・13・・ 美濃の青墓宿の人々について 芸能が盛んな町として乙前が住んでいるという設定でした。そこに雅仁親王(のちの後白河帝)が訪れて出会う。必然さまざまな芸事に由来する人々が出て来るわけです。芸能考証担当の友吉先生とどのような芸能を行なう人々がいるべきかという打ち合わせを元に人物デザインをさせていただきました。本来白拍子は男装している女性を指しますが、ここではその白拍子姿をした男性があらわれます。性別をひっくりかえした発想の装いであるはずが、さらにもう一度発想をひっくりかえして「遊び」を表現しています。「遊びをせんとや生まれけむ」という人生観を、実際に目に見える形に体現しているのが青墓のひとびとだろうと思いました。蟷螂(かまきり)のようにかくかくとした舞を舞う男、骨がないかのようなくねくねした舞を舞うもの、これらはすべて芸能考証上実在していたものとお聞きしました。文字どおり蟷螂の舞には緑の装束、骨無しの舞には本来優雅である白拍子の装束を着させています。また雅仁をとり囲む仮面の子供たちに誘われて雅仁と乙前が出会う。彼らは非日常の世界へ導く表現上の大切な装置だったわけです。
・13・・ 乙前について 乙前は祇園女御と同一人物であるという設定をお聞きしました時、両者の違いをどのように表現するか、あるいは違いはない方がよいのかいろいろ思い巡らせました。実年齢で考えればずいぶんと高齢であるはずですから、それを老けとして表現するべきかどうかという部分も大きいものがありました。これについて制作、演出、人物デザイン、そしてご本人との総意のなかで、乙前という存在をどこか霊的な存在、年齢を超越したような存在にしていこうということとなりました。当初すべて白い髪にするというのも表現として良いのではないかとご提案させていただきましたが、結果的に髪を一束にし黒のなかから白い髪が現れて来るような雰囲気にまとまりました。髪を結んでいるものは平麻で神事につかわれる縁起のよい素材です。装束は祇園女御が白黒であったのから一転して赤系統の色彩豊かなものに変え、年齢的な落ち着きよりも芸能を重んじる派手やかさを表現しています。
・14・・ 義朝について 義朝の装束は第一部が暗い紺色であったのに対して、保元の乱以降、淡く青みがかった色に変わっていきます。これは清盛が無頼の高平太から清盛に元服し、棟梁になる直前まで淡い色であった流れと対称を成しています。たえずこの二人は陰と陽、光と影のような関係であることを装束の色彩であらわしているのですが、特に青みかかった色にしているのは、平治の乱直後の義朝の死を象徴してのことです。これは義経などもそうですが、平安時代における青色が死を暗喩していることに由来します。もちろんそれ以外にも青色をつかっている役柄もありますが、義朝には強い意図をもってそのような設定にしているわけです。一見装束の明るさは人間性や人生そのものの明るさのように感じられますが、そこに死の影をつきまとわせて義朝の複雑性を表現しています。
・15・・ 為義について 為義はとても好きなキャラクターでした。第1話で舞子を探索するシーンは印象深く、また義朝にみずからの首を差し出すシーンも出色でしたし、為義が画面にいるだけでドラマに深みが出るように思えました。清盛のキャストポスターを撮っていく際に為義には武具をつけていただきましたが、何をやってもうまくいかない役柄に反して写りが非常に二の線になっておりまして(笑)、これはちょっとカッコ良すぎないかとスタッフ・キャストで笑い合ったのがとても懐かしい。基本的にストーンウォッシュのかけられた直垂(ひたたれ)姿で、髪もかならず後れ毛が出ており不精ひげがある。どこかやるせない感じのふん装を演出しています。
・16・・ 重盛・経子の婚礼について ふたりの婚礼では、重盛は白の直垂(ひたたれ)に侍烏帽子、経子は唐衣(からぎぬ)や裳(も)までは装着しない簡易な十二単姿です。この時経子は伝統的な表現を強めるために通常よりも顔は白めで置き眉にしていますが、以降平氏での実生活にはいりますとそこまで儀礼性を強めずに、薄い眉、薄い化粧にしています。たとえば朝廷にいる方々も儀礼性の強い場面では白塗りや置き眉、お歯黒などをつかって、平安の雰囲気に準ずる表現にしていますが、よりカジュアルに生活している時や場所では自然なメイクにして略式な感覚を前に出しています。また平安時代の再現性のほかに、俳優や女優の顔の印象を感じたいという要望もあります。再現としての儀礼的メイクアップと、本人の認知としてのリアルなメイクアップのはざまで、それぞれのキャラクターやシーンに合った表現方法を模索し続けていたわけです。また重盛のかぶる侍烏帽子は、唯一このシーンだけで使われているものです。これはいままでの大河ドラマの直垂姿に使用されてきたもので、「透けず、硬いフォルム」の烏帽子です。ここでは儀式性を表現するためと、過去の大河ドラマに対するオマージュとしてあえて1回だけ使っています。このドラマで使用されているほかの侍烏帽子がいかにフニャフニャと柔らかく、小さく、そして透けているかがわかるのではないかと思います。