2012年09月09日 22時00分01秒 posted by uruseiblog

イエスの教え VOL3

テーマ:ブログ

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11350054411.html
HAARPと地震と工作員


下剤を飲もうが食事をしようがお構いなしで
腸内への出力は高まる一方です。


日本の中ではユダヤの傀儡達が
あちこちで人間淘汰を継続中ですし
HAARPのグラフも見れませんし


本格的な証拠隠蔽と人間選別淘汰が
彼らと同様の価値観を信奉する人間達と
洗脳を受けた人間達の手で繰り広げられていますし、


皆もいつでも卒業するくらいの意識だけは
持ち続けて生きてくださいね。


彼ら加害者達は創造主の法を理解できない
理解する気のない人間達です。


私達は覚醒したことが何よりも幸せなのです。


創造主が私達を導いてくれた。。
言い換えれば私達には創造主の下に立ち返る
資質が残っていたのです。


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北米プレート付近での地震が起こると
やはり北海道東部の地震が誘導されないかと心配になります。


今後も一応は警戒を続けてください。


DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
09-SEP-2012 05:39:20 49.47 155.52 6.0 56.8 KURIL ISLANDS
08-SEP-2012 20:29:32 10.10 -85.32 5.6 35.5 COSTA RICA
08-SEP-2012 10:51:44 -3.20 135.01 6.0 20.6 IRIAN JAYA REGION, INDONESIA
08-SEP-2012 10:01:06 37.33 37.09 4.1 3.5 TURKEY


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こちらはすごいことになっています。


魔の断末魔と言うほど激しい動きに見えますが
特定の地域にでも集中的な照射でもあるのでしょうか。

http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/ae_realtime/today/today-j.html

新しい地球の法則と言える
キリスト教が日本でも流行中?


従来のキリスト教の聖書認識に
私達の理解している創造主の法則の一部を混ぜたような宗教で

しかも教祖は自称イエスキリストの生まれ変わりの生き神様。


偽善を利用しては教会を乗っ取ると言う手法で
日本国内でも拡大中ということですが


そのやり口がユダヤ傀儡フリーメーソンの手口に似ています。


http://blogs.yahoo.co.jp/tenzinkuoshi/61499279.html


何で彼らは嘘で他人をだまして誤った価値観へと誘導するのでしょうか?


どうして彼らはイエスキリストを語るのでしょうか。


イエスキリストが言っていたはずです。

「そのときには私の名を語る人間が大勢現れる」と。


私達は改善を感じるとそれに好感を持ちだまされる傾向にあります。


今までよりも良き物を提示されることで、
それが真理ではなくても比較の問題で真理と信じてしまう。


だからこそまがい物を光らせないためにも
私達は普遍的真理を語り人々に魂の共鳴を感じさせることが必要なのです。


本物の前では偽物が如何に陳腐であるかを
私達は知ることになります。


いったん真理に気がついた人間は
決してまがい物には騙される事はありません。


私達は自称イエスキリストの使徒です。


しかし私達は偽者の救世主が現れようと
偽キリストが現れようと、


人間を崇拝することもありませんし
騙される事もありません。


本当のイエスの使徒は
創造主こそが自分の師であり父であることを
誰よりも認識しているからです。


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盲人が盲人の手を引く。


あなた方の中の死人に死人の埋葬をさせなさい


共にイエスキリストが聖書の中で取り上げていた記述で
その意味も比ゆ的なものであることを私達は理解出来ます。


盲人が盲人の手を引けば一緒に穴に落ちてしまうの例えは
私達が通常持っている常識と知識でも理解できる内容です。


そしてここでの”盲人”の例えは
正しい信仰を持っていない人間、


創造主の法を正しく理解していない人間のことを
指し示してもいます。


当たり前の事かもしれませんが、
私達は何かを学ぶときは体験や他人などからの指導を
参考にすることで効率よく物事の摂理を知ることになります。


自らの体験で理解し実践できる事はそれを参考にすればよい訳ですが
創造主の法の様な目に見えないもの、そしてそれを体感できないものに関しては
何が正しいと言う絶対的な基準を私達は提示する事はできません。


自らが理解不足の事や知識の足りないことは、
得てして他人の知識や専門家の意見に誘導され
それをもって自らの知識に置き換える事になります。


しかしその時に自らの心の知識に置き換える内容が誤っていたのでは
私達は誤った知識を真理として受け止めることになりますし
その結果誤った価値観を元に行動する羽目にもなります。


そして私達は穴から落ちてしまうわけです。


正しい知識と正しい方向性、
すなわち創造主の意志に従って行動することが
私達に求められていますが


もしも誤った価値観や誤った情報を元に行動すれば
私達は過ちや失敗を犯すことにもなります。


そうならないためにも、私達には正しい情報や
正しく導いてくれる存在が必要であるということ。


そして2000年間の時代には
イエスキリストがその役目を勤めたわけです。


いくら偉ぶっても、
この社会の中で権力を与えら得られていたとしても
その人間が実は盲人であったなら、


正しい知識や意識を持っていなければ
それに従った人間もその人間と同様に
誤った知識や行動をとることになります。


そしてそのことを”穴に落ちる”と
表現しているのがイエスキリストのここでの言葉です。


盲人が盲人の手を引いても
正しい創造主の法へと誘導することは難しい。


エスキリストはそんな例えをしたのです。


イエスの時代に”盲人”と例えられたのは一般市民はもちろん、


言うまでもなく当時の社会の中で
人々を創造主の法へと導く役目を果たすべき
立場にいたような人間達含めてだと思います。


本来であれば人々を創造主の法へと誘導し
私達を永遠の命へと導く役目をすべきである人間達。


しかし現実はそうではなくて
そんな人間達が人々に誤った創造主の法を教え
広くて滅びへと進む門へと誘導していた実態があります。


イエスはその事を諫める意識をも持っていたのだと思います。


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それと似たような表現で使用されていたのが


”あなた方の中の死人に死人の埋葬をさせなさい。!


と言う言葉です、


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イエスは別の人に、こう言われた。


「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。
「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」


すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。
あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」


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ここではイエスは一般市民を”死人”と例えています。


これは創造主の意志に従って生きていない人間、
父の元に帰っていない人間を


本当の生を生きているとはいえないと言う意味含めて
死人と呼んだのだと思います。


放蕩息子の話の中でも、
放蕩行為に明け暮れていた息子が改心して戻ったときに
その父は、「死んでいた息子が生き返った」と表現していました。


つまりその意味で理解すれば、この社会のほとんどの人間は
創造主の意志に立ち返って生きているわけではないのですから
皆が死人だと言うことになります。


そしてここで、
自分が行って葬るのではなくて死人に葬らせよと言ったのは


その”死人”に例えられた一般の人間が持っている
価値観や慣習や知識をも含めて更なる意味があるのだと思います。


宇宙の法則では、死は私達の実態である魂が
肉体から肉体へと移り変わっていく行為に他なりません。


それは死ではなくて進化の過程でもありました。


惑星間の進級と言う意味もあります。


そしてイエスキリストの暮らしていた社会の中でも
死はこの社会の中のようにおどろおどろしくは
とりあげられる事もありません。


アダムスキーの話では、彼らは死が迫ると
人々は喜んでその準備をするという話でもありました。


それは更なる進化と新たな進化した肉体での
新生活を齎す出来事だからだと思います。


少し変わった表現をすれば
芋虫が蛹になった状態ともいえます。


蛹から出てきた成虫は
今までの肉体では持ち得なかった
美しさと能力を兼ね備えて新しい生を生きることになります。


少なくとも彼らにとっての死は、
今日まで練馬で住んでいた人間が
明日から杉並区に引っ越すようなそんな意識でもあるわけです。


しかしながら私達の社会は異なります。


死を厳かなものとして捉え、
そしてそれは悲しいもので永遠の別れであると言う意識が
私達には植え込まれています。


その結果死後には儀式があるわけですし、


死後も骨壷を作ったり
それを墓に葬ったりその後はお墓参りをしたりと
死は隣人知人の居る限り認識され続け語り継がれることにもなります。


しかし本当は自分の愛したその人間は
死の瞬間ブラジルあたりで新たな生命として
転生しているかもしれないわけですし


もしかしたら金星へと転生していて
自分の事を思い出す人間が居るたびに
その想念をテレパシーとして受け止めては


地球社会を意識しているかも知れないわけです。


イエスキリストは、自分についてきて創造主の法を学ぶつもりならば、
そんなことは他の地球社会独特の価値観を持っている人間、
創造主の法に目覚めていない人間、つまりは死人に任せて、


自分は生きている存在として、
永遠を生きる創造主の法を自分と共に福音しなさいと
告げているわけです。


悪い表現をすれば死人をいくら懇ろに葬っても
何の意味もなく、そうではなくて生きている人間に
永遠の生を与える手助けを死なさいと言っているのだと思います。


創造主の法に目覚めることが出来ず
それに従った生き方を出来ない人間を”死人”と表現し


そんな人間達の持っている価値観に囚われて生きるのではなく、
すぐにでも正しい教えに帰り立ちそれをもって真の生を皆に伝えろと
ここでは語っている事になります。


宇宙の実態と創造主の法を理解していない私達の知識は、
自分の理解できる範囲での理解と多くの誤った価値観で埋まっています。


生まれて死んで天国に行き、そこで終わりではなくて
私達は永遠の生のローテーションを歩んでいる。


この両者の意識の違いが、この地球社会の常識と
宇宙の法則における常識との間に
大きなギャップを作り上げてもいるのです。

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己を知ることが大切だとアダムスキーは触れていました。


私達は自分がどこからやってきて
どこへ行こうとしているのかすら知らないからです。


自分がこの世の中で生きている意味、
そして自分が本来果たすべき役目と課題。


それに気がつくことで
私達は生き方を変える事ができるのです。


無限の生のローテーションの中において
100年たらずの時間はほんの一瞬にしか過ぎないと思います。


今苦しんで生きているような人間にとっては
とても長い一日であり一秒かもしれませんが


それも長い生のローテーションの中では
瞬きのような時間なのだと思います。


そしてこの生の生き方が私達のこの後の明暗を分けるのだとすれば、
一時の心の心地よさや欲望に従うことで永遠を失うことになるのであれば
私達にとってその代償はあまりにも大きいとは思いませんか?


その気になれば私達には時間はいくらでもあるのです。


その中では見たいものを見ることもできますし
したい事もすることもできます。


私が夢見るような宇宙旅行だって出来るでしょうし
宇宙船を使用して地球一周する事だって
もしかしたら可能な時代が来るかもしれません。


ありとあらゆるものを見尽くして
ありとあらゆる物を食べつくして
ありとあらゆる体験をし尽くして


その上に身体も進化し
未知能力まで発達させることも出来て
その上に限りなく創造主へと近づいていく。


そのことに一体何の不満があるでしょうか。


しかしそれはすべて
私達が永遠の命を持っていることが前提の話です。


太陽系の中で唯一、そこで暮らしている人間の魂が
燃え尽きて消えていっているようなこの社会の中で


その摂理にどっぷりと身を沈めて
その不毛のローテーションと魂の消滅を受け入れるのではなくて、


本来あるべき創造主の予定している通りの人間となり
永遠の生のローテーションへと進むこと


この社会の中のしがらみを断ち切ることが出来るのであれば
誰もが望む道ではないでしょうか。


これが理解できるのが覚醒者であり理解者ですが
一般の方だってそれが可能なのです。


あとはこの社会の中の誤った価値観を捨てて
不要なしがらみを排除して
創造主の法へと立ち返りさえすればよい。


心にとって不快な行為となるでしょうが
それは誰もが可能な行為でもあります。


私達が本気になれば私達が永遠の生へと進むことは
決して難しくはないはずです。


最近は自覚無自覚のうちにユダヤ傀儡と化した人間を意識して
記事を書くようになっています。


でも地球の法則が普遍的真理ではないということに気がついて頂きさすれば
誰もが父の元へと帰る事だって出来ます。


創造主の法はあなたに見えない力を与えてくれる。


そしていつも創造主が私達を永遠の生へと
誘い続けてくれていると言うことを
忘れないで欲しいと思います。


【貴方に無限の力の祝福がありますように】


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