2012年09月10日 22時10分58秒 posted by uruseiblog

イエスの教え VOL4

テーマ:ブログ

京都大のAEのグラフに訂正が入ったようです。

http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/ae_realtime/201209/index_20120909-j.html


こちらが正しいのかそれともそうではないのかも不明ですが
今回の一連のネットでのHAARP情報取得妨害の流れの中で


HAARPの人工地震に関しての灰色疑惑は
真っ黒になったと言えると思います。


意外と今回のHAARPの動きには
民主党の党首選にも圧力が掛かっていて
野田総理の再任を求めていた。。。


などという落ちもあるかもしれません。


金融担当大臣も急死したそうですが
これも偶然ではないような気がします。


国内でHAARPの動きにあわせて
熱心に動いている工作員たちもいますが、


祖国を二分し戦わせては、
民族を実際に苦しめてきた人間達に従っているような


そんな民族関係者の介入を感じては
ユダヤの恐ろしさを身にしみて感じてもいます。


分割して統治せよ。


その言葉のとおり、あちこちで分割させては
団結を奪い誘導しては争わせて
結果は自分達の想定どおりへと導くのですから極悪な才能です。


タビストック研究所などで続いているであろう
人間の心理や行動の分析とそれを利用することでの
大衆マインドコントロールが


民族や宗教レベルでも実践されて
私達の社会はもう争いごとでぼろぼろです。


彼らの利用しているのは敵対心であり、民族意識であり
憎しみであり、欲であり、誤った思想です。


それに踊らされることがそのまま
この社会をどんどんと悪化する原因になると言うことを


私達の住む日本の中の人間の
一体どのくらいの人間が理解しているのでしょうか。


もしも学校の授業の中に
週に一時間でも”ユダヤの策略”という時間でもあれば


この社会は誰もがまともな意識をもって
暮らすことができたのかもしれません。


その意味でもユダヤ警戒を指摘していた
戦前の軍人の影響力が一切排除され
(シオン長老の議定書日本の最初の翻訳は
中将の功績でした)


逆にユダヤ教育が始まったことがもたらした効果は
闇政府関係者にはとても効果的だったことでしょう。

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イエスキリストが私達の周囲に取り巻いている
見えない創造主の法に関して取り上げている一節を紹介します。


ここも、創造主の法の存在を抜きにして
文字通り解釈すると妄信的であったり
オカルトに感じてしまうかもしれない一節ですが


宇宙の法則を理解してくれている方々には
とてもよく理解できると思います。


今日は未だそこまでの理解のない方を意識して書いてみます。

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それから弟子たちに言われた。
「だから、わたしはあなたがたに言います。
いのちのことで何を食べようかと心配したり、
からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。


いのちは食べ物より大切であり、からだは着物よりたいせつだからです。


烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、
刈り入れもせず、納屋も倉もありません。


けれども、神が彼らを養っていてくださいます。
あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。


あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、
自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。


こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことができますか。


ゆりの花のことを考えてみなさい。
どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。


しかし、わたしはあなたがたに言います。
栄華を窮めたソロモンでさえ、
このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。


しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、
神はこのように装ってくださるのです。


ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。


ああ、信仰の薄い人たち。


何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、
と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。


これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。
しかし、あなたがたの父は、
それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。


何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。
そうすれば、これらの物は、それに加えられて与えられます。


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まず、この内容が釈迦やブラザーズのマスターの話していた、
”大切なのは今現在である”という事を
イエスキリストが話しているのだと言うことを
私たちは理解しなければなりません。


”今”と言う時間は未来を思い悩むためにあるのではなくて、
過去を悔やむためにあるのでもないと言うことです。


私達の魂の持っている、半ば永遠と言えるその時間の中において
この今と言う時間はホンのひと時にしか過ぎません。


しかし逆に言えば私達の永遠の時間はこの今と言う時間の
永遠の積み重ねでもあります。


その時その時の想いが私達の意識をつくり
その意識が未来の私達の魂を象っていく事になります。


その今現在の意識が不安や恐怖や後悔や懺悔の意識ばかりで
常に満たされていたのでは、私達の魂に進化はありません。


そして現在は過去の反省の元に存在し、
今現在の延長としてこそ未来があるのですから


私達にとって大切なのはこの今と言う時間であり、

その時間に一体何をしたのかと言う事だと思います。


そしておそらくはスペースブラザーズのメンバーなどは、


明日のことなど考えることなく
今と言うこの時間を精一杯生きることを
繰り返しているような存在だと思います。


しかし、明日疲れてしまうから、今日は楽をしようとか
8割の労力で手を抜いて明日に備えようとか


そんな意識を持たなければ生きていけないのが
この私達の社会の現実です。


しかしそれは、人として本来持つべき意識から
かけ離れた価値観の上に成り立っている社会であるからこそ、
必要となってしまう意識なのだと思いますし


こんな社会の中であるからこそ認められる意識だと思います。


今を懸命に生きる事ができない人間が
明日を懸命に生きる事ができるはずがない。


ある事には手を抜いてある事に力を注ぐと言った
そんな心のエゴに従った想いで生きている人間には
魂の進化など望めないのだと思います。


明日こそ創造主の意思に従って覚醒を目指そうと言っていて、
今日死んでしまえば、それは成される事なく
転生の法則を受けることにもなります。


その時その時を精一杯懸命に生きると言う姿勢が
私達の未来をも作り上げる。


そして、そんな意識が私達の魂の進化をも
齎す事になるのだと思います。


その意味では労働であろうがスポーツであろうが
懸命に生きている方には
創造主の意識は近いところに存在していることになると思います。

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次に、この三次元社会の中で働いている創造主の法に関して
私が最近頻繁に取り上げた来た内容に関して
この中の引用を取り上げながら少し触れてみます。


【いのちのことで何を食べようかと心配したり、
からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。】


これは勿論、例え話で、
今日の家庭の夕食の献立を考えたり、
明日デートに来ていく服を何を着ようかと考えるのを
やめろと言っているわけではありません。


ここで一番イエスキリストが言いたいのは
既存の価値観や社会の習慣に囚われることで
大切な事を見失う事になるという例えだと思います。


それが生活への不安や、
富や蓄えを持っていないことに対する不安であっても、
欲や誤った価値観による物やお金への執着であってもです。


そして、同時に不安や欲が私達の価値観や行動を変えて、
その事が同時に私達を創造主の法からもかけ離れさせる事になる
と言う例えでもあります。


そんな意識のすべてが私達を心の価値観に縛りつけ
私達が創造主の意識を感じる事の障害となるのです。


例えば暖かい地域で自然に恵まれた環境を想像してみて下さい。


そこは水も豊かで、自然にも恵まれていて果物も豊富に成っていて
海では魚も沢山取れるとします。


そんな環境に生きていると、少なくとも食事のために穀物を作るとか
お金を稼いで食べ物を買うと言う必要はありません。


自然がすべてを与えてくれるからです。


気象変動が激しくなければ住む場所にしても
それほど頑丈なものも必要ありませんし


肉体を維持するために必要な一日の労働時間も
短くて住むことにもなります。


もしもこの状態で精神的な物や学術的な研究に価値観を感じることができれば、
そして創造主の法に気がつくことができれば、


きっと多く時間を自然の中で学ぶことや
万物との調和含めて良い意味での進化のための学習に

私達は時間を使うことになると思います。


皆が食べる事や住む事にも困っていなければ、
少なくとも資源の取り合いによる争いが生まれる事もありませんし
戦いのための武器など作る必要もありません。


そんな社会の中での発展こそが文化や科学にしても
創造主の意志に沿ったものとなるでしょうし、
そんな環境での生活が私達に創造主の法を
意識させることにもなります。


しかし私達は現実には、誰もがそんな環境の中で
暮らせるわけではありません。


寒い環境、過酷な環境の中での生活を強いられれば
食事をするにも農作物も自ら作り上げなければ
育たないかもしれませんし、


山の中であれば川があっても魚も十分には取れないかもしれません。


寒ければ厚手の洋服を作る必要にも駆られますし
裸同然では暮らすこともできません。


その一方では労働時間も増えることに成ると思います。


私達はその取り巻く自然環境によっても
生き方を左右されることになるわけです。


そして今の私達の置かれている環境を考えてみてください。


私達は飲むにも食べるにも住むにも移動するにも
沢山のお金がかかります。


勝手に魚を取って食べることもできませんし
自然に野菜や果物が自然の中になっているわけでもありません。


そして今の社会環境では、存在しているだけで税金や公共料金がかかり
生きていくためにお金を稼ぐことが条件ともなっています。


そしてその環境が苛酷であるばあるほど、
今の私達は日々の労働を強いられることになりますし
時には生きるために毎日を労働のために費やすことにもなります。


私達は創造主の法に従っている世界では、
本来心配することなく与えられるはずの生きるための最低限必要な物のために、
自分の人生を投げ打っているような存在だという事に成ります。


更に私達に染み付いた誤った価値概念、
物欲がそれに拍車をかけています。


着飾ることを美徳とし、物に執着してはそれを欲し
その結果私達はもっと多くのお金を欲しがります。


しかし創造主が本来私達に予定している人としての生き方は
そんなものではあり得ないのです。


マスターによれば、創造主の一番の目的は、
自分の創造物が調和し美を実現している世界を作り上げることですし


その中での自分の分身でもある人間が
地道な進化を遂げて限りなく創造主に近づいていく事だと言います。


そしてマスターの話では
本来の私達は着飾ることなく完全な存在な存在なのです。


勿論、創造主の分身として存在しているからです。


三次元社会を作り上げたのが創造主の想念であり
その残像思念の分身とも言えるのが私達一人一人の魂の存在ですし、


創造主が自分の作り上げた世界では完全な様に、
その分身としても私達も本来完全な存在であるということです。


しかしそれを不完全なものへと変えているのは
私達が自由意志を持って心のエゴを選択し続けていることに由来するのです。

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私達はいくら悩もうが、
自分の寿命を伸ばすことができるような
存在ではありませんし


そして私達がいくら着飾ったところで
野に咲く一輪の花ほども美しくはなれないと
イエスキリストもここで触れています。


「野に咲く野草にさえ、あれほどの美を与える創造主は
まして私達にはどれほどよくしてくれているか」


という言葉に、イエスキリストは


「本来の私達はどれほど美しくそして優れているのか」


と言うそんな意識を込めているのだと思います。


更に私達の人生を作り上げているのは
私達には自覚できない創造主の法であり
自分のエゴで出来ることなど限られている。。。


「私達が実は見えない創造主の法の影響を
強く受けているのだ」
と言うことを
イエスは語っていたのだと思います。


私達がいくら思い悩もうが
そんなことで未来を変えることはできません。


私達は悩んでも不安を持っても進化をすることは出来ない。


魂の経路から創造主の意識を感じる事はできないのです。


そして私達の進化は、この物理的な肉体に
何かを付け加えることで為し得るようなものではありません。


例えば美にしても、
身体を装飾や化粧で作り上げ着飾りそれを美と捉えるのは
私達の意識の向かうべき方向が誤っている事を意味するはずです。


いくら綺麗な服を着ようが
化粧をしっかりしては外見を取り繕うが
本来の自分は裸であり、


服を脱ぎ化粧を落とせば
そこには何の魅力もプラスされてはいませんし
魂の進化があるわけでもありません。


逆に自分を美化することでそれを満足するのは、
自分の心のエゴの価値観に従っている証拠であり
誤った価値観に私達が染まっている証拠でもあるということになると思います。


これは「杯の表を磨き内を磨かない」とイエスが例えた
偽善者の持っている意識にも通じるものがあります。


見せ掛けを良くしても実質が伴っていないと言う事にも繋がります。


もっと極端に言えば、私達は美を内面から実現しなければ
その美は本物にはならないのだと言うことです。


私達の肉体は魂の現れであるからです。


この宇宙空間は、創造と崩壊の中で万物の究極の調和を実現させるための、
そして私達の進化のための空間なのです。


そのためにもその中で創造主の代理人として
創造主の意識をも与えられた私達は
創造主の意志を実現することが求められてもいます。


その中でちまちまと、
その時々の肉体を維持しては生きながらえることや、


自らの肉体ではないもので着飾り
自分を美化するような意識を持つことは


創造主の予定にはないと言うことです。


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私達にとって食べるものが必要なことも
住む場所が必要なことも、
私達を創造した神は勿論全てを理解しています。


そしてそのほか私達がこの社会の中において
創造物の調和を果たすための万物と、


私達が進化をするために必要なものすべても
創造主は認識していて、それを準備してくれているようです。


勿論それは、創造主が予定している私達の本来あるべき姿が
前提として備えられているものであり、


私達の価値観に照らして
欲しいものが何でも手に入ると言う意味でもありません。


創造主が準備してくれているのは
あくまで私達が創造主の法に則って生きていること前提に
その時々に必要になるものです。


そしてその事を「私達が神の国を求めて生きるときに与えられることになる」
とイエスキリストは表現しているのです。


お金を沢山くれと言われても
創造主はその夢を叶えてはくれないでしょうし


心を持って心地良いと感じることを
幸せとしている人間が願うような幸せなど
創造主は与えてくれることもありません。


しかし先日でも触れたように、
私達が創造主の法に立ち返り
その生き方を実践するようになれば


私達の周囲を取り巻く創造主の法は
私達を進化のために有効な環境へと導く手助けをはじめ
その中で私達にとって必要なものを与え続けることになります。


それが私達にとっては必ずしも心地良いとは限らす
心のエゴと欲と本能に囚われている私達には
却って不快な思いをする可能性があるという話をも触れました。


しかし改善を改善と感じることが出来ないのは
私達が誤った価値観に囚われ続けているためですし


創造主が満たしてくれるのは魂の想いであり
心の想いではありません。


周囲に取り巻く創造主の法は
私達の道標であり同時に私達への警告にも成っていることを
私達は深く理解すべきだと思います。


創造主の法の存在に気がついてください。


そして最初は身近な道徳の実践からで良いので
その法を意識して頂ければと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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P.S.


例えば創造主の法が動き始めた時を想像してみます。


今のこの社会環境は強制想念(電磁波マインドコントロール)含めて
必ずしも私達が正しい意識をもって生きていける社会では
無くなっていることは保留しておきます。


社会の中でとりわけ低い生活環境に甘んじていて
それに不服を持っている人間がいたとします。


その人間にとってその貧しさによる金持ちへの羨望だけが
心に囚われる原因となっているとすれば


創造主の法はそこに働きかけるかもしれません。


創造主は人間がお金を持って裕福になることを
求めているわけではありません。


勿論全ての人間が裕福といえる環境で
暮らしているのであれば


更なる課題を意識させつつ私達を見守るかもしれません。


そして創造主の法に関してこの社会環境の中における
過酷な経済事情がネックとなっていて
覚醒へと進めないような人間がもしもいたとすれば


もしかしたらその人間が創造主の意識に気がついた時に
その苛酷な経済環境を改善するようなそんな働きを
してくれることは有り得ると思います。


それは個人を甘やかすとか
エゴを満たすためではありません。


結果的に一つの負の要因があることで
元々資質の高い人間が深い覚醒を果たすことができず
そのことが本人の強い信仰の妨げになっているのであれば
それを解消する事でその人間の創造主の法への意識が強まり


多くの奉仕をすることになることが期待できるからです。


しかしそれはあくまで結果が万物のためになると言う
創造主の意志にそうと判断した場合だと思います。


そんな時に創造主の法はこの三次元社会の中でも
動くことになるのだと思います。


本来はお金など予定しない創造主の法でも
食べることもできない環境で
飢えの中で創造主を慕いその意志に従うための努力を
要求するものではないと思います。


その人間にとって必要だと思ったからこそ
そんな時には創造主の法は働くのだと思います。


もしもその人がお金にすでに執着なく
食べること生きることに困ることなく暮らしているのであれば
余分なものを与えるためにその法が動くこともないはずです。


アダムスキーが言っていたように
創造主の法に従って生きだすと
創造主の法則は私達を養ってくれるのだと思います。


そしてそれで手に入らないものがあれば
それは私達にとって不要なものと創造主が判断した。


それは私達の魂の進化には不要なものであると言うことになります。


与えられる事での改善と言うこともあると思いますが
一方では失うことでの改善の可能性にも
以前は触れました。


余分なお金を持っている人間であれば
それを失うような誘導もあると言う可能性です。


私達の社会の実情を勘案してもおそらくは
創造主の法に照らして正しい道を進みやすい
一定の生活水準があると思います。


創造主の法がそれを誘導するとすれば
ある人間には与えられある人間からは
取り上げることもある。。


そんな可能性を意識することにもなります。


しかし目的となるものは
私達が意識の経路としての魂を強く感じるようになること。


そして創造主を強く信頼し、
その意志を私達が少しでも多く実現できるような
そんな環境こそが私達にとっての改善となるのだと思います。


しかしこの社会の中ではそんな創造主の法の働きかけをも妨害するような
そんな意識がたくさん存在しています。


単純に創造主の法の存在を
身をもって体感することは恐らくは難しいのだと思います。

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