2012年7月25日水曜日
ホールボディーカウンター の結果
一昨日、ハワイから、「 ティム 」 がやってきました。
通訳さんを連れて ・・・。
いろいろな方に会って、「 福島の状態 」 を、調査するためです。
その中の一人が、わたくしでした。
そして、これまでの、
あり得ない写真や、出来事を聞いていた ティムは、言いました。
「 わたしも、日本政府を 信じていない 」 と。
長い会話が続いた後、
ティムは、わたくしに向かって、言いました。
「 これから、一緒に、ホールボディーカウンター を 受けに行かないか ? 」 と。
みなさまも ご存じのように、
ホールボディーカウンター の 基準値は、
絶対に 操作できないシステムになっています。
日本政府から、配付されたものを、
放射線技師さんが、そのまま 測定するだけです。
最初の 「 基準値 」 など、誰も わかりません。
しかも、
セシウムの 「 体内半減期 」 は、非常に短い のです。
つまり、
1年半以上も 「 安全な食生活 」 をしていれば、
「 不検出 」 となるだろうと考えていました。
わたくしは、一度、断りました。
【 日本が定めた基準 】 では、
「 不検出 」 となるだろうということが 解っていたからです。
しかし、
ティムは、わたくしの目を見て、英語で 一生懸命に語りかけました。
通訳さんが、間に入れないほどの真剣さでした。
「 日本政府を、このままにしておいていいのか !
犠牲者が 真実を告げられないままで いいのか ・・・ 」 と。
わたくしは、ティムの真剣さに押されて、
「 不検出 が前提であってもいいなら ・・・ 」 と、
承諾し、一緒に近くの総合病院へ行きました。
20分ほどで結果が出ました。
わたくしと、
ハワイから来たティム の 検査結果は、
どちらも 不検出 でした。
「 検出限界値 」 は、
セシウム134 が 220 Bq /body
セシウム137 が 250 Bq /body です。
それでも、
ティム は、わたくしに言いました。
「 こんなはずが、ない 」 と。
そして、
こう続けました。
「 あれだけの 【 ベント作業 】 や
相次ぐ 【 爆発 】 がありながら、
たった 25 ㎞ にいつづけて、
内部被曝数値が ないのは、おかしい 。
アメリカでは、考えられない 。
しかも、
いまでも、住みつづけているのに 」 ・・・と。
そして、
「 アメリカに 測定に来ないか ? 」 とまで、言い出しました。
しかし ・・・
そもそも、
排泄されてから測定しても、
大して意味がないのです。
昨年、わたくしが最も身体が苦しい時は、
「 こどもたち 」 が 最優先だと考えていましたので、
自分のことは、後回しにしていました。
一年以上も経ってからでは、
どれだけ、放射能を浴びたのか さえ ・・・ 分からなくなります。
それでも、昨年は、
新潟や、西日本に避難していた 「 こどもたち 」 からも、
セシウムが 検出されていたのです。
ティムは、
東京で見つけた 「 黒い粉 」 を、車から出して、
放射線技師さんに言いました。
「 測定してみてくれ 」 と。
もちろん、屋外の駐車場で です。
放射線技師さんは、測定器を持って来てくれました。
そして、技師さんは、
「 この測定器は、日本で一番 優秀なものです 」 と、添えました。
ところが、
ティム の アメリカ製の測定器よりも、
その数字は、はるかに低いものでした。
その 「 黒い粉 」 は、そこら中にあります。
ティムの測定器では、
ビニール袋 越しに、23 マイクロシーベルト を指していました。
たぶん、
わたくしが持っている ロシア製の 測定器でも、
同じ値が出たと思います。
帰り際に、
ティムは 言いました。
「 やっぱり、日本政府は、信用できない 」 と。
わたくしも、そう思います。
不検出であるのなら、
この ・・・ いつまで続くか分からない 身体の異常は、
いったい、何なのでしょう ?
医師も 「 原因が 分からない 」 と言っている 身体の異常は、
どこから来るのでしょう ?
あっ、そうそう。
お尻の 膿疱( のうほう ) は、
昨日、完治しました。
今後、何が出てくるのでしょう ・・・ ?