2012年8月5日日曜日
いま、公園の 「 除草作業 」 から、戻って来ました。
公園は、「 こどもたち 」 が 集まりやすい場所です。
わたくし達 夫婦を含めて、
30人 ほどの大人 が、
わたくしが住んでいる 行政区 の 除草作業 に、
ボランティアで 取り組んでいます。
7 時集合 でしたが、
わたくし達が行った時には、
みなさまは、
もう、作業に取りかかっていました。
約 45分ほどで、公園の除草が完了しました。
区長さんが、言っていました。
「 本来ならば、ブランコ なども、塗装し直したい 」 と。
でも、
風が吹いて、雨が降ったら、
また、同じ状態になります。
区長さんは、
熱中症 に 配慮して、
作業時間を、朝にしてくださったのです。
「 除草作業 」 に、終わりは ありません。
「 また、次回に ・・・ 」 と言いながら、
作業を終えて帰宅しました。
そして、
シャワーを浴びてから、
この記事を書いています。
大人たちも、「 こどもたち 」 も、
もう、
マスクを外し、
Tシャツを着ています。
今日、作業に来られた方々も、みんな、そうでした。
昨年、
初めての 「 除草作業 」 に取り組んだ時には、
大人達も、
猛暑の中、長袖 を着ていました。
人は、何にでも 慣れてしまうのですね。
旧 ソ連の 【 チェルノブイリ原発事故 】 ・・・
あの 1基の 爆発 でも、
ロシア政府は、
いまだに、半径30㎞ は、封鎖しています。
福島県では、
それが、3 基 爆発 し、
2号機は、いまだに その内部を 確認することも、できません。
【 東電 】 は、2号機のことにも、時々 触れますが、
「 確実な情報 」 はないのです。
だって、
中に入れないのですから ・・・。
目視しているわけでは ありません。
南相馬市と、広野町は、
【 原発 】 を 境に、ほとんど等距離です。
広野町 にも、帰還している方々が、
たくさんいらっしゃいます。
2学期から 小学校 と 中学校 が、
広野町で 授業を始めるからです。
ちなみに、
広野町には、高校はありません。
昨年の あの日、
3.11 の 午後 5時 ごろ、
双葉町 では、
『 【 原発 】 放射能漏れの 「 恐れ 」がありますから、
屋内に退避してください 』 と、
防災無線が 流れました。
そして、
24時間のあいだ、
『 放射能 漏れの 心配はありません 』 と、
日本政府は、発表 していました。
しかし、その頃 すでに、
全電源を喪失した 原子炉の中 で、
メルトダウンが 始まっていた のです。
【 原発 】 から、3 ㎞ には、夫の勤務する学校が ありました。
夫が、帰ってきたのは、翌日の 午前 11時を過ぎていました。
【 ベント作業 】 の 真っ最中の、
渋滞に巻き込まれながらの帰宅 でした。
いまさら、何を言っても始まりませんが ・・・
あの時、
せめて、100 ㎞ に、
「 総理 直接の避難命令 」 が出ていれば、
子どもたち までが、被曝せずに済んだでしょう。
昨年、
セシウムが検出された 生徒達 は、
今年になって、
甲状腺のしこり が 見つかっています。
「 できれば、避難してください 」 と、
保護者に いいつづける自分が、
情けなく、不甲斐なく思っています。
いまは、
できるだけ 遠くの 大学に 合格してくれることだけを祈って、
南相馬市に 「 残されてしまった生徒たち 」 を、しごいています。
こんなこと しか できない自分に、
途方もない虚無感を 感じます。