前 東京都知事 石 原 慎 太 郎 |
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プ ロ フ ィ ー ル |
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石原 慎太郎(いしはら しんたろう) 【生年月日】 昭和7(1932)年9月30日 【家 族】 妻、4男 【趣 味】 ヨット、テニス、スキューバダイビング 【学 歴】 一橋大学法学部卒業 【略 歴】 昭和31年 「太陽の季節」により 第34回芥川賞受賞 昭和43年 参議院議員初当選 昭和47年 衆議院議員初当選(以後連続8回当選) 昭和51年 福田内閣 環境庁長官 昭和62年 竹下内閣 運輸大臣 平成 元年 自由民主党総裁選に立候補 平成 7年 議員辞職 平成11年 東京都知事 当選(1期目) 平成15年 東京都知事 当選(2期目) 平成19年 東京都知事 当選(3期目) 平成23年 東京都知事 当選(4期目) |
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鹿屋特攻慰霊碑の建立に向けて | |||||||||||||||||||
特定非営利活動法人アジア地域戦没者慰霊協会が、アジア諸国の戦場で散華された戦没者の慰霊活動を通じ、恒久的な平和の確立や明るい豊かな社会の実現にご尽力されていることに心から敬意を表します。 鹿屋基地は、昭和十一年に鹿屋海軍航空隊として開隊しました。戦争末期の昭和二十年二月からは第五航空艦隊司令部が置かれ特攻作戦が始まり、数多くの若者が出撃し、青春に富む尊い生命を祖国のために捧げられました。特攻攻撃の名のもとに戦禍に散った方々の無念に思いを馳せ、また、時を経てもなお癒されることのないご遺族の深い悲しみと追慕の念に思いを致すとき、万感胸に迫るものがあります。 戦後、我が国は、戦争によりもたらされた苦しみと悲しみへの深い反省から敢然として平和への道を歩み、発展することができました。 今日、私たちが当たり前のように享受している平和と繁栄が、特攻攻撃に報国を信じて散華された幾多の若く美しい若者たちの尊い犠牲の上に成り立っているということを決して忘れてはなりません。 こうした国家民族の忠実を風化させることなく、次の世代へ確実に語り継いでいくことは、今ここに生きている私たちに課せられた重要な使命です。 多くの特攻隊員が飛び立って再び帰ることのなかった最後の地であるこの鹿屋に、貴協会が特攻慰霊碑を建立して特攻英霊の慰霊をすることは大変意義のあることと思います。 これからの日本を背負っていく次世代の若者にこの史実を伝えていくためにも、特攻慰霊碑の完成を心から期待するとともに、特定非営利活動法人アジア地域戦没者慰霊協会のますますの発展を祈念し挨拶といたします。 2011年(平成23)年9月吉日 |
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『新・堕落論 我欲と天罰』 |
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平成24年3月11日、 |
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