概要 [編集]
福島第一原子力発電所事故(以下「原子力発電所」は一般に「原発」という)により大気中に放出さ
れた放射性物質の量は、ヨウ素131とヨウ素131に換算したセシウム137の合計として、37京 Bqま
たは63京 Bq[1]とも48京 Bq[2][3]とも90京 Bq[4]とも推算されている。
日本国内では食品・水道水・大気・海水・土壌等から事故由来の放射性物質が検出され、住民の
避難、作付制限、飲料水・食品に対する暫定規制値の設定や出荷制限といった施策がとられた。
原子炉の停止、放射性物質検出の情報、施策および施策への懐疑的見方は、風評被害、人体の
健康に関する論争、市民活動、経済への影響など多岐にわたる影響を及ぼした。
本記事では、その影響度や規制内容が多岐にわたるため、全体として重要と思われるもののみを
記載した。
また、実際に行われた判断、措置、報道された主張を妥当性の如何にかかわらず記載した。
よって読者は、本項目に記載された内容が影響や規制対象の全てではないこと、相対的ないし
確定的なデータに基づかない判断および措置、客観性を欠く主張、矛盾をきたす表現を含むこと
に留意する必要がある。
放射性物質による汚染の状況と影響 [編集]
「被曝#放射線障害」および「食品衛生法#各種数値の比較」も参照
2011年3月17日、厚生労働省は食品衛生法上の暫定規制値を発表し、規制値を上回る食品が販
売されないよう対応することとして、各自治体に通知した。
枝野官房長官は21日の記者会見で「今回の出荷制限の対象品目を摂取し続けたからといって、直
ちに健康に影響を及ぼすものではありません」[5]、
「仮に日本人の平均摂取量で1年間摂取した場合の放射線量は牛乳でCTスキャン1回分、
ホウレンソウでCTスキャン1回分の5分の1」と述べ[6]、冷静な対応を求めた。
土壌と海洋汚染 [編集]
2011年3月21日、東京電力が福島第一原発南放水口付近の海水を調査した結果、安全基準値を大きく超える放射性物質が検出されたことが明らかとなった[7]。
22日には、原発から16 km離れた地点の海水からも安全基準の16.4倍の放射性物質が検出された[8]。
3月23日、文部科学省は、福島第一原発から北西に約40 km離れた福島県飯舘村で採取した土壌
から、放射性ヨウ素が117万 Bq/kg、セシウム137が16万3,000 Bq/kg検出されたと発表した[9]。
チェルノブイリ原子力発電所事故では55万 Bq/m²以上のセシウムが検出された地域は強制移住
の対象となったが、京都大学原子炉実験所の今中哲二によると、
飯舘村では約326万 Bq/m²検出されている[10][11]。
3月31日、国際原子力機関 (IAEA) は、
福島第一原発の北西約40 kmにある避難区域外の福島県飯舘村の土壌から、
修正値で10倍の20 MBq/m²のヨウ素131を検出したと発表した[12]。
5月の東京都内各地の一日単位の平均値は、東京都健康安全センターが地上18 mでおこなって
いる環境放射線量測定によると、0.068 μSv/h〜0.062 μSv/hであった。
5月5日から5月25日まで日本共産党東京都議会議員団が地表1 mで測定した結果では、
同程度の濃度だった地域は大田区、杉並区、町田市など、都内全域で見るとごく限られた範囲であった。
比較的高い地域は、青梅市・あきる野市・練馬区が0.09 μSv/h台、江戸川区〜江東区の湾岸地域
が0.1 μSv/h台、最も高い
地域が足立区〜葛飾区で0.2 μSv/h台〜0.3 μSv/h台であった。
また、新宿区内約3.5 kmという限られた範囲内の測定でも、0.066 μSv/h〜0.116 μSv/hと大きな開
きがあり、狭い範囲でもバラつきがみられた[13]。
東京都の5月の調査によって、東京都大田区にある下水処理施設の汚泥の焼却灰
から10,540 Bq/kgの放射性セシウムが検出された[14]。
福島第一原発から遠く離れた地点でも、ホットスポットと呼ばれる点在する汚染地域が確認されている。
住民の避難・影響 [編集]
名称 | 基準 | 指定期間 | 現在の指定範囲 (2011年11月25日改定[15]) |
---|---|---|---|
避難指示 | 1.第一原発から半径2km以内 2.第一原発3km以内 3.第一原発10km以内 4.第一原発10km以内+第二原発から半径3km以内 5.第一原発10km以内+第二原発10km以内 6.第一原発20km以内+第二原発10km以内 7.第一原発20km以内+第二原発8km以内(第二原発8km以上10km以内は屋内退避に移行) 8.(第一原発20km以内は警戒区域に移行)第二原発8km以内 9.解除 | 1.3月11日20:50 - 2.3月11日21:23 - 3.3月12日5:44 - 4.3月12日7:45 - 5.3月12日17:39 - 6.3月12日18:25 - 7.4月21日 - 8.4月22日 - 9.12月26日 | なし |
屋内退避指示 | 1.第一原発から半径3km以上10km以内 2.第一原発3km以上10km以内+第二原発から半径3km以上10km以内 3.第一原発20km以上30km以内+第二原発3km以上10km以内 4.解除(大半の区域が、計画的避難区域・緊急時避難準備区域に指定) | 1.3月11日21:23 - 2.3月12日7:45 - 3.3月15日11:00 - 4.4月22日 | なし |
警戒区域 | 第一原発から半径20km以内 | 4月22日 - (継続中) | 双葉町、大熊町、富岡町のそれぞれ全域、南相馬市、浪江町、葛尾村、田村市、川内村、楢葉町のそれぞれ一部 |
計画的避難区域 | 事故後1年間の積算線量が20 mSv以上になると予想される区域 | 4月22日 - (継続中) | 葛尾村、浪江町の警戒区域を除いた全域、飯舘村全域、南相馬市の警戒区域を除いた一部、川俣町の一部 |
緊急時避難準備区域 | 1.上記外の第一原発から半径20km以上30km以内などで緊急時に避難が求められる区域 2.解除 | 1.4月22日 - 2.9月30日 | なし |
特定避難勧奨地点 | 警戒区域・計画的避難区域外で事故後1年間の積算線量が20 mSv以上になると予想される地点が地域内に含まれる区域 | 2011年6月30日から順次指定(継続中) | 南相馬市、伊達市、川内村のそれぞれ一部 |
名称 | 基準 | 指定期間 | 指定範囲 |
---|---|---|---|
警戒区域 | 1.第一原発から半径20km以内 2.第一原発から半径20km以内で避難指示解除準備区域・居住制限区域でない 3.第一原発から半径20km以内で避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域でない | 1.2011年4月22日 - 2.2012年4月1日 - 3.2012年4月16日 - 4.2012年8月10日 - | 1.双葉町、大熊町、富岡町のそれぞれ全域、南相馬市、浪江町、葛尾村、田村市、川内村、楢葉町のそれぞれ一部 2. 1.より田村市、川内村のそれぞれ一部を除いた地域 3. 2.より南相馬市の一部を除いた地域 4. 3.より楢葉町の指定されていた地域を除いた地域 |
計画的避難区域 | 事故後1年間の積算線量が20 mSv以上になると予想される区域 | 1.2011年4月22日 - 2.2012年4月16日 - 3.2012年7月17日 - | 1.葛尾村、浪江町の警戒区域を除いた全域、飯舘村全域、南相馬市の警戒区域を除いた一部、川俣町の一部 2. 1.のうち南相馬市の指定されていた区域を除いた地域 3. 2.のうち飯舘村全域を除いた地域 |
特定避難勧奨地点 | 警戒区域・計画的避難区域外で事故後1年間の積算線量が20 mSv以上になると予想される地点が地域内に含まれる区域 | 2011年6月30日から順次指定(継続中) | 南相馬市、伊達市、川内村のそれぞれ一部 |
避難指示解除準備区域 | 年間積算放射線量が20 mSv以下となることが確実であることが確認された区域 | 1.2012年4月1日 - 2.2012年4月16日 - 3.2012年7月17日 - 4.2012年8月10日 - | 1.田村市の第一原発から半径20km以内の区域、川内村の居住制限区域を除く第一原発から半径20km以内の区域 2. 1.に加えて南相馬市の一部 3. 2.に加えて飯舘村の一部 4. 3.に加えて楢葉町の大部分の地域(旧警戒区域) |
居住制限区域 | 年間積算放射線量が20 mSvを超えるおそれがあり、住民の被曝放射線量を低減する観点から引き続き避難の継続を求める区域 | 1.2012年4月1日 - 2.2012年4月16日 - 3.2012年7月17日 - | 1.川内村の第一原発から半径20km以内の一部の区域 2. 1.に加えて南相馬市の一部 3. 2.に加えて飯舘村の大部分の区域 |
帰還困難区域 | 5年を経過してもなお、年間積算放射線量が20 mSvを下回らないおそれのある、現時点で年間積算放射線量が50 mSvを超える区域 | 1.2012年4月16日 - 2.2012年7月17日 - | 1.南相馬市の一部 2. 1.に加えて飯舘村の一部 |
福島原発周辺市町村の地図。
橙色:警戒区域(田村・川内・南
相馬・楢葉は現在は解除)
桃色:計画的避難区域(南相馬・
飯舘は現在は解除)
黄色:旧緊急時避難準備区域(現在は解除)
紫の円:各自治体の人口規模
(出典:NIRS資料)
(出典:NIRS資料)
事故を受けて、2011年3月11日20時50分に、半径2 km以内の住人に避難指示が出された。
その後、事故が深刻化するにつれて避難指示範囲も拡大し、3月12日18時25分には半径20 km以
内に避難指示が出された[16]。
3月15日11時には半径20 kmから30 km圏内に屋内退避が指示され[16]、
これにより、圏内の住民は避難を余儀なくされた。福島県双葉町は3月19日に役場機能を埼玉県さ
いたま市に移し、避難住民のうち約1200人も数日中に移動した[17]。
さらにその後、同月の30日から31日にかけて、同県の加須市に再び移動した[18]。
また、避難指示を受けた福島県大熊町の双葉病院には3月14日時点で病状の重い患者146人が
残されていたが、移動を余儀無くされ、
14日と15日に自衛隊によって3回にわたる搬送が行われたが、21人が搬送中や搬送後に死亡している[
19]。
避難指示の出た区域内では人影がなくなり、取り残された多くの家畜が衰弱したり死亡したり
している。
ただ、身内の介護や家畜の世話などのために避難指示の出された地域に留まる住民も
いて、避難するよう自衛隊や消防組織が説得にあたった[20]。
事故の影響が長引いてくると、政府の対応も長期避難に備えたものに切り替わっていった。
2011年3月25日、屋内退避を指示されていた半径20 kmから30 km圏内の住民に、
枝野幸男官房長官が自主避難を要請した[21]。
4月22日には、半径20 km圏内が災害対策基本法に基づく警戒区域に設定され、
民間人は強制的に退去され、立ち入りが禁止された[22]。
半径20 km圏外では、飯舘村の全域と川俣町の一部、半径20 km圏内を除く浪江町と葛尾村の全
域、南相馬市の一部が「計画的避難区域」に指定され、約1か月かけて避難することになった。
また、半径20 kmから30 km圏内のうち計画的避難区域でない地域の大半が、緊急時に屋内退避
や避難ができるよう準備しておくことが求められる「緊急時避難準備区域」に指定され、
屋内退避指示は解除された[23]。
5月10日からは警戒区域内の住民の一時帰宅が行われた。
原発から3km以内へは一時帰宅できなかった
が、8月26日から実施された。
政府はさらに、警戒区域や計画的避難区域外でも局地的に放射線量の高い地点があるとして、
事故発生後1年の推定積算放射線量20 mSv(3.2 μSv/h)を目安に「特定避難勧奨地点」を設定した。
特定避難勧奨地点は、地区単位ではなく住居ごとに放射線量を測って指定され、避難することを
選択すると支援が受けられる。
2011年6月30日に福島県伊達市の113世帯、7月21日に福島県南相馬市の59世帯が指定された。
しかし住民からは指定方法などに反発が上がり、地区単位で指定するよう要望した[24][25][26]。
なお、2011年6月16日衆議院総務委員会で、経済産業省の松下忠洋副大臣は、指定された区域
外に避難した人は11万3,000人に上ると答弁した[27]。
これは、内閣府が6月2日現在の数字として発表した、東日本大震災の避難者や転居者の数(12万4594人)に、ほぼ匹敵する数字となっている[28]。
このような住民避難の実態が、2011年7月23日のNHK特集「飯舘村 〜人間と放射能の記録〜」
[29]
で放映された。
このなかでは、村内の汚染が数十 mSv/hに上ったことから避難に至る様子や、原子力委員会が、
村内に汚染土壌の処分場を設置してはどうか、と提案している様子などが放映されている。
なお、放射性廃棄物の処分場は地層処分のように多くの手続きや検討を経て選定される[30]。
政府は福島第一原発が「冷温停止」した段階で警戒区域の縮小を検討するとしていたが、警戒区
域の一部では高い放射線量が観測され、
事故後1年間の積算放射線量の推計は最高で508.1 mSv(大熊町小入野)となった。
そのため政府は、一部地域では警戒区域の解除を見送る方針で、避難が長期に渡る可能性があるとしている[31][32]。
その後、冷温停止状態であることが宣言され、
2012年4月1日より、準備が出来た自治体から順次、警戒区域・計画的避難区域を
「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」に再編している。
まず、同年4月1日に田村市・川内村が再編され、
4月16日には南相馬市が再編され、
7月17日には飯舘村が再編され、
8月10日には楢葉町が再編された。このうち、避難指示解除準備区域・居住制限区域は宿泊は認
められないなど、一部制限はあるものの立ち入りは原則自由になっている。居住制限区域につい
ては、原則住民の日中のみの出入りに制限されている。
復興庁によると、2012年2月23日時点の避難者等の数は34万3,935人となっている[33][34]。
食品中の放射性物質に対する規制と経緯 [編集]
暫定規制値の数値基準 [編集]
2011年3月17日から2012年3月末に至る間、厚生労働省は暫定規制値を定め、各自治体に対する通知によって、放射性物質を食品衛生法の規制対象として準用してきた[35]。
以下、その数値基準と、WHO (世界保健機関) による水質ガイドラインとの比較を示す。