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テーブルトークRPG(以下TRPGと略)をやっていて一番問題になるのがゲームマスターです。ゲームマスターがいないとゲームが成立しないにも関らず、なかなかやる人がいないものです。そしてゲームの内容はゲームマスターのさじ加減一つで何とでもなってしまうのです。ここではTRPGを面白いゲームにするための私なりの方法論を書きたいと思います。
なお、TRPGにおいて私は「考える」という要素を重要視しています。プレイヤーにあれこれ考えてもらってこそ面白さが出ると思っています。だから、中には自分のやりたいスタイルではなくて不満に思うプレイヤーも出ることでしょう。そういう意味でここで書いた方法論は人を選びます。それに注意して下さい。ここで書いた事は絶対ではなく、「こういう方針でやれば私は面白くなると思う」と言っているにすぎないのですから。
本書はTRPGのプレイヤーを何回かやってみてこれからゲームマスターもやってみようと思っている人、あるいはゲームマスターを何回かやってみたけどどうもうまくできないと思っている人のために書かれています。だから「TRPGって何だ?」という説明はしません。数ある他の参考書をお読み下さい。
TRPGを知らない人はいきなりゲームマスターをやる前に何度か他のゲームマスターの元でプレイヤーをやる事を強くお勧めします。どうやったらTRPGを体験できるかという事と、果たして体験できたとしてそれは本当にTRPGなのか?というのはまた難しい問題なのですがここでは触れないことにします。その手の議論は「ロールプレイ」と「なりきり」とロールプレイとは何かに書きました。
TRPGをやる時に一番最初に問題になるのが「どのゲームをやるのか?」という問題です。今までにTRPGのルールはたくさん出版されていて、どれもこれも一長一短があります[1]。ここでは、どういう観点でゲームを選んだらいいかということをお話しします。
TRPGをやる時に一番最初に問題になるのが「どのゲームをやるのか?」という問題です。今までにTRPGのルールはたくさん出版されていて、どれもこれも一長一短があります[1]。ここでは、どういう観点でゲームを選んだらいいかということをお話しします。
なお、ここで例に挙げるゲームは古いものや海外のものに片寄っていますが、これは単に私が最近の日本のゲームを知らないからです。同様に入手性についてもよくわかりません。特に海外のゲームの翻訳は既に絶版になっている可能性が多分にあります。しかしすべて有名なゲームですのでおそらく英語版なら手に入ると思われます。[2]
ほとんどのTRPGのルールブックは「ゲームシステム」と「世界設定」の二つから成り立っています。これらは同じ本に二部構成で書いてあることもあれば、別売りになっていることもあります。ゲームシステムは攻撃の判定の仕方や魔法のかけ方、種族や職業や技能などが記載されています。これは物理法則にあたるものです。それに対して世界設定には世界地図や政治体制、そしてそこに住む人々や魔物などが記載されています。これはその世界の社会的ルールにあたるものです。
ゲームによってはこの両者が切り離せないほど密接に関係していることもあります。それをここでは「専用ゲームシステム」と呼びましょう。その反対は汎用ゲームシステムです。専用ゲームシステムの例としては「クトゥルフの呼び声」や「トーグ」や「パラノイア」が、汎用ゲームシステムの例としては「D&D」や「ロールマスター」が挙げられます。
専用ゲームシステムの特徴は遊べるゲームのジャンルが限定されるということです。「クトゥルフの呼び声」では派手なドンパチは楽しめませんし、「パラノイア」で真面目なシナリオはたぶんできないでしょう。しかしジャンルに特化している分だけそのジャンルを遊ぶには適しています。「毎回特定のジャンルのゲームしかできないのは困る」という人もいるかもしれませんが、そういう人は複数のゲームを買えばいいだけの話です。
専用ゲームシステムはジャンルが特化している分そのジャンルをよく知らない人には楽しめません。一度もラブクラフトの著作を読んだことのない人が「クトゥルフの呼び声」をやっても全然楽しくないでしょう。だからそういう意味で専用ゲームシステムは人を選びます。もしあなたが決まった仲間とゲームをするつもりなら、全員にジャンルの趣味を聞いてみて、皆の好みではないジャンルのものは避けるべきです。
「世界設定がついてくるならば専用システム」というわけではない事に注意して下さい。ある特定の世界設定でしか遊べないのが専用システムです。例えば「ソードワールド」はフォーセリアを舞台にしてはいますが、職業やダメージの計算の仕方などはフォーセリアでなくても通用します。しかし「パラノイア」の場合、その独特の社会制度のもとでなければルールのほとんどが意味をなさなくなってしまいます。だから「ソードワールド」は汎用で「パラノイア」は専用システムなわけです。
汎用ゲームシステムの場合には、同じ本に世界設定が書いてあることもあれば別売になっていることもあります。たとえ別売になっていても世界設定は必須ですので必ず買いましょう。どの世界にするか迷ったらそのシステムで一番メジャーなものにしましょう。
私は初めての人には汎用ゲームシステムをお勧めします。なぜならプレイヤーを選ばないし、いろんなタイプの話をやってみることができるからです。そうやってやり方をマスターした後で専用ゲームシステムをやってみることをお勧めします。
プレイヤーキャラクター(PC)が一般人とはかけはなれた能力の持ち主であるものはヒーロー指向、そうでないものはリアル指向です。これはゲームシステムで決まるものです。
リアル指向のゲームでは、新しく作ったキャラクタは冒険者を目指すどこにでもいる普通の人間です。だからレベル1のキャラクタは人より頭が良かったり筋力が強かったりするかもしれないけれど普通の若者です。そして様々な冒険をするに従って成長して、経験を積んだ大人になっていくのです。
リアル指向が顕著な例としてRoleMasterが挙げられます。このゲームでは鍛冶屋や八百屋のおじさんでもだいたい5レベルくらいあります。つまり作ったばかりのキャラクタは街の八百屋のおじさんよりもレベルが低いのです。ある意味当然の事ではありますが、プレイヤーは「冒険者」という言葉が持つイメージとのギャップを感じるかもしれません。
ヒーロー指向のゲームではプレイヤーキャラクターは最初から特殊能力を持つ人です。そうしたプレイヤーキャラクターには一般人では歯が立たないので、敵も同じ立場のヒーローになります。そうしたヒーロー同士のある意味常識を超越した派手な闘いを楽しむのがヒーロー指向のゲームです。PC達を呼ぶ特別の呼称(ストームナイトとかゴーストハンターとか)がある場合はほとんどがヒーロー指向です。
リアル指向の場合、PC達は常に死の危険にさらされます。極端な話、八百屋のおじさんと喧嘩になっただけでも当たりどころが悪かったら死んでしまう可能性があるのです。それに対してヒーロー指向の場合は一般人やレベルの低い敵に攻撃されても死ぬ危険はありません。結果としてリアル指向では行動が慎重に、ヒーロー指向では行動が大胆になります。例えば敵のボスを暗殺する指令が下ったとしましょう。この時、敵のアジトに変装して潜入しボスを狙撃して急いで逃げ去るのがリアル指向で、大量の武器弾薬を準備して正門から乗り込むのがヒーロー指向です。後者はよく「ハリウッド映画的」と称されます。
私は最初はリアル指向のゲームをお勧めします。ヒーロー指向のゲームの場合はかけ引きが難しく、結局力押しの解決になってしまいがちだからです。ハリウッド的アクション映画からSFXの派手な映像を取り去ったところを想像してみて下さい。TRPGには派手な映像はないのですから。
TPRGのルールブックを補完する役割をする本は一般に「サプリメント」と呼ばれます。それは世界設定であったり、その世界の歴史が解説されていたり、紳士録だったりモンスター事典だったりします。どのゲームにしようかか迷ったらサプリメントがたくさん出ているゲームシステムにして下さい。これがまず間違いない選択方法です。
特に「シナリオ集」がたくさん出ていると非常に助かります。自分でシナリオを作ることなく遊べるからです。それにサプリメントがたくさん出ているということは人気があり出版社も力を入れているゲームだということになります。だからそれを買って損することは少ないでしょう。
あなたがお金がを持っていてどう使うか迷ったなら、ゲームシステムをたくさん買う代わりに一つのゲームのサプリメントをたくさん買いましょう。そうやって一つの世界に詳しくなればだんだんゲームマスターが楽になってきます。
さて、少し余談になりますが自作ゲームシステムについてここで述べておきましょう。
「ゲームシステムを自作したい」というのは、ゲームマスターならだれでも多少なりとも思う事ではないでしょうか?しかしこれはお勧めしません。無駄な労力だからです。自作システムが市販のものより出来がいい事はまずありません。そういった出来の悪いシステムにつき合わされるプレイヤーの身になってみて下さい。
ゲームシステムを自作しようと思いたったら、まず「なぜ自作するのか?」を考えてみて下さい。ほとんどの場合、既存の汎用システムのどれかを使えば事足りる理由のはずです[3]。ほとんどの場合「TRPGで○○の世界をやりたい」という要求だと思いますが、その時はゲームシステムではなく世界設定を付け足せばいいだけのはずです。
ゲームシステムは存在しさえすれば多少どうであっても困らない存在です。剣で切りつける時に6面体を振るか20面体を振るかなんて、どっちであっても困らない問題でしょう?だったらそんな無駄な事に労力を費さないで世界設定やシナリオを練りましょう。その方がずっと面白いゲームになります。
結局のところ、私がお勧めするのはリアル指向の汎用ゲームシステムです。この条件に当てはまるものは「D&D」「RoleMaster」「トラベラー」あるいは日本のものでは「ソードワールド」など、超定番ものにおさまります。[4]宇宙ものがやりたいというならトラベラーしか選択肢がありませんが、そうでない人は入手性や値段などを見て考えればいいでしょう。その他はいわゆる中世ファンタジー世界ものです。
[1] 一短しかないのもありますが
[2] どっちにしろ、英語だからと尻込みしていてはよいRPGはプレイできないのではないかと思います。あちらの方が本場ですから。
[3] 買うお金がないというんだったら仕方がありませんが。
[4] ガープスもこの条件に当てはまるかと思いますが、よく知らないのでコメントはさし控えます。
さて、ゲームシステムが決まったら次はどの世界を冒険するかについて考えます。ただ、多くの場合ゲームシステムを選んだ段階で一意に決まってしまうでしょう。ここでは世界設定についての注意点について述べます。
さて、世界設定とは何でしょう。TRPGを買えば「ワールドガイド」というような名前の章があり、そこには大陸の地図や王国や街の様子などが書かれています。つまりはその世界はどういう所なのかが書いてあるのが世界設定です。ここに書いてある世界をPC達は冒険するわけです。
TRPGにおいてはゲームシステムも世界設定も同じ「ルール」です。ゲームシステムに書かれたルールは地球上どこでも(たまに地球でなかったりもしますが)同じように通用するのに対して、世界設定はそうではないというだけです。そしてその目的も同じで、PC達の行動に対する結果を示すものです。「剣で切りつけた。ダメージは?」という時にはゲームシステムを参照し、「酒場で隣の男に声をかけた。どういう反応をする?」という時には世界設定を参照するのです。
世界設定というと往々にして世界地図や大陸といったマクロ面が注目されますが、街の地図やそこに住む人々といったミクロな面もまた重要です。大陸をまたにかけた冒険の旅であればマクロ面が重要ですし、街の中だけで完結するような話では大陸の地図なんかより街の人々の方が重要です。
ゲームマスターはゲームシステムと世界設定の二つを基にしてPC達の行うすべての行為の判定をしなくてはなりません。例えPCがどんな突拍子のない行動をしてもです。これは難しい作業にも思えますが、実際のところはその世界の常識がわかっていればそんなに困難な作業ではありません。「この世界でこんな事をしたらいったいどうなるだろう?」と想像してみて下さい。そしてその程度や確率など数値的な面をゲームシステムや世界設定で補って下さい。結局のところ、それがゲームマスターがゲーム中にするすべてです。
世界設定は結局のところ「その世界の常識」です。そして、常識というのは往々にして各人で食い違っているものです。それがゲームマスターとプレイヤーの間でトラブルを生じさせます。
例えば「中世ヨーロッパ」のイメージ自体が人によって違うでしょう。ある人は立派な城に住まうきらびやかな騎士などが活躍した栄光の時代を思い浮かべるかもしれませんが、実際には「暗黒時代」とも称されるように、当時最先端だったアラビアや中国に比べてずっと科学的文化的に遅れた地域だったのです。「中世ヨーロッパ的ファンタジー世界」をやる時に、「立派な城と騎士」のイメージを持っている人と「暗黒時代」のイメージを持っている人とでは当然様々な面で食い違いが出てきます。
こういう事を無くし、ゲームの対象となる世界について皆同じ認識を持ってもらうのが世界設定の役割です。世界設定はゲームマスターの頭の中にあるだけではだめで、プレイヤー全員の頭の中にも同じものがないといけません。
この点で小説を基にした世界設定は有利です。この問題を「小説を読んでね」で解決することができるからです。そしてその小説が面白ければゲームの楽しみも増します。だからできるだけ小説を基にした世界でゲームをすることをお勧めします。ただその場合は小説が既に完結しているものがいいでしょう。自分達のプレイと矛盾する内容の事が小説の最新刊に書かれると困りますから。
ここで一つ注意しておきましょう。自分で世界設定を作ろうとしてはいけません。これは素人には手に負えない大事業だからです。ルールに付属のものを使うか別売のサプリメントを買うようにしましょう。少なくとも既存の小説から設定を借りてくるようにしましょう。
ファンタジー小説などを読んでいると、自分もこうした異世界を構築したいと思う人もいるでしょう。自分で独自の世界でのファンタジー小説を書いた事がある人もいるかもしれません。しかし、小説ですらこうした試みは大変な仕事ですが、TRPGではさらに大変なのです。
理由は簡単です。小説と違って「都合の悪い事には触れない」ということができないからです。その世界についてプレイヤーから何を聞かれてもちゃんと答えられるようでないといけませんし、それに矛盾があってはいけないのです。これがどのくらい大変な事なのかわからない人は「指輪物語」の追補編を見てみて下さい。これだけ膨大な設定が必要なのです(そしてこれはほんの一部なのです)。あなたにはそれをする自信がありますか?
そして世界設定を自作してはいけない一番の理由は、それが無駄な努力であるという事です。ゲームマスターが創造力をはたらかせるべきなのは世界設定ではなくシナリオなのです。
ほとんどの世界設定では、その世界の年表や主な王国の歴代の王様などが書かれています。ここで一つ疑問に思うことがあります。「PC達が歴史を書き換えるような大事業を成し遂げたらどうするのだろう?」と[5]。例えばPC達が悪の帝国を倒して統一王国の王様になってしまったら、年表に書いてあるような出来事は起こらなくなってしまいます。この問題は特に小説の世界を借りてきた世界設定で起きます。その世界においては、世界を救ったヒーローはPC達ではなく小説の主人公なのですから[6]。
これに対しては2通りの解答があります。一つ目の答えは「そんな大それたシナリオは作らないようにしよう」というものですがそれはおいといて、二つ目の解答は「自分の都合がいいように手直ししてかまわない」というものです。この世界はあなたの世界なのですからあなたが好きなように手直しすればいいのです。もし小説を読んだプレイヤーが文句を言ったら「パラレルワールドです」と言えばいいだけの話です。
TRPGは小説の世界をなぞるのが目的なのではなく、小説の世界を使うと便利だから借りてきたというだけなのです。だから自分の使い易いように変えてしまってかまわないのです。
世界設定はゲームシステムと並んで、ある意味ではゲームシステムより重要な要素です。なぜならゲームシステムはその場で「サイコロを2個振って○○以上が出たら成功にしよう」と勝手に決められるのに対し、王国の政治体制や街の地図をとっさに用意するのはとてもできないからです。
世界設定はそういう意味で非常に重要ですからできるだけ既成のものを買ってきましょう。「自分だけのオリジナル世界」というのは魅力的ですがその労力は報われません。一から作る代わりに既製品をあちこち改造しましょう。それが言うなれば「自分だけのオリジナル世界」なのです。
[5] これは多くの人が世界設定を自作したがる理由でもあります。自分で一から年表を作ってしまえばこういった問題も起きませんから。
[6] 例えば「指輪物語」ではPC達がサウロンを葬るようなシナリオはできないわけです。この世界でサウロンを葬るのは例の旅の仲間なのですから。
さて、ゲームシステムと世界設定と来たら次はプレイについて話をしましょう。「あれ?次はシナリオでは?」と疑問に思うかもしれませんが、シナリオは既成のものを買ってきて下さい。自分でシナリオを作るのは既成シナリオでうまくマスターができるようになってからで十分です。ここではゲームマスターがプレイ中に使えるワザをトピック的に述べることにします。
プレイ中にゲームマスターがすることは単純です。プレイヤーの行動宣言を聞いて、「その結果どうなったか」を決めるというものです。「熊に向かって剣を振った。どうなった?」とか「酒場で見知らぬ老人に酒をおごってやった。どうなった?」とか「屋敷の二階の開いている窓から侵入しようとした。どうなった?」といったようにです。
その時プレイヤーを含めて周りがどんな状況にあるかという事はシナリオに書いてあります。どんな状況にあるのかが把握できていれば、PCがある行動をした場合にどんな結果になりそうかはすぐ予想がつくでしょう。剣を振ったら熊に当たるか空振りになるか勢い余って剣が手からすっぽ抜けるかのどれかだろうし、屋敷の窓から侵入しようとしたら音もなく侵入できるかガチャンと音を立てて住人に気づかれるかのどちらかでしょう。結果がどうなりそうかが予測できたら、次にいくつかの可能性があるうちのどれが起こったのかを判定をします。
判定の仕方はルールブックやシナリオに書いてあります。剣を振った場合はどうやって判定するか、窓からこっそり侵入した時はどうやって判定するか、などです。ルールブックの該当する項目を探してその指示に従いましょう。もし「老人に酒をおごってやるとどうなるか?」というように判定の仕方がルールブックに書いてなかった場合には、似た判定(「好感度チェック」のように)を流用してアドリブで判定ルールを作ってください。
NPCとの会話の内容など、ダイスで判定するのではない場合もあります。この場合は「このNPCはこんな事を言われたらどう対応するだろうか」と考えてみて下さい。そして判断に迷ったらいくつかの候補の中からダイスを振って決めて下さい。
世間では「ゲームマスターは難しい」と思われています。確かにプレイヤーより難しいのは確かですが、その難しさのほとんどは「シナリオを自作しなくてはならない」というところから来るものです。そしてシナリオは本当は自作しなくても買ってこればすむものなのです。隅々まできちんと書かれた「本物の」シナリオを買ってきてそれでゲームマスターをやれば、これがそんなに難しくない作業だということがわかるでしょう。
あなたがよっぽど頭の回転が速いのでない限り、ゲームを始める前にプレイヤーの中から「ゲームマスター補佐」を任命して下さい。ルールに熟知した慣れたプレイヤーが望ましいです。
補佐の役はルールブックを読んで判定する役です。「あれ?それはゲームマスターの役割じゃないの?」という人がいるかもしれません。本当はそうです。しかしゲームマスターはただでさえ忙しいのですから暇そうなプレイヤーに仕事を一部任せてしまいましょう。
例えばあるキャラクターが壁を飛び越えようとしたとしましょう。この時はプレイヤーがダイスを振って出た目を言い、あなたがルールブックのチャートを引いて成功したかどうかを告げるのが本来のやり方です。しかしその代わりにこう言うのです。「この壁は1.5mで難易度は+10だよ。さあ、判定して。」これでチャートを探して判定する仕事はプレイヤーがやってくれることになります。
もし必要なチャートがゲームマスター用のルールに書いてあっても、それを見せてしまってかまいません。プレイヤーがゲームマスター用のルールを知っていたところで、それはプレイの助けにはなっても妨げになることはありません。「敵モンスターの強さがわかってしまうと困るんじゃないか?」と思う人がいるかもしれませんが、ルールブックに書いてあるモンスターをそのまま出すから悪いのであって、少々ステータスをいじってアレンジすればいいのです。それに経験のあるプレイヤーならたいていのTRPGのゲームマスターセクションは読んだことがあるものです。
やってみればわかると思いますが、ゲームマスターがとても忙しいのに対して、プレイヤーは案外暇で放っておくと雑談や居眠りを始めます。そうならないためにも仕事はできるだけプレイヤーにやってもらいましょう。
ゲーム中にわからない事やどうしようか迷う事があったら遠慮なくプレイヤーと相談しましょう。「うーん、幅跳びで5mの溝を越えるのってどのくらいの難易度だと思う?」といったようにです。こうやって一般的な事実をどう処理するかを相談してもゲーム上の支障は全くありません。もしかしたら自分の都合のいい意見を主張するプレイヤーもいるかもしれませんが、その時は自分の常識も加味して自分で判断すればいいだけの話です。
逆に、プレイヤーの抗議も素直に受け入れましょう。例えば「幅跳びで5mの溝か……成功確率10%でロールしてみて」とゲームマスターが言ったとき、「おいおい、5mと言えば中学生でも陸上部員なら跳べる距離だぞ。そんなに低いわけはないだろう。」とプレイヤーの誰かが言うかもしれません。もし「中学生でも5mくらい跳べる」というのが本当だったとしたら、身のこなしの軽いシーフだったら当然跳べてもよさそうな距離です。他人の意見を聞いてこの成功確率はやっぱり間違いだと思ったなら、ためらわずに訂正して下さい。全員が納得できる判定をすることができます。
判断に迷う事を素直にプレイヤーに相談することで、ゲームマスターの孤独感や重圧を柔らげることができます。判定に困ったら「この場合どう判定したらいいと思う?」、NPCのリアクションに困ったら「こんな場合どうリアクションすると思う?」と聞いてみましょう。そしてプレイヤーの意見をもとに自分で判断して下さい。もちろんプレイヤーの意見をそのまま受け入れなければならないわけではありません。
上の話はルールが書いてなくて自分で判定をしなければいけない場面ですが、逆にルールのせいで困るという場面もあります。例えば多くのゲームでは疲れの影響をルール化していません。ルールに書いていなければ、千匹のオークを相手に何十時間と戦っていられるのでしょうか?
ちゃんとしたルールにはかっこ書きで「その他ボーナス/ペナルティはGM判断で加える」と書いてあるはずです。ルールを杓子定規に適用した結果があまりにも非常識だったら、GM判断でボーナスやペナルティを加えてください。これはルールを無視することではありません。
そもそもルールとは何のためにあるのでしょう?ルールはGMの判定を手助けするためにあります。「剣のダメージはいくつにしよう」「走る速度はいくつにしよう」といちいちGMが判定に迷わなくてもいいようにするためのものです。たまに「ルールに書いてある事と違う」と抗議するプレイヤーもいますが、絶対なのはルールではなく世界法則です。「この世界でこんな事をしたらこうなるだろう」というのが世界法則であり、これを判定するのがGMの役割です。ルールはこれを手助けしているだけなのです。
ルールの欠陥をついた行動はGM裁量でペナルティやボーナスを加えることで防ぐことができます。本当は「ルールの欠陥」という言葉は正しくありません。ルールはある典型的な状況で判定を簡単にするための情報でしかないのですから。ルールがそのまま適用できない状況だってたくさんあるのです。
普通はゲームマスターがダイスを振る時は出た目がプレイヤーにわからないように隠して振ります。それに対してプレイヤーに見えるようにダイスを振るのを通称オープンダイスと言います。結論から言うと一部の例外を除いてオープンダイスをお勧めします。
オープンダイスの欠点は、出た目がプレイヤーに見えることで成功率がだいたいわかってしまうことです。例えば2d6で10が出たのに敵の攻撃が命中しなければ、プレイヤー達は敵の攻撃はほとんど当たらないと判断できてしまうことになります。しかし、相手の一撃が当たらなかった時、それがきわどくかわしたのかそれとも余裕でかわしたのかは現実ならだいたいわかるでしょう。つまりダイスの目を見せることはより現実に近づけることでもあります。どうしてもダイスの目を知られると困る場合だけ隠せばいいのです。そして経験上そんな場合は多くありません。
オープンダイスの欠点の一つとして、敵側のクリティカルヒットのような都合の悪い目が出ると困るというのを挙げる人もいます。しかしそれは間違っています。PCが死んでしまうような目を振ってしまったからといってそれを無視するのは立派なイカサマであり、そんなイカサマばかりしたら何のためにダイスを振っているのだかわからなくなってしまいます。どんな理由であれゲームでイカサマはするべきではありません。
逆にオープンダイスにする利点としてゲームマスターの負担が減るという事が挙げられます。判定をプレイヤーにやってもらうのです。例えば戦闘の時には敵の攻撃ボーナスと防御ボーナスもオープンにしてしまうのです。そうすればあなたはダイスを振ってHPをメモするだけですみます。あなたは敵全員を一手に引き受けなければならないのでその仕事は大変なはずですから、できるだけ仕事は他の人にやってもらいましょう。
あまりにもそれはあからさま過ぎると思ったら、攻撃の時にはダイスだけ振って「攻撃ボーナスがいくつ以上だったら当たりをか教えて」とプレイヤーに逆算してもらいましょう。そうすれば自分は数字の比較だけで済みます。そしてそのうちだんだんと明らかな当たり/外れが多くなり判定の手間が減ってきます。現実にあてはめてみると、戦っているうちにだんだん敵の強さの見当がついてきたということに相当します。妥当な線ではないでしょうか?
初心者が対応を間違えやすいのが探し物についてのルールです。例えば部屋に何か手がかりになるものがないかどうか探す、といった場合です。シナリオに例えば「たんすの裏に鍵が落ちている。見つかる確率は50%」と書いてあったとして、どう判定すればいいのでしょう?
部屋の探し方には2通りあります。何を探すのかを指定するやり方とどこを探すのかを指定するやり方です。「漠然と何かないかを探す」という行動宣言を見かけることがありますが、実際問題としてこんないい加減なやり方で隠された物品が見つかってしまっては面白味が半減します。だからここでは考えないこととします。
探し物をする時はできるだけ探す対象物をはっきりしてもらいましょう。部屋に何かが落ちているとしたらどういうものがありそうなのかをプレイヤーに考えてもらうわけです。ここで「鍵が落ちていないかどうか探す」とプレイヤーが宣言した時、ダイスを振って50%の確率で見つかるようにすればいいわけです。
対象物を指定するやり方に比べて、場所を指定して探すやり方には欠点があります。それはゲームマスターが場面を描写する時に探すべき場所がバレてしまうというものです。ゲームマスターが「この部屋には机と本棚が並んでいてその隣にベッドがあるよ」と部屋を描写したら、この部屋に何かがあるとしたら机と本棚とベッドのうちのどこかにあることになります。プレイヤーはきっと「机」と「本棚」と「ベッド」を探すと言い出すでしょう。その結果隠された物品が唐突に発見できてしまうことになります。これはちょっと変ではありませんか?かといって、いきなり「鍵は実は本棚の横に無造作に置いてあるかばんの中にありました」というのも変です。やはり場所を指定して探すというやり方自体に問題があります。
というわけで、探し物をする場合にはまず何を探すのか宣言してもらい、その上でもし指定したいのなら「どこを探すか」を宣言してもらいましょう。そして探す対象物が当たった場合には指定の確率で判定を行い、探す場所も当たったら確率を上げて下さい。つまり「鍵を探す」という宣言なら50%で判定を行い、「鍵は普通たんすの裏なんかに落ちてるものじゃないかなー。そう思ってたんすの裏で鍵を探します」と宣言なら成功率を80%くらいにする、というものです。
見つかったかどうかを判定するダイスをオープンで振るかクローズで振るかというのはまた問題です。オープンで振って高い目が出たのに見つからなかった場合、ここには鍵はないに違いないとプレイヤーは判断できてしまうからです[7]。しかし、これについてはある意味それでいいと言えるかもしれません。高い目が出たということは、PCが効率よくしらみ潰しに探すことができた事を意味します。徹底的に調べたということはPCにはなんとなくわかるはずです。
プレイヤーが探し物をする場合には、必ず回数制限をつけるか不利な条件をつけましょう。例えば「探し物1つにつき10分かかる。1時間経って何もなかったらPCはあきらめるよ」といったようにです。プレイヤーは落ちている物の推測を6回言えるわけです。最初に条件を明言するのがミソです。そうするとプレイヤーは何を探せばいいのかを優先順位をつけて考えることができるからです。探すことによるデメリットがないと、プレイヤーは何かが見つかるまで当てずっぽうでどんどん品物の名前を言い続けるでしょう。
探し物が見つからなかった場合、単に「見つからなかった」と言うのもいいですが、シナリオとは関係のないダミーの物品を出すのもいいでしょう。「折れたペンが見つかった」「エイミーという名前が書かれたメモが見つかった」といったようにです。そうするとプレイヤーを一層困惑させる事ができます。その際、ダミーの物だからといってにやにや顔でいてはいけません。できるだけ思わせぶりに。
最近のコンピュータRPGに慣れた人によく考えて欲しいのが、プレイヤー側が負ける条件の問題です。プレイヤー側の勝利というのはつまりボスを倒したり依頼を達成したりすることですが、ではプレイヤー側の敗北というのは何でしょう?本来のRPGでは全滅=ゲームオーバーですが、PCが全滅しても教会かどこかからゾンビのように復活するようなゲームもあります。
とにかく、ゲームオーバーの条件をきっちりと決めて下さい。PCが一人でも死んだら負けとか、あるいは制限時間以内に依頼が達成できなければ負けとか。その条件はゲームの開始前に明確にプレイヤーに告げ、そしてもしゲーム中にその条件が満たされてしまったらきっぱりとプレイヤー側の負けを宣言しそこでゲームを終了させましょう。例えシナリオが途中であっても。
ゲームオーバーの定義をきちんとしないと、プレイヤーは勝つまで延々とプレイを続けます。そして「時間を費やしさえすれば誰でも勝てる」という結果になってしまいます。これでは勝利のありがたみも薄れてしまうでしょう。負けるかもしれない戦いに勝つからこそ意味があるのです。誰でも勝てるような戦いをやる意味なんてあるでしょうか?
PC達があちらの戦いで負け、こちらのイベントでどじを踏み……とミスを繰り返していくと、そのうちPC達が八方ふさがりの状況に追い込まれてしまうことがあります。「もはや打つ手がない」という状況です。この状態になるとプレイヤーは意気消沈し、ゲームへの興味が急速に薄れてきてしまいます。そしてこんな状況に陥るとゲームマスターはどうしていいのかわからなくなってしまいます。
この状態は、他のゲームで言えばもう勝つ見込みのない状態に相当します。将棋でいえば飛車も角も相手に取られてしまった状態、シューティングゲームで言えば難しい面で死んでしまってパワーアップが全部なくなってしまった状態、大戦略で言えば戦車ユニットが破壊され、敵に周りを取り囲まれてしまった状態です。普通のゲームならこんな状態になったらプレイヤーは投了します。しかしなぜかTRPGだけは「ゲームマスターがなんとかしてくれる」と思ってしまい、そして実際になんとかしてしまうマスターが多いのです。TRPGだけを例外にしてはいけません。
こんな場合になってしまったら、ゲームオーバーを宣言してゲームはそこで終わりにすべきです。ただ突然敗北を通告をするのはいくらなんでも唐突ですから、事前に「こういう場面になってしまったらプレイヤーの敗北でゲームは終わり」と明確に宣言しておきましょう。「○○の時までに事件を解決できなかったら終了」と時間制限を設けておくのが一番わかりやすいゲームオーバーの条件です。
一番大事な事は、「負け」があることをプレイヤーに自覚してもらうことと、プレイヤーを負かすのを恐れないことです。そして、プレイヤーが負けたらそこでゲームは終わりにしましょう。
「ゲームオーバー」というとすぐ思いつくのが「PCが死亡する」という事態です。まず、上で言ったように「PCが死亡しない」というのはあってはならないことだということを繰り返し述べておきます。プレイヤーが致命的なミスを犯したらPCは死ぬのです。ゴブリンの会心の一撃を受けたらPCは死ぬのです。PCが死なないのだったら戦闘なんてやる意味がありません。
ただここで一つ問題があります。運が悪ければPCはすぐ死んでしまうということです。せっかくやる気まんまんで始めたのに、開始そうそう洞窟コウモリのクリティカルヒットで死んでしまってはい終わりでは不満に思うのは当然のことです。ましてや全滅してしまったらどうしましょう?
もし全滅してしまったのが開始直後なら、前回のプレイは忘れてやり直すという手もあります。中盤で死んでしまったのならそこで終わって別のゲームをやるという選択肢もあります。もちろん終盤だったら「残念だったね」で終わるという手もあります。
こうした問題は別にTRPGに限った事ではありません。将棋だってうまい人同士なら時間がかかるけど力の差がありすぎるとすぐ勝負がついてしまいます。重量級と呼ばれるボードゲーム(Titanなど)でもゲーム後すぐに滅ぼされて勝負がついてしまったりします。こうしたゲームではどんなに早く勝負がついてもそのゲームは終わりにして次のゲームをやります。TRPGも例外ではありません。早く終わってしまって時間が余ったら次のゲームをやればいいのです。
ゲームマスターによっては全滅しても何らかの助け舟を用意する場合もあります。例えば味方の騎士団が助けに来てくれた、というようにです。しかしこれを多用すると「PCが全滅してもきっとゲームマスターがなんとかしてくれる」というプレイヤーの甘えにつながります。もしこれをやるとしたら少なくとも特別措置であることを強く主張して下さい。
もしかしたらこの特別措置の回数を規定したくなるかもしれません。例えば「1回だけは騎士団が助けに来てくれる」とか。しかしこれを明言してしまうと、プレイヤーはこれを前提として行動してしまいます。「どうせ1回は騎士団が助けに来てくれるからいいや」と無謀な敵陣突入を始めてしまうかもしれません。だから特別措置は無いことを前提にして、どうしても困る場合だけつけて下さい。あくまで「特別」なのですから。
全滅ではなく死んだ人が一部だけだったとしたら3つの選択肢があります。「ゲームから抜けてもらう」「キャラクターを作り直す」「死んだ人を復活させる」という3つです。本当は一番目の選択肢が推奨なのですが、これは場の事情によってできない場合がありますので、その場合は作り直しか復活かのどちらかになります。この場合はゲーム進行上の大きなデメリットを与えて下さい。例えば時間制限があるならPCの死亡のために何日かが過ぎたことにします。これによって任務の達成はより困難になるのです。
「1人でもPCが死んだら任務は失敗とする」という条件を付ける方法も考えられます。一人だけ死ぬとその人だけする事がなくなったりキャラを作る必要が出てくるという問題が生じるので、いっそのことゲーム自体を終了させてしまおうという考え方です。仲間の死に対して連帯責任を負わせるという意味ではこの方法もアリでしょう。
PCが死んだらそこで(少なくともそのPCを担当している)プレイヤーはゲームから脱落させるのが理想ですが、そうは言っていられない事情もありますので、そういう場合にはPC全体に大きなペナルティを与えて下さい。安易に助けてはいけません。
今までに何度か例に出しましたが、ゲームに時間制限を設けるというのはいい方法です。これはゲーム中の時間であることもありますし現実のプレイ時間のこともあります。
任務に時間制限を設けないと緊張感がなくなります。例えば戦闘の途中で傷ついたらすぐ撤退して休息する、なんていうやる気のないサラリーマンのようなPCになってしまいます。時間制限があればそういうのんびりした事をやってはいられず、きちんと戦略を練らなくてはならなくなります。だから時間制限をつけましょう。
時間制限をつけた場合はすべてのペナルティを時間に置き換えてもいいでしょう。PCが死亡した場合は復活させるのに○日、王様を怒らせた場合は次に会ってくれるまでに○日、といったようにです。そしてゲームオーバーの条件はただ一つ「○日経って事件が解決できなかったらプレイヤーの負け」とするのです。こうするとプレイヤー達は今どのくらいまずい状況にあるのかがすぐわかります。
こうやってすべてのペナルティを時間に置き換えると一ついいことがあります。突然のゲームオーバーがなくなることです。少なくとも制限時間になるまではゲームが続きます。プレイヤーがよっぽどヘマばかりするのでない限り、「ゲームをした」と思えるだけの時間はプレイできるでしょう。そしてプレイヤー達も条件が最初からわかっているだけに納得がいきます。
ゲームをやってみるとゲーム内の時間と実時間はひどくアンバランスな事に気がつくはずです。戦闘中ではゲーム内で1ラウンド(多くのゲームでは10秒)の処理をするのに何分もかかったりしますし、逆に何事もなくゲーム内時間の一ヶ月が一瞬で過ぎてしまうこともあります。こうしたプレイ時間とゲーム内時間の極端なアンバランスさが時としてトラブルのもとになることがあります。
ゲーム内時間に比べて実時間の方が長くなる例として、一瞬のうちに決断を迫られる緊迫した場面が挙げられます。「建物の陰に隠れて様子をうかがっていたら敵に見つかった! どうする!?」といった場合です。ここで一目散に逃げ出すか剣を抜いて踊りかかるかは重要な決断です。こんな時にプレイヤー全員であれこれ議論を始めてしまうことがあります。本来であればあれこれ考えている暇なんてないはずなのですが。
私はこうした議論はある程度大目に見ていいと思います。なんてったってゲームなのですから。こうした決断を考えるのがRPGの醍醐味なのです。だからPCは一瞬のうちに判断を迫られたはずだからというだけの理由でいたずらに急がせる事は避けるべきです。しかし重要な決断になればなるほど議論は単なる時間のばしになってしまいがちです。「下手の考え休むに似たり」で単にどっちにするかを決めかねているという状況になってしまうと、時間ばかりが過ぎて皆いやになってしまいます。
こういった場合にはあらかじめ考慮時間を決めておくとよいでしょう。例えば1ラウンドの行動を決めるのに使える実時間は最大2分、といったようにです。ゲーム内時間に比例してではなく一つの決断に対して使える実時間を決めておくというのもいいでしょう。一つの決断にあまり時間をかけすぎるとゲームがだれてきてしまいますから。しかしこの場合は切羽詰まった状況でない時に時間をとってあれこれプレイヤー間で論議する事を許可すべきでしょう。
逆に、ゲーム内時間の方が長くなってしまってトラブルを引き起こすこともあります。例えば「PCは10年間苦役につきました」といったように、プレイヤーは宣言するだけでPCに何をさせることもできてしまうからです。月や年単位の長い時間を一言の宣言で終わらせてしまうと、その間の年月の重みというものが感じられなくなってしまいます。
結論を言うと、プレイ中に長いスパンの時間の経過があってはいけません。月単位のゲーム内時間の経過は前の冒険が終わってから次の冒険が始まる前に済ませてください。いったん冒険が始まったらゲーム内時間での一日一日を大切にしなくてはいけません。一言で済ませられる時間の経過は長くて一日でしょう。
[7] クローズで振るデメリットは、ゲームマスターが面倒だという事です。そして実際のところ、一人一人スキルボーナスを聞いてダイスを振って判定して……というのは非常に面倒ですからできれば避けたいところです。
固いタイトルをつけましたが内容も重いです。ここでは、TRPGにおける倫理面の問題について話したいと思います。倫理面とは要するに「人を殺していいのか?」とか「正義のための戦争はあるのか?」といった事です。TRPGのほとんどはこういった問題を抱えているのに、皆無視して済ませているようです。
こうした問題について、この際だからちょっと考えてみましょう。
コンピュータRPGに慣れてしまっていると、敵を見ると剣で殴りつけたくのもわかります。しかし本当に殴ってしまっていいのでしょうか?あるいは敵の一人を捕まえて情報を聞き出そうとしたとします。拷問しますか?そしてその後は?生かしておくと厄介ですよ。
ここでプレイヤー間で意見の相違が出ます。「生かしておいて我々の得になることはない。殺してしまえ。」という意見と「いや、やっぱり人殺しはいけない」という意見です。後者の意見に肩入れしたい心情にはなりますが、キャラクターが一番有利になる行動は前者なのです。だから純粋にゲームとして見ると敵は殺してしまう方がいいのです。そこがどうも気になる「倫理面の問題」です。
一貫性がないのがもっと問題です。コンピュータRPGだと、ムービーの出る所では敵の誰かさんに情けをかけるのに、フィールドで遭遇したなんとかナイトを情け容赦なくぼこぼこに殴りつけるような例がいくつもあります。戦闘それ自体が非人道的ともいえる行為ですから、TRPGはまさに非人道的行いの宝庫といえましょう。「ゲームなんだから細かいことは気にしない」で済ませてしまう人が多いですが、この矛盾はそこかしこで問題になります。ちゃんと考えておくべきです。
「非人道的な行いはするな」と言いたいのではありません。このゲームではどこからがやってはいけない事なのかをはっきりさせておく必要があるということです。以下にいくつかのプランを挙げますから、自分たちのやる世界はどれに当てはまるのかをはっきりさせておきましょう。
なお、ここでいう倫理観は多少の例外はありますが世界全体に通用する事柄です。つまり、PC達も街の人達も敵もほぼ同様に考えているということです。もしPC達が敵を殺すのに少しも抵抗を感じないとしたら、同様に敵もPC達を殺すのに少しも抵抗を感じないでしょう。
「自分の目的のためなら人殺しなど何とも思わない」というのが悪党の倫理観です。最もダーティーな倫理観と言えるでしょう。現実世界ではあまり適用して欲しくはないですが、ゲームの世界ならこれもOKです。
ただ、こうした倫理観を持っている場合はPC達は民衆に好かれるヒーローではなく、逆に民衆に嫌われる存在になります。PC達がどんな崇高な目的を持って邪悪な組織と戦っていようと街の人からは悪党たちの内部抗争に見えます。PC達は歴史の表舞台に立つことはできないでしょう。
注意して欲しいのは、この倫理観を適用するなら敵側もNPCもまたそう思っているということです。PCがNPCを見殺しにしたり自分の都合で殺したりする事が許される代わりに、NPC側も自分の利益のためにPCを平気で殺そうとします。つまりPCが不条理に突然死する事が増えるということです。
もちろん好みの問題ですが、この倫理観はお勧めしません。プレイの幅が狭まってしまいますし、なによりPCの突然死が多くなりますのでトラブルのもとです。しかしそうした裏世界で遊びたいのならこの倫理観を適用するのもいいでしょう。
「敵は殺しても構わない」という倫理観をここでは「戦争の倫理観」と呼んでおきましょう。この倫理観で一番問題となるのは「敵」の定義です。
一番簡単なのが敵としてオークやゴブリンを出す事です。オークやゴブリンは敵だから殺しても構わないが人間やエルフやドワーフは殺してはいけない、とするのです。あるいは人間やエルフでも蛮族とかダークエルフは敵だと定義してしまうこともあります。こういう場合には皮膚の色が違うとか顔つきが違うとか、見ただけでわかる特徴を持たせるべきです[8]。重要なのは、見かけだけで敵かどうかを判別できるようにすることです。
○○王国は敵だからそこの住人は全員殺してもかまわないと定義する場合もあります。「○○王国の住人」を「悪の組織○○の構成員」に置換することもできるでしょう。どちらにしろ明確な基準です。こうした基準を設けることでプレイヤーはあれこれ悩まずに戦闘をすることができます。
これらはすさんだ倫理観にも見えますが、実際に第二次世界大戦中に各地で行われた事です。戦争状態にあればこうした倫理観も正当なものとして受け入れられるということです。そしてこれは一旦受け入れてしまいさえすれば明確な基準です。
「兵士同士は殺し合うが非戦闘員は傷つけない」という倫理観をここでは便宜的に「赤十字の倫理観」と呼ぶことにしましょう。非武装状態の人は狙わないということです。
この倫理観は割とすんなり受け入れやすいものではないでしょうか?しかし一つ問題があります。非戦闘員の定義があいまいなことです。兵舎で兵士たちの食事をつくっているまかないのおばさんはどっちでしょう?あるいは兵士たちが酒場で飲んだくれている時はどっちにあたるのでしょう?
結局のところ、この倫理観はグレーゾーンがどうしても出てきてしまうせいでごく限られた条件下でしか適用できないのが難点です。しかし場面を戦場とそうでない場面にはっきりとわけることができるのなら、「戦場で武器を持っている人間は殺していいがそれ以外はだめ」というように明確な基準をつくることができます。そしてその場合には戦場以外で戦うような場面を作ってはいけません。
「悪い奴は殺してもかまわない」というのがヒーローの倫理観です。ヒロイックファンタジーをやりたい場合にはこの倫理観が一番しっくりくるでしょう。しかしこの倫理観は「悪い奴かどうかは誰が判断するの?」という所に大きな問題があります。
この倫理観を適用すると、自分に都合の悪い奴を全員悪と決めつけがちになってしまいます[9]。そうすると前述の「悪党の倫理観」になってしまいます。ヒーローと悪党は紙一重なのです。さて、キャラクター達はどっちでしょう?
ヒーローより悪党の倫理観の方がキャラクターにとって都合がいいという事が問題をややこしくしています。RPGというのはつまるところキャラクターにとって有利な行動を考えるゲームですから、いくらヒーローの倫理観を標傍していてもどうしても悪党のそれになってしまうのです。ヒーローが自分勝手な正義を振りかざして都合の悪い人間をどんどん抹殺していく、というのはある意味現代社会の縮図を見ているようでもありますがあまり気持ちのいいものではありません。
結論として、この倫理観は適用しないことをお勧めします。どうしても適用したいのなら、問題が発生した時にその都度「こいつは悪い奴かどうか」を「ゲームマスターを含めて」話し合って下さい。そして全員で「こいつは悪い奴だ」と納得できてはじめて殺してもいいことにして下さい。
「人は殺してはいけません。しかし動物はかまいません」という倫理観を適用することもできます。この倫理観は戦争状態にない今の日本人には妥当なものですが、できるシナリオの種類が限られてしまうという欠点があります。人間相手の戦闘ができないのですから。
その結果として、戦闘といえば洞窟コウモリや熊や闇のモンスターやゾンビなどが相手になります。ここにオークやゴブリンなどの知的生物も含めることにしてもいいでしょう。とにかく相手は人間じゃないのだから殺してもいい、というのです。
このようにファンタジー世界なら殺人を禁止しても他に戦う相手はいくらでもいるわけです。だから敵側に人間を出しさえしなければこの倫理観を適用しても十分ゲームになります。
また、街を探索して情報を集める事がメインの非戦闘系のシナリオでもこの倫理観を適用できます。この場合、戦闘は起きないかもしれませんし、例え起きてもお互い死ぬまでやり合うことはありません。武器は剣や弓ではなく素手やビール瓶であり、HPの何分の一かが減らされた時点で勝負がついたことにします。
相手を殺す事がその世界の倫理観に違反する場合は、殺す代わりに捕虜にするという選択肢をとる事ができます。それは敵もPCも同様です。殺されそうになったら武装放棄して泣いて許しを請うというルールを徹底すれば、倫理観の問題を起こさずに戦闘をすることができます。
この場合に問題となるのが捕虜の扱いですが、一番簡単な解決法は牢屋や捕虜収容所を用意してそこに送ることです。これでPC達は自分たちが倒した敵に後々までわずらわされずに済みます。いったん捕虜になった敵はPC達に従順で言われた事は素直に聞くことにして、決して反抗したり逃げ出したりはしないようにして下さい。もし捕虜が何かの隙に逃げ出すような事があったら、PC達はやっぱり殺しておけばよかったと思うかもしれません。実際の人質事件でわかるように、丸腰の捕虜が逃げ出すなんて普通できないことです。
逆にPC達が戦闘に負けて捕虜になったら、閉じ込められた先に協力者がいたり何か特別な用意がない限り死亡相当の扱いにして下さい。逃げ出すことができるはずもない牢屋でずっと暮らす場面をゲームでやっても何も面白くはありませんから。かといってとっさに脱出シナリオを用意するのはもっとよくないことです。なぜなら「戦闘に負けてもゲームマスターはちゃんと脱出できる術を用意してくれている」という認識になってしまい、戦闘の重要性が薄れてきてしまうからです。
もし捕虜になったのがPCの一部だけだったとしたら、残りのPCが救出に向かうという事は考えられます。しかしそれは実際には困難な事です。全員で立ち向かっても負けた相手に一部だけでどう立ち向かえというのでしょう?それに救出劇の間ずっと一部のプレイヤーが暇になってしまいます。PC達が「救出に向かおう」という気運になったとしたら、キャラの作り直しも提案してみて、どっちがいいかを当のプレイヤーに決めさせて下さい。もしこのあたりが問題になるようでしたら、PCは敵を殺してはいけないが敵の方はPCをあっさりと殺すことにしてもかまいません。敵はPCより倫理観に欠ける悪人であってもいいのです。
殺人の話とはまた違う話ですが、宝箱の扱いもよく問題になる話です。つまり「宝箱の中身は勝手に自分のものにしてしまっていいのだろうか?」という問題です。これも各人によって解釈が異なる可能性があるので事前にはっきりしておきましょう。
人の家のたんすを勝手に漁ってアイテムを持っていってしまうのが泥棒である事は誰もが認める事でしょう。ただそれが悪の魔法使いの棲み家だった場合はどうなるでしょうか?あるいはそれが盗賊団の本拠で、そこにあるアイテムが盗品だったとしたら?色々な設定が考えられますが、ここでは私が妥当だと思う一つの案を示します。
まず、もはや誰も持ち主のいない場所にある物は発見者のものにしてしまっていいでしょう。古城や洞窟で見つけた財宝のことです。同様に宝物をモンスターが守っていた場合にもモンスターは人ではなく所有権は生まれませんから同様に発見者のものです。攻撃対象が悪の帝国や蛮族などのいわゆる「敵」であった場合も同様で、PC達が属する国の法律の適用範囲外にしてよいでしょう。「敵」は所有権を主張することができず、そのためPC達がその財産を奪っても問題はありません。
しかし、もし冒険となる舞台の城に所有者がいたらどうなるでしょう?例えば城がモンスターに占拠されてしまったというような場合です。この場合は城の中の財宝は城の所有者のものですから、PCが勝手に拾っていく事は泥棒行為です。城の持ち主が許可しない限りはPCは報酬だけで満足すべきです。盗賊の寝ぐらを襲う場合も同じで、そこにある財宝はもともとは盗品であり正当な持ち主がいます。財宝はいったん国が預かり、PC達には報酬という形でその一部を分配するのがいいのではないでしょうか。
とにかく宝物の持ち主の扱いは単なる決めの問題です。でも事前に決めておくか、最悪でもその場で確認するようにしましょう。問題になりそうなら、宝箱の中身は全部PCのものにして、その分宝箱の中身や報酬を減らすという解決方法、あるいは逆に宝物を出さずにすべて報酬だけにするという方法もあります。
シーフはたいていのファンタジーRPGで職業として存在し、戦士と並んでメジャーな存在です。おそらくPCのうちの誰か一人はシーフでしょう。しかしシーフといえばすなわち「盗賊」です。そんな奴がPCの中にいていいのでしょうか?
シーフが「盗賊」であることを認めてしまうと、シーフのPCは悪いことを好き勝手やり始めます。人の家のたんすを勝手に漁ってお金を持っていくのは悪い事であって本来やってはいけない事なのですが、シーフなら「俺は盗賊だからそもそもこれが本職なんだ」と堂々と泥棒をやるかもしれません。他のPCが皆法律を守らなければいけない中でシーフだけは何をやってもいいのでしょうか?どうも何かひっかかります。
ゲームによってはシーフを「忍びの者」とちょっと苦しい訳をしているものがあります。私はこの方が妥当だと思います。シーフという職業は(空想化されていない)忍者にあたる職業です。その能力は例えば「敵の城に忍び込んで密書を盗んでこい」という命令を実行するために使うのであって、雑貨屋の売上金を盗むために使うのではありません。西洋でも同じような役割の人はきっといたことでしょう。
あるいは泥棒稼業から足を洗ったことにしてもいいでしょう。昔は悪いこともしたけれどそこで得た能力を正しい方向に使うというのです。遺跡や古城の盗掘専門という設定も考えられます。盗掘というと聞こえは悪いですが、「文化財は国のもの」という概念がない世界では誰のものでもない放棄された宝物を勝手に持っていっても誰もとがめはしません。
とにかく、PCは例えシーフであっても窃盗などの犯罪を許してはいけません。警告を無視してPCが犯罪を犯したら警察機構がPCを捕まえに動くことにして下さい。もちろんそこでPCが抵抗して警察部隊を切り殺そうものならPC達は極悪犯として全国に指名手配されるのです。もしプレイヤーが「シーフが盗みをするのは自然なことじゃないか」と言ったら「警察が泥棒を捕まえるのも自然なことじゃないか」と反論しましょう。本当にPCの身になって考えれば、冒険者というまともな(?)収入源を得た今となっては泥棒などという危い橋をわざわざ渡るわけはありません。
倫理観の問題はその世界設定と密接に関係しますからゲームマスターが決める事です。どうするのかを事前に考えてそれをプレイヤーに知らせてあげて下さい。どういう倫理観を持つのかはある意味個人の自由ではあるのですが、それはほとんどは社会のありようが決めるものです。だから倫理観はルールとして扱い、それから逸脱するような行為は許さないようにして下さい。例えば今の日本では人殺しは悪いことだという倫理観があります。今の日本の社会がいくら「どう行動しようと自由」だからといって、普通の人がいきなり無差別殺人を始めるなんて考えられられない事でしょう。だから倫理観は強制的に押しつけて下さい。注意しても逸脱が激しいプレイヤーは警察が捕まえるなどのペナルティを与えて下さい。
PCをどう動かすかはプレイヤーの自由です。しかし倫理観というのはそのキャラクターにあらかじめ備わったものであり、一種のルールです。プレイヤーはルールに違反するようにPCを動かすことはできません。ただ、ルールであるからには明確でなくてはなりません。どこからが倫理にもとる行為なのかをはっきり言えるようにしましょう。
[8] 人種差別的ではありますが、ゲームの都合上仕方のないことです。
[9] まるでどこかの国の事を言っているようですが。
いよいよ様々なトラブルの元になる「ロールプレイ」の話をしましょう。一言で言えば「プレイヤーがPCになったつもりで行動を考える」というものですが、この言葉は様々に解釈が可能なために認識の違いによって様々なトラブルを引き起こします。
ここでは「ロールプレイ」の意味についての話はしません。私が書いた別文書(ロールプレイとは何か・「ロールプレイ」と「なりきり」)をご覧下さい。そしてこれらの文書で述べている問題点はすべてクリアしているものとします。
いよいよ様々なトラブルの元になる「ロールプレイ」の話をしましょう。一言で言えば「プレイヤーがPCになったつもりで行動を考える」というものですが、この言葉は様々に解釈が可能なために認識の違いによって様々なトラブルを引き起こします。
ここでは「ロールプレイ」の意味についての話はしません。私が書いた別文書(ロールプレイとは何か・「ロールプレイ」と「なりきり」)をご覧下さい。そしてこれらの文書で述べている問題点はすべてクリアしているものとします。
ここでは、キャラクターが持っているはずのない知識をプレイヤーが持っていることによって起こる問題について考えます。プレイヤーが「この場面ではこうするのがベストだ」と思ったとして、はたしてPCはそれを思いつくことができたでしょうか?そしてそれを判断するのは誰でしょう?正直に言うと、そんな事誰がわかるのでしょう?
RPGというのはつまるところ「この場面ではこうするのがベストだ」という行動を考えるゲームですから、そこに変な制約はできるだけつけたくないのです。プレイヤーが自由にアイデアを出しあって依頼を解決していくのが望ましいのです。しかしそれは時として(PCの住む世界としては)非現実的な解決法になってしまう事があります。このジレンマをどう解決したらいいかについてこれから述べていきます。
ゲームシステムの情報はPCが知らないはずの情報ですがプレイヤーは知ってしまっています。だからその扱いをどうするかというのがよく問題になります。例えば両手斧のダメージが2d8で両手剣のダメージが3d6である、といった情報のことです。「2d8」とか「3d6」なんて言葉はPCの住んでいる世界にはないのですから、当然のことながらPCは知らないはずです。だから「両手斧の平均ダメージは9で両手剣の平均ダメージは10.5だから両手剣の方がいい」なんて議論も当然できないはずなのです。しかし私はこの手の議論はしてもいいと思っています。PCは武器のプロフェッショナルですから、なんとなく両手斧より両手剣の方がダメージが大きそうだというのもわかるでしょう。
プレイヤーが出てくるモンスターの強さを知ってしまっているというトラブルもよく起きます。「あ、こいつは巨大鼠だ。HPは4d6でたしか牙に毒を持ってるんだよな。危険だから弓で攻撃しよう。」といったようにです。しかしこれもある意味冒険者の常識としてPC達は全員知っているとして扱えばいいのではないでしょうか?それが嫌ならルールブックのモンスターマニュアルのデータをちょっと改造してオリジナルのモンスターを作ればいいだけの話です。
ゲームシステムに関するの問題の本質は「だいたいの数字」と「正確な数字」を混同してしまうことにあります。例えば「ライト」の呪文の効果に「10分間光が続く」と書いてあったとしましょう。プレイヤーはこれを使って10分間を正確に計ることを試みるかもしれません[10]。2つの杖に同時にライトの呪文をかけて2つのグループに持たせれば呪文が消えたのを合図に2方向から一斉に突入することができる、なんて考える頭のいいプレイヤーがいるかもしれません。
ルールブック中に書いてある数字は「だいたいの数字である」ということを徹底し、前述のトリックは禁止しましょう。ライトの呪文の効果は「10分間光が続く」ではなく「だいたい10分間くらい光が続く」と解釈するのが常識的に考えて妥当でしょう。10分間を過ぎるとだんだん光が弱くなっていくとか、蛍光灯の寿命が来た時みたいについたり消えたりするようになるとか。こうして常識的な判断を加えることで、ルールブックを杓子定規に適用するとできてしまう現実にはあり得ないトリックを防ぐことができます。同様に巨大鼠のHPは「だいたい4d6くらい」なのだし、両手剣のダメージは「だいたい3d6くらい」なのです。
別行動をしている一部のPCとゲームマスターとのやりとりを聞いていたりして、PCが本来知らないはずの情報をプレイヤーが得てしまうことがあります。その場合、本来知らないはずの情報によってPCの行動は有利な方に傾いていきます。これは本来あり得ないことですから、プレイヤーは聞いていないふりをして有利な行動を取らないことにしなくてはいけないのでしょうか?
例えばPC達が二手に分かれてある人を探していたとします。一方がどれだけ探しても見つからずあきらめようかどうしようかと思案していた矢先に、もう一方のチームがその人を発見しました。最初のグループのプレイヤーがその情報を得てしまうと、自分が今つきつけられている「あきらめるかもっと探すか」という決断は以前のようにはできなくなってしまいます。「PC達はもう一方のグループが探し人を見つけた事を知らないのだからもっと探すに違いない」という判断もまた間違っています。PC達はあきらめようかどうしようかと思案していたのですから。結果として、PCの知らない情報がプレイヤーに渡ってしまうとどうしてもこうした事態は避けられません。
こうしたトラブルに対処するのに「PCの知らない情報はプレイヤーには渡さない」という方法もあります。PCが2グループに分かれたらプレイヤーも2グループに分け、一方がやっている時にはもう一方は別室で待機していてもらうのです。あるいは口で言うのではなく紙に書いて手渡しという方法もあります。しかしこれは面倒で場所の制約によってできない場合もあり、ゲームマスターの手間も二倍になるということからあまりお勧めしません。PCの知らない情報が渡ってしまって困るというのはあまり起こらないケースですから、そんな時のために多大な労力を割くのでは割に合いません。
もしこうした問題が発生したら、行動宣言の時に理由を尋ねる事にしましょう。「PCは探すのをあきらめます」とプレイヤーが宣言したら「どうしてPCはそう決断したのでしょう?」と。そこでPC達が知っている情報だけを使った合理的な理由を言うことができたらその行動を認めることにしましょう。「うーん、ただなんとなく」とか「探すのに疲れてきたから」といったあいまいな理由しか返ってこなかったら、運や自制心などでロールをさせてあきらめたかどうかを判定して下さい。
この問題の根幹は、PCの知らない情報を利用してプレイヤーが有利に行動する事ではありません。プレイヤーが「この情報はPCが知らないはずだから」と考えて本来ならできたかもしれない行動をあきらめてしまうことにあるのです。そんな気遣いは不要であることを明確にしておきましょう。
知性が少ないPCを受け持ったプレイヤーが、「このPCはバカだから難しい作戦なんて考えられるはずがない」といって複雑な作戦立案を放棄することがあります。しかしこれは望ましい行為ではありません。作戦立案こそがRPGのゲームたる所以なのに、それを放棄してしまって他に何をするというのでしょう?
Intelligenceは「知性」ではなく「知識」と解釈すべきです。Intelligenceが高いのは東大生で、低いのは中卒(失礼!)というイメージです。普段の生活では東大生でもバカな行いをするし、中卒の人でも斬新なアイデアを出したりします。だから、行動宣言の時点でPCのステータスを考慮してよいアイデアを自分からボツにすることはありません。
Intelligenceが関わってくるのは科学や歴史などの知識についてです。普段の行動では違いが見られない両者も、相対性理論や量子力学の話になると途端に差が現れてきます。つまりIntelligenceが高いPCは「いろんな事を知っている」というだけで、普段の行動や作戦立案の能力には差はほとんどないのです。
「そんな事はPCが考えつかないはずだから」とPCの知性が少ないことを理由に行動宣言を却下してはいけません。すべてのステータスは判定の修正値としてのみ使い、ステータスを理由にPCの行動を縛ることはしないようにしましょう。PCはどんな行動でもとっていいのです。ただし能力が足りない場合はその結果は保障できません。と、要するにこれだけのことなのです。
PCの知らないはずの知識のうちで最も扱いに困るのが科学知識です。例えば中世ヨーロッパを舞台とした時、今では常識である概念がその当時はまだ知られていなかったという事がいくつもあります。
振り子の等時性の発見は1583年、ガリレオ・ガリレイによってです。それまでは時間を計る方法としては砂時計や水時計、あるいは天文学による方法しかなくどれも不正確でした。日本の江戸時代でも時間の最小単位は「刻(約2時間)」でそれより短い時間単位はなかったのです。
伝染病の原因が細菌であることが知れわたったのはなんと19世紀のことです。それまではチフスや天然痘といった伝染病も、「眠い」とか「疲れた」といったような患者の状態の一種であると信じられていたのです。それまでは伝染病患者を隔離するという概念もなければ、清潔にしていないと病気がうつるなどという概念もなかったのです[11]。
当時の化学は「四大元素」論が主流でした。火土水風の4大元素ですべての物質ができているという考え方です。だから例えば木が燃えるのは木の中に含まれている火の元素が外に出てくるからだし、水をかけると火が消えるのは水の力が火に勝つからだと思われていたのです。「酸素の供給を止めれば……」なんて思いつくはずもありませんでしたし、そもそも酸素が発見されたのは18世紀後半の話です。
技術的な事柄については対処が比較的容易です。例えば「この時代にはマッチなんて便利なものはなかったから火をつけるのは一苦労だよ」とか「その当時は火薬なんてなかったんだよ」と言えば済む話です。問題なのが、当時知られていない科学知識を使って問題を解決しようとした時の事です。例えばペストの患者を見た時に「病気がうつらないように離れて見ています」と宣言するのを許可するかどうかです。
この問題に対する一番の対処法は「PCの住んでいる世界は今我々が住んでいる世界とは異なる物理法則に基づいている」とするものです。PC達の住んでいるファンタジー世界では、軽い物より重い物の方が速く地面に落下するし、伝染病患者にべたべた触っても日頃の行いさえ良ければ病気はうつらないし、火は酸素がなくても燃えることにするのです。もともと魔法が存在する時点で現代の我々の世界とは物理法則が異なっている事が明白なのですから、この際はっきりと「現代の科学知識は通用しない」と断言してしまいましょう。
プレイヤーが現代の科学知識に基づいてPCの住む世界でいろいろな「発明」をしたとしてもそれは正しく動作しない事にして下さい。例え硝石と硫黄と木炭を混ぜたとしてもそれは火薬にはなりません。この世界とは物理法則が違うからです。火薬を作るには秘伝の呪文を唱えながらあるジェスチャーで材料をかき回さないといけないのです。
ファンタジー世界における物理法則は今我々が住む世界とは違っています。そこは中世の人々が信じていた世界法則がそのまま現実となった世界なのです。物理法則に関するすべての判定は「現実世界でそれを実行したらどうなるか」ではなく「中世の人々はそれを実行したらどんな結果になると信じているか」で判定すべきです。
端的に言えば、「ロールプレイ」の問題点はそれをしない事よりそれをしすぎる事にあります。「はて、どうしたらいいだろう?」が「はて、この時このキャラならどういう行動をするだろう?」に変わってしまうのです。そして往々にして「このキャラならきっとこういう行動は取れないだろうな」といってベストの行動をあえて取らないことにしてしまいます。
しかしこれはPCの能力を過小評価しすぎています。PCは百戦錬磨の強者ですから、プレイヤーが考えるような事はPC達も当然考えることができます。だからプレイヤーには「自分がベストだと思うように遠慮なくPCを動かすように」と言ってあげて下さい。「PCにこんな事ができただろうか?」と判定をする役割はプレイヤーではなくゲームマスターにあるのです。
[10] 中世では「時間を計る」というのは難しい問題でした。機械式時計のなかった時代ですから。
[11] 驚くことに当時すでに外科手術は頻繁に行われていたのです。殺菌も消毒もしないままで。
TRPGでゲームマスターをやる上で問題になるような事とその解決方法をいろいろ述べてきました。これがゲームマスターをやる人のお役に立てれば幸いです。もし「こんな場合どうしたらいいと思います?」という質問や意見がありましたらどしどしお寄せ下さい。
この文書であえて書かなかった事が一つあります。それは「シナリオの作り方」です。これに対する私の意見は何度も書いたように「既成のものを買ってきましょう」ということです。シナリオは自分で作らなければいけないものではありません。
「ゲームマスターをする」という行為を例えば「ボードゲームを遊ぶ」という行為に例えると、「シナリオを作る」という行為は「自作のボードゲームを作る」という行為にあたります。「ゲームを作る」という行為は「ゲームを遊ぶ」というのとは別種の楽しみですし、ただゲームを遊びたい人に「ゲームを作れ」と強制するのは間違っていると思います。そしてゲームデザインをするにはTRPGに限らず色々なジャンルのゲームの経験が必要になります。そういう経験のない人がゲームデザインをするとどうしようもなくつまらないクソゲーが出来上がります。そういうクソゲーをプレイして「やっぱりTRPGはつまらない」という印象を持ってもらいたくないのです。
何回かTRPGをプレイヤーとして参加してみて面白いと感じたなら、ぜひゲームマスターもやってみて下さい。決して難しい作業ではありませんし別の楽しみが見つかることと思います。