2012年09月12日 22時00分41秒 posted by uruseiblog

イエスの教え VOL5

テーマ:ブログ


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”真理の欠片”を紹介している私の記事を

”諸星の教え”とか”諸星真理狂”と揶揄する人間がいます。


その人間達は”教え”や”真理”を信仰するのではなくて
それを語った人間を信仰しようとするから
そんな意識を起こすのだと思います。


もしも加害者組織の中に私の主張の
”理解者予備軍”がいれば
そのように受け止めるのはなくて


単に私がどこからか拾って来た知識を
皆に紹介しているだけだと受け止めてくれれば良いのです。


私は単に”イエスキリストの教え”や”創造主の法”を、
自分なりの理解でわかりやすく説明しているに過ぎません。


これは私の主張ではないのです。


私が書いているからと言うことで
理解に抵抗があると言うのであれば、


私=古川正樹=諸星あたると言う名の劣等生が、


優等生のイエスキリストの99点の答案用紙や
創造主の100点満点の模範解答を盗み見して、


そこから60点の答案を作り上げて
皆に紹介していると理解して頂ければ良いのではないでしょうか。


真理を語っているのは創造主の法です。


そして私はそこから自分なりに引き出した物を
皆に紹介しているに過ぎません。


私の人格など真理の前に何の価値もないのです。


それが理解できない工作員は、私の人間性を貶めることで
その主張の信憑性まで下げる事ができると考えています。


その発想自体に偶像崇拝、人間崇拝の意識が
大前提にあるのだと言うことを
覚醒者と理解者は気がつくことになると思います。


地球の法則では真理を語った人間が
真理よりも偉いのだと思います。


しかし宇宙の法則では、
私達が真理を語っても私達が偉いのではなくて
それは単に創造主の意識を代弁しているに過ぎないのです。


そしてこの事は太陽系の他の惑星では
子供でも私達よりも遥かに理解していることです。


「女(地球の女性)から生まれた物の中で
バプテスマのヨハネよりも優れたものはいない。」


「しかしそのヨハネでも神の国(金星)の一番小さなものにも叶わない。」


そんな趣旨の言葉をイエスは語っていたと思います。


バプテスマのヨハネという
聖人に準ずると言われる人間でさえ
その程度の進化してはいない。。


進化した太陽系の惑星の人間と
私達、劣等生社会の人間との間には、


その差を容易に埋めることの出来ないだけの
隔たりがあると言うことを私達は理解しなければなりません。


私達の社会の中には
神聖化されたり聖人扱いされる価値のある人間は
存在してはいないと言うことです。


そして、イエスキリストの様な聖人が語っても、
私のような社会のゴミの極悪人(工作員談)が語っても
真理は真理だと言うことを忘れないでほしいです。


今日も聖書の内容を取り上げて触れて見ます。


まず少しだけ触れておきたいところがこれです。

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さて、山を降りながら、イエスは彼らに、人の子が死人の中からよみがえるときまでは、
いま見たことをだれにも話してはならない、と特に命じられた。


そこで彼らは、そのおことばを心に堅く留め、
死人の中からよみがえると言われたことはどういう意味かを論じ合った。


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先日、「死人に死人を葬らせろ」というイエスの言葉を引用しては
”死人”の意味するものが、


「この社会で創造主の意志に従うことなく
三次元社会だけを全てであると認識して生きている私達、
地球社会の人間である」


という話に触れました。


そこでは”死人”とは文字通りの”死んだ人間”と言う意味と、
私達、人として本来あるべき生き方をしていない人間の比喩だというのが
私の説明でした。


そしてここのイエスの言葉も同様に理解して頂ければと思います。


ここではまずはイエスは自分の肉体の死を悟っていました。


十字架に貼り付けになり殺害されて文字通りの死体となり
横たわることを想定していたので、
それが死体置き場の中から蘇るという意味です。


しかし恐らくはイエスキリストは、
もう一つの意味をも想定してここでは触れたのではないかと思います。


イエスキリストは肉体を滅ぼした後に
どうやら別の肉体へと転生した可能性があることを私は指摘しました。


イエスの側近や使徒たちがイエスの姿を見ても、
それをイエスと認識できなかったのが何よりの証拠だとです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11182629834.html
転生の法則と入れ替わりの法則


イエスキリストはその魂を
恐らくは天使達(ブラザーズ)が用意していた
他のブラザーズの肉体へと移し変え、


イエスの記憶そのままにその魂は別の成人の肉体へと
生まれ変わったのだと想像しています。


地球人の肉体ではイエスの魂の持つ能力は半減した事でしょうが、
自分と同様の人間達の肉体へと転生したことで
イエスは自分の能力を取り戻し方かもしれません。


つまりは”地球人の肉体”を”死体”とすれば
イエスはそこから抜け出し蘇ったともいえるのだと思います。


”入れかわりの法則”は私達には理解の及ばないものですが、
実はアダムスキーもその死後に
やはりブラザーズの成人の体に転生したという話を
側近のアリスポマロイが触れていました。


意識の高い場所への転生には魂の進化が必要でも、
そうでない転生に関しては魂を制御をする技術を
実はブラザーズは持っているのだと思います。


だからこそ釈迦もイエスもこの地球社会に
転生することができたのだと思います。


そしてそんな技術もどうやら現実に存在してはずです。


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カペナウムに着いた イエスは、家に入った後、弟子たちに質問された。
「道で何を論じ合っていたのですか。」


彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。


イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。


「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、
みなに仕える者となりなさい。」


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イエスがここで触れているのは、
この社会の価値観は、創造主の法則においては
正しいとされるものではないと言う実態の一面だと思います。


「誰が偉いか」と
地球の価値観で論じていた弟子達を諌める為に
その事に触れたのではないでしょうか。


私達の社会で偉いとされる人間は
例えば知識が豊富と言うことで頭が良いとされる人間です。


その多くが高い学歴を誇り、そして社会的地位をもち
そのことで一目置かれることにもなります。


組織の中であれば上に所属する人間で、
そんな人間は崇められるだけでなくて下の人間にも命令したり、
時には威張り散らすこともできます。


しかしそのような私達が当たり前としている価値観は
創造主の意識の中には存在せず、


そんな価値観を作り上げたのは他でもない私達のこの社会なのです。


そしてこの社会では偉いとされる人間は、
人々に褒め称えられ崇められるだけではなくて
その上に収入まで多く得れる立場です。


彼らは二重に報酬を受けているようなものでもあります。


イエスキリストの教えで考えれば、
彼らはこの社会の中ですでに報酬を受け取っている人間で
(他人に褒め称えられる事で)


しかもそれを二度取りしている存在でもあります。
(お金と言う形での報酬もあるからです)


彼らの行為は少なくとも天の国に富を蓄える行為ではありません。


そしてイエスキリストが尊いとしたものは
それとは対照的な人間です。


他人その行為も見返りを求めない無償の奉仕であることこそが
一番望ましいとイエスは教えているのだと思います。


誰かに何かをしてあげる行為にしても、


それが見返りを期待しての物であるか
心から相手のためを思っての行為であるかによって
その行為の持つ意味は違ってきます。


人に何かをしてあげて、感謝されなくて腹を立てる。


誰もが経験したことがあるかと思いますが
それは相手の事を心底思っている事が動機になっているのではなくて


その行為によって相手が喜ぶ姿を見て自分のエゴを満たすとか、
相手に感謝される事で心地良い思いをしたいという
そんな意識が必ず私達の中にはあります。


もしくは元々は自発的ではなくて、
強いられている行為であるがゆえに
見返りがないと腹立たしいと言うこともあると思います。


いずれにしても私達は行為に見返りを求めているのです。


(勿論本来はされたほうは感謝の気持ちが大切なのは
いうまでもないと思いますが、実践は難しいですね)


そして見返りを求める行為というのは
無償の奉仕ではありえないわけです。


子供のためにケーキを買って帰って
それが子供に感謝されずに腹を立てる。


これはその動機が純粋に子供の事を思ってのものではなくて


子供の機嫌をとって好かれたいとか、
子供が喜ぶ姿を見ることで自分の心の満足をも満たすと言う動機が
存在しているからだと思います。


しかし真の奉仕は見返りを求めない無償のものだと
イエスキリストは私達に教えているのです。


イエスは創造主をよく引き合いに出していましたが、
創造主は私達に見返りを求めてはいません。


しかし創造主の法は万人に対して平等に
あらゆる恵みを授けてくれてもいます。


「そんな創造主の意識を貴方達も持ちなさい」と言うのが
イエスの教えでもあると思います。


そして現実に、創造主の法は
創造主のためにお供えをしてくれる人間や
創造主を賛美し続ける人間を特別扱いはしてはくれません。


導かれるのは創造主の予定通りの生き方をしようと勤めている人間、
もしくは無自覚でそれを実践している人間です。


創造主からの報酬は、誰もが平等に受け取る可能性があるものであり
特別な見返りとして与えられるものではないのです。


つまり創造主は始めから私達に
何の見返りも期待してはいないわけで、


そんな意識を私達も持つべきだと
イエスキリストは言っていたのだと思います。


私達は創造主に学ぶのです。

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ここでイエスが弟子達に教えた大切な創造主の意識の一つが
”謙虚”さだと思います。


以前にも触れましたが、私達の社会の中では
この謙虚さは失われていると思います。


誰もが自分を偉く見せたい、


自分の事が可愛いがゆえに自分を軽く見られることが許せない。


そんな意識を持つ事になっているのがこの社会です。


見栄や虚勢を張る意識は謙虚さとは
対極に存在していると思います。


そしてこの社会の中では、堂々としていて
ぞんざいな口で偉そうに他人に対して話す人間が
なぜか一目置かれますし、


社会的地位や権力のある人間も
得てしてそんな傾向にあります。


そして一方では見た目に謙虚に見える姿勢は、
えてして他人との関係で下手に出なければならないような
立場の時にこそ使用され


それは例えば、
営業マンが契約を頂きにお得意先と交渉しているときや
目上の人間と話をするような場合に見られます。


そしてそんな姿勢は、この社会の中では
そのまま卑屈な姿勢ともとられかねない物でもあると思います。


極端に表現すれば、この社会の中では威張っている人間や
態度が大きな人間ほど偉いと一目置かれ、


低姿勢で謙虚であればそれは卑屈であり
軽く見られることにもなっているのです。


(そして都合の良いときだけ低姿勢になってお願いするとか
他人に善人面をするときにも使用されますね)


しかし私達が持つべき意識は本来であれば
万人との平等意識ですし、
万人に対して尊敬する意識を持つことです。


誰もが創造主の分身であり、
他人を神の具現化した姿と認識しているブラザーズは


その意識ゆえに誰にも平等に接し
そしてそれを尊敬する意識を持って接するそうです。


私達の持っている他人への意識が
まずここで、既にずれているわけです。


私達は他人との関係においても
自分と相手との上下関係をまず意識します。


自分よりも年齢的に若いから見下すとか、


自分よりも社会的地位が低いから軽んじるとか、
そんな意識を私達は多かれ少なかれ持っているはずです。


差別しないで誰にでも接していると思っている人間でも、


恐らくは総理大臣や大統領相手にするときと
ホームレスを相手にするときでは
態度が異なってくるのではないでしょうか。


それは私達が他人を一人の人間として、創造主の分身として
平等に尊敬することが出来ていないからこそ持つ意識だと思います。


私達の誤った価値観のなせる業だと言えます。


もしも他人を見る時に
社会的な地位が高いとか低いとかという意識がなければ、


そしてそこに創造主の分身を感じることが出来れば、
私達は誰にでも平等に接することも出来るはずです。


そしてその他人に対しても、
自分の事を他人との関係で上とか下とか考えなければ


そして他人を創造主の分身として尊敬しようとすることが出来れば
私達は他人に対しても謙虚さを持つことも出来るのだと思います。


自分を偉く見せたいとか大きく見せたいと言う意識が、
私達のプライドを通じて
謙虚さを失わせる原因となっているのです。


この社会は私達が生まれながらに教育されてきた元々の価値観が
ブラザーズ社会とは大きく異なっているために、


人間一人一人の価値を私達が勝手に作り上げ、
更にそこに自分のエゴやプライドが入り込んで、
その時々で行動が異なってくると言うのが実態だと思います。


しかしながら私達が持つべき意識は
他人に対しての平等意識と謙虚さだと言うことなのだと思います。


加害行為を仕掛けてくる人間達を尊敬して
笑って頭を下げる事は出来なくても、


一般市民に対してはそれに近い行動も
私達は実践できるのではないでしょうか。


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そして「誰よりも偉くなりたければ
人の下について誰にでも奉仕する人間になりなさい」

というイエスの教えは、


偉くなるための方法ではなくて、


例えばブラザーズのマスター(指導者)のような偉大な人間は
そんな意識を持っているのだと言う事に触れているのだと思います。


つまりは、「偉くなりたい」と思う心自体がすでに誤りであり、
本当に皆から尊敬されているブラザーズのマスターのような存在は


誰もの下について万人に対しての謙虚な奉仕者となっているのだという
そんな実態を語ったのではないでしょうか。


以前にも記事で取り上げたと思いますが


会社の上司を考えて見ます。


地球社会の中の会社組織の体系の中で
自分の上司がいたとします。


その上司は自分よりも高い給料を貰っていながら
仕事を自分ばかりにまかせっきりで仕事量も少なかったとすれば


そんな人間に偉ぶられると、
恐らくは誰もが腹を立てることになると思います。


それは職制上では偉くても
していることはとても尊敬できないからです。


もしその上司が自分よりも大変な仕事をしていれば
多少は威張られても、給料が自分よりも高くても、
部下も我慢が出来るかと思います。


しかしここでも尊敬の念は
恐らくは生まれることもないと思います。


その人間は相応の見返りを受けてもいるからです。


社会的地位とお金と言う形でです。


しかし、もしもその上司が自分と同じ給料で
自分の倍の仕事を不満も漏らさずこなしていたらどうでしょうか。


そしてその人間が部下に威張ることなく
部下の仕事にまで気にかけてくれるような存在であれば
きっと私達はその人間を尊敬する事になると思います。


もしもこの社会の中で、上司と言う立場が
部下と同じ給料でありながら仕事が倍で、
しかも部下の面倒まで見なければならないとなれば


殆どの人間がそんな立場に付くことを
望まないのではないでしょうか。


その時その人間は他の人間の倍以上の
仕事をしていることになりますし
その半分は奉仕と言えるかもしれません。


心が楽を求めるこの社会の私達の意識では
それは心地良い立場ではありません。


しかしそれこそが創造主の法の下では尊い行為なのだと言うことです。


これは極端な例えではありますが、
偉くなりたいと思うならば、
皆に尊敬される人間になりたいならば、


そんな人間でありなさいと
イエスキリストは触れているのだと思います。


ブラザーズ社会のマスターも恐らくはそんな存在だと思います。


誰よりも知識も持っていて、創造主の法を理解していて、
そして尚且つ謙虚で他人への思いやりも持っている。


そして誰よりも多くの万物への奉仕を意識している。。


そんな存在であるからこそ誰にも一目置かれ
尊敬される存在となっている。。。


それは職制や組織が決めた権限ではなくて、
恐らくは皆が認めてリーダーとして
掲げている存在なのだと想像できます。


彼らの社会の中で皆に信頼を受けるのは、
無償で誰よりも多くの奉仕をしていて
そして誰よりも謙虚さを持っている人間なのだと思います。


私達は彼らとは全く異なった価値観の世界を生きています。


そしてそれが正しいと思い込んでいて
その事に疑問を持ってはいません。


しかし創造主の予定している社会の中で一番大切なことは
やはり限りなく創造主の意志に近い意識を持つこと。。。


そしてそれを私達が実践すれば、無償の奉仕
そして謙虚な姿勢、更に他人への思いやりや理解
ということになっていくのだと思います。


私達にとって欠乏しているそんな意識を
私達が今後少しずつでも持つことが出来れば、
この社会も生き地獄から改善されるかもしれませんね。


私は根性論や軍隊主義は嫌いです。


他人に厳しさを求めることが当たり前で、
それを教育された人間は今度は他人に厳しさを
強制することになるからです。


そして上の人間相手と下の人間相手では
まったく異なった応対をもすることが当たり前とされます。


それは徹底したこの不平等社会の意識を
反映させても見えるからです。


自分よりも目上と認めた人間に
敬意を払うことは大切だと思います。


しかしこの社会でまかり通っているのは
決められた権威を崇拝しそれに従うことです。


私達は宇宙の法則の根底にある”万人の平等”と言う意識を
まずは理解すべきではないでしょうか。


私達はそれを理解する機会を
創造主の法によって与えられました


是非、その機会を生かしてください。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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