2013年3月23日土曜日
福島県にいると ・・・。
福島県内にいると、
書くに書けないことが、たくさんあります。
ブログに載せたことで、
誰かを傷つけたりすることもあります。
そのうち、
「 福島県は、忘れられていく 」 と思いながらも、
書けないことがいっぱい。
遺族の気持ちになれば、
筆は止まります。
でも、
どうか、忘れないでください。
福島の惨状を ・・・。
わたくしは、今朝 起きてみると、
肩の痛みが広範囲に広がっていました。
初めは、骨の痛みだけだったのに、
二の腕 まで、痛んでいました。
言いたくても、言えないのです。
同じ 「 痛み 」 を 共有している方 にしか ・・・。
それほど、
複雑な問題 なのです。
個体差もありますし、
みんながみんな、痛いわけではないからです。
しかし、
いま、痛みが来ない方々の方が心配です。
1945年に、
広島で二次被曝した方々は、
4 ~ 5年後に、発病されています。
すべての方々ではありませんが ・・・。
わたくしも 夫も、
避難せずにいました。
二人とも、酷い倦怠感 に襲われています。
避難した方々も、
大部分が、爆発後に逃げました。
放射能の中を、
子どもの手を引いて 逃げたのです。
家のライフラインが 損なわれた方々は、
【 原発 】 が爆発したことも 知りませんでした。
そして、被曝したのです。
あんなに健康体だった わたくしも、
いまは、無理ができません。
歯もなくなりました。
髪も ごそっと 抜けました。
「 ベント作業 」 をした時点から、
高濃度の放射能が、
風の吹くままに ばらまかれました。
その前に 避難できたのは、
【 東電 社員】 だけでした。
おそらく、
このブログも、
そう遠くない時点で
終焉を迎えると思います。