慶子は日本に帰って来た後、彼女は叔父にアメリカ大使館で通訳やその他の雑務をしてくれないか、と尋ねられた。断る理由はなかったが、フランクリンの事が気になる。英語の通訳ならイギリスでも良いのではと聞けば向こうに好きな人がいるんだろ、とからから笑いながら叔父は言った。
結局、慶子は折れてアメリカへ行く事になった。どうやって叔父は知ったのか気になるが、フランクリンが気になってしょうがないのであった。
一方、ヨーロッパでは当時オーストリア領サラエボにてオーストリアの皇太子フェルディナント公が暗殺されるという事件が発生した。歴史の教科書には必ず書かれる第一次世界大戦の戦端を開いたサラエボ事件が発生したのである。
即ち、バルカン半島は文字通り火薬庫に火を投げ入れる結果となったのである。
皇太子を暗殺されたオーストリアでは、
「復讐だ!皇太子の仇を討つんだ!これは国の威信を懸けた戦いだ!」
と、声高に開戦を叫んだ。
セルビアでは、
「かかって来い、相手になってやる」
当時、バルカン半島が政情的、軍事的に不安だったのには、背景としてヨーロッパが二つの勢力に分かれ、覇権を争っていたのが原因だった。ドイツ、オーストリア、イタリアの大国として名乗りを挙げ始めた新興勢力国家からなる三国同盟と、古くから大国として世界を牛耳っていたイギリスを筆頭に、三国同盟に対して危機感を募らせたフランス、ロシアが協力して結んだ三国協商という二大勢力の対立が第一次世界大戦という惨禍を招く事になった。
特に、バルカン半島はドイツ、オーストリア、ロシアが各々の国を支援していたため、冷戦といえる状況だった。こうした背景からバルカン半島はヨーロッパの火薬庫と呼ばれるようになったのである。
しかし、この戦争は3週間で終わる、クリスマスには帰れるだろうという楽観的な考えが多かった。普仏戦争以来、実に40年ぶりとなるヨーロッパでの戦争に両陣営は酔い痴れていた。
サラエボ事件から1ヶ月が経とうとした7月28日、とうとう第一次世界大戦は始まった。
ドイツ軍は、オーストリア軍のセルビア侵攻作戦を支援すると、大戦前は言っていた。しかし、フランス、ロシアが参戦すると、ドイツ軍はある計画を実行に移した。
後世において、とんでもない戦争計画と言われ、第二次世界大戦においてはフランスを撃破せしめる下地ともなった計画。
シェリーフェンプランを実行に移したのである。これは、ベネルクス三国(道路国家)に対して、無条件で通行許可を出させ、フランスの防衛線を迂回し、フランス主力を撃破またはパリ侵攻という作戦だった。しかし、
ベネルクス三国は拒否し、侵攻作戦は遅延。
さらにイギリスの参戦をも招く事になった。
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