2012年9月23日日曜日

なぜ、いまごろになって、次々と「データ 」 を公表するの ?






地方紙 『 福島民友 』 より






                      
大熊町 大野地区です。

 
 
 
 
 
双葉町 上鳥羽 地区です。
 


 





【 日本政府 】 と 【 東電 】 の、

「 データ 後出し 作戦 」 には、うんざりですが、



この数値は、

【 ベント作業 】 を 始めた 3月 12日 のもの です。




その日の 午前 10時に、

【 ベント作業 】 は、行われました。




ライフラインが絶たれ、

住民は、まだ、何も 知らされていない 「 時 」  です。




当日は、「 地震 」 以外の情報は、

入っていませんでした。




の日の夜は、

単に、

「 3 ㎞ 圏内は、避難してください 」  と言われたそうです。




そして、


翌日の 3月 12 日 ( 午前 6時 )  に、

「 避難指示が、10㎞ に拡大されました 」  と、

みんなが避難していた中学校で 知らされました。




それからが、

「 避難の開始 」 でした。




しかし、

情報もないまま、憶測 ( 原発 危機 ? )だけで、

みなさまは、先を争って町を出ようとします。


案の定、

大渋滞 が、起こりました。



しかも、

「 ガソリンとのメーター 」 との闘い も、ありました。



みんながみんな、

ガソリンを 「 FULL 」 に しているわけでは ありません。



「 歩いた方が早い 」 くらいの 渋滞の中で、



日本政府は、

午前 10時 に、

非情な 【 ベント作業 】 を行った のです。




あの時、至近距離の町に、

「 どれだけの人々が いたのか 」  を、



日本政府 は、

「 把握していた 」 のでしょうか ?



それとも、

「 見殺し 」 だったのでしょうか ?



ちなみに、

【 原発 】 から 3.5㎞ に 勤務していた 「 わたくしの夫 」 は、

翌日の、午前11時 30分 に帰宅しました。



夫は、

みんなが誘導される 「 山道の 35号線 」 を 通らずに、

津波の爪痕が凄まじい 国道 6号線を

敢えて通って来ました。




だから、

他の方々よりも、早く帰宅できたのかもしれません。




大部分の方々は、

中通り ( 盆地 ) へと、誘導されていきました。




放射能が 流れていくことが

確実に 分かっていた 「 方向 」 へ ・・・。