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二頭同盟編
プロローグ
 ──多分、運命というモノは真っ黒な邪気をまとった糸に似ている。
 娘は自身の哲学に形を与えながら、今更に馴染み始めた屋敷の廊下を歩いていた。
 灰色にも見える痛んでくすんだ銀髪は無秩序に四方八方へと跳ね、あるいは巻いている。
 ずぼらな印象の外見に似合わずきびきびとした足運びに、廊下の掃除をしていたメイドが苦笑する。
 娘はそれに怪訝な顔をしたが、先を急いでいたため、すぐに思考から追いやった。
 娘がこの屋敷に来たのは五年前、それまでの人生はそこらに転がっている不幸な道筋そのものだった。
 高率の税に喘ぐ村に生まれ、八歳の頃に口減らしのため行商人に弟子入りさせられた。
 弟子入りとの名目ではあったが、実際は売られたのだと幼いながらに理解してした。
 彼女は二度と売られることがないように自らの価値を高めようとした。
 売り買いを覚え、旅先の情報を集め、行商人の身の回りの世話もやった。売られないよう必死に役に立つことをアピールした。
 その努力は成功していた。
 だが、同時に失敗していた。
 弟子入りしてから二年ほど経った時、行商人が破産の危機に陥った。
 薪価格の値上がりを聞きつけた行商人が輸送を計画したのだ。
 需要に対して供給が不足している所へいち早く商品を送り込む。その身軽さこそが武器なのだと熱く語る行商人に彼女は言いしれぬ不安を覚えた。
 薪価格の上昇はとある大手商会によるものだと聞いていたからだ。そこになんらかの企みがあるのは明白であり、それに巻き込まれてなお利益を出す才覚が行商人にあるとは思えなかった。
 今は薪作りに人手を割く村へ日持ちの良い食品を届ける方が安全で喜ばれると思えた。
 しかし、娘の意見は一蹴され、行商人に連れられて彼女は街へと向かう。途中に立ち寄った村々では食品を求める声が多かったが、その者達は大量の薪を積んでいる行商人を見るとまたかといった落胆の表情で痩せこけた子供と共に去っていった。

「あの人たちのために商品を運ぶのが仕事じゃないの?」

 彼女がそう問えば、行商人は鼻で笑って村人を一瞥し、こう言った。

「金がないなら客じゃない。客じゃないなら人じゃない」

 欲に眩んでギラギラした目を正面に向けている行商人を彼女は心の底から侮蔑した。
 街に着くと、事態は急変していた。
 薪の買い取り価格が暴落していたのだ。
 何者かにより薪の代替品が売り出され、既存の薪には買い手がつかなくなっていた。
 薪を大量に持ち込んでいた行商人は二束三文でそれを手放さざるを得ず、多額の負債を抱え込んだ。
 貴重な馬車を売り飛ばしても首が回らなくなった行商人は、彼女を売り払った。
 計算が出来る。身の回りの世話が出来る。旅支度を整える事も出来る。まだ十歳だが容姿も悪くない、数年すれば女としても使える。
 彼女の努力の成果は売り文句となり、行商人の舌をなめらかに動かした。
 去っていく行商人の顔を無感動に見送りながら、彼女の脳裏では何度もあの言葉が繰り返されていた。
 ──金がないなら客じゃない。客じゃないなら人じゃない。金がないなら人じゃない。
 なるほど、確かに金をなくした行商人は人でなしだった。
 金を持たない彼女は奴隷になった。
 金だ。金、金、金。
 奴隷として売られている彼女を買ったのはとある老人だった。
 老人は理知的な光を奥深くに湛える落ち着いた瞳で彼女を見て、指を一本突き出した。

「いくつだ?」

 しわがれ声で短く訊ねられ、彼女は間を置かずに一本と答えた。
 次に人差し指と中指を突き出した老人に二本と答えた。
 その次は親指を除いた片手の指全て、彼女は四本と答えた。
 いつまで続ける気だろうと考える彼女に老人は微笑みながら両手の指を四本ずつ立てる。

「いくつだ?」
「八本」
「──ならこれは?」

 素早く老人は両手の指を三本ずつ立てた。意地悪そうな顔に見極めるような瞳、彼女は答えた。

「十六本」
「この子供を買おう」

 彼女の言葉に頷いた老人はその場で少なくない金を支払い、彼女を連れ出した。
 本当に計算が出来るかを確かめたのだと遅ればせながら気付いた彼女は老人を横目で盗み見る。
 あれほどの金額を即金で払うのだから、ちょっと裕福な平民などではあり得ない。大手商会の隠居かと予想する彼女に目を向けず老人は口を開いた。

「この領地の汚い部分を見て来たはずだ。変えたいところはないかい?」
「……ある」

 突然の質問に眉を寄せて深意を見抜こうとしながらも彼女は答える。
 老人は目を細めて遙か彼方を見据えながら小さく笑った。

「そうこなくては面白くない。それで、どう変えたい?」

 面白がっているのを隠そうともしない。そんな老人の視線を意に返さず、彼女は思い描いた世界を口にした。
 老人は時おり相槌を挟みながら聴き終えると自身の白髪を片手で梳いた。

「それは心暖まる崇高な理想だ。だが、それを為すには懐が寒い」

 老人の感想に彼女は顔をしかめた。
 ──また金だ。金ばっかり立ち塞がる。
 老人は彼女の表情に微笑んだ。

「なに、金を集める方法などいくらでもある。そうさな、儂の娘にでもなるか?」
「──は?」

 老人の意外過ぎる提案に彼女は奴隷という立場も忘れて頭の調子を疑うような視線を向けた。
 奴隷を買い取って娘にする。質の悪い冗談だと思った。
 だが、冗談ではなかったらしい。

「五年は教育せねばならんな。覚悟しておけよ」

 悪戯っぽい顔で老人は彼女の肩を叩いた。
 そして、五年を経た今、彼女はこうして老人の娘として生活している。
 邪気をまとった黒の糸が続く場所に幸せを結びつける者がいた。
 それが彼女にとっての老人である。

「──お爺様、失礼します」

 娘が飾り気のない扉越しに声を掛ければ、老人が入室の許可を出した。
 部屋に足を踏み入れた娘を一瞥した老人は二通の書簡を取り出して無造作に放り投げた。
 空中を行くそれを危なげなく掴み取った娘は微笑んだ。

「それではお爺様、始めても良ろしいのですね?」
「もちろんだ。奴らとの連絡も怠るなよ」

 老人はこれから始まる劇を心待ちにして自然と上がる口の端を片手で覆い隠した。
 娘はくすんだ銀髪を手櫛で軽く直すと優雅に一礼した。

「お楽しみ下さいませ」


 ある屋敷で一人の男が部下と共に苛立たしげに足を動かしていた。
 離れに向かうその足で目に付いた小石を腹立ち紛れに踏みつけ、蹴り飛ばす。

「なぜあんなイカレ娘共に会わねばならんのだ」

 鋭い音を立てて飛んでいく小石は離れの壁にぶつかり、白漆喰に泥を付けた。
 部下は眼鏡にはまるガラスを布で拭きながら口を開いた。

「“双頭人形”は女性、なのですか?」

 太陽に透かして眼鏡の曇りが取れたのを確認する部下に男が舌打ちした。

「あぁ、イカレているが女性だ。見目麗しい少女様だ。奴らの頭の中身をくり貫いてしまえば部屋を見事に素晴らしく飾りたてることが出来るだろうさッ!」

 苦々しく吐き捨てる男に部下は反応もせずに眼鏡をかけ直した。

「侯爵の失脚やら姫殿下の暗殺やら色々と噂は耳に入ってきますが、双頭人形その人については全く耳にしませんね」
「……その理由は見ればわかる」

 ため息混じりに呟かれた言葉に部下は不思議そうな顔をした。
 こぢんまりとした離れの扉を男が乱暴に開ける。
 泥を落としもせず中を進む男に、部下は遅れないようついて行く。
 そうして辿り着いた広間の窓際に置かれたソファに座るそれらを見て、悟った。
 これは誰にも伝えることが出来ない容姿だと。
 窓から差し込む光に少女の銀色の髪が溶け込んでいる。僅かに少女が身じろげば銀の髪は光に瞬き、周囲の空気を白く染め上げたように見えた。
 緩やかに開かれた瞳は小揺るぎもしない碧玉で、見つめる程に色を濃くし、瞬きの度に透き通る。あの中にはどれほど幻想的な世界が待っているのか。閉じこめられたならばきっと幸せだろうとさえ思える。
 春先の白雲で形作ったような柔和な肌が澄んだ空気に浮き上がる。ほんの少し風が吹けば消えてしまいそうなのに、何時までもそこに静止している。
 ──二人の少女。
 何もかもが鏡合わせのような少女達は片手の指を絡めている。片方は落ちようとするまぶたをくい止めようと健気に抗っていた。そんな少女の銀の髪に白雲の指を通して優しく撫でるもう片方。
 まるで動く名画のような光景。
 息をするのも忘れている部下の脇を肘で突くと、男は少女達に声を掛けた。

「双頭人形、仕事だ」

 男の声に少女達は反応を示さない。
 お気に入りの人形を愛でる仕草で相方の銀の髪を撫でる少女は、鈴が鳴るような澄んだ声で小さく笑う。

「お休みなさい。お人形さん」


 邪気を帯びた漆黒の糸が緩やかに束ねられていく。
 銀の娘達が紡ぐ糸は若き貴族を二人、巻き込んだ。
 最後まで糸を操る者が最後に笑う。
 ──それが運命というモノだ。
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