、天然醸造の味噌が仕込まれた大きな杉桶が並ぶ熟成蔵を見学することができる。
赤味噌の代表ともいえる八丁味噌は大豆・塩・水のみでつくられ、風味を落とさず長期保存が可能なため、重宝されたといわれる。この味噌が名古屋・三河地方の代表的名物料理、味噌煮込み、味噌カツ、味噌おでんなどの味噌料理の原点となっている。ここでは、その八丁味噌に関する資料を展示。現在も仕込みに使っている直径6尺もある仕込み桶が100本並び圧巻。仕込み用の蔵を利用した史料館では、江戸時代から戦前まで受け継がれた仕込みの様子を紹介。試食もできる。所要40分。