この世はユダヤ主義社会
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脳がやられて汚染が進んでいます。
理性的に考えてみれば
結局は私が彼らに従うようになるか
自殺を選ぶかの二者択一を迫られているのだと思います。
そんなこともあり、正直言えばユダヤも、朝鮮半島に拘る人間も、
創価学会や統一教会のような”宗教組織に拘る人間”も
まとめて嫌いになりつつあります。
差別意識とか嫌悪感ではなくて理性的に受け付けないのです。
そんな組織の有志達の中にこそ
加害者や真理を捻じ曲げる者が潜んでいることに
気が付いているからでもあります。
脳に植えつけられている意識のなせる技でもあるのでしょうが、
自分への止まない加害行為と脳の管理行為に
私は堪忍袋の尾が切れそうです。
私は他人に管理などされたくはない。
意識を汚染され低い意識で保たれたくもありません。
しかしこの人間達は私を現実に管理しているからです。
能天気になるような刺激をも
脳へと繰り返し与えてはその一方では
抑圧するような照射での脳汚染も続いています。
記憶もどんどんと消されていますし
時間の経過と共に私の脳をリセットしようとでも
考えているようです。
彼らは私を覚醒者ではない
ただの一般人へと作り変えたいのではないでしょうか。
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痛みが少なく実害が大きい、
そんな脳への照射が続いています。
静電気の様な感触が強いので
プラズマ利用を想像していました。
そんな中でも脳汚染が続いています。
脳が疲労する一方で爽快感を取り戻せない
もっと言えば脳周囲の周波数が低い波動で汚染され
下げられているそんな感じです。
そして血行を意図的に悪くするための
後頭部への圧力も続いています。
それと同時に大量の異物を作り上げての排泄妨害。
異物が増えれば脳への出力も強まりますし
これも一種の洗脳強化にも繋がっているのかもしれません。
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私の記事は今は限界に来ています。
魂への経路と言える物が
ユダヤ傀儡工作員達の脳への関与のために
半ばつぶされているからです。
私は今は自分の心へと置き変えた価値観をもって
漸く左脳で論理的に判断しながら書いている状態だと想像しています。
面白いもので右脳関係魂への経路の機能をつぶされると
私はユダヤ策略や政治や経済含めた
現実と言われる記事が書きたくなります。
一方魂を強く感じると
創造主の法、イエスキリストの話になります。
今後は私の記事の内容から
私の精神状態を推測してみてください。
と言うことで、
今の私は魂の訴えを表現できてはいません。
しかし少し前にも触れましたが
私を信仰して貰うわけではなくて
私の紹介している真理を皆が理解して
それに覚醒するきっかけとしてくれれば良いのですから
そう受け止めて頂ければ何の問題もないかと思います。
魔の傀儡達に妨害されながら
さえない頭で気持ちだけで広報している
私の現状を理解していただいて
参考にしていただければ良いかと思います。
かろうじて幼稚園を卒業できるレベルの私の、
現状で書くことの出来る精一杯の記事です。
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見てきてそれをすべて理解しているような口調で
出鱈目を語っている人間がいました。
論理破綻で支離滅裂なコメントなのですが
かえってそれを皆に紹介したいと思いました。
この社会の中にはこのような思考回路を持っている人間が
現実に存在していると言うことを知っていただくためです。
誤った価値観を語っていると言うだけではなくて
正しくないことを如何にもそれが正しいかのように
誘導している記述に
口調とは裏腹の工作員特有の邪悪さを感じましたので
批判的に引用してみます。
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897 :神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 16:35:45.14 ID:SfdVSpRR
キリスト教や仏教って、生殖を、良いこととは、思っていませんでした。
イエスキリストや、お釈迦さんは、通常の男女の性交渉や、
みんなと一緒の家庭生活ができませんでしたので、 性的に変態でした。
キリスト教や仏教は、世間一般の同性愛者や、精神障害者や、
身体障害者や、病人などの、虐げられた人たちの、拠り所でした。
キリスト教や仏教やイスラム教などの宗教って、
男と女の平和な家庭生活を否定していますから、当たり前でしょう?
人間不信なの、宗教って。
現代のように、同性愛が見直されるのは、
生産力が停滞して、戦争のほうへ、時代が変わりつつある、という意味です。
異性と恋愛をしても、生存や集団安全保障や世代交代の、役に立たなければ、
同性愛の評価が高くなります。
世代交代をするには、育児や家庭を守らなければいけませんから、
どうしても、集団安全保障が必要になります。
異性といちゃいちゃするのは、頼りにならんから、
信頼できる同性を確保したほうが、効率が良いの。
そういう時代になれば、同性愛が流行ります。
集団安全保障のための、信頼できる盟友が、同性なら、
平和な社会でも、虐められる傾向にある人が、
同性愛にすがるのは、当然ですけれど、
虐められ易い人って、みんなと一緒のことのできない人と、だいたい同じです。
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聖人と言える人間達を変態扱いしていること自体が、
この人間が誤った知識に基づいて
心の価値観に囚われていることを髣髴させますし
聖人たちの実態を、まるで自分が目の前で見てきたかのように
全てを理解しているかのように取り上げているところが、
ネット工作員達と手法が同じでもあります。
性的なものは美化することは出来ませんし
それは私達の社会の中で引き起こされる現象の中でも
多くの場合は高尚と言われるものとは
程遠いものでもあります。
アダムスキーが言っていた
低い段階の生命現象というのが
もしかしたら性的なものをも含むのだと思います。
それは低い段階とされながらも
私達が取り除くことの出来ないものでもあります。
そんな現象含めて私達の社会は成り立っているからです。
この社会の中での性行為は得てして性欲の表現であり
多くの場合それは美や愛と表現されるものとは
かけ離れていると思います。
ただ、同じ性行為であっても
それはピンからキリまで存在していて
ブラザーズ社会の様に
愛し合い尊敬しあう人間同士が新しい生命を創造するための
神聖な行為として意識している場合もあれば
自分の心の中のどろどろとした欲求を満たすために
実行する場合もあるわけで
両者を同一視してはいけないと思います。
イエスキリストは聖書の中で
男と女は一度結婚したら死別以外の離婚はいけないと言っていました。
結婚は男と女を神が結びつけたもので
両者は別人格でありますが結びついたことで
それは一つだと認識しているわけでもあります。
そしてイエスが性行為を否定するわけがありません。
性的儀式が無ければ肉体と言う魂のフォームは
生まれてはこないからです。
それは創造と崩壊を繰り返す創造主の法においては
不可欠な行為でもあるわけです。
創造主の法の下では
性欲や自分のエゴを満たすために
男女が結ばれるのではなくて
男女は相手を尊敬し信頼し、
お互いを高める相手として伴侶を選ぶのだと思います。
それはそのまま魂の進化へと結びつくものですし、
その両者が結ばれることで出来るのが
他人の転生のための器である新しい肉体です。
彼らは性行為に関しても自分達のエゴのためではなく
魂の進化と、他の魂の進化を意識して
創造主の法の下でそれを営んでいるのだと思います。
そして同性愛は不毛であり
創造主の予定に存在していないものですから
それを正当化したり勧めたりはしてはいないはずです。
現代社会の中ではありとあらゆる価値観が
価値観の多様化という言葉の元に
正当化される流れがあるからこそ
同性愛を認める流れまで生まれてきている。
しかし本当であれば私達の価値観は
創造主の法の下全てが接近していくはずですから
多様化=創造主の意識からの乖離でもあると思います。
そしてそんな価値観をキリスト教徒の一部が
認めているとしても
それはイエスの教えに従っているとはいえませんし
イエスはそんな意識など持ってはいなかったのですから
イエスの思想とは無関係です。
幼児性愛者や同性愛者が、
不思議と心無い人間闇政府傀儡と言われる人間達や
悪魔教徒と称している人間達に多いのは
彼らの意識が創造主の法の元の自然な状態とは
かけ離れていることの象徴ではないでしょうか。
【キリスト教や仏教は、世間一般の同性愛者や、精神障害者や、
身体障害者や、病人などの、虐げられた人たちの、拠り所でした。】
日本の中でもその多くを占めることになる
キリスト教徒や仏教徒の神経を逆なでするような発言ですが
この人間は一体どんな思想を信仰しているのか
興味があります。
宗教で精神的に救われることが多い人間の中に、
身体障害者や病人がいることは間違いないと思いますが
彼らは満たされないものがあるからこそ
既存の価値観に疑問を感じ、そこから魂の意識の経路へと
感じる人間が多いと言う実態があるのではないでしょうか。
一方、イエスの側近には普通の人間が使えていた事も
聖書からも明らかですし
側近の中には悔い改めた罪人と
普通の暮らしをしていた12使徒が存在していました。
彼らは性的変質者でもなければ
精神障害者でもありません。
壊れた意識を持っていた俗世間から離れ、
真の創造主の勧める生き方へと目覚めようとしていた人間達です。
一方この社会の中で同性愛者が増えているのは、
私の想像では人間が本来持つべき脳の機能を
壊されつつあることと無関係ではないと思います。
男が女を求め女が男を求める。
そんな本能を持った状態で脳機能が存在しているのに
それが正常に機能していない事をあらわしていると思います。
肉体的に考えれば成長期のホルモンバランスが乱れ、
正常であれば興味を持つべき相手が異性になるところが
それが同性へと目を向けることになる。
そんな実態があるとすれば、
それはこの今の私達を取り囲む環境の中にこそ
原因があるのだと思います。
そしてもう一つは歪んだ価値観に基づく
歪んだ性欲のなせる業。
経験と知識がその人間の価値観を作りますが
それが歪んでいればその嗜好も歪むことがあります。
人間が本来人として持つべき意識を持たないから、
人としての正しい機能を維持することも出来なくなっている可能性です。
古代バビロンが滅んだ時には性的な乱れが進み
同性愛が蔓延っていたことも聖書の記述からもわかります。
人間が本能的快楽的になっていた事もそこからの描写で
想像が付きます。
それはそのまま人間の意識の変貌であり
その変貌をもたらしたのはその社会を作り上げた当時の人間の想いであり
その社会が破滅へと進んでいたことも
今からであれば認識することも出来ます。
そして文明の崩壊するときには
人間社会の中には同様な意識の乱れが起こるであろう事を
私達は知っていますし理解することも出来ます。
私達の想いの乱れがこの社会を乱し、
それが地球環境の変貌を引き起こし
引き起こされた地球環境の変貌が
さらに私達の心でもある脳機能へと影響を及ぼす。
そんな悪循環がスパイラルとなって
私達の環境を襲うのです。
つまりこの社会は文明の終焉へと
進んでいる可能性があると言うことでもあります。
一方では科学力、薬品や電磁波で
人間があるべき本質を変貌するような
そんな関与をも実行している人間達もいます。
脳機能を破壊することで人間の本来持つべき意識を
悪い意味で変貌させ続けているような人間達がです。
私達の社会は二重の悪影響を
環境と悪意ある他人から受け続けているのだと思います。
同性愛と幼児性愛の共通点もあります。
共に新しい生命の誕生を
もたらす行為ではないと言うことです。
ホルモンバランスを乱した人間や
異常性欲の人間が増えると
今度は人類はその数を減少させ
出生率の低下をもたらし
生物的な滅亡へと進むことにもなりかねないわけです。
【現代のように、同性愛が見直されるのは、
生産力が停滞して、戦争のほうへ、時代が変わりつつある、という意味です。】
何の根拠も論理性も無い書き込みではありますが
戦争と生産力低下と言う言葉に反応しました。
生産力が低下しているのは、
働いている人間の能力が以前と比較して低下していることとも
無関係ではありません。
そして生産力低下が戦争を引き起こすのではなくて
経済停滞を意図的に引き起こしている人間が
景気回復の起爆剤になると証しては
戦争を奨励していると言うのがこの世の実態です。
経済停滞を意図的に誘導することで
世界的不況をもたらすことで、
新たな需要を創出するために破壊が必要であると奨励しては
この社会を戦争や電磁波兵器で破壊しては
そこに新たな需要を創出して見せている。
私には不要の争いを生み出すためにこそ
経済を停滞させている人間達がいるようにしか見えませんし
現に今のこの社会の不安状況がもたらされる事は
ユダヤ有識者は数年前にはすでに予測し予言して見せていました。
一方ではいくら経済が発展しても
資本家が上前をはね続けている限り
一般市民はその改善の恩恵にあずかることも出来ないはずです。
労働力を切り売りにしたことで企業が儲け易い体質へと変貌し
一方では国民の所得が企業へと転化されたことは
以前にも何度か記事でも触れています。
そして同性愛や性の偏重傾向と経済は無関係だと言うことです。
この人間の論理が破綻していることは明らかですが
そんな論理破綻している人間がこの社会に溢れていること
そしてそんな本当の意味での精神異常者が
放置されていることこそが
この社会の悲劇だと思います。
闇政府の策略に気が付き、
国内のユダヤの傀儡と貸した人間達の策略に気が付けば
それを精神病として精神科へと送り込み
洗脳薬漬けをすることでその口を塞ごうとする一方
本当の誤った価値観を正しいと信じて疑わず
それに従い暴走している人間達が放置され続けている社会
言ってみれば真の異常者が作り上げているのがこの社会で
そんな価値観を受け入れない人間は
この社会では生きていけないと言うのが
地球の法則なのだと思います。
【虐められ易い人って、みんなと一緒のことのできない人と、
だいたい同じです。】
苛められる人間を批判的に捉えることで
苛めている人間達の道徳性の無さを
無視しているところも
この社会の中では加害者側の人間になりそうな
意識を持っている人間だと思いました。
この社会の中でみんなと同じ事をするということは
誘導されて灰色を実践し続けると言うことでもあります。
灰色を実践できない人間は
邪魔だから見せしめに排除すると言うのが虐めであるならば
虐めを受けている人間こそ
創造主の法の下では正しい生き方をしている人間だと
言うことにもなります。
この社会で多数の人間が道徳心を失い
脳を洗脳されれば
そんな人間達の意識こそが正しくて
その人間達の行動が皆が右ならえすべき
意識だとされてしまいます。
民主主義は数の多数派が正しいとされる原理だからです。
異常者が過半数を占めれば
異常意識を持つことが正しいと認識されることになりますし
だからこそこの社会の人間は
創造主の法則において落第を続けてきたのだと思います。
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978 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 18:46:40.37 ID:dzkAVA31
貨幣経済は宗教なのです
貨幣論から学ぶことですな
979 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 19:09:55.41 ID:qxGEbzGA
>>978
資本主義は豊饒の神の宗教だろう
生産手段を独占することによって得られる利益を善とする
豊饒は神の与えたものである、故に独占は善である
社会主義は逆に契約の神の宗教で
生産手段を共有することによって得られる、盟友間の利益を善とする
契約を守るによって得られる利益が神の与えたものである、故に共有が善である
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資本主義も社会主義も創造主の意識とは
無関係であることも私達は理解できます。
資本主義は弱肉強食であり競争社会であり
不平等社会です。
自由と言う名の偽善の元に、
誰もが自分の権利を主張しては他人と争い
自分の心が心地よい状態を幸せと定義づけては
他人を踏み潰してまでそれを実現することを願い
今では自分の権利を主張する人間で溢れ
裁判で人間同士が争い続けています。
競争が認められ不平等が認められている点で
すでにそれは創造主の法とはかけ離れています。
争いごとが正当化される事も同様です。
所有権の存在は今では”物”や”物質”だけではなくて
知的所有権までもが認められてもいます。
誰かが文明を進化させると、
それに基づいた文明の進化にはお金が支払うことが
要求されることにもなります。
さすがに真理に関してまでは
知的所有権はありませんが
全てを権利や所有に結び付けては人間の欲を増徴し続けている。
一方ではその欲を争いの道具にもしているために
裁判制度で人間同士が戦う事にも繋がっている。
そんな社会に神様がいるとすれば、
それはエゴを認め、欲を認め、
争いと不平等を認める神と言うことになります。
それは創造主ではありません。
私達が魔と呼んでいる存在に他ならないと思います。
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一方では共産主義思想。
これはブラザース社会の中で実践されている
共産思考とはかけ離れている意識です。
共産主義の中には管理者と支配者が存在しています。
誰もが平等と銘打っても実際は特権階級の人間達が存在していて
その人間達が残りの人間達を
奴隷や働くロボットとして管理しているのが共産主義社会です。
そこでは本質的な平等などありません。
支配者階級と一般市民階級に分けられることになります。
チャウシェスク夫妻が国民によって暗殺されたときに、
管理支配者であった彼らが
巨万の富を持っていたことも知られていますが
元々共産主義の雛形を作り上げたのも、
マルクスと言うよりは
それを利用していた
ユダヤ人社会だと言うことも今では知られています。
そこでは国民達は低い水準での平等を強いられて、
そのために労働意欲と創造性を失い
共産主義は生産性を落とし行き詰ったのです。
一方では対極に位置する資本主義が
一時は人間を豊かにしながらも
人間に物欲とお金への執着を植え付けて
共産主義との比較で
その存在を正しいかのように私達に錯覚を起こさせても来ました。
私達は平等社会は実現不能であり
人間社会を非生産的にするものであるかのように
誘導されたわけです。
しかし共産主義が無くなった事で
資本主義はその本質を徐々に私達に
見せ付けるにいたりました。
資本主義は私達に管理なしの社会の無限の可能性と
富を得ることの夢を持たせ
一方では競争社会と不平等社会、エゴにまみれた
人間社会を正当化して見せたのです。
両者はもちろんユダヤフリーメーソンの
思想であることはいうまでもありません。
大きな二つの流れを作り上げて見せることで
その両方に全ての人間を誘導し、
元々は共産主義でも資本主義でもなかった人間達が
そこに取り囲まれていったのは偶然ではなくて
右であっても左であっても、
兎に角ユダヤの思想に属することを
私達は強いられたのだと思います。
そして今この社会は管理的主義的資本主義へと
変貌しようとしていると思います。
資本主義といわれる国の中で
監視管理社会が強まっているのは偶然ではないのです。
この社会に実現されようとしているのは
共産主義の悪徳と資本主義の悪徳を兼ね備えた
管理主義的資本主義の世界です。
共産主義国家の持っていた人間管理の意識と
資本主義の持っていた競争社会を
ユダヤフリーメーソンの管理支配の下に実現するのです。
企業は彼らに存在が認められている物だけが生き残り
しかもその数は少数に抑えられる事になるはずです。
事実上の寡占状態です。
寡占状態の下では激しい争いは起きることなく
企業は安定した利益を得ることが出来るようになります。
以前のマスコミTVの様にです。
そして企業と言うのは人格とは無縁に感じがちですが
そこで事実上利権を握っているのは資本家と言われる金持ち達。
そしてその金持ちでいることが出来る人間が、
ユダヤ傀儡とユダヤ教徒関係者と言うことになれば
結局は特定の人間達のための資本主義が
そこでは実現されることになるわけです。
一方では多くの人間を見せかけの自由と言う名の下に監視管理し
邪魔な人間を排除淘汰するシステムも出来上がりつつあります。
それは社会主義の弊害でもありました。
つまり今この社会が目指しているのは
管理主義的資本主義という
社会主義と資本主義の欠点を集めて
闇政府の都合の良い形へと変貌させた社会だと言うことです。
極端な例をあげれば
昔の中国とアメリカのそれぞれ持っていた欠点を
そのまま組み合わせたような社会が
この地球の中に実現されつつあると言えます。
そしてこの中国とアメリカと言う、本来対極にあった国々が
実は今本質的に接近しつつあると言う実態も
私達は意識すべきなのだと思います。
アメリカでは管理支配が強化されていますし
マインドコントロールの影響が国民を支配しています。
中国では教育に拠る洗脳と資本主義への憧れが
国民の間に貧富の差を作り上げているところです。
本来、両極端と考えていた両者は
今見えない接近をしている。
そしてこれはそのままこの地球社会の
行く末を暗示していると思います。
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私達が本来持つべ意識は
他人との競争でも所有権の拡大でも
エゴの増大でもありませんし
他人を管理して支配することでもありません。
平等意識を持てないからこそ
そして自分ばかりが可愛いからこそ
他人を押しのけてでも自分が幸せになりたい
裕福になりたいと言う意識も芽生えます。
他人と自分が平等な存在であると考えれないから
他人との関係で上下関係を意識し
上のものが下のものを管理するという意識にもなります。
必要なものを持っていても
それでは満足できずもっと欲しいと願うから
限りある富の中では資源を持つものと持たないものに
分かれることにもなります。
私達が見本とすべきブラザーズの進化した社会では
所有制度はありません。
誰もが必要以上のものを欲しがりませんし
必要なものは皆に平等に与えられる事になります。
必要なものは必要な時に必要とする人間が使用する。
そんな意識を持っていれば一家に一台とか
一人一つとかそんな概念もなくなるのです。
必要以上の物を欲しがらなければ
財を所有し溜め込む必要もありません。
そして何よりも人間同士の間に
生への執着心もありません。
それは彼らが創造主の法とその摂理を
正しく理解しているからだと思います。
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無制限の所有制度が
富の一極集中や貧富の差を生み出し
借金制度が人間を他人や仕事へと
縛り付けることになることをイエスキリストは
想定していたようです。
現に私達の社会は今まさにその通りになっていると思います。
例えば私達の社会では誰もが最低限必要とされる住む家でさえ
お金で手に入れなければなりません。
そしてそこで多くの借金を作り上げた人間は
労働に束縛されることになります。
借金を作ったことで
自らの人生を労働へと縛り付ける事となっているわけです。
アダムスキーの言葉で言えば
私達は物質の支配者でなければならないのに
逆に物質に支配されている事になります。
物欲が、所有欲が私達の生き方をも
制限しているからです。
当初から住む家が与えられ必要な物資が与えられ
誰もが万人のために自らの仕事を果たす社会では
もちろんそんな意識も生まれることは無いのです。
必要以上のものを欲しがらない意識は
不要な労働時間を短縮します。
彼らはその分を各自の知識と学習の時間へと
利用していると言います。
彼らにとって大切なのは物ではなくて
知識であり魂の進化であると言うことです。
心に囚われて、その価値観としての
欲やエゴに動かされている私達には
理解しがたいかもしれませんが
私達と彼らとでは
一番大切としているものが異なるのですから
生き方も違ってくるのは当然だともいえます。
そして私達の社会がその誤った価値観を
今だに増幅させるための仕組みを作り続けていることを思えば
この社会は未だに創造主の法から
かけ離れ続けていると言うことにも繋がると思います。
私達が重視すべきは心のエゴではなくて
私達が本来人として持つべき意識であり
魂と言う私達の実態から受け止めることになる
創造主の法です。
そしてそれが誰もが平等な社会
平和で争いの無い社会、
万物が調和する社会を求めているのですから
私達はそれに従うことでこそ
社会の進化を齎す事が可能になる。
その事を誰もが理解し実行することが出来れば
この社会は本当の天国へと変わることにもなる
そうすれば破局も戦争も全ては回避することも出来るのですが
それを望まない人間の権力がこの社会を支配しているから
真理が権力の前で無力と化しているのです。
創造主の法に力を与えるのは私達の意識だけ。
それを認識できない社会では
三次元での創造主の法は無力化されかねない。
そんな社会を私達は現実に生きているのです。
泥にまみれてそれに染まってはいけない。
最後まで魂にしがみついて生きてください。
【貴方に無限の力の祝福がありますように】