2012年3月30日金曜日
3.11 直後、東京都で 10 マイクロシーベルト を 記録
3.11 の 直後、
わたくしたちには、何の情報も 伝えられませんでした。
南相馬市 は、「 屋内退避 エリア 」 だったため、
食料も 入って来ませんでした。
トラックの運転手が、みんな、
【 南相馬市 には、入りたくない 】 と、拒否 したからです。
最近になって、
【 ベント作業 】 や 【 水素爆発 】 ・【 核爆発 】 時に、
「 南相馬市 は、20 ~ 30 マイクロシーベルト だった 」 と、
TVの 特集で 流れましたが、
あの頃、
東京都で さえ、10 マイクロシーベルト を 記録 していたのです。
【 原発 】 から、たった25㎞ の 南相馬市が、
そんな 数字で 済むはずがありません。
「 口の中で、金属の味がした 」 と、言う人たちが、いかに多かったか ・・・。
わたくしの家の 目の前には、「 飯舘村へ直行する道路 」 があります。
いまも、山際の家の、雨樋では、
20 ~ 30 マイクロシーベルトを 記録する家々があります。
しかし、どういうわけか、「 特定 避難 勧奨 地域 」 にさえ、指定されていません。
3.11 の直後、
「 子ども 」 を 持つ 世帯は、ほとんど避難しました。
しかし、わたくしたち夫婦のように、
「 子ども 」 がいない 世帯 や、老夫婦たちは、避難をしませんでした。
わたくしは、思い返しました。
先に書いた記事について ・・・
「 南相馬市 原町区 駅前通りにあるアパート 」 で、親子が 【 凍死 】 していた ・・・ 問題。
南相馬市は、凍死するほど、気温が下がりません。
しかも、布団に入っていたなら、なおさら、【 凍死 】 の はずがありません。
体温で、温まるはずです。
しかも、【 電気が止められていた 】 という 報道は、一切ありませんでした。
親子は、高齢といっても、40代の男性 と、60代の女性 です。
わたくしは、【 突然死 】 を 疑いました。
実際に、前例 も あるのです。
ある学校で、同じ日に、教員1人 と 生徒1人 が、【 突然死 】 しました。
3.11 以降は、
南相馬市 での、【 突然死 】 が、異常に多かったことなども 鑑みると、
行政ぐるみで 【 死因 】 を 画策した可能性も 否定的できません。
市長は、世界に救援を求めた 「 あの頃 」 とは、変わってしまいました。
行政は、市民の声を取り上げなくなり ・・・。
いったい、 『 「 何 」 を 復興させたい 』 のか ・・・ ?
街は、もう、元通りです。
そして、学校は、
「 こどもたち 」 を 外で 遊ばせています。
体育も 部活動 も ・・・。
彼らの未来に、「 責任 」 が 取れるのでしょうか ?