仙術・方術

                (バラエティ)

ウソか誠か?不思議の世界

 仙術・方術は不思議の世界です。仙道を極めた後に、あるいは開かれるかも知れない世界。古代中国のロマンを秘めた非現実の世界

の展開は、いつの時代にも心をときめかせられます。ここでは仙術・方術の概要と、中国仙術の影響を濃く受けて発生したと思われる

日本「修験道」や「陰陽道」の術、神道の術などを合わせて概観してみます。

 

  仙術・道術基礎

 

 

 1.気膜

生物の身体は常に薄い気の膜で覆われています。一般にはこれを気膜、あるいはオーラと呼びます。普通には見えないけれど、強力な気は視覚で確認できることもあります。また訓練すれば、通常の気を見分けることもできます。
逆に自分の気を絶って相手から姿をくらませる技もあります。「絶気」といい、体術の一つです。

 2.体術

先の「気膜」は、訓練すると自在に大きさや密度を変える事ができるようになります。一般に「気を練り上げる」「気功」とも言います。
仙術と違って、気膜を持つ者になら誰でも使えるのが特徴です。練り上げた気膜は硬く丈夫になって、相手の攻撃を防いだり、あるいは攻撃の威力を増加させることができます。仙力の無駄遣いの防止にも役立つので、どこの守護山でも、方士候補生には最初に気の練り方を指導しています

 3.方術

仙術が体術と大きく異なる所は、気のエネルギーを変換して利用するという点です。ただし普通の人間には到底できる代物ではないので、「神器」という道具を用いて気のエネルギーを変換します。
神器は気膜とは別の膜(力場=結界)を作り、そこで技を起こします。
力場を結ぶのは技の範囲を指定しないと、限りなく広い空間にエネルギーが分散されてしまうから。逆に力場がしっかりしていれば、術者から離れていても術を操ることができます。(一般に、離れるほど力場は結び難くなります)

 4.道術

神器というのは、手先が自由に扱える人間だからこそ発明できたもの。
動物(妖生)は、代わりに「道術」という技を用います。道術は身体そのものを神器として利用します。
己の肉体に負担をかけるので、扱える術は方術に比べて制限が付くきますが、上達すると術の遠隔操作もできるようになります。
なお、人間の身体は道術に適応するようにはできていません。でも、ごくまれな特異体質で使える人がいて、そんな人はたいてい身体が頑丈です。

 5.遠隔力場

体から切り離された力場を操る術を、遠隔力場と言います。
神器を用いる方士であれば簡単なのですが、道術の使い手ではこれがなかなか難しく、滅多にできません。葉月の正露銃(せいろがん)は遠隔力場で軌道を修正できますが、直撃ちだと非常に難しいので銃型のリミッターを用いているそうです。リミッターなしで直撃ちすると、全く関係ない所がとんでもない被害を喰らうことになります・

 6.気殻

道術、それに極めて強い仙力を操る方術の使い手は、自らの気膜を拡張することができます。ただしとても難しい技で、滅多にできることじゃないけど。
自分の気膜に触れるものがあって、その触れたものを気膜で覆い強化することを「気殻を張る」といいます。当然形があるものの方が気殻を作りやすいのですが、何も無い所に気殻を作ることを「具現化」といいます。ここまで来るともう仙人のレベルを超えて、神の領域とも呼ばれま

 

 7.具現化

 

恐らく仙術の中で、最も高度で難しいのがこの「具現化」です。
気殻は対象を「自分の気膜に触れるもの」、に限っているけど、具現化は力場の中の空間に、無から対象を生み出す術。
当然作り出すのも維持するのも大変ですが、具現化を極めると遠隔操作すら可能になるし、技のスケールも極限に膨らむのです。例えば何も無い所に山河を作ったり、世界そのものを複製したり・・・。古神族が用いていた「神術」は、これに当たります。

 

仙術の周辺

 

 

 

  明照法ー仙人になる法 1

 

 

仙術・方術の宝典は葛供の『抱朴子』。そのなかに鏡で神に会う術を説いたものがある。題して明照(明鏡)術。映像をそのまま映し出すという鏡の働きは、古代の人々にとっては非常な驚きであったようで、鏡はさまざまな方術に使われてきた。魔物の真実の姿を映し出す「照魔鏡」がもっともよく知られているが、この明照(明鏡)法もやはり鏡を使った方術の一つ。明照法とは明鏡を覗くことで、未来を予知したり五臓を見る方法。またさらに、この方法を修練の手段とすることもある。まず鏡によって五臓を見るという術。漢の高祖は威陽宮に入り、宝物倉をぐるりと見て回ったが、金玉珍宝は言語を絶するすぱらしさであった。中に幅四尺、高さ五尺九寸の鏡があった。表も裏も鏡になっていた。人が何もせずに自分の映像を映すと逆転して映る。ところが手で心臓をなぜてから映すと、自分の胃や腸など五臓を歴然と見ることができる。内臓に疾患のある人が心臓を手でおおって映すと、病気の所在が分かる。もし女子に邪心があると、胆嚢がふくらみ心臓が動揺する。それで秦の始皇帝は、つねに後宮の女人を映し、胆嚢がふくらみ心臓が動揺する者はすぐに殺した(『西京雑記』巻三)。

「仙人になる法」のひとつは鏡を見ることで養生を行なう修行法。これは形状を存思することで長生することができるというもので、九寸の明鏡を用いて自分の顔を映して熟視し、已の身形をよく覚え込みいつも忘れないようにする。長く続けると身体の神が身体の中に安住するようになり、疾病が体に入ってこないという。これは五臓を見る方法でもあり、道教でいう五臓に住むという体内神を想像する方法である。「仙人になる法」の第一歩だ。

 明照法ー仙人になる法 2

また鏡を用いて予知を行ない、さらに不老長寿にまで到達する例が『抱朴子』に書かれている。ある人が「将来の吉凶や安否や進退について、これを知れぱ身を保てるという方法はありますか」と抱朴子に聞いた。抱朴子が答えて言うには「こういう方法もある。九寸以上の明鏡を用いて自分自身を映し、存思(自分の体内を想像)すれば、七月七日の夕方に神仙の姿を見ることができる。男であったり女であったり老人であったり子供であったりする。一度この神仙を見た後は、心の内に千里も離れた場所の事や、これから起こる出来事が分かるようになる。明鏡を一枚あるいは二枚使う。これを日月鏡という。あるいは四枚の鏡を使う。これを四規鏡という。四規鏡を使うときには、前後左右に一つずつ置いて映す。四規を使うと現われる神は非常に多い。あるいは目が縦に付いていたり、龍や虎に乗っていたりする。色鮮やかな冠や衣服は、世の中の人とは違っている。これらの神はすべて図に記されているので、この道を修めようとする者は、まず会う可能性のある諸神の姓名や等級を暗記し、その衣冠を覚えておかなけれぱいけない。そうでなければ、突然神がやって来たときにその神を忘れているようなことになったり、驚き恐れてしまうことになり、神に危害を加えられる。この方法を行なおうと思う人は、静かで奥深い山林の中で行なうのがよい。余計なものは何も目に入らず、不要なものは何も聞こえないようであれば、この修行は必ず成功する。三童九女節寿君や、首が九つあり胴体が蛇である120人の役人がやって来てもじろじろ見てはいけない。問いかける者や怒鳴りつける者がいても、答えてはいけない。たとえ派手な侍従やカ士や鎧をまとった兵士を連れ、龍や虎に乗り、簾や太鼓の音も賑やかにやって来る者がいても、目を上げて話をしてはいけない。ただじっと老君の真形を念じ、老君の真形が現われれば立ち上がって拝礼を行なう。

  明照法ー仙人になる法 3

抱朴子は、老君の真形をどのように想像すればよいかを次のように語る。老君、つまり老子のこと。姓は李、名はタン、字は伯陽、身長九尺、顔は黄色く、口は鳥のくちぱしのようにとがり、鼻が高く、眉は秀で、長さが五寸あり、耳は長さが七寸ある。額には三本の筋が上から下まで走り、足には八卦の形をした筋がある。老君は神亀を腰掛けにしている。その住まいは金楼玉堂であり、白銀で階段が造られている。五色の雲を衣服とし、幾重にもなった冠や鋭い剣を身につけ、黄童120人を従え、左に一二の青龍、右に二六の白虎、前に二四の朱雀、後ろに七二の玄武をはべらせ、前方には一二の窮奇(榊獣)、後方には三六の僻邪を従え、頭上には雷電がぴかぴかと輝く。このことは仙経の中に記されていることである。老君を見れば寿命が延び、心は日月のように明亮となり、分からないことがなくなる(『抱朴子・内篇』巻一五雑応篇)。抱朴子が述べる、このような修行法は、道教技法として後世にも伝えられていった。さまざまな方術を身につけ、神仙になる『雲笈七撰』巻四八「秘要訣法」の「老君明照法叙事」の修行法は、抱朴子のやり方ととてもよく似ている。この経典によると、明照法を行なうことによってさまざまな方術が身につくという。たとえば、分身の術、一瞬のうちに千里の彼方まで行く術、雲に乗り氷を踏む術、天地の間のどこにでも出没できる術などである。これらの方術を体得すると、次には神の姿を見ることができるようになる。さらに修行を積むと、未来を予見できるようになり、ついには神仙になれるという。明照法を行なうに当たっては、静かな部屋を用い、絶対になにかに驚いたりしてはいけないことが強調される。九寸の鏡を前後左右に四枚設置する「四規の法」を用い、自分自身から一尺五寸離して鏡を置く。このようにするとさまざまな神が現われ出てくる。この「老君明照法叙事」にはこの時現われる数十の神々の名と衣冠の色や容姿などが列挙されている。これらの神々を臥して存思しようとするなら前法のようにし、毎夕自分を見なければならない。そうすると、臥して二つの顔が相対して見つめ合っている様子や、自分と同じ形の二人の人が並んで座っているのを見るようになる。あるいは臥して眠っているときに、年は十五、六歳で立派な衣服を来ている好神童玉女が顔を真っ直ぐこちらに向け、再拝するのを見る。あるいは自分の耳許で「天下の吉凶、万事皆あらかじめ知っている」という話し声を聞く。あるいは壁の東に見えたり、壁の西に見えたりする。あるいは夜眠っているときに照鏡を夢にみる。あるいは返光で五臓が見える。こうして「仙人」の術を手に入れる。

   六通完通

 

宋代以降の道教の内容は、主として二つの系統に分けられる。一つは金丹道関係のもので、精、気、神の三宝を人体中で練り上げることによって、不老不死の真胎を形成することをめざす。このような披法は、現在では気功の一分野として注目を集めている。もう一つは斎醸(さいしょう)と呼ぱれる大規模な儀式・祭祀から、治病、くじ“きう駆邪、祈雨、改運などを〔的とした呪術厳礼である。呪術の内容はきわめて多岐じゆもんごふにわたっており、用いられる呪文や護符の椰類にも多様なものがある。雷のカを呪術の力の源泉とし、雷部に所属する神将・神兵を便役して様々な目的を達成する特徴的な呪術が、北宋代末の頃からしだいに道教の伝統に取り入れられるようになった。

 1. 凡人(ぼんじん)には見えぬものが見える(天眼通=てんがんつう)
 2. 凡人には聞こえぬ声が聞こえる(天耳通=てんじつう)
 3. 他人の心を見抜く(他心通=たしんつう)
 4. 過去を知る(宿命通=しゅくめいつう)
 5. 自分の思うことができる(如意通=にょいつう)           6.
(他に「漏尽通」)

    禺(う)歩

「禺(う)歩」とは道教における呪術的な歩き方のこと。その方法を初めて具体的に記したのは晋の葛洪が著わした『抱朴子一内篇』。仙人になるために服用する薬について述べた仙薬篇において、それを採集するとき次のようなステツプを踏まなければならないとしている。まず、左足を踏みだし、次に右足を左足の前にだし、さらに左足を右足にひきつけ、これで一歩。次に右足を踏みだし、左足を右足の前にだし、右足を左足にひきつけ、これで二歩。次に左足を踏みだし、右足を左足の前にだし、左足を右足にひきつけ、これで三歩。合計二丈一尺(一歩を七尺として三歩×七尺H二一尺とされている)で、足跡が九つ残ることになる。また同じく登渉篇にも、仙道を修めたり仙薬を練るために入山するにさいし、邪鬼を避けるための方法としてやはり「禺(う)歩」の方法が述べられている。その足の運び方は仙薬篇とやや異なるが、しかしその中で呪法をなす者はみなう歩を知らなけれぱならないとされ、あらゆる呪法の基礎と指摘されている。同篇ではまた、萬歩とともに呪文を唱えることが述べられ、その代表的なものとして「臨兵闘者皆陳列在前」の九字をあげている。

小説『西遊記』の中で孫悟空が行なう"踏斗〃、さらにば少数ヤオ民族の藩族が北斗七星を踏み行なう"走七星琵歩"も「う歩」を基盤としていると考えられている。日本においては、平安時代前期の寛平年間、藤原佐世が著わした漢籍目録『日本国見在書目録』の中に、五行家のジャンルとして『印書禺(う)歩』『玉女返閑』などの書籍名が記録されている。また室町時代に著わされた国語辞典『下学集』には、〃反閑は「禺(う)歩」とも言う"とあるので、両者は同じようなものと理解されていたことが知られる。これら「禺(う)歩」や反閏は陰陽道の呪法の中に取り入れられ、天皇の出御や貴人の外出のときに、邪気を払い、悪鬼を避け、安泰を祈るために、陰陽師によって行なわれていたことが、鎌倉時代の公家の日記『勘仲記』以降、諸処にみえている。反閑はとくに修験道でのものがよく知られており、またそれらが発展したものとして、相撲で踏まれる〃四股"、歌舞伎や人形浄瑠璃の〃六方〃をあげることができる。

  五嶽真形図

 中国の名山といえば,東嶽泰山(とうがくたいざん),南嶽衡山(なんがくこうざん),西嶽華山(せいがくかざん),中嶽崇山(ちゅうがくすうざん),北嶽恒山(ほくがくこうざん)の五山を指す。この五山の形を図(略)で表した霊符をいう。仙名あるものでなければ,授けられることがなかったという最も重んじられた符の一つだった。この図を身につけ,念じたり,土地に埋めたりするならば,病気平癒,子孫繁栄,長寿,除災,福を授けてくれるというありがたい符。 他にも入山する時,毒蛇や崖から落ちたりという事故からも身を守ってくれるお守りにもなる。

仙人食・符呪

 

 

 

   仙人食伝説

 

#コウゾ(楮)の赤い実を毎日飲むと、一年後には老人も若返り、さらに飲み続けると鬼神の姿をも見る事ができるという。

#仙人食は例えば●仙草 仙気の強い野草。アカザ、雪ノ下、スベリヒュウ、ハコベ、オオバコ、セリなど。●仙果  仙気の多い果物。胡桃、松実、腰果、乾葡萄、紅棗など。こういった山野に産する植物で、これらを「生食」する。なかでも「松」。「松食水飲」といい、松実、松葉、松脂を食し、水を飲む生活。列仙伝の一人王延は、9歳の時仙道に入り、生涯ただ松食水飲を押し通し、一切他のものを飲食しなかったと言われます。しかしそれは古代中国のお話。

#列仙伝の一人任子季は、茯苓を飲むこと18年にして、仙人玉女が目の前に現われ、仕えるようになった。突然に身を現し、突然に身を消す(神出鬼没)ができるようになり、食物を必要としなくなった。灸の傷も残らず、顔が玉のように光っていたという

仙人伝説

 

 

  列仙伝

   封 衡 ( Feng Heng )


 封衡は,字(あざな)は君達,隴西(現在の甘粛省)の出身であった。幼い頃より老荘の思想を好み,修行に明け暮れ,秘法を求めて尋ね歩いていた。まず,黄連(根を薬として用いる)を50年間服用,その後,鳥鼠山(鳥の雄と鼠の雌が夫婦になって同じ穴に住んでいるので鳥鼠同穴山とも呼ばれている)に入って薬を採集し,朮(じゅつ)を百年間飲み続け,帰郷した時はどう見ても二十代しか見えなかったという。危篤の患者がいると聞けばどこへでも出かけ,薬草や鍼で治療をし,病を直した。
 あらゆるすべての書を読破し,さらに魯女生に出会い,還丹(せんたん)の秘法と五嶽真形図(ごがくしんけいず)を伝授された。のちに,諸国の周遊をした際,山河の神々は伺候し,妖怪変化は逃げ去ったという。
 封衡のこの人間ばなれした噂を疑った者が,矢や刀でつき刺してみたが,彼の身体を傷つけることはできなかった。いつも一頭の青牛に乗っていたが,彼の名を知っている人はいなかったので,青牛道士と呼ばれていた。魏の武帝が養生の秘訣を尋ねた時,”身体を動かし,食事は少なく労働は度を過ぎてもいけないし,節食は空腹すぎてもいけない。油濃いものや,酸味は鹹味をなるべくとらないようにせよ。思い悩むこと,喜怒哀楽の情を抑え,人と争わず,房事を慎む。そうすれば道に畿(ちか)し。聖人は春夏に陽気を養い,秋冬には陰気を養う。自然の根元に順応し,造化の妙理に契合するのである”と
 常に二人の従者をつれ,一人は本箱を背負い,[容成養気術]十二巻,[墨子隠形法]一篇,[霊宝衛生法]一巻を所持。もう一人は薬箱をさげ,中には精製した水銀の結晶や黄連の粉末が入っていた。人間界にいたのは,およそに二百余年くらいで,後に玄丘(げんきゅう)山にこもり,その後誰も姿を見たものはいない。

  女仙列伝 
       
  
魯女生 ( Lu Nu Sheng )


 魯女生は,長楽(現在の河北省)の人であった。最初は胡麻や尢を主食とし,穀物を八十年余絶っていた。そのうちに若返り,顔色は桃の花のようであった。
 一日に三百里も歩き,走れば鹿に追いつくことができた。歴代その姿を見られること三百余年だったという, ある日,崇高山(河南省,少林寺にある山)に薬を取りに行ったところ,ひとりの女性に会った。女性は,「われは三天太上の侍官であるぞ」と五嶽真形図を与え,その使い方も伝授してくれた。
 魯女生は,ある朝,仙道が成就したということで友人に別れを告げ,華山(西安の東方にある)へ去っていった。それから五十年後知り合いの人が華山廟の前で白鹿に乗り,玉女三十人を従えた魯女生に会った。その時に郷里の友人によろしく伝えて下さいといったそうだ
 

 

  明視・重身術

 

 

 

    明目法

 

 明目法は暗闇の中でも日中のようにものをみる法。暗闇で目が見えるようになると同時に、通常、視覚で捉えられない威力レベル以下の悪魔の姿を見ることができるようになる。仙人食の一つ、コウゾの木の赤い実を1年間かかさず飲んでいると、老人が若返り、暗闇の中でも物が見えるようになるという説がある。梁須という遺士は70歳になってから、これを実践した。すると日をおうごとに若返り、やはり夜でも灯火なしで文字が書け、本も自在に読めたという。

 

   気讃術

 

手の平の中に気を凝縮し、吹き矢を射つように口を当てて、一気に射ち出す。
 この気の弾丸は射撃回避で回避可能だが、通常では目に見えないため、悪魔を見るような特技を使用している。

   点断術

 

指先に気を集中し放つことで目標の気の流れを遮断、「金縛り」にする術。
 

 

   重身法

 

にわかに自分の体を岩のように重くする術で、重量が増す。術者本人は動くことに支障はないが、水には浮かなくなり沼地では沈む。

   不溺法・閉水術

不溺法は水上歩灯の法。水に沈まない不溺法。江蘇省に生まれた葛玄はあらゆる方術にたけていたはら道士で、食べていた飯のー粒を、蜂に変えて飛びまわらせることぐらい朝飯前。深刻な日照りに人々が困っていたとき、さっと大雨を降らしたりもした。あるとき、知人の孫権が彼を舟遊びに連れ立ったが、突風が起こり多くの船が沈んでしまった。孫権は一命をとりとめたが、葛玄の船が見当たらない。孫権は非常に嘆き悲しんだが、葛玄のこと、類いまれな仙術を使って生きているはずだという思いもあった。翌日、孫権が船を出して艘索を始めると川の方向から、人がふらふらと歩いてくる。葛玄である。泥酔しているから「どうしたのだ」と尋ねると、「水の巾で友人と会い、一杯やっていた」という。自らの体のまわりに、空気の結界を作り出して水の中を進む術が閉水術。このとき抱えられる程度の大きさの物であれば、それを同時に運ぶこともできる。
 

 

 調伏成仏術

 

 

   成仏法

成仏印を結び真言を唱えることで、成仏の意志はあっても、成仏の仕方が分からなかったり、念や罪業が枷となって成仏できない霊を成仏させる。通常は判定なしで成仏できるが、呪術などで拘束させている場合は、この呪術の発動達成値がその値以上でなければならない。
 臨終時にもその成仏を祈って通常に唱えられる術でもある

 

   折伏法

 

 

不動金縛りの調伏法ともいい、目に見えない不動の索で死霊や動物霊を呪縛し調伏する。術は、術者が集中している間永続し、憑依霊は自分のターンに呪術抵抗以外の行動は行えなくなる。

 使役術

 

 

 

    使役法

 

 

この呪術は、イヅナやオサキと呼ばれる体長30cmあまりのイタチに似た動物の霊を使役する術。この術を行う為には、山林などでイヅナを見つけ『筒封じ』によって竹筒などに封じられたものが必要である。
 このイヅナを封じた竹筒を空けるときに、この呪術を用いてイヅナを使役する

 

    召鬼法

 

召鬼法は「鬼をあやつる法」。役行者・小角は鬼神を使い、水を汲ませ、薪を採らせた。鬼神が命令に従わない時は、咒をもってこれを縛ったという。 天を飛び、鬼神に土木工事を行わせたという。韓国連広足(からくにのむらじひろたり)または一言主神の讒言により伊豆大島に流される。道教で「鬼」というのは相当範囲が広く、邪気、精霊、動物霊、樹木の精霊まで含まれる。多くはこの世に恨みを残して死んだ亡霊(恨鬼)。恨鬼は夜になると、身代わりを見つけて、この世に再生するべく盛んに活動すると言われる。方士は呪いによって鬼を招き、符や呪文を使って使役する。まず鬼の正体を見抜くことが必要だが、これには「水」を用いる。水によって鬼を看破し、その鬼に応じて「符」を書する。具体的に使役する為に「剣」を用い呪言を用いる。「水」「符」「剣」は招鬼の三種の神器。召鬼法では制鬼ー刻鬼ー召鬼ー使鬼の手順で行う。

 

 

    童子法

 

 

 

修験者が信仰する神仏や権現・明神より、術者を守護し仕え従ってくれる護法童子を招霊する。護法童子は護法善神ともいい、不動尊の眷族である矜羯・制多迦童子、全身を剣の鎧で覆った剣鎧童子、意の物を取り寄せる空鉢護法などがいる。 この術を唱えることで招霊された護法童子は、次のターンから術者の命令に従って行動を行ってくれる。その内容は神意や仏心に反しない限り、術者の望むままで、かなり術者の意図を汲んだ上で行動してくれる。逆に、彼らの善意から術者の命に反しても術者を守ることを最優先することもある。彼らはあくまで神仏の使いである。 基本的にこの世に留まることの出来ない存在故、1つの役目を終えると神界へ戻ってしまう。 この術で遣わされる護法童子は術者が本尊とする神仏によって異なり、術者は常に同じ護法童子を招霊する。但し、ある土地で術者がその土地の神仏の助力を得ているなら、その神仏の護法童子を遣わせてもらえる場合もある。

   切紙成兵法

紙で人形を作り呪いをなす方術が「切紙成丘術」。文字どおり「紙を切って兵と成す」ところの法。まず、紙を思いのままに切って床に並べる。髪を被り、う歩(呪術的歩行術)を行ってから呪誼する。次に口に含んだ水を紙人に吹きかけると紙人が動き出す。紙人を目的のところへ行かせ、戻ってきてから同じ所作をすれば、再びもとの紙にもどる。木で人形を作る木人・ワラ人形なども発生はこの切紙成兵法と同じである。竹で骨をこしらえ、紙を立体的に張りつける張り子の呪法もある。木人の法は、紙人の法より強烈な法験があるという。-

   替代術(身代わり)

雛祭りは日本中どこにでもみられる風習だが、一部の地方では雛人形を水に流す行事を行なう。これは本人の身代わりとして、災厄を人形に移して流してしまおうというのが発端。もともと中国では、替代(たいたい・替形・替身ともいう)という一種の身代わりの術があった。人形や画中の人に疾病を移すことによって、病気の快癒を図ろうとする術。紙に描かれた絵を人間の代用とする風習がいつからはじまったのかは分からない。今の世の中では、おはらいをする時にこれを用いる。道教の天師道の儀式の供物には人形が身代わりとして祀られる。

道教の方術の中にも替代りの例は存在する。六朝に成立し天師道の古い姿を伝えるという『赤松子章暦』(『適蔵。・洞玄部・表奏類)には、金属メッキを施した人形に災難の肩代わりをさせる方法がみられる。『赤松子章暦』は天師道の儀式の次第をおもな内容とするが、替身八卦牌という牌がある。それらの儀式は、国家や自分自身または親族や祖先のために、災いを避け幸福を呼び込み生命を保持し死から逃れることを目的としている。替代として用いられるものは人形だけではない。「八卦牌」も身代わりとして使われることがあるらしい。「八卦牌」とは、家の軒先に掛ける魔除けであるが、台湾には「替身八卦牌」と呼ばれるものが存在する。八卦牌の下に木製の人形(替代)が付いていて、生きている人間に災厄や病気の身代わりをさせるという風習もあった。これは王侯貴族や裕福な家庭でのみ行なわれたものだが、子供が生まれた時にその子の身代わりとして、他人の子供を出塞させるのである。

 移動術

 

 

 

   空鉢法 

 

 

この術は遠くにある物を取り寄せる事もので、術を唱えると、対象となった物は霊的に具現化した鉢に乗り、空中を飛び術者のもとへ運ばれる。対象となる物は、術者が実際に見た事があり、その時の場所から動かされていないものである必要がある。その重さは50kgまでの一品。術が唱えられると、その物はそこから術者のもとへと空を飛んで移動する為、術者のところまで行けないような密封された場所にある場合は術者のところまで取り寄せる事は出来ない。但し、鍵の掛かっていない引き出しぐらいなら内側から空けてしまう。

  光遁術

 自らの体を光の矢と化し、宙を飛びながら瞬時に移動をする術。移動できるのは10kmまでで、遮蔽物を通過することはできないが僅かでも隙間があるか、ガラスのように光を通す物があればそこから移動できる。また、手足を縛るいましめがあったとしても、それらだけを残して移動する。「光遁術」で移動した者を追えるのは「光遁術」のみである。

  乗矯術

乗矯術とは、空中を飛行する術。「矯」とは、足をあげて高きに行くこと。あるいは、空を飛ぶ乗り物に乗る術をいう。『抱朴子』「雑応篇」に、ある人が、高い山に登り、遠い道を歩いても疲れない方法を尋ねたのに対して、葛洪は答えている。「丹薬を服用するだけで、身が軽くなり、力がつき、働いても疲れなくなる。もしはじめて山林に入り、身体がまだできていない人は、雲珠粉などで足を洗い、天雄鶴脂丸などを一〇日、二〇日と服用すれば、遠い道を歩いても疲れないだけでなく、普通より三倍速く歩けるようになる。ただし、乗騎術を会得すれば、山河をものともせず、この世界を思うがままに飛んでゆける。乗購術には三通りある。一つには龍矯、二つには虎矯、三つには鹿慮矯である。あわせてお符を服用して、柵神を統一することも必要である。もし一〇〇〇里を行こうと思えば、二時間精神を統一すること。もし一昼夜精神を統一すると、一昼夜で一万二〇〇〇里飛べる。もうこれ以上は飛べない。これ以上飛ぶには、あらためて前と同じように精神を統一しなければいけない。また別の方法としては、ナツメの木の芯材を剛いて飛車を作り、牛の革を回転する剣状の羽根に巻きつけて、動力を伝える方法がある。あるいは、精神を集中させて、わが身を五蛇・六龍・三牛と化し、強風に乗る。四〇里上昇したあたりは、太清という。太清の中は、気がはなはだ剛強で、人閲の体重に耐えられる」とわたしの師匠が言った。「鳶が飛んで高く上ると両翼を伸ぱしたまま、まったく羽ぱたかなくともひとりでに進んで行く。これは剛強の気に乗ったからである。それは龍がはじめ階段状の雲に上り、さらに四〇里上昇すると、あどは独りで飛べるのと同じである」と。この言葉は仙人の口から世間に伝えられたが、凡人にはよく分からない。また、矯に乗るには、長い閲精進しなけれぱならない。一年間ニラ・ニンニクの類や鳥獣の肉を断って、はじめて三つの騎に乗れる。お符を服用し、五蛇をー心に念じても、やはり龍矯がもっとも飛距離が長い。それ以外の方法では、一千里を超えられない。上昇・下降・前進・停止には決まった方法があり、自分勝手にしてはならない。もしその禁忌を守らずに、みだりに「矯」に乗ると、墜落の危険がある。

『雲笈七撰』「雑秘要訣法」に、自分の姿を隠し、空を飛ぶ、「隠地八化玄真術」を載せている。隠地八化玄真の術は、一に日く蔵形匿影、二に日く乗虚御空、三に日く隠檎飛淀雷、四に日く出有入無、五に日く飛霊八方、六に日く解形遁変、七に日く廻農転玄、八に日く隠形舞天。これら八術の内容を推測すれぱ、一つめは姿と影を隠す隠形術、二つめは空を飛ぶ飛行術、三つめは姿を隠し空を飛ぶ隠形飛行術、四つめは有の世界から無の世界に入る隠形術、五つめは霊魂を四方八方に飛ばす飛霊術、六つめは姿を変えて遁走する変身術、七つめは朝を夜に変え夜を朝に変える変幻術、八つめは姿を隠して空に舜う隠形曲芸飛行術となる。

鳥のように翼を持たない人間は、何とか空を飛べないものかと、さまざまに思いを凝らし、工夫をめぐらし、その日のくるのを夢見つづけた。『抱朴子』「雑応篇」にみえる、ナツメの木の芯材を用いて禰車を作り、牛の革を回転する剣状の羽根に巻きつけて、動力を伝える飛行の道具は、竹トンボ状の飛仔機、つまりヘリコプターであったという説さえある。古代中国人にとって、空中を飛行するのは、たんなる夢ではなかったことになる。黄帝の時代の馬医者、馬師皇は病気の龍を治淡してやったところ、龍が彼を背中に乗せて天に昇っていった。黄帝もまた龍の背中に乗って天に昇っていった。赤松子という仙人は、五穀を食べず、草花を食べ、風に乗って空を上下した。松の実を食べて空を飛べるようになった仙人、鶴や鳳鳳の背に桑って昇天した仙人は、このほか何人もいる。わが国の『本朝神仙伝』に、吉野の山から空を飛んで葛城の山に通った久米の仙人の話が載せられている。この仙人は、川で布を洗っていた女性の内股を見て、愛心がむらむらと起こり、神通カを失って大地に転落した。彼は深い山に入り仙人の法を学び、松の葉やマサキノカズラを食って飛行術を会得した、と言われているところを見ると、それは中国伝来の秘術であったらしい。『抱朴子』「選覧篇」に、「変化の術で重要な書物に、『墨子五行記』がある。もと五巻あったが、劉安が在世中にその要点を写し取って一巻とした。その法は、特別な薬を用い、お符を用いると、人を上下に飛行させ、どことも知れず姿を隠せるようにさせる」とあり、『墨子五行記』に隠形飛行術が記されていた、というのである。

 

 退魔術

 

 

 

   発手群石

 

手の平を天にかざし拳を握ると、その周囲に岩の群が現れて敵に向かって飛び出して行く。岩はそれぞれの目標に1個だけ、命中することになる。
 

   勁捷術

地上を走る速度を驚異的に上昇させる術。疾風の如き早さで移動できるようになる。また2m程度ならば、走る勢いで跳躍したり、水面を走り抜けたりもできる
 ただし「全力移動」中には魔法は使えず、自分も攻撃の命中率が威力分低下してしまう

   雷法 1

天の道理を無視Lた悪霊を撃退する方術。古来人々は雷に特別の念をもって処していた。何かとてつもない力を持った存在として畏れ敬うはかりか、中国ではとくに、不徳の者が雷に打たれて一命を落とすといった信仰が根深かった。道教では、恐怖の対象である雷を逆に使役する。道士から教わった呪いを一声唱すると、直ちに雷鳴がとどろき盗賊は恐れをなして逃げてしまう。正統派の道士が伝えた雷法は「呪符」「霊符」によって雷を使役し、思った方向に物事を運ぶことが行われる。

これが一般的に雷法と呼ばれているもので、『道蔵』(道教の根本的な書)の正一部に収められた『道法会元』二六八巻は、この雷法を中心とした呪術の書を集大成している。これを行なう道士は、雷の力を自分の体の中に取り入れておく必要があった。その方法の一つは、その年初めての雷が鳴ったとき、道士はその方向に向かい、左手の関節の決められたポジションを親指で押えながら、「雷威震動便驚人」と唱える。次に右手のポジションを押えながら「概ソ榊辣究寛摂」と唱え、各々のポジションに対応する臓淵に、雷の精気が植え付けられることを瞑想する。この精気は治病などの呪術を行なうときに、同じ手印と呪文によって呼び出される。

この雷法の特色の一つは、呪文や霊符などはたんなる末葉に過ぎず、呪術は道を体得し、逝化の枢機をわが手に握ることこそ重要なのだとしていることである。逝を体得するための修行法や瞑想法、あるいはその枢要の表現は、雷法の各派によって異なる。しかし金丹道において、造化の根淑をなす宇宙の真実在とされている「先天一気」を体現することが重んじられていることなど、金丹道の影響が顕著であることは共通している。そうした上で、内なる小宇宙と外なる大宇宙の.感応にもとづいて呪術は行なわれる。なぜなら雷法の中で召喚する雷部の神将・神兵は、じつは自分の体の中の三宝と五臓の気に他ならないからである。

 雷法 2

雷法で重要なのは、内と外との感応であることはつねに主張されている。雷法を描いた中国の小説『平妖伝』の場面で、聖姑姑は「書符は一番の難事で、符を何に用いるかによってその観想をする。もし雲を起こそたんでんうとするなら、陰気が自分の丹田から起こり、しだいに満身に雲気が充満し、七つの穴から噴出して天地いっぱいに広がるように感じなければならない。そう感じられたとき、急いでその気を墨に落として一筆で書き上げる。自分の神と気を天地の神と気に質通させて、はじめてその符は霊験がある」と教えている。雷法の瑚論を述べた暫にも、「いわゆる風雨雷電は陰陽の二気が交感して生まれるものだ。もし人が一点の霊光をもって、自分の陰陽を自由に交感させ、自然界の陰つかさど陽の交感を司る鬼神と合わせられれば、自然界の風雨雷電を発することができる」と述べられている。このような、道の体得がなされてこそ、法の使川すなわち呪術の行使が可能だという考え方は、このころに成立した道教の呪術那に共通している。それらの呪術の中でも雷法は強力な呪術と考えられていた。それにはどのような理由が考えられるのであろうか。中国では古くから雷は天刑の執行者との信仰があった。このらいきえ婁きよう考え方はすでに『礼記』や『易経』等にもみえるが、小説類にも親不孝や穀物を粗末に扱った者が、雷に撃たれて罰せられるという話が多く現われる。これまでにもみたように、適士の行なう呪術の目灼は、一主として天候に関するものと治病であった。治病は病を引き起こした邪鬼や悪霊を禁圧し、彼らのたたりを払うという形で行なわれるから、駆邪、悪雌払いという性格をもつことが多い。巾岬では、正当な理歯があり、天帝の許しを得てたたりを引き起こしている場合には、呪術の力ではどうすることもできないが、理由のない悪意によって、一天の遭理を無視して災いをもたらしている邪鬼・、恐霊は、呪術のカでこれを防ぎ、彼らを撃退することができると考えられていた。彼らに対する戦いは、とくに正統教団の用いる呪術では、天の正義によって彼らに天罰を下すという形式で行なわれることが多い。そこでもともと天刑の執行者と考えられた雷の力を背景とする雷法が、このような場合、とくに威カのあるものと考えられた。雷法の祖師の第一は王文卿。彼は、北宋末に徽宗皇帝の常延で数々の雛験を現わしたが、彼は楊子江で異人に川会って呪術を授けられろとうかたと伝えられている。また路当可は、一般に雷法と同一視されることの多い天心法を伝えた一人。彼は十七歳のとき、一人の道人に、「おまえは符術を伝えて、天下の鬼神を制するべき人間だ。しかしおまえの五臓は汚れきっているから、それをすべて取り除かなければならない」と告げられた。それから何日か食餌をせず、口から血が流れるのを感じるという中で、伝授を受けたという。この話はシャーマンのイニシェーション(秘伝伝授)を思わせる。このような民間の宗教者たちに行なわれていた呪術が、体系化され理論づけを得て、しだいに道教教団に正式に採用されていった。その中で雷法は、正統派の法や秩序を守り、悪鬼邪神を制圧する上で、強力な威力をもったものとして、重んじられるようになっていったのである。

 

 変化術

 

 

   

  元身脱体

 

生命の根幹となる魂の意識体「元神」を、身体から分離させる秘術。「元神」は、悪魔を視認する特技で大成功しない限りは見ることができない。
 術が成功すると「元神」が肉体から離れるが、肉体側は見た目も能力としても変化はない。

  身外身

髪の毛や服の切れ端などを素に、手下となる分身を作り出す術。
 分身は肉体を持ち、姿も自分と全く同じか、やや違う姿に自由に決められ、大雑把な指示を与えて一斉に行動させたり、個別に行動させたりできる。
 分身と術者は知覚を共有しているわけではないが、微弱なテレパシーによって結ばれており、離れていても言葉を伝えることで意志の疎通がおこなえる。
 特技などは、術者が習得している肉体を用いる特技であれば使用可能。
 また、一人が作り出せる「身外身」の合計数は魔力に等しい。
 変化の術を用いているときに「身外身」を使うと、変化している姿の分身が生まれる。

   隠形術 1

神仙道士の用いた隠形術。隠形術または隠身術、隠清術ともいう。神仙と名のつく者の多くが得意とする術の一つ。大きく分けて透明人間のように文字どおり姿を消してしまう術と、背後のなにものかに姿を隠してしまう術とがある。李仲甫という人は、漢の時代の豊県巾易里というところの人。若いころから王君という仙人について神仙水丹術を学んだ。水丹という仙薬を飲んでから効果があり、遁甲の術や歩訣隠形の術を使えるようになった。しかも歳が一〇〇歳余りになって、だんだん若返り始めた。最初のころは一〇〇日の間姿を消し、次の一年間はまた姿を現わしていたが、のちにはずっと姿を消したまま、ただ声がするだけになった。人と話をして飲み食いするのは平常どおりだが、姿を見ることができない。張という書生がやってきて、この隠形術を学ぼうとした。仲甫は「お前はせっかちであるから、まだ教えることはできない」と断わる。張は、数十万銭を使ってごちそうを用意したりしてねぱったが、何も得られなかった。とうとう張はヒ首を懐に忍ばせて出かけた。まず仲甫と話をし、終わったときその声をたよりに飛びかかり、ヒ首を抜いて左右に刺してまわったが、仲甫は寝床にいて笑っているばかりだったという。これは『神仙伝』にみえる話。この李仲甫の使ったという「歩訣隠形の術」の「歩訣」とは、ある決まった順序で(ふつうは北斗七星の形に)ステツプを踏む儀式。一定の儀式を経て姿を見えなくする術。神仙道の大家である葛洪も『抱朴子』の中で、「自分はたびたび鏡で月から水を取る術や、凹面鏡で太陽から火を取る術や、隠形して空中に消えてしまう術や、姿を変えて別のものになる術などを見たことがあり、すべて書物にあるとおりであった」と言っている。『柳斎志異』の中にある話。山東省、漉川県に韓家という旧家があり、そこの息子が、単という道士と知り合った。その単道士は隠形術の名手で、人と話をしている最中だろうが、一緒に歩いているときだろうが、パッと消えてしまう。息子はその術を教わりたいと何皮も頼むのだが、どうしても教えてくれない。頭にきた息子は、下男たちと組んで道士を殴ってやろうと決めた。得意の隠形術で消えられたら困るので、前もって麦うち場の地面に灰を撒いておいた。痕跡を知るためである。こうしておいたある日、道士を麦うち場に呼び出した。後ろから殴りかかると、案の定、道士は姿を消した。そこで灰の上の足跡をたよりにめちゃくちゃに殴らせた。そのうちに足跡が分からなくなったので、やっとせいせいして家に戻った。しばらくすると道士は平気な顔で戻ってきて、袖の中から酒や肴を取り出してふるまった後、壁に城の絵をかき、その門の中に消えてしまったという。これなどは最難度の隠形術。

   隠形術 2

多くの書物に残されているさまざまな隠形術。神仙関係の伝記などを見ていると、目にするのが「坐在立亡」の四文字。「坐して在り、立ちて亡し」(座っているときは居るのに、立ち上がると姿が見えない)という意味である。黄初起は『神仙伝』にある黄初平の兄。初起が弟に続いて神仙になろうと思い、山に入って修行に励んだ結果、五〇〇年にして「坐在立亡」となり、日中に歩いても影が写らなくって神仙となったという記述がある。『抱朴子』にも黄巾の乱を起こした張角をはじめ、柳根、王歌、李申などの者が「坐在立亡」の術を使って民衆を惑わせたと述べられている。さらに李仲甫も学んだ遁甲の術もある。この術は「奇門遁甲」として知られ、やはり姿を隠す術である。もっとも、この術は隠形というよりは隠遁の術。つまりいろいろなものに隠れてしまう術として知られている。隠遁術には二二種あって二二遁の術といわれる。順に挙げると一は木遁、二は火遁、三は土遁、四は金遁、五は水遁、六は人遁、七は禽遁、八は獣遁、九は虫遁、一〇は魚遁、一一は霧遁、二一は雲遁、二二は風遁である。どちらかというと、方術というよりは忍術の領域に入る。この術は隠形術としては一つ下のランク。もっと手軽にできる隠形の術は、『抱朴子』にある姿、形を消す隠形法。道教の方術の中では比較的オーソドックスなものが隠形法。オーソドックスといってもその超人的な道力は痛快そのもの。隠形法はその名のごとく、人が姿、形を隠してしまう法。『抱朴子』『神仙伝』などに、隠形法に関する記述がたくさんある。隠形したあと、変形するというケースもあり、この法のために道士たちは仙薬を飲むらしいが、その素材や配合などは不詳。小さな壷の中に身を隠してしまう例もあり隠形法のパターンは多い。例えば鄭隠先生の教えによれば、大隠符という符を一〇日の間服用すればよい。姿を消したいときには左に回り、姿を現わしたいときには右に回ればよい。玉治丸という薬をからだに塗る方法もある。また蛇昆散という薬を使う手もある。また離母草というのを懐にいれる方法もある。青龍草というのを折って使う方法もある。ただし世間で理由もなく行なうと怪しまれるだけであるから、やたらと行なうものではない。戦争にあって身が危ない時に使うぐらいのことであると断っている。

『上瀞丹景道精隠地八術経』という道教経典に書いてある隠形術の方法の実例。このとおりに行なったところで姿が消えるかどうかは定かではない。そのうえ、これを悪用すると直ちに地獄に落ちる旨の注意書きがある。八術の一は蔵形匿影の術。これは立春の日の明け方、部屋に入って東北に向いて座る。心の中で次のようにイメージする。紫の雲がむくむくと東北の方角からわき起こってきて、部屋の中にいっぱいになり、内と外の区別が分からなくなった。しばらくすると、雲は変化して九色の獣の形となる。まるでうろこの形のようなものが、目の前に在る。そこで歯を三六回ガチガチ鳴らせる。そして呪文を唱える。呪文は「元にかえって影をかえよ。かすかがやく幽かなる蘭の花に。わたしを紫のかきねで隠せ。わたしを金の城に隠せ。わたしの姿を現わさせるな。」唱え終われば、つばを九回飲み込む。目を開けば雲はサッと晴れていく。飛霊玉符という符を飲み込む。この修行を一年やれば姿はつねに空中に消えるという。道教の方術における隠形の術は、このようにあくまで身体と精神を清浄にし、宇宙の気の流れと一体化するための手段。隠形印を結ぶ事で摩利支天の加護を受け妖怪や霊からその身を隠す。

   分身術 

分身術。一人の人間の身体を、二人もしくは三人以上に分け、同時に異なった場所にそれぞれ同じ姿を現わす術が分身術。分形術ともいう。『抱朴子』「地真篇」に、この分身術について述べている。「玄一の道は、大切な法である。あらゆる災害を避けられる点では、真一と同じである。まず一〇〇日間の精進潔斎をしてから、玄一を求めるべきである。三、四日もすれば、玄一は得られる。これを守ってゆけぱ、玄一は逃げ出さない。玄一を守りつつ、わが身が分かれて三つになったと心に念じよ。三人が見えるようになれば、あとはどんどん増やしていって、数十人にも増やすことができるようになる。どれも自分の身体とまったく変わらない。これを消すにも現わすにも、それぞれ口訣がある。これがいわゆる分形術である。左慈や繭子訓、葛仙公は、この術によって、一日のうちに数十の場所に姿を現わした。座上に客がいて、一人の主人が客に応対している。それと同時に、もう一人の主人が門前で別の客を迎えている。また同時に、もう一人の主人が池で釣糸を垂れている。客はどれが本当の主人なのか、見分けがつかない。わたしの師匠は、一を守るためには、鏡の術を修めよと言われた。その鏡の術を会得すると、自分の姿を数十人に分けることができ、どれもみな衣服も顔かたちも同じである」。さらに抱朴子は言う。「師匠が言われたところによると、不老長生を願うのならぱ、つとめて大薬を服用せよ。神通力を得たけれぱ、鏡や水鏡に自分の身体を映して、身体を分けよ。身休が分かれれぱ、わが心中の三魂七塊もおのずから現われ、天地の神々に接見でき、山川の神々を自在に使うことができる」。多彩な術の使い手、左慈。左慈については、『後漢書』「方術伝」に、こんな話を伝えている。「左慈は若い頃から、不思議な術を備えていた。むかし曹操の宴会に加わっていたとき、曹操がさりげなく客に向かって言った。「今日の宴席には、珍しい御馳走はたいてい揃っている。呉国の松江の鰍魚だけが欠けている」。すると左慈は、「それなら手に入ります」と言うや、銅の水盤を所望し、竹竿でさっそく水盤の中から一匹の鰍魚を釣り上げた。曹操は手を打って大喜びし、さらに「一匹ではみんなに行き渡らない。もっと釣れないか」と言った。そこでさらに釣糸を垂れると、あっという間に、次々と三尺あまりの生きのいい見事な魚を釣り上げた。目の前でナマスにして一座の者に振る舞った。曹操はさらに言った、「魚は手に入ったが、残念なことに付け合わせの蜀の蓬だけが足りない」と。すると左慈は、「それなら手に入ります」と言う。曹操は彼が近場の物で間に合わすことを心配して言った。「わしは以前に人をやって蜀の錦を買いに行かせたが、その便者に道で出会ったら、二反買い増すように伝えよ」。話し終わらないうちに、もう生嚢を買って帰ってきた。また使者に曹操の命令を伝えておいた。後日、蜀から使者が戻ってきたが、言いつけ通り錦を買い増して帰ってきた。これは、左慈がまたたく間に魏の国と遠い呉の国との間を往復した話だが、ある意味では分身術を用いたと考えられる。今日のマジックを思わせる術も、そこに含まれている。左慈がもっとはっきり分身術を使っている話が、同じく『後漢書』「方術伝」にある。曹操が一〇〇人あまりの従者を連れて郊外に遊びに出かけた。左慈は、一升の酒と一斤の干し肉を持ってお伴した。それをみなに振る舞うと、全員酔っ払い満腹になった。曹操は怪しんで調べさせたところ、あたりの酒屋という酒屋の酒と干し肉はすべてなくなっていた。曹操は喜ばず、席上で左慈を捕まえて殺そうとした。すると左慈は、壁の中に潜り込み、所在が分からなくなってしまった。市中で彼を見つけた者が、捕まえようとすると、市中の人がみな姿を変えて、左慈とそっくりになり、誰が本人か分からなくなった。のち、ある人が陽城山の頂きで左慈に会い、また捕まえようと追いかけると、羊の群れの中に逃げ込んだ。曹操は捕まえるのを諦めて、羊の群れに向かって言った。「もう殺そうとはしない。ただお前の術を試してみただけじゃ」。すると突然一匹の老いた雄の羊が、前足の両膝を曲げ、人間のように立って言った。「さっそくここに控えております」。すぐにわっと押しかけると、数百頭の羊の群れが、みな雄の羊に姿を変えて、同じように前足の両膝を曲げ、人間のように立って言った。「さっそくここに控えております」。ついにどれを捕まえてよいのか分からなくなった。この一連の話の中には、さまざまな術が含まれている。まず、市中の人がみな左慈と同じ姿に変身したのは、左慈自身が分身したのか、市中の人達を変身させたのか、はっきりしないが、いずれにしてもこれ分身術。また、壁の中いんけいに姿を消したのは、隠形術。

   法天象地

その身に天地の気を集めて練り上げ、自分自身の体を巨大化させる術。
 術者を包み込んで術者の体として自在に動き、術者の「強さ」を威力分上昇させる。