2013-03-30 00:06:18

通達

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 AMW社から「承知した」との返答を受け取っているのに、未だに履行もなければ音沙汰もないことがあるんでした……。
 どーなっとるんでしょうか。

 書き出しからなんですけども。
 本題となるとなお悩みます。
 ガイドラインについて詳細は分かりかねますが、組織としての決定であったとしても、組織には人格はありません。となれば、お話する上でどうしても肩書きに触れないではいられず、肩書きに触れるとなればあえて隠す必要はなくなってしまうので、そのままお話しするとします。


 実は、電撃文庫編集部の部長であり、私の担当でもあった小山さんより、通達として、今後、契約をしないと告げられております。
 従いまして、「ハーレムはイヤッ!!」の続編を含めた私の作品は、以後、「AMW社から出版させてやらない」とのことです。

 理由は、『信頼関係が損なわれた』とのことです。
 といっても、不法・不正を犯したわけではないこと、金銭がらみでもなく、また、それらを理由にはされてはいないこと、これは明言しておきます。
 電撃編集部やAMW社としては、それよりも許容できないことになるらしいのですが……。

 これからお話しするのは、その一連の出来事です。


 そもそもの直接のきっかけは昨年に行われた打ち合わせでした。
 これは、元々、創作全般に関する話をしておきたかったこちらからお願いしたものです。

 ところが、この時の話し合いで、私には納得できないことが何点かありました。


 一つ目は、当日、会社にまで伺ったのですが、いざ話となったところで、こちらがアポを取って、事前にお話したいと伝えていた事柄についてろくに話をさせてくれなかったことです。
 話し合いは長い時間、行われて、その間、何度も試みましたが、遮られたり、話題を変えようとしても戻されてしまいました。
「メール一通、電話一本のことだし、日程のやり取りもしていたのだから、そちらがお話したいことがあるならば、事前に伝えておいてくれてもいいではないか。そうしたらこちらだって、何故いきなりと戸惑わないし、考えておくことも心構えも出来るのに」
 と、後日に申し上げたのですが、「私は部長だから忙しいんだ」と一蹴されてしまいました……。そりゃ、ご多忙お手数とは思うんですけど……。
 相談のためにアポをとって、会社にまでやってきた相手にろくに話をさせないのは、AMW社としても、問題ないらしいんですが……。
 でも、暇じゃないのはこっちだって同じですし、この日はそのためだけに伺ったんです。


 二つ目は、(前回、記述した)これまでの事情や背景をよくご存知のはずなのに、小山さんはそれを知らないかのような物言いというか認識を一貫して示されたことです。
 事情や背景があっても、組織やビジネスの論理の前ではどうにもならないことはあります。
 私が(セオリーから言えば、まさしく徒に)創作に苦労していたことを、たとえ表面的に限ったとしても、小山さんはご存知でした。
 そもそも、席を設けてまで俎上に乗せたいとの決意をするに至ったのも、非効率なことをやっているとの指摘を小山さんからも受けたからです。病気や怪我をしようがレースのやり直しはできないし、「タイムが悪い」結果への批判や責任、諸問題とは向き合わねばなりません。でも、同じような意味合いでも、アクシデントを知っている方から結果のみで「お前は足が遅い」と断定されるのは、心外な思いがあるわけです。


 三つ目は、デビュー作に関してでした。
 「戦略がない」と言われたので、「元からなかったではないですか」と堪らず返した流れで、私はデビュー作のことに言及しました。
 すると小山さんは
「(第一作目と二作目の方針を)間違いとは思わない」
 と言われたのです。
 数字を把握された上での発言とのことでした。
 私にはとてもショックでした。


 こちらの立場からすればそうまでして、小山さんがとにもかくにも優先された話題は、スケジュールに関してでした。
 しかしながら、上述の要因から土台がズレたままなので、話し合いは捗りませんでした。

 後日の発言を踏まえると、
「過去のことはもう部長として謝っているし、お前の言う悩みについて理解ができない。実際の問題として、創作が円滑ではないのだから、こちらが提案するスケジュール案に応じるように」
 と小山さんは主張したのに対して、こちらは、
「感情的に納得ができたかとは別問題で、これまでの創作の混乱と、指針や展望がないことは因果関係がある。だから、枠に嵌めるのを優先するよりもそこをきちんとする必要があるし、何より、その目的のためにアポを取って来社したのだから、まずその話をさせてほしい」
 というズレです。

 土台がズレたまま時間は費やされ、やがて、小山さんは結論としてどう(望むというか)臨むか尋ねられたので、私は「スピードアップ」と回答しました。
 こちらとしては、打開策が封じられたままで、結論だけを求められた形になったわけですから、志向(だけ)を回答することになったのでした。
 
 後日、作業のやりとりとともに、話し合いの補足的なものをメールでお伝えしました。
 今思えば稚拙でしたが、当時は、アポまでとったのに話が出来なかった戸惑いと、伺う前にその話し合いの結果を創作に活かそうとの考えもあったのに全く得られず、結果「手ぶら帰宅」となった焦りがあって、次回の話し合いは、とにかく、より良く進めたいとの切実な想いがありました。
 
 それでこちらがお伝えしたのは、
 ・かねてよりこちらが訴えていた問題についての改めての説明
 ・それは組織としての改めての謝罪云々といった、「蒸し返し」ではないこと
 ・小山さんからしたら、どこから「蒸し返し」になってしまうかの問いかけ
 ・第一作と第二作の編集側の方針について、小山さんさえ「問題ない」との評価をされたことへの異論と、それによる現状での弊害

 ・恐らく失念されているであろう、小山さん自身が私とお約束して頂いている事柄の確認
 といったことです。
 「蒸し返し」については、後述します。


 そうして、しばらく後に再びの話し合いの席となりましたが、それは実質、話し合いではありませんでした。
 「会社としての通達」として、小山さんは席上、「もうお前とは契約しない。従って、今後は電撃での出版はない」と言われたのです。
 私はびっくりしました。
 不法・不正もなく、金でのいざこざが起こったわけでもなく、罵倒の応酬といった喧嘩別れがあったわけでもなく、結論として「スピードアップ」を述べた上での、この決定だからです。
 「これまでの積み重ね」との理由を出されましたが、率直に言えば騙まし討ちをされた気分でした。
 理由は最初に記した通りです。

 そして、この席でも言われたのが、「部長として謝っている」でした。


 この「部長として謝っている」との発言は、上述した打ち合わせの席上でも言われてますが、その前でも度々言われております。
 その度にこちらも、「組織としては話がついているのだから、謝罪を改めて求めているわけではない」と求めているものの意味合いが異なることを説明しておりました。
 これが『蒸し返し』とされているものです。


 小山さんが担当となったのは、前回、記述したゴタゴタを経てのことでした。
 担当となっていくらかして、こちらがふとした会話をきっかけに、話し合いの席が設けられました。小山さんはそれまでの事情について把握されていると仰られましたが、私からも改めて説明をして、それで、一連の厄介事の謝罪をされたわけです。
 『部長という責任者』として、また『代理者』としてです。


 ゴタゴタがあった後だったのと、その時は既に出来ていた目先の原稿に追われていたのもありましたが、何より、こちらはこれまでの事情を踏まえた姿勢も方針も、小山さんの前でも明らかにしていたし、またその小山さんは事情をご存知と明言されているのだから、必然的にいずれは投げかけたままの問いかけへの答え、あるいは、具体的な指針や展望を示して頂けると思っていました。

 こちらとしては「ボールを投げた状態」で、小山さんは担当のみならずそれも引き継いだとの認識でした。


 前回の更新した通り、第二作目以降の私には強い困惑の中にありました。
 
 ・ありがたいことに好評だったデビュー作を一作で終わらされたこと
 ・編集主導で、デビュー作と全く異なる作風の二作目を創作したこと
 ・一作目と二作目の結果

 初代担当が強いた手法や方針、そして、結果について、当の担当なり編集部からは「悪くはない」とか「間違いとは思わない」といった見解しかもらってないのです。
 
 「悪くない」との評価は、語感からして、実際にやった側からすればとても困ります。
 純然たる創作の観点から言えば、これのみではどう活かしてどう反省すればいいのか分かりません。
 より重要なのはビジネス戦略の観点です。


 作家を自分の思い描いた方針に沿わせることに夢中になっていた初代担当に、どれほどの成算があったのか、今に至っても皆目見当がつきません。
 というのも、方針変更を訴えるこちらへの説得文句が「私の経験則では……」ばかりで、溜まらず幾度か問いを投げたりもしたのですが、初代担当は、そういった観点での考察の必要性についてさえ理解してくれませんでした。    

 それでも、「ビジネス」と言うのですから、一応の名分として(……。)
「デビュー作の二巻ないし、書き手の自主性に委ねて創作させるよりも、より大きいビジネス効果を得られる」
 という見通しや目的があったから、続刊を重ねるとのライトノベルとしての重要なセオリーをわざわざ外してまで、初代担当はあれだけの主導権を発揮したはずなのです。そのはずなのです。きっと。多分、恐らく。そう信じたいです……。
 しかも、私の場合は、それに関する保障、それこそ言質を得てもいました。


 ところが、第二作目の数字は、上述の「物差し」からすればとても報われたとは言えませんでした。


 一応、申し上げれば、第二作目は、単品基準ではですが、合格ライン程度には売れたそうです。ありがとうございます。
 しかしながら、デビュー作は、増刷を経たハーレム1巻よりなお売れているのです。


 それで、この結果と「デビュー作の未来を潰してまであえて強行したどんな意義があったの?」の問いに対して、編集部側の見解は「問題ない」や「悪くはない」なのです。
 数字以外の何があったのか。
 購入層なのか(実態は知りませんが、少なくとも初代担当は数字よりも細かい把握をしているみたいな言及はしていました)。
 またこれは編集部としての評価か、他の部署、たとえば営業などの評価に基づいてなのかも不明でした。

 「売れるため」以前に『売ってくれる側の判断基準や論理』が、デビュー作の続編の芽も摘まれていたのもあって私には分からなかったのです。


 「悪くない」だけを繰り返す売る側の基準がどういうものか、分かりますか???


 ですので、ビジネス戦略としても「具体的な意義、成果、教訓」が何ら得られてないため、戦略以前に、それに基づく「指針」を定められませんでした。

 これで、

「書きたいものを自由に書いていいぞ(そうしてやっているのに何が不満なんだ?)」

 と言われても困惑は消えないのです。
 だから、小山さんから「戦略がない」と言われた際に、戦略を立てる以前の状態が続いていて、それを脱する苦労をしていたこちらとしては、「だから言っているのに」との思いが『より根元の次元』からありました。


 小山さんからは、こういった根本的な事情を踏まえた意見は頂けませんでした。勿論、その場その場で得られる意見はありますが、時間や状況から、どうしても断片的になりますし、当然ながら時に矛盾が生じます。

 あまり考慮されませんでしたが、知っている上で言わないとか、知っている上での発言というのは、知らない場合のそれらとは、また別の意味も生みます。それも混乱を助長させました。


 それでもどうにかやっていこうとするのですが、創作方針においても、作業においてもどうしても徒にぶれや迷いが出るのは避けられません。
 ところが、小山さんには、その「意義の必要性(因果関係)」も、訴えそのものも、ご理解を頂けませんでした。理解できないとさえ明言されております。
 前者については、戦略に対する考え方の違いかなとも思うのですが、でも、トラブルは無視してセオリーから外れた方針一点のみで考えても、戦略的視点からの検討は不可欠ではないでしょうか。ましてや、この場合は編集側が主導し、それで、意義を問われても一貫して誤りではないと言い張るのです。
 であれば、それだけの立証や検証や説明は、切実にしてほしいのです。
 ところが、こういった主張は、「問いが投げられたまま」という事情をご存知のはずなのに、小山さんの認識では、「部長として謝ったから、とっくに済んでいること」になっているのでした。


 これ以上ないくらい適切な例え話としては次のようなものです。
 不案内な山道を歩いています。
 山に入って早々にろくでもない災難にあって、
 半ばぼろぼろ、手書きのマッピングでの地図片手に手探りで進む状態です。
 おかげで、どこをどう向かっているのか不確かです。 
 ところが、隣には、道案内の経験が豊富で、より精度の高い地図を持っていて、
 しかも、それまでのこちらの事情(行程)さえも承知している案内人がいます。
 こちらとしては今までの行程や方向感覚、どの目標に向かっているのか把握したいので
「どこをどう歩いてきたのか。最初の道は間違いじゃないのか」
 と確認しようとしたら、
「(最初の案内人が荷物を捨てたり突き落としたりしたことは)謝っているじゃないかっ!」
 と返されるので、方向と道と居場所が分からないままなのです。
 当たり前ですが、これは、案内人(小山さん)だろうが、たとえ、災難をもたらした本人からだろうが、謝罪されても、解決するものではありません。


 道が不確かな時の心理状態そのものなので、足取りは快調にはなりませんし、しばらくするとやっぱり落ち着かなくなります。
 堪らず再び尋ねるのだけれど、といったやりとりが重なって、ぎくしゃくと積もっていくことが続いていました。


 それでも、創作方針の混乱が解消されないためとはいえ、最新作で迷惑をかけたことと、小山さんからも非効率な創作をしているとの指摘を受けたことで、やっぱり根本的に取り組んだほうがいいとこちらは考えて、意を決してよりはっきり言及したのですが、結局、一連の繰り返しで悪い方向に傾いただけでした。
「部長としてサポートしているのに、不満なのかっ!?」
 とまで言われてしまいましたので、
「そうではない。メールでは伝わりにくいようなので、お話の席でちゃんとお伝えします」 
 と答えたのですが、
 いざ当日、『それを話す機会さえ頂けなかった』のは先述した通りです……。


 しかも、その話の席で、第一作目と第二作目の編集方針について「間違ってない」と小山さんからも回答をされたのは予想外のことで、衝撃でした。
 抱えている問題の根本的な評価が、全く異なっていたのです。


 といっても、実利優先で言えばそこをどうしてもすり合わせないといけないとは、私も思っておりません。
 それをさておいて、現状の問題を論じることはできはしました。

 小山さんからしたら、当座どうするかに直接は関係のない話題だったのでしょう。

 そんな理解を得られてないところで踏み込んでも余計に泥沼になる可能性も分かっていました。

 それでも、この評価そのものについては受け入れられず、必死になって異論を訴えました。


 デビュー作には私も強い思い入れがあります。

 にも拘らず、編集側の方針を受け入れたのは、それこそビジネスとしての責任があり、そして、あくまでビジネス論理から正しく報われるとの約束事があったからです。

 勿論、常に予測や願望通りになるわけがありません。


 しかしながら、
「売れたわけでも、売ってくれたわけでも、内容を褒めてくれたわけでも、新たなビジネスチャンスを作ってくれたわけでもない」

 これが結果でした。


 それでいて、推し進めた当の初代担当は「私は正しい」との態度を崩さず、居直り、逆切れ、知らんぷり、数々の無作法を含めた謝罪さえ他人任せでした(小山さんの謝罪に「代理」の意味があるのはそういった事情です……)。作家には「プロとは云々」と言っておきながら、さすがにここまで来ると責任の果たし方について言及したくなります。今となってはできることなどなくても、主張したのですから、そのプロセスは踏んで欲しいわけです。
 それはともかく、編集部側の反応は前回更新の通りで、そこへ来て、「悪くない」との見解しかもらってない事情さえも承知している小山さんの見解でした。

 もう「ブルータス!」状態な上に、それこそ、「部長の見解」です。


 しかも、話の席では、最新作の数字の話が(初めて)出ました。
 これだって、デビュー作をシリーズ化でできて、中身を充実させて外伝として取り組めば、創作作業においてもビジネス的にもより都合が良かったはずです。勿論、商業的に芳しくなければ、すっぱり諦めはつけられます。
 なし崩し的に、そして、背表紙の扱いにさえ、二人で頭を捻って結局、妙案が出ないような隘路を縫うようなイレギュラーな方法でのアプローチの創作をせざるをえないのは、本編(?)のシリーズ化の道を編集側によって閉ざされたのが原因なのは今更、言うまでもありません。

 この事情を踏まえながら、「あれは間違ってないけど、これはビジネスだから」と担当編集者から言われるのは、やっぱりきっついですよ。
「玉突き事故を引き起こしたパトカーの運転は問題なかったけど、それで追突されて連鎖事故で人をはねたお前は責任を負え」と警官に言われるようなもので。

 示され続けた側からすれば、これと、さして差異はありません。


 AMW社側は度々、前提をすっぱり無視されますけど、それをさておいても。
 地球の裏側の出来事であろうが、千年過去や未来だろうが、ある事柄についての見解とは、当事者責任の有無はどうであれ、その人自身のものです。
 「(謝った上で)『間違いとは思わない』と主張される小山さんご自身の見解について、異論がある」
 とこちらは再三、訴えたのです。
 それなのに、小山さんは、ここでも「蒸し返し」認定の固定観念を捨ててくれませんでした。

 だから、「部長として謝っている」とのご返答しか頂けず、後日に話しても、ここの認識そのものを改められることは決してありませんでした。


 事実として、
「電撃編集部の見解のみならず、事情を知っている編集者の誰からも初代担当が強い主導権を発揮した方針について、結果を踏まえても、『間違いだった』とか『失敗だった』といった類の言葉は一言として頂けませんでした」
 数字ははっきりと出ているんですよ。
 これは、今でもきっついなあと思います。
 この心痛って、理解し難いものでしょうか?


 「通達」とやらの後は、実質的に取り付く島がありませんでした。
「話を遮ったのは、悪かった。でも、もう決めたことで考えは変わらないから」
「お前がこちらが提案したスケジュール方針自体を拒絶してないのは分かった。でも、以下同文」


 取り急ぎとはいえ4巻の原稿を提出したのもこの決定への反論の一環でした。
 話し合いの席で、創作のペースを上げられるかどうかで「できる」「できない」の見通しのやりとりが散々ありました。
「二作目の方針を間違ってないと言ったのは、実際に原稿が提出されたからだ。違う作品を出していたら、みたいな仮定の話をしても意味がない」
「あの話し合いの結論で、『スピードアップ』とそっちは答えて、『それでいいのか?』と尋ねたら、『それでいい』と答えた(それが目的で設定した話し合いなので別に失言とは思いません)。こっちは言質を取ったんだ!」
 といったことも通達後に言われたのです。

 ところが、いざ実際に原稿を提出してみたらどうでもよかったみたいでした……。
 青臭い書生の理屈と言われればそれまでなんですけどね。
 だけど、
「編集者が、作家の言葉から言質を取れても、その逆は出来ないんですか!?」
 思わず叫ばずにはいられませんでした。
 そして、非力な一作家の私にはそれが精一杯の抗議でした。
 
 理由は、あくまで「長い間の積み重ね」とのことです。

 しかしながら、これまで記してきた通り、小山さんはこちらの主張を一貫して完璧に誤解している、とそう抗議しましたし、不当だと、今でも思っています。
 小山さんは「誤解してない!」と言われましたが。
 でも、誤解してないってのは、
「第一作目や第二作目の編集方針について『間違いではない』との結論に対して、結果の数字に基づいてビジネス戦略の観点から異論を唱えたり、主張の裏づけに具体的な成果を求めることや、戦略を組み立てる一環で第一作目と二作目の成果を検証しようというアプローチの必要性を訴えることが、電撃文庫編集部ならびにAMW社との信頼関係を損ねる」
 ってことになるんですけど……。

 これは、許されないことでしょうか?


 「長い間の積み重ね」と言っても、一部を紹介しておりますが、そのほとんどは、創作の必要性からの訴えを『蒸し返し』扱いにされること、指針と戦略がない故の創作の混乱と、その因果関係に何らご理解を頂けなかったこと、第一作の編集部側の不可解な評価、これらの派生で説明できることです。
 そうではない事柄も、信頼を喪失した理由として、小山さんの口から述べられはしました。
 でも、その件で、私は工程を乱すような無茶を一度も言ったことはありません。諍いが生じたことはありますが、その際は小山さんは落ち度を認められているのです。
「ご自身が落ち度を認めた事柄についてさえも、信頼関係を喪失した理由にされるのですかっ!?」
 さすがに言わずにおられませんでした。
「今となってはどうでもいい」
 と物凄い返し方をされてしまいました……。


 序ながら。
 小山さんは「お前の目から見れば、電撃編集部は……」と幾度か言われましたけど、これもまた随分な話です。
 小山さんの目から見ても、色々思うところがあったからこそ自ら組織内のことや私の前での発言などされたのであって、私ごときの機嫌を宥めるためではないはずです。

 一方で、トラブルが生じた早い段階で、編集部側から示唆されたある解決策について、私は繰り返し反対しました。
 それが実施された場合に、(そこまで踏み込んだ提示はされませんでしたが)(仮名)A案を採られる可能性があったからです。
 こちらの訴えも空しく、編集部はそれを実施しました。しかもよりにもよって、懸念していたA案でした。結果、事態は悪化し、多大な時間を費やして私は心身を徒に損ねただけでした。泣きました。
 ですから、小山さんが謝罪された場で申し上げました。
「あの時の立場でできる方法を駆使して、事あるごとに『それは解決策にならない』と訴えました。十分ではないにしろ可能な限り伝えたことをちゃんと考慮して頂ければ、実際に採られた方法は、本来は選択肢としてあり得なかったのではありませんか」
 と。
 小山さんが担当になられた際に「自分が担当になった意味を考えて」とのことでしたが、「それはやめて」と押さえていたポケットから強引に手札を奪い取って破り捨てておいて、「これでもうお前には後がない」はないんじゃないかなあとは思うわけです。
 
 そして、話がこじれた早い段階で、「経緯上、小山さんとは話がこじれやすくなりますよ」ともお伝えしているんです。しかもそれは、A案が採られた後にも、上手く行かない理由の一つとして伝えていました。
 この面で言えば、「こちらの目から見たこと」は、WHY?を抱かれない程度にはずっと軽んじられているのです。

 
 概要なのに長々となりましたが、醜態をさらしてもお話したのは、誤解であれ、そうではなく数字に基づいた真っ当な異論が気に食わなかったのであれ、いずれにしろ、これは、とても横暴で理不尽だと思うからです。
 繰り返しますが、不法や不正はしてませんし、金銭がらみでもありません。
 それでいて、記述してきた事情ややりとりから、それらよりも許容ができないとして「私への信頼が失われた」と断じられたわけです。


 ところが、AMW社からすると、これは理不尽でも横暴でもないそうです。

 小山さんからは「これのどこが理不尽なのか、第三者に判断してもらおう」とまで言われました。
 ですから、私は「それならより広く問うた方が、はっきりするし、手っ取り早いのではないか」と提案して確認して、異論なしでしたので、こうして世間様に理非を問うことにし、必要な事柄を記述することにしました。


 別の角度からも、お伝えしたい事情もありました。

 デビュー作は好評と共に続編を望む声が少なからずあり、とても励みになりましたが、反面、申し訳ない苦しさもありました。


 ところで、私は割を食った立場ではありますが、電撃文庫編集部の編集者が表に出ることそのものについて文句はありません。職業差別をするつもりはありませんし、自慢の裁量権の広さも同様です。
 でも、あれだけ裁量権と主導権を発揮しておきながら、これは世間様の方が詳しいでしょうが、多分、私の二作目の事柄に関しては一言も触れられてませんよね。
 それもビジネスだからしょうがない言えばしょうがないのです。

 しかし、外では沈黙しながら、こちらの前では「プロとは」とか「ビジネスだから」とか、トドメに「悪くない」と言われるのは、回避を訴えながら聞き入れられず現実に諸々の負担を一身に浴びている身としては、やっぱりシンドイです。

 結局それに応じた作者は、ひたすら我慢しないと編集者や出版社との信頼関係は損なわれてしまうものでしょうか。

 ともあれ、読者の方からの声に「作家は応じたいのに応じられなかった事情」について、「リスクがあるんだぞ」との言葉に怯えながらもこうしてお話しするしかありませんでした。


  それと同時に、
「(売り上げが悪いために)編集側からこれを書けと題材を押し付けられ、不満に思っている」
 などといった、実情からあまりにかけ離れた誤解が広まるのはとても看過できません。

『売り上げを理由にして作品や作風の継続を訴えたのに、編集側から重ねて拒否されたことはあります』
 逆はないのです!


 編集側から、数字とは無縁の事情から作品の可能性が潰されるのはこれで二度目です。
 今回は、作家の道も潰されたわけですが。
 さすがに人生に絶望したりもしました。


 デビュー作は、本当に多くの皆様に温かく迎えて頂きました。
 先輩作家さんや授賞式で会っただけの方からも翌年の授賞式でわざわざお声をかけて頂きました。
 大ヒットとまではいきませんでしたが、多くのお手紙を頂いたのもとても嬉しかったです。数は知りませんが比率からすればそれなりに驚きだったそうです。
 ですから、孤立した状況に陥りながらも、どうにかその芽を潰さないよう、繋げられるよう苦闘してきましたが、力不足でした。


 また著しい制約の中で書いた「ハーレムはイヤッ!!」については、素直に驚きと感謝があります。
 以前も申し上げたように、作者は決して嫌っておりません。
 「これなら最初からラブコメを書いておけば良かった」とは正直、思ったこともあります。それでいて、三巻までは、既存の路線を通すつもりだったのは白状しておきます。すみません。
 昨年は色々ご迷惑をかけてしまったので、今年はそれを頑張って埋め合わせするための改善しようとした矢先でのことでした。
 
 何とかできればとは思うのですが、本当に申し訳ありません。
 ひとえに不徳の致す所です。



 これまで拙著を手に取って頂いた皆様に、応援して頂いた皆様に、心より感謝とお詫びを。



 今後も皆様が良い本と巡り合えますように。



 2013年吉日 水鏡希人

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2013-03-29 18:51:24

背景

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 思わぬどたばたもあり遅くなりましたが、どうお伝えしようか。
 かなり悩みました。
 
 たとえ、黙っていてもロクでもない誤解や憶測が広まったりするのですから、やはり自分の口から一度、お伝えしておいたほうがいいと思いました。

 ただ、話す範囲もまた悩みます。
 長くなりそうですが、お話をする上で最低限の脈絡には触れておきたいと思います。
 
 思えば、作家としてデビューが決まったのとほぼ同時とも言える早い段階で、私は盛大に躓いていました。

 愚直にわざわざ許可をとってもいますので、ぶっちゃければ、最初に担当となった方が、編集者としても職業人としても社会人としてもかなり問題があったのです。
 本業を疎かにしても、外向けの仕事を優先していたせいで世間受けは良かったみたいですが、人目のないところでは、いわゆる暴君タイプでした。機嫌が悪くなると態度や仕事ぶりに途端に露骨に出て、「社会人としていかがなものか」といった振る舞いは一度や二度では済みません。しかも、大半は本人が原因だったりします。

 これについて、編集部には早くから相談していたのですが、とかく冷淡でした。
「他の作家とはちゃんとやっている。もし、本人に問題があるならば、他でもそうなるはずだ」
 初期など、まるでお前にこそ原因があると言わんばかりでした。あれこれ明らかになった今となっては何をいわんやですけど。

 この過程でも諸々あり、ある大きな問題で編集部より意見を求められて、とある事情もあって私は切実な想いで自分の意見を繰り返し訴えたのですが、結果的に度々の相談事とともにそれは全く活かされず、むしろ、より望まぬ形となって報われました。

 それを経て、上述の最初の反応や、訴えがどう活かされたかも含めて事情が全く見えなかったこともあり、説明を求めて編集部より「了解した」との回答を頂いていたのですが、いざ説明となった段でも心無い対応は続きました。

 最初にジャブをもらってから、本題の事情説明となったのですが、
「(最初の編集者と上手く行かなかった)原因は、お前にある」
 ええっ!
 イの一番にこちらですか。
 しかも、その事柄は原因(初代担当の問題ある言動)があってのリアクションではないですか、と反論したら
「事情はよく知らないけど」
 ええっ!
 事情をよく知らないで、部下でもない社外の人間を批判したのですか。
 ええっ! はもう一つありました。
 問題の初代担当は、こちらの言葉はダイレクトに上に伝えても、自分に不都合な事柄は(恐らく)一切、報告してないのが、この段階でさえ明らかになっていました。一方で、この方が編集部の窓口となっていたので、私は早い段階から相談をしていたのです。だから、少なくとも事実そのものは把握されていたのです。


 これに関しては他にも多々ありましたが、実際の創作面においても厄介はふんだんにありました。
 当初から発生してましたが、最大の点は、一作目と二作目の方針です。
 これらは言うまでもなく、初代担当が主導権を発揮した結果です。

「終わり方が綺麗なので、この作品は『一先ず』終わりにしましょう」
 受賞の知らせを受けたその年のある日、唐突にこう伝えられたのですが、私は何ら共感も賛同もできませんでした。少なくとも、「シリーズを閉じたくなるほど綺麗」などとは思えません。
「電撃では異色作なので、結果が分かるまでの二作目はうちのテイストで」 
 応じたのは、この点について、反論の材料がなかったのです。
 また、一作目の終わりとする方針が仮置きな言い方だったこと、それ以上に、上述の初代担当の性格がありましたから、長いこと一緒にやっていくのだからと、その関係性を重視したこと、何より、方針に従うに当たって、初代担当が幾つか約束事をしてきたからです。結果論で言えば、この約束はなかったことにされました。序ながら、この約束の存在と違反も、編集部には(こちらが訴えるまで)自ら報告していなかったようです。おかげで、後日、「約束が違うではないか」と私が反発をしたことについて、長らく我がままを言っている扱いをされる破目に陥りました。約束してきた当人からでさえもです……。
 
 二作目の創作に関しても、問題続出でした。
 事前に不馴れと戸惑いは何度も伝えてましたが、元より右も左も分からない段階での、当時も首を傾げ、今振り返っても疑問だらけの「私の経験則」に基づいた「私の方針、私の工程、私の手順、私の考える展開や物語構成」といった初代担当のやり方に、取り組んで一ヶ月もせずにこちらは根を上げました。おかげで以後、時間と労力と気力を絶望的に消費しながら、全ての機会で、『方針の根本は言うに及ばず、あらゆる角度において初代担当が一人で思い描いた設計図に、何かしらの変更の必要性を訴える』苦闘をする羽目に陥ります。
 後年(決して『後日』などという生易しい単位ではなく)、初代担当の問題行動と編集部の一連の対応について、正式に謝罪を頂いたのですが、その席で、こちらの異論を封じる際や、自分の考えを押し付ける際に「私の経験則」を常套句に用いるなど、とかくキャリアを鼻にかけるところがあったこの初代担当が実は「一から作家を担当するのは実質、初めてだった」と知らされて、私は口から魂が出そうになりました。勘弁してください。


 勿論、当時の私はそんな真相など知りません。
 繰り返し訴えながらも、実態を無視され続けた指示にのたうちながら、時間に関するリスクとの兼ね合いと展望についての言及さえ何らなかったこともあって、結果的に、悲愴な決意で二作目を仕上げるに至りました。
 その直後に、初代担当より「三作目である二作目の二巻のスケジュールを決めたい」と連絡があり、かなり長いやり取りが生じました。

 といっても、


 「これだけ苦労した作品なのに、何故、次もそれが分かっている題材に取り組む必要があるのか」
 と私がそれ以前にも繰り返し訴えていた状態も踏まえて切実に改めて口にしたところ、
 初代担当は「シリーズで巻を重ねるのが、ライトノベルの売り方なんだ」
 との理由が延々と電話口で繰り返されただけです。
 
 当然ながら真っ当な疑問が浮かびます。
「シリーズで巻を重ねるのがライトノベルの売り方で、そこまで重要なら、デビュー作の二巻出せばいいんじゃないの?」
 ところが、初代担当は不可解なまでに、これについて一言たりとも触れませんでした。
 しかも、この時点で既に「異色のデビュー作のおおよその結果」は出ていたのです(ですから、3作目のこの指示は明確な約束違反でもありました)。

 しばらく後になっても「電撃は中高生の男子が主な顧客層なのだから、それを意識して」と初代担当は当時の自身の判断について揺るがぬ正当性を繰り返していました。
 初代担当の判断の変更を促したいとの悲痛な思いもあって、私は、デビュー作出版後に世の反応とそれに対する担当の見解も頻りに問い合わせて、初代担当は自ら肯定的な評価を回答していたのです。ところが、そこに整合性をつけようとの考えは、最後まで不思議なまでに皆無でした。
 この頑迷さが、マニュアルに忠実であろうとする思考なのか、自らが描いた作家像に、初めて担当するという新人作家をはめ込むことに囚われていたためなのか、私には分かりません。
 私の伝え方が悪いのかと相当に悩んだりもしました。
 原因はこちらにのみにあると言わんばかりの当時の編集部の物言いに、ある時など、さすがに堪り兼ねて、「どう伝えれば、あの人の考えを変えさせることができたのか、(私よりずっと長い時間一緒にいるのだから)是非、教えて欲しい!」と訴えたこともあります。答えは得られませんでした。これについては、話に聞いた初代担当の以後の振る舞いなど考えれば、さもありなんではありますけど。
 ともあれ「編集の仕事を分かっておらず、作家と仕事をする適性がなかった」との評には深く頷くしかありません。

 上述している担当者の問題ある言動と編集部の対応は、言うまでもなくほぼ同時発生だったのですが、以後も、混乱と混迷に途方もない拍車がかかります。

 
 当初、初代担当の問題行動もさることながら、この編集方針や手法も、編集部に訴えれば、いかにおかしいか明らかになると当然のごとく私は思っていました。
 ところが、「結果的に上手くいかなかったのは悪かった」とは言われても、どちらに対しても、個別の事柄になると、「問題ない」とか「悪いとは思わない」といった反応にばかり直面したのです。
 
 10巻構想であろうと、途中で売れないとなれば、打ち切り。
 あるいは10巻構想でも売れ続けたのなら、以後も続けよう。
 といった判断を、編集者がするのは当然でしょう。

 しかしながら、そんな『売り上げとは無縁』のところで、
 編集者が一方的にこの作品は単発で終わらせよう、とか、この作品はシリーズ化にして続きを書け。
 って(特に前者について)主導権を発揮するのは、「間違ってませんか?」
 とこの点についても俎上に載せたのですが、「間違ってない」と言われてしまったのです。
  
 他にも色々と疑問がありました。
「商業的にも成功している受賞作を好意的に受け止めてくれた読者は、二作目の作風を期待するんですか?」
「デビュー作を読んで、そちらは私に萌えなどを書くことを、期待したんですか?」
「受賞するに至った作風を否定した上で、私の何を評価してくれているんですか?」

 私は「こういう作品(や題材)でなければ書きたくない」みたいな信念めいたものはありません。
 問いへの答えに絶対の正解はないでしょうが、かといって、答えるのが困難な問いでもないはずです。
 だから、「デビュー作読んで、可愛い幼女(or熱くて厚い男など)を書いてくれると思った。そんな作品を自分は押していきたい」といった突飛なことでもいいと思うのです。
 実際に書く人間にちゃんと向き合ってくれて、それで説得力のある言葉を頂けて、責任を負って頂けるのなら。それなら、たとえ提案としてあまりに疑問があっても、建設的な話し合いはできます。
 ところが、「電撃の主な顧客層は……」といった類を除けば、一度として誰からもまともな答えをもらったことはありません。
「シリーズにするか閉じるか、何をどう書くか編集者が決めてきて、それで失敗したら作家の責任ってのはおかしくないですか?」
 といった、もっとドギツイことも繰り返し尋ねたりもしました。

 後に編集部の別の方から「こういう(最初の担当の不品行とそれによる不始末に関する)話より、創作のための建設的な話をしよう」と言われたことがあるのですが、上述の問いかけに答えを求めようとするのは、他の方からすれば、建設的とはならないのでしょうか??

 一方で、編集部の窓口となった方からは、デビュー作について「年齢層が高めで、異世界もので、電撃に合わないと思った」と一作目が出た後になっても、とてもネガティブに言われました。
 
 そこが評価されて受賞し、世間様にもまずまずの結果となったのでは、と売れた結果そのものに言及しても、冷淡な反応は変わりませんでした。
 私は戸惑うばかりになりながら
 「デビュー作の二巻駄目なんですか?」
 と尋ねたのですが、
 「あの終わらせ方でどうやって続きを書くんだ?」
 冷ややかに返されてしまいました。
 
 あの、書いたの私なんですが……。
 回答に呆然しました。
 作品を満足して終わらせた作家が続編を望む編集者への台詞なら分かりますが、逆は普通ないんじゃないかと思うのは、書き手の傲慢なんでしょうか……?
 こうして、「編集者の一方的な判断で、作品の未来を閉じられた」身としては、以後、下手に綺麗な(とされる)形の構成にしてしまうことに忌避感を覚えました。緻密な構成や設定をしても、不可解な理由で終わらせたらたまりません。

「作家が『売り上げを根拠に続編を訴えた』のに対して、編集側が売り上げとは無縁の理由で、否定を重ねる」
 今振り返れば、この当時、ライトノベル分野ではなおのこと、極めて奇怪な体験をしていたのだと思います。


 衝撃を受けながらも
「じゃあ、どんなのならいいのか」と聞いたら「ボーイミーツガール」と言われたので、
 では、と後日、異世界ものだけど、ボーイミーツガールの作品を提出したら、
「異世界物は電撃的じゃない」
 ことを理由の一つに却下されまして、仰け反りました。


 この直後というかまさしくこれが原因で、何度か行われたうちの編集側との話し合いの一つが行われました。
 その際に、「改めてお前から事情を説明される必要はない」と明言されるぐらいには事情を把握された上で、同席された仕事熱心な方から、
「自分のやり方で書いていい、好きな題材で書いてもいい、と(こちらは)言っているのに、何が不満なんだ?」
 と尋ねてこられて、私は絶句しました。
 当時は率直に明かせないとある根本的な事情の存在を想像されなかったのは無理がないとしても、上述の出来事を経てのこの発言です(「こういう話……」も同じ席で同じ方からの発言です……)。
 最初の担当の件のみならず、創作の面においても、事実として、編集部のどなたからもこちらの訴えに何一つとして賛同を得られませんでした。
 おかげで、私に対して行われたことは、担当者個人の勝手な行動なのか、部署内で合意を得ているのか、組織の基本的な感覚や方針なのか、判別が著しく困難で、これだけでも、甚だ混乱することになりました。

 それに加えて、実際の創作活動においても、評価されたはずの部分が直接に裁定する側から真っ向否定され、代わりの指針も展望も具体的に提示されなければ、こちらの簡易な問いへの明快な答えもなく、なお否定だけ明確にされたのだから、かなり混乱します。 

 売れなかったのであれば、己の力不足を反省するしかありません。
 違うアプローチも必要になってくるでしょう。 
 でも、続刊を出すのに支障がないほど売れていて、それでいて編集側から否定されたのです。

 これで混乱する私が馬鹿なのかなあ、と悩んだこともあるのですが、後になって、ある案件で「そうではなく、もっと~な感じで違うふうに」と意趣返しのつもりもなく伝えたら、編集側から「では具体例を出してくれ」と言われたので、状況から人間として無理のない反応みたいです。編集部の方も、自分がいざその立場になってみるとその時は考えて頂けるみたいです……。
 
 こういった背景から、その次の作品は
「とにもかくにも『曖昧』、『ボーイミーツガール』は不可欠な要件、異世界はだめとのことで、『和物』とされる範疇で」
 となりました。


「立ち上げたばかりで、コンセプトがまだはっきりしてない」

 とのことだったので、「とにかく手近で枠が空いているなら」と、そもそもの創作概要と設立目的が明らかに乖離したレーベルに、完成原稿を突撃させたのは、当時はとある絶望的な事情があったがためにやむを得ないながらも、それでも乱暴な選択だったなあとの反省は、振り返るとあったりはします。 

2013-02-16 13:01:21

報告1のおまけ

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 ついでと言ってはなんですけれど

 とり急ぎの形とはいえなのですが、

 実は「ハーレムはイヤッ!!」は4巻も提出しております。

 あくまで当社比ながら、3巻までと趣が変わる予定です。


 報われればいいのですが、とは切に願います。

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