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所長
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2013.03.28

 米軍施設で拳銃なくなる=キャンプ座間、盗難可能性—神奈川県警 

カテゴリ米軍出典 WSジャーナル 3月28日 電子版 
記事の概要
神奈川県警捜査3課は28日、在日米陸軍「キャンプ座間」(同県座間市、相模原市)内で、所属する男性軍人に貸与されている拳銃1丁がなくなったと発表した。

県警は、拳銃が盗まれた可能性もあるとみており、盗難事件と判明すれば、米軍側捜査機関と合同で捜査する。

米軍は男性の氏名や階級を公表していない。米軍から県警への説明によると、拳銃は米軍が男性に貸与した38口径の回転式。実弾は入っていなかった。
コメント
拳銃盗難といえば、私にも苦い思い出がある。少年工科学校の2年生(16歳)のときである。毎週、土曜日の午後は中央パレードの練習が行われていた。

そのときは、本部隊舎に行って武器庫から指揮官用の拳銃(コルト・ガバメント45)を借りていた。中隊で10丁ぐらいだっと覚えている。

当時、モデルガンは本物そっくりの形状をしていた。そこでパレード終了後に同期性が持っていたコルト45のモデルガンを本物に代えて、パレードの訓練終了後に本部の武器係りに返納した。

1週間、私の手元には本物のコルト45があった。

次の週のパレード訓練終了後に、本物の拳銃はモデルガンと取り替えて武器庫に返納した。このことに誰も気がつかなかった。

しかし、驚いたのは20年後である。私の同期生はそうして手に入れた本物のコルト45で、横須賀の米海軍基地の射撃場で試し撃ちを行っていたという。

小学生まで米国人の神父がいた孤児院で育った同期生は、英語を日本語と同じように話せた。(同期性には隠していた)

そこで知り合った米海軍軍人に紹介されて、横須賀の海軍基地に出入りしていたという。当時、自衛隊の身分証明書と自衛隊の制服を着ていれば米海軍基地に出入りするこいとができた。

そしてコルト45を持ち込んで、米軍から実弾をもらい拳銃射撃場で撃っていたという。もちろん翌週には少工校の本部武器庫に本物の拳銃は返納していた。

米軍基地では兵員用の食堂(PXのレストラン)で分厚いステーキまで格安で食べていたという。

このことは今だから話せるが、自衛隊で拳銃の盗難と聞くといつもこのことを思い出す。

今は自衛隊の武器庫の管理が厳重に行われているので、私の自衛隊時代とは違うと思う。当時の本部武器庫は、元予科練出身の特攻隊の生き残りが勤務していて、階級を1尉と呼ばせないで、大尉殿と呼ばせていた。

昔の自衛隊の懐かしい話である。
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