現在本を2冊ほど書いているのですが、ついへっぴり腰な文章になってしまいます。
へっぴり腰な表現たち
それはたとえばこんな文章です。
あえて提言してみたいのですが、わたしは日本人はもっと「否定される勇気」を持つべきではないのか、という気がしています。さまざまな意見があることは承知しておりますが、個人的な意見として、わたしはそう思っております。
ちょっと極端ですが、自分を守りたくなってしまうと、こういう文章をつい書いてしまうんですよね。みなさんも心当たりがありませんか。
上の冗長な文章は「日本人はもっと『否定される勇気』を持つべきだ」というひとことで表現することができます。こちらの方がパワフルで、結局読者にはよく伝わっていきます。
今書いている本は、書き終えた後に「へっぴり腰チェック」を行いました。自分を守っている表現を検索して、修正していく作業です。気をつけて書いているつもりでも、やっぱり頻繁に使ってしまっているんですよね。今まで出した本でもやっておけばよかった…。
「へっぴり腰」な文章表現は、以下のようなものです。
・〜な気がします。
・〜だと思います。
・〜かもしれません。
・個人的な意見ですが〜
・極端な物言いであることは理解しておりますが〜
・バカな素人考えにすぎませんが〜
・もしかしたら〜
特に使ってしまいがちなのは「〜だと思います」という表現。いやいや、断言しろよ、と自分に突っ込みたくなります。「気がします」とかもダメダメな感じが出てますよね。よほどの理由がなければ使うべきではない、と今になって思います。昔は多用しておりました…。
へっぴり腰な表現の害悪は、
・せっかくの主張が伝わりにくくなる
・文章が冗長になる
・自分を守ろうとしている匂いがプンプンする(要するに情けない)
なんてところでしょう。
ぼくたちはもっと断言する勇気を持つべきです。自己主張しましょう。へっぴり腰では対話は生まれません。せめて文章においてくらい、曖昧な微笑みを浮かべて和を演出するのはやめましょう。
★この記事を読んだ人にはこんな本がおすすめ。
断言する勇気を持てないのは、嫌われるのが怖いから。「嫌い」という感情を正しく認識するための画期的一冊です。ぼくはこの本のおかげでかなり吹っ切れました。