平太と出会ったころの鱸丸の心境は台本には書かれていないので、あくまでも役者としての推量ですが、本来なら自分には手の届かない存在である高平太とともに行動できることの喜びや、高平太への憧れを強く感じていたと思います。当時は、身分というものが厳然として横たわっていたはずなので、漁師である鱸丸が望める未来というのはたかがしれていたはず。でも、高平太といっしょにいると、果てしない自由を感じることができたのではないでしょうか。
だからこそ、彼のそばにいる人間としてふさわしい行動や振る舞いをしようと心がけていた。片膝をついてかしずくといった武士をまねた動作もしていたのだと思います。
高平太といっしょに米を庶民に配ってまわるというような行為は、鱸丸にとっては身の丈をこえたものであったかもしれませんが、武士でありながらそのような行動にでる高平太のことが輝いて見えたはすです。その鱸丸の高平太への憧れは、(高平太が)清盛になり、(鱸丸が)盛国となったあとも変わっていないと思います。本当に彼は、小憎らしいくらいにブレない。齢(よわい)70歳を数えても清盛に対する目線も思いも変わっていない。盛国と名前を変えても、彼は、鱸丸なんですよ。
鱸丸の1つのテーマは“心の軸”だと思っています。かつて忠盛(中井貴一)が平太に「鱸丸は体の軸ができているから船の上でも平然と立っていられる」と言いました。その忠盛の言葉は、鱸丸には「お前は心の軸をつくれ」と聞こえたのではないでしょうか。それからは、武士の出ではないけれど、清盛のそばにいるにふさわしい人間としての“心の軸”を確立していくことが、彼の人生のテーマになったような気がします。
漁師の出である自分が武士の家に出入りするようになり、やがては法皇や上皇を目の当たりにするまでになる。それは、鱸丸もしくは盛国にとって非日常の連続のような生活です。しかし彼は、自分が漁師の子どもであることを決して忘れない。漁師としての誇りもコンプレックスもずっともち続けている。だから、“わきまえている”。清盛と自分の間には、絶対に越えられない壁があることを“わきまえている”。
「平家納経」の回(7/29放送分)で、荒れ狂う海に船が沈みそうになったとき、清盛は「鱸丸、お前たちが頼りぞ!」と言う。すでに盛国になっていましたが、清盛は「鱸丸」と叫ぶ。一生付き従うと決めた清盛も、盛国が漁師であったことを忘れていなかった。しかも危機的状況を救う役目を盛国に託す。それは、明確な信頼の証しでしょう。このシーンは、2人の絆の原点がしっかりつながっていたことを示した瞬間だと思いますし、演じていて快感を感じたシーンでもありました。
漁師であった自分が武士となり、どんなに出世しても盛国は“わきまえている”。そこに彼の“心の軸”があるような気がします。
長期間、松山ケンイチさんと共演していて感じるのは、彼が昨年の8月の末から撮影に入ったときにもっていた熱量が、撮影の終盤に入ってもまったく目減りしていないということ。それは、彼の若さや持ち前のバイタリティーもあるでしょうが、役者としての資質のなせることだと思います。しかも、終止パワフルでありながら、清盛が年を重ねていくにつれてパワーの表現の仕方に変化をつけている。本当に感心しますね。
また、今は老齢の清盛を演じていますが、そのなかにもきちんと高平太がいる、という演技を常に続けています。清盛という役をしっかり身の内に落とし込んで、そこから踏み外すことなく、ここまで歩んできたのだなという道のりが見えます。自分のなかにしっかりとしたプランを立てて、この一年間を演じてきたということだと思います。
この作品の魅力は、清盛という男の成長や、豪華な出演陣による演技の共演というのもあるでしょうが、もう1つあるのが平安時代の再現ですね。うまく言えないですけど、言葉にしてしまうと“雅”ということになってしまうのかもしれません。それを成し遂げたスタッフのみなさんの手腕に感動すら覚えます。セットや衣装はもちろん、そこで繰り広げられる歌や舞もディティールに至るまで見事に具現化されています。数少ない資料のなかから組み立てて、まるで平安時代の雅な世界にタイムスリップしたかのように再現する。これは、並大抵なことではないと思います。
さまざまな考証を担当していただいた先生方や、美術、照明、カメラなど、すべてのスタッフのみなさんの熱意と技量には本当に頭が下がる思いです。しかも、短期ではなく、一年を通して高いレベルを維持している。これは、大河ドラマならではだと思うし、間違いなくこの作品の魅力の1つだと思います。
撮影現場では、社交辞令的な話とかはなく、もちろん芝居やそれにまつわる話はしますが、たわいもない、どうでもいいような話が増えてきました(笑)。そういう話ができる間柄というか関係性が築かれてきたのだと思います。
しかも男が多い現場で、若い人もたくさんいるので、みんな寄り集まってワチャワチャやりたがるんです。○盛、○盛といろいろな“盛”が集まった“盛盛一座”もにぎやかですよ(笑)。
この現場も終焉(しゅうえん)を迎えるかと思うと、やはりさみしい。そして、これほど長期にわたって大河ドラマに参加できる幸運は、これからもそうないだろうなと思うと、撮影の一瞬一瞬がとてもいとおしく感じますね。
清盛とかつて漁師であった盛国の主従関係は、武士と武士との関係でも、血のつながった関係でもない、当時では異質な関係だったと思います。平家や源氏のなかでさまざまな主従関係が描かれていますが、清盛と盛国の関係はそれらとは色を異にしていると、その特別な関係をおもしろいと感じ、楽しんで頂けたのならうれしいですね。
そして、約一年間続いた『平清盛』もいよいよ最終回を迎えます。物語のクライマックスとともに、盛国の、そして鱸丸の最期をぜひ見届けてください。