2012年08月29日 22時01分49秒 posted by uruseiblog

イエスの教え

テーマ:ブログ

今日の被害記事です


掲示板で工作員が再び暴れています
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-306.html


予備ブログでの更新としました。



工作員の記事でも並べて起きましょう。


賢明な方は加害者母体の人間でも
それで十分理解出来ると思います。


関連記事
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不幸のブログ 恐怖の洗脳


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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11304132385.html
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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11304134054.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL3 後編
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国内のフリーメーソンの実態?VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11301356551.html
サンヘドリンとフリーメーソン


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11161645709.html
工作員への右ストレート前編
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工作員への右ストレート後編
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工作員語録 VOL1
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-270.html
工作員語録 VOL2
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-271.html
工作員語録 VOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11185678410.html
工作員語録 VOL4 その1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11185706235.html
工作員語録 VOL4 その2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11208890562.html
工作員語録 VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11245931302.html
工作員語録 VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11245997888.html
工作員語録 VOL7
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工作員語録 VOL8
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-300.html
工作員語録 VOL9
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工作員語録VOL10
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-302.html
工作員語録VOL11
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11316534116.html
工作員語録VOL12
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11243472463.html
集団ストーカー工作員に負けるな
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11245823564.html
工作員の下ネタ工作
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11294912338.html
更に工作員記事二つ更新



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私はイエスキリストをイエスと書き、
アダムスキーに関しても呼び捨てしていますが


それは一々神聖化したり尊敬語をつけたりすることが
返って見苦しいと考えているためでもあります。


自分が狂信的でないことも示すことが出来ます。


しかし間違いなく私はイエスキリストとアダムスキーを
信頼して深く尊敬もしています。


私は自分が妄信的でもなければ
イエスキリストやアダムスキーを美化もしませんが


其の事で宗教に無縁な第三者にも
読みやすい記事となっているのではないかと想像もしています。


クリスチャンやアダムスキー信者が書いた様に見えない分だけ
一般の方も他の思想の方も入っていきやすいと想像しています。


でも心の中では誰よりも二人を慕っているつもりです。


私の夢は彼らに直接、創造主の話を聞いて
宇宙の法則を学ぶことです。


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それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、
三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。


しかも、はっきりとこの事がらを話された。
するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。


しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。
「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」


それから、イエスは群集を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


いのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。


人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。


自分のいのちを買い戻すために、
人はいったい何を差し出すことができるでしょう。


このような姦淫と罪の時代にあって、
わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、
人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、
そのような人のことを恥じます。」

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イエスキリストはここでは自分を眼の敵にしている人間たちが
長老、祭司長、律法学者たちであることに触れています。


これはいうまでもなく、
イエスの時代のパリサイ派の中の権力者達。


つまりは今のこの社会のユダヤ教パリサイ派長老会サンヘドリンと、
それに仕える人間達の”起源”となった人間たちです。


彼らは2000年かけて野望を実現したと
理解している有識者も少なくないはずです。


彼らがイエスキリストを憎んだのは、
イエスの教えが彼らの権威を落とすものであったからです。


そして彼らが律法を利用しては、
自分達の都合の良い社会を作り上げていたことをも
イエスは妨害する事になりました。


ユダヤ教という既存の教えを元に
その信者に対して権威を持っていたのが
長老会や司祭ですし、


中心にいたのはパリサイ派で、
律法学者はそんな人間達の意向を受けて
法律を作り上げていたのだとも想像できます。


イエスキリストはそんな既存の権威に対する
反逆者と認識されていたわけです。


当時の無制限な所有財産制度促進し
借金により人が動かされる社会で生きる人間は


創造主に仕えているのではなくて、
富に仕えているようなものであったはずです。


それに異議を申し立て、

真っ向から古き悪しきユダヤ教の戒律と既存の権力を批判し、


形式や人間の戒律で一般市民を縛ろうとする事が間違いで
創造主の法は実質であり心の持ち方であると
イエスキリストは強調して見せたのだと思います。


そんなイエスは自分への迫害も自分の死も想定していました。
それがイエスが自ら察知したものなのか
ブラザーズ(天使)によって知らされたものであるかは不明です。


しかしイエスは、自分はそのような境遇から逃げるつもりもなければ
既存の権力に服従する意志もない事を
ここの引用では示していたのだと思います。


「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」


この言葉は自分の命が救われる事と、
自分の死と引き換えに自分の教えが信憑性を増すことで
多くの人間が父の元に帰る事を天秤にかけたときに、


いずれを選択するのが神の意志なのかという事を
ペテロに告げたのだと思います。


ペテロが選択していたのは前者であり
それは心の価値観に従った意識です。


イエスはその事をサタンといって戒めたのだと思います。


イエスの心の中にもきっと迷いがあったのではないでしょうか。


「イエスが死を避けようとする行為」は人としての心の問題であり

「自分の死で創造主の法を少しでも広めようと言う意志」は
創造主を思っての事であり、


魂から出た意識だと言うことをイエスは言っているのだと思います。


私達が短絡的思考を働かせれば、


イエスが殺されると言う行為は、隣人の死であり
12使徒にしてみればマスターの死でありますし
それはイエス本人にも、そして12使徒にも心地良いものではありません。


心を持って考えればそうなると思います。


しかしそのイエスの死という”因”
がイエスの教えを広めると言う”結果”を想定することで、


イエスがそれを受け入れると言う行為は、
イエスキリストが魂を通じて創造主の意志を受け
それを実践する行為に他ならないと言うことになると思います。


つまり人として心を持って
自分や12使徒や側近のためだけに行動するのではなくて、


創造主の意志を実現するために、
多くの人間への”間接的な奉仕”のためにも
イエスは其の死を受け入れようとしたと考えるべきだと思います。


イエスは心の意識ではなくて魂から感じる意識を選んだ。


そういう話に繋がるのだと思います。


死を覚悟したイエスは
私達にとって大切な教訓を与えてくれています。


命を救おうと思う者はそれを失い、
わたしと福音とのために命を失う者はそれを救うのです。


人は、たとい全世界を得ても、命を損じたら、何の得がありましょう。


この一節は既存の私達の価値概念で理解すべきではなくて、


三次元と四次元を同時に生きている存在で
創造主の意志に従って生きる限り
半永久的に生きることになるという私達の実態。


さらには創造主の意志に従って生きることにより
永遠を感じることになる、記憶を持った転生が実現する


と言うことを前提として受け止めれば
理解できると思います。


私達の価値観では、命乞いをして権力者に媚びる人間が命を救われ
権力に歯向かう物は命を落とすことになります。


しかしイエスのここで言っている事は其の正反対です。


つまりここで私達が理解すべきは、
ここでのイエスの言葉は宇宙の法則を
そのまま語っているのだと言うことです。


ここでのイエスの言葉の意味は、
宇宙の法則やイエスの奥義を前提に解釈すれば良いのです。


アダムスキーは、著書の中で
「自身の(個人的な)生命を救おうとする者はそれを失うでしょう。」
と説明しています。


創造主の残像思念の一部を魂として持っている私達の真の命とは、
創造主と一体化したものと言えます。


ブラザーズ社会では全てのものが創造主を通じて繋がっている。。。


つまりは万物に分割は存在しないと教えているそうです。


彼らは常に個ではなくて全体を意識して行動するのです。


しかし私達が自分の心を選択しそれに執着すれば
私達の意識は創造主から乖離して


結果的には魂は創造主のを無視して生き始め
将来的には其の存在を失うことになります。


【いのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。】


と言う一文は、エゴにとらわれ、心に囚われ
そこに重きを置く意識は私達を魂の死へと導き、


創造主の意志に従って生きようとする人間は
三次元社会で肉体を滅ぼし死と言う状態へと誘導されても
その魂は決して死ぬことがない、


という内容になります。


イエスの教えに従って福音をすることは
勿論、創造主の意志に従うことです。


イエスはそれを自らの魂から受け止めて
それを実践するためにこの社会に転生して来たのですから。


しかし、イエスの時代には其の福音行為は
そのまま自らの命を危険に晒しかねないものでもありました。


其の福音を危険承知で実践する人間はいわば命がけなのです。


しかし自分の今の生に執着し、権力者の圧力や暴力に屈する行為は
結果的に誤っていることを容認する行為ですし


そんな意識で生きていることは
創造主の意志との乖離を意味しますから
最後には魂を消し去ることになります。


しかし、危険承知でイエスに従い
命がけで(十字架を背負って)福音をする行為は
創造主の意志に叶っていますから、


例え肉体を滅ぼされ死ぬことになっても、
魂を失うことはないのだとイエスは触れているわけです。


これはそのまま
この時代の私達の意識のあり方にも繋がると思います。


誤った価値観や思想が時の権力者、
この地球社会の実質権力者によってもたらされ


私達を誤った価値観や思想に基づいた社会を
作るよう誘導していますが、


私達はそんな権力や圧力に対しても
それが誤りであると認識できるのであれば、
決して屈してはいけないと言うこと。


そして創造主の意志を実践するのであれば
少なくとも自分は創造主の法に従い生きなければなりません。


もしも創造主の意識が福音を勧めるのであれば、
福音しなければそれこそが罪となります。


私達にとっての本当の罪とは、
魂から受け止めてそれが正しいと自分が認識したことを
実践しないこと、


もしくはそれと反対の事を実行することだからです。


少しわき道にそれます。
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ローマ人への手紙14章
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。
自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。


しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。
なぜなら、それが信仰から出ていないからです。


信仰から出ていないことは、みな罪です。

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自分が魂の意識から正しいと感じたこと、
それを創造主の意志だと信じることも”信仰”であるようです。


私の持っている”信仰”は一般の人たちの言っている信仰よりも
こちらに近い意識です。


パウロは、自分が正しいと感じ、罪ではないと想定している事をしていて
”他人に”批判されない人は幸福です。


とも言っています。


ここでは例えとして肉食の話が関わってきます。


肉食をいけないと感じている人間が肉食をすれば
それは罪に問われる。


創造主の意志によれば其の人間には良くない事と
なっているのですから、


それを良くないと感じて実行するのは
神の意志にそむく事になるので罪だと言うことです。


ここで疑いを感じる人が食べると罪になると言うのは、
自分が良いと信じていないことを実践しているからです。


自分がそれを良い事だと認識してそれを実践しても
肉食や飲酒に関しては思想団体であれば
絶対に他人からの批判があると思います。


そんな批判を受けない人は幸福だとパウロが言っているわけです。


イエスの奥義、創造主の法を実践している人間にとっての
本当の罪はこれでした。


”創造主の意志”として受け止めた事と異なることを実践すること、


してはいけないと感じたことをすること、


すべきとされた事を無視することです。


既存の価値観に雁字搦めにされている私達にとっては
今の生は一度きりのものだと認識している人間も多いでしょうし


そのために命を危険にさらす事を心は強く拒否することにもなります。


しかし創造主の法に従い生きることを選択し
正しい自分の実態を理解した人間は、死への恐怖すら薄れ


正しいことをすることこそが自分の義務であると
認識することにもなるはずです。


イエスキリストは12使徒に其の事を伝えていたのではないでしょうか。

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【人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。


自分のいのちを買い戻すために、
人はいったい何を差し出すことができるでしょう。】


この社会の中で権力者として君臨し、
この地球社会を全て自分達の物としたとしても


既存の三次元的価値観で普通に考えても、
死ねばその財産を棺おけまで持っていくことは出来ません。


棺おけに札束を入れてくれとか
金の延べ棒を一緒に埋めてくれと願う人間もいないでしょうし
親族もそんな事をしてはくれないと思います。


彼ら一人一人の栄華は長くて100年足らずのものなのです。


そして彼らは転生して生まれ変わったとしても
其の魂は以前にも増して創造主の意識からかけ離れ易いはずですし、
いずれは間違いなく消えていく運命にあります。


創造主からの魂の乖離を始めてから1000年程度、
もしも彼らが延々と転生しながら権力を持ち続けることが出来たとしても
彼らの命は最長でもそこで終わりです。


そして消え行く魂をつなぎとめるために、
代償として彼らの全財産を投げ出そうとも
それは叶うこともありません。


お金や財では”生命”を買うことは出来ないのです。


心のエゴに従って他人をも不幸にし続けてきた人間達は、
其の時にこそ大きな代償を払うことになるのです。


勿論、元々宇宙の法則など理解していなければ、
彼らは一度きりの人生を送り、霊界としての天国に行く予定ですから
嘆くこともないのでしょうし


アセンションを信じていれば五次元の存在になって
永遠に生きるつもりなのですから
真の創造主の法には興味もにかもしれません。


自らの魂が消えても
自覚すらなく嘆くこともないかもしれません。

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2000年前も姦淫と罪の時代であったことを
イエスキリストは取り上げています。


そしてこの現在も私達は姦淫と罪の時代に生きています。


悔い改めよとイエスキリストは言います。


人々の生き方が形式を重んじ、神の律法といえる心のあり方を
重視していなかったことに対する言葉でもあると思いますし


私達が、見ているが見えてはいない、
聞いているが聞いていない、そして何も考えず
悟ることもないそんな資質で生きていることに対してでもあります。


自分達が罪を犯していると言われても、
創造主の意志を理解できない私達には其の自覚もありません。


悔い改めるきっかけすら私達には与えられ難いのです。


そんな中で、偶然イエスの真の教えに気がついた人や、


生命の科学、原因と結果の法則、宇宙の法則と言う言葉を知り
それに興味を持った人間が、悔い改めるきっかけを持つことになります。


そして恐らくはそれも偶然ではなくて、
創造主の法則が私達の魂に働きかけている事に
私達が気がついたからだと思います。


アダムスキーは私達の魂は常に
私達にささやきかけていると言っていました。


心で思考しそれに基づいて実行している私達に
「こちらの方が良いよ」と語りかけている存在が
魂だという話でもありました。


私達が心を持って暮らしているこの社会の中でも
常に創造主のそんな意志は魂を通じて私達皆に働きかけ


其の中で、私達を正しい生き方に誘導してくれているはずです。
(道徳や良心がその一部ではないでしょうか)


マスターはこんな話もしていました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
だから地球の科学者もこの原理にもとづいて研究すれば
多くの理解が得られるでしょう。


というのは、自然自体はオープンマインドをもって探求する人の
すべてにその秘密を洩らすからです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自然はオープンマインド(精神=魂)を持って
探求する人間に真理を齎す。


私達が心に囚われず、魂の意識を受け止め、
そこから届けられる囁きを聞くことが出来れば


私達は真理を知ることが出来るのです。


これは2000年前も今も何も変わることがないはずです。
(電磁波だらけの環境がそれを難しくしていると思いますが)


其の実践をイエスキリストが伝えていたのならば
私達はそれを学び実践しなければなりません。


聖書の中に創造主の法を見出せる人は
必ず真理にたどり着くことになります。


地球の法則がいくら私達を騙し誘導しようが、
魂を持って感じようと勤める私達に
真理は正しい道を指し示し続けてくれるからです。


【あなたに無限なるの祝福がありますように】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

P.S.


私の脳の判断能力が壊れているらしく
目も乱視が進んでいるのか、


引用文の文字を間違えて発言者をも勘違いしていたことを
お詫びいたします。


あなたに無限なるの祝福がありますように


これは旧アダムスキー全集第一巻の
宇宙からの訪問者の最後にある記述で
アダムスキーがラミューと名づけた
火星人のブラザーズの言葉でした。


一瞬目に留めて”これだ!”と思ったために
其の前後の人の関係、さらには文字まで見間違えてしまいました。


”力”ではなくて”方”でしたし
私の今の思考は危なくなっていますね。


実は創造主に繋がるブラザーズの名言を探していて
クリスチャンにも通じそうな内容だったので飛びついてしまいました。


申し訳ありませんでした。

でも”力”の方が私のお気に入りと言うことで
諸星改、ブラザーズの名言ということで
ご了承下さい。


”方”を”力”で置き換えたままにして置きます。


創造主を人格として認識できない私達には
丁度良いかと思います。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11319307709.html
血と肉と肉食と想念
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11318487727.html
「イエスキリストを信じなさい」?
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11317510891.html
聖書を客観的な視点で眺めると。。。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11313244131.html
創造主の声を聞く?
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11311393730.html
精神の進化は肉体の体験から
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11306490704.html
信仰と義人
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11301379416.html
聖書のイエスキリストの奥義 改
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11329829392.html
続・宇宙の法則 VOL6 イエスの奥義前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11330640319.html
続・宇宙の法則 VOL7 イエスの奥義後編

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