2013年01月06日 21時46分50秒 posted by uruseiblog

イエスの教え VOL11

テーマ:ブログ

追加コメント



今日の記事は夜になると思います。


イエスの奥義に関しての理解を深めてもらうための記事になるよう
今書いている最中です。

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国内の地震の民、


つまりは親米追従でフリーメーソンに従い
闇政府の傀儡となっている人間達の精神攻撃と
肉体攻撃、集スト車がうざくて仕方がありません。


最近は水分を粘りのあるゲル状物質に作り上げるような
薬品も撒かれているようです。


水を固めるような薬品?接着剤は建設現場でも使われますが
特殊な薬品を人体に対して使用され続けていることだけは間違いありません。


時には腸内が接着剤で固められているような状態です。


ハイテク地震を引き起こしているのが闇政府とその傀儡でも、
日本国内ではそれに協力している人間達がいます。


CIA延長として洗脳を受け続けてきたであろう
国内の公安関係者とその利権関係者、
集団ストーカー利権関係者、


更には国内外の部落開放同盟の有志達
その中心ではないかと想像がつきます。


朝鮮部落、同和部落、そして国内フリーメーソン
そんな人間達が協力し関わっている組織にも圧力をかけて
この社会を掌握しようとしているのではないでしょうか。


ユダヤ教へ改宗したり
フリーメーソンへ入る人間も
そんな中にこそ大勢いるのだと想像しています。


ハイテク地震を狼煙として国内のあちこちでありとあらゆる方法で
暴れている状態も私には想像出来ます。


もちろん全ては事故や病気や自殺や自然現象を装ってです。


そしてそんな人間達と古くから結びついているのが
国内では力を持っている官僚機構。
そして今回の自民党・公明党の政権でありその国会議員たち。


更にはその支持母体である宗教関係組織も
其処に取り込まれているのだと想像出来ます。


キリスト教系の組織も創価学会の様な組織も
その中には存在していると思います。


そして今ハイテク兵器に関しても口封じを実行しているのも
おそらくはそんな人間達が主体ではないでしょうか。


ハイテク人工地震もハイテク気象変動も
ハイテク火山噴火をも隠蔽するためにも
彼らはその存在を認める事はできないわけです。


結果、組織的犯罪に関しても
ハイテク兵器を否定したり犯罪行為そのものを
隠蔽しようと勤めることになる。


その巻き添えを多くの人間が自覚無自覚の内に
蒙っているのだと想像しています。


更には今の社会の秩序にとって
邪魔な存在をついでに淘汰しながらです。


彼らはユダヤ・サタンの会派に従いそれの下僕となり忠誠を示すことで
目先の心地良さを選択した人間達。


おそらくは神など信じてはいないでしょうし
犯罪として立件されなければ何をしても自由だと言う意志の元
あらゆる事をやってのけている人間達だと思います。


魔に手を汚した人間達が
社会を改善できるわけがありません。


出来上がる灰色社会を想定すれば
意識がまともであると自覚している人達は
この社会の実態を把握した上で


魂の覚醒を目指して
この社会から卒業していく事を真剣に考えるべきではないでしょうか?


このままではいずれこの社会は
創造主の法に抵触します。


もしかしたらそれは既に起こっているのかもしれません。


私達の誰もが其処に飲み込まれているために
気がついていないだけかもしれません。


私に攻撃してくる人間達の行動は
サタンの手先と称しても何の過言もないと思います。


組織的犯罪被害を受け続けてきた人間達が
この社会の中で一体どれだけの迫害をされ続けてきたのか?


しかも彼らは他人を裁き続ける自分達を義だと
看做してもいるのです。


2000年前にサタンの会派と呼ばれたパリサイ派の人間達の意識と
今、自分を義として暴走している人間達の間に
どんな違いがあると言うのでしょうね。


ひたすら他人を苦しめて
その中で精神的な安らぎを見つければ
それまでをも妨害してくる魔の組織集団。


人間の心までハイテク兵器でコントロールし
自分達にとって都合の良い世界を作り上げようと暗躍している人間達。


この人間達が義であるならば
この社会を支配する神は悪魔そのものです。


そして悪魔と呼ばれた人間達が
現にこの社会を支配しているのですから
それに従う私達も悪魔の手下です。


その中で悪魔であることをやめた
数少ない人間だけでもこの地獄から無事に
卒業できることを願います。


私は今日の記事でイエスの教えに関して
イエスの奥義に触れます。


私の理解者と覚醒者にとって
それは大きな味方になると思いますし


それを使用し今後真理を語ってくれる人間が
この社会にとっての最後の希望かもしれません。


このままではイエスの再臨などあり得ないからです。


私の理解者そしてとりわけ覚醒者には
大きな味方にもなるものですが


それは私にとってもこの社会の中での最後の希望でもあります。


今私の理解を超えていない方でも
確実にそれを超える事になるきっかけにもなります。


そしてそれを使用することで
私達は生きた真理の欠片(小さなキリスト)に
なることが出来るはずです。


イエスキリストのように魂を強く感じることの出来ない私達ですが
地道な進化を続ければ
将来的に宇宙的覚醒を果たすきっかけになるかもしれません。


そしてとりわけ組織的犯罪被害を受けていない
脳が正常な状態でいられる環境の方こそが
それを極めることの出来る可能性があります。


ハイテクの関与は私達の意志を捻じ曲げることも
外部から意志を送り込む事まで出来るからです。
(強制想念)


地球の法則の傀儡たちに利用されることなく
真の創造主の法をそれを持って語ることが出来るようになる事を
ぜひ目指して欲しいと思います。

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サタンの会派の工作員語録を読んでいない方は
その凄まじい嘘つきぶりを堪能して欲しいです。


どうやって私の事を悪人に仕立て上げて来たか
その実態からもユダヤの敵対者排除のやり口が手に取るように判ります。


私は自分が罪人である事は認めていますが
それは本来誰もが認めなければならないものです。


この人間達は他人に冤罪を仕掛け続けます。


サタンの会派のやり口は2000年前のパリサイ派のやり口にそっくりです。


小さな罪でも針小棒大に仕立て上げ
罪がなければ罪を作り上げてでも他人を悪魔扱いしては
自分達こそが悪魔の手下であることを隠蔽し続けます。


そして自分達の戒律をもって他人を裁き続けているのです。


ここで私が取り上げているのは元?創価学会広宣部幹部?
現フリーメーソン幹部?隠れユダヤ教徒?


その類の人間達が主体です。

このリンク中の記事を読んで被害の実態と
ユダヤ傀儡の実態を理解してください。


”工作員語録”に関しては他人を落としいれ
現代版魔女狩りの標的とするための彼らの手段として参考になるとおもいます。


集団ストーカー被害関係

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11381837081.html
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昨年の世界での災害による被害に関して↓


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130105-00000021-jij_afp-int.view-000#contents-body


其の多くは自然災害とは思えませんが
とにかくそれがこの社会にどんな影響を齎しているのか?


戦争なくしても原状回復のための大きな需要を
作り上げる結果となっています。


1600億ドルの経済損失が発生しているのですから
それを回復するためにも同様の金額が必要となりますし


更には自然災害に備えると言う話が出てくれば
更なる資金が必要だという話にもつながってきます。

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「アジアの大都市、災害に強いインフラ整備が急務」 アジア開発銀行


8月16日 AFP】アジア開発銀行(Asian Development Bank、ADB)は15日、
アジア諸国は急速な都市化によって環境リスクが増大しており、
洪水などの自然災害から都市を守る措置を早急に講じる必要があるとした報告書を発表した。


 報告書は、大都市圏の拡大が進むアジアで災害被害を軽減するには、
環境に配慮したよりスマートな都市計画とインフラ投資を進める以外に方法はないとしている。


 ADBの本部があるフィリピン・マニラ(Manila)で
市内の8割が冠水した前週の洪水、中国・北京(Beijing)で数十人が命を落とした7月の豪雨、
そしてタイ・バンコク(Bangkok)で発生した前年の水害は全て、
アジアの各都市が市民を気候変動の影響から守ることができないことを
示しているとADBは警告している。


■インフラ整備、「量」から「質」へ


 この状況は、アジア経済が成長を続け、数千万人もの人々が
人口1000万人以上の「メガシティ(巨大都市)」に集中するにつれてさらに悪化するだろう。


 ADBの調査によれば、世界のメガシティの半数が存在するアジアでは、
都市部の人口が1980~2010年の間に10億人以上増加し、
2040年までにはさらに10億人増えると予測されている。


その結果、環境汚染、犯罪、社会格差やスラム街が急増して
既存のインフラを圧迫し、市当局は大胆な対応策を迫られることになるという。


 ADBの主任エコノミスト、李昌鏞(Changyong Rhee)氏は、
アジア諸国はインフラ整備に巨額の資金を投入してきたが、
「質」ではなく「量」に重点が置かれてきたために、
市民の安全を十分に確保できていないと指摘する。


排水システムが不完全な道路の建設はその1例だ。


 報告書はインフラ整備の「質」を上げるため、渋滞税や炭素税導入で歳入を増やし、
環境に配慮した公共交通機関などのグリーンなインフラ整備の資金に充てることを提案した。
また新技術を活用して、気候変動の影響を受けにくく環境にも
優しい都市にしていくことへの期待を示した。(c)AFP


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日本でもトンネル滑落、インフラ整備が叫ばれていますし
一方では地震対策・津波対策の防波堤設置も
あちこちで進むことになるでしょう。


地震のお陰で、自然災害のお陰で
新たな需要が創出されましたね。。。


意図的に破壊してはそれを修復する行為には
何の創造性も無いこと、


そしてインフラ整備のために下手をすれば
一般市民の税負担が大きくなることを考えても


闇政府の策略である、「国民をより貧しくする」と言う目的が
いまだ生きていて実行され続けている事も判ります。


民主主義=資本主義の元では
誰もが豊かになる可能性があると、


現実に成功した人間をサクラにしては見せ付けながら
其の実態である弱肉強食を私達に悟られないようにしながらも


権力者もしくは其の機構に取り込まれている人間と
そうでない人間の貧富の差は広がっていくのです。


ハイテクで破壊してはそこに無駄な需要を作るよりは
宇宙船産業を発達させて創造的な需要とする。


既存のエネルギーに囚われる事無く
無料の莫大なエネルギーを使用してそれが行き届く社会にする。


そんな事すら実行する兆しの見えないこの社会が
一朝一夕に変わることも期待できませんが


のんびりと変わっていく事を期待している以前に
私達には危惧すべきことが無かったでしょうか?


この社会の実態をしっかりと見据えて生きてください。


今日は新約聖書の”ルカの福音書”のイエスキリストの言葉の引用です。

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イエスはこのようなたとえを話された。
「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。
実を取りに来たが、何も見つからなかった。


そこで、ぶどう園の番人に言った。
『見なさい。三年もの間、やって来ては、
このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。


これを切り倒してしまいなさい。
何のために土地をふさいでいるのですか。』


番人は答えて言った。
『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。
木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。


もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
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創造主の法の理解が進んでいる方は
直ぐにここの例えの意味も判ったのではないかと思いますが、


ここで”主人”と呼ばれているのは創造主、正しくは創造主の法で、
”ぶどう園の番人”は”イエスキリスト”
そして”イチジクの木”は”地球社会の人間”を比喩で表現した物です。


そのまま放置しておけば、
主人によって取り除かれる事になったであろうイチジクの木を、


番人は、「木の周りを掘って肥やしを与えてみるから
そのままにしてやって下さい」と触れていますが


ここでの肥やしは”イエスの教え”と解釈できると思います。


つまり創造主の法の元で、
いつまで経っても実を成らすことのできないできの悪い私達人間、


いつまで経っても永遠性を示して卒業していくことが出来ないだけでなく
其の想いをドンドンと悪くしている私達に対して
創造主の法が適応し何らかの災いを引き起こしそうな状態の時に、


地球社会の守護者であった人間達は地球に救いの手を差し伸べて
その社会に対して肥やし=イエスキリストの福音を与えることで
実を成らせる機会を作り、


創造主の法が発動するのを防ぎ、人々の実を成らせようとした。。。


つまりは永遠性を示させる機会を作り出そうとしているという、


イエスキリストが2000年前に地球社会に対して働きかけた事の目的を
例え話にして語った物だと受け止めることが出来ます。


創造主は私達が為した行動に対して
今その意志を持って罰されるわけではありません。


私達の社会を取り巻いている創造主の法が、長い時間を通じて、
結果的に私達の社会に対して地道に働きかかることになるわけで
創造主の法は私達の行動次第で毒にも薬にもなるものです。


長い期間延々と悪しき思い、エゴの想い、肉の想いに
囚われて生きてきた私達の地球社会の環境が
人間の心にとって良くない物と成っているのは


そこで暮らしてきた私達の想いがそのまま創造主の法を通じて
地球社会の環境に働きかけてきた結果のはずです。


例えばその惑星の自然環境の周波数に影響を与えるのは
私達の想念だということでした。


地球社会と天使達の暮らしている社会とは
その取り巻く周波数でさえ異なるはずです。


地球社会の低い周波数は私達の脳とも連動しているようですが、
10HZ程度の周波数を地球の周波数としている原因の一つは
私達が常に発している想念の低い波動の影響だといえます。


私達の想いがその社会を作ると言うのは
見えない精神的な話ではなくて物理的な事実だと言うことになります。


私達が悪しき想いを持ってエゴを持って暮らして来たために
地球社会に与えている影響がどんどんと悪いものへと変貌している。

地球社会の波動をドンドンと下げ続けている。


創造主の法の下では良き想いがその社会を天国へと変え
悪しき想いがその社会をこの地球のような地獄社会へと
変貌することにもなるのだと言うことです。
(想いに行動がついてくる事は言うまでもありませんが)


更に、創造主の意志からかけ離れてしまい
永遠性を示すことが出来なくなれば
人間であれ社会であれそれは存続し続けることが出来なくなる。


あまりにも低すぎる波動は、創造主の法の下では
延々と存在することが出来ないのかもしれません。


つまり地獄と化した環境が行き着く果ては
創造主の法の負の効果の極みで、
人間であれば魂の消滅、文明であれば崩壊と言うことになります。


それは今創造主がその意志を持って為すのではなくて
私達がその意識を勝手に悪化させているために
元々存在している創造主の法に抵触する事を意味するはずです。


2000年前にその兆候を感じ、この社会の改善を願った天使達は
ここでのイエスキリストの例えの様な意図を持って


自分達の同胞であるこの社会が、
主人によって取り除かれないように肥やしを与えにきた。


そして当時はその恩恵に直接預かった人間達も居たと言う話になりますし
最悪の事態には至らずに済んだ、


もしくは天使達は地球社会にその兆候を感じた事で
早急に手を打ったのではないでしょうか。

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イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。
しかし神は、あなたがたの心をご存じです。
人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。

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イエスキリストは、他人の前で自分を美化し偉いと思わせる人間や、
心の想いとは裏腹に人前では自分を善人であると示してみせる人間達を
”偽善者”と呼んで、その行動と想いの異なっていることを
繰り返し指摘していました。


当時のユダヤ教社会では、形式的とも言える行為だけを守れば
それでその人間は神の前に義であると看做されていました。


10分の1献金を収め、割礼を受け、安息日を守り、絶食をし、
モーセの10戒を守り、そして昔からの先祖の述べ伝えていた習慣を
守ることでその人間は義とされたわけです。


そして祈りを捧げる行為も同様だと思います。


その多くは他人の目から確認する事の出来るものばかりで
それは形式的に判断する事が出来るものです。


目でそれを確認することで人々は其の行為を持って
人を義とも罪人とも判断したのです。


しかし私達人間にとって大切なのは
形式事を守ることではありません。


大切なのは心のあり方であり
いくら形式事をきちんと守って見せて
当時の人間社会の価値観では他人から義と看做されようが、


他人から偉いとか信仰が強い人間であると思われようが、


その心に持っている想いが汚なければ
その人間は神の前に義ではないのです。


(私に汚い思いを持たせようと精神汚染が施されます。
ユダヤ傀儡によってです)


しかし当時のユダヤ教社会の中で
人々の信頼を得て天国に近い人間とされていたのは、


そんな形式ばった事だけはしっかり守り
一方では私利私欲を持って私服を肥やし
権力をも握っていた人間達でした。


形式ごとを重視し、他人の目に見えるものだけはしっかりとこなし
他人の尊敬を受けていたそんな人間達を
イエスキリストは繰り返し批判していました。


そしてそんな人間達の事を語っているのが
この一節だと思います。


目に見えるものに囚われて、
目に見えないものが理解できないこの社会の人間にしてみれば


立派な法衣でも着て、人々の前でも長いお祈りをして見せて、
献金も果たし、絶食をもして見せて
決まりごとはすべて守っている人間は立派な人間であり義人です。


しかし私達は他人の心の中まで知ることは出来ません。


一方創造主の法において重視されるのは
その心の持ち方であり想いです。


人間が作り上げた形式的な慣習や戒律をすべて守ろうとも
創造主の戒律を守っていない人間は義と看做されることはありません。


心を持って肉の想いを持っていても形式ごとを守ることは出来ます。


しかし創造主の戒律を守ろうとすれば
私達は魂の想いに従わねばなりません。


創造主の想いを抱くよう勤めなければならないのです。


そこから出てくる想いは
エゴや欲や策略や驕りとは無縁のものです。


当時の権力者達の実態を見抜いていたイエスキリストは、


「自分達で新たに都合の良い戒律まで作り上げては
それを利用しながら自らは私服を肥やしていた人間達は
神の前では義ではない」


と言うことを皆に教えていたのです。


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イエスは弟子たちにこう言われた。
「つまずきが起こるのは避けられない。
だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。


この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、
そんな者は石臼に首をゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。

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”躓き”というのは、イエスの教えや創造主の法を理解できない事です。


人間それぞれ持っている価値観や魂の資質や思考能力が異なっているために、
イエスの教えを信じることが出来ない人間
創造主の法を理解できない人間がいるのは仕方がない。。


しかし他人がそれを理解しようとしているのを
妨害するような行為をする人間は災いであると
イエスキリストが触れているわけです。


アダムスキーが創造主の法と、天使達の実態をこの社会に対して広報すると
それを隠蔽し理解させまいと、似て非なる情報を沢山ばら撒いては
一般市民が正しい認識を持つことを妨げている人間達がいました。


他人が真理へと到達する事を妨害する事になるそういう行為を
イエスキリストは”他人を躓かせる行為”と言って批判したのです。


【そんな者は石臼に首をゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。】


と言う例えは、もしもそんな行為を実行すれば
躓かせていた人間は溺れ死んでしまうことになりますし
その結果、その時の生を失うことに成りますが、


その方が”ましです”と言っているのですから


そんな行為をしている人間は
もっともっと大きな報いを受ける羽目になるのだと言うこと。


今の生で命を失う事はなくても、其のほうがマシであると思えるような
魂を失うとか、次の生では途轍もなく厳しい思いをする羽目になる。


そんな事を私は想像していました。


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「ふたりの人が、祈るために宮に上った。


ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。


パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。
『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、
姦淫をする者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。

私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』


ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、
自分の胸をたたいて言った。


『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』


あなたがたに言うが、この人が義と認められて家に帰りました。
パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、
自分を低くする者は高くされるからです。」

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これは先述の、形式ごとを守っていることから
自らを義であると自負している人間と
自分の罪深さを理解してそれを反省している人間とを対比させて


創造主の法のあり方を示したものだと思います。


この社会の風潮に囚われて
法律や自らの戒律を守っている事で自分には罪は無いと考えている人間は


人間の戒律を守っていると言う自負のために
自分の行為を反省する機会はありません。


しかし真の創造主の法の下ではそんな人間の戒律など
魂の進化には何の役にも立ちません。


大切なのは形式ではなくて実質だからです。


例えば組織的犯罪の加害者であれば、
ハイテクで被害者を攻撃しようとも、それは法律で規制されていませんし
他人の目からもその行為は認識される事もありません。


そんな人間達はこの社会の中で他の形式事
人の作り上げた戒律を守っていれば義人とされることになります。


しかしその行為は他人に意図的に危害を加える悪意です。


悪意を持ってそれを実行し続け
それに反省を感じない人間を創造主の法が義人と看做すわけが無いのです。


その意味では、

組織的犯罪の実行犯ではなくて

それに指示を与えて上の方でふんぞり返っている人間ほど
罪悪感を感じる事が無くて済んでいるわけですし


反省の機会もなさそうですし、
創造主の法に覚醒する機会は少ないのだと思います。


自分の行為と想いの誤りに気がついた人間
そしてそれを反省し行動を変えることの出来る人間は
自分が罪を犯したことに気がつくことになります。


つまりは自分が罪人である自覚を持つ事にもなります。


その意味では平均的な一般人の心の想いよりも
創造主の想いに近づくことも出来るのかもしれません。


罪を自覚し反省する機会を持つことでです。


自分の行為や想いを何事に関しても正当化し反省の無い人間や、
自分を美化して自分は義人である、善人であると思い込んでいる人間ほど
創造主の意志からはかけ離れることになります。


つまりは自称義人は自称善人は
永遠の生へと進むことは難しいのだと言う事です。


繰り返しますが大切なのは想いであり実質であると言うこと。


形式ばった事をいくらこなそうとも
私達の魂の進化には何の役にも立たないということを
私達は深く理解しているはずです。


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しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。
中には殺される者もあり、わたしの名のために、みなの者に憎まれます。


しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。


あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。

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「世紀末にはどんなことが起こるのですか?」と質問されたイエスが
その返答の中で取り上げている一節です。


イエスの教えに従う人間は、ありとあらゆる困難に直面し
時には家族にまで裏切られ時には殺されるのだと言っています。


これはそのまま今のこの社会の実態でもあります。


闇政府の敵対者、闇政府の傀儡の敵対者とされた人間は
迫害され続けているのは想像に難くありませんし


今の社会の中では道徳心を持っているような人間ほど
目だって憂き目に遭うような社会が出来上がっていると思います。


私などは文字通り兄弟家族などの中には
闇政府の傀儡と化してしまった人間もいますし


友人には連絡も出来ませんし
表立って私を応援してくれるような人間もいません。


しかし魔の意識に囚われた社会の中では
私は自分と関わる人間が不幸にされることも理解していますので
それで良いと思ってもいます。。


そしてこの社会風潮はまだまだ先続いていきそうです。


支配者の意識が創造主の想いを否定しているのですから
その流れは容易には改善されないと思います。


その中であるべき姿に立ち返ろうと勤める事は至難の業ですし、
その行為によって時には迫害をも受けることになります。


しかしその結果どんな目に遭おうとも
正しいことを実践しようと勤めた人間は
髪の毛一本失うことなく次の生を迎える事になる。


今の生でどんな目に遭おうとも永遠の生を迎えることになれば
私達は何一つ失うことなく十分報われるのだと言う話です。


私達が其の多くを失うのは心のエゴです。


心が不快な想いを嫌う以上
私達は創造主の法に従おうとするだけでも
苦痛な想いを強いられることになります。


心は自分の価値観を否定することを不快に感じるからです。


その上に社会環境が更なる苦痛と不快を
私達に与え続けるかもしれません。


それに耐えれば私達は心を濁すことなく
魂を退化させること無く永遠を感じることになります。


真理を伝導しようと思えば、
それに対して忍耐が要求されるのだと
イエスキリストは言っているのだと思います。

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イエスは彼らに答えて言われた。
「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」


そこで、ユダヤ人たちは言った。
「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」

しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。

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神殿と言うものはどんな象徴なのか?


そこは人々が集まって神の教えを授けられるとされている場所です。


当時の人々が神の教えを学ぶ場所でもあったと思いますし
人々が大勢集い交流する場所でもあったはずです。


ここではイエスキリストは自分の体を持って
それと同じ機能を果たして見せると
例え話をしたのだと理解できます。


現にイエスキリストの周りには
大勢の人間が集ってはイエスの言葉を聴くことになりました。


そしてそこで与えれらているのは
創造主の法則、神の意志です。


イエスキリストは自分の身をもって
人を集め自分の教えで人々を導きました。


イエスキリストは歩く神殿だったと表現できます。


「三日でそれを建てると」いう例えは
三日あれば神殿同様に人を大勢集めて
そこで神の教えを述べ伝えて見せると言うことだと思います。


神殿の実質的な機能を
三日あれば自分の身をもって実現させて見せるとイエスは語ったのです。


そして形式ごとを嫌ったイエスキリストは
偶像をも嫌いました。


神殿があってもそこに生きた創造主の魂が存在しなければ
それは張りぼての偶像です。


更にイエスキリストは、
私達の中にこそ神の宮があり私達は生きた神の神殿であると
弟子達にも教えていたはずです。


人が其の手で作り上げて神聖と看做しているものに対しての
批判の意志もあったのだと思います。


イエスは岩の上に教会を立てるという例え話もしていました。


「確固たる信念と信仰の元に人々に福音を延べ伝える」


と言うことを例えた内容でした。


信仰の強さは「嵐が来ても流されない岩の上に建てた家」
と例えられる事もありました。


私達、イエスの教え=創造主の法を理解する者も


岩の上に教会を立てて
真の創造主の法を述べ伝えなければなりません。


当初はこの社会において創造主の法を語ることは危険で、
それを兄弟姉妹には勧めたくないとも私は感じていました。


でも、その意識を変えなければならいようです。


効果こそ2000年前のイエスの使徒に比べると
微々たる物しかないと思いますが
私達は時には決死隊でも良いのだと思います。


取り分け、時間の経過と共に意識を壊されそうな人間や
熱い意識を持っている人間は其の方が良いかもしれません。


考えてみれば私達はそのために覚醒したのだと思います。


天使達の想いをこの社会の中で実践するためにです。


私達が広報する事で直面する苦痛や不快感や苦労は
間違いなくそのまま私達にとっては大きな報酬となってもどってきます。


私は敢えて兄弟姉妹達に
共に苦労してくださいとお願いする気になりました。


既存の宗教や神への信仰では
創造主の下へと導くことが出来ないとも判断したからでもあります。


この社会の今の実態は
時間をかけてじわじわと人間の心をも変貌しようという
意図が感じられます。


その中に適応する事で
折角の理解を中断されたり進化を妨害されたり、
意志を捻じ曲げられる事もあると思います。


熱くも無く冷たくも無い人間を吐き出そうという
例えがありましたが、


私達はぬるい状態ほどその環境に流されやすいと思います。


そうなるくらいであれば
自分自身も熱かったり、冷たかったりするべきですし、
自分が置かれる環境もそのような物の方が良いのだと思います。


心がぬるい状態、熱くも冷たくも無い状態を
心地良いと感じそれに馴染むことで
私達はこの社会の灰色の世界に馴染む事に成りかねないからです。


冷たく冷静に自分を保ち続ける事の出来ない
私のような熱い人間であれば、ぬるくなってはいけないと思います。


そしてもう一つ、「知らないで実行出来なかった奉公人よりも
知って理解していながらそれを実行しなかった奉公人の方が大きく罰される」


と言うイエスの例えもあったはずです。


創造主の意志に気がつきながらそれを実践しない、
もしくは誤った行為を意図的に続ける人間ほど
受け取る事になる罪も大きいと言う例えでした。


皆が今までどのくらいの期間を
この社会の中で転生し続けてきたかは判りませんが
今与えられた覚醒の機会、永遠を示す機会を失って欲しくはありません。


恐怖と圧力(苦痛)から友愛(見かけの平穏)に変わった時に
そのギャップに騙されて


真の改善に進む事無く其の環境に適応させようと言う
闇政府の思惑に囚われないように
理解者と覚醒者の賢明な選択をお願いしたいと思います。


50年100年という時間は長く感じ
其の先を生きる機会を失う事を恐れるかもしれませんが


私達の今まで生きてきた時間、
そしてこれから迎える事になる永遠の時間を考えると
それはとても短いものです。


宇宙空間の長い歴史を考えるとそれは瞬き程度でしかありません。


そして天使達の社会の中で考えても
それは一回の人生の10分の1程度の時間でしかないのです。


この地球社会の中での体験を十分に果たし、そこでの課題を果たし、
カルマを清算出来た事で覚醒へと導かれたのだとしたら


私達は最低でも今の状態を維持しなければなりません。


そして何よりも、もしかしたら自らこの社会に志願してやって来た魂が
この社会の低い波動に囚われて其の虜となっていることを
天使達も憂いているのではないかと想像しています。


ケネディー大統領とヨハネス23世の手による地球改善の改革が
不発となったときに、天使達がこの社会に対して
実行可能となった事は限られたはずなのです。


例え前世が地球社会の劣等生であっても、
私達が記憶を持っての転生へと移ることが出来れば
天使達と同じ兄弟姉妹として暮らすことになりますし


前世が天使であってもこの社会に囚われてしまえば
次は劣等生としての生をこの社会で送ることになります。


其の事を忘れないで欲しいです。


天使達の想いが”創造主の想い”とイエスキリストが言っていた
”永遠の生”ならば、そして”社会の真の意味での改善”ならば
私達は其のきっかけこそを作らねばならないと思います。


そして私達が自分達にとって大きな課題を果たし
卒業していくことこそが


自分にとってもこの社会の多くの人間にとっても
大切な奉仕となるのではないでしょうか。


社会を根底から変えようと思えば
結果が灰色となろうとも白を目指さねばなりません。


最初から灰色を目指す意識では
良くないもの全てを妥協しかねないわけですし
結果は限りなく黒に近い灰色になります。


白を目指すつもりで改善の出来ないこの社会は
灰色にもなれないかもしれない。


そこに楔を打つことの出来るのは私達だけです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】



P.S

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覚醒者が覚醒を深くしようと勤めていれば、
そして創造主の法を語ろうと意識していれば、
その想いは天使達に必ず伝わって居ると思います。


彼らは私達が努力していれば
魂の進化へと導き続けてくれるはずです。


私達は見えない応援を受けて広報をすることができるのです。


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救世主イエスキリストが地球社会の人間として
再臨するかのような誘導をしている人間達がいます。


聖書の言葉を思い出してください。


イエスは自分の名を語る人間が大ぜい現れると
予言していました。


そして自分は天から雲に乗って稲妻のごとく
やってくるとも言っていたはずです。


私たちにとっての真の守護者であるオーソンさんは
この社会がそれを可能とした時に
宇宙船でこの社会に君臨するはずです。


偽物だらけの社会が作り出す
偽物の救世主に惑わされても誰も永遠の生には入れない。。


どんどんと巧みになっている地球の法則の工作に
惑わされる事がないように
しっかりと魂の意識の経路の進化を進めてください。


そしてオーソンさんは
天国行きのチケットを届けにくるわけでも、


特定の人間を宇宙船に乗せるために来るわけでもないことを
私達は忘れてはいけません。


真のキリスト(真理)が救うのは私たちの魂です。


自らの努力なしには誰も救われることは無いのです。


心を心地良くしてくれるだけの
ありがたい?救世主にはご用心ください。


オーソンさんの再臨は、この社会の
今後の改善に掛かっていることを忘れないで欲しいです。


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