2005年の国勢調査で、国民の97%が「幸せ」と答えたブータン。1976年にジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王が提唱した「国民総幸福(GNH)」の向上を国是とする。しかし市場経済の波が押し寄せた結果、この国も変わりつつある。2010年の国勢調査では「幸福度」も41%に低下した。住宅建設ラッシュ、ローン問題、物価高騰、核家族化――現地取材で明らかになるブータンの「今」。
◇変わるブータン「幸せ」の裏側
◇日本人が見たブータンの真実
人口70万人の小国ながら、「国民総幸福」で世界に注目されるブータン。
その牧歌的なイメージの裏側で、憧れと物欲が猛烈な勢いでこの国を変えつつある。
「幸せの国」はどこへ行くのか。首都ティンプーと農村部を歩いた。
太い木の柱、白く塗られた土壁、色鮮やかな装飾が施された窓枠。伝統的な3階建て家屋に3世代11人が暮らす。首都ティンプー郊外の、典型的なブータンの大家族だ。
「私は世界で一番幸せじゃないかと思うぐらい幸せです」
そう話すのは祖母のルンキさん(65)だ。ルンキさんの長女の家族と、次女の家族が同居している。遠くにいる長男の17歳の息子も、ティンプーの高校に通うために一緒に住む。
ルンキさんに「今の幸せを10段階で評価すると?」と尋ねた。即座に、「もちろん10点満点」と答えが返ってきた。「何が起きても家族や親戚が助けてくれるから、いつも安心していられる」という。3カ月ほど前、孫のノルブ・ワンディちゃん(8)が耳に炎症を起こして入院したときは、家族総出で看病や家事にあたった。次女のデイチン・ザンモさん(28)は失業中だが、必要なお金は姉夫婦が貸してくれるし、親戚の紹介で近く仕事も見つかりそうだ。
◎韓国に生まれたかった
うれしい「悩み」もある。
「来世で人間に生まれ変わるため、死ぬまでにもっとたくさんお祈りがしたいのに、孫たちの世話でなかなか時間がとれない。それに、またブータン人に生まれ変われるかどうかも心配ね」
ルンキさんの長女のカルマ・ヤンゾンさん(35)は中学校の数学教師。同じ家族なのに、幸福度を聞くと、なぜか6点だった。減点の理由は、中学1年の娘のイェシ・カンド・ワンモさん(12)の将来のことだ。
「私たちの時代は、5人の教師を募集すると何回も再募集してようやく埋まった。でも今は5人の募集に1千人が殺到します。娘の世代は勉強や就職で激しい競争を強いられる」
特技を身につけて自信を持ってほしいと、イェシさんには水泳とバスケットボールを習わせている。そのイェシさんの幸福度は8点。理由を聞くと意外な返事が返ってきた。
「韓国に生まれたかった」
イェシさんは、大の韓流ファン。ブータンでもDVDやテレビで韓国の映画やドラマを見ることができ、若者の流行をリードしている。同級生の間でも韓流スターの話題でもちきりだ。
韓国の女優のまねをしてロングヘアにしていることについて、いつもルンキさんに小言を言われる。民族衣装のキラを家でも着るように言われることも嫌だ。自宅のパソコンでフェイスブックに接続して友達とチャットするのが大好きだが、「勉強に差し障るから」と、平日は禁じられた。家族で一緒にいることは楽しいけれど、「自由になれたらもっと幸せなのに」とも思う。3世代の幸福感はすれ違う。
「幸せの国」ブータン。ジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王が1976年に提唱した「国民総幸福(GNH)」を国策とする。社会の発展には物質的な豊かさの追求だけでなく、精神的な豊かさが不可欠とする考え方だ。2005年の国勢調査では、実に97%の国民が幸せだと答えた。
◎最新調査は「幸せ」41%
ブータンの人たちが感じる幸せとは何なのだろう。
昨年秋まで1年間、ブータン政府で重要政策の統括などを担う「GNH委員会」で首相フェローを務めた御手洗瑞子さんは、ブータンで生活して、人々が意識する幸せの「範囲の広さ」を感じたという。
「輪廻転生を信じているブータン人は、現世で嫌なことがあっても『来世もある』と考えられる。また、家族の絆が強いため、幸せは個人ではなく家族単位。家族が幸せなら自分も幸せと感じられるのだと思いました」
ただ、ルンキさん一家3代の三者三様の幸福感は、ブータン社会に今起きている大きな変化も映し出している。気になる統計がある。王立ブータン研究所が10年に実施した国民の意識調査によると、「幸せ」と定義された人は41%しかいなかったというのだ。
05年の国勢調査とは調査方法が違うため、単純比較はできない。だが、10年の調査では・・・
2005年の国勢調査で、国民の97%が「幸せ」と答えたブータン。1976年にジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王が提唱した「国民総幸福(GNH)」の向上を国是とする。しかし市場経済の波が押し寄せた結果、この国も変わりつつある。2010年の国勢調査では「幸福度」も41%に低下した。住宅建設ラッシュ、ローン問題、物価高騰、核家族化――現地取材で明らかになるブータンの「今」。[掲載]AERA(2012年7月2日号、13700字)
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