猟血の狩人
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西の大陸の中南部に連なる山脈地帯。人間の踏破を許さないとばかりに連々とそびえ立つ巨大な山々と、日の光すら通さないほど鬱蒼と
茂る針葉樹林の森。
海から吹いてくる湿った空気が山に遮られて下に降り、僅かな視界すら利かない濃い霧となって森を包み込む。
森の中では様々な獣が弱肉強食の理に従って日々の営みを行い、立ち入る人間をもそのルールの中に強引に編入していく。
このようなとても人類の生存を許さないような過酷な環境であるが、そのさらに奥の奥、周りをぐるりと山々に囲まれた一片の盆地。
人間はおろか、動くもの一切が見当たらないその盆地は深い霧に覆い隠され何を見通すことも適わない。そのなかで、他に比べ比較的
高台に位置し霧もそれほど覆っていない小山。
そこには周りを夥しい白い花に囲まれた一本の巨木が佇んでいた。胴回りは人間の大人が二人掛りで腕を回してもまだ届かない太さで、
高さは優に15メートルはある。
もう800年以上の齢を重ねてきただろうか、『彼』の表皮は長きに渡って風雪に当てられ硬く締まり、枝葉は青々と茂っている。
そして、『彼』のはるか眼下に無数にある、背丈の低い雑草に覆われながら所々にごろごろと転がる石片。
それは明らかに人間の手が加えられたものであり、多くのものは意味を持たない石ころと化していたが、極々一部のものが規則性を
持ったつながりを持ってそこにかつて何があったかを物語っていた。
それは、家であり、道路であり、塀であり、用水路であり。
壁であり、堀であり、櫓であり、城であり。
物言わぬ石たちは、かつてここに小さくも立派な国があったことを指し示していた。
が、それを知らせる相手は誰もいない。この地に国があったことを知っている人間は既に死に絶え、新しくそのことを知ろうとする
人間もまた現時点では現れてはいない。
そもそも、ここに国があったということを記録している文献も残っていないので、新しく知る人間は今後もまず現れることは無い。
そして、この国にいた人間の子孫も一人としていない。
ここにいた人間は全て、『あの日』に消え去ってしまったのだ。
この窪地に残った人間の営みがあったことを示す残骸はこれからも、決して来るはずの無い訪問者のためにその遺影を残し続けるのだろう。
『彼』は賑やかだった昔のことを、ゆるゆると思索していた。
まだこの地が濃い霧に覆われることなく、多くの人間や動物が、慎ましやかながらも楽しく笑顔を振り撒いていたあの頃を。
そして、よく自分の下に来てくれた、二人の兄妹と一人の戦士のことを。
『猟血の狩人〜緋が暮れた国の王子と王女』
○序章
周囲をぐるりと険しい山々で覆われ、余り他の国との交流が盛んではない山岳国家メルキルス。人口は一万そこそこというとても小さい国
なのだが、山間部の窪地に人口が密集していることもあり国内は結構活気に満ちていたりする。主な産業は牧畜と織物で、急斜面で育て
られた羊から取れる羊毛は他国からの評判も高い。
国家体制は王制が敷かれており、現国王であるメルキル15世は善政を以って国内を統治しており国民からの信頼も厚かった。
そして、国王一家が暮らしている国のほぼ中央部に位置するメルキルス城では、恒例となった朝のイベントが始まろうとしていた。
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「きゃあああ〜〜〜〜っ!!」
朝の騒々しい時間も過ぎ、ようやっと人心地ついた頃、長い廊下を端から端まで貫くような悲鳴がけたたましく広がっていった。
その声を聞いて入ってきた衛兵が見たものは、机の引き出しを開けたままごろりと大の字にひっくり返っている魔導官の姿だった。
眼鏡をかけた奥にある瞳はぐるぐると渦を巻き、ショック症状からか時折体をビクビクと震わせている。
城内の正装であるかっちりとした上着の上に緑色の大きなカエルがちょこんと乗っかり、クルクルと喉を鳴らしていた。
その様を見て、衛兵達は妙な納得をしていた。
「ああ…、また若君のいたずらか」
「サンディ殿も苦労なさることで…。あの人カエルが死ぬほど苦手だからな…」
ただ、衛兵も気の毒とは思っているが同情はしていない。
なにしろサンディがこのいたずらに引っかかったのはこれで16回目(推定)だったからだ。最初の頃こそ自分達と同じ境遇に置かれた
魔導官に同情したものの、こうも頻繁だと感覚の方が麻痺してくる。
とにかく奔放で悪ふざけが大好きな王子による被害は後をたたず、特に自身の教育係に対しては容赦ない悪戯を果てなく繰り返していた。
前任が過労でばったりと倒れ、誰もなり手がなかった教育係に手を上げたのが国立の魔導学校でも秀才を知られたサンディだった。
(あの放蕩王子を、しっかりと教育してあげなくては!)
根が『超』が付くほどのド真面目なサンディは、入城する前にそう決意しグッと目の前で拳を握って自らに誓っていた。教育係に手を
上げたのには王家とつながりを持てるという俗物的な打算も確かにあった。
が、それ以上に王子の悪い評判に『自分が真人間に更生させてみせる』という思いのほうが強かった。将来自分が忠誠を誓うべき王が
先の評判どおりの体たらくでは先行きに不安を覚えざるを得ないというにも頷ける。
が、入城して2日後、サンディは自らの見通しが非常に甘かったことを受け入れざるを得なくなった。
確か今年で15になるはずなのだが、とにかくこの王子の奔放さと悪戯好きは常軌を逸していた。
初めて王子の自室に入ったときには、ドアのすぐ後ろに仕掛けられていた綱に足首を絡め取られ逆さに吊るされてしまった。
その後ケタケタと笑いながら近づいてきた王子に、猿轡を噛まされた後めくれ上がったローブの先を縛られて茶巾にされて部屋に転がされ、
王子はそのまま悠々と窓から飛び出て部屋から遁走してしまった。
その後、異常を察した衛兵が入ってくるまで25分、サンディは茶巾のまま部屋をごろごろと転がっていたのだ。
この後も、事あるごとに吊るされたり転がされたり放置されたり飛ばされたりと散々な目にあってきたが、一番の不覚はやはりカエルが
苦手ということを知られてしまったときだ。
そのときの王子のそれは面白いことを知ったといったニンマリとした笑みを、サンディはいまだに忘れることが出来ない。
次の日朝起きて個室の洗面台に向った時に、蛇口の前にちょこんとカエルが鎮座していたのを見たサンディは、ここが城だということも
忘れ、物凄い大きな悲鳴を張り上げてその場にバッタンと気絶してしまった。
後で聞いたところによると、介護だなんだとワラワラ部屋にはいってきた女官や衛兵に混じって王子が大笑いしていたらしい。
本当に腹の立つ話だ。
それ以来、サンディの周囲でやたらとカエルが目撃されるようになってきた。中には単なる偶然もあるのだろうが、大多数というよりは
殆どが王子の仕業であろう。
だからと言って、王子が勉強嫌いである。ということでもなかった。
ちゃんとサンディの言うことを聞いて勉学に勤しむこともあったし、なにより本人の頭脳がまたかなり図抜けていた。教えたことは
すぐに自身の中に吸収し、それを基に応用する術も持っていた。
単なる悪戯好きの放蕩者でなく、好奇心と知識欲が旺盛で知りたがりである王子に、サンディは『少々振り回されてもいいからこの王子に
自分の出来る限りのことを教えていこう』と思うようになった。それまでの多くの教育係が王子の蛮行に耐え切れず去っていく中、サンディ
はやめずに堪え続けた。
まあ、振り回されすぎて今回のように気絶してしまうことも多々あるのだが。
いつものことだと、特に介抱もせず部屋から出て外でのんびりと欠伸をかいていた衛兵の首根っこが、後ろから不意にギュッとなにかに
よって包まれた。
- グェッとカエルのような悲鳴を上げた相方を不審に思った衛兵が見ると、そこにはビキビキと血管が走った指で衛兵の首を締め上げ、
広いおでこの下の眼鏡が異様にぎらついて見えるサンディの怒りの形相が見えていた。
力技を得意としない魔導官とはとても思えないほどの握力で握り締められている首は血流が止められ、衛兵の顔はみるみる赤くなっていく。
「お前ら…、人が悲鳴を上げたら何かするのが人の道じゃないの?!放っておくなんて何事よ!!」
「も、申し訳ありません!いつものことなんでちょっと感覚が麻痺して…」
しどろもどろに言い訳をする衛兵をギロリと見たサンディは、八つ当たりをするのもアレだと思い、パッと指を離すと廊下の先目掛けて
声を限りに心中の思いを吐露した。
「あんのバカ王子ーーっ!どこに行ったーーっ!!
今回という今回は絶対に許してやるものか!その捻じ曲がった性根を徹底的に矯正してやるーーっ!!」
半べそでヒステリックに大声を上げるサンディを見て、衛兵は思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。
ここでヒスの矛先を向けることにような愚かな行為は流石にしたくはなかった。
そして、サンディがやり場の無い怒りを爆発させギャアギャアとわめいていた頃、問題の王子はとうの昔に城から抜け出していた。
「王子…、本当に戻られなくてよろしいのですか?サンディ殿もお待ちだと思われるのですが…」
王城から馬で1時間ほど駆けた所にある小山。そこの天辺にある巨木の下で、王子の護衛役である女性騎士ララディアは樹の上に
向って心配そうに声をかけていた。
が、樹の枝に登って周囲を見渡しているいる王子はそんなことに興味ないといった風情でさらりと言葉を返してきた。
「構いやしないよララディア。どうせ今日はサンディからつまらない帝王学とやらを延々と聞かされるだけなんだからさ。
あんなもの覚えたって何の役にも立ちはしないよ。こうやって野山を駆け巡っていた方がよっぽどためになるのさ。それに…」
そこまで言ってから、王子は不意に顔をほころばせ
「暫くの間、サンディは体を動かせないから僕に勉強なんかさせられはしないんだよ。アハハハ…」
と、サンディの醜態を想像しながらケラケラと笑っていた。
「……」
それを聞いたララディアは、王子が一体どんなことをしでかしたのか容易に想像がついた。
「王子…、またカエルをサンディ殿の部屋に忍ばせましたね……」
ララディアの顔がみるみるうちに曇っていく。
サンディのカエル嫌いはララディアも聞き及んでいる。一旦ぶっ倒れてしまった以上、少なくとも1時間は起きてはこないだろう。
毎回毎回王子の悪戯の餌食にされるサンディには心底同情せざるを得ない。
が、ララディアはその件で王子を責めようとはしなかった。
むしろ、王子を心配するような目を向けている。
「…アレクサンダー王子、本当にこれでよろしいのですか?
このままでは王子ばかりが非難をこうむる羽目になってしまいます。ご自分が、どう思われてもよろしいのですか?」
「今さらそんなことを気にしてもしょうがないよ。僕の放蕩ぶりは国中に知れ渡っているんだからこれ以上評判なんか落ちっこない。
『アレ』のためなら、汚名だって何だって被ってみせるさ」
王子=メルキルス国第一王子、アレクサンダー・イル・メルキルが指差した先には、一面に広がる花畑で楽しそうに花を摘んでいるアレク
サンダーと同じ金色の髪をした少女がいた。
年恰好はアレクサンダーより若く12〜3歳くらいで、肩下まで伸ばした髪はややカールがかかっている。
そして、その肌は日に当たったことが無いのかというくらい真っ白で、むしろ青みがかかっていると言ってもいい。
「………」
その姿を見て、ララディアは昔のことを思い出していた。
それは、サンディの前の教育係が簀巻きにされて筏に乗せられ城の堀を漂っていた時のことだ。
言うまでもなくアレクサンダーは城を脱出しており影も形も無い。
- 城中を駆けずり回ったララディアが、ようやくアレクサンダーの馬がいなくなっている事を確認して外に逃げたことを悟り、
自身も馬を駆って町へと飛び出しいったのがアレクサンダー失踪から40分後。
アレクサンダーはある意味国中の有名人なので足跡を辿るのはそれほど難しくない。少しの聞き込みでアレクサンダーらしき人物が
荷物を載せながら北の小山のほうへと向っていったとの情報を得て、急いで馬を駆けていくと、山の天辺の木の下にアレクサンダーの愛馬
ヴァゼットが繋がれているのを目にすることが出来た。
「…アレクサンダー王子!!」
木の下にたどり着いたララディアは、枝葉が震えんばかりの大声で怒鳴り上げ木の幹を思いっきり蹴り飛ばした。
ドォン!と物凄い音を立てた木は揺れに揺れ、すぐさまガサガサといった葉鳴りと共に上からドサッと重たいものが落ちてきた。
「あいたたた…、ララディア、落とすことはないじゃないか。怪我でもしたらどうするんだい?」
上から落ちてきたアレクサンダーは、ぶつぶつ言いながら強く打った尻を痛そうに擦っていた。
その様が、ララディアの怒りをさらに大きくしていった。
「………王子!!!
あなたは、この国を背負って立つという意味がわかっているのですか?!それは、この国全員の民の存亡を、その手に握るということ
なのですよ!教育係も、それを王子に理解して貰うために、諸々の事を教えようとしているのです!!
それを意に介さずに毎回毎回悪戯し通しで…バカも程ほどにしてください!!」
アレクサンダーに向けるララディアの言葉は、主従の立場にある者としては考えられないほど苛烈だ。もしアレクサンダーの
顔が眼前にあったら思いっきり引っ叩いていたかもしれない。
だが、それほどまでのララディアの怒りを受けてもアレクサンダーはなお飄々としていた。
「程ほどにね…。僕としては程ほどで抑えていると思っているんだけれどね。
第一、やらなければならないと思っていることはきちんとやっているんだ。必要ないことを覚えたって、将来役には立たないだろ?」
「必要でないかそうでないかは、王子が決めることではありません!
今、王子が必要とは思っていないことでも、将来必要になる時が来るかもしれません。その時、どうするのですか!!」
「知っている誰かに聞けばいいさ。そのために人間は聞く耳も見る目も考える脳みそも持っているんだから」
「うぎぎ〜〜っ!」
ああ言えばこう返す。残念だが、口先ではララディアはアレクサンダーに勝ったためしがない。剣を振るうのが専門で論理を構築する
仕事が苦手ということもあるのだろうが、アレクサンダーのすぐに反論が飛び出す頭の回転の速さからしても、そもそもの脳の資質が
アレクサンダーとララディアでは月と大地ほどの距離の開きがある。
「知識なんか、後でいくらでも手に入れるここが出来るんだ。それよりも、今しか出来ないことを今堪能する方が大事じゃないのかい?
この短い人生、急いで駆けたっていい事なんか一つもないよ」
この時、それまで朗らかに笑っていたアレクサンダーの顔に一瞬だが暗い影がさした。
が、王子に論破された悔しさから頭に血が上っていたララディアにはそのことに気が付くことは無かった。
「とにかく!!今すぐお城に戻っていただきます!覚悟しておいてくださいね。
陛下からもお仕置きをたっぷり与えてもらうようにお願いしておきますから!!」
口で勝てなかったララディアは、次は腕力に訴えてアレクサンダーを連れ戻そうとした。アレクサンダーの耳をぎゅっと抓り上げて
強引にヴァゼットのほうへと引っ張っていく。
「あいて!いてててっ!!ちょ、ちょっと待ってくれララディア!
行く。行くから手を放してくれ!まだ……」
「そう言ってまた逃げ出す気なんですね。そうはいきません!
このままヴァゼットに縛り付けて連れ帰りますから。わかりましたね!!」
過去にも同様の手口で逃げられたことが何度もあるララディアは、アレクサンダーの言うことに耳も貸さずに縄を取り出し、アレクサンダー
の体をぐるぐる巻きにし始めた。
と、その時
「待ってララディア!兄様を許してあげて!」
山の斜面に広がる花畑から聞き覚えのある声が聞こえたかと思うと、金色の髪を纏った少女がぴょっこりと顔を出してララディアの
ほうへちょこちょこと歩いてきた。
- その姿を見て、ララディアは驚きで目を大きく見開いた。
「ア、アルマリス様?!なんでここに!!」
そこにいたのは、アレクサンダーの妹でメルキルス国第一王女、アルマリス・フィル・メルキルだった。
ララディアはてっきりアレクサンダー一人だけで脱走していたと思っていたのでアルマリスの登場は完全に予想外だった。
「お願いララディア、兄様を怒らないで。
もとはと言えば、お外に出たいって言った私が悪いの。…兄様は私のお願いを聞いてくれて外に出してくれただけなの。
だから、悪いのは私なの。お兄様を怒るなら…、代わりに私を怒ってほしいの」
アルマリスはばつが悪そうに、ぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいる。
「お、王子…。アルマリス様を、外にお連れしたのですか?!」
ララディアの声にはかなり非難めいたものが混じっている。
アレクサンダーの妹、アルマリスは奔放なアレクサンダーとは正反対の大人しく物静かな性格をしており、生まれ付いて病弱で
しばしば高熱を出してはベッドで寝込み、周りをやきもきとさせていた。
そのため医者から外出を控えるように言われ、ほとんど城の外に出ることも無く大抵は自室で一日を過ごしていた。
「ああ、出した。
アルマリスは生まれつき体が弱いから外に連れ出すことはダメだってのは承知している。
だからって、篭の鳥みたいにずっと城の中で飼われるようなことをして、それでアルマリスが幸せだと思うかい?」
アレクサンダーの表情からはそれまでの浮ついた笑みが消え、苦虫を噛み潰したような不快さが滲み出てきている。
「冗談じゃないよ。体が弱いのを理由にして殆ど外の世界を見せないで、それでアルマリスがこの先どんな人間になるっていうんだ?
城の中だけしか知らないで大人になったら、まともな人間なんかに絶対なるもんか。それをみんな分かっちゃいない。
妹にそんな残酷な未来を押し付けるなんて、兄としては見過ごせるわけはない」
その顔は、真剣に妹の未来を憂いている表情だった。
「…っ!」
それを見たとき、ララディアはこれが本当にあの放蕩王子と同一人物なのか疑ってしまうほどだった。
もしかしたら、普段の悪童っぷりが全て演技ではないのか。などというありえない妄想すら一瞬抱いてしまった。
「実は、これまでもちょくちょくアルマリスを連れてここに来ていたんだ。ここからの景色とこの花畑、そしてこの木をアルマリスは
特に気に入ってくれたから」
アルマリスは、アレクサンダーの言葉に恥ずかしげに顔を明らめ俯いている。
「城の狭っ苦しい空間にいるより、ここでのアルマリスはよっぽど輝いていたんだ。今まで見たことが無いほど、生き生きと活発に
していたんだ。
だとしたら、その輝きを失わせるような真似が、兄としてできると思うかい?出来ないだろ」
これらの言葉から察するに、どうやらアレクサンダーはしょっちゅう城を抜け出しアルマリスと一緒にここに来ていたようだ。
その際、歴代の教育係その他等々が犠牲となっていたのは想像に難くない。
「別に僕が汚名を被る分にはいいんだ。どうせ今バカをやっていたって大人になればいやでもこの国の王になる。
王になればバカも悪戯も何も出来なくなるんだ。僕がこの国全部を引っ張っていかなければならなくなるんだから」
淡々と語るアレクサンダーの顔からは、いつも見せている生意気な笑顔ではなく、どこまでも続く虚無が張り付いている。
「!!」
その時ララディアは、アレクサンダーの立場を改めて思い知った。
この少年は、既に自分の未来がどういうものになるかを理解している。この国を治める王となって、滅私の奉公をさせられる事を知っている。
それは自分で決めたものでもなく、自分が望んだものですらない。
自分が生まれる前から決められた一本道を、後ろに引くことも出来ずただ前に進んでいる。
それを何の疑問に思わず、言われるままに進んでいけるならまだ良かった。
が、アレクサンダーは聡明すぎた。10歳になる前から自分の立場というものを完全に理解してしまっていた。
どうせ自分には決められた道しか記されていない。その運命から逃げることは出来はしない。
だったら、徹底的にそれに抗ってやる。後戻りできない歳になるまで運命に逆らい続けてみせる。可能な限り寄り道してみせる。
その意思表示のための悪戯であり、無軌道な放蕩三昧だ。どうせ、大人になれば二度と出来なくなるのだ。
今は怒られて許されるものだが、大人の時に行えば個人だけでなく国を潰しかねない。
アレクサンダーは決してこの国を嫌っている訳ではない。自分の我侭でこの国を壊すわけにはいかない。
- 「だから、僕がどう思われようと構いはしない。僕が怒られるのも全然問題ない。
アルマリスに楽しい思い出が出来るなら、僕は喜んで怒られよう」
「兄様……」
自分を心配そうに見るアルマリスに、アレクサンダーは慈しむように頭を撫でニコリと笑った。
「妹を幸せにするのは、兄として当然の努めだよ」
「………」
いつの間にか、ララディアの目から涙が轟々と溢れ出ていた。
放蕩王子、放蕩王子と回りから疎まれ、自分もそれらと同じ目線でアレクサンダーを見て、救い様のないバカと認識していた。
正直、任務でなかったらとうの昔にほっぽり出したかったし、王子でなかったら何十発とひっぱたいて性根を入れ替えようとしただろう。
しかし、それは自らの立場を理解しつつ運命に懸命に抵抗しようとする少年の精一杯の感情表現であり、病弱な妹にせめて人間らしい
喜びを与えてあげるために自らを道化とした結果であった。
この王子の孤独に、周りの大人は誰も気づいてあげられなかった。一番近くに常にいた自分ですらも。
「お、王子ぃ……、申し訳ありませんーーーっ!!」
たまらずララディアは地面に顔を伏せ、大声を上げてオイオイと泣き始めた。
「お、おいララディア……」
突然の事態にアレクサンダーが戸惑いの声をあげるが、それでもララディアは泣くのを止められなかった。自分への情けなさと
恥ずかしさでとても顔を上に向けることが出来なかった。
「わ、私は王子の護衛失格です!王子の苦悩を、いつもそばにいながら全く理解できていませんでした…!
申し訳ありません、申し訳ありません〜〜〜っ!うわぁぁ〜〜〜っ!!」
「あ、あうぅ…。これは、参ったなぁ……」
目の前に突っ伏し泣き喚くララディアに、アレクサンダーはどうしてよいのかわからずただおろおろするだけだった。切れすぎる頭は
打算や計算に対しては怜悧冷徹に働くものの、人間の感情の突然の機微に対しては全く機能せず、また冷静に対処するにはアレクサンダー
はまだ幼すぎた。
その時、アレクサンダーの横からアルマリスがちょこちょこと飛び出てララディアの前にしゃがみこんだ。
「ララディア、もう泣かないで」
アルマリスは心配そうな声でララディアに語りかけ、小さな右手をポンとララディアの頭の上に置いた。
「ララディアが泣いていると、私も泣きたくなってくる。悲しいのはイヤなの。泣かないで」
「うぇぇ……?」
涙やなにやらでぐしゃぐしゃになったララディアの霞んだ視界に、アルマリスの顔がおぼろげに映りこんでくる。
その表情は、今にも落ちそうな涙を懸命に堪えたものだった。
「ア、アルマリスさまぁ…、でも、私は、私はぁ……」
「泣きたい事があったら笑えばいいって、母様も兄様も教えてくれたの。
ずっと笑わないでいると、顔が笑いかたを忘れちゃうのよ。だから、笑って。ララディア」
その声は、自虐に押し潰されそうになっているララディアの心に救済の光を与えていった。
「そうだよララディア、君は何も悪くない。自分を責める必要なんかないんだ」
アルマリスの行為に呪縛が解けたのか、アレクサンダーも腰を落として目線をララディアに合わせ、懸命にララディアへ言葉をかける。
「うっ、うぁぁ……」
兄妹の自分に対する態度に、ララディアの心に自分は許されているんだ、という想いが次第に膨らんでくる。
「は… っ、は、はは は………」
ララディアは嗚咽を出しそうになる声を必死に押し潰し、引きつった顔の筋肉を懸命に動かしてどうにか笑顔といえるものを形作ってみた。
それは他人から見たら笑顔と言うより奇顔だっただろう。
が、アルマリスはそんなララディアの顔を見てにっこりと微笑んだ。
「うん。ララディアはいい子ね。いい子いい子…」
アルマリスは何とか笑顔を崩すまいとしているララディアの頭を褒めるようになでなでと擦った。
- 「あ、あ、あじがどう… ございばずぅ……」
そんなアルマリスに、ララディアは精一杯の笑顔を浮かべながら先ほどとは違う嬉しさから来る涙を一杯に溢れさせていた。
「いいかいララディア、このことは僕たち三人だけの秘密だ。絶対に他の人間に喋ってはいけないよ」
「いけないのですよ。わかりましたね」
外に出すことが許されていないアルマリスを連れ出していることが露見したら、絶対にアルマリスの部屋には監視がつき連れ出すことが
困難になってしまう。
アルマリスがほとんど部屋の外に出ることが無い現状だからこそ、周りの目も油断しこうやって時々周りの目を盗んで連れ出すことが出来るのだ。
「わかりました。三人だけの秘密、ですね」
ララディアは、これまでに無いさっぱりとした表情でアレクサンダーの言葉に頷いていた。
今のララディアに、ついさっきまで心の中にあったアレクサンダーに対する嘲りの気持ちはもう微塵も無い。
目の前にいる人物は年甲斐も無く悪戯にうつつを抜かす大馬鹿野郎ではなく、他人の幸福のためなら平気で己を殺すことが出来る貴人だ。
自分が忠節を誓うに足る偉大な人間なのだ。
そして、そんな人物に仕えられる幸せ。その人物と秘密を共有する幸せを全身で感じ取っていた。
「よし。じゃあこれでララディアも共犯だな。これから僕たちが外に出るとき、一緒について来るんだぞ」
「来るのよ」
「フフッ、承知いたしました」
こうして、この秘密の場所を共有する人間が一人増えた。
三人は、城の中で怒号と悲鳴が飛ぶごとにそっと抜け出し、この場でつかの間のくつろぎを送る時間を作っていった。
「今日は、アルマリス様のお加減もよろしいようですね」
「だからこそ抜け出したんだけれどね。最近、また少し具合が悪かったからずっと篭りっきりだったし」
体が弱く城から外に出られないアルマリスは、当然だが同年代の友人と呼べるものは無く話し相手も兄のアレクサンダーぐらいだった。
それも体調が崩れると部屋に出入りが禁じられるため、伏せている時のアルマリスはただじっとベッドの中で寝ているか本を読むくらい
しか楽しみが無いのだ。
それだけに、この秘密のお出かけは今のアルマリスの一番の楽しみだった。外に出られると聞いただけで、青みがかかった肌がサッと
紅潮し顔に喜びの笑みが浮かび上がってくる。
その顔を見るのが、アレクサンダーとララディアにとって何よりも喜ばしいものだった。
「兄様、ララディア!見てください!」
さっきからしゃがんでじっとしていたアルマリスが突然立ち上がり、くるっとアレクサンダーたちの方へ振り返った。
その手には摘んだ花を編んで作ったと思われる、真っ白な花輪が二つ握られていた。
「まあ!とても綺麗ですよアルマリス様!」
「ああ!すごいぞアルマリス!」
アレクサンダーもララディアも、その出来栄えに素直な賛辞を送っていた。城内で刺繍やピアノを習わされているため手先は器用なことは
分かってはいたが、初見でいきなりこんなものを見せられては感嘆するより他に無い。
「はい、兄様」
アルマリスは手に花輪を持ったままアレクサンダーに近づき、少し背伸びをしてから花輪をアレクサンダーの首にかけた。
「ララディア、少し体を屈めてください」
そして、ララディアが言うがままに腰を曲げ首を下ろしたところにもう一つの花輪をかけた。
「お似合いですよ。兄様も、ララディアも」
楽しげにキャッキャと笑うアルマリス見て、アレクサンダーもララディアもとても幸せな気分になってきた。
これを見れただけでも、今日強引に外に出てきたかいはあっただろう。
「ありがとう、アルマリス」
「有難うございます、アルマリス様」
「うふふ、どういたしまして……?!あっ…」
二人の心からのお礼ににこりと微笑んだアルマリスの足が、不意にぐらりと揺れた。
- 「アルマリス!!」
そのまま地面に倒れようとしたアルマリスの体を、アレクサンダーが慌てて抱え込んだ。
「どうした、アルマリス!」
「…申し訳ありません兄様。ちょっと疲れて目が眩んだだけです…」
兄に心配かけまいとアルマリスは気丈に振舞っているが、心なしか顔色がさっきよりも悪くなっている。
「アレクサンダー様、今日はもう戻った方がよろしいかと」
ララディアも心配そうにアルマリスを見つめている。これ以上の外出はアルマリスの体に負担をかけすぎるようだ。
「そうだな。そろそろサンディも大騒ぎしはじめる頃だしな」
アレクサンダーはアルマリスを支えたまま、愛馬ヴァゼットへと歩んでいく。
「兄様…、今度はティフォンも連れてこられるといいのですのにね」
ティフォンとは、アルマリスが5歳の誕生日を迎えた時に両親からプレゼントとして贈られた犬のことだ。もらわれた頃はアルマリスでも
抱えられるほどの小ささだったのだが、外に出られないアルマリスが召使の手も借りずに甲斐甲斐しく育てた結果なのかみるみるうちに
大きくなり、遂には身長180cmを越える大型犬となってしまった。
今では城にいるときのアルマリスの一番の遊び相手であり、また一番の護衛でもあった。
「う〜〜ん…」
アルマリスのお願いに、流石にアレクサンダーは顔を顰めた。ティフォンは賢い犬でそうそう吠えたりはしないのだが、あの大きさを
隠して持っていくのは流石に多少の無茶がある。
だが、面と向って『無茶だ』とも言えず、とりあえず
「そうだね。今度連れ出せるよう努力してみるよ」
とだけ答えておいた。
「ありがとうございます兄様……。こほっ、こほっ…!」
体が辛いのか、アルマリスは軽い咳を2、3回吐いた。だが、心配そうに見つめるアレクサンダーに自分は大丈夫との意思表示なのか
口を抑えた右掌をすっと前に出した。
「…申し訳ありません兄様。私の体がもう少し丈夫でしたら…」
「それはアルマリスが気にすることじゃない。気にすることじゃないんだ…」
しゅんとうな垂れるアルマリスを、アレクサンダーは優しい声で慰め続けていた。
「………」
その姿を、ララディアはとても痛々しそうに眺めていた。
序章終
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○一章
「先ぱ〜い、ご苦労様です」
誰かの目に触れられないようさりげなく城に戻ってきたララディアに、後輩であり城内衛兵のクーラが声をかけてきた。
表向き、ララディアは城を抜け出した王子を追いかけるという目的で城から外に出ている。そのほうが後でごかましが利かせやすいからだ。
ちなみに、アレクサンダーは帰るなりすぐに執事長のシャップ(=爺)に耳を引っ張られ奥の部屋へと拉致されていった。
現在は嵐もかくやと言わんばかりの大雷がアレクサンダーの頭上に落ちまくっていることだろう。
「ああ、ありがとう」
騙しているのは気が引けるが、ララディアはクーラの気遣いに素直に言葉を返した。彼女はララディアがアレクサンダーの護衛になる前
からの付き合いで、訓練学校時代によく慕われてきたものだった。
「でも、王子ったら相変わらず子どもっぽいですよね。勉強嫌いだからってサンディさん気絶させてまで逃げるんですもの。
まあ、毎回毎回同じ手に引っかかるサンディさんもバカと言うか、なんと言うか……。笑っちゃいますよね〜〜
知ってます?サンディさんったら一向に起こしにこない周りに腹立てて、ドア番ぶん投げたらしいですよ。おっかないですよね〜〜」
クーラは、虚実織り交ぜて城内で起こったことを面白おかしそうにぺらぺらと捲し立てた。
アレクサンダーが場外に出る理由を知っているララディアは、クーラのアレクサンダーに対する無神経な言葉に少し不快感を覚えたが、
城内、というかこの国の人間のアレクサンダーに対する評価はクーラのそれと大して変わりはしないことは分かっているので、ここで
反論をするのは抑えて言葉無く曖昧に頷いていた。
だが、現実の脅威はすぐ後ろに迫っていた。
「誰が、おっかないですって?」
クーラの後ろから物凄〜く不快そうな雰囲気を纏った声が響いてきた。その声を耳にしたクーラはビクッと背筋をおっ立てた。
「だ〜れが、おっかないのかしら。ク・ウ・ラ・ちゃん?」
クーラの足元がガクガクと震えだしてきている。ララディアはとりあえず巻き込まれたくはないとばかりにクーラから視線を外していた。
「あ、あの、あのあのあのあのあの…!」
「話をする時は、相手の顔を見て話せって、学校で教えられなかったかしら?ほら、こっちを向きなさいな…」
後ろの声は、クーラに相当な威圧感を持って語りかけてきている。クーラの方はそれに圧倒されて完全に体が硬直し、振り向こうにも
なかなか首が言うことを聞いてくれない。
ギ・ギ・ギと、まるで金具が錆付いたドアのようにクーラの頭は緩慢に後ろへと回っていった。
そして、完全に振り向ききった先には…
怒りで怒髪天どころか服までゆらゆらと揺らめいているサンディが立っていた。
「き、きゃあぁ〜〜っ!サンディさん!!王子のお説教に付き合っていたんじゃないんですか〜〜っ?!」
「あれはシャップ殿が一人でやっているわ。流石に王子もへこたれているみたいね……
え?私はしないのかって?私はあとでするのよ。王子に山ほどのドリルを押し付けて、徹夜でスパルタしてやるわ…。そう、徹底的に……
フ、ウフ、ウフフフフ………」
不気味にほくそえむサンディの表情は完全に彼岸の方向へ向いている。その顔に、クーラのみならずララディアも背筋に冷たいものが走っていた。
「あ、そうそう。私がおっかないって言ったわね。あれって……」
「せ、先輩!私、仕事に戻りますから!!失礼しま〜〜〜す!!」
サンディの瞳の中の光に身の危険を感じたクーラは、ララディアにペコリ一礼すると、そのまま足早にこの場から撤退していった。
「あ、こらクーラ!一人置いて……」
そういったが既に遅し。クーラは最早視界の届かないところにまで逃げ込んでいっている。
いや、よく見れば周りには人の気配がなにもない。みんなサンディの癇癪を恐れて周りから消え去ってしまったのだ。
(しまった!逃げ遅れた!!)
そう思っても後の祭り。今この場にはララディアとサンディしかいない。
「……ララディア…」
サンディの眼鏡がきらっと光った。どうやら怒りの矛先のロックオンを完了したらしい。
「元はといえば…、あんたが王子の手綱をきちんと締めてないからいけないのよ……」
サンディの握り締められた右拳に、少しだが陽炎のようなものが発生している。
- 「あんたが王子をきちんと見張っていないから、私がこんな理不尽な目に会うのよ……」
手の陽炎は、次第にゆらゆらとした炎を纏い始めている。
「あんたがしっかりしていないから、あのバカ王子が増長するのよ!!」
ゆらゆらとした炎は、形を整え火球に成長していっている。
「ちょっと待ってサンディ、気を落ち着けて……」
ララディアがサンディの怒りをなんとか静めようとしたが、どうやらこの声がきっかけになってしまったようだ。
「少しは反省しろーーっ!!この脳筋ー!!」
サンディは自らの手を大きく振り上げ、生成した火球をララディア目掛け思いっきりぶん投げた!
もちろん人一人殺せるような炎には成長していないものの、まともに喰らえば大やけどを免れ得るものでもない。
唸りを上げてララディアに突進する火球!が、
シュゥン
今にもララディアに当たらんとした火球は、ララディアに近づくにつれ火勢を失い遂には目の前で掻き消えてしまった。
「ふざけんなこん畜生がーーーっ!!」
それを見て余計に腹が立ったのか、サンディは次々に火球を作ると辺り構わずボンボンと撃ち始めた。
日ごろアレクサンダーのせいでストレスを溜めまくっているサンディは、最近ふとしたことがきっかけで大爆発し破壊魔法を近辺に
乱発するという困った癖がついていた。
これを見越していたので周りの人間は避難を完了していたし、石造りの城壁や柱はこんな火球が当たってもどうということはない。
それに、『あの王子』の教育係をまがりなりにも勤め上げているのだから面と向って文句もいいにくい。では自分がやってみるかと
言われたら、首を縦に振る人間はまずいない。
火球は壁や柱に当たったものは四散し消えていくが、相変わらずララディアに近づくものは届くに至らず消え去ってしまう。
時間にして数分、ボカンボカンと撃ちまくっていたサンディは、息が切れたのか魔力が切れたのかゼイゼイと肩で息をしながらギラリと
ララディアを睨みつけた。
「ハアッ、ハアッ……」
「…どう。これで気が済んだ?」
ララディアはどこか辛そうな目をサンディに向け、それを見たサンディはふい、と顔を横に背けてしまった。
心なしか、顔が恥ずかしさからか赤くなっている。
「ふん…!相変わらず非常識な体質よね……。私ら魔導官の存在意義が問われちゃうわよ……」
そう、ララディアは生まれつき外部から来る魔力に対し、異常なまでの抗魔力(レジスト)を持っていた。彼女の前にはどんな強力な
破壊魔法や間接魔法も意味をなさない。全て届く前に打ち消されてしまうのだ。
この特異体質あってこそ、剣技は決して高いとはいえないララディアがアレクサンダーの護衛係に選ばれたのだ。
極めて平和な国ゆえに暗殺の心配はそれほどないが全く無いとも言い切れない。その時、遠くから放たれる魔法に対し完璧な防御力を
見せるララディアは護衛にはうってつけである。
もっとも、あまりに強力すぎるゆえに治癒魔法すら効かないといった欠点もあったのだが…
「ああもう!どうしてくれようかしらあの馬鹿王子め……」
「………」
まだ鬱憤が収まりきらないのか、爪をかじりながら不機嫌な顔を浮かべているサンディを見てララディアは胸がグッと詰まった。
サンディが不機嫌になっている原因は言うまでも無くアレクサンダーの傍若無人な振る舞いにある。
が、アレクサンダーの行動の元が、自らの境遇に対してのストレス発散と妹に対する想いから来ていることを知っている立場からすれば
サンディに真実を知ってもらえれば事は簡単に解決するはずなのである。
-
が、そのことを言うわけにはいかない。そのことはアレクサンダーとアルマリスとの三人だけの秘密であり約束を破るわけにはいかない。
サンディに事情を話して秘密だから誰にも言うなと言うことも出来るが、秘密というものが大抵、こう言ったことの繰り返しで広まって
いってしまうことは明々白々である以上、誰にもこのことを言うわけにはいかなかった。
「ララディア、あんたも少しは王子にきつく当たってちょうだいよ!こう何回もお城の外に抜けだされたんじゃ、あんたの立場だってない
んだからね!!」
「え、ええ…。善処するわ」
まさか一緒に城の外に付き合っている、なんて言える訳ものないのでララディアは適当な言葉でお茶を濁した。
それを見たサンディは「ふん!」と鼻を鳴らすと、地響きでも立てそうな大股でずかずかと歩いていってしまった。
「…ご免なさいね、サンディ…。あなたには心労をかけさせてしまって…」
「でも、あそこまでヒステリー起こされたらこっちとしてもいい迷惑ですよね〜〜」
「まあね。でも、その気持ちも分からなくは無いけれど」
「それは確かに言えますね…。あの王子の悪戯に面と向ってつき合わされたらいくら体あっても持ちませんよ」
「王子ももう少し自重………?!」
あれ?私は一体誰と相槌を打っているの?
はっと気づいたララディアが横を見ると、そこにはどこから湧いてきたのかさっき逃げたはずのクーラがさりげなく立っていた。
どうやら、サンディがいなくなるまで近くに隠れていたとみえる。
「あれ?どうしたんですか先輩?」
「………」
呑気な顔して語りかけてくる後輩を、ララディアは思わずぶん殴りそうになってしまった。
「くっそ……、まだむしゃくしゃするわ……」
つい今までの大暴れでもまだ足りないのか、サンディは怒りからくる異様なオーラを周りに発散しながら廊下をずかずかと歩いていた。
大体、自分は王子に知識を教えるためにここにきたのだ。こうして毎度毎度カエルに怯え気絶する日を繰り返すために来たのではない。
「ララディアがもう少しきちんとしていてくれれば、あんなに王子を増長させることは無いんだわ…」
自分は王子のことを考え、常日頃王子を真人間に更生させるよう努力している。
でも、それは一向に実を結ぶ気配は無い。なぜなんだろうか。
自分は悪くない。自分は精一杯自分のやるべきことを努めているつもりだ。
それでも改善しないのなら、それは周りが悪いんだ。
自分の努力をなんとも思わないバカ王子が悪い。王子に甘いララディアが悪い。王子にべったりしているアルマリス様も悪い。
王子をあまり叱らない陛下も王妃様も悪い。シャップ殿も悪い。あいつも悪い。こいつも悪い…
王子の部屋の外の木が悪い。あれが王子を部屋から逃げやすくさせている。
王子の部屋の椅子が悪い。あれがあるから王子が窓枠に足を乗せやすくしているんだ。
そもそもこの城の空気も悪い。いやこの国そのものが悪い。あれも悪いこれも悪いそれも悪い………
やり場のないサンディの怒りは、自分の周りにあるもの全てに理不尽にぶつけられていっていた。自分が悪くない以上、悪いのは
自分を取り巻く環境と他の人間に決まっている。そう思い込むことで、サンディは自壊しそうになっている自我を辛うじて食い止めていた。
俯き加減に眼鏡を光らせ、小さい声でぶつぶつと呟いているサンディを、ある者は恐くてその場を離れ、ある者はとうとうサンディ殿
にも限界が来たと胸元で十字を切っていた。
ドン!!
-
そんなサンディだから当然前なんか見ているはずも無い。気づいた時には、サンディは何かにぶつかった衝撃と共に尻餅をついていた。
「いったぁ〜〜。どこ見ているのよ!!このニブ……!」
どう考えてもぶつかったのはサンディの責任なのだが、気が昂ぶっているサンディはついつい相手への悪態を口に出してしまった。
いや、正確には出しかけた。
出そうとして、止めてしまった。
「だ、大丈夫ですか……?」
サンディの見上げた先には、現在この城内の女性内の話題を掻っ攫っている一人の男性が立っていた。
彼の名前はナールス。つい2ヶ月前までは誰も知らなかった男である。
2ヶ月前、メルキル16世夫人である王妃フェレスが外出直後原因不明の病気に罹患してしまった。元々体がそう強くなかった王妃だったが、
今回の病気はそれまでのものとは訳が違っていた。
全身が真っ赤に充血し、40度近い高熱が何日たっても引かなかった。食べ物は何も喉を通さず、辛うじて水だけが飲める有様。城の典医も
まったく原因を突き止められず、遂には匙を投げてしまった。
困り果てた国王は、城内外を問わず情報と治療法を探すように触れ回った。が、そんなことをしても到底間に合うはずがないと誰もが思っ
ていた。王妃の命は最早風前の灯であり、アレクサンダーもアルマリスも覚悟を決めていた。
そこに現れたのがナールスだった。
自称薬学を勉強中というこの男は、まだ30にも満たなそうな風体、日に当てたことが内容に錯覚させるほどの白い肌。それを覆い隠すか
のような真っ黒なローブ。一目見ただけで女性はおろか男性をも虜にしそうな美貌、落ち着いた物腰。
最初に見たとき、誰もが来る場所を間違えたのでは?と思わざるを得ないものだった。
が、ナールスは驚くべき薬品の知識と診療の冴えを見せ、ナールスが王妃の治療を受け持ち城内の薬品庫を開放したそのときから王妃の
容態はみるみるうちに改善を見せていった。
ナールスが調合した薬はたちまちのうちに王妃の熱を下げさせ、熱が引いたことにより食欲も元に戻ってきた。
闘病中に20s以上落ちた体重も次第に増えてゆき、1週間後にはベッドから立てるように。2週間後には真っ直ぐ歩けるようになり、
1ヵ月後には完全に治癒してしまった。
これには国王もことのほか喜び、ナールスに典医としての身分を授け、国の医術向上に役立ってほしいと頼み込んだのだ。
さらに、薬学の研究施設として城の一角をさし出し助手もつけるというおまけも加えて。
ナールスは喜んでその旨を受諾し、城の西櫓の2階を貰い受けて研究施設とした。勿論ここは他の典医にも開放し自分の知識を惜しげも
なく教え授けていた。
博学で礼儀正しく、おまけに完全美形。こんな完璧超人が話題にならないわけが無い。
たちまちナールスは城内のアイドルとしての地位を確立し、各地各所で話題の種となっていった。
擦り寄ってくる女性に、ナールスは多少戸惑いながらも丁寧に応対していった。それがまた、城内の女性の心象をよくするものにしていった。
サンディも勿論その話題の輪の中に入った事があり、魔道官の同僚とあれこれ話し合ったものだった。
ただ、ナールスがいる西櫓は普段サンディがいる中央宮殿からは結構離れたところにあり、直接面識することはほとんどなかった。
直接見に行くという暇な時間が作れるはずも無く、あったとしてもアレクサンダーのちょっかいで潰れてしまうことがしばしばあった。
小さい頃から勉強に打ち込むあまり恋愛沙汰には疎いサンディだったが、それでもナールスを遠くから一目見ただけでその容姿に胸の
高鳴りを抑えることは出来なかった。
- そのナールスが、今目の前に立っている。しかも、自分の不注意で激突したというオチがついて。
「………」
なんて言葉を発していいかわからず口を開けたままポカンとしているサンディを、ナールスは不審げに眺めている。
「もし……、どこか体を打ちましたか?それとも私の顔に何か……?」
そのナールスの言葉にサンディは金縛りが切れたかのようにハッと我に帰り、慌ててその場から立ち上がった。
「あ!す、すみません!!ちょっと考え事していたもので前をよく見ていませんでしたもので!!
本当に、本当に申し訳ありませんでした!!」
憧れを抱いている人間に不注意でぶつかった挙句、八つ当たり気味に暴言を吐いてしまった。
サンディは気恥ずかしさからまともに前を見れず、顔を真っ赤にしてコメツキムシのようにガックンガックンと何回も腰を折り曲げて
平謝りに謝った。
「ああ、いやこっちも迂闊だったもので…。そんなに謝ってくださらなくても結構ですよ……」
ナールスは困ったかのように『まあまあ』と両手を前に出してなんとかサンディを落ち着けようとしていた。が、その心遣いがさらに
サンディの羞恥心を加速させていった。
本来なら、袖擦りあうも何かの縁。ここでもう少し話が弾めばなにかのフラグも立って…。なんて考えたかもしれないが、今はそれ以上に
恥ずかしさの方が先に立ってしまっている。もう一分一秒でもここに留まりたくはないと心の声が告げている。
「そ、それじゃあ私はこれで!!」
僅かな後悔を心に残しながら、サンディは足早にこの場から立ち去ろうとした。
が、
そんな自分の体がガクン!と前に突っ張った。
「?!」
どうしたことかと自分の体を見てみると、左腕の先が何かに掴まれているではないか。
「ちょっと待ってください。そんなに思いつめた顔をしていられたら、こっちとしても気になるではありませんか。
どうですか?もし私でよろしければ相談に乗りますが」
なんとナールスがサンディの手を手袋越しではあるが握り締め、さらにあろうことか自分に向けて話し掛けてきているではないか。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
突然のことに、サンディの顔は一瞬のうちに耳までボッと赤く染まってしまった。
サンディを見るナールスの顔は、本当にサンディのことを心配してそうな困った表情をしている。
「……!」
サンディはナールスの好意に心の奥をドクン!とときめかせたが、ではお願いしますと素直に受け入れらる心の余裕もまたなかった。
「き、ききき気持ちだけううううけ取っておきままますかららら……。も、もう手を放しててて……」
慌てまくって呂律が合わず、奇妙な言葉が口から飛び出てくる。それが羞恥をブーストさせ、発する言葉がさらに頓珍漢になっていく悪循環。
が、その間もナールスはサンディの瞳をジッと見つめていた。
「そんなに慌てないで……。もっと心をリラックスさせてください……」
「え、ぁ…」
あくまでも冷静なナールスの声が、上ずりまくったサンディの心を次第に落ち着かせていっている。
いや、それだけではない。
サンディの錯覚だろうか。自分を見るナールスの瞳がチカチカ、チカチカと光っているような感じがする。
黄色であったり、赤くあったり、金色であったり…
それが、次第にサンディの視界いっぱいに広がり、それ以外が見えなくなってしまってきている。
聞こえる音が、ナールスの声だけになってしまってきている。
体に感じるものが、ナールスのものだけになってしまっていっている。
「あぁ……」
この時、魔導官としての理性がなんらかの精神攻撃を受けているとサンディの心に訴えかけてきた。それを受けて今すぐこの場を離れな
ければ危険だと心がサイレンを発してくる。
が、それすらナールスの瞳は強引に押し潰していった。
- まずい!というサイレンが心から脳に届く前に、サイレンそのものが根元からちょん切られてしまった。
結果、次第にサンディの目は光を失い、表情も呆けたものへと変わっていった。
さっきまでの怒り狂ったサンディも、恥ずかしさで顔を赤らめたサンディももはやいない。
ただの人の形をした物体と成り果てたサンディが、そこにはいた。
「さあ、もう私の言うことしか聞こえませんね…」
「は、はぃ……」
ナールスの声に、サンディはまるで人形のようにかくん、と頷いた。
「結構です。じゃあ、もっと落ち着けるところに行きましょうか。ここなら、私の研究室も近いですし」
「…はい……」
表情に完全に意志の光を失ったサンディは、ナールスの腕に導かれるままその場を歩き去っていった。
ここはナールスが普段いる西櫓とは正反対のところだ。何てことも考えることも出来なかった。
「さあ、いろいろと散らかっていますがどうぞ…」
ナールスに招かれ、サンディはふらふらとした足取りでナールスの研究室へと入っていった。
「扱っている薬品の中には日光を嫌うものも結構ありまして…、足元が見づらいでしょうが勘弁してください」
そこは、窓は完全に目張りされて一筋の光も入らず、天井に下げられている豪華なシャンデリアが昼にも拘らず煌々と灯っている。
壁という壁は薬草やら薬品やら文献やらで埋め尽くされ、奥には半透明の溶液が張られた浴槽?や、机一杯に積み上げられたレポート
が今にも崩れ落ちそうに傾いでいた。
床は綺麗に掃き清められているが、それ以外はいかにも研究室と言った風情の場所だった。
「では、そこの椅子にでも座っていてください。今、飲みものの準備を致しますので」
そう言って奥へと消えていくナールスをじーっと見たまま、サンディは設けられた椅子にとすっと座り込んだ。
(私……、なんで、ここにいるの……?)
サンディは、いま自分がどういう状況にいるのかをいまいち把握できなかった。
確かにナールスに声をかけられたときは心臓が飛び出るほど嬉しかったのだが、そんな好意に甘えられる状況じゃないと感じていたはずだ。
それが、自分でもわからないうちにナールスの言葉に従って、こうしてのこのことついてきてしまった。
さっきのどこら辺からだったのだろうか。まるで、自分が夢の中にいるような感覚に捉われていってしまった。
自分の意識はあるのに、劇中の登場人物のように他人が書いた劇のシナリオ通りにに体が動いているような感じ。
(……あの時ナールスさんの瞳がキラキラと光ったような感じがして……。それから……)
それから…、なんなんだろう。頭の中がすーっと痺れるような感じがして……、そして……
(………………)
そこまで考えた時、サンディの瞳から急速に光が失われ、同時に思考能力もふぅっ、と落ちていった。
まるで、それ以上考えることを頭が許さないといった感じに。
(………まあ、いいか。どんな形であれナールスさんに近づくことが出来たんだし……)
そっちの方がよっぽど重要な感じがしていた。今、注目度No,1の人間にこんなに私的に接することが出来る機会なんてそうそうないであろう。
瞳に光が戻らないまま、サンディは口元を手で抑えくすくすと笑っていた。
もちろん、それまでのいま自分がここにいる疑問なんか完全に心の中から消え去っていた。
まあ、普通に考えたら男性が女性を自室に連れ込むことは結構重大なことである。それが親切心で出たことだとしても、それだけで終わるよ
うなことがそうそうあるはずも無い。
「もしかしたら…、このままお付き合いすることになって、それから……、キャッ」
なんて妄想を産んでしまうのも、あながち無理からぬことであろう。
サンディが、そんな妄想に悶々としている時に、奥からすっとナールスが姿を現した。
- 「どうも、お待たせいたしました」
ナールスはトレイの上に上等なティーカップを載せて、カチャカチャと音を立てながらサンディの前にあるテーブルの上に置いた。
そして手際よくカップを自分とサンディの前に置き、自分も椅子を後ろに引いて腰を掛けた。
「………」
サンディは自分の前に置かれたティーカップにじーっと目を落とした。
そこには、赤いバラの花が描かれた見るからに高そうなティーカップが置かれていた。
ただ、置かれていたのはティーカップ『だけ』だった。
中身も何も無い、ただティーカップのみがサンディの前に置かれていたのだ。
じゃあポットはあるのか?と思ったが、ナールスが持ってきたのはティーカップだけだ。
一体これが何を意味するのか。サンディには全く理解が出来なかった。
「あの……。これ、中身はどこに………?」
あっけに取られ間抜けな質問をしたサンディを、ナールスは面白そうな顔をしてみている。
「中身ですか?もう用意されていますよ」
そう言うなり、ナールスは再びサンディの瞳を覗き込んだ。
「ではサンディさん。『まずは服を脱いでください』」
「!!」
突然ナールスの口から発せられたとんでもない言葉に、サンディはギョッとなって目を丸くした。
一体何を言い出すのだろうかこの男は。会って間もない人間に向って、いきなり脱げとのたまうとは!
先ほどまでの惚気はどこへやら、生来の癇癪持ちが一気に沸点まで湧き上がった。
ぱらり
「な、なんてことを言うんですか……、えっ?」
顔を真っ赤にして激怒したサンディはその場でいきなり立ち上がるなり、上着のボタンをプチプチと外しぱらりとその場に脱ぎ捨てた。
その様を、ナールスはニヤニヤと笑いながら眺めている。
「もう一回言って欲しいのですか?『服を脱いでください』って言ったんですよ」
「!」
ナールスの『服を脱げ』と言う言葉を聞いた途端、サンディの体はビクッ!と激しく震え、そのままインナーからズボンから次々と
その身から外していった。
その顔には明らかな戸惑いと怯えの色が浮き出ていた。
「な、なんで?!何で手が勝手に動くの?なんで足が勝手に動くのよ?!」
「それは勿論、私がそうしろって言っているからですよ」
それはそうだろう。でも、それがサンディの意思を全く無視して行われていることが問題なのだ。
たちまちサンディは自らの手で、下着のみ羽織っているという状態になってしまった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
サンディはあまりの恥ずかしさに両手で下着を覆い隠してしまったが、ナールスはあくまで容赦しない。
「まだですよ。まだ服を着ているではないですか」
「こ、これは服じゃなくて下着……」
そんな抗弁など通用しない。
「『全部脱ぎなさい』」
その声と同時に、サンディの両手は腰のショーツに伸びていった。
「い、いやあぁ〜〜〜〜〜っ!」
-
自分の意思よりナールスの言葉に従う腕は、そのままショーツをズリッと引き下ろし、ブラのホックを強引に千切り壊した。
「あ、あぁ…」
あまり日に焼けたことの無い肌。つんと上を向いた乳首。なだらかな曲線を書く腰のくびれ。ほっそりとした太腿。
親以外誰にも見せたことの無い全裸姿を晒されてしまった。
「さあ、『もっとよく見せてください』」
ナールスの声に反応した体は、そのままサンディを『気をつけ』の体勢で固定させてしまった。
もちろん、体の隅々まで余すところ無くナールスの前に曝け出してしまう。
「いや。いや!こんなのいやぁっ!!」
首から上は自由になるのか、サンディは首を横に振って抗議するが、所詮無駄な抵抗に過ぎない。
「これはこれは……、普段厚着をしているから目立たなかったようですが、なかなかいい肉付きをしていますね」
その姿に満足したのか、ナールスは立ち上がってサンディの前まで来て、前から後ろからまじまじとサンディを眺めた。
「や、やめてくださぃ………」
まるで商品価値を見定めるかのようなナールスの視線の動きに、サンディは恥ずかしさから顔を真っ赤にし、涙声でナールスにもう勘弁
してほしいと頼み込んだ。
「では一番大事なことを聞きましょう。これさえ聞ければ勘弁してあげまずよ」
このナールスの言葉に、サンディは内心ほっとした。後少しで、この羞恥プレイから開放される!、と。
すると、ナールスは手袋を外し、その手をサンディの下腹部へと近づけていった。そこには産毛で覆われた、サンディの一番大事なところ
が息づいている。
「えっ?!ちょ……」
驚いたサンディが言葉を発する間もなく、ナールスの指がサンディの陰唇にぴたり、と触れた。その瞬間、
「ひゃっ!!」
まるで氷が触れたような冷たい感触がサンディの下半身に走った。
「ここに、男を咥えたことはありますか?」
ナールスは、サンディの下腹部を捉えながら最後の質問を発した。
「そ、んなこと……?!ひゃあぁっ!!」
そんなことない。と言おうとしたサンディの声が突然上ずった。
答えようとしたサンディが口を開いた瞬間、ナールスは意地悪く指をくいくいと動かし、サンディの肌先を微妙にこねくり回したのだ。
その刺激にサンディの声は言葉を失い、意味不明な戦慄きに化けて口から発せられていった。
「どうなんですか?早く答えて下さい」
そう言いながらもナールスは指を動かすのをやめず、時折くいっと指を突きたてサンディの中に侵入しようと試みたりもした。
「ああっ!やあぁぁっ!!」
その度に、サンディの体はビクビクと揺れ、口からは外にまで響くような喘ぎ声が部屋中に響いていた。
「ほらほら、この小さな孔に熱く太い棒を挿したり抜いたりしたことはないかと聞いているんですよ」
「ああああっ!!ない!ないです!!ありません!!
男に抱かれたことなんて、まだ一回もありません〜〜〜〜っ!!」
ナールスの指戯に翻弄されまくるサンディは、やっとの思いで自分の意思を声に出して言うことができた。
そしてその言葉を聞いて、ナールスはクスリと微笑んだ。
「そうですか……。予想通りあなたは、いい『飲み者』のようですね……」
クッと開いたナールスの口から、犬歯がギリギリと音を立てて牙を形成していっている。藍色の瞳は禍々しい赤光を放ち、せわしなく動か
している指からは爪が鋭く伸び始めていた。
「では、戴かせていただきましょう!」
最早サンディの小指ぐらいの長さ太さになった牙を、ナールスは悶えるサンディの首筋目掛けて勢いよく打ち下ろした。
ズグッ!!
-
「あ、あーーーーーっ!!」
その瞬間、サンディは今まで経験したことが無い強烈な衝撃が首から湧き溢れてきた。
「あっ…ああぁっ……」
それは、痛みとも痺れとも形容できない全く未知の感覚で、体のほうがどう反応してよいかわからず、サンディは全身を細かく震えさせる
ことしか出来なかった。
首に穿たれた2つの牙は正確にサンディの動脈を貫き、血管から噴出す真っ赤な血が傷口からダラダラとサンディの皮膚を伝って流れ出て
きている。
もっとも、その多くは刺した大元であるナールスの口の中に下品な啜り音と共に吸い取られていたので見た目の出血量はそれほどでもない。
『ふふふ、やはり、いい味の血をしていますね』
未知の感覚と出血から来る倦怠感で意識がボーっと痺れてくるサンディの頭の中に、ナールスの声が直接響いてくきた。
このとき初めて、サンディは自分の血が吸い取られていることを理解した。
(血を……、吸われている……?!じゃあ、この人は……吸血鬼なの?!)
『ご名答です。私の本当の名前はナルスト。一応子爵を名乗っております。今後ともお見知りおきを』
(し…しゃく……?爵位持ち?!)
ナールス、いや吸血鬼ナルストが爵位を名乗ったことにサンディは吸血とは別の衝撃を心に受けた。
一般的に、高位の吸血鬼は爵位を名乗ることが多い。それは自己顕示のためとも吸血鬼内での階級分けとも言われているが、実際のところ
は吸血鬼に直接聞かないと分からない。
爵位は5つ存在し、高位の順に伯爵、公爵、侯爵、子爵、男爵となっている。これによれば伯爵が最も力が強く男爵が最も低いものとなる。
が、困ったことにこの爵位は基本的に自己申告なので全然力がないものが侯爵を名乗ったり、逆に物凄く力を持ったものが爵位を名乗らな
いこともできる。
ただ、身分違いの爵位を名乗った吸血鬼と言うのは大抵他の吸血鬼やハンターによって淘汰されていってしまうので、実際に爵位を名乗る
吸血鬼はほとんどが強力な力を持つものだと考えてよい。
そんな爵位を持つ吸血鬼が人間を装い城の中にいる。そのことがサンディの警戒心をマックスにまで引き上げた。
どんな思惑を持っているのか知らないが、この男をこのままにしておくのは危険すぎる。
幸い研究室の前には衛兵が立っている。今が昼である以上、この部屋に入って部屋の目張りを全て開いてしまえば逃げられる術は無く日光
に焼かれて滅びるだろう。
サンディは、霞む頭を必死に動かし、震える唇をなんとかこじ開けて声高に叫んだ。
(衛兵!!ここに吸血鬼が侵入している!!早く窓を開けて………?!)
「あ、あぁぁっ…… あう… う… ?!」
はずだった。が、声はまともに発生されず意味の無い喘ぎ声が零れただけだった。
(?!ど、どうして……?)
『おやおや、あまりの快感に絶えられず声を漏らしてしまいましたか?なんと可愛い方なのでしょう…』
「くっ…!」
頭の中ではちゃんと声を出しているのだから喘ぎ声でないことは分かっているはずなのに、ナルストは意地悪くサンディに話し掛けてきた。
だが、可愛いと言われ、サンディの顔が無意識にポッと赤くなる。こんな状況になってもなお、ナルストに褒められることが心地よいと
感じてしまうことにサンディは屈辱感と共に奇妙な優越感も抱いていた。
『まあでも、ちゃんとした声もまた聞いてみたいですからね……』
そういうなり、ナルストは埋めていた牙をつぷっとサンディの首から引き抜いた。
「うぁっ……。ハアッ、ハアッハアァッ……」
強烈な圧迫感と倦怠感が無くなり、サンディはようやく一息つくことが出来た。が、息が落ち着くなり、
「衛兵!吸血鬼だ!この部屋に吸血鬼がいる!!早く窓を開けろ………!!」
と、大声で怒鳴り上げた。
この吸血鬼が何を考えているのかは知らないが、これでおしまいのはずだ。サンディは傷口を手で抑えながら口元に笑みを浮かべた。
が、
- 扉の外にいるはずの衛兵は、全く入ってくるそぶりを見せなかった。扉の取っ手が動く音も、外で騒ぐ声も聞こえない。
「………?どうした?!早く入って来い……」
「無駄ですよ」
狼狽するサンディに、ナルストが冷静に言い放った。
「この部屋の前の兵士は、既に私の口付けを与えて暗示をかけてあります。この中で何事が起こっても一切感知しない、という暗示をね。
もし今誰かが巡回に来たとしても、彼らは『異常なし』と答えるでしょうね……」
「なんですって……」
「それに、陽光は私の弱点ではありませんよ。さっきまで、私が外に出ていたのを忘れていたのですか?」
「あっ!」
言われてみればそうだった。自分はナルストに連れられて『外』から一緒にこの部屋に入ってきたのだ。普通の吸血鬼なら、この部屋から
あそこにたどり着くまでにとっくに灰になっている。
「元々私は戯れでこの国を乗っ取りに来たのです。外出中の王妃に病魔の呪を送り込み、それを直せる者として城内に招待されうまく侵入
を果たし、城内の者の信頼を得られるように善人を装い、後はいかにして城内に下僕を増やして城を占拠するか。
その段階まで来ていたのです」
ナルストはきりっと顔を引き締め、吶々とサンディにその胸の内を明かしていった。王妃の病気、その段階からこの吸血鬼の策だったとは。
だが、それを聞いたサンディは憤りよりも不可解な表情を浮かべていた。
「それを……なんで私に話すのよ……」
どうせ逃げられはしないこの身。遅かれ早かれこいつは私の血を吸って下僕にでもする気なのだろう。だから、こうして秘密もべらべら
流暢に話すことが出来るのかもしれない。
(でも…、そんな思惑なんかにのるものか!)
ナルストに気づかれないようにサンディは、自分の体の中で魔導力をじりじりと練っていた。次にナルストが噛み付いてきた時、それを
一気に爆発させてナルストもろとも自爆してやろうとサンディは悲壮な覚悟を固めていた。
が、次のナルストの言葉がサンディの心に重大な変化を呼び寄せた。
「それはですね…、あなたが必要だからですよ。サンディ殿」
そう言って、ナルストはサンディをピッと指差した。
「?!私……?」
予想外の言葉に、サンディの胸はドクン!と高鳴った。その拍子で、練っていた魔導力もぽん、と霧消してしまった。
「私だって、無用に下僕は作りたくは無いんですよ。命令に忠実で機転が利き、頭脳明晰容姿端麗、私が侍らすに相応しい人物でないと
下僕、いや花嫁となるのには相応しくない」
「花嫁……」
そのあまりにも甘美な響きに、サンディは傷口を抑えていた手がずるずると下がっていくことにも気が付かなかった。
自分を見るナルストの目は、さっきまでとは比べも似なら無いほど熱い視線を投げかけている。
「この城に入って数ヶ月。私は私の花嫁に一番相応しい者は誰か。それを捜し求めていました。
そして、その眼鏡に適った人物。それが、貴方なんです。サンディ殿」
「そ、そんな……」
この異常な状況で、突然の告白。
サンディは驚きよりも、別の感情で心臓がバクバクと高鳴っているのを感じていた。
「嘘よ。嘘……。私なんて、目つき悪いし、眼鏡かけているし、癇癪持ちだし胸小さいしデコッパチだし……
こんなこと、あるわけないわ……」
「あまり自分を卑下しない方がいい。サンディ殿、貴方は充分に美しい」
ナルストの手が震えるサンディの手にそっと触れる。その手は吸血鬼なので凍るように冷たかったが、サンディにとってはなによりも暖か
く感じるものだった。
だが、次の瞬間ナルストはとても悲しそうな顔をサンディに向けた。
「でも…、貴方がこの国の安寧を考えるなら私は排除されるべき存在です。何しろ、私はこの国を転覆させるために来たのですから。
ですから、選んでください」
ナルストは自らが羽織っている上着をそっとサンディに被せると、扉のほうを指差した。
「この国のことを考えるなら、あの扉から外に出て行って結構です。妨害したりは致しませんから。
そして、私と共についてきてくれるならここに留まってください。
もし、これで私の下を去る決断をしても私は貴方を責めも恨みも致しません。さあ、どちらかを選んでください」
- ナルストはつらそうな顔をサンディに向けると、くるりと後ろを振り向いた。
もし出て行くなら、自分が振り返るまでに出て行けと背中が語っていた。
今なら安全にここから逃げ出せる…。サンディはすぐに腰を上げようとした。早くこの魔界から出て、日の当たる世界に戻らなければ。
しかし、
「くっ……」
サンディの腰は一向に上がる気配を見せなかった。
別に体の疲労が限界を超えていたわけではない。ナルストが暗示をかけた気配も無い。
『あなたが必要だ』『花嫁に相応しい』『自分を卑下しない方がいい』
ナルストが自分に向けて放った言葉。それがサンディの心に見えない鎖となってがんじ絡めに絡まっていた。
吸血鬼だと言うことを知る前、城中の女性の話題を攫っていたナールスとして見ていた時。
あのバカ王子の世話に忙殺され、近くで見ることも適わなかった存在。バカ王子より何百倍も男として魅力的な存在。
手に入れようと妄想するも、そんなことは絶対にないと考えていたあの時。
それが、向こうのほうから声をかけてきている。自分が必要だと語りかけてきている。
花嫁に相応しいと、求婚してきている!
これで相手が人間だったら、諸手を振ってついていっただろう。が、求婚してきた相手は吸血鬼………
(……それが、何だって言うの……?)
サンディの心の奥に潜む小さな声が、サンディに語りかけてきている。
(恋愛にそんなことは関係ないわ。こんな男にこれだけ好かれるなんて、幸せだとは思わないの?)
(大体、この城の人間に何を遠慮する事があるのよ。
毎日毎日、バカ王子の悪戯につき合わされ、周りの人間はそれを遠めで見て哀れみの顔を向けるだけ。要するにスケープゴートなのよ、
あなたは。あなたが犠牲になることで、この城の秩序は保たれているのよ。そんなもの、壊してしまえばいいじゃない)
「そんなもの……、壊してしまえばいいじゃない……」
心の中の声にぶつぶつと答えるサンディの眼が、次第に危険な光を帯びてきている。
(あなたの代わりなんか、この城にはいくらでもいる。あなたはここでは必要とはされていないのよ。
でも、あの人は違う。あなたを本当に必要としてくれている!あなたを一番大事にしてくれる!)
「そうだわ…。あいつらは私をただの消耗品としか見てない…。本当に私を大事にしてくれる人は、人は……」
その声は、だんだんと声量を増してきている。今まで言おうとしても言わず、聞こうとしても聞かなかった自らの境遇への不満の思いが、
ナルストが吸血の際に注ぎ込んだ力によって歪められて増幅し、サンディの心の中へずぶずぶと染み渡っていっている。
(あの人についていけば、あなたは使われる側から使う側に変わるわ。自分をボロ雑巾のように使っていた連中を、今度はあなたが同じ
ように扱えるのよ。あなたに無責任に王子を押し付けた王も王妃も、あなたの前では哀れな奴隷に成り果てるのよ!)
「そ、そうよ……。私を、私を使っていた連中を、今度は私がやりたいように……」
(なら、もう選ぶ必要なんてないじゃない!あなたはここに留まるべきだわ。そして人を喰らう存在になり、支配する側になるのよ!)
「支配する。支配する。支配する………」
サンディは血走った目を床に向け、自分の心の声にうんうんと頷いていた。
-
そうだ。もう、こんな惨めな境遇に耐え忍ぶことなんかないんだ。この城の、この国の全てが私を不幸な目にあわせているんだ。
だから、この城、この国全てを変えてしまえばいいんだ。私の都合のいいように、変えてしまえばいいんだ!
そんなこと、できるわけ無いと思っていたが今は違う!!
私の目の前にいる人は、それが可能に出来る力を持っている。私に、それを可能にする力を与えてくれる!
この人と一緒に付いて行けば、私はこの国全てを支配できる!!
「う、うふ、うふふふ……。そうよ、変えるのよ。支配するのよ。この国全てを、私たちが………」
もうサンディは、この場から立ち去ることなど毛ほども考えてはいなかった。
そして、しばらくしてからナルストが振り返ったとき……
サンディはその場に座ったまま、ナルストを見てニコリと微笑んだ。
「…いいんですね。サンディ殿」
ナルストの念を押した問いかけに、サンディは無言でその場から立ち上がり、ナルストにかけられた上着をぱらり、と脱ぎ捨てた。
再びサンディの裸身が露わになる。
が、今回は先ほどのような魔眼で無理やりに脱がされたものではない。完全に、サンディの意思によるものだった。
「はい。私は、あなたの花嫁になります。そして、この国の秩序を破壊しあなたと共に支配する存在になりましょう…」
そう言って、サンディは噛み傷がある首筋をすぃっとナルストの前に突き出した。
その光景に、ナルストは端正な顔をぽろりと綻ばせた。
「ありがとうございます。では、あなたをご招待いたしましょう…。永遠の闇と、悦びの世界に……」
サンディを優しく抱きとめたナルストの牙が、先ほどと同じところに深く突き刺さってくる。
「あっ、あ、あ、あぁっ! 凄い!気持ちいい!!」
サンディの神経はその感触を先ほどは違って、明らかな快感として捉えていた。一度味わったからと言うのもあるのだろうが、血を吸われ
る気持ちよさと、それが自分を新たな存在へと変えてくれることの悦びに心が高鳴り、先ほどとはまるで違う興奮をサンディに与えていた。
「あーっ!ダメ!こんなの、気持ちよすぎるのぉ!バカになるぅぅーっ!!
もっと、もっと吸って。吸ってくださいぃ!ご主人様ぁーっ!!」
腕と足をナルストにがっちりと絡め、蕩けた瞳から嬉し涙を流し続けながら吸血の快感に酔うサンディの皮膚から、次第に血の気が失われ
ていく。日には焼けていないがほんのり赤みがあった肌は血も通わぬ青みがかかった白色になり、喘ぎ声と涎を零す口からは犬歯の先まで
零れ見えてきている。
(くくく…。かわいいものですね…)
その変化を感じながら吸血を続けるナルストの顔には、先ほどまでとは打って変わった邪悪な笑みが浮かんでいた。
「あ……、あぁぁぅ………ぁ」
やがて、完全に血を吸い尽くされたサンディの心臓は脈を打つのを止め、サンディは悦びの笑みを浮かべたままかくん、と頭を垂れた。
「さて、では……」
それを確認したナルストはサンディの喉から牙を抜き、そのままサンディの骸を抱えて部屋の奥へと歩いていった。
そして、眼下に広がる半透明の乳白色の液が張られた貯水槽にちゃぷん、とサンディ浸け入れた。
透明感の薄い液体にたちまちサンディの体は沈んでいき、外からは輪郭しか見えなくなってしまった。
そして十数分後、
貯水槽の縁の液体が急に盛り上がり、ザッという音と共に手が伸びて縁をがっちりと掴んだ。
そしてそのまま液体を纏わり突かせたまま、サンディがぬっと立ち上がった。
その姿は、先ほどの血の気が抜け去った死人のものではなく、吸血される前の瑞々しい体のものであった。
「………」
サンディは虚ろな目で自分の体を一通り眺め、その後拳を握ったり腕を曲げたりして自分の体の調子を確かめるようなそぶりを見せていた。
その後、自分の前に立つ存在の方へ視線を向けた。
「どうですかサンディ、吸血鬼として生まれ変わった感想は」
ナルストの質問に、サンディはしばらく無表情の視線を向けた後、口の端をゆっくりと釣り上げて微笑んだ。
「…世界の全てが違って見えます。今まで自分が見てきた世界が、いかに小さくみすぼらしいものだったのかというのを実感できます。
吸血鬼と言う存在が、これほどまでに素晴らしいものだったなんて思いもしませんでした……。あは、あは。あはははは!!」
内から湧き上がる力を制御できないのか、両手で胸を抑えたサンディは大声を上げて腹の底から爆笑し始めた。
それに伴い、肌の色が次第に白く変わり始め、牙と爪が伸び、瞳は禍々しい紅へと変化していった。
- 「あははっ!!ダメッ!力が抑えられない!!たまらないよぉーっ!」
数刻を持たず、サンディの姿は完全な吸血鬼のものへと変貌してしまった。
「そこまでです、サンディ」
「あはは…は、はい!」
ナルストのその言葉にサンディは馬鹿笑いをぴたりと止めた。吸血鬼にとって親吸血鬼の命令は絶対である。
「いいですかサンディ。あなたの下に浸されている除光液は私達吸血鬼を陽光の下へ導き、姿を人間のものにカムフラージュさせること
ができます。この発明あるからこそ、私は太陽の下を歩くことが出来たのです。
ただし、これの効力は5時間の経過、または感情を昂ぶらせることで消滅してしまいます。もし太陽の下で今のように興奮しては、あなた
の体はたちまち陽光によって灰になってしまいます。このことを、よく覚えておくように」
「は、はい。心得ました」
ナルストの説明に、サンディはこくこくと頷く。
「あなたはこの除光液を使って、これからも普段どおりの生活を送りなさい。まだまだ、我々が吸血鬼と言うのを知られるわけにはいかな
いのですから。
そして、隙あらばその牙を使って人間の血を吸うのです。ただし、同族に変えてはいけませんよ。
勿論、王族の血を吸うのも禁止です。あれは、私のものですからね」
「えぇっ!なぜ…」
この言葉にサンディは不満を持ってしまった。王族の血を吸えないのはともかく仲間にすることが出来ないほどの吸血ではそれほど多くの
血を吸うことは出来ない。
が、その不満を零すより早く、ナルストの眼がギラリと光った。
「私の命令が不満だと言うのですか……」
その眼から発せられるあまりの薄ら寒さに、サンディはゾクッと背筋を振るわせた。
「い、いいえ!なんでもありません!口答えをして申し訳ありませんでした!!」
「よろしい。では今一度除光液に浸かりなさい。その姿では王子の世話も出来ませんからね」
ナルストの命令にサンディはこくりと頷き、そのまま腰を曲げて除光液の中にずぶずぶと身を沈めていった。
それを見たナルストは口元に手を当ててククッと小さく微笑んだ。
「これで…、下準備は完了。といったところですかね…」
その顔は、まるでこれからゲームを楽しむ子どものような表情をしていた。
-
「きゃあああ〜〜〜〜っ!!」
次の日の朝のこと、サンディの部屋の方からまたもやけたたましい悲鳴が上がってきた。
さっきのこともあるので慌てて入ってきた衛兵の目の前には、目を回して倒れているサンディと部屋の床を楽しそうに跳ね回っているカエ
ルの姿があった。
「うわぁ…。また若君の仕業だなこりゃ」
「しかし…、若君は俺達の目を盗んで、どうやってこんな朝早くにカエルを仕込むことが出来るんだろう…?」
などとぶちぶち語り合う衛兵達は、とりあえずサンディを持ち上げてベッドに寝かし、そのまま黙って部屋の外に出て行ってしまった。
このまま下手に目を覚まされて八つ当たりの的にされたらたまったものではない。
それから一時間後、部屋掃除の女官がサンディの部屋に入ってきた。もちろん衛兵はサンディが部屋の中にいることは話しておいてある。
「サンディ様…、お加減はいかがですか?」
女官が入ってきた時、まだサンディはベッドの上で寝ていた。普段なら30分もすれば起きてくるのに今日は起きるそぶりすら見せない。
そしておかしなことに、厚い窓のカーテンが全て閉まっていて中は薄暗く灯りがぽつぽつと灯っているだけだった。
「相当疲れてらっしゃるのね…。普段から王子様のお世話をしていれば、そりゃ疲れもするでしょうけれど」
きっと窓は衛兵達が気を利かせたのだろう。そう判断した女官はそのままサンディを起こさず、部屋の掃除を始めた。床を箒で刷き、
雑巾がけし、はたきで埃を叩き落としていく。
その時、鼻歌を歌ってかいがいしく掃除を続けている女官の後ろで、ベッドに寝ているサンディの眼が前触れも無くぱちりと開かれた。
そのままサンディは音も無く立ち上がり、後ろを向いている女官へと近づいていく。
「さ、空気も入れ替えなくてはね」
新鮮な空気を入れようと女官が窓のカーテンをめくろうと手を伸ばした時、その手を後ろからがしっと掴むものがあった。
「ひゃ!」
その感触に女官は飛び上がって驚いた。何しろ自分を掴んだものは氷のような冷たさを持っていたのだから。
「なにこれ…?!」
驚いた女官が後ろを振り返ったとき、そこには自分の手をがっちりと掴むサンディが立っていた。
「あ、おはようございますサンディ様。もう体はよろしいのですか?」
その時、何かサンディに違和感を感じたものの女官は愛想よくサンディに語りかけた。
が、サンディは女官に向ける顔にあからさまに不機嫌な表情を浮かべていた。
「…何をしようとしたのよ、あなた」
「何って……、窓を開けようとしたんですけど……」
女官は扱く当然のことを言ったのだが、サンディは相変わらず険しい顔をしている。
「窓を……?あなた、私を殺す気なの?」
「えっ…、殺すって……?!」
何故、窓を開けるとサンディを殺すことになるのだろう?女官はまったく訳がわからなかった。
「窓なんか開けて太陽の光が入ってきたら…、私、燃えちゃうじゃない……」
女官を見るサンディの瞳が、次第に紅い光を孕んでくる。その光を見た途端、女官の体がビクリ!と蠢いた。
この時、女官は初めてさっきの違和感に気がついた。
サンディの手が、死人のように冷たいということを。
「え……サンディ、さま…」
「そんな悪い子には、罰を与えなくてはならないわ。いえ、ご褒美かしら……。ククク…」
含み笑いを浮かべているサンディが、どんどん人ならざるものに変化していく。
肌は血の気が抜け、瞳には真っ赤な虹彩が宿り、大きく開けた口からは長く太い牙が伸び揃っていた。
女官の目の前で、自分がよく知っているはずのサンディがたちまちのうちにバケモノへと変貌してしまった。
「キャ……)
その突然の事態に女官は思わず悲鳴をあげ、ようとした。が、声が出てこない。まるで紅い瞳に射すくめられたかのように、声が喉に絡ま
って外に出てこなくなっていた。
(あ、あ、ぁ………)
「じゃあ、いただくわね。あなたの美味しそうな、血」
- サンディは、恐怖に震える女官の襟をひん剥いて華奢な首筋を露わにすると、間髪いれずにぞぶり、と太い牙を打ち込んだ。
(あひっ?!ああぁ……)
サンディに噛み付かれた女官は次の瞬間、恐怖に怯える顔をたちまちのうちに蕩かせ、吸血の快感に溺れていった。
(ああぁっ、気持ちいい!噛まれるの、凄い!吸われるの、最高!)
女官は細い腕をサンディの顔に絡ませ、自分の首にグイグイと押し付けてより牙の感触を味わおうとしている。サンディもそれに応え、よ
り深く牙をずぐずぐと挿しこんでいった。
(あーっ!あーっ!!)
その都度女官は声にならない嬌声を上げ、顔を涙と汗と涎でぐしゃぐしゃにして喘ぎ続けた。
そして、数分後、
「んっ、んう……。ぷはぁぁ…。おいしい……
やっぱりこの感じ、やめられないわぁ……癖になりそう」
一通り血を吸い、牙を抜いたサンディは血塗れの口元を綻ばせうっとりと呟いた。女官の方は与えられた快感に精根尽き果てたのか、ぜぃ
ぜぃと荒い息を吐きながらぐったりとサンディにもたれかかっている。
昨夜、我慢の出来なくなったサンディは城内のあちこちを巡り立て続けに5人ほど吸血を行った。
肉に牙を埋める感触、溢れる血を啜りとる悦楽、快感に蕩ける人間を眺める優越。そのどれもがサンディの心に歪んだ悦びをもたらしていた。
「さ、これであなたは私の言いなり。私の言うことなら何でも従うのよ…」
サンディは、吸血による快感と失血による貧血で夢うつつの女官の耳にぼそぼそと言霊を送った。
「今のことはあなたは全て忘れる。私はずっと起きてこなかった。あなたは部屋をきちんと掃除してもう出ていく…。わかるわね」
「は……ぃ……」
サンディの言葉に、女官は小さい声ながらもはっきりと『はい』と答えた。
「じゃあ、早く出て行きなさい。そして、これからも掃除をする際は窓のカーテンは開けないこと。絶対よ」
「…わかりました……」
掃除用具をまとめ、ふらふらと部屋を出て行く女官を見届けた後、サンディは着ているものを脱ぎ捨て、奥の洗面台の扉を開けた。
そこにあるバスタブには、ナルストから与えられた除光液がいっぱいに張られている。
「これに浸からないといまいましい太陽から身を守ることが出来ないんだから面倒よね…」
だが、面倒でも浸からないことには日中に外で活動できない。ぶつぶつ言いながらサンディは爪先からざぶんと除光液に浸かっていった。
そのままサンディは体を伸ばし、全身を余すとこなく除光液の中に沈めてしまった。もちろん頭まで完全に埋没してしまっているのだが、
吸血鬼は呼吸をしないので全く問題ない。
(ふぅぅ……。落ち着くわ……)
除光液の効果で、先ほどの行為で吸血鬼に戻っていた体がみるみるうちに人間のそれに変わっていく。
やがて、完全に人間の姿になったサンディが除光液から頭を出すと、丁度いいタイミングで頭の上に何かが飛び乗ってきた。
げこ
サンディの頭の上で鳴き声がする。どうやらさっきのカエルのようだ。衛兵はサンディを運ぶ方に気を取られていたため見逃されたらしい。
カエルが苦手なサンディは勿論大声を……、上げなかった。
「ふん」
逆にカエルをむんずと掴み、自分の目の前に持ってきている。ばたばたと手足を動かして足掻くカエルが酷くこっけいだ。
「全く…、王子も進化が無いことね…。いつまでも私がカエルで悲鳴を上げると思っているなんてさ…」
サンディの心は吸血鬼に生まれ変わった時にそれまで持っていた人間の弱さは消え失せ、カエルに対する恐怖をも消え去っていた。
が、今までの自分を演じないと周りに怪しまれてしまう。
それゆえ気絶したふりをし、獲物が入ってくるのを待ち構えていたのだ。
「王子…、ご主人様に吸うな命令されていなければ、その喉首に牙を挿してあげたものを……」
今日の明け方のことを思い出し、サンディは忌々しそうに唇を噛んだ。
明け方、まだ日も昇らない頃にアレクサンダーがサンディの部屋に天井から忍び込んできた。勿論カエルをサンディの枕下に置くために。
その時、床に付いて眠ったふりをしていたサンディは、いっそアレクサンダーを襲ってしまおうかと思った。
毎回毎回ああやって忍び込まれてカエルを置き土産にされていき、朝起きたら悲鳴&気絶。これを何度繰り返したか。
腹いせにアレクサンダーを下僕にして今までの恨みを散々晴らしても罰は当たるまい。
- が、王族の血を吸うことはナルストに禁じられている。サンディは今朝、非常に忌々しい思いでアレクサンダーを見逃したのだ。
「王子……、ご主人様が王子の血を味わった後、私に払い下げて貰えるようご主人様にお願いしますからね。
そして、その初々しい体を散々に嬲り尽くして…」
除光液に浸かっているにも拘らず、サンディは心が昂ぶりから吸血鬼の姿に戻りつつあった。
手に持つカエルから、しゅうしゅうと白い煙が上がってきている。異常に気づき、懸命に足掻くカエルの体は見る見るうちに痩せ細り、や
がて皮と骨だけになって絶命してしまった。
「こんな感じに、王子の命全てを吸い尽くして私の下僕にして差し上げますから!フフフ……アハハハハァッ!!」
サンディはアレクサンダーの血の味を妄想し、ぎりぎりと伸びてきた牙を長い舌で嘗め回しながら、精気を吸い尽くしたかさかさのカエル
の残骸をぐしゃりと握りつぶした後にぽいと投げ捨てた。
こうして、メルキルスに禍の種が蒔かれ始めた。
それはじわじわと、人に知られること無くその版図を広げつつあった。
一章終
-
○二章
コンコン コンコン
コンコン コンコン
「………?」
昼間さんざんに遊びまわり、疲労が体にたまりまくった少年がベッドに入るなりすぅすぅと寝息を立てて寝てしまってから早や数時間。
本来なら朝がくるまで決して目が醒めることの無い意識が規則的に聴こえて来る不可解な音に、朧げに覚醒しつつあった。
「………」
少年の意識は音を無視して再び眠りに付こうとし、醒めつつある意識をシャットダウンしようと試みるが、それが脳に伝わる前に
コンコン コンコン
と、再び耳障りな音が鼓膜を突付く。
「…うるさいなぁ……」
その喧しさにとうとう少年の意識は覚醒し、眠たげな目を擦りながらベッドからむくりと上半身を持ち上げた。
風で外の木の枝でもガラス窓にぶつかっているのだろうか。と窓のほうをまだ半開きの目で見るが、別に外に風が吹いている気配は無い。
普段の町の明かりが消えた外からは、月の薄明かりが窓に差し込んできている。
そして、その光を背負いながら
コンコン コンコン
とガラス窓を叩く人影が、少年の目に飛び込んできた。
「…?」
まだ起き抜けではっきりとしない思考の中でも、少年は外にいる人影に少なからぬ疑問を持った。
何でこんな夜に人がいるのか
用があるなら何で玄関のドアを叩かないで自分の部屋の窓を叩くのか
(まさか……ドロボウ?!)
それだけに、こう少年が考えたのもごく自然であろう。少年の家に入ろうとした泥棒が一番入りやすそうな自分の部屋の窓に目をつけ、少
年が起きているかの確認にドアをコンコンと叩く。まったく理に適っている。
少年の脳内に、今まさに自分の部屋に押し込もうとする泥棒の姿が連想される。それはごつい体格で手に包丁を持ち、赤ら顔の髭面でまる
で鬼のような悪漢だった。
それが今にも自分の部屋に入り込もうとしている!!そうしたら、自分は捕まって食べられてしまう!
「ド、ドロ…!」
恐怖がありえない想像を生み、ザッと顔色が青くなった少年は、両親を起こそうと泡を食って部屋から駆け出ようとした。その時、
「待って。待ってちょうだい…」
外にいる泥棒から少年に向けて声がかかってきた。それは少年が想像していた野太い声と違い、とても優しげな天使のような声だった。
「え……?」
意外な声に思わず窓のほうに振り向いてしまった少年の視界に、月明かりを背景にした窓の外にいる不審者の姿が浮かび上がっている。
- そこには王室に仕える礼服に身を包んで髪を短く揃え、眼鏡とおでこを月光に光らせた女性が佇んでいた。
「…っ!」
その神秘さに、まだ思春期に入ったばかりの少年は思わず息を呑んでしまった。それほど、窓の外の女性には魔的な魅力があった。
「………あの…」
しばしの間その姿に魅入った後、少年はどうにか声を絞り出した。
「なぁに?」
外の女性は小首を傾げ、優しげに微笑みながら少年を濡れた瞳でまじまじと見つめ続けている。が、
「おねえさんて……、ドロボウ?」
「ド、ドロ……?!」
という少年の純粋すぎる疑問に、思わず窓枠から消えそうになるほど派手につんのめってしまった。
「ち、違うわよ!私のどこが泥棒に見えるのよ!」
さっきまでの蟲惑的な仕草はどこへやら、外の女性は明らかに怒りを含んだ声を少年へと向けていた。
まあ、真夜中に人の家の窓を叩く不審人物を泥棒以外に考えることの方が難しいとは思うのだが。しかし
「違うの……?じゃあ、おねえさんは…誰?」
という少年の疑問を耳にして、女性はなんとか心の平静を取り戻した。
この少年はあくまでも単なる疑問の一つとして自分を泥棒と言ったに過ぎないこと。別に他意があってのことではない。
そう思い至ることで、女性は最初のペースを取り戻すことが出来た。
女性は再び顔に笑みを浮かべ、窓越しに少年に再び目線を投げかけた。
「それに答える前に…、まずこの窓を開けてくれないかしら?」
「え…?」
この女性の言葉に、少年は少し躊躇いを覚えた。
以前から、知らない人を勝手に家に入れてはダメだと母親に耳にタコが出来るほど言われている。なるほど窓の外の女性はとっても綺麗な
人物ではあるが、自分が知らない人間であることに変わりは無い。
それを、易々と家の中に入れるのにはさすがに抵抗があった。
「でも…、お母さんから知らない人を入れちゃだめだ。って……」
何か後ろめたいかのように女性に向けて少年は語りかけた。
「ねえ…、お願い。この窓を開けて頂戴……。開けるだけで、いいんだからぁ……」
が、女性はそんなことには全然構わず、少年の目をジーッと見つめながら再度お願いをしてきた。
「そんなこと…言われても………?」
なんと答えてよいかわからず困惑する少年の視界が、次第におかしくなってきている。
自分を見つめる女性の眼が、まるで血のように紅く輝き自分の網膜をちりちりと焼いている感覚がする。
見えるものが女性の姿。聞こえるものが女性の声。感じるものが女性の気配。
だんだんと自分の五感全てが女性のものしか感じられなくなってく。そんな気がしてくる。
「あ……」
少年の瞳から意思の光が次第に消えていき、表情というものが失せていっていく。
「開けて…、窓を開けて……。お願いだから………」
耳に響く女性の声が、強烈な強制力を少年の心に与えてきている。まるで、女性の言うことに従わなければいけないという強迫観念が少年
の心を支配しつつあった。
(ああ…、そうだ。はやく窓を開けないと…)
少年はとにかく窓を開けなければならないという思いに心を奪われ、ふらふらと窓に近づくとそのまま窓の鍵をがちゃがちゃと外し、両手
を窓に添えてグッと力を込めた。
ギィ、と木と木が軋む音と共に窓が開かれ、外の冷たい空気が部屋の中にさわさわと入り込んでくる。
それと一緒に、入ることを許された女性も窓をひょいと飛び越えて部屋の中に入ってきた。
「うふふ… ボク、ありがと」
女性は愉しげに顔を綻ばせると、手袋をはめた手を少年の顔に伸ばしスルッと頬をひと撫でした。
「ふぅっ…」
- 頬をなでられた。ただそれだけのことなのに少年の背筋には今まで感じたことのないような痺れるような感触が走り、無意識のうちに溜息
をついてしまう。
「あ、あの…。お、おねえさんは……」
バクバクと鳴り響く鼓動に息が詰まるような感覚を味わいながら、少年はたどたどしい声を何とか絞り出した。
ただ、『おねえさんは何をしに来たの』という言葉を最後まで言うことは出来ず、女性からすれば何を質問しようとしてるのかはわからな
いものではだったが。
だが、女性はそれまでの流れから少年が何を言いたいのか察したようで、クスリと笑うと少年の耳元に顔を近づけ
「うふふ、お姉さんはねぇ……」
そこまで言ってから一拍の間をおき、
「ボクを、気持ちよくさせるために来たのよ」
と、コソッと囁いた。
「え…?気持ち、よく……?」
そう言われても少年には何のことだかいまいちピンとこない。『気持ちよくなる』という単語が何をさすのか、それを理解できるほど少年
は知識も経験ももっていなかった。
「きもちよくって……なにが?」
少年のもっともな質問に、女性の眼鏡の下の瞳がキラリと輝いたような気がした。
「それはね……」
薄笑いを浮かべている女性の口から、人間ではありえない長さの犬歯が顔を見せる。それはさらに長さと太さを増し、口の中に収まりきら
ずに唇を割って外に飛び出てきた。
「こういうこと、よ!」
少年の横で大きく口を開いた女性は、そのまま少年の喉元目掛け、二本の牙を勢いよく齧り付かせた。
ガッ!
「ひゃあっ!」
自分の首に二本の太い針が強引に刺し込まれた感触。少年はそのとき発生した激痛から飛び上がるような悲鳴を上げた。
「い、痛い!おねえさん、やめ……」
が、少年の懇願に構わず女性は首を貫いた牙をどんどん奥へと埋めていく。
『バカなことを言わないの。これからがすごいんだから……』
少年の頭に、女性の声が直接響いてくる。そして、その『これから』が今まさに始まろうとしていた。
チュウゥゥ…
「ひっ!」
皮膚を破り、肉を掻き分け、血管を貫いた牙が傷口から溢れ零れる血を吸引し始めた時、それまで少年の神経に走っていた『痛み』に上書
きされるかのような別の感覚がビリッと走った。
少年にとっては、その感覚がなんなのかは理解できない。なぜなら、今までの人生の中でその感覚を味わったことがないからだ。
じわじわと脳が痺れるような、体がふわりと浮いてしまうような、はたまた適温のお風呂の中にじっくりと浸かっているような。
そんないつまでも感じていたいような、それでいて自分が消えそうで恐くなる感覚。
「な、なにこれ……。や、やだ!変、変だよ僕!!お、おねえさん!なにこれ、なにこれぇ!」
『これが、気持ちいいってものなのよ。どう?気持ちいいがどんどん大きくなっているでしょ?私がボクの血を吸うたびに……』
「これが…、『気持ちいい』……?」
今まで少年が何かしらのことで気持ちいいと思うようなことは勿論多々あった。ただ、それは自分が行ったことに対する気持ちよさであっ
たので、先ほどにもあったとおり他人から与えられる『気持ちいい』というのは理解の範囲の外だった。
だが、今女性から与えられている未知の感覚が『気持ちいい』というものだということを、まだ熟れきっていない少年の体は本能的に理解
し始めていた。
女性の『気持ちいい』という言葉と女性から与えられている感覚がイコールで繋がれ、少年の心に入力されていく。
- (これが……『気持ちいい』。なんだ……)
『そうよ。お姉さんはこれを君にあげにきたの。いいでしょ?とっても、気持ちいいでしょ?』
一旦そのことを理解すると、首から与えられる『気持ちいい』がどんどん体の中に浸透していく。少年の全身の細胞が『気持ちよさ』の共
有を求め、他の細胞が感じている『気持ちいい』を受け取り、広めていく。
(きもちいい…気持ちいい… 気持ちいい!)
少年の顔には、年齢には不相応の笑みが浮かんでいる。快楽を受け入れ、快楽を求める性に溺れた爛れた笑みが。
「どうかしら?お姉さんに血を吸われる気分は?」
女性は牙をつぷっと引き抜くと、顔を真っ赤にし息を荒く吐いている少年に面白そうにに尋ねかけた。
「あ……はあぁっ、はぁっ……」
が、少年は声にもならない声を上げるだけで女性の質問に答えようとしない。
いや、あまりの気持ちよさに出来ないといった方が正しいのか。
「どうしたの?気持ちよくなかったの?だったら…、もうやめちゃおうかな」
女性はいかにもわざとらしくつん、とそっぽを向いて少年から視線を逸らす。その態度と声に、少年の顔色がサッと青くなった。
(おねえさんの質問に答えないと、もう気持ちよくなれない!)
「あ、あああ!き、気持ちいいです!おねえさんに血を吸われるの、気持ちいい!とっても、とっても気持ちいいんです!!
ああぁっ!だ、だからやめないで!もっと、もっと吸って!ボクの血、もっと吸ってくださいぃ!!」
少年は女性をぎゅっときつく抱きしめ、無意識に腰を揺すりながら裏返った声を上げて懇願していた。その股下にあるものは滾る熱をもち
がら少年には似つかわしいほどに勃起している。
(ふふ…)
少年のその痴態を見て、女性は嗜虐的な笑みを浮かべた。
まだ性がなんたるかもわからない無垢な少年を吸血の快楽漬けにして食うことの、なんと面白いことか。ただ単純に血を吸うよりも、こう
やって身も心も蕩かしてからその血を啜ると、何倍にも増してその味が濃く美味しくなってゆく。
「そう。そんなに私に血を吸われたいの」
「は、はい!おねえさん!!ボクの血、全部お姉さんに上げます!だからもっと、もっと気持ちよくしてください!」
もう少年の目には理性の光はない。ただただ命を吸われる快楽を貪り、それが破滅に向うと分かっていてもやめられない獣欲に身も心も支
配されていた。
「ふふふ、可愛い子ね…。わかったわよ。
じゃあ、もっともっと気持ちよくしてあげるわ。そこのベッドに上がりなさい。もちろん、服は全部脱いでね…」
「う、うん!!」
嬉々として寝巻きを捨てるように脱ぎだした少年を、女性はクスクスと笑いながら見続けていた。
「で、それからどうしたというのですか?」
まだまだ夜が明けない深夜のメルキルス城。その中の一室で一組の男と女がもぞもぞと蠢いていた。
男の方は椅子に座りながら自分の前にしゃがみこんでいる女の頭を片手で抑え、女の方は服をあたりに投げ散らかして全裸のまま男の股間
の間に顔を埋め、そこから飛び出たものに一心不乱に唇と舌を動かして男の質問に答えるそぶりを見せようともしない。
もしかしたら、行為に夢中で耳に入っていないのかもしれない。
「…質問にはちゃんと答えなさい」
部屋の主であり、女性の主人であるナルストの苛立つような声に夢中に頬張っていた下僕のサンディはピクッと体を揺らし、涎の糸を口元
から引かせナルストの方を見上げながら口を開いた。
「……はい。その後男の子のチンポを咥えてやったら獣が吠えるように声を上げて…、噛み付いたらあまりの気持ちよさから背筋をギュー
ッて伸ばして…、どぴゅどぴゅ射精しながら失神しちゃいました……。
あれ、絶対あの子の精通でしたわ。口一杯に新鮮な精気が流れ込んできましたもの……」
サンディはうっとりと目を泳がせ、そのときのことをぽつぽつと思い出すかのようにゆっくりと口を動かしている。
「…それからあの子の上に跨って、ギンギンにおっ勃った童貞チンポをゆっくりと胎内にはめてあげました。
そうしたらあの子、ケダモノのような声を上げて気を取り戻し、次の瞬間射精してしまったんです。私の胎内にドクドクッて出していると
きの気持ちよさそうなバカ面、今思い出しても噴き出そうになります。
でも、本当に面白いのはこれからなんですよ…」
- 言葉の端はしに人間に対する侮蔑を込め、サンディは太腿をゆっくりと擦り合わせながらククッと微笑んだ。
「その子よっぽど私の胎内が気に入ったのか、私の腰を両手で掴んでぐいぐい自分に押し付けてきましたの。『気持ちいい、気持ちいい!
もっと擦って、もっと出させてっ!』て喚き、ながら…
まだまだ女の味も全然知らない尻の青い子どものはずなのに、に、人間の下卑た本能って本当に恐ろしいですよね……」
吶々と状況を語るサンディの息遣いが、次第に荒くなってきている。
「ですから…、あの子の望みどおり…ガンガンに犯してあげました、わ…。何度も、何度も射精させて…さ、最後は何もでなくなるまで…
仲間にしてはいけないからあまり血を吸えない分、下の口からたっぷりと精気をもらわなくてはいけません、から ね…
で、最後の 射精の時に牙を喉に立ててあげました…の。上の口と下の口から同時に吸った命…。あの子も私もとっても…満たされました。
あの子ったら最後は自分のベッドを汗と涎と精液でグチャグチャにして…。あれでは、三日は…腰が抜けて起き上がることも出来ません、
わ……。ハァァ…」
そこまで言ってから、サンディは辛抱たまらないかのように深く息を吐いた。その瞳は熱持ったように潤み、唇から覗く牙は痛いまでに
ぎりぎりと長く太く伸び切っている。
別に血に渇望しているわけではない。敬愛する主人であるナルストの肌に触れ、その一物に奉仕していただけで心のうちから湧きあがる情
欲を抑え切れなくなっているのだ。
その結果、吸血鬼としての本能が滾り普段は目立たないくらいに引っ込めている牙を抑え切れなくなっているに過ぎない。
今まで口にしていた淫猥な言葉と思い出した体験も、サンディの肉欲の昂ぶりに拍車をかけているのだろう。
「あ、あの…、ご主人様……。も、もう我慢、出来ません…。お情けを、お情けを頂戴したく思います……」
もじもじと体を揺し懇願するような声を出すサンディに、ナルストは満足したような笑みを浮かべた。
「主人に頼み事をするとは…、随分と出来の悪い下僕ですね……クク。
いいでしょう。では、その節操のない尻をこちらに向けなさい」
「は、はい!!」
やもすれば侮辱とも取れない言葉ではあるのだが、ナルストに反抗する心を完全に消されてしまっているサンディはナルストの言葉に不満
な顔は一切見せず、寧ろニッと顔を綻ばせ、四つん這いのまま体を180度回転させて自らの下半身をナルストのほうへ向けた。
ナルストの視界に入ってくるサンディの谷間は、体の内から溢れ出てきた液で太腿の下まで濡れ光っている。
「私のものをしゃぶっていただけで、こんなに溢れさせてしまったのですか?本当に、あなたはいやらしい体をしていますね」
「も、申し訳ございません…でも、でも……」
もう一刻も待てないといったように、サンディは半ば涙声になりながら腰を振ってナルストを待ち焦がれていた。
「吸血鬼の最大の悦楽は他者の命を体内に受け入れること。こんな人間のような睦み事など、本来なら勘弁といきたいものですが…
まあ、これも愉しみの一つと思えば悪くはないものです」
サンディのはしたないダンスを一通り眺めたナルストは、そのふりふり動く臀部に両手をかけると自らの剛直を思い切り突き入れた。
「あううううーっ!!」
それだけで、サンディは自分が先ほど散々馬鹿にした今日の獲物の少年のように甲高い嬌声を上げ、偽りの熱さを持つ肉棒が自らの体を貫
く激しくも心地よい感触に全身を震わせた。
(や、やっぱりこれ凄い!血を吸うのも気持ちいいけど、ご主人様に抱かれるのもとっても気持ちいい!)
ナルストに吸血鬼にされた時、サンディはまだ男を知らない体だった。興味が無くはなかったのだが、生来の性格ときつい面差しが男が近
寄るのを躊躇わせ、またサンディ本人も自分は男には好かれないだろうと半ば諦観していたところがあった。
そんなサンディがナルストに戯れに犯された時、サンディの心に疾ったのは自分が想像していたのをはるかに上回る悦楽だった。
破瓜の痛みなんてものは全く感じられない。
体をゴリゴリと削り擦られる感触、定期的に打ち付けられる腰と腰、そして最後に放たれる熱い迸り。
その全てが、サンディの心をドロドロに溶かす強烈な毒となって染みこんでいった。
それ以来、サンディは夜の吸血の際に男を餌食にする時は一緒に下からも搾り取るようになってしまった。
確かにナルストの言うとおり、吸血による生命力の搾取に比べると情交によって得られる悦楽は吸血鬼の体になった自分にとってはいまい
ち物足りないのは事実だ。
- 他者の命のエキスを自分の体に入れるという行為は吸血も吸精も変わらない筈なのだが、やはりルビー色に彩られる液体はそれを心に思い
描くだけでサンディの心に堪え難い渇望を思い浮かばされる。
だが、ナルストによって与えられた肉の悦びも、それまでそういうことに全くの無縁だったサンディの心に抑えがたい欲望をしっかりと植
え付けていた。
吸血という行為にサンディは他者の心を征服しているイメージを持っていたが、蹂躙するセックスはそれに加えて肉体すら征服しているイ
メージをサンディの心に植え付け、それがサンディの嗜虐心をいたく満足させる結果になっていた。
まあ、その為一人にかかる時間が増えてしまった結果吸血の効率は落ちてしまったわけなのだが。
「あああっ!もっと、もっと強く突いてください!私の体を、メチャメチャに貫いてください!!
激しく、激しく!あの日のように、私の体をご主人様のもので満たしてくださいぃっ!」
そして、サンディがナルストを求めるのには、もう一つ理由があった。
サンディがナルストによって吸血鬼にされた夜。そのときに味わったナルストの牙に猛々しく蹂躙される快感をサンディの体は一時たりと
も忘れることがなかった。
あの快感を再び味わいたい。身も心も牙に溶け、征服される悦びをこの身に感じたい。
そう思い、何度もナルストに吸血を求めたが、ナルストは全く取り合おうとしなかった。
ナルストの牙で吸血鬼となったサンディの肉体から新たに精気を吸う意味も無いし、吸血鬼が吸血鬼の血を吸うことが一種の禁忌であるこ
とも理由としてあげられるだろうが、いずれの理由なのかははっきりしない。
とにかく、ナルストがサンディの体に牙を突き立てないことだけは確かなことだった。
そのため、サンディは牙で突かれる代わりにナルストとの情交によりその身にナルストのモノを突かれる快感を得ているのだ。
先ほどナルストが言っていたように、セックスによる快楽は吸血によって得られる快楽に比べるといまいち物足りない。
あの日の牙による快楽を思い出すと、やはり今肉体が受けている快楽はそれに比べると数段劣るのは確かなのだ。
が、サンディはナルストに肉体を征服されている。そう感じるだけで満足していた。
悦びも、痛みも、肉体も魂も、自分が持っている全て敬愛する主人に捧げるマゾヒスティックな悦びが、吸血に比する快感をサンディの心
に与え続けていた。
「あっ、あひ、あひぃっ!!」
パンッ!パンッ!!と腰と腰がぶつかりあう音が部屋中に鳴り響き、ナルストの腰が打ち付けられる度にサンディの口から伸びきった牙と
舌と涎と悲鳴がこぼれた。
(……下僕の身で主人を差し置いて悦びに浸るとは、本当に出来の悪い下僕ですね)
一方ナルストは、自分の下で嬌声を上げるサンディを冷たく見下しながら機械的とも思える腰使いでサンディを弄んでいた。
実際、ナルストにとってはこんな行為はさほど意味のあるものではない。腰から込み上げる快感はナルストの体全体に伝播してはいるもの
の、吸血鬼の身としては『それがどうした』程度のものである。
これはあくまでも、下僕に対して与える褒賞のようなものだ。自分が快感を求めてのものではない。
それ故、自身が悦びに包まれることも無い。第一、いい加減腰がだるくなってきた。
そろそろ時間も迫ってきたことだし。
「では…、そろそろ終わらせましょうか」
そう言い放ち、ナルストはサンディの膣内(なか)に意図的に白濁を迸らせた。別に射精のコントロールなどいくらでもできる。伊達に永い
時を生きてたりはしないのだ。
「あ、あ、あああ〜〜〜〜っ!!」
子宮口にナルストの射精を受けたその瞬間、サンディの体は一気に頂点へと駆け巡り、身体をビクビクッッ!と反らせた後に胸から床へと
沈み込んだ。
「ハアッ、ハアッ…。ご主人様ぁ、サンディの膣中は気持ちよかったですかぁ……?」
「ええ、とてもよかったですよ。さすが私の選んだ下僕だけのことはあります」
「あはぁ…、とっても…嬉しいです…」
激しく息を吐きながら嬉しそうに瞳を細めて微笑むサンディに、ナルストは顔の表面だけはいかにも満足したかのような満ち足りた表情を
浮かべていた。
そのほうが、この奴隷をより都合よく扱うことが出来るから。
- 「サンディ、満足しましたか。でしたら服を着て自室へと戻りなさい。
こんな夜更けとはいえ、見張りに見つかりでもしたら後で厄介ですからね」
「……はい。畏まりました…んっ」
主人の命令にサンディはしぶしぶと従うと、名残惜しそうに自身に埋められたナルストの豪槍を引き抜き後処理を済ませると、あたりに散
らばっている服を手に掴んだ。
その時、ふと思い至る事があったのか、下着を手に持ったままサンディはナルストのほうへ振り向いた。
「あの…ご主人様。除光液に浸からなくてもよろしいのでしょうか?」
確かに、今のサンディは正体である吸血鬼の姿だ。いくら服を着ていたとしても近くでその姿を見られれば人外のものだと看破される。
「こんな夜にそうそう近くで見られたりはしません。そんなに用心するなら自室で浸かりなさい」
「はい…」
ナルストの言葉は明らかにさっきと言っていることが矛盾しているのだが、サンディは疑問に思う気持ちも持たず、いや持てずいそいそと
服を着込み始めた。とにかくナルストとしては、一刻も早くサンディからこの部屋を出てもらいたかったのだ。
「それでは、失礼します」
「ええ、明日も頑張ってくださいね」
たちまちのうちに淫婦から凛とした王子の教育係へと姿を変えたサンディが一礼してナルストの部屋から出て行ってから、ナルストはどっ
かと椅子に腰掛け、軽い溜息をついた。
「ふぅ…。あの下僕、使い勝手はいいのですが少々好き者過ぎますね…。まさか私より効率が悪いとは思いませんでしたよ…」
サンディを下僕にして二週間余りが過ぎたのだが、ナルストが夜な夜なこの国の人間を吸血している人数よりサンディが吸血している数の
ほうが圧倒的に下回っているのだ。
これは、言うまでもなくサンディが吸血と同時にセックスまで行っているからである。命令で止めさせることも考えたのだが、サンディの
吸血鬼としての欲望が吸血衝動だけでなく性欲にも現れていることを考えると性欲を抑制したら逆にさらに効率が悪くなる恐れもある。
「足が出やすくなりますからできるだけ下僕は増やしたくはなかったのですが…、どうしたものですかね……」
ナルストが今度のことをぶつぶつと思索していた時
コンコン
と、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「ん?ああ、もうそんな時間でしたか。どうぞ、入ってきてよろしいですよ」
「は、はい……」
ガチャリ、とドアを開けて入ってきたのは一人の妙齢の女性だった。
「お待ちしていましたよ。では、今夜も治療を始めましょうか……」
入ってきた女性はナルストの声に、顔を火照らせながらこくりと頷いた。
☆
あの日から約二週間、アレクサンダーは普段の王子を見慣れている人から見たら信じられないくらい大人しい日々を送っていた。
サンディや他の教育係による勉強もサボりもせずに素直に受け、いたずらも目に見えて減っていた。
「爺は、爺はこの時を待っておりましたぞ!アレクサンダー様がこの国を治める者としての自覚をもたれる日が来ることを!」
執事長のシャップは王や王妃の前で号泣して、危うく高血圧で倒れそうになったものの、シャップのように遂に王子が心を入れ替えた…と
見る人間は小数で、大多数の人間はどこか身体の調子が悪いのではないか?とかサンディ殿が目に余る王子の振る舞いに業を煮やし頭をい
じってしまった。とか不確定な情報が城中を駆け巡っていた。
本来なら歓迎すべきことなのだろうが、あまりに突然のことなので城中が戸惑っているとも言える。なにしろ、アレクサンダーがいたずら
を始めてこの方、城の人間が心休まる日々は皆無といってもよかったのだから。
が、もちろんアレクサンダーは心を入れ替えたわけではなかった。あれは自分なりの現状に対する抗議の意味をこめていたのだから、それ
を放棄するのは自分が『個』ではない国の中の『公』に組み込まれてしまうことを意味する。まだ『自分』の時間を持っていたいアレクサ
ンダーにいたずらを放棄する気はさらさらなかった。
それがなりを潜めたのには、もっと別の意味があった。
-
「アルマリス、入るよ」
部屋の扉をノックしてから、アレクサンダーはアルマリスの部屋に入ってきた。門番ともいえる犬のティフォンが尻尾をぱたつかせながら
アレクサンダーに近づいてきた。
よしよしとアレクサンダーはティフォンの頭を撫でると、アルマリスが横になっている天蓋付きのベッドへと進んでいった。
「あ…兄様……」
近づくアレクサンダーに気づき、アルマリスは青い顔に精一杯の笑顔を浮かべ、重だるそうな上半身をよっこらしょと持ち上げて出迎えた。
「無理はしなくていいよアルマリス。辛いんだろ?」
「いいえ…。今日はいつもに比べると調子もいいので……」
嘘だ。とアレクサンダーは一瞬で看破した。起き上がってからの顔色は一層酷くなり額からは一筋の脂汗も流れてきている。兄が来た手前、
無理をしてでも精一杯で迎えようという心遣いが、痛いほど理解できる。
でも、そんなアルマリスを見てるのも正直言って辛い。
だからと言って、頭ごなしに無理しないで寝ろというのもアルマリスの気持ちを踏みにじってしまう。
「そうか…。じゃあ」
と言うなりアレクサンダーはアルマリスのベッドによじ登り、アルマリスの顔を掴むと自分の胸にそっと抱き寄せた。
「きゃっ、兄様?」
突然のことにあたふたするアルマリスに、アレクサンダーは優しく呟いた。
「これなら、ちょっとは楽になるだろ?」
「……はい。有難うございます、兄様…」
頬をちょっと赤らめこくんと頷いたアルマリスは、それから暫くの間無言のまま兄の胸に埋まっていた。
二週間前、外に連れ出したアルマリスが突然体調を崩し、慌てふためいて城に帰還して以来アルマリスはベッドの住人になっていた。
その次の日は熱が40度を越し、城中が大騒ぎになったほどである。
その後何とか危機は脱したが、その後も微熱が引かず全身を倦怠感が支配して屋外はおろか部屋の外に出ることも難しい状態になっている。
アルマリス付きの医師によれば風邪をひいたとのことだが、元々体の弱いアルマリスにとってはひとつの風邪がより強力な疾患へと繋がる
恐れがあるために風邪とはいえ油断は出来ない。
事実、罹患から二週間たっても治る気配も見せず、ぐずぐずと長引いているのだから。
そして、その原因があの時アルマリスを外に連れ出した事にあるのはどう見ても明らかだった。そして、結果的にアルマリスが体を壊す原
因を作ってしまったことにアレクサンダーは激しい後悔に襲われていた。
自分が良かれと思ってアルマリスにした行いが、逆にアルマリスを苦しめることになってしまったのだから。
もちろんこのことを知っているのはアレクサンダーとアルマリス、そしてララディアの三人だけなので他の面々はいつものように体の弱い
アルマリスがいつものように調子を崩したと考えている。
さほど警戒されていない今だからこそアルマリスを外に出せるのだ。もしアルマリスを恒常的にアレクサンダー外に出していた、なんて事
を知られたらアルマリスの部屋にはアリも這い寄ることが出来なるなるような見張りが敷かれ、今後二度と自由に城外に出ることは出来な
くなってしまうだろう。
自分の身勝手な振る舞いが妹にこんな思いをさせてしまった。
(ならば、アルマリスの体が回復するまで大人しくしていよう)
そう誓い、サンディの部屋にカエルを放り込んで以降、アレクサンダーは全てのいたずらを封印していた。一種の願掛けとでも言えるもの
だが、アレクサンダーの願いを笑うかのようにアルマリスの体調は一向に改善しなかった。
「ごめん、アルマリス。あの時無理に外に出してしまったから……」
自分の胸の内で少し辛そうに息を吐いている妹に、アレクサンダーは本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
そこには外で見せている傍若無人という仮面を取り、身内にしか見せない歳相応の少年がいた。
「気にしないでください兄様…。体が辛いのを隠してついていった私のほうが悪いのですから…」
それは兄への思いやりなのか、それとも本当の事なのか。少なくともアレクサンダーは後者とは取らなかった。
「兄様……、また今度、あの木の下に行きましょうね。今度は、ティフォンも連れて………」
「ああ…、そうだな。そうだな……」
自分が呼ばれたと思ったのか、ごろんとうずくまっていたティフォンがひょこひょこと近づいてくる。そして、主人に向けて声をかけよう
とした時、
-
「…アルマリス?おい、アルマリス!」
アレクサンダーが突然大声を上げ、ティフォンは放ちかけていた吠え声をバクン!と閉じてしまった。
アレクサンダーの腕の中のアルマリスは、忙しなく息を吐き顔色は青を通り越して黒に近くなっている。額に触れた手は火傷でも起こしそ
うなくらいに熱い。
「だ、誰か!医師を呼んでくれ!!早く、早く!!アルマリスが!!」
アレクサンダーは外の衛兵どころか塔の天辺にいても聞き届きそうな大声をあげ、ティフォンもつられてワンワンと危機を伝えるかのよう
に吠えまくった。
「しっかりしろ!アルマリス、アルマリス!」
慌てふためくアレクサンダーの呼びかけに、アルマリスは聞こえているのかどうかは分からないが微かに目を開き僅かだが首を動かした。
それからアルマリス担当の医師が来るまでの短い時間、アレクサンダーは必死にアルマリスの名前を連呼し続けていた。
「お前はアルマリスはただの軽い風邪だって言っていたじゃないか!なんでこんなに酷くなるんだ!」
解熱剤は打ったものの、いまだに顔を青くしながらうんうんと唸り続けるアルマリスを見てアレクサンダーは医師に食って掛かっていった。
娘の容態が悪くなったと聞き、国王メルキル15世も王妃のフェレスも公務を一時中断してやって来て、心配そうにアルマリスを見ている。
「ひ、姫様はお体が生まれつき弱くていらっしゃるので、ちょっとしたきっかけで……」
医師はしどろもどろといった感じでアレクサンダーの追及に答えている。正直、医師としてもアルマリスのあまりの病弱ぶりに泣きたい気
分だった。
王室付きの医師になれたと数年前は喝采を叫んだものだ。これで、時々王室の人間に適当な病名を言って栄養剤でも渡しておくだけで普通
の医者の何倍もの月給を手にすることが出来き、わが世の春を謳歌できると。
ところが、アルマリスの担当になってから気の休まる暇がない。外を歩くと熱を出し、中を歩くと倒れこむ。そして、その都度呼び出され
処方をしなければならない。しかも当然のことだが失敗は許されない。
アレクサンダーにつき合わされるのは拷問に近いが、アルマリスに付くのもある意味でひどい拷問だった。
「言い訳はいい!とにかく今すぐアルマリスの熱を下げろ。さげろ!さげろ!!」
何しろアルマリスへの処方に手間がかかるのに加え、妹思いのアレクサンダーがこのように度々口を出してくるからたまったものではない。
ここで下手打って怒りの矛先が自分へと向けられたら、毎日何をされるかわからない!
「この藪医者!たかが熱を下げることも出来ないのか!そんな役立たずは不要だ!とっと荷物を纏めて城からで…」
「息子よ、落ち着くのだ。そうすぐに薬は効きはしない。それに、そんなにアルマリスの耳もとで怒鳴っていたらアルマリスも寝られない
ではないか」
「うっ…!、はい…」
自分ではどうすることもならない焦燥感がやり場のない怒りを生み、医師に八つ当たりしていたアレクサンダーを父親であり国王のメルキ
ル15世がビシッと嗜めた。
アレクサンダーもその一言でハッと正気を取り戻し、口を噤んだまますごすごと父王の後ろに逃げるように下がった。
アレクサンダーの舌禍から逃れることが出来た医師は目で国王に感謝の言葉を述べると、国王達にアルマリスの容態が安定するまで絶対に
安静にさせること。そして、アルマリスの部屋に看護要員以外は誰も入ってはならないことを申し伝えた。
「ちくしょう!」
部屋の外で心配そうに立っていたララディアに、アレクサンダーは悔しさで顔を歪めながら吐き捨てた。
「なんでアルマリスだけあんな目にあうんだ!何かアルマリスが悪いことをしたって言うのか!」
悪いことなどしようはずがない。そもそも、悪いことが出来るほどアルマリスは丈夫な体をもっていない。
「神は、何だってアルマリスにあんな弱い体を与えたんだ!ろくに外を歩くことも出来ない、体を!」
「王子……」
自分の前で神への恨み言を口にするアレクサンダーに、ララディアはかける言葉が見つからなかった。
妹の幸せをなによりも大事にしていたアレクサンダーにとって、自分が原因でアルマリスが大病を患ってしまったのは何物にも変えがたい
悔恨であろう。よかれと思ってしたことが、物凄く悪い目に出てしまったのだから。
「出来ることなら僕が代わってやりたい。せめて、アルマリスが感じている苦しみの何分の一かでも僕が被ってやりたい!」
それは、紛れもないアレクサンダーの本音だろう。
- 「ララディア、何とかならないのか?!アルマリスから苦しみを取ってやる方法はないのか?アルマリスが元気な体になる方法は、この世
のどこにもないっていうのか?!」
「そ、それは……」
「あるかもしれませんよ」
言葉に詰まるララディアの後ろから、唐突に発せられた声があった。
「?!」
10
驚いて振り向いたララディアの視線の先には、どこから来たのかサンディが突っ立っていた。
「どういうことだサンディ!アルマリスを元気な体にする方法が、あるっていうのか?!」
血相を変えて叫ぶアレクサンダーに、サンディは指先で眼鏡をかけなおしながら努めて冷静に答えてきた。
「この世には人間の体質を変えてしまう術法もあると聞きます。それらを用いてアルマリス様の体質そのものを変えてしまえば、病魔に冒
されない健康な体を手に入れることが出来るかもしれません」
「そ、その方法を、サンディは知っているのか?!」
アルマリスが健康な体になるかもしれない!
目の雨に現れた希望に顔を輝かせたアレクサンダーに、サンディは申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません、私もまだ未熟な身の者で……。ただ、書庫に少し心当たりがありますから探してみようと思うのです。
ですが、膨大な書庫ですからそれを探すのに時間を割くと、王子の勉強が……」
「そんなことはどうでもいい!僕の勉強なんか放ってもいいから、その本を探してくれ!頼む!!」
アレクサンダーにとって、自分の勉強よりアルマナウスの健康の方が優先されるのは当然のことだった。そんなわずらわしいことに時間を
割くよりは、本を探してくれた方がよっぽど後の役に立つ。
「今すぐでもいい!早速探してきてくれ!!」
「畏まりました……」
恭しくお辞儀をし立ち去っていくサンディに、アレクサンダーは手を振りながらサンディが角を曲がるまで頼むぞと叫び続けていた。
ララディアも、どちらかといえばアレクサンダーを疎ましく思っていたサンディがこんな建設的な話をしたことに軽く胸をときめかせてい
た。
その為ララディアも、普段は恐ろしいほど聡明なアレクサンダーも気分が浮かれていたからか気づくことはなかった。
立ち去っていくサンディが、石張りの廊下を歩いているにも拘らず足音が全くしていなかったことに。
☆
その日の夜のこと。
「…あれ?」
不寝番で廊下を巡回していたクーラは、突然立ち止まってから後ろをくるりと振り向いた。
「どうしたの?」
「いや…、なんか、向こうの灯りが一瞬暗くなったような気がして…」
一緒に回っていた同僚のマーシュが何事かと問い掛けると、クーラは奥歯に物が挟まったような物言いを返してきた。
それは、ちょっとだけ視線を横に向けたとき、本当に一瞬だが向こうの突き当たりの通路を赤々と照らす照明が何かに遮られたかのように
暗くなるのを感じたのだ。
もう時間は夜の二時を回っているし、この時間にここを歩いているのは自分たちしかいないはずだ。
となると、考えられる選択肢はそう多くはない。
「ひょっとして……泥棒?」
「う〜〜ん……。でも私の見間違いってことも考えられますし…。何しろほんの一瞬でしたから……」
クーラとしてもいまいち確信がもてない。本当に気のせいということも考えられるからだ。
が、例え気のせいだったとしても見逃すわけにはいかない。それが夜間の警備を任せられた不寝番の役割なのだ。
「でも、やっぱり見に行った方がいいんじゃないかしら…」
クーラにせよマーシュにせよ、女性ではあるが城内警備を任務にしているだけのことはあって一般的な護身術や刀剣術は心得ている。
泥棒の一人や二人なら軽く捻れる自信は持っていた。
- 「…うん。じゃあちょっと向こうを見てきますね。マーシュはこのまま巡回を続けていてください。何かあったらすぐに戻りますから」
「わかったわ。気をつけてね…」
マーシュが心配そうに見送る中、クーラは突き当たりへパタパタと駆け出していった。
まあ、泥棒がいても一人で何とかなる。とクーラは軽い見通しを立てていた。そのためにマーシュは残し、クーラ一人で向っていった。
結論から言えば、それは非常に甘い考えだった。不審番がいつも二人で行動しているのは、非常の際に片方だけでもそこから逃げ延びて異
常を他の者に知らせるためなのだ。
それがクーラが単独で行動してしまっては、クーラに何かがあってもマーシュがそれを知ることは出来ない。つまり、クーラがどんな目に
あってもマーシュはクーラを助けることは出来ない。
11
もっとも、もしマーシュがクーラについていったとしても、犠牲者が一人から二人に増えただけだろうが。
「………」
何かいないか、突き当りの通路を曲がり、奥へと駆け、鍵がかかっていない扉を開けてみたりした。
が、それらしい不審人物は全く見つからない。というより、人間の気配すらまったくない。
「やっぱり、見間違いだったのでしょうか……」
そう結論付け、マーシュの下へと戻ろうとした、正にその時
「………ン」
クーラの耳に、どこからか人間の声が入ってきたような気がした。
「え?」
何かの聞き間違いかもしれないと、もう一度よく耳を澄ましているとまた、
「………ンァ…」
と、今度は間違いなく人間の声を捕らえた。どうやら声は、左手にある階段の下から洩れてきているようだ。
そこいら辺は城の資材庫のような場所になっており、人が普段いるような場所ではない。
ましてや、こんな深夜に人がいるはずがない。
「やっぱり…、誰かいるんですね…」
もしかしたら、この城で任務を得てからの初の大捕り物になるかもしれない。クーラの鼓動は、知らずのうちにバクバクと高鳴り始めた。
「これは、大手柄のチャンスですよ!」
この時点で、本来なら巡回を続けているマーシュの元に戻り二人掛りで挑むのがセオリーだろう。が、目の前の手柄というにんじんに目が
眩んだクーラは、一人で侵入者を捕らえてやろうという気で満々だった。
「マーシュのところに戻ったら、賊を逃がしてしまうかもしれませんからね。ここは善は急げということで…」
と、誰も聞いていないのに勝手に免罪符をこしらえて呟き、クーラは手に槍を握り締め、声がする方へ気配を殺して近づいていった。
そろそろと廊下を進むクーラの目に、半開きになった扉が入ってきた。あそこはこの城の物置の一つで、普段人がいることはまずない。
「ふっふっふ…。どうやらあそこにいるようですね…」
ここで自分ひとりで成敗すれば、自分はちょっとした英雄になれる。道行く人の羨望を集め、肩で風を切って歩ける。
きっと先輩も自分のことを褒めてくれるだろう。そうすれば、ひょっとして……
「うふ、うふ、うふふふふ…」
にやけ笑いが止まらないクーラは声が漏れる扉の前に立ち、一気に踏み込もうと腰を屈めた。
が、その瞬間にクーラが想像もしなかった声が響き渡ってきた。
「んああぁっ!いい!そこいいのぉ!!」
「?!」
クーラの耳に飛び込んできたものは、どう考えても女の喘ぎ声だった。断じてそれは、不埒な賊のものではない。
(ど、どういうことですか?!)
飛び込もうとした脚を半歩でなんとか踏み留めたクーラは、そーっと扉の隙間から中を覗き込んだ。そこには
- 「はあっ、はあっ!いいわぁこの感じ!やっぱ最高!!」
採光用の窓から射す月明かりに照らされ、床に寝転ぶ男の上で女が悶えながら腰を上下に揺すっていた。
(いっ!あれって……)
その顔に、クーラは思いっきり見覚えがあった。
(サンディさんじゃないですか!!)
だが、クーラは今目の前にいる女性がサンディとは、俄かに信じ難かった。
あんな蕩けたはしたない顔をしたサンディをクーラは今まで見たことが無かった。クーラのサンディへのイメージは常時しかめっ面で些細
なことで怒り出し、王子の行動に頭を痛めている姿だった。
あんな『女』の顔を出したサンディなど、想像の埒外の産物だ。なにかの見間違い。双子の別人といったほうがまだ納得できる。
(ま、まさかサンディさんが夜這いをかけるなんて…。相手は一体どこの誰なんでしょうか?)
想像していたのとは全く違う展開だが、これはこれで物凄いビッグニュースになる。あのお堅いサンディが男を作って、しかも真夜中に人
気のない所へ連れ込んで情事を交わすとは!
クーラはさっきとは違う意味で胸が高鳴りだすのを感じていた。意外な人物のどえらい秘密を目の当たりにした興奮と、目の前で繰り広げ
られる男女のセックスに対する興奮だ。
決して大きいとはいえない胸がぷるぷると揺れる姿。上下に動くたびにぐちっぐちっと接合部で響く滑った液体の音。その都度洩れる肉欲
に爛れた喘ぎ声。
(凄いです…。あのサンディさんがあんなになって……)
次第にクーラは、目の前の光景に目が釘付けになっていった。
サンディの動き一つ一つから目が離せず、自分の体も熱く火照り始めている。
「ふぅぅ……。くぅ……」
サンディを見る目が興奮で次第に潤み、槍を持たない左手が自然と股間へとあてられている。
(……ンッ!)
熱く熱もったそこへ掌が触れたとき、体に走った快美な快感に、危うくクーラは声を漏らすところだった。
まずい。このままこれを見ていたら、いつか絶対サンディに自分のことがばれてしまう。
でも、今さら目を離すことなんてできっこない。
続行と撤退。二つの相反する感情がクーラの心でグルグルととぐろになって混ざり合い、今後の行動をどうするか決断を促していた。
本音を言えば、もっと見ていたい。この凄い光景を目に焼き付けていたい。
が、それがあまりにも危険な行為であることもまた承知している。こんなのを覗き見しているなんて事を知られたら、下手をすると殺され
てもおかしくはない。
(ううう………)
長い逡巡の末、クーラは撤退を決断した。ここから離れるのは確かに惜しいが、命に代えられるものではない。
(でもせめて…、せめて相手の顔だけでも……)
と、クーラがちょっとだけ顔を伸ばそうとした時、騎乗位でガンガンと腰をついていたサンディが突然下の男の肩を掴んだ。
「ウフフフ…、そろそろ限界のようね……。じゃあ、止めの快感を与えてあげるわぁ!」
「!!」
クーラの目の前で、サンディの姿が見る見る変わっていった。
肌は月明かりの下ですら分かるほどに血色が抜けて青くなり、代わりに目は暗闇でもわかるくらいに紅く輝き、薄笑いを浮かべた口からは
牙がぬぬぬっと生えてきている。
吸血鬼の姿に戻ったサンディは、牙を月光に煌かせながら腰を曲げ、下の男の首筋にガブリと噛み付いていった。
「うあぁーーっ!!」
その瞬間、下の男の絶叫が部屋中に響き、腰をガクガクガクッ!と揺らしたかと思うとサンディとの接合部から白い液体がごぼごぼと漏れ
溢れてきた。
その瞬間も、サンディは腰をふりふりと揺らしながらズズズッと音を立てて男の血を吸い取っていた。
(な、なに……、あれ……)
突然目の前で始まった人外の捕食行為に、クーラはつい今さっきまでの興奮はどこかへ吹き飛んでしまった。
熱く自己主張していた股間の疼きは消え失せ、逆に底冷えするほどの悪寒が体内を走っている。
- (サンディさんが……男の人の、血を……吸ってる?!)
それだけでも十分猟奇的なのだが、今のサンディの外見はどう考えても人のものではない。まるで悪魔か、あるいは……
(き、吸血鬼!)
その単語が頭に思い浮かんだ時、クーラは今この場で行われていたのがなんだったのかを理解した。
アレは愛する男女の密会ではなかったのだ。
バケモノが人知れずに獲物を捕食している光景だったのだ!
(このままここにいたら、私も食べられてしまう!)
悪漢、賊には自分は絶対負けない自信がある。が、バケモノとなったら話は別だ。こんな貧相な槍一本で勝てる相手とは絶対に思えない。
(に、逃げないと!)
恐怖がドッと全身を支配し、クーラは慌てて立ち上がったが、その為致命的なミスを犯してしまった。
勢いつけて立ち上がったため、間の悪いことに槍の穂先と扉が思いっきりぶつかってしまったのだ。
ガィン!
廊下の先まで届くかのような大きい音が辺り一杯に鳴り響いた。
これでは、流石に旨そうに血を啜っていることに没頭していたサンディも気がついてしまう。
「!!誰?!」
ガバッと立ち上がったサンディがぎょんと後ろを振り向く。その顔は口一杯に血がこびりつき、瞳は食事を邪魔された怒りでギラギラと紅
く輝いている。
「キ、キャアアーーーッ!!」
それを見て遂に我慢の限界を超えたか、クーラはガチャンと槍をその場に落とし一目散に駆け出した。アレに捕まったら、間違いなく殺さ
れる!!
「待ちなさい!」
後ろからバタン!と扉が開かれた音が聞こえる。あのバケモノが自分を追ってきているんだ!
「た、助けてぇーっ!誰かぁーっ!!」
クーラは誰もいない廊下を走りながら精一杯の大声を張り上げた。この辺は人がいない地帯なので誰も出てこないが、もう少ししたら誰か
しら人がいる場所に出ることができる。もう少し走ればマーシュが巡回しているルートに合流できる。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ!」
追いつかれたら最後だと確信しているので、クーラは息が切れかけても構わず走り続けた。後ろから待てーっ!と言う声が聞こえるが、も
ちろん待つわけにはいかない。
「誰か、誰かぁ………」
無限に続くかと思うような階段を昇り、もう少しで安全圏へ出られる……
その時、ろくに前を見ないで逃げていたクーラに、ドン!とぶつかるものがあった。
「キャッ!」
その衝撃に少しよろめいたクーラだったが、こんなことで足を鈍らせたらあのバケモノに追いつかれてしまう。と思いすぐさま体制を立て
直し駆け出そうとした。
が、その体が不意にガクン!とつんのめってしまった。まるで、何かに腕を掴まれているかのように。
「えっ?」
「おやおや、どうなされたというのですか?こんな夜中に血相を変えて」
クーラの手を掴んでいたもの。それは…
「あなたは…、ナールス様?!」
クーラもあまり近くで見たことは無く、勿論面識も無かったが、自分の目の前に立っているのは紛れも無く王妃の命を救った青年ナールス
だった。
なぜここに、こんな時間にナールスがいるのかはクーラには分からない。
が、ここにいることでナールスまでもが命の危機に晒されていることは理解できた。
「ナ、ナールス様!早くここから逃げてください!!バケモノが、吸血鬼がこっちに向ってきてるんです!」
「吸血鬼……?それは……」
「サンディさんが、サンディさんが吸血鬼になって………?」
「吸血鬼とは……」
クーラを掴むナールスのてにギリギリと力が篭められていっている。今、気づいたのだがナールスの手は剥き身であるにも拘らず酷く冷え
ており、まるで死人のようだった。
- 「ま、まさか……」
クーラの背筋がぞっと冷えてくる。嫌な予感が全身を包んでいる。
「吸血鬼とは……、こんなものですか?」
ナールスの口元から牙が覗き、眼下にあるクーラを紅い瞳が面白そうに眺めている。
「ひっ……キャアーーーッ!!」
吸血鬼からなんとか逃げ切れたと思ったら、いつの間にか吸血鬼の手の内に捕らわれていた!
その恐怖にクーラが大きな悲鳴を上げたのと同時にナルストの瞳がギラリと光り、恐怖に見開いたクーラの瞳を貫いた。
「!!あっ……」
その魔眼にたちまちクーラの瞳はどろりと濁り、クーラという一個体を物言わぬ肉の器へと変えてしまった。
支える力を失ったクーラの体はどさりとナルストの胸の内にもたれ、そのまま糸が切れた操り人形のようにかくんと倒れこんでしまった。
「待てーっ!………って、ご主人様?!」
サンディが必死の形相で階段を駆け上がってきたのは、まさにその瞬間だった。
「サンディ…」
サンディを見るナルストの目は冷たい怒りに満ち溢れている。
「あれほど周りには気をつけろといったのに…。快楽に溺れ注意を怠り、気配も察せずその姿を見られてしまうとは…
この愚か者が!」
バキィッ!
「ギャッ!」
クーラを抱えたまま、ナルストの容赦ない蹴りがまともにサンディの腹にめり込んだ。
「ゲホッ…ゲホッ!!も、申し訳ありません……」
「私がたまたまこの場にいたから良かったようなものの、もしそうでなかったら我らの目論見が全て無に帰すところだったのですよ。
これからは自重しなさい。さもなくば、お前を捨てますよ」
捨てる。この一言にサンディはビクッと体を強張らせ、すぐさまその場で土下座を組み、頭を廊下にぐいぐいと擦りつけた。
「わかりました、わかりました!!今後は吸血の際に精を貪るのを控えます!ですから、ですから捨てないでください!」
サンディとしてはナルストに捨てられないために必死だ。自分の全てを捧げたナルストに捨てられるということは、自分の全てを否定され
るに等しい行為だ。
「お願いします!お願いします!!」
コメツキムシのように顔を上下して謝罪するサンディを見て、ナルストは軽く微笑むと普段の柔和な表情を浮かべた。
「分かればいいのです。さすがは私の優秀な奴隷ですね。
では、下で吸っていた人間の後始末をしてから私の部屋に戻りなさい。私も、これからこの人間の処置をしなければいけませんしね…」
「は、はい!」
ナルストに許されたことにサンディの顔はパッと輝き、すぐさま飛び跳ねると階段を勢いよく駆け下りていった。
その姿を最後まで看取ることなく、ナルストは自分の部屋へ向けてすたすたと歩き始めた。
その顔には、サンディに対する不満がありありと浮かんできている。
「全く、いちいち面倒ごとを運んでくれるものです…。これでは予定の時までに計画が終わらないじゃないですか…」
ナルストはチラリと懐に抱いているクーラを見た。魔眼に捕らわれたクーラは魂が抜けたかのように虚ろな表情を浮かべている。
「あなたにはちょっと、私の不満の捌け口になっていただきますよ。なぁに、殺しはしません。
ただちょっと、正気を失ってしまうかもしれませんが…、まあその時は暗示で正気のように振舞わせて上げますよ」
ちょっとした面白いおもちゃを手に入れたかのような気分を、ナルストは味わっていた。
-
☆
カンカンカンカンカン…
「ハアッハアッハアッ……!」
誰もいない薄暗い廊下を、マーシュは懸命に駆け走っていた。
確かめてみるといって通路の奥に消えた後いつまで経っても戻ってこないクーラに、何かあったのかと心配になったマーシュは道を引き返
してクーラと分かれたところまで戻ろうとしていた。
その時、微かではあるが確かにクーラの悲鳴が通路の奥の奥から耳に届いてきたのだ。
「ク、クーラ?!」
マーシュは慌ててクーラの名前を呼んだが、クーラの声はそれっきり聞こえてこない。
「クーラ、クーラーッ!」
マーシュはみんな就寝中の真夜中ということを忘れ、クーラの名前を大声で連呼した。
が、何度叫んでもクーラからの返事は返ってはこない。
「?!クーラ!!」
異変を察知したマーシュは脱兎の如く駆け出した。
やっぱり一人で行かせるべきではなかった。二人で行けば、何らかの異変にも対処できたというのに。
マーシュは自分の迂闊さを後悔しながらも、こうなっては一刻も早くクーラを救わなければの一心で重い鎧と武器をガチャガチャならしな
がら、クーラの悲鳴が上がったところへ急がんとしていた。
「確か、こっちから……」
額から流れる汗で滲む視界に、地下へ下りる階段が見えてきた。この先は行き止まりになっているからクーラがいるとしたら地下しかない。
マーシュが階段を下りようと目を向けたとき、階段を昇ってくる白い影が見えた。
階段は踊り場の灯りしか照らすものがなく視界は極端に悪い。故に誰かを判断することは難しい。
「?!クーラ!クーラなのね?!」
が、マーシュにしてみればそこにいるのはクーラ以外考えられず、それだけにクーラが無事だったということでほっとした思いがマーシュ
の心を満たしていた。
しかし、マーシュの眼下にいる影はマーシュに何の反応も示さずこつこつと階段を昇ってくる。いくらなんでもクーラがここまで無反応と
いうのは考えにくい。
「クーラ?」
そこで初めて不審に思ったマーシュが改めて下から来る影をじっと眺めると、輪郭がはっきりしてくるにつれ、それがクーラとは似ても似
つかぬものだと分かってきた。
クーラは眼鏡をかけたりはしていない。クーラは手に槍を持っている。クーラは自分と同じ鎧を身につけている。はず。
下からくるものは、眼鏡をかけ、丸腰だった。明らかにクーラとは異なる。
いや、それはある意味でクーラとは全くの対極の存在だった。
人間はあんな青白い肌をしていない。人間は暗闇で光る紅い虹彩はもっていない。人間は肉食獣のような、長く伸びた爪と牙は持ってない。
つまり、今階段を昇ってくるものは人間ですらなかった。
「ヒッ…!」
「ん……?」
思わず息を呑んでしまったマーシュの声に、下から昇ってきた化け物はちら、と上目を送った後ちっっと舌打ちをした。
「なによ…。今日はどうもついていないわね。こう何度も何度も姿を見られるなんてさ…」
(気づかれた!)
マーシュは反射的に口元を手で押さえ、恐怖のあまり顔から血の色がザッと引いていった。
さっきからいくらクーラの名前を読んでも反応が無いのは、きっとこの化け物にやられたんだ!
そして、その化け物が目の前にいて、なおかつ自分のことに気づいている!
そうすると、次に狙われるのは……
「キ、キ………!キャ 」
自分のおかれた状況に絶望しか思い浮かばず、マーシュの口から絹を裂くような甲高い悲鳴が放たれようとした、その時
「ちょっと、黙りなさい!」
- 化け物=サンディの魔眼がギラッと光り、マーシュの瞳へと吸い込まれていった。
「キャ ……、あぅ」
その瞬間、マーシュの表情はたちまち夢でも見ているかのように呆け、槍が手から離れガランガランと大きな音を立てて転がり落ちた。
階段の入り口で棒立ちになるマーシュを、サンディは面倒くさそうに眺めていた。
「ふぅ…。状況から見てクーラと一緒に不寝番をしていた子みたいね。全く面倒なこと………
よく見たら、結構おいしそうな体しているわね……」
ついさっきまで別の男の血と精を貪っていたにも拘らず、クーラの乱入で中途半端に終わらされていたことで、マーシュの瑞々しい体を前
にしたことでサンディの吸血衝動が再びむくむくと鎌首を持ち上げてきた。
無意識のうちにマーシュの肩を掴み、その喉首へ牙を突きたてようと腰を落としてしまう。
「……クッ」
が、まさに噛み付こうとした瞬間にサンディは首を振り払って衝動を必死に抑えた。
こうした後先考えない吸血が、さっきのような無様な事態を招いたのだ。今またこの瞬間を他の人間に見られたら、今度こそ間違いなく自
分はご主人様に捨てられてしまう!
「危ない危ない…。そう簡単に惑わされたりはしないんだから…」
サンディは首をふるふると振って自分に言い聞かせ、内なる衝動をなんとか打ち消した。
「とりあえず…、ご主人様のところに連れて行きましょうかね。あなた、私の後についてきなさい」
「はい」
マーシュは抑揚ない声で頷くと、すたすた歩くサンディの後をふらふらとついていった。
パチン
「……?!」
小気味良い指を鳴らす音が耳に響き、クーラは真っ暗に閉じられていた意識が急に覚醒するのを感じた。
(あれ?私いつの間に眠っていたんでしたっけ…?)
ぽやんと開いた瞳が辺りの景色をまじまじと取り込んでいく。入った記憶の無い大きな部屋。何が書いてあるかよくわからない本が積まれ
た本棚。何に使うのか理解も出来ない器具。何の効果があるのか想像も出来ない薬品類が収納された棚。
そして、目の前に佇む血色の悪い絶世の色男……
血色の悪い。まるで死んでいるような………
「っ!」
その瞬間、先ほどの身の毛もよだつ様な記憶が一瞬で呼び起こされた。吸血鬼に囚われた、恐るべき瞬間のことを。
「おはようございます。クーラ殿」
クーラを見つめる吸血鬼・ナルストが、牙を剥き出しにしながらまるでクーラを小馬鹿にするように深々と頭を下げた。
「ヒッ!」
その様に底知れない恐怖を感じたクーラはすぐに身を翻し、吸血鬼の元から逃げようと歩を進めた。いや、しようとした。
しかし、そうしようとしたクーラの思いと裏腹に、足裏はまるで接着剤でくっついているかのように床から離れようとはせず、全身は見え
ない糸で拘束されているかのようにピクリとも動かなかった。
「やだっ!か、体が動かない!!なんでぇ?!」
「申し訳ありません。クーラ殿に逃げられてはこちらも困りますので、首と頭以外の体の動きは封じさせてもらいました。
今ここから出られて我々のことを喋られるのは非常に都合が悪いもので…」
そう言いながらナルストは自らの右手をクーラの前に差し出した。鋭利に伸びた爪が触れあい、かしゃりと乾いた音を鳴らしている。
「だってそうでしょう?この城の中に人ならざるものが存在するなんて知られてみなさい。蜂の巣を突付いたような大騒ぎになって…
城中の兵士や魔術師が私たちを抹殺しに来るでしょう。そんなことになったら…」
クーラの目の前にあるナルストの爪が、その時ひときわ長く伸びた。
「この城に住むもの全員の命を、奪わなければいけないじゃないですか……。
そんなことになったら、私の愉しみが半減してしまいますよ。そんなことをさせるわけにはまいりませんからね」
- 「ひっ……」
クーラは目の前でクククと低い声で笑うナルストを見て、身の毛がよだつ悪寒を感じた。
クーラが遠めでよく見ていたナールス(ナルスト)は、物腰も応対も丁寧で、その上げた功績に対しても増長せず、年上を敬い年下を慈しみ
周囲に好感を振りまくできた男だった。
若い女官にもファンは多く、かく言うクーラ本人もそれなりに好感を抱いてはいた。
しかし、それら全ては巧妙に立ち回ったナルストの虚像だったのだ。
人を殺すことを愉しみといい、全身から立ち上る邪悪な気配を隠そうともしない人外の化生が、間違いなく目の前の男の本性なのだ。
「そう。物事は悟られず静やかに、そして確実に執り行う必要があるのですよ。
それを理解できない不出来な下僕を作ったのは、ここに来ての私の最大の失策ですね」
「下僕……、作った……?」
クーラの頭にナルスト以外の吸血鬼の姿が再生されていく。
城の倉庫で男に跨りながら牙を煌かせ、喉笛に喰らいついた……
「サ、サンディさん……」
「そう。彼女はこの城で作った最初の下僕です。頭も切れ、王子の教育係ということで城のあちこちに顔パスで潜り込めますから下僕に最
適と思ったのですが、いかんせん好色すぎて効率が上がらなくて……。いい加減、他に下僕を作ろうと考えていたんですよ」
ナルストがチラリとクーラを覗き込む。その様が、クーラにはまるで自分を物色しているように見えた。
まるで、その中の血の味を確かめているかのように。
「い、いやぁ………」
自らの運命を想像したのか、クーラの顔ががたがたと震え、歯の根がガチガチと鳴り始めた。もし体が自由になっていたらきっと腰を抜か
していただろう。
「いや……、いやぁ!お願い、吸わないで!血を吸わないで!!私吸血鬼になんてなりたくありません!!助けて、先輩助けてぇ!!」
唯一自由になる顔を揺すって、クーラはぎゃあぎゃあと泣き喚いた。体を直立不動にさせたまま首だけがグルグルと動く光景は他の人間か
ら見たら酷く滑稽なものだったが、本人にしてみれば必死も必死だ。
そんなクーラの見苦しい光景をナルストはしばしの間観察し、微笑みながらクーラに呟いた。
「ご安心ください。あなたを下僕にする気はございません」
「やだぁ〜〜〜〜〜っ………、え……?」
ナルストの意外な言葉に、クーラの泣き声も思わずピタッと止まってしまった。
「あなたのような何の特徴も才能も無い凡人を下僕にしてもサンディ以上に足を引っ張るだけです。そんな役立たずの下僕なんか、増やせ
ば増やすほど私に害を及ぼすことになるでしょう。
あなたをここに連れてきたのは、単純に私のストレスを発散させるためですよ」
ナルストは伸ばした爪をクーラの頬にあてがい、つぅ、と頬をなでた。爪が通った後からは、薄く赤い筋が通りじわりと血を滴らせている。
「その体に、ありとあらゆる苦痛と快楽を注ぎ込み、悶え狂いながら壊れていく様を私に見せてください。一人の人間が一個の肉人形に変
わっていく姿を私の前で晒してください。
ああ、後の事を気にする必要はありません。壊れた後は、いつも通りに振舞えるよう私が調整してあげましょう。私のストレス発散の血袋
人形として、しばしの間愛でて差し上げますよ」
「!!」
ナルストの発想はクーラの想像のさらに斜め上を言っていた。この吸血鬼は自分を下僕にするために連れ去ったのですらなかった。
この体を嬲り、貶め、蹂躙し、単なるストレス発散のおもちゃとしてしか自分の事を見ていなかったのだ。
「さあ、まずはその邪魔な服を脱いでもらいましょうか。少し目の保養をさせてもらいたいですからね」
そうナルストが言い終わるより早く、今まで微動だにしなかったクーラの手がビクッと震え、胸当ての留め金に手を伸ばした。
「?!か、体が勝手に!」
「もうあなたの体は私の思うがままですよ。早く脱ぎなさい」
- 「いや、いやっ!!」
クーラは思うようになるまいと必死に手を止めようとするが、抗するべくもなく手は勝手に留め金を外しがちゃりと音を立てながら胸当て
を床に投げ捨てた。
そのまま手は腰当、剣、ベルトとぽいぽい落とし、アンダーウェアを強引に引きちぎりクーラの上半身を露わにしてしまった。
「ほほう、これはまた…」
身長150cm少しと、護衛兵士としては決して大柄とはいえないクーラの胸から現れたのは、なんとも不釣合いな80cm近くになろうかという
双胸だった。普段は厚手の胸当てで押し付けているからさほど目立つことは無かったのだろう。
だが今は隠すものが何も無いうえ、両手をぴんと下におろしているのでその胸は自己主張するかのようにぷるんと張り立っていた。
「随分と大きく張った胸ですね。形も色も申し分ない。もう少し幼児体型だと思っていましたが、これで愉しみが増えたというものです」
「〜〜〜〜〜〜!」
あまりの恥ずかしさにクーラの顔は真っ赤に染め、目をぎゅっとつぶったまま俯いている。
「さあ、休んでいる暇はありませんよ。このまま下も脱ぎ捨て、全てを私の前に曝け出すのです」
クーラの手がナルストの言うままに腰にかかるズボンをずり落とそうと動いていく。
「!!」
その時、俯いていたクーラががばっと顔をあげ、それまでのとは比べ物にならないほどの大声を張り上げた。
「いやぁーっ!それだけは、それだけは止めてーーっ!いやっダメ!ダメダメダメエェッ!!」
クーラは必死の形相でじりじりと動く腕に力を込め、なんとか止めようと抵抗を試みていた。それでも、腕は僅かずつだが腰に伸び、ナル
ストの命令を成し遂げようとしている。
だがクーラも必死だ。
(アレを見られるわけにはいかない。あんなものを人前で見せられるわけが無い!絶対に、絶対に!)
自身が持っているある秘密のため、絶対にこのズボンを下ろすわけには行かなかった。それをもし他人に知られたら、恥ずかしさのあまり
ショック死してもおかしくはない。
「だめーっ!動かないで、私の手!お願いだからぁーっ!!」
すると、クーラの思いがナルストの呪縛を上回ったのか、クーラの両腕はぶるぶる震えながらもそれ以上動くのを止め、ズボンに手が届く
か届かないかのところで留まっていた。
「ハアッ…ハアァ…ッ!」
クーラは息を切らしながら、自分の意思を全く無視して動いていた手を何とか制御していた。少しでも気を抜くと即座にズボンを下ろしそ
うなので一瞬も気を抜けない。
この時点でどう考えても無意味な抵抗なのだが、クーラは必死に自分の手を押さえつけていた。
自分の呪縛に意外と抵抗するクーラに、ナルストは僅かながら感心していた。
(ただの小娘かと思いましたが、なかなかに意志が強いですね。ま、それでこそ嬲りがいがあるというものですがね)
ナルストがその気になれば、クーラの意思を保ったままその体を完全に操ることも不可能ではない。だが、もしかしたら抵抗できるかもし
れないと考え健気に振舞うクーラの姿はナルストの嗜虐心をいたく満足させていた。
だが、それをいつまでも見ているほど夜は長くないのもまた事実だ。
「脱ぎなさい」
ナルストが力をこめて放った言葉にクーラの全身はビクッと反応し、その隙をついて両手はズボンをガシッと力強く掴んだ。
「あっ!」
クーラが悔恨の声を上げたがもう遅い。そのままクーラの手は一緒に掴んだパンツごとズッ!と足首までズボンをずり落とした。
「えっ……?」
その瞬間露わになったクーラの下半身を見て、ナルストは思わず言葉を詰まらせてしまった。
「や、やだっ!見ないで、見ないでください〜〜〜っ!!」
無言で自分を見ているナルストへ、クーラは涙声で懇願していた。
- ☆
「ナ、ナルスト様、申し訳ありません。またひとり……?」
サンディがばつが悪そうに入ってきたのは正にこのときだった。
マーシュのことをどう言い訳しようか。そんなことをぶちぶち考えながら戻ってきたのだが、ナルストはサンディの話を聞いているような
状況に無かった。
サンディはてっきりナルストがクーラの血を飲んでいる最中だと思っていた。
が、クーラは血を吸われた形跡もなくサンディに背中を向け、真っ赤にした顔をそむけて恥ずかしがっている。
ナルストはナルストで、ニヤニヤ笑いながらクーラの下半身をじーっと眺めていた。
「……?」
状況がよくわからず首を傾げるサンディに、ナルストはようやく気づいたのか椅子からすっと立ち上がった。
「ようやく帰ってきましたか…おや?後ろのおまけは何ですか?」
ナルストの目に目ざとく入ってきたのは、サンディが魔眼で虜にしているマーシュの姿だった。
「あ、あの…、ご主人様……。これは……」
サンディは先ほどまで考えていた言い訳を述べようとしたが、言い出すタイミングを逸したせいで言い訳の単語がどこかに吹き飛んでしま
いうまく言葉が湧いてこない。
(先ほどあんな失態を晒した挙句、また人間に見つかったなんてことを知られれば、さっきの言葉どおり今度こそ捨てられる!)
そんな思いが頭の中でグルグル回転し、まるで金縛りにでもあったかのようにサンディはその場に固まってしまった。
が、そんなサンディを見るナルストの顔は驚くほど柔和だ。まるで、サンディの失態などどうでもいいと言わんばかりに。
「ふぅん…。ま、いいでしょう。丁度いいおもちゃを持ってきてくれたと考えればいいわけですし。
それよりもサンディ、お前は実にいいものを私の前にもってきてくれましたね。少し見直しましたよ」
「??」
突然自分のことをベタ褒めるナルストに、サンディは内心嬉しいと思いながらもますます訳がわからなくなった。
一体自分が、今日のいつご主人様に褒められるようなことをしでかしたのだろうか。
「クーラ殿、後ろのサンディに自分の姿をよ〜〜っく見てもらいなさい」
「えっ?!い、いやっ!やめてください!!」
ナルストの命令にクーラは必死に逆らうが、もうクーラの体は完全にナルストに支配されていた。
クーラの意思に反して、脚がくるりと回転しその全身をサンディの前に晒してしまう。
「……な?!」
サンディの前に晒されたクーラの姿を見て、サンディは先ほどのナルスト同じく言葉を詰まらせてしまった。
別に、自分より身長が低いのに自分より遥かに圧倒的なボリュームを持つ胸に絶句したのではない。
サンディの目はクーラの下半身に注がれていた。
クーラの脚と脚の付け根の間には女性には絶対にありえない器官、男性器がぽろりとくっついていた。
「ク、クーラ……。あなたって、男だったの?」
「ち、違いますぅ…。私、女です。れっきとした女ですよぉ……」
あっけに取られ間抜けな質問をするサンディに、クーラは消えそうな声できっぱりと否定した。
「半陰陽というやつですよ。私もこれほど完全なものを見たのは永い人生で初めてですがね。
クーラ殿は女でありながら男の機能も有しているわけです。本当に、本当に珍しいものですよ。よく見てあげなさい」
おそらく、初めて衆目に晒されたと思われるそれは、今のクーラの心を表すかのようにしょんぼりと萎えていた。
「凄い…。本当におちんちんなんだ…。」
「や、やだぁ…。そんなに見ないでください…。恥ずかしすぎますぅ……」
手も動かせないクーラは自分のモノを隠す手段はない。自分のペニスを他人が凝視する姿などとても正視していられない光景なので目を硬
く瞑っているが、それはそれで視線がちくちく突き刺さるのが感じられ非常にもどかしい。
「ほら、サンディの後ろの方もよく見てあげなさい。恐らく、一生に二度とは見られない光景ですよ」
(後ろの、人…?)
予想外のナルストの言葉に、クーラの眼がうっすらと開かれる。
その眼に入ってきたのは、虚ろな表情で自分を見るマーシュの姿だった。
「いっ!!」
マーシュが眼に入ったその瞬間、クーラの心臓は外に飛び出んばかりにドキーン!と高鳴った。
同僚でいつも顔を合わすマーシュに、自分の体の秘密が知られてしまった。その衝撃はこれまでに受けたどんな屈辱よりも大きく、重い。
「み、見ないで……」
冷静に見れば、表情も変えずクーラを見ても何の反応も示さないマーシュは吸血鬼たちに意識を飛ばされているというのが分かっただろう
が、今のクーラにはそんなことに気づく心の余裕は無い。
- 自分の最も秘密の場所を見られている。男のように勃起し、排泄もするはしたない器官を見られている!毎日顔をあわせるマーシュに、自
分のおちんちんが見られている!!
「見ないで!見ないでください!!ああぁマーシュ!見な、見ないでぇぇっ!!」
あまりの恥ずかしさに顔を伏せようとしたが、指一本自由に動かせないクーラにはそれも叶わず、ただ泣き叫びながら首を弱々しく横に振
ることしかできなかった。だが、羞恥心から萎える心とは裏腹に同僚に見られているという非現実の状況は、クーラの体にかつて無い興奮も呼んでいた。
「あら?」
サンディの目の前で、だらんと垂れ下がっていたクーラの肉棒がむくむくと頭をもたげてきてきた。それはみるみるうちに熱く滾り、時々
しゃっくりを起こしたかのように上下にゆんゆんと揺れていた。
「どうしたの?知っている人間に見られて興奮しちゃったのかしら?」
サンディはすっかり臨戦態勢を整えたペニスを右手でぎゅっと握り締めてみた。体温の無い冷たい掌に、火傷しそうなほどの熱い熱があっ
という間に広がってくる。
「ふひゃあああぁっ!!」
クーラのほうはクーラで、突然氷のように冷たい感触が敏感なところを包み込み、情けない悲鳴を上げてしまった。
「あっ、悲鳴上げるくらい気持ちよかったのかしら?クスクス」
意地悪く笑ったサンディの目線の先では、クーラが予想外の快感に全身を硬直させ、小刻みに体を震わせていた。
こんなものを持ってしまっている以上、クーラもそれを使った自慰を行っている。というより使うほうが自然だった。
エロ妄想をしながら擦り上げ、熱い滾りをぶち撒く快感は適度な満足感と陶酔感を与えてくれる。
が、他人にそれが行われることによってもたらされる快感は自分ですることの比ではなかった。
サンディの手は、ただ触っただけで腰が抜けそうになるほどの気持ちよさをクーラに与えていた。
「や、やめてぇ…。触らないでぇ…」
これ以上触られたら、気持ちよさから間違いなく頭が壊れてバカになる。クーラはそう確信していた。
が、サンディは手を離すどころか、さらに力を込め
「何言ってるのよ。触るってのは……、こうすることを言うのよ!」
握っている手を上下にしゅっしゅっと擦り始めた。
「あ、あきゃあぁっ!!!」
クーラの腰に、まるで雷が落ちたかのような鋭い痺れが走り、クーラは数少ない自由に動かせる部分である首をぐーっと後ろに反らせ、痺
れるような快感を真正面から受け止めた。
「やだっ、やめ!いじっちゃやあぁ!!」
普通の状態なら腰を反らすなりなんかして快感を散らすことも出来ただろう。
が、今のクーラは指一本自由に動かせない状態であり湧き上がってくる暴力的な快感をそのまま全身が享受している。
そのため、上り詰めるのも早い。
クーラの腰に、あの達する時独特の込み上がる感覚がビリリと走った。奥の精巣から作り出されたエキスが出口を求めて突っ走ってきている。
「ダメ、本当にダメ!でちゃ、出ちゃう!!」
「いいのよホラ出してみなさい!女の子なのに男の汁、思いっきり吐き出しなさいな!」
「で、出ちゃ!あーーーーっ!!」
ドプァッ!
「きゃっ!」
クーラが一際大きな嬌声を放った直後、サンディが握り締めていた鈴口の先から生成されたばかりの精液が勢いよく飛び出してきた。
「と、止まらない!しゃせえ止まらないよぉ!」
サンディに思い切りかかったそれはしばらく放出を止めず、サンディの顔と床を真っ白に塗りたくっていった。
「ひ、ひあぁ…」
やがて、ぴゅうっと最後の一滴が飛び出し、クーラは全てを出し切った放出感に浸りながら大きい溜息をついた。
「んっ…」
サンディは顔面に思いっきり撒かれた精液を、舌を伸ばし一舐めしてみた。
吸血鬼の体になってから精気を感じられるようになった舌に広がった味は、男のものとも女のものとも取れる不思議なものだった。
今まで吸った人間のどの精気よりも濃厚で深く、舌に残る極上の味わいだった。
「なに、これ…。こんな味、今まで感じたこと無い…」
「それが、半陰陽の精気の味ですよ。我々にとってはこの上ない珍味です」
舌を動かしながら目を白黒させるサンディに、ナルストが声をかけた。
「まったく、目の前で勝手に人の獲物に手を出すとは…。本当に身の程知らずな下僕ですね」
- 「あ…。も、申し訳ありま…」
自分の不埒な振る舞いにサンディは慌てて謝ったが、ナルストは口調とは裏腹にそれほど怒った様子は見せていない。
「ああ、構いませんよ。血を吸ったわけではないですからね。
で、今言ったとおり男と女の両方の気を持つ半陰陽は、その希少さと相まって滅多に口にすることは出来ません。私も、この生涯で二度ほ
どあっただけです。そして…」
クーラの後ろに立つナルストはそのままクーラの肩を掴むと、そのままの体勢でクーラの喉に勢いよくかぶりついた。
「あ!あああーっ!!」
放出の快感に酔っているところにいきなり牙の洗礼を受けたクーラは、赤く染まった顔をさらに真っ赤に染め嬌声を張り上げた。出し切っ
て萎え始めていた肉棒が快感の炎に当てられ再び起立し、女のほうも熱く湿り始めている。
ナルストはそのまま暫く牙を埋め、クーラの血を堪能し続けた。その間中、クーラは射精以上の快感を与えられ続け息も絶え絶えになっていた。
「…そして、半陰陽の精気は吸血鬼にとってこの上ない御馳走。並みの人間100匹と引き換えにしても惜しくは無い代物です」
クーラの首に流れる溢れた血を、ナルストはもったないとばかりに舌を這わせて舐め取った。
「ひゃあぁ…」
その妖しい感触に、クーラがか細い悲鳴を上げる。
「私は最初、彼女の心を壊すつもりでここにつれてきました。たかが一匹の人間、どうなったところで構いはしないですし。
ですが、気が変わりました。せっかくの貴重な半陰陽。心を壊して血までまずくなってしまっては非常に勿体無い。
このままその身に甘い悦楽を与え続け、流れる血を熱く熟成させて吸い尽くし新たな下僕へと変えてあげましょう」
「えっ?!」
新たな下僕という言葉にサンディは目ざとく反応した。ご主人様の下僕は唯一私のはず。なのに、新しい下僕を所望されるのか。
「ご、ご主人様……?!」
「サンディ、別にお前が無能と言っているのではないですよ。ですが、計画が少し遅れているのも事実なのです。少し早める必要がありますので」
「…はい」
ナルストの言うことは絶対である。サンディはしぶしぶ了解したがまだ少し納得はしていないという表情だ。
そして、その時意外な声があたりに響いた。
「や、やだぁ…。吸血鬼になんて、なりたく、ないぃ……」
全身からありとあらゆる汁を噴き出し、ぐったりと力が抜けてナルストのなすがままになっているクーラが抵抗の意思を示したのだ。
「…これは驚いた。私の牙を受けてまだ虜になっていないとは…。正直称賛しますよ」
ナルストの声には嘲りや皮肉の響きは入っていない。自分の支配力に捕らわれないクーラに心底感服しているようだ。
「助けて…先輩。助けてください……」
クーラの頭に自分を目にかけてくれたララディアの姿がよぎる。魔界に囚われ与えられる強烈な魔悦に全身を犯され、身も心も堕ちそうに
なっている状況にかろうじて耐え切れているのは、いつも自分に気をかけてくれ憧れの対象であったララディアの存在が心にあったからだ。
こんな絶望的な状況にあっても、絶対にあの強い先輩が助けてくれる。
ありえない妄想であるが、そう信じ続けることでクーラは己の末路に懸命に抗っていた。
だが、強烈な憧れは両刃の剣でもある。
「ん?先輩って…、ララディアのことかしら?そう言えばあなたはララディアによく懐いていたわね。いや、そうじゃないわ…」
何かを思いついたのか、サンディが意地悪く顔を歪めクーラを睨みつける。
「あなたはララディアが欲しかったんだわ。その猛々しいチンポを突っ込んで、自分のものにしたかったのよ。だからいつもララディアの
後をついていたんだわ。なんていやらしいの…」
「え?!」
サンディの強烈な言葉にクーラがギョッと顔を上げる。全身にたゆたう吸血の甘美な感触すら吹き飛ばす衝撃がクーラを襲っていた。
「そ、そんなこと、そんなことありません!先輩は、先輩は……」
「否定するんなら、そのチンポは何なのよ」
「?!」
サンディの指摘にクーラは自分の下半身に目を向ける。その眼に入ってきたのは、ガチガチに滾る自分のペニスだった。
「ララディアの名前を耳にした途端、ぐんぐん反り返っていったわよ。こんな、先走りまで垂らしちゃってさ…」
つぅっと伸ばしたサンディの指がクーラの先端へちょんと触れると、ぷちゅっと言う音と共にぬるりとした液が指に引っ付いてきた。
「ひっ!」
- 「正直に言いなさい。あなたはララディアを犯したい。犯したくてたまらない。ララディアの膣内にザーメンぶちまけて達したアヘ顔を眺
めて悦に浸りたい……。そうでしょ?」
「ち、違うの!違うの!!そんなことない!!」
サンディの言葉を必死で否定するクーラだが、そんな声と裏腹に体のほうはサンディの言葉責めにぴくぴくと反応し、下半身の怒張はさら
に太く大きくなっていっていた。
「思ったことない?あなたの下で貫かれ乱れ狂うララディアを…。無いはずないわよね。そんな立派なモノを持っているくらいだから。
味わってみたくない?ララディアの体。きっと、腰が抜けるくらい気持ちいいわよ……」
「き、気持ち……」
クーラの脳内に、『その時』の様子がありありと浮かび上がってくる。
鼻を鳴らしてペニスを美味しそうに咥えつつ、自らを慰め続けるララディア。
太腿を手で抱えながら股を広げ、切なそうにおねだりをしてくるララディア。
一突きごとに胸をたわめかせ、クーラの体をしっかりと抱きしめながら鳴き喚くララディア。
熱い迸りを、腰を反らしながらしっかりと受け止めるララディア。
桜色の唇から猥語を連発し、さらなる肉欲をクーラに求めるララディア…
憧れのララディアが自分の足元で淫欲に蕩け、クーラによってもたらされる快楽を求めひれ伏す…
頭に浮かんできた妄想のそのどれもが、今まで無意識に考えまいとしてきた邪な妄念だった。
「あ…、先輩ぃ……あ、あっあっあ!!」
その妄想がよっぽど心に障ったのだろうか、ペニスが一際大きく跳ねたかとと思うと、何もしていないのにその先から精液が爆ぜ飛んだ。
「ほら見なさい。ララディアのことを想うだけでこんなになるくせに。体は嘘をつけないわよ…」
「あぁ…せ、先輩、ごめんなさぁぃ……」
ララディアを汚したという思いと自分の節操のなさに、クーラは情けなさから悔し涙が溢れてきた。
「クーラ、あなたへ選択権を与えましょう」
ぽろぽろと涙を流すクーラへ、ナルストが声をかけてきた。
「もし、あなたが憧れの先輩を手に入れたいならば私たちを受け入れるのです。その身に流れる精を、全て捧げ尽くして。
もしもそれを拒むなら、今日のことは全てなかったことに致しましょう。あなたと同僚の記憶を全て奪って解放して差し上げます」
「え…?」
それはクーラにとって意外なものだった。ナルストは場合によっては自分をここから解放するといっているのだ。
「さあクーラ殿、出て行かれるならば同僚の手を掴みなさい。ここに留まるならば、その雄芯をサンディの手に委ねるのです。
どっちを選択しても私は構いません。さあ、選ぶのです」
ナルストの声はいやに自信たっぷりだ。まるで、クーラがここに残るのが分かっていると言わんばかりに。
(とにかく…、これはチャンスです!)
記憶を奪われる以上、この城の中に吸血鬼がいるということをほかの人間にいうことはできなくなってしまうが、とにかくまずはここを出
ることが肝心だ。このまま吸血鬼の仲間にされてはたまらない。
(このままマーシュの手を取れば、ここから出られることが出来る!)
クーラは自由になった脚を動かし、マーシュの元へと歩み寄ろうとした。そうするはずだった。だが
「………?!」
クーラの脚はその第一歩を踏み出すことが出来なかった。
別にまだ体の自由が奪われているということではない。脚は動かそうとすれば動く。どこも縛られているということは無い。
いざ脚を動かそうとした時にクーラの心に蘇ったのは、先ほどのララディアを陵辱した妄想だった。
絶対に不可能だと想っていたこと。『あの』憧れの先輩を自分色に染める機会が奇しくも得られたということ。
だが、それは自分が人間ではなくなるということも意味している。普通なら間違いなく拒むことであろう。
しかし、それを阻む意思が自分の下半身で起立していた。
いくら放出してもまだ足りない、とばかりに自分の節操の無い竿が先走り液を滴らせながらビクビクと蠢いている。それだけではなく女芯
のほうもぼたぼたと涎を垂らし肉欲に浸りたいと懇願している。
「う……」
自分の前にいるサンディをちらりと見ると、何をしても構わないとでも言いたげな眼でこちらを睨んでいる。薄く開いた口からは赤い舌と
牙がクーラを誘惑するかのようにちろちろと覗いていた。
「あ、あ、あ…」
- あの口の中に突っ込んで柔らかい粘膜に包まれたい。あの中に欲望の滾りを思いっきりぶちまけたい。でもそれをすると人間じゃなくなる。
人を取るか、欲望を取るか、クーラの中で相反する想いがぐるぐると螺旋を描いて回っている。
どっちでもいいから一歩を踏み出したい。でも、どっちを選んでも後で後悔しそうな気がする。
「もう、好きにしていいってのに…。ほら、早く選びなさいな」
焦れたサンディがクーラの股間にふぅっと息を吐きかけてきた。軽い刺激だったのだがクーラの鈴口に風があたる。
それが引き金だった。
「う、うわあぁーーっ!!」
クーラの心を今まで味わってきた素晴らしい快感が一気に塗りつぶしていった。身も心も蕩けるような思いをもっともっと感じたい。
この思いを、全て先輩にぶつけてみたい!先輩を、自分のものにしたい!!
クーラの素早く動いた手がサンディの髪を掴むと、一気にその口に自らの怒張を捻じ込んでいった。
舌と口腔粘膜の滑る感触と、歯のかちかちした感触がクーラの神経を刺激していく。
「んぐっ!」
「あ、あああ!気持ちいい!気持ちいいぃっ!!」
もうこの後がどうなろうと構いはしない。今はこの快感を思いっきり味わいたい!
初めて他人の体の中を自分もので侵食する感触に、クーラは倒錯した快感を味わっていた。サンディの頭を押さえつけ腰をガクガクと揺す
ると、ぬるっとした感触がペニス全体を刺激し腰が抜けるほど気持ちいい。
「んっ…、んっ…」
「はあっはあっ!はああっ!!」
あの普段理知的でお高くとまったサンディが、自分の下でうっとりと自分のチンポを咥えている。
それだけで、クーラの心に歪な優越感がこんこんと湧き上がっていった。
(こ、これが先輩だったら……、どんなに気持ちいいんだろう!)
理性を失いかけた目が、眼下のサンディをララディアへと脳内変換していく。自分の前に膝まづいたララディアが、クーラのペニスをとっ
ても愛しそうに抱え、その口で舐め清めていく。そして、溢れ出す精液を一滴もこぼさず受け止め、その喉に流し込む……
「うわぁぁっ!!せんぱぁい!飲んで。私のザーメン飲んでぇ!体に注がせてぇ!先輩の体、外も中も私のザーメン漬けにしてあげるぅ!
私の匂いで先輩を包んで、先輩の全部を私のものにしてあげるぅぅ!」
サンディの頭を力いっぱい掴み強引にシェイクするクーラの眼に、もう人間のもつ理性は感じられなかった。己の欲望に忠実に生き、その
目的のためなら何事も厭わない、闇の者の邪な光がぎらついていた。
「どうやら答えは出たようですね、クーラ。身も心も、血も全て私たちに捧げるんですね?」
「あああハイ!ぜ、全部あげます!差し上げますから私に先輩を自分のものに出来る力をください!
先輩を、先輩をぉあああっ!すごいいぃっ!チンポ気持ちいいよぉ!!」
闇の者へと堕とすとのナルストの問いかけに、クーラは躊躇せず頷いた。理性を失い獣欲に眼を光らせるクーラを見て、ナルストは満足し
たように牙を覗かせながら低く笑った。
「どうやら完全に堕ちたようですね。サンディ、クーラの女のほうも気持ちよくしてあげなさい。そうすれば、もっと血も熟成していくこ
とでしょう」
「ふぁい…。んっ」
ナルストの命令に頬張ったまま了解したサンディは、クーラの潤みまくった女芯へと手を這わした。濡れた外をぬるぬると弄り、鋭い爪を
伸ばした指を軽く中へと挿れていく。
「ひっ!そ、それいい!!ああぁっおかしくなる!狂っちゃうぅ!!」
男と女、双方から与えられる刺激にクーラの頭は快楽以外の情報は入力されない状態になっている。周りに何があるのかももう理解できず
ただ自分の下半身から湧き上がる快感のみを受け入れていっている。
「そろそろ食べごろになったようですね。では半陰陽の血、ゆっくりと堪能させてもらうとしましょう。
半眼になって悶えるクーラの肩に手を当てたナルストは、先ほど噛み付いたほうとは反対側の首に口を近づけ、ずっぷりと牙を打ち込んだ。
「あっ!はひいぃっ!!」
その衝撃だけで昇り詰めてしまったのか、クーラは歯を食いしばると雄竿と女芯の両方から液を噴出してしまった。サンディの口を手を濡
らした液は止まる事を知らずに流れ落ちていく。
- が、出して終わりということは勿論ない。射精が終わったあともサンディは口からペニスを抜く気は全くなく、出し終わって敏感になった
皮膚に舌と牙をずるずると這わし、びちょびちょになった膣口をぐちぐちと弄んでいる。
そしてそれがまた射精を促していき、噴きだす快感が血液を活性化させ、それを吸われる度にまた快感がいや増していく。
ナルストからは血を吸われ、サンディからは精を吸い取られていく。どんどん自分の中身が吸い取られていく感覚はクーラも自覚している
のだが、それを止める気にはまったくならない。
(ああっ!私の体、全部吸い取られていく!!でも、気持ちいい!もっと、もっと吸ってください!
私の血と精液、全部吸い出していってください!!)
とにかくナルストに血を吸われるのが心地よい。サンディに精を吸われるのが気持ちいい。この快楽と引き換えなら、例えそれが命だとし
ても惜しいとは思えない。
体の中の体液を急激に吸い取られていくクーラの体は、みるみるうちに血色をなくし死人のそれに近づいていく。
でもそんなことに構わずクーラは、吸血と吸精の快感に酔いしれていった。
「は、はひぃぃぃ……」
そして心臓を穿つ音は次第に小さくなり…、停止すると同時にクーラは顔を快楽に蕩かせたままかくんと力なくうな垂れた。
だが、もうクーラの体内には血も精も一滴も残っていないにも拘らず、そのペニスは雄々しく起立したままサンディの口の中に収まっていた。
「………?」
今まで何をどうしていたのか。マーシュは突然自分の意識が覚醒するのを感じていた。
(あれっ?私、何をしてたのかしら。確か、今日ははクーラと一緒に………)
不寝番をしていたはずだ。と思い至ったところで、マーシュは先ほどの恐ろしい体験を思い出した。
「あ………っ?!」
そうだ。自分はクーラと分かれた後、倉庫に通じる階段でクーラを殺した化け物に会ったんだ。そして、そのあと……
「ふふふ、お・は・よう」
ばちっと眼がさめたマーシュの目の前にいたのは、あの時階段から上がってきた化け物…サンディだった。
よく見れば目の前の化け物がアレクサンダーの教育係のサンディと分かるのだろうが、マーシュにはバケモノに捕らわれたという恐怖が勝
り、目の前の化け物が誰かを認識することは出来なかった。
「ひっ…!」
慌ててマーシュはその場から逃げようとしたが、まるで脚は地面にくっついてるようにビクとも動かなかった。
「無駄よ。あなたはそこから動けないわ。一歩もね……くく」
サンディは牙を剥き出しにして低く笑った。その姿を見て、マーシュは目の前にいるバケモノがどういうものかを理解した。
(き、吸血鬼!!)
マーシュだって吸血鬼に対し最低限の知識は持っている。日に当たることができない。人間を魔眼で操ることが出来る。そして、血を吸っ
て犠牲者を仲間にして増えていく…
「ひっ…」
吸血鬼が自分の前に姿を晒している以上、しようとしていることは一つしかない。
つまり、自分の血を吸うということ…
「や、やだ……。吸わないで…。吸っちゃ、やだぁ……」
マーシュは動かない体を小刻みに震わせ、呂律の回らない口で懸命に懇願をした。その姿がサンディにはたまらなく面白い。
「くくく…あははは!あなたたち本当にいいコンビだわ。何から何までそっくりよ!ああおかしい!あはははは!!」
目の前で笑い転げるサンディを、マーシュは呆然と眺めていた。一体、この吸血鬼は何に笑っているのだろうか。
「はひひひ……。そんなに恐がらないの。私は吸わないわよ、あなたの血は。あなたをエサにするのは、あ・の・子よ」
不敵に微笑んだサンディがすっとマーシュの視界から外れる。その後ろから出てきたのは、全裸で青い肌を露出し、右手の人差し指を右胸
の乳首に刺しながら弄くりまわし、左手を股間から生える不相応な肉棒を握りしゅっしゅっと忙しなく扱いている女吸血鬼だった。
「さあ、あなたの最初のエサよ。遠慮せずに堪能するといいわ」
「貴重な半陰陽の血をたっぷりと飲ませてくれた礼です。おまえの欲望の全てを、あの人間にぶつけなさい」
「あははぁ…、嬉しいですぅ…。こんなおいしそうな人間を、いただかせていただけるなんてぇ…」
女吸血鬼は紅い瞳を欲望にぎらつかせ、牙が伸びた唇を我慢できなさそうにぺろぺろと舐めている。股間の逸物も一際大きく勃起し、先端
からは汁が糸のように床に向けて垂れていた。
- 「うふふ…。どこから吸ってあげようかしら。普通に首がいい?乳首?おへそ?クリトリス?腋?どこがいいかしら、『マーシュ』」
「えっ…?」
不意に自分の名前を呼ばれ、マーシュは改めて目の前の吸血鬼をまじまじとみた。
体は吸血鬼になり雰囲気も全然変わっていて気づかなかったが、よく見てみるとその深緑のセミロングの髪、目の下の泣きぼくろ、少し派
手だと茶化していたピアス……
それは、いつも自分と一緒にいた…
「ま、まさか……、クーラ、なの……」
「当たり前じゃなぁい…。いつもあなたと一緒にいたクーラよ。薄情なのね、マーシュぅ……」
「?!ひっ……な、なんで…」
信じられない光景だった。ついさっきまで自分と一緒に不寝番の巡回をしていたクーラが、吸血鬼になって自分の前に立っている。
「ふふ…。私ね、今さっきご主人様とサンディ様に血と精を吸ってもらって…、永遠の命と若さを手に入れたの。とっても、とぉっても気
持ちいい思いをしてね…。だから…」
欲望でのぼせたような薄笑いを浮かべているクーラは、自分の粘液でぬらぬらになった左手をマーシュの前へと差し出してきた。
「あなたにも、その気持ちよさを与えてあげたくて……。友達だものね、私たちぃ……!くひゃははは!!」
「い、いやぁーーーっ!!」
牙を剥き出しにして狂ったように笑うクーラに、マーシュは心の底からの悲鳴を張り上げた。
「た、助け!」
「決めた!やっぱり最初の獲物は首から吸っちゃいます!いただきまーす!」
ガブッ!
「あうっ!」
クーラの牙が涎を振りまきながらマーシュの喉を刺し貫いた時、マーシュは一瞬だけ恐怖と激痛で顔を真っ青に染めたが、次の瞬間には牙
がもたらす快感に表情をうっとりと染め始めた。
「あ…あうぅん……」
『どう?気持ちいいでしょぉ…。血を吸われるのって、たまらない気分になるでしょ……?』
クーラの声にマーシュはこくこくと力なく頷いていた。自分の血がひと吸いされるごとに、神経は震え心臓が疼き股間が熱くなる。
これほどの快楽を経験したことは、今まで一度も無かった。
「うん…いいぃ…。吸われるの気持ちいい……。クーラぁ…、もっと吸ってよぉ……」
先ほどクーラが言った自分が気持ちよかった体験をマーシュにも与えてあげたいって言葉に、マーシュは心の底からありがたいと思った。
確かにこれは得がたい経験だ。例え後の身の破滅が分かっていたとしても、これと引き換えに出来るなら惜しいとも思わない。
「吸って、すってぇ……。もっとぉ……」
『ふふふ……。い・や・です』
だが、そんなマーシュの懇願を無視するかのようにクーラは吸っていた牙をずるっと引き抜いた。
「えっ?!やだっ……。やめないでぇ……」
突然気持ちのいい思いを寸断されたマーシュは、泣き潤んだ瞳をクーラへと向けた。
そんな切なげマーシュをニヤニヤと見ていたクーラは、自分のいきり立った肉棒を握りながらマーシュの前へと向けた。
「マーシュぅ…。私さ、こっちのほうもしたくてしたくてしかたがないんです…。
だから、これをマーシュの中に入れてくれたら…、もっと血を吸ってあげますよぉ……」
まだセックスを経験したことの無いマーシュにとって、普通の状態ならそれはおいそれとは受け入れかねない条件だっただろう。
が、吸血の虜になっているマーシュにはそれを拒否する選択権は無い。
「う、うん!わかった!わかりました!!入れてください!私の中にずっぷりと挿して下さい!!」
とにかく早く血を吸ってもらいたいマーシュは、縺れながら手早く自分の体液でぐしょぐしょになったショーツをぽいと脱ぎ捨てた。
そのまま床に寝転び、両指で女陰を広げクーラを受け入れようとしている。
「は、早く、早く挿れてください!そし、そして血を吸ってくださぁい!!」
- もう我慢の限界なのか、マーシュの声はかなり切羽詰っている。
「うふふ…、わかりましたぁ。たっぷり吸って、たっぷり注いであげますよぉ!」
ニタリと笑ったクーラはマーシュにそのまま覆い被さると、偽りの熱さで滾るペニスを潤みきったマーシュの膣内へと挿し入れた。
「あひぃーっ!」
その熱さと圧迫感にマーシュは悦びの悲鳴を上げた。が、
「あおぉーっ!!」
次の瞬間喉を二本の牙が貫く感触が走り、今度は獣のような嬌声を上げてしまった。
『くくく!これよこれ!吸いながら注ぐ!なんて気持ちがいいのかしら!!』
「うあぁーっ!あーっ!!吸われるのいい!ちんちん気持ちいい!!もっと、もっと、もっとぉ!!!」
二匹の獣はうずくまりながら、肉の饗宴を思うがまま享受し続けた。
「ああぁっ!ご主人様ぁ。もっと強く突いてください!」
「あははっ!マーシュの膣内とっても気持ちいい!これが、これが先輩だったらどんなに気持ちいいのかしらぁーっ!!」
クーラに血を吸われすぎ、完全に吸血鬼になってしまったマーシュは紅い目を涙で腫らしながらクーラとのセックスに身を委ねていた。
その様を、ナルストとサンディは醒めた目で見続けていた。
「ご主人様…、あの子仲間を増やしてしまいましたけれど…、よかったのでしょうか?」
「まあ、ああなっては仕方がありません。あの二人は私の部屋の護衛に回すよう王に取り計らっておきましょう。道具の数としては丁度い
いぐらいかもしれませんしね」
「……ご主人様…」
この時、サンディがナルストにまるで泣きそうな顔を向けてきた。
「ご主人様の下僕は私だけでは不足なんですか?あんなに仲間を増やすなって言ってこられたのに、ここで二人も下僕を増やすなんて…
私は、ご主人様の下僕としては不十分なのですか?」
それは、サンディにとっては切実な問題だった。もし自分がナルストに力不足と思われているなら自分の存在を否定されるのと同様なのだ。
自分はあくまでもご主人様の第一の下僕なのだ。他のものが割り込むことなんて耐えられない。
そんなサンディの心の中を察したのか、ナルストは心優しい声で諭した。
「安心なさい。確かにお前は至らないところもありますが私の第一の下僕であることに変わりはしません。
あの二人はあくまでも道具。使い潰すことになんの憂いも無いただの『モノ』です。お前が思っているようなことはありません」
この言葉を聞き、サンディの顔はそれまでの浮かない表情からパッと輝いた。
「あ、ありがとうございますご主人様!私、私もっと頑張ります!!」
目をウルウルと輝かせて自分を見るサンディに、ナルストは表面上は笑顔を振り撒きつつ内心では嘲笑を浴びせていた。
(もっとも、お前も用が無くなればとっとと処分する道具の一つであることにかわりはしませんがね…)
第2章終
-
○三章
「せーんぱーい!」
朝、いつものようにアレクサンダーの悪戯の後始末に追われていたララディアの前に、クーラが満面の笑みを浮かべて走ってきた。
「あっ、クーラ…?!」
その姿を見て、ララディアは思わず眼を見開いてしまった。
なぜなら、クーラの着ている服はいつもの衛兵の制服ではなく王族や高級官吏の護衛を任される近衛兵の制服だったからだ。
「どうですか先輩、このふ……」
「ち、ちょっとどうしたのクーラその服!ちょっと着てみましたなんて理由じゃ理由にならないわよ!!」
ララディアが慌てるのも無理はない。近衛兵はその役割柄非常にプライドが高く、他の兵士を一段低く見る傾向がある。
そんな近衛兵の制服を衛兵のクーラが着ているなんてところを近衛兵に見られでもしたら、間違いなく彼らは逆上する。
いや、下手をすると手討ちにされかねない。
「早く!はやく返してきなさい!!ああもう何だってこんな馬鹿な真似を……」
ララディアは自分のことのようにうろたえあわあわとしているが、そんなララディアをクーラはきょとんとした顔で見ていた。
「あの…先輩、どうかなさったんですか?そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもないでしょ!!近衛兵の服を盗んで勝手に着るなんて、洒落じゃすまされないことよ!!
やっていいことと悪いことの区別がつかないの?!このお馬鹿!!」
どうやらクーラは事の重大さにわかっていない。そう思ったララディアは親が子を叱るように思いっきり雷を落とした。それでも飽きたら
ず、ぎゅっと握った拳骨を振り上げた時、ようやく事の意味を分かったクーラが慌てて両手をぶんぶんと振った。
「ち、違うんです先輩!こ、これは盗んだものじゃありません!誤解で…」
「問答無用!!」
パッカーン!!
まるで、城外にも響くかのような大きな音がクーラの頭から放たれた。頭にヘルメットを被っていたとはいえ、手甲付きの拳骨の衝撃はそ
のヘルメットすら突き抜けてクーラの頭蓋に直撃した。
「いったーい!!」
「自業自得よ!!さあ、すぐに着替えてきなさい!そして、近衛兵長のパードン様に謝ってくるのよ!
何なら私もついていってあげるから!ほら!!」
痛みで頭を抑えて蹲るクーラを、ララディアは強引に引っ張っていこうと腕を掴んだ。その時、
「あらクーラ、その姿なかなか似合っているじゃないの」
両手に史書を満載したサンディが通りすがりに話し掛けてきた。
普通に考えれば取るに足らない言葉なのだが、その言葉にララディアは思わずカチンときてしまった。
「?!似合っている………?ですってぇ?!」
ララディアにとって今のサンディの発言は非常に軽はずみな失言に聞こえた。間違いを諭すならいいが褒めるとは何事か。
「サンディ!冗談でもそういうことは言わないで!!
分かっているでしょ?!近衛兵の服を勝手に着たなんて事がばれたら、城から追い出されるどころか下手をすると首チョンパよ!!
似合っているかどうかなんて二の次だわ!まずは………」
「ち、ちょっと……ちょっと待ちなさい!」
ララディアのあまりの剣幕にクーラも少し面食らってしまったが、なおもがなりたてようとするララディアを必死に制し困った顔をしなが
ら語りかけた。
「あのねララディア……、クーラは今日付けでナールス殿の部屋付きの近衛兵に取り立てられたのよ。聞いてないの?」
「取り立てられた?!取り立てられたからって勝手に近衛兵の制服を着て……制服を……、あれ?!」
- (取り立てられた?クーラが?近衛兵に??!!)
サンディの突っ込みで急に頭の中身が冷えてきたララディアは、そろそろと視線をクーラのほうへと向けた。
「う〜〜〜〜〜〜〜」
クーラは涙目になりながら、ララディアの事を恨めしそうに見ている。
「え…、ク、クーラ……。あなた、本当に近衛兵に……なったの………?」
唖然とするララディアに、クーラは無言でこくこくと頭を縦に振った。
「ほ…ほんとう、なの………?」
次に改めてサンディへ問いなおしたら、サンディも薄笑いを浮かべながら首を縦に振った。
どうやら、二人して担ごうとしているわけではないらしい。本当に事実の現実の真実のようだ。
「あ、あはははは………ごめん!!」
自分の早とちりでクーラの頭を思い切りぶん殴ってしまったことにさすがにいたたまれなくなったララディアは、クーラへ向けて両手を合
わせて謝罪した。
「まさかそんなことになっていたなんてちっとも知らなかったから!謝る。許して!この通り!!」
「………」
ララディアは米搗きバッタのように頭をぺこぺこと下げて謝るものの、誤解で殴られたクーラは流石にその程度では機嫌を直そうとしない。
普段はあまり見られない光景に、道行く人間は一体何事かと足を止めてこの仔細を見守っていた。これはさすがに恥ずかしい。
「うう〜〜〜〜…もう!ちょっとこっち来て!」
周りの突き刺さる視線に耐えられなくなったララディアは、ふてくされて座っているクーラの腕を掴むと手近の空き部屋に飛び込み、その
まま中からガチャリ!と鍵をかけてしまった。
野次馬達は暫くそのまま顛末を見守っていたが、中から『ゴメン!ゴメン!』とララディアの声が聞こえるだけなので次第に興味を失い、
一人、また一人とその場を離れていった。
そして、最後に残ったサンディもクスッと笑みを漏らし歩き去っていった。
その時のサンディの微笑んだ口元からは僅かに牙がこぼれていたが、それに気づくものは誰もいなかった。
「だから謝るからさ。もう機嫌直してよ!!」
「イヤです。こっちの言うことも聞かずに暴力を振るう先輩を、そう簡単には許したりしません」
ララディアは半ば涙目でクーラに謝罪を乞いているものの、クーラのほうも意固地になっているのか横を向いたまま目もあわせようとしない。
このままでは埒があかない。いっそのことほっといて部屋から出て行くという選択肢もあるといえばあるのだが、今回の件はララディアが
全面的に悪い以上逆切れするわけにもいかない。
「あ〜〜〜〜っ!もう!!私のできる範囲ならなんでもするからさ!お願い、許してよ!!」
「なんでも、する………?」
なんでもする。この言葉にクーラはピクッと反応した。
「本当に…、なんでもしますか……?本当ですか……?」
クーラは相変わらずララディアに目を合わせないが、こっちの話に食いついてきたことでララディアは少し安堵の溜息をついた。
「私に出来る限りならね。本当よ」
「そう、ですか……」
心なしか、ララディアにはクーラの横顔がひどく歪んだ笑みを浮かべたように見えた。
「じゃあ、先輩……」
ララディアのほうへくるりと顔を向けたクーラが、ララディアをじーっと睨みつけてくる。まるで真夜中の空のような真っ黒な瞳がララデ
ィアの瞳に飛び込んできた。
「クーラ……?」
別に何かを言うわけでもなく、クーラはただただララディアを見ている。一体何の意図があるのかララディアは計りかねていた。
「せんぱい……」
クーラの声が酷く艶っぽいような響きを含んでいる、様な気がする。それはあまり同性に聞かせるような声色ではなかった、感じがする。
-
「せ ん ぱ い …」
「クー、ラ………」
自分のことをひたすら見つめ続けるクーラに、いつしかララディアはふらふらと近づき……
「…あのね、さっきから一体何を言おうとしているの?とりあえずしてほしいことを言ってごらんなさいな」
クーラの肩をぽんぽんと叩いた。
「えっ?!あ、あの……。ん?あれ?!こんなはずじゃ………。なんで……ええっ?!
お、おかしいですよこれって……?!」
ララディアの行動が予想外だったのか、クーラはギョッとした顔でララディアを見ると狼狽しまくった挙句に意味不明な言葉を口ずさんでしまった。
「おかしい?それはクーラのほうでしょ?何も言わないで、ジーッと人の顔を見て……」
「いえ、あの……。も、もういいです!私も大人気なかったんです!!ごめんなさい先輩!!
私、もう仕事に戻らなくちゃいけませんから!それじゃ!!」
どうも腑に落ちないという顔をしていたしていたクーラはララディアの目の前でみるみる不機嫌になったかと思うと、まるで逃げるかのよ
うにドアを開けて出て行ってしまった。
「…どうしたの?クーラったら……」
クーラのあまりにも訳のわからない行動に、一人残されたララディアはただ呆然とするしかなかった。
「て、言う事がありましてね……。もうなにがなんだか…」
アレクサンダーとの午後の剣術訓練が終わった後、ララディアはアレクサンダーに午前の出来事のあらましを話してみた。
アレクサンダーのほうも聞き終わると、訳の分からないと言った困った表情を浮かべていた。
「なんだいそれ。クーラって女がそこで怒る理由が全然分からないじゃないか。ララディアが何でも言うことを聞くって言っているのに、
何も言わずに怒って出て行ったなんて意味不明すぎるよ」
「そうお思いになりますよね。確かに話も聞かずに殴ったのはこっちの落ち度ですけれど、あそこまで臍を曲げられるとどうしていいか…」
ララディアはクーラをぶん殴ったことがよほど心に残っているのか、膝を折り曲げながら俯き完全にしょげ返っている。
アレクサンダーはここまで落ち込んだララディアを見たのは『あの日』以来だった。自分に厳しいところがあるララディアにとって、自分
の落ち度で相手が傷つくということは許しようが無いレベルの出来事なのであろう。
「ララディア……。こうなったら後で時間をとって誠心誠意、謝るしかないんじゃないかな。
ララディアの行為が悪気から来ているものじゃないと向こうが分かれば、きっと許してくれるさ」
まるで子どもをあやすように語り掛けるアレクサンダーの表情は、いつも大騒動を巻き起こす悪童の面しか知らない人間からは想像も出来
ないほど柔らかいものだ。
柔和な顔で細やかな心配りが出来る今のアレクサンダーの姿を、もし側近の一人でも見ていればきっとアレクサンダーに対する評価を改め
る機会となったであろう。
まあ、そんなところではアレクサンダーは決して今のような顔を見せることは無いのだが。
「そうですね……。今度、きちんとした場所で謝ろうと思います。つまらない話をお聞きくださり、ありがとうございました」
アレクサンダーに思いをぶちまけ、救いの言葉をかけられて幾分気が晴れたか、ララディアはようやっとその顔に笑顔を見せた。
が、逆に今度はアレクサンダーの顔のほうが険しくなっていった。
「でも……、そのクーラって女兵士の処遇、どうも腑に落ちないところがあるな……」
「なんでですか?私もパードン様にその後聞きに言ったんですけれど、確かにクーラとマーシュの二人の衛兵を近衛兵付けにする書面が届
いたって言っていましたよ。
なんでもナールス殿がぜひにともって王妃様に頼み込んできたそうです」
「そこなんだよ、ララディア
ララディアの話ではクーラってのはごく普通の衛兵なんだろ。それがこの時期、なんでいきなり近衛兵に取り立てられたりするんだい?」
「それは……」
- そこまで言ってララディアのほうも口澱んだ。
確かにクーラもマーシュもまだ経験も浅く近衛兵が勤まるほどの技量を持っているとは考えにくい。それが、前日までは何の話もなく突然
近衛兵に抜擢されるなんて例なんて聞いたこともない。
「それに母上も、ナールスに言われたからってほいほいそれを許すなんて……。いくら命の恩人と言ったからって、最近少し甘すぎる…
ララディア、君はナールスのことをどう思うかい?」
「私ですか?私はあまりあの方とは顔をあわせた事がありませんので、どうかといわれてもなんとも……」
実際ララディアはナールスがいる研究室とは普段いる場所は離れすぎているし、他の女性陣のようにそれほどミーハーでもなかったのでわ
ざわざ仕事をさぼってでも噂の美顔を見に行こうとしたこともない。
以前に何回か遠目で見たことはあるのだが、確かに美男子であることには間違いないけどだからどうしたといった感じしかしなかった。
「…そうか。僕ははっきり言ってあの男は嫌いだ。あいつが来てから、この城の中は何かが変になり始めている。
うまく口ではいえないけれど、城の中の空気が澱み温度を失っていくような、そんな感じがするんだ……」
「そんな……ものでしょうか?」
自分の身にかかる魔力を全て遮断する特異体質であるララディアは他者の魔的な気配を察知する能力が極端に低いため、アレクサンダーが
語るものがどういうものかを理解するのは難しかった。
が、アレクサンダーがナールスにただならぬ警戒を抱いているのだけは理解できた。
「とにかく、ナールスには気をつけるんだ。あいつは絶対何か企みを持ってここにやって来たに違いない。
証拠さえ見つけることが出来れば、すぐに追い出してやるというのに……」
「ち、ちょっと王子……。ナールス殿は王妃様の命の恩人ではないですか。そこまで悪し様に言うのはちょっと……」
「あれだっておかしいもんさ!たまたま外に出たとき、母上だけがあんなに体調を崩すなんて、そしてたまたま都合よく病気を治すことが
出来る人間が現れるなんてさ!
僕が思うに、あれだってナールスがこの城に取り入るための策略だったと思うね、絶対!!」
「アレクサンダー様………」
ここまで来て、さすがにララディアはアレクサンダーの目にただならぬ光が宿っているのに気がついた。
それはアレクサンダーがこれまで周囲に決して出したことのない…どろどろに濁った憎悪の色だった。
「…王子は、ナールス様のことがそんなにお嫌いなのですか?」
つい、口にしてしまったことなのだが、その言葉を聞きアレクサンダーはララディアをギン!と睨みつけた。
「ああ嫌いだ!あいつはいつも母上にベタベタベタベタとまるで男娼のようにつきまとって!何様のつもりなんだよ!
母上も何かにつけナールスのもとへ赴き、僕やアルマリスのことを最近見向きもしない!!僕はともかくアルマリスが可哀相じゃないか!
あいつは僕たち兄妹から大切な母上を奪いに来たに違いないんだ。そしてこの国を乗っ取るつもりなんだ!!
そんなこと、僕が許しはしない!!むかつくんだよあのビッチ野ろぅ……?!」
大声で騒ぎ立てたアレクサンダーの声が見る見るうちに小さくなっていく。目の前で見ているララディアのにやけた顔が目に飛び込んでき
て、一気に冷静さを取り戻してきたのだ。
なんてことはない。アレクサンダーがナールスに対して必要以上に憎悪を抱いていたのは、自分の母親がナールスに盗られたと思い込んで
いることによる嫉妬の心から出てきたものだったのだ。
頭脳が明晰なアレクサンダーだが、それゆえ深読みが過ぎナールスの一連の行動をすべて悪いほうへ悪いほうへと考えてしまったのだろう。
(アレクサンダー様も意外と子供っぽいところがあったのね…)
子供が思うことにありがちな、母親が自分のものだと思い父親や他の男がすべて敵に思えてしまう感覚。そんな純朴な心をアレクサンダー
が持っていたことがララディアには面白くもあり嬉しくもあった。
つい自分の子供っぽい本心を吐露してしまったアレクサンダーは、気恥ずかしさから顔を真っ赤にしてララディアに指差しながら話し掛けた。
「あ、あ……!ラ、ララディア!今言ったことは誰にも話すなよ!いいか、これは命令だ!!」
「分かりました王子。このことは私と王子だけの秘密です。アルマリス様にも言いません」
「本当だな?!本当だぞ!!」
ひたすらムキにくってかかるアレクサンダーに、ララディアは口元を隠しながら軽く吹きだしてしまった。
- だが、言った本人も気がついてなかったが、アレクサンダーの言葉はまさに今この国で起こっている事の核心をついていたのだ。
もっとも、気づいていたところで何が出来たとも思えないわけなのだが。
☆
その日の夜。
仕事や雑務に忙殺され、結局その後クーラに会う機会を逸してしまったララディアは『明日一番に会って謝ろう』と誓い寝巻きへと着替えた。
別にこの時間に行くという手もあるのだが、こんな夜更けにいたとしても向こうにも申し訳ないし、そもそも体がくたくただ。こんな状態
で謝りにいくのもはっきり言って失礼だろう。
盆地であるメルキルの地は夏の夜は非常に蒸し暑い。ララディアはいつものように窓をガチャリと開いた後にベッドの中に潜り込んだ。
普通に考えれば非常に無用心なのだが、メルキルス城内にあるララディアの私室は三階にあり、窓の外は切り立った石壁になっている。
そこの窓が開いていたからといって侵入してくる人間なんかいはしない。
空に浮かぶ月はほぼ新月に近くなっており、僅かな星の光だけが窓から部屋に注ぎ込んでくる。もちろん、そんな貧弱な光では外はおろか
自室すらまともに見えるものではない。
そよそよと夜風が部屋の中を冷やすうちに、ララディアは次第に瞼が重くなっていった。
(明日はまず謝るの。忘れないように、忘れないように……)
そんなことを頭で考えているうちに、ララディアの意識は眠りの中へ落ちていった。
それから数時間もたったころだろうか。
「!!」
全身の肌が感じた居様な気配にララディアはカッと目を開いた。魔力察知は苦手なララディアだが、戦士なだけはあり気配に対する感覚は
非常なまでに鋭敏になっている。すると
「………」
何ものかが自分の上に跨り、今にも襲い掛かろうとしているではないか。
「クッ!」
とっさにララディアは右足を蹴り上げ、侵入者を思いっきり蹴り飛ばした。
ドォン!
「………?!」
不意を突かれた侵入者は布団と共に思い切り吹き飛び、床へと崩れ落ちた。
ララディアはそれを確認すると、素早く脇においておいた愛剣を手にとり侵入者へ向けて身構えた。
もしこれが泥棒の類なら三階分の石壁をよじ登ってきたことになる。たいした根性と度胸だが、よりにもよって侵入したところが王家付き
の戦士の部屋だったとは何という不運なことだろう。
「無駄な抵抗は止めるんだな。もし歯向かうのなら四肢を切断してやる………?!」
そのとき、星明りで僅かに見える布団がばさりとめくれ、侵入者がゆっくりと立ち上がった。
あまりにも暗くシルエットしか確認できないが、どうやら身長はそれほどのものではない。むしろ華奢でひ弱な印象を与える。
が、その姿を見た途端ララディアの顔に緊張が走った。
確かに目の前の侵入者は体格的にはそれほどの脅威には映らない。しかし、暗い中でもはっきりと分かるその双眸に宿る真っ赤な光は、目
の前の侵入者が明らかに真っ当な人間とは思えない雰囲気を発していた。
「貴様……、何者だ………」
ララディアの問いかけに侵入者は応えない。そのかわり、次の瞬間無気味に光る瞳がより一層光を増した。
「ぐっ!」
- その光はまともにララディアの瞳を射抜き、ララディアはあまりの眩しさに一瞬目が眩んだ。
(しまった!)
これが目くらましだったら、侵入者がこの隙を見逃すはずが無い。ララディアは焦点が合わない目を必死に調整し、今にも飛び掛ってくる
であろう侵入者を何とか捕らえようとした。
が、いつまでたっても侵入者がこっちに来る気配は無い。なんとか暗さになれた瞳で前を見ると…、侵入者はその場から動いておらず明ら
かに戸惑った様子を見せていた。
(よくわからないけど……、これはチャンス!)
向こうの意図は計りかねるが、この機会を逃すわけにはいかないと感じ、ララディアは剣を構えるとそのまま侵入者に向けて突進していった。
「でえぇい!」
「っ?!」
ララディアは感じる気配を頼りに剣を振ったが、正気を取り戻したであろう相手もなんとか斬撃をかわし逆に反撃を開始してきた。
ギィン!
相手が振り下ろしてきた腕が剣にまともにぶち当たる。普通なら斬りおとされてもおかしくはないのだが、逆に剣は激しい音を立てて悲鳴
を上げていた。
(なに?!向こうは手に何か仕込んでいるの?!)
剣以上の硬度を仕込んでいる武器を持っているなら、打ち合いになればなるほど不利になる。ましてや相手は、この真っ暗な状況で正確に
自分を狙ってきた。これは用意ならざる相手だ。しかも、この時点で逃げる様子はまるで無い。
これは、この侵入者が明らかにララディアを狙って来たという事だ。不用意に飛び込んできた間抜けな泥棒どころではない。
目の前に対峙しているのは、今までにあったことも無いような、恐るべき刺客であった。この条件で一人で戦うには荷が重過ぎる。
「誰か……!」
真夜中で誰もが寝静まっているだろうが、大声を出せば誰かしらが反応すると思いララディアは助けを呼ぼうとした。が、
「がぁーっ!!」
その隙を見逃さないというように闇の中から刺客が襲い掛かってきた。唸るような音を上げて目の前を腕が薙いでいき、触れた髪の毛がバ
サリと刈られる感触がした。
「くそっ!このぉっ!」
空気を切る音と赤く光る目の位置を頼りにララディアはなんとか刺客の連続攻撃をかわしているが、正直どこまでもつか分からない。
(くそっ!せめて灯りが灯っていれば!)
相手の気配だけを頼りにしていては圧倒的に不利だ。姿がはっきりと見えてさえすれば互角以上に戦える自信はある。
だが、今灯りを付けるなんて余裕はまるでない。少しでも隙を見せたら目の前の刺客はたちまちのうちに自分を打ち倒してしまうだろう。
(ならば…廊下へ逃げ出すか?)
ドアを一枚隔てた通路なら夜間でも通行用に灯りが点いている。そこに出られさえすればさっきの問題は解消できる。
ララディアは相手に悟られないようにじりっと重心をドア側へ傾けた。
が、相手はそれも分かっていたようで向こうの気配もドアのほうへと周りこんで。どうやら、あくまでもこの暗闇で勝負をつけたいらしい。
(くっ…、まるでこっちの動きを見透かされているようね……)
ならば仕方が無い。大幅に不利な条件であるがこの状況で撃退するしかない。覚悟を決めたララディアは一旦刺客との間合いを取ると気配
を察知するのに全力を傾けた。
(そう何度も受け止めることは出来ない…。チャンスは一度!)
「ぐぅ………」
ララディアの剣幕に刺客は怯んだのか、僅かな間動きを止めていた。が、向こうも決着を望んだのか赤い目が一際明るく輝き、それまで以
上のスピードでララディアに向って突っ込んできた。
「うがぁーーーっ!!」
獣のような咆哮がララディアの耳をつんざいてくる。振り上げられた両腕はもし命中すれば、ララディアの戦闘能力を用意に奪うことになるだろう。
普通ならすぐさまその場から離れる行動をとるだろうが、ララディアはあえて動かず相対する格好を取った。
- (まだだ。まだ!ギリギリまで相手をひきつけるんだ!)
視界が頼りにならない以上、大きく逃げてしまってはまた元の木阿弥になってしまう。ならば、自分が立っているところに相手をひきつけ
ギリギリでかわしたところで自分がいたところを斬れば、相手を捉えることが出来る。
今の状態で相手に確実にダメージを与えるには、まさに最良の戦法であろう。
が、少しでも遅れれば相手の攻撃をモロに喰らってしまうことになる。向こうの得物のほうが強力である以上、剣で受けても容易く折られ
体に致命的なダメージを追ってしまうことは疑う余地はない。
肉を切らせて骨を絶つ。正にその覚悟であった。
動かないララディアを見て、刺客は自分が勝ったと確信したのか振り上げた両手をララディアを抱きかかえるかのように大きく広げ、その
まま突き出してきた。
だが、刺客の腕がララディアに触ろうとした一瞬前
「今っ!!」
まさにギリギリの瞬間でララディアはその場から横っ飛びに離れ、刺客の手の数ミリ脇を潜り抜けた。
「あつっ!」
だが、僅かにかわし切ることは出来ずララディアの頬に熱い感触と共に数筋の引っかき傷がつけられていた。が、まともに喰らった時のこ
とを考えたら無傷といってもいい傷だ。
「っ?!」
一方刺客のほうは僅かな手ごたえと共にいきなり視界から消えたララディアの姿を捉えようと横を振り向く。が、その動きの止まった一瞬
の隙をララディアは見逃さなかった。
「このおぉっ!!」
ララディアは渾身の力をこめ、今まで自分がいた空間を思いっきり袈裟懸けに切り裂いた。これなら、刺客のどこかしらに切っ先が届く。
「っ?! うがあぁ〜〜〜っ!!」
案の定、肉を切り裂く嫌な感触とともに刺客が物凄い悲鳴を上げた。どうやら、ララディアは賭けに勝ったようだ。
「ぐうぅぅっ!!」
ダメージを負い、不利になったと悟ったのか、刺客は突然窓のほうへと走り出し逃走を計った。
「あっ!貴様、待て!!」
ララディアは刺客を捕らえようと後を追った。何のために自分を狙ったのか、聞き出さねばならないからだ。
ただ、窓のほうへ逃げるのは解せなかった。どんな手段を使ってここまで昇ってきたのかは分からないが、どんな方法だろうと窓から石壁
を降りるのは時間がかかりすぎる。まだ廊下へ続くドアをぶち破って逃げたほうが逃走確率は上がるだろう。
だが、刺客は窓枠へ飛び乗ると、そのままその体をぽんと外へと投げ出してしまった。
「?!バ、バカな!!」
その行為にさすがにララディアも絶句した。これではただの自殺ではないか。
「命を捨ててまで守らなければならない理由……。一体何なんだ?!」
自分は確かにアレクサンダーとアルマリスの護衛を請け負っているとはいえ、暗殺に失敗したら命を以って償わなければならないほどの重
要人物とはとても思えない。
だからこそ理由を聞き出したかったのだが…、死んでしまってはどうしようもない。
「仕方がない…。死体だけでも確認するか」
ララディアは寝巻きから着替えると、廊下へと勢いよく飛び出した。
「ど、どうなされたのですかララディア殿?!こんな夜中に!」
「この城に侵入者が入った!侵入者は私の部屋から飛び降りて自殺を図った!今から死体を確認するからついて来い!」
廊下で不寝番をしていた衛兵達は、ララディアの言葉に飛び上がって驚き慌てて後を追っていった。
-
「…?!バカな……」
後ろに5〜6人の衛兵を引きつれ、自分の部屋のすぐ真下の芝生辿り着いた時、ララディアは言葉を失った。
そこには刺客の死体はおろか、何一つ落ちてはいなかったのだ。
風にでも流されたのかと付近一帯をくまなく照らしてみたが、それらしきものは影も形も無かった。
「ララディア様……夢でも見たんじゃないですか?」
後ろにいる衛兵達が、ララディアを冷たい視線で見つめている。ただでさえやりたくない任務トップクラス不寝番の任務がまわってきて、
さらに眠気がピークに達する時刻に大騒ぎされて外まで走らされたのだから不満がないほうがどうかしている。
「夢、だと……。そんなバカな………」
どうしても納得できないララディアは、自分の頬をそっと撫でてみた。
そこには、間違いなくさっきつけられた数条の傷の感触がする。夢で傷をつけられることなんてありえない。
「だって、私の頬には、ちゃんと傷が………」
「寝ぼけてベッドのどこかにあったささくれにでも擦ったんでしょうよ」
「まあ、何も無かっただけいいじゃありませんか」
衛兵達は愚痴を言いながら、三々五々と散っていった。後に残ったのはララディアただ一人。
「信じられない……。確かに、あれは飛び降りたはずだ……。それなのに……」
まだ信じられないという思いを抱きながら、ララディアもすごすごと城の中へ戻っていった。もちろん、部屋に戻った後はきちんと窓を施
錠したのは言うまでもない。
そして、辺りに人の気配がしなくなった時、茂みの中からがさりと現れた者がいた。その右腕には深々と切り裂かれ真っ黒な血がだくだく
と流れ落ちている。
それは間違いなく先ほどララディアを襲った刺客であった。もしララディアが自分の部屋の真下の芝生をもう少し注意深く見ていれば、大
きく踏み込まれた二つの足跡を見つけることが出来ただろう。
なんと刺客はララディアの窓から焼く10m下の芝生まで飛び降り、無傷のまま逃げおおせたのだ。
勿論そんなこと人間に出来ようはずがない。ほんの僅かな月の光に照らされたその顔はとても青く、とても生きている人間のものではなかった。
「くっ…。まさか、夜の魔眼でも効かないなんて……」
赤い瞳をぎらつかせた『それ』は、後一歩で事を成し遂げることが出来なかった悔しさと憤りに満ちている。
「もっともっと、不意をつかなければいけないということですか……。でも……」
『それ』は自分の左腕をじっと見た。そこには鋭く尖った爪と、爪を濡らした赤い血がこびり付いている。
『それ』は濡れた左手を口元に近づけると、真っ赤な舌でぺロリと付いた血を舐め取った。
暫くその血を舌の上で転がし…、『それ』はうっとりと目を細めながら喉の奥へと流し込んだ。
「……おいしぃ……。これが先輩の血の味なのね……。やっぱ先輩の血はとってもおいしいです……あつっ!」
口に含んだ血の味に酔ってトリップしていた『それ』は、右腕に走った激しい痛みに一気に現実に呼び戻された。ララディアに斬られた右
腕の傷は思いのほか深く、ちょっとやそっとで治る傷ではない。
「くぅっ…、やってくれましたね先輩……。このお礼は、いずれたっぷりとしてあげます。とぉっても気持ちいい、吸血と言う名前の甘美
なお礼をね……
ああ…もっと、もっと欲しい……。おいしい先輩の血をこの牙で吸い尽くして、先輩に永遠をあげたい……
先輩を私のちんぽで犯して、血を貰った替わりにザーメンで体の中を一杯にしてあげたい……」
『それ』は淫猥な妄想の中でララディアの血を求めつつ、闇夜の中へと消えていった…
-
☆
次の日の朝、ララディアは真っ先にクーラがいるナールスの部屋へと急いだ。本当なら昨夜のことを城の高級官吏などに言うほうが先なの
だが、朝起きて部屋を調べても何故か侵入者の血痕も遺留品も発見できなかったので、これは話してもとても信じさせることは不可能だと
思いやめてしまった。
ララディアがナールスの部屋へ続く階段を下りたところ、案の定クーラは相棒のマーシュと一緒に部屋の前で佇んでいた。
「クーラ!」
「えっ……?あっ、先輩!」
クーラはララディアが駆けて来たのを見て、少しビックリしたようだがすぐに手を振って出迎えた。
「どうしたんですか先輩?先輩はこっちに来る用事って殆どないはずでは?」
「…昨日のことをね。あなたにどうしても一言謝っておきたくて……。ごめんなさいクーラ。私、すっかり誤解していたわ」
目の前でいきなり兜を取って剣を置き、正式な謝罪の格好を取ったララディアにクーラはギョッとした。
「せ、先輩!!なんでこんなところでいきなり……。私、昨日のことなんて全然気にしていないんですから!!」
「クーラが気にしていなくても、昨日のことは完全に私の落ち度よ。本当に、ごめんなさい」
「先輩……」
目の前で膝をつくララディアに、クーラの心はキュンとときめいてしまった。心臓が知らずのうちに高鳴り、隠していた衝動がつい表に出
てきてしまいそうになる。
「も、もういいですから先輩…。みんなじろじろ見てますですよぉ。それに、もう王子が来る頃ですよ。はやく部屋に行ったほうが……」
クーラは必死に気持ちを抑え、ララディアをこの場から離そうとした。これ以上ララディアが傍にいては取り返しのつかないことをしでかしかねない。
「えっ、もうそんな時間か……。じゃあクーラ、そういうことで……?!」
その時ララディアの目に飛び込んだもの。それはクーラの右腕に派手に巻かれた包帯だった。
確か、昨日クーラはそんなものはつけていなかったはず……
そして昨日、自分は侵入者に確かに傷をつけた……
「クーラ…、あなた右手を怪我したの?」
「ああ、これですか?なんてことないんです。昨日の夜、マーシュがうとうとして槍を離したのがぶつかって打撲しちゃって…
ちょっと大袈裟に巻きすぎたなって思っちゃってるんですけど、ね?マーシュ」
「ごめんなさいねクーラ。私がドジしちゃったばかりに……」
照れくさそうに頬を染めるマーシュに、ララディアは少し心に引っかかるものを感じたがまあ納得はした。
(そう…よね。クーラが私の部屋に入ってくるわけないじゃない。まして、三階から落ちて無傷なわけない……)
「なるほど。クーラ、マーシュも悪いけどあなたも気をつけなさい。じゃあ、そろそろ私戻るから……」
事を済ませ、仕事に戻ろうとララディアがその場から離れようとした時、廊下の向こうからこちらに向かって来る者がいた。
「おや?これは珍しいお方ですね」
「?!ナ、ナールス殿……」
ララディアに向けて声をかけられ、思わず顔を向けたララディアは少しだけギョッとした。
そこには、てっきり部屋の中にいると思っていたナールスがいたのだ。
(うわ…。こうして近くで見ると本当に美形だわ……)
初めて間近で見たナールスの容姿は、確かに噂に違わぬ物凄い美男子だった。あまり日に当っていないような白い肌。物憂げな瞳に握り締
めれば折れそうな華奢な身体。これでは城内の女性たちの噂の的になるのも当然といえば当然かもしれない。
が、ララディアの心には思った以上にときめくものが無かった。いや別にララディアが醜男が好みだというわけではない。
ただ、ララディアにはナールスの容姿格好が非常に作りめいたものに見えてしまったのだ。自然に構成されたものではなく、強引に『作成」
されたような余所余所しさといったところか。
- それに
(とにかく、ナールスには気をつけるんだ。あいつは絶対何か企みを持ってここにやって来たに違いない)
というアレクサンダーの警告も少なからず心の中に残っており、無意識にナールスに対して警戒の姿勢をとっていた。
「…どうしました?ララディア殿。私めにどこかおかしいところがありましょうか」
変にギクシャクしているララディアに、ナールスが怪訝な表情を浮かべている。
「それとも、どこかお体の具合が悪いのでしょうか?
なんでしたら、すこし看てさしあげてもよろしいのですが……」
ナールスは優しく微笑みながらララディアの手を取ろうと手を伸ばしてきた。城内の普通の女性なら、それだけでコロッと参って自らナー
ルスの手を握り締めていただろう。
「い、いえっ!大丈夫ですので、お構いなく!!」
しかし、ララディアはナールスの手を払いのけるかのように後ろに下がり、ぎこちない笑みを浮かべながらクーラのほうへと顔を向けた。
「そ、それじゃクーラ、お仕事頑張ってね!そ、その近衛の制服、結構にあってるわよ。じゃ!」
「あっ…せんぱ……」
そしてそのまま、ぱたぱたと走り去っていってしまったのだ。
いったいどうしたのかと首を傾げるクーラの後ろで、ナルストがララディアの後姿を興味深げに眺めていた。
「なるほど、あれがお前が恋焦がれている先輩というわけですね」
「……はい。どうしても自分のものにしたい、憧れのララディア先輩です……
でも、昨日吸ってあげようとしたらこの様で……」
クーラが包帯でグルグル巻にした右腕をナルストの前に差し出す。その傷口はあの後適当な人間の血を吸ったにも拘らずいまだに完治せず、
ズキズキとした痛みをクーラに与え続けていた。
「先輩は耐魔力が非常に高くて、大概の魔力を無効化してしまうんです。でも、まさか昼はまだしも夜の魔眼すら効かなかったなんて思い
もしませんでした…」
クーラは悔しそうに昨日のことを思い出している。最初、寝入っているララディアの上に跨った時はこのまま労せずして吸えると狂喜した
のだが、さすがにそうは問屋がおろさず勘のいいララディアに気づかれ思い切り蹴り飛ばされたのだ。
まあ、それでも魔眼があればララディアの動きを縛るの容易いと読み、にらみ合った直後に全開の魔眼を放った。これでララディアはクー
ラに操られるまま近づいて、その喉首をクーラの前に差し出す。はず、だった。
が、ララディアは操られるどころかこっちにむけて思い切り反撃してきた。のみならず身体に傷までつけられてしまった。
「その傷は相当な祝福を積まれた魔法剣によってつけられたものです。お前みたいななりたての吸血鬼がそんなもので斬られたら、ただ血
を吸うだけでは一日二日では回復し切れません。まったく余計な手をかけさせるものです…
しかし、彼女の耐魔力には非常に興味がありますね……」
「ご主人様……?」
ナルストが思いのほか陽気なことに、クーラは不審な表情を浮かべていた。
「いや、実は私も今彼女に魅了の魔眼をかけてみたのですよ。そうすれば、そのまま部屋の中に連れ込んで血を吸うこともできるわけですし。
しかし…、彼女は平然と私の目を受け流していましたよ。私のような数百年生きた吸血鬼の魔力すら凌駕する力。非常に面白いではないですか」
ナルストの顔には、ララディアに対しての興味がありありと浮かんでいる。今まで自分の思い通りに事が進んでいたので、初めて自分の障
害になるかもしれない存在が出てきたことがとっても面白いのだろう。
(稀なる耐魔力を持ち、王子の身辺警護を任されるほどの剣の冴え。そして、あの器量に強い心…
そんな女が私の前で膝を屈し忠実な下僕になる……。いいですねぇ……)
ナルストがニタニタと笑いながら思いを馳せているのを見て、クーラは思い切り不安な気分になった。
(ご、ご主人様も先輩の血を狙っている?!)
冗談じゃない。いくらご主人様とはいえ先輩はずっと昔から自分が狙っていたんだ。そう簡単には譲れはしない!
「ご主人様?!先輩の血は私が吸うんですからね!今夜こそ先輩の寝入りばなを襲って、柔らかい首筋に口付けを……」
「無駄です」
クーラは慌ててナルストに優先権を主張したが、ナルストは一言さらりと断言した。
- 「昨夜不意をついて失敗したのに何を言うのですか。ララディア殿だって今夜以降は警戒を厳にするでしょうし、その状態で魔眼が効かな
いお前が襲っても返り討ちにあうだけです」
「クッ…。ここまで来てお預けですか…?!くやしすぎますよそれは……」
クーラとしては正体がばれてもほんのひと噛みすれば事はすむと考えていた。例え魔眼という外部からの魔力が効かなくても、直接吸血鬼
の魔力を注ぎ込めばいかなララディアといえども耐えられないと思ったからだ。
だが、ナルストはそんなクーラの考えを見切っていた。
「どうせ、噛みつけさけすれば何とかなると思ったのでしょう?浅はかすぎますよ。それでもし効かなかった場合どうするのです?お前は
あっさりと心臓を貫かれ滅びてしまうでしょう。そのことでお前の正体が城内に知れたら、私の計画が水の泡になるのですよ。
いいですか?機会は必ず与えますからそれまでララディア殿を襲うことは許しません。お前は今までどおり、他の人間の血を吸う事に専念
しなさい。いいですね?これは命令ですよ」
(もっとも、万全の状態でもお前が彼女に勝てるとは思えませんがね……)
と、クーラに釘を刺してナルストは自室の中へと入っていってしまった。
「なによご主人様……。そんなの噛んでみなければわからないじゃないですか……」
ぶつぶつと不満を述べるクーラに、マーシュがおずおずと声をかけてきた。
「で、でもクーラ様…。ナルスト様の言われることももっともです。それでもし先輩がクーラ様の牙の虜にならなかったらすべては御終い
なんですよ?」
「でも!それでご主人様が抜け駆けしたらどうするですか?!さっきのご主人様の顔を見たでしょ!あれって絶対先輩の血を狙ってました
ですよ!そんなこと、いくらご主人様でも許せません!先輩の血は、純潔は私のものです!」
ことララディア絡みだからか、クーラは必要以上に激高している。本来は絶対服従であるはずのナルストにも牙を向けていることからも、
クーラのララディアに対する並々ならぬ思いが見て取れる。
あまりに気が昂ぶっているからか、口元からぎりぎりと牙が伸び始めてきている。このままでは除光液の効果をなくしてしまいかねない。
「ク、クーラ様!お気を静めて!!いいじゃないですか先輩の一匹や二匹!所詮は同じ人間です!あんなのかわりはいくらでも……」
と、そこまで言った時にマーシュの首にクーラが持っている槍の切っ先がピタッと添えられた。
「ひっ…、クーラ様?」
マーシュは恐る恐るクーラのほうへと首を傾けた。クーラの瞳は赤い光が爛々と輝き、表情は冷たい怒りに燃え広がっている。
マーシュは明らかに自分が地雷を踏んだことに気がついた。これほどクーラがララディアのことを想っていたとは予想もしなかった。
「マーシュ、先輩の悪口は許さないですよ。先輩の血の一滴ほどの価値もない自分の身の程を知りなさい。
今度先輩のことを悪く言ったら…、その首すっぱりと刎ねてしまうですよ」
槍の刃がマーシュの首にぐっと食い込み、皮膚が一枚切り裂かれたかと思うと黒い血がたらたらと流れ落ちてきた。
これはブラフやハッタリの類ではない。下手をすると今でも首を飛ばしかねない。
はっきり言って、マーシュはクーラにとって下僕という『モノ』以外のなんでもない。使えるうちは使い続け、ダメになったらあっさり捨
てる。確かに生前は友人同士だったろうが、吸血鬼の主従という関係になった以上そんな過去のことは毛ほどの意味も持たない。
「も、申し訳ありませんクー…ご主人様!も、もう絶対先輩、いやララディア様の悪口は言いません!ご主人様に誓って!」
「そう…。それでいいですよ。口は禍の元なんですからね」
クーラは口元だけにっこりと笑うと、マーシュの首に当てていた槍の穂先を外し、きちんと元の位置に持ち直した。
それをみて、マーシュはようやっと安堵の息をついた。
「ご主人様にも誰にも、先輩の血は渡しません…。先輩を傅かせ、その血を吸って下僕にするのはこの私なんです……」
クーラの瞳には、ララディアの血への渇望とナルストに対する対抗心がありありと燃え広がっていた。
-
○四章
「部屋の中に、賊が入った?!」
朝の剣の稽古の後、ララディアから昨夜の賊の侵入を聞かされたアレクサンダーは驚きで目を見開いた。
「はい…。まさかこんな高い窓からは入ってこないだろうと思って油断をしておりました。申し訳ありません…」
ララディアは自分の失態にしょげ返っているようだが、アレクサンダーはそんなことを気にしてはいなかった。
このメルキルは他の国に比べ治安は非常にいい。四方を山で囲まれた盆地で外部の人間が入りにくいということもあるのだが
アレクサンダーの父である王が善政を敷いているおかげで国内に貧困に苦しむ人間が殆どおらず、いても福祉事業が
充実しているので喰うに困るということはまずない。
そのため盗みを働かないと食べていけないということが起こりにくく、結果犯罪の発生率も非常に低い水準を保っており
警備が厳重な王城に侵入するような輩が出るなんて思いも寄らなかったのだ。
でもそんなことは、今朝に話題にもならなかった。それほど重大な事件をララディアが上のほうに報告しないはずもない。
そして、もしされていれば今頃城内は蜂の巣を突付いたような大騒ぎになっているはずだ。
「ちょっと待て!それって、勿論報告したんだろ?!まさか、今僕に初めて話しましたって、そんな間抜けな話は許さないぞ!」
「ええ。それなんですが、実は……」
ララディアは、その後に起こった奇怪な出来事をとうとうと語った。
曰く、明らかに自分が標的だったこと。
曰く、目処から飛び降りた無謀さ。
曰く、落ちた遺体が見つからなかった。
「ですから何の証拠も残っていないので、言うだけ無駄と思い報告は控えていたのです」
「………」
聞けば聞くほど奇妙な出来事に、アレクサンダーの顔はどんどんと険しさを増していった。
(そいつ、何でララディアを狙う必要があったんだ?別にララディアはこの国の浮沈を握る重要人物ではないし、わざわざ殺した
ところで何かメリットがあるわけじゃない。
でも、もし物取りの類だとしたらそもそもララディアを襲う意味がない。例えララディアの部屋の窓しか開いていなかったとしても
ララディアを無視して部屋を出て行けばいいのだから……)
そうなると、やっぱり賊の目的はララディアだったということになる。でも、ララディアを狙う理由がわからない。
「あえて聞くけれど…、それは全部ララディアの夢の中、っていうオチじゃあないよね」
奇しくもアレクサンダーは、昨夜衛兵がララディアに放ったのと同様の答えに行き着いた。まあ、それ以外の答えは状況から浮かび
にくいのであるが。
そして、ララディアもこの予想された答えに昨夜とは違う毅然とした態度をとった。
「無論です。この頬の傷が何よりの証拠ですから」
ララディアが指差した頬には、昨夜よりは酷くないものの三条ほどの鋭い切り傷が走っている。てっきり枯れ枝か何かで出来た傷だ
と思っていたアレクサンダーは改めてその傷口を近くで見てみた。
「…この傷…」
確かに、枝キズにしてはその傷口は鋭利で細く、まるで剣でなぞったかのようなものに見える。それが等間隔で付けられているとい
うことは、相手は鉤爪のようなものを身につけていたというのか。
「あと、魔法か何かはわかりませんが賊は目を赤く光らせて目潰しをしてきました。
ただ、完全に不意を突かれて焦ったら、相手もどうしたのかその隙に襲ってこないで………」
(?!)
ララディアのその言葉に、アレクサンダーはビクッと反応した。アレクサンダーの頭に、ある単語が浮かんでくる。
(まさか…?でも、それが……。こうなって……!)
- 「ララディア!!」
何か思い至ったのか、突然アレクサンダーはララディアの肩をがっしりと掴んだ。
「お、王子?!」
「ララディア!その賊に、どこも突かれたり噛まれたりしていないな?!絶対に!」
「え?突かれ?噛まれ?!」
アレクサンダーの発したわけの分からない言葉に、ララディアはどう答えていいか一瞬訳がわからなくなったが、アレクサンダーの
あまりに鬼気迫った表情についこくこくと頷いてしまった。
確かに、賊にそんなことをされた覚えはないのだから。
「そうか…、よかった……」
目の前でほっと胸を撫で下ろすアレクサンダーを見て、ララディアはますます訳がわからなくなった。
突然怒鳴ったり安心したり、一体王子はどういう結論にたどり着いたのだろうか。
「ち、ちょっと王子…、私には何のことだかさっぱりで……」
「ララディア、ララディアは昨夜とっても危険な状況だったんだよ…
ララディアを襲った賊……、それは間違いなく吸血鬼だ」
「き……?」
吸血鬼と言う言葉を耳にし、ララディアは一瞬だが全身が固まってしまった。
別に恐怖からではない。アレクサンダーの言っている事の荒唐無稽さからだ。
「吸血鬼って……。王子、なに突拍子もないこと言ってるんですか?
何でこんなところに吸血鬼がいるんです?いるはずがないじゃないですか」
このララディアの言葉は、普通に考えたら外から吸血鬼がきたかもしれないだろという反論が予想されるものだ。
だが、このメルキルスに吸血鬼がいるはずないというララディアの言葉にはそれなりに根拠はあった。
前にも述べたとおり、ここメルキルスは四方を険しい山に囲まれた盆地の中にある。そこを越えるためには少なくとも二日
は山道を越えなければならず、日光に弱い吸血鬼が踏破できるものではない。
ある程度高位の吸血鬼になったら空を飛ぶことが出来るようになるが、それとて山が高すぎて飛んで超えるということは不可能だ。
つまり、この地は地政学的に吸血鬼が外部から来ることは不可能な場所なのだ。ララディアの楽観的な意見もこれに由来している。
「でも、そうだとしたら全部説明がつくんだ!」
端からバカにしたように否定するララディアに、アレクサンダーはムッとしながらララディアをびっと指差した。
「いいか?もしララディアを襲ったのが吸血鬼だったら窓から飛び降りても生きているだろう。吸血鬼は日に当るか
心臓を突かない限り死なないんだから」
確かに、ララディアの窓から飛び降りて死ななかったんだとしたら、相手は尋常な肉体の強さではないから頷ける。
「目が赤く光ったっていうのも、多分相手はララディアを魔眼で催眠にかけようとしたんだと思う。
そうすれば、無駄な抵抗を受けずに襲えるからね。ただ、ララディアは魔力の類を通さない体質だから魔眼が効かないのも道理だ。
「その頬のキズだって、鉄の爪じゃなくて本当の爪で抉られたんだろう。
ほら、話しピッタリじゃないか全ての状況の説明がこれでつく。
「……まさかぁ………」
ララディアは表面上、あくまでアレクサンダーの言い分を子供の拙い妄想と捉えていた。
が、心の中ではアレクサンダーの想像が正しいのでは?と思いが揺れ始めていた。
(そ、そんなことあるはずがないじゃないの……き、吸血鬼なんて今までこのメルキルスに出たなんて聞いたこともないわ。
あれは賊。城のお宝を盗みに来て間抜けにも私の部屋に入ってきたドロボウよ。
それに、吸血鬼だったら………?)
- 「あ」
この時、ララディアは吸血鬼のある特性に気がついた。昨日目の前に現れた者が吸血鬼で『ない』絶対的な証拠を。
「王子…」
ララディアは鬼の首を取ったような得意顔で、アレクサンダーを指差し返した。
「確か吸血鬼は、自分が招かれない限り決してその家の中には入れない。とかいう決まりがありましたよね。
私、昔そんなことを本で読んだような気がします」
「う!」
痛い点を突かれ、アレクサンダーは思わず胸倉を抑えて一歩引いてしまった。
吸血鬼は招かれない限り家の中に入ることは出来ない。この点はアレクサンダーも知識として知っていた。
でも、今回はララディアの部屋の窓が空いていたから普通に入ってこれたのだろうと勝手に推量を立てていた。
「あ、あれはララディアの部屋の窓が開いていたから…」
「決まりがそうでしたら、窓が開いていようと閉まっていようと同じです。窓が関係ないんでしたら石でも投げて窓を破れ
ば、部屋の中に入れるようになるという理屈になりますから」
確かにララディアの言うとおりだ。部屋の中に入れないというのがルールであるならば、窓があろうとなかろうと同じことである。
あくまでも『部屋に入れない』ことが決まりなのだから。
「むぅ…。でも、僕は絶対に吸血鬼だと思うんだけれどな…」
「ま、今度からは暫く熱くても窓を閉めて寝ますから。そうそう簡単に賊が入ってくることはありませんよ。
もし吸血鬼が来たとしても、私は催眠がかかりませんから簡単に退治して見せます」
まだ吸血鬼犯行説を諦めきれないアレクサンダーに、ララディアは勇ましくガッツポーズを作った。
(まあ、吸血鬼が来るなんてないですけれどね…)
ララディアにしても、まさか襲った吸血鬼がすでに城中にいて『決まり』の効果がないクーラだとは思いもしなかった。
そしてそれはアレクサンダーにとっても同じだった。
決まりを気にするあまり、犯人が身内にいるなんてさすがに想像することは出来なかった。
「まあいいや。この話はもうやめよう。話していても不毛になって疲れるだけだ。
ララディアも仕事だ稽古だって疲れたろ?僕の部屋にお茶を用意させてあるからこれから……
"王子様〜〜〜〜っ!!"
アレクサンダーがララディアを連れて部屋に戻ろうとした時、向こうのほうから侍女が物凄い声を上げて向ってくるのが見えた。
「?!どうした!!」
その剣幕の鋭さにただ事でないことを感じたアレクサンダーは、侍女が来るのを待ちきれずに大声で訪ねた。
「どうしたと言うんだ、一体!!」
「お、王女様が、王女様がぁ〜〜〜〜〜!!
突然、お部屋の中でで大量の血をお吐きに〜〜〜〜〜っ!!」
「な!」
「え?!」
アレクサンダーもララディアも、言葉を失った。それはアルマリスの容態が急変したことを知らせる、とびきり不吉な知らせだった。
-
「アルマリス!」
けたたましい音を立ててドアをぶち開けてアレクサンダーがアルマリスの部屋に入った時、アルマリスのベッドの周りは
大変なことになっていた。
何人もの医者がアルマリスの周りに群がり、あれやこれやと協議をしている。中にはアレクサンダーが大嫌いなナールスの
姿も見えるが、今の状態でナールスをつまみ出すような気分にもならないしそんな状況でもない。
そのアルマリスを囲む医者の輪から追い出されたかのように、ティフォンが遠いところから心配そうな目を向けていた。
そのティフォンが座っている赤い絨毯が敷き詰められた床の一部に、絨毯よりもなお赤い不出来な水溜りがある。
血溜りの大きさは直径で1メートルはあろうかというもので、アルマリスが吐いた血の量が相当なものだということがわかる。
そして、当人のアルマリスはベッドの中で青い顔をしてゼエゼエと苦しそうに息を吐いていた。まだ口周りには吐いた血が
こびり付き、見ていて非常に痛々しい。
「ア、アルマリス!!」
アレクサンダーは血相を変えてアルマリスの傍に近寄ろうとした。が、それをアルマリスの部屋の衛兵が槍を横に立てて阻止してきた。
「なりません!アルマリス様のお傍に近づくことはなりません!」
「な、何をするんだ!そこを通せ!!」
身を張って道を塞いできた衛兵にアレクサンダーは激高したが、衛兵のほうも頑として道を明けようとはしてこない。
「ダメなのです!今、アルマリス様がどのような御病気に罹っているか医者達が調べております!
そのご病名が明らかにならないうちは、医者以外の方は誰一人として近づいてはならぬと王のご命令です!!」
なるほど、これほどの多量の喀血をした以上アルマリスが何か重い病気に罹ってしまったのは疑いのないところだ。
それが、もし伝染性の高い病気だったとしたらアルマリスに近づくだけで罹患する可能性がある。その病名が判明するまで
アルマリスに近づかせない措置をとったのは王としては妥当な考えである。
でも、それに納得するアレクサンダーでは勿論ない。
「ふざけるな!アルマリスは僕の妹だ!何で実の妹に近づいちゃいけないんだ!!
アルマリスが、アルマリスがあんなに苦しがっているじゃないか!!今僕が励まさなくてどうするっていうんだ!!」
アレクサンダーはぎゃんぎゃんと吼えて何とかアルマリスの近くへと進もうとするが、衛兵達も王直々の命令だけあって
どうあっても通そうとしない。
「王子!!」
その時、ようやっと追いついたララディアが、アレクサンダーを後ろから羽交い絞めにして衛兵から引き剥がした。
「は、離せララディア!アルマリスが!アルマリ…」
「落ち着いてください王子!!今王子がアルマリス様のお傍に行ったからってなんの役に立つと言うのですか!!」
ララディアは腕の中で暴れるアレクサンダーを何とか宥めようとするが、頭に血が上りきっているアレクサンダーの頭には
全く入っていかない。
「やめてください王子!少しは落ち着いてください!!」
「うるさいララディア!たかが一兵士のお前が僕を命令できると思っているのか!!身の程を知れ!!」
それは激高した頭から飛び出た一種の戯言だったのだろう。到底アレクサンダーの本心から飛び出た言葉ではない。
「王子…?!」
だが、それを聞いた次の瞬間、ララディアはアレクサンダーを掴んでいた肘を外し、自分のほうに振り向かせると…
-
パァン!
その頬を、思いっきりぶっ叩いた。
「え……?」
頬から発せられる熱さと痛さに、アレクサンダーの頭の中は急速に冷静さを取り戻していく。そして、頬を手で抑えながら
自分をぶった手を目で追うと、そこに見えたのは
「………」
半泣きになりながらも鬼の形相で睨む、ララディアの顔だった。
「いい加減にしてください王子!!
そんな情けない王子の姿をアルマリス様が見たら、どれだけ嘆かれると思うんですか!
まるで小さい子供のようにギャアギャアと喚いて我侭を通そうとして、それが何になると言うんですか!」
ララディアの瞳からは熱い涙が次々と流れ落ちてきている。その姿はまるで弟を諭す姉のようだ。
「確かに私は王子の臣下です。本来なら王子に口を挟むことなど出来よう筈もありません。ましてや手を出すなどとはもっての他です。
ですが、あえて言わせていただきます!あえて叩かせていただきます!!
王子が間違った道に進みかけているならば、私は容赦なく王子を諭しますし叩きます!!ううぅ〜〜〜〜っ!」
そこまで言って、ララディアは両手で顔を押さえてわんわんと泣き崩れてしまった。うるさいという点ではララディアも相
当なものだとは思うのだがあえてそこは突っ込まない。
「ラ、ララディア?!」
だがアレクサンダーは目の前で泣き始めたララディアにすっかり毒気を抜かれてしまった。
自分の前でララディアに泣かれたのはこれで二度目だが、以前と違い今回は完全にアレクサンダーの振る舞いが原因なので
ばつの悪さは以前の比ではない。
しかも、前はアルマリスの機転で事なきを得たのだが今はアルマリスは病臥に臥せっているのでアレクサンダー自身で解決
しなければならない。
「あ、あのこの…その………」
頭の中には色々な言い訳が浮かんでくる。頭に血が上っていた。アルマリスのことを大事に思って何が悪い。
こんな時だからこそ近くにいてやらねばならない…
いずれも理由としてはご立派なものだ。が、こんなことをぐだぐだ述べたとしてもララディアは絶対に泣き止まないだろう。
ララディアがアレクサンダーに求めているのは細やかな心理説明ではなくもっともらしい言い訳でもない。
そんなことはアレクサンダーにも分かっている。
そして、ララディアが自分に何を求めているのかも。
「………」
わんわんと泣き崩れるララディアを見下ろしながら、アレクサンダーは意を決したかのようにしゃがみこみ、ララディアの
膝に手をついて
「…ごめん、ララディア」
と言い、深々と頭を下げた。
その光景を見ていた衛兵は吃驚仰天したことだろう。あの悪童の誉れ高いアレクサンダーが人に頭を下げる光景など、これ
まで城の誰も見たことがない代物なのだから。
「………王子ぃ…」
アレクサンダーの謝罪の言葉を耳にし、ララディアは涙でグズグズにした顔をアレクサンダーに向けた。
「僕が言いすぎた。こんな時にこそ落ち着かなければいけないのに、ガキのように喚くだけ喚き、しかもララディアに
ひどいことまで言ってしまった。本当にごめん、ララディア」
- 「王子…」
申し訳なさそうな顔をして素直に謝るアレクサンダーを見て、ララディアはなにかとても嬉しい気分になってきた。
アレクサンダーは頭が切れすぎるというところから普段はどちらかというと達観して物事を見て、自分の心の内を殆ど
曝け出そうとしてこない。
アルマリスのために悪童を演じるようになってからはその傾向はますます顕著になり、他人に見せる自分の顔を本物とは
全く別物に変えて見せていた。
これは自分の本心を知られたくないという思いから来ているのだろうが、これは言い換えればアレクサンダーが他の人間を
信用できないということでもある。信用できる人間でなくば、誰がその本心を見せるというのか。
ララディアは恐らく今でもアレクサンダーの身内以外でそのことを知っている唯一の人間だろう。だからこそ、こうして
人目をはばからずに素直に自分の本心を見せているアレクサンダーが、自分の回りに作っていた見えない壁を自ら壊した
ように感じられるのだ。
「…ありがとうございます、王子」
ララディアは泣き腫らした目を微笑ませ、アレクサンダーの手をぎゅっと掴んだ。
「過ちは誰にでもあります。それをすぐに正せるか、自分の非を受け入れ謝罪できるかで人としての器量が問われるのです。
アレクサンダー様はすぐに自分の過ちを正せました。臣下にとって、これほど嬉しいことはございません」
「ララディア…」
目を真っ赤にし、涙やなにやらでどろどろになったララディアの顔ははっきり言って滑稽なものだったが、アレクサンダー
はとてもそれを笑うことはできない。
その涙もなにも、すべてアレクサンダーのことを思い、アレクサンダーに手を掛けたことを嘆き流されたものだ。
アレクサンダーにとって、今のララディアの顔はとても神々しいものであった。と、同時に胸の奥でなにか得体の知れない
ものがちくちくとアレクサンダーの心を揺り動かしていた。
アレクサンダーにとって剣の師であり、愚痴の聞き手であり、大事なアルマリスの友人であり、数少ない本心を打ち明けら
れる人間であるララディア。
自分にとって一番身近にいる他人であり、年の差から言って姉に近い感覚をもっていたララディアに、アレクサンダーが
感じた『女』としてのララディア。
それはアレクサンダーがはじめて異性というものを意識した瞬間だった。
「………」
「………」
二人はジッと、無言のまま視線を交わしている。場所が場所ならひょっとしたらその先に行き始めたかもしれない。
だが、そんな時間は長くは続かなかった。
「アレクサンダー様、ララディア殿」
「「わぁっ!!」」
頭上から突然響いてきた自分の名前に、妙な緊張状態にあったアレクサンダーとララディアは突然我に帰って派手に声を出してしまった。
見ると、二人のすぐ横にナールスが興味深げに二人を見ている。
「ナ、ナ、ナールス!!人を驚かせるな!こんな時に一体何を考えているんだ!!」
「おっと、これは失礼を致しました」
何か大事なことを邪魔されたような悔しさと警戒しているナールスを前にしているということで、必要以上にアレクサンダーは
ナールスを叱り飛ばしたが、ナールスのほうはそんなものなどどこ吹く風という風に受け流していた。
「ナールス殿…、何か御用でしょうか…」
ララディアのほうも多少の気恥ずかしさはあったが、なるべくそれを顔に出さないように堪えてナールスに言葉を返していった。
- その姿にナールスは苦笑しながらも、不意に顔を強張らせてその口を開いた。
「はい。アルマリス様のご容態についてなのですが…」
「アルマリスの?!」
アレクサンダーはナールスを嫌っているが、アルマリス絡みなら話は別だ。アレクサンダーもララディアも緊張した面持ちで
ナールスの言葉を待っていた。
「はい。アルマリス様ですが相当お体が弱っておられます。どうも気管支にある種類の花の花粉を多量に吸い込んだと見ら
れる節がございます。それによって次第に肺が冒され、まるで労咳のような大喀血をなさったのでしょう。
普通のお体ならばこんな反応をすることはないのですが、なにぶんアルマリス様は生来お体が弱いですからここまでひどく…」
「花粉…」
ナールスの言葉にアレクサンダーの顔色がざぁっと青くなる。最近アルマリスが多くの花粉を吸い込んだというとなると、
あの時の遠出以外に考えられない。
「それにより呼吸器も相当に痛めつけられ、現在は時々呼吸困難に陥っておられます。
私たちとしても最善を尽くしますが、『もしも』のときのことも考えなければなりません……」
ナールスはあえて表現をぼかしたが、『もしも』の時とは間違いなくアルマリスが死ぬという意味であろう。
「ア、ア、アルマリスが……、アルマリスが……」
アレクサンダーの顔色は見る見るうちに青くなり、凍えているかのように両腕を体に巻いてガタガタと震え始めている。
自分が焼いたおせっかいのせいで、アルマリスは喜ぶどころか死の縁に立たされている。
自分のせいで、アルマリスが死んでしまうかもしれない。
そう考えるだけで、アレクサンダーの体の震えはますます大きくなっていった。
「ただ……」
そこまで言って、ナールスが思わせぶりに天井のほうを眺めた。
「アルマリス様がお吸いになった花粉は、このメルキルス城周辺では自生していない花なのですよ。
一体、どこでお体の中に入れたのやら……、アレクサンダー様はご存じないでしょうかね?」
そう言われても、アレクサンダーはガタガタと体を震わせながら僅かに首を横に振るだけだった。
「ふぅん……。ま、よろしいでしょう。
アレクサンダー様、アルマリス様のお傍に寄ってももうよろしいですが、決して大声は出さないようにお願いします。
なにしろ、アルマリス様のご容態は予断を許さない状況ですゆえ…」
そう言うと、ナールスは他の大多数の医者と一緒にアルマリスの部屋から出て行った。どうやら今後の投薬や治療の方法を
模索しに行くようだ。
「………」
だが、ナールスたちがいなくなってもアレクサンダーはその場から立つことが出来なかった。自分のせいでアルマリスが
生死を彷徨う羽目になったのが相当にショックだったのだろう。
「王子…、アルマリス様の所に行かれないのですか?」
「あ…?ああ……」
ここまでショックを受けているアレクサンダーを見たことがないララディアが心配そうに声をかけると、アレクサンダーは
ようやっと重い腰を上げた。
そのまま覚束ない足取りでアルマリスのところへと進み、青い顔をして意識がないアルマリスの手をぎゅっと掴んだ。
体温が低下して、まるで死人のように冷たい感触がアレクサンダーの手に伝わってくる。
「ハア…ハア……っこほっ!こほっ……!」
まだ時折発作がくるのか、アルマリスは意識が無いながらも一定の感覚を持って弱々しく咳き込んでいた。
「ア、アルマリス……アルマリス……
ごめんな、ごめんな…。僕が余計なことをしたばかりに、お前をこんな目に……」
アレクサンダーの目から涙がだばだばと溢れ、アルマリスが眠るベッドに大きな染みを作っていっている。
- 「ごめん、本当にごめん………」
何に謝っているのかわからずぱちくりとしている居残りの医者を尻目に、ララディアは泣き崩れるアレクサンダーにかける
言葉も見つけられず、ただじっと見つめていた。
「王子…」
ふと横を見ると、ティフォンも二人のことを心配そうに見ている。アレクサンダーとアルマリスとの付き合いはララディア
よりはるかに長いこの犬も、おそらくここまで心が折れたアレクサンダーを見たのは初めてのことだろう。
その後、アレクサンダーはじっとアルマリスの手を握り続け、ようやっと離した時にはもう時計の針は昼にさしかかろうとしていた。
「……行こう、ララディア…」
まるで幽鬼のような顔つきになったアレクサンダーは、ララディアの返事も聞かず駆け足で部屋を出て行った。
これ以上アルマリスの顔を見るのが辛いのか、アルマリスをこんな目にあわせた自分がこの部屋にいる資格は無いと思ったのか。
「!ま、待ってください王子!!」
今のアレクサンダーを放っておいたら何をするかわかったものではない。ララディアは慌てて、アレクサンダーの後を追いかけていった。
「王子、王子!!」
ララディアは走りながら必死にアレクサンダーへ呼びかけるが、アレクサンダーは全く脚を緩めることなく駆け進んでいる。
そのままアレクサンダーは自室へと駆け込み、部屋の鍵をかけるとベッドの中へどすん!と突っ伏してしまった。
「僕のせいで!!
僕のせいでアルマリスは、アルマリスは!!」
それは酷い後悔であった。自分が良かれと思ってアルマリスに施したことが、結果としてアルマリスの命の灯火を消す羽目に
なるかもしれない事態になってしまったのだ。
まさか、アルマリスの体がそこまで環境の変化に弱いとはアレクサンダーも思いはしなかった。もしかしたら、父や母はその
事を知っていて、アルマリスにむやみな外出をさせなかったのかもしれない。
だとしたら、自分はなんと愚かなことをしてしまったのだろう。
「ララディア!僕はバカだ!大バカだ!!
自分ではアルマリスのことを考えていたと思っていながら、実はアルマリスの命を縮めていたなんて!」
アレクサンダーはわんわんと慟哭しながら、ベッドの角に自分の頭をガンガンと打ち付けていた。その衝撃で額が裂け赤い
血が流れ落ちてきているが、それでもアレクサンダーは打ち付けるのを止めようとしない。
「お、王子!お止めください!!」
その時、鍵のかかったドアをこじ開けて入ってきたララディアが飛んで入ってきた。
ララディアはアレクサンダーを後ろから取り押さえ、それ以上自分で自分の体を傷つけるのを何とか止めさせようとした。
「離せ、離せララディア!僕は、僕なんか死んだほうがいいんだ!」
「王子、王子は悪くありません!これは不可抗力なんです!誰も悪くありません!
アルマリス様だって、王子に外に連れて行かれるのを凄く楽しみにしていたではありませんか!!
こんなことは誰にも予想できなかったのです!ですから、そんなにお気を病む事はないのです!
ですからいつもの、いつもの小生意気で悪たれのアレクサンダー様に戻ってください!お願いします!!」
ララディアは自虐に心が潰れかけているアレクサンダーを何とか立ち直らせようと、悪態をついてまでアレクサンダーの
心を奮わせようとした。
だが、アレクサンダーは立ち直るどころか、ララディアがどんなに声をかけようがついに一言も発しなくなってしまった。
長く気まずい沈黙の時間がすぎることしばし
「…ララディア」
ようやっと発したアレクサンダーの声は、何かに取り憑かれでもしたかのようにひどく暗く重いものだった。
「ララディア、どうして神様はアルマリスをあんなに弱い体にして生まれさせたんだ?
ろくに外に出ることも出来ず、ちょっとした事で体を壊し、挙句の果てには大人にならずに死ななければならないのか?!
それじゃあアルマリスは何のために生まれてきたんだ?!酷すぎるだろ!可哀相過ぎるだろ!」
- 「おう、じ……?」
アレクサンダーの出す声は次第に澱んだ狂気を帯び始めてきている。アレクサンダーが非常に妹思いだというのはララディ
アも知っているが、それにしてもこれは異常だ。
「アルマリスが若くして死ぬのが神様が決めたことだとしたなら、そんなものはくそくらえだ!!
こんなことで、アルマリスを死なせてたまるか!!もしアルマリスが死なずにすむなら、僕はどんなことでもしてみせる!
どんなことでも…!!」
ララディアが見ても、アレクサンダーの決意の程は相当なものだということがわかる。もしアルマリスの命が助かる出立て
が見つかったならば、今のアレクサンダーは死を厭わずにそれを実行しようとするだろう。
ただ、ララディアは今のアレクサンダーの心境は危険だと考えていた。アレクサンダーはまるでアルマリスが死ぬことを前
提に物事を考え、アルマリスが死ぬことに勝手に心を奮わせているように見えてならない。
「王子…、アルマリス様が死ぬなどと軽軽しく言わないでください…。それではまるで、王子がアルマリス様を死なせたが
っているようにしか見えない……」
「なんだと?!」
ララディアとしてはアレクサンダーに忠告としていったつもりだったのだが、心の余裕をとうの昔に無くしているアレクサ
ンダーはそれを言ったまんまの意味にとらえてしまった。
「死なせたい?!僕がアルマリスを死なせたいだって?!
そんなわけ無いだろララディア!!どうして僕が、アルマリスの死を望まなければならないんだ!!バカ言うのも大概にしろ!」
当然の如くアレクサンダーは激高し、ララディアに食って掛かった。
「そんなことを言うララディアなんか見損なった!出てけ!僕の部屋から出て行け!!」
「お、お静まりください王子、私は……」
アレクサンダーが酷く誤解していると思ったララディアがなんとか真意を伝えようとしたが、それを言う前にララディアに
向って枕や花瓶やらがぼんぼんと飛んできた。
「うるさい!うるさい!!
出てけ、出てけ!出て行けぇーっ!!」
自分に向って投げつけられる物体に怯まず、なんとかアレクサンダーに話を聞いてもらおうとしたララディアだったが、さ
すがにアレクサンダーが腰につけていた剣に手を伸ばすのを見て、これは今は何を言っても無駄だと悟った。
「……わかりました。失礼致します……」
ララディアは口をきゅっと横一文字に結び、すすっと部屋から退出していった。なにはともかく、今は少し時間を置いてア
レクサンダーの頭を冷やさなければどうにも話が進まないと考えたのだ。
「ハアッ、ハアッ……!ララディアの、バカ野郎……」
ララディアがいなくなり、途端に静かになった部屋の中でアレクサンダーは一人アルマリスをすくう手立ては無いのか考えていた。
「そもそも、アルマリスの体が弱いのが全ての元凶なんだ。アルマリスの体を強くするには、するには……」
その時、アレクサンダーの頭に以前サンディから聞いた言葉が蘇ってきた。
”この世には人間の体質を変えてしまう術法もあると聞きます。それらを用いてアルマリス様の体質そのものを変えてしまえば、
病魔に冒されない健康な体を手に入れることが出来るかもしれません”
「アルマリスの、体質を変える……」
だがどうやって……
すると、次にララディアと今朝交わした言葉が思い浮かんでくる。
”ララディア、ララディアは昨夜とっても危険な状況だったんだよ…
ララディアを襲った賊……、それは間違いなく吸血鬼だ”
- 「吸血鬼……」
心臓を貫かれない限り死なず、不老不死の永遠の命を持つ怪物。
「………」
アレクサンダーの頭にいろいろと思い浮かぶものがある。
結局アレクサンダーはその日の夕方まで部屋から出てくることは無く、ようやく出てきたときも何かに思いつめたような硬
い表情をしていた。
「あの…、王子……」
ララディアは心配そうにアレクサンダーに手を差し伸べたが、アレクサンダーはその手をバンッと跳ね除けると一言も発し
ないで前を通り過ぎてしまった。
これは相当重傷だ。明日以降にでもならないと曲がった臍は元に戻りそうもない。
(クーラの時もそうだけれど…、私って空気が読めないのかしら…)
これはまた、じっくりと腰をすえて話し合わなければならないかもしれない。ララディアは気を落としながら自室のほうへ
と戻っていった。
だが、結果的にララディアとアレクサンダーがこの件で言葉を交わす機会はやってくることはなかった。
それどころではない事態がこの日の夜に起こってしまったのだ。
「三人とも、今日は夜の仕事には出かけなくて結構です」
夜がふけそろそろ人が寝床に入りそうな時間、ナルストの部屋に集まった三体の吸血鬼はナルストの言葉に一瞬ぽかんとした。
「え…?それって…」
「もう、人間の血を吸うなって、ことですか…?」
サンディもクーラも、ナルストへ明らかな不満をぶつけている。せっかく夜になってまた喉の渇きを潤せると思っていたの
に直前でお預けを食らわされたのだから当然ではあるが。
「その通りです。少し性急ではありますが、事情が変化いたしましたので…」
そう言いながらナルストは、奥の薬品棚から薬ビンを取り出してきた。ラベルも何も貼られていないそのビンの中は、光も
通さないような真っ黒な物体で満たされている。
「本当ならもう少し時間をかけたかったのですが、王女の容態が突然悪くなってしまいましたからね。
はっきり言ってしまえば、王女はもう三日も持たないでしょう。このままのペースで吸血を続けていたら全てが完了する前
に王女の命は尽きてしまいます。それでは面白くありませんからね」
「ナ、ナルスト様……?面白いって、なんですか……?」
三体の中で唯一ナルストの下僕ではないマーシュが、ナルストの言葉への疑問を問い掛けてきた。確かにアルマリスが死ぬ
ことが面白くないというのは話のつじつまが合わない。
「…このまま王女に死なれてしまっては国中がそれに対する悲しみで包まれてしまい、これから起こす仕掛けの効果が半減
してしまうと言うことです。
やはり、国中が希望と幸せで満ち溢れている中で起こる大惨劇により、国全体が絶望と悪夢によって転がり落ちていく様が
見ていて面白いんですよ。そうするためにも、王女が死ぬ前に始めなければ……」
「「「??」」」
そう言われても、三人にはナルストが何を言いたいのかさっぱり理解できない。もっとも、三人ともナルストには人間の血
を吸血鬼にしない程度に吸え、としか言われていないのでわからないのも道理ではある。
「ふふ…、お前達に吸血鬼が増えないように加減して血を吸わせてきたのは全てはこれの下準備なのですよ」
要領を得ないサンディたちを見て、ニッと笑ったナルストは指をパチリと鳴らした。
すると、部屋の奥の扉が開き、白い影がふらふらとこちらへ近づいてきた。
「え、あれって……」
ナルストに意識を奪われているのか焦点の合わない瞳を中空に向け、首筋に二つの歯形を穿たれ、まるで操り人形のように
ギクシャクとした足取りでやってくるその影は、三人ともとてもよく知っている人間だった。
「お……王妃様?!」
「なんで、ここに…」
そう、それは紛れも無くメルキル16世の妻であり、アレクサンダーとアルマリスの実母であるメルキルス王妃だった。
予想もしない人物が突然あらわれ呆然とする三人を、ナルストは苦笑を浮かべた。
- 「おいおいお前達、私がこの城に入った理由を忘れましたか?私は王妃の治療を名目にしてこの城に仕えることになったのですよ。
既に一番最初の段階で、王妃には私の口付けを与えてあります。その後も、吸血鬼化しない程度に定期的に王妃からはその
血を戴いてきました。乙女ではありませんがさすがに一国の王妃、なかなかいい血を持っておられましたよ」
まあ確かにナルストが吸血鬼だということを考えれば、王妃に手を出していても全然不思議ではない。この国を乗っ取ると
いう意図を持っているならば下僕にするのも自然な流れではある。
が、解せない事がある。
王妃はサンディたちと違い人間のままである。いっそのこと王諸共完全な吸血鬼にして下僕にし、さっさとこの国の頂点に
なってしまえばいいのではないだろうか。
果たしてナルストがどんな先のビジョンを持っているのか、サンディたちにはまるで読むことが出来なかった。
「…私が何をしたいのかわからない、といった顔をしていますね。まあそれも道理。
これから行うことを、その眼でじっくりと見ていなさい。とても面白いものが見られますからね」
そう言ったナルストは、再び指をぱちりと鳴らした。
「………、っ?!こ、ここは……?!私は自分の部屋にいたはず……」
その瞬間、虚ろだった王妃の目に光が戻り、正気に戻った王妃は何が起こっているのかわからず辺りをおどおどと見回した。
「私がここにお呼び致したのですよ、王妃様」
「?!ナールス…。私はあなたに呼ばれた覚えなど……?!」
そこまで言って王妃の口は凍りついた。目の前にいるナルストの雰囲気が、あまりにいつものナルストのものと違っていたからだ。
温和そうな物腰は居丈高なものに変わり、人当たりの良かった顔つきは横柄で独尊的なものになっている。
そして何より、血の抜けたような白い肌とそれに反した真っ赤な瞳が、目の前の青年が人外のものであることを証明していた。
「私は別に貴方様を呼んだ覚えはございません。ここに来いと命令したんですよ…」
「ナールス…!お前は……」
王妃はナルストの気配に恐怖を覚え、振り向いて逃げようとした。
が、体が動かない。まるで蛇に睨まれた蛙のように全身が萎縮して指先一本動かすことも出来なくなっていた。
「失礼。逃げられても困るので体の動きを封じさせていただきました。
あと、私の名前はナールスではありません。吸血子爵・傾国のナルスト。それが私の本当の名前なのです」
「なる、すと……け、いこく……?!」
正直王妃の頭にナルストの名前や二つ名はあまり入っていかなかった。その前に出た吸血子爵という単語がそれ以上のイン
パクトを持っていたからだ。
王妃とて爵位持ちの吸血鬼の恐ろしさは伝聞ではあるが知っている。爵位持ちに滅ぼされた国や英雄の話など、それこそい
くらでもあるのだから。
その爵位持ちが今目の前にいる。それも、今まで優秀な側近と思っていた人間がずっと正体を隠していたというおまけつきで。
「王妃様には今まで非常に良くしてくださいました。王妃様の後添えがありましたからこそ、私はこうして城の中で確固た
る地位を築け、だれにも邪魔されること無く企てを進めることが出来ましたのだから。実に感謝の念に耐えません」
ナルストはそれまで王妃に接していた態度そのままに深々と王妃に頭を垂れた。もっともその顔には冷笑が浮かび出ており
ナルスト一流の皮肉であることは言うまでもないのだが。
「ですから王妃、貴方には私がこれから行う計画の最終段階の、最初の一人になってもらいます。
メルキルス全ての人間の中の最初の一人になれるのです。ああ王妃、貴方はなんて幸運な方なのでしょう!!」
「ひ……」
大仰に演説ぶるナルストに、王妃は何も発せられなかった。ナルストが何を意図しているかはわからないが、このメルキル
ス全体に及ぼす恐ろしい事を考えていることだけは明らかだったからだ。
- 「王妃、これを御覧ください」
ナルストが先ほど取り出した薬ビンの蓋を開け、内容物をサラサラと自分の手の上に落としている。
それはきめの細かい真っ黒な粉末で、まるで黒色火薬のような代物だった。
「これは、かつて滅ぼされた吸血鬼の灰にある特別な調合を施したものです。これだけを作るのに並の吸血鬼200体分の
灰が必要なんですから相当な貴重品なんですよ」
「そ、れが……、なに……」
「いえ、ね……」
脅える王妃の前でナルストが懐から短剣を取り出した。喰らい銀色に輝く剣は、まるでナルストの心そのもののようだ。
「これは普通の灰と違って、血を落としても吸血鬼に蘇生しません。その代わり……」
ナルストは灰を持っている掌をぷつりと剣で刺し、浮かんできた血溜まりを灰のほうへと流した。
すると、灰はたちまち黒い煙をぶすぶすと噴き出してきた。
「吸血鬼の血を落として発したこの煙を吸い込んだ人間は、ある条件下によって吸血鬼と化します。それは……」
そこまで言ってから、ナルストは短剣で王妃の首を指し示した。
「吸血鬼に血を吸われた人間です」
「ハッ!」
ナルストに指差され、王妃は反射的に自分の首筋に手を当てていた。そこには間違いなくナルストによって穿たれた吸血鬼
の歯傷がある。
「そ、そんな…。私が、吸血されていた……?!」
「今まではばれないように傷口を隠し、記憶も弄ってましたがもうそんな必要もありませんからね。先ほど血を吸った時に
は後処理はしないでおきましたよ。
さあ王妃、これを一吸いするだけでいいのです。それだけで、貴方は私と同じ存在になるのですよ……」
ナルストが煙を噴いている手をじわり、じわりと近づけてくる。一気に王妃の前にかざさないのは王妃が脅える姿を愉しん
でいるからなのだろう。
「や、やめよ!来るな……?!
お、お前達!!早くこの者を除きなさい!!」
絶望的な状況に慄く王妃の目に、ナルストの後ろにいる三人が入ってきた。冷静に考えればナルストの部屋にいる時点で真
っ当な人間であるはずが無いのだが、王妃はそんなこと思いもせずサンディたちに助けを求めた。
「「「………」」」
が、当然三人は助けに入るどころか動こうともしない。
「な、何故動かないのです!私の、私の命令……」
「無駄ですよ。あの者たちは既に私の下僕となっております。貴方の命令など、聞きはしません」
そう言われ、王妃は件の三人を改めて見てみた。なるほど、よく見れば三人が三人ともナルストと同じ紅い瞳をし、口元か
らは人間ではありえない長さの牙を生やしている。
「つまり、貴方を助けるものはここには存在しないのですよ……」
「ああっ……」
絶望に震える王妃の目の前に煙がもうもうと漂ってくる。ナルストの言うことが本当なら、これを一吸いするだけで王妃は
吸血鬼へとその身を変えてしまうことになる。
「ほら、もう観念して吸ってしまいなさい」
「んーっ!んーーっ!!」
それでも王妃は息を止め、ナルストの責めに精一杯の抵抗を試みた。が、それも長くは続くはずもなく
「……っはあっ…!」
たまらず息を吐いた王妃の口の中に、黒い煙がするすると入っていった。
- 「はあっ、はあっ……うぐっ!!」
肺の中に酸素をいれようと激しく息を切らしていた王妃は、胸の中に広がってくる寒々とした感触に思わず息を詰まらせた。
体の奥がずんと冷え、体温がどんどんと失われていっている。まるで、一瞬で体が凍り付いてしまったみたいに。
そして、凍りついたのはの中だけでなく、心の中にまで及んでいった。
それまであった人間味ある感情がどんどんと凍て付き、固まり、粉々に壊れていく。しかも、それを止めることも出来ない。
それを悲しむ感情も砕け散っていく。
「………」
王妃の体と心はだんだんと人間のものから吸血鬼のものへと変化していったが、もうそのことを嘆き悲しむ感情など消え失せていた。
「は〜〜〜っ」
王妃の姿が見る見るうちに変わっていくのを、三体の吸血鬼はあっけにとられて見ていた。
「確かに面白いものだとは思うけれど…、これって何か意味があるのかしら?」
「ですね。わざわざこんな方法で吸血鬼にしなくても、普通に血を吸って仲間にすればいいですし…」
その疑問は当然であろう。この煙を使って吸血鬼を増やすことに何の意味があるのか彼女達にはまるで理解できない。
だが、あれやこれやと姦しく騒ぐ吸血鬼たちを尻目に、ナルストは王妃へと近づきその冷たい手をとった。
「…ご気分はいかがですか?王妃殿」
「…素晴らしいですわ。ご主人様」
ナルストに血を吸われて吸血鬼になった王妃は、当然の事ながらナルストをご主人様と呼び、生えたての牙を惜しげもなく
見せて微笑んだ。
「吸血鬼になるのがこれほど素晴らしいことだったなんて、人間のときは思いもしませんでした。
心も体も、すっきりと晴れ渡っていますわ。ふふふ、ぞくぞくしてくる……」
王妃は伸びた牙を手でなぞり、その長さと鋭さ感触で確認してぞくぞくと体を震わせた。
「あぁ…、吸いたい。血を吸いたい…
夫の、息子の、娘の血管をこの牙で貫いて、ぴゅうぴゅう吹き出る血をお腹一杯飲み込みたいです……」
既に人間の心を無くし、何のためらいも無く肉親の血を啜ろうとする王妃は身も心も完全に吸血鬼になっていた。
「いいでしょう。ですが、その前にお前にはやってもらわねばならないことがあります」
そんな王妃を、ナルストは手を握ったまま外へと連れ出そうとした。
「お前達もついてきなさい。お前達が疑問に思っていることの答えを、教えてあげましょう」
「「「は、はい…」」」
ナルストに促され、三人もよくわからないままナルストの後をついていった。
(そう、すぐにわかりますよ……)
ほくそ笑むナルストのもう一つの手には、例の薬ビンがしっかりと握られていた。
ナルストが先行したどり着いたのは王城の一番高いところ、物見の塔であった。この日の夜はメルキルスにしては珍しく
強い風が吹き、上空にはどんよりと雲が覆っている。
「で、ここに何があるんですかご主人様?息子や夫はどこに?」
もう待ちきれないといった忙しない顔で、王妃はナルストに尋ねてきた。王妃としては、てっきりここにナルストがご馳走
を用意しておいてくれたと思っていたからだ。
「いえ、ここには人間は誰もいませんよ。
言ったでしょ。お前にはその前にやってもらう事があるって」
- ナルストは手に持った黒い灰が詰まった薬ビンの蓋を開け、中身をばさばさと石畳の上に落としている。ナルストの足元に
は、くるぶしくらいまでの高さを持った灰の山が出来上がっていた。
「さっき王妃は自分で経験したからわかりますよね。この灰は、吸血鬼の血を落とすことによって吸血を受けた人間を吸血
鬼にする煙を発します。
こんな風の強い日にここで煙を炊いたら、風に乗った煙はあっという間にこの狭いメルキルスの国中に拡散されることでしょう。
そうすると…、どうなりますか?」
「それは……、あっ!!」
その効果が何をもたらすか、頭の切れるサンディは即座に結論に思い至った。
「そうすれば、国中のあちこちで同時に大量の吸血鬼が生まれ、一晩のうちにこのメルキルス全体が吸血鬼の闊歩する夢の
ような国になるのですね!!」
「そうです。お前達が一人一人吸血して吸血鬼を作ったとしても、所詮一体ずつでは簡単に滅ぼされてしまいます。
しかし、この方法を用いれば例え教会の手の者がいようとも全てを滅ぼし尽くせるはずがありません。同時に多数の箇所で
手におえないくらいの数の吸血鬼が発生するわけですからね…」
この説明を受け、サンディもクーラもマーシュもようやっとなるほどと納得することが出来た。
確かに吸血鬼の増殖は、ある一定の数を超えたら手におえなくなるがそこに達するまでに大抵は狩られ滅ぼされてしまう。
夜間にしか動けない行動制限と、強力な割に弱点の多い吸血鬼のスペックは大量の増殖を阻む大きな壁なのだ。
だが、ナルストのとった策ならあっという間にその『ある一定の数』に吸血鬼の数をのせることが出来る。そうなってしま
えば、もう吸血鬼の増殖を抑える手段はない。
「凄い…。さすがはご主人様。そんな深謀遠慮があったなんて……」
思うままに血を吸えず不満を漏らしていた自分が恥ずかしい。サンディは改めて、ナルストに対する畏敬と忠誠の心を深めていった。
「はぁ……」
だが、今吸血鬼になったばかりの王妃には今ひとつピンとこなかったようだ。
「で、それと私にやってもらう事の何が関係あるのでしょうか?」
「ええ、それは……
もうとにかく早く事を済ませ血を貪りに行こうとしている王妃に、ナルストは腰に抱えた剣をスッと抜いた。
「さっきも言ったとおり、この灰から煙を出すためには吸血鬼の血を必要とします。それも、この国中を覆うくらいの煙を
吐かすくらいの大量の血がね…」
ナルストはニヤケながらも非常に冷たい光を帯びた瞳で王妃を見つめている。そこには王妃に対する思いや感情といったも
のは見受けられず、ただ一介のモノとしてしか王妃を見ていない。
「ご、主人様……?!どうなされたのですか……」
言いようの無い不安に狩られ、王妃は媚を作ってナルストを見るが、ナルストのほうは全く動じない。
「ですからこの灰に、大量の血を振りまかねばならないのですよ。たっぷりと、吸血鬼の血を…」
ナルストの持つ剣が王妃の首の脇にぴたりと付けられる。体温をなくした王妃だが、剣の刃先の冷たい感触は人間の時以上
に鋭敏に感じられていた。
「お、お待ちくださいご主人様!私を、私をどうして斬るのですか!貴方様の忠実な下僕たる私を…!」
「私の下僕であるならば、私の行うことにいちいち不平を垂れないでください。私がお前に求めたのはその高貴なる血のみです。
それも吸血鬼になってしまったからには不用。他の下僕のように知識も力も持ってないお前が私に出来ることは、せいぜい
その血を有効に使われることぐらいですよ」
ナルストの剣が王妃の首につぷぷと吸い込まれていっている。王妃はまだ何事が言いたそうだったが、すでに空気が気管か
ら漏れ出しておりひゅうひゅうと風を切る音にしかなっていない。
「では失礼、王妃殿。私の礎になったあなたのことは記憶の片隅に止めておきましょう」
口をパクパクと動かす王妃に軽く頭を下げたナルストは、そのまま一気に剣を横になぎ払った。
。
- ズバッと言う音を立てて吹き飛んだ王妃の首は、そのまま物見の塔から落下し屋根を転がり落ちて階下の森へと転落していった。
もちろん吸血鬼は首を切られたぐらいでは易々とは死なないが、それこそナルストの思い描いたとおりのことだ。
頭を失った王妃の体は、首から血を盛大に噴出しながらどさりと前のめりに倒れた。その血がナルストの足元の灰に触れ、
たちまちのうちにもうもうと煙を吐き出してくる。
「ふふふ…、王妃の体が灰になるまではしばらくはかかります。その間にはこの煙が国中に行き渡っていることでしょう…
さあ、宴の始まりです。人間の血を呑み、喰らい、嘗め尽くす、傾国の宴がね!!ははははは!ははははははっ!!
ひゃーっはっはははははぁーーっ!!!」」
内から湧き出してくる悦びを抑え切れないのか、ナルストはそれまで見せたことがない狂気の表情を浮かべ、盛大に笑いとばした。
その姿は、ナルストを敬愛するサンディやクーラから見ても非常におどろおどろしいものだった。
「ママ……」
ようやっと片付け物を終え、そろそろ寝ようとしていた母親の後ろから息子の声が聞こえてきた。
「………あら…」
これは母親にとって予想外のことだった。今から2時間ぐらい前、この母親は自分の息子が寝床の中で寝入っているのを確認している。
そしてこの息子はいつもくたくたになるまで外で遊んできて、一旦寝入ったら近くで大声を出しても決して起きてこない寝
つきの良さをもっていた。
その息子がこんな夜に起きてきている。なにかあったのだろうか。
「どうしたの?眠れないの?」
母親が優しく語り掛けると、息子はこっくりと頷いた。
「うん…。僕、お腹がすいちゃった……」
「お腹がすいた……?」
今日の夕食もぺろりと平らげ、おかわりまでしたっていうのに?
ちょっとこれは聞き入れるわけにはいかない。こんなことを一回許して悪い癖になったら大変だ。
「…我慢しなさい。こんな夜に食べたらお腹に悪いわよ。
それに、今は何も作っていないからすぐに食べられるものなんてない……」
「ううん……」
母親の言うことに息子は首を横に振り、母親の裾をきゅっと掴んだ。
心なしか、息子の口元が笑っているように見える。
「あるよ…。すぐに食べられるもの。僕、今すぐ欲しいんだ………」
「ち、ちょっと…、何を言っているの?!」
さすがに息子の様子がおかしいと感じ、母親は顔を引きつらせながら裾を持った息子の手を振り払おうとする。
が、息子の手の先の伸びた爪がガッチリと食い込んで全然離れない。
「欲しいんだ、僕…、ママの……」
息子の顔が母親の目に飛びこんでくる。その顔は餓えと渇きに苛まれ、目の前にそれを満たせるものがあることへの悦びに歪んでいる。
「ママの……、血が!」
「ひっ!!」
母親が生前最後に目にしたのは、乱喰歯を煌かせながら自分の喉に食いついてくる息子の顔だった。
- メルキルスのあちこちから悲鳴と騒音と嬌声が響いてくる。
風に乗ってメルキルス中に舞った吸血鬼の煙が、それまでにサンディたちによって血を吸われた犠牲者達を吸血鬼へと変貌
させ、吸われていない人間たちに向って牙を向け始めたのだ。
父が、母が、息子が、姉が、友人が親戚が知人が恩師が突然血を喰らう化け物になって襲い掛かってくる。
ある地区では吸血鬼が群れを成して襲い掛かり、ある病院では医師が入院患者を次々に襲い始める。
国民を守るはずの兵士は国民を喰らう側に回り、吸血鬼から逃れるために匿ってくれた老婆が実は吸血鬼になっていて襲わ
れた犠牲者もいる。
人々は突然現れた吸血鬼の群れにパニックになり、所々で起こった失火が折からの強風にあおられ、次第に国中に広がっていった。
山岳国家メルキルス王国の最後の日は、こうして唐突にやってきたのだ。
三章終
以上です。長文失礼しました
いよいよ国中が吸血鬼だらけになってきました。もちろん城内も…。彼も誰も吸血鬼に
-
○四章
"ガシャーン!"
"バリーン!!"
「っ?!」
廊下のほうから突然鳴り響いた破壊音に、眠りについていたララディアは反射的に飛び起きてしまった。
(まさか…また侵入者が?!)
昨夜の記憶が一気に蘇り、ララディアは着るものもそのままに枕元に置いてあった剣だけを取り廊下へと飛び出した。
そこで見たものは…
廊下の奥からひたひたと歩いてくる兵士と、こちらに走って逃げてくる兵士の姿だった。
「ラ、ララディア様!!逃げてください!」
首のあたりを抑えて逃げてくる兵士は、ララディアに必死の形相で逃げるように伝えてくる。だが、ララディアはどうにもその
事情が理解できなかった。
「ど、どうしたんだ!なんで逃げている!何で逃げろと私に言うんだ!」
「バ、化け物が、化け物が城中に……」
走り疲れて息も絶え絶えな兵士が必死に事情をララディアに語ろうとしている時、後ろにいた兵士が逃げる兵士に飛び掛ってきた。
ララディアの目に飛び込んできたその兵士の表情は、もはや人間の作り出すそれではなかった。
「ガァーッ!!」
口元から長い牙を光らせた兵士はそのまま逃げる兵士を組み付くと、兵士の首元にがっぷりと噛み付いてきた。
「ぐあっ!…あぁ……」
噛み付かれた兵士は最初こそ苦悶の表情を浮かべたものの、次の瞬間には顔も全身の力も緩ませくたくたとしゃがみこんでしまった。
噛み付かれた首と口の間からだらだらとこぼれる血と、それをズズッズズッと啜りこむ淫靡な音が廊下に響き渡る。
「こ、これって……、そんな……」
その光景に、ララディアは昼間のアレクサンダーとの会話を思い出していた。
人間に襲い掛かり、血を喰らう化け物。それはまさに吸血鬼という存在そのものである。
が、このメルキルスに吸血鬼が来れるはずがない。いるはずがない。そんなことは聞いたことがない。
だが、現実に目の前にいるのは吸血鬼…
「う、う、うわああぁっ!!」
訳がわからなくなったララディアは、衝動的に兵士に食いついている吸血鬼に突進しその頭を思いっきり剣の柄で突き飛ばした。
吸血鬼はその衝撃で口を首から外し廊下にごろごろと吹き飛ばされる。
「ガ、ガウゥ…」
一瞬怯んだ吸血鬼だったが、すぐに体勢を立て直してララディアへ牙を剥くが…
"ドスッ!"
次の瞬間、ララディアの剣が吸血鬼の胸板を貫いていた。
「ガ………?」
最初、自分に何が起こったのか吸血鬼は分からなかったようだが、分からないといった顔のまま前進から青白い炎が発火
して、そのまま燃え尽きてしまった。
「は、はあっ……。や、やっぱり、吸血鬼……なの……?」
ララディアはまだ信じたくないといった思いだったが、血を吸い目の前で発火して消えた化け物を見てしまってはもう吸
血鬼がいるということを受け入れざるを得なかった。
- 「……ハッ!だ、大丈夫か!」
まだ複雑な思いを抱いていたララディアだったが、後ろで血を吸われて倒れている兵士のことを思い出し慌てて駆け寄っていった。
兵士は青ざめた顔をしてぐったりとしており、全く動き出す気配を見せない。
「大丈夫か、おい、おい!」
ララディアは兵士の方を掴んでがくがくと揺すり大声で呼びかけたら、そのかいがあったのか兵士の瞼がぴくっと動いた。
「よ、よかった!痛いところはないか?気分はどうだ?!」
兵士が無事だと分かり、ララディアの顔が安堵に綻ぶ。兵士のほうもぴくぴくと腕を震わせララディアの手を掴もうとしてくる。
「ラ、ララディア様……自分は、大丈夫です……。気分も、悪くはありません……。むしろ、いいくらいです。ただ……」
「ただ……?ただ、なんだ!」
「ただ……」
兵士の腕がララディアの腕をきゅっと掴む。その体温は、凍るくらいに冷たかった。
「?!」
ララディアの顔から血の気が一気に下がる。その時、兵士の表情が一変した。
弱々しげな顔には狂気の笑みを浮かび、薄く開いていた瞳は邪悪な赤い光が灯り、口からは長い牙がぎりぎりと伸びてくる。
「ただ、少々喉が渇いてしまっったのですよぉ!!」
吸血鬼化した兵士はララディアの腕を掴んだままがばりと上半身を起こすと、ララディアの肩に腕をまくり首筋に喰らい
つこうと身を乗り出してきた。
「くっ!」
ララディアは迫り来る牙を頭を捩ってかわし、兵士の胸板を足を入れてドン!と蹴飛ばした。
腕を掴まれているので吹っ飛びはしないもののその拍子でララディアと兵士の間に隙間が開き、その間隙を縫ってララデ
ィアは兵士の心臓に剣を突き刺した。
「グアーッ!!」
たちまちのうちに燃え尽きる兵士を、ララディアは呆然と見つめていた。
情けないことだが、目の前で今まで人間だったものが吸血鬼になり襲ってきたという衝撃と恐怖で少し足腰が震えている。
「こ、これは…どういうことなの?!こんな、吸血鬼が……?!」
その時、ララディアは外からも内からも聞こえてくる破壊音と悲鳴に気がついた。ギョッとしたララディアが自室へと飛
び込んで窓を開くと、眼下に広がる町には所々から火の手が上がり、風に乗って人々の絶叫が星一つない真っ暗な空に響き渡っている。
「何が…、起こっているの……」
これが悪夢というのなら、早く目が醒めてほしい。そうとでも考えないととても今目の当たりにしている光景を受け入れられない。
今日の昼には考えもしていなかったメルキルスの地獄絵図に、ララディアは軽い現実逃避に陥っていた。
(そうよ、これは夢よ…。起きたと思っているのは夢の中のことで、本当の私はまだベッドの中で寝ているのよ…
早く、早く起きてこんな嫌な夢忘れないと……)
"ドオォーン!!"
「きゃあっ!」
突然起こった城を揺るがすほどの爆発に、ララディアは体制を崩して自室に倒れこんでしまった。膝を打った痛み、床の
冷たい感触、鼓膜に響く爆音、全てリアルに感じられる。とても夢とは思えない。
「いったぁ……。
……やっぱり、夢じゃ…ない…」
それにより、ララディアの意識もまた否が応にも現実へと引き戻されていく。今起こっている事象が、覆しえない事実だ
ということが心の中で認めざるを得なくなっている。
城内に吸血鬼が現れ、城下では人々が逃げ惑っている。このままではメルキルスはとんでもないことになってしまうだろう。
そして王も王女も王子も、王子も………
- 「王子!!」
しまった。完全に失念していた。こういう時のために自分はアレクサンダーとアルマリスの護衛についていたのではなかったのか。
目の前に広がる事態に茫然自失となっていて、いま自分が一番為すべき事を忘却の彼方へと置き忘れていた!
「い、いけない!」
ララディアは急ぎのあまり寝巻きを脱ぎ捨てると下着も着込まずに上着を羽織ると、そのまま物凄い速さで部屋を飛び出した。
廊下には何人かのの兵士や使用人…、いや吸血鬼がうろうろしており、ララディアの姿を見るや否や牙を剥き出しにして
襲い掛かってきたが、ララディアはそんなものには目もくれず、自分の行く道を邪魔する吸血鬼だけを切り伏せると下り
階段を一気に駆け下りていった。
「うっ…!」
下の階へと進んだララディアの目に飛び込んできたものは…
所々に倒れる兵士や魔導官。ゆらゆらと起き上がってくる吸血鬼化した人間。人間にかぶりついている吸血鬼。
吸血鬼から逃げる人間。果敢にも吸血鬼に立ち向かう人間。
もはやメルキルス城内は、多数の吸血鬼によって蹂躙されつつあった。
「「「………」」」
早速何体かの吸血鬼が新たな餌(ララディア)を目にして舌なめずりしながら向ってきている。中にはララディアの同僚
だったものまでいる。よく面倒を見てくれた食道のおばさんも牙と爪を光らせて迫って来る。
知っている人間が化け物になって自分を狙ってくる。普段なら怖気が立ち気力も萎えてしまうような状況だが、今のララ
ディアには為すべき事を悟った強い決意がある。
「……どけーっ!!」
ララディアは自分に向ってくる元同僚・知人に躊躇うことなく剣を振り下ろし、廊下を駆け抜けていった。
ただ、ララディアの足はアレクサンダーの部屋には向いていない。全くの別方向だ。
だがララディアには確信があった。今の城内の状況を鑑みて、アレクサンダーがいる場所はあの一箇所しかないから。
一方、アレクサンダーのほうも城内で起こった異常にいち早く気がついていた。もっとも、これは昼間のやり取りが心に
残ったアレクサンダーがなかなか寝付けなかったから異常にすぐ気がついたという偶然の要素が大きかったのだが。
「こいつは…まさか?」
いきなり自室に入ってきて自分に襲い掛かってきた賊が青い炎を吹き上げて死ぬ様を見て、アレクサンダーは昼間にララ
ディアに語った『吸血鬼』という単語を思い出していた。
正直、ララディアと話していた時も本当に吸血鬼の仕業かどうかは確信を持ててはいなかった。ララディアが言った『吸
血鬼が招かれてない城の中に勝手に入れるはずがない』という論点を打破できなかったからだ。
だが、今現実に吸血鬼が城の中に侵入してきている。しかもララディアではなく自分を狙って。
「…ほらみろララディア、やっぱり吸血鬼はいたんだ!」
夜も更けているにも関わらず、アレクサンダーは今すぐララディアのところに飛んでララディアを言い負かしたくなっていた。
まあそれは建前で、実のところアレクサンダーも自分で考えてもあまりにも子供っぽい応対でララディアとの間に気まず
い空気が流れていたので、これを機会に仲直りをしておこうと思っていたりもしたのだ。
とはいえ、城内に賊が侵入したことはこれはこれで見過ごせないことでもある。しかも、自分の部屋の扉にいる衛兵を掻
い潜っての侵入であるから事態は結構深刻だ。
アレクサンダーは賊の侵入を伝えようと部屋から出ようとした、その時
"ドカーン!!"
城を揺るがすかのような爆発と振動がアレクサンダーの部屋中に鳴り響いた。
「?!」
- 何事が起こったのかと部屋を飛び出したアレクサンダーが目にしたのは、廊下を徘徊する多数の吸血鬼と城内で出火して
いるのかもうもうと湧き上ってくる黒煙。
「き、吸血鬼…が、こんなに……?!」
それは、さっき自分を襲った吸血鬼が『アレクサンダーを襲うために外から侵入してきた』ものではないことを意味していた。
内部で溢れた吸血鬼が、たまたま自分の部屋の中に入ってきただけだったのだ。
アレクサンダーの気配に気がついた吸血鬼が、1体2体と振り返りアレクサンダー目掛けてにじり寄ってくる。ララディアなどとの
稽古で剣の腕にはそれなりの自信があるアレクサンダーだが、これほど多数の吸血鬼を相手にしては命がいくらあっても足りない。
そして、これほど城内が吸血鬼に溢れていることにより、アレクサンダーはあることに気がついた。
吸血鬼だけのみならず、例え凶悪な侵入者が来たとしても健常な人間ならその場か逃げ出すことが出来る。逃げ出せれば
そうそう危機に陥ったりはしないものだ。
だが、体が弱って逃げ出すことが出来ない人間がいたらどうなるか…
言うまでもなくその人間は殺されるか餌食になるかであろう。そして、自分の力では逃げ出せないほどに体が弱まってい
る人間を、アレクサンダーは一人知っている。
「……アルマリス!!」
アルマリスの部屋の前には屈強な衛兵が付いている。だが、自分の部屋の衛兵は片方は首を吹き飛ばされて倒れていたし、
もう一人の衛兵はよく考えたらアレクサンダーの部屋に侵入してきた吸血鬼の顔はその衛兵そのものだった。
つまり、衛兵がいるからといっても全くあてには出来ないのだ。
「しまった!アルマリスーッ!!」
アレクサンダーはアルマリスの部屋に猛然と駆け出した。途中行く手を遮る吸血鬼が何体かいたが、それらをアレクサン
ダーは鬼気迫る勢いで蹴散らし、一路アルマリスの部屋へと急いでいった。
アレクサンダーがアルマリスの部屋の前に辿り着いた時、そこを守っているはずの衛兵の姿はなかった。離れなければな
らないほどの非常事態が発生したのか、あるいは…
「くっ!」
アレクサンダーは最悪の事態を想定し、慌ててドアノブに手をかけた。が、鍵がかかっているドアは堅く閉ざされている。
好意的に考えれば中には誰も侵入していないともいえる。だが、侵入者が内から鍵をかけたとも考えられなくもない。
「おい、開けろ!開けろ!!」
アレクサンダーは閉まったドアを力任せにドカドカと叩いた。吸血鬼を呼び寄せるかもしれないとか中に侵入者がいたら
そんなことしても開けるわけないとか考える余裕はない。
すると、内側からガチャンと鍵が外される音が聞こえ扉がギィと軋んだ音を立てて開かれた。
「お、王子様…こんな夜更けに大声を立てて何をしているんですか!王女様のご容態も考えてください!!」
中からは不寝番でアルマリスの看病をしているのであろう一人の侍女がぷりぷりと頬を膨らませて出てきた。どうやら外
の様子には気が付いていないらしい。
「おい!中には他に誰もいないな!アルマリスも無事なんだな!!」
アレクサンダーは血相を変えて侍女に叫び散らしてくる。その切迫した様子に最初は怒っていた侍女も目をぱちくりさせ
てアレクサンダーを見た。
「あ、あの……王子様?よく事情が飲み込めないので……」
「…吸血鬼だ!吸血鬼がこの城の中に入ってきている!ここは危険だからアルマリスを連れて外へと脱出しようと思う!
お前はすぐに兵士を呼んで来い!急げ!!」
「えぇっ?!」
驚いた侍女はもう少し事情を聞こうとアレクサンダーに迫ったが、アレクサンダーにジロリと睨まれ慌ててばたばたと黒
煙が舞う廊下に出て行った。
「全く、時は一刻を争うというのに…!」
要領の悪い侍女に悪態をついたアレクサンダーは、ベッドの中で寝ているアルマリスのそばへと寄っていった。ベッドの
横ではティフォンがしっかりと起きており、動けないアルマリスの護衛を受け持っている。
- 薬が効いているのか、アルマリスの寝顔は意外と安らかだ。だがその顔色は死人のように真っ青で、絶命していると言っ
ても冗談には聞こえないほどだ。
もしこのままここから脱出することになったとしても、はたしてアルマリスの体がそれに耐えられるかどうか、実に微妙
なところだ。
「アルマリス……」
いまだに自分のせいでアルマリスが命の危機を迎えたと思っているアレクサンダーは、現状に例えようのない焦りを感じていた。
アルマリスの容態を考えたらこの場で安静にしているのが一番だと思う。が、この場に留まっていては遠からず吸血鬼の
餌食になってしまうことは疑いの余地はない。
なんとしてでもアルマリスだけは無事に脱出させないと…、そうアレクサンダーが考えている時、後ろの扉がダンダンと叩かれた。
「王子様、私です。扉を開けてください……」
扉の向こうから聞こえてきたのは、先ほど外に出した侍女のものだ。
そのあまりの速さにアレクサンダーは少々不審を抱いたもの、放っておくわけにもいかず扉を開いた。
すると、そこには兵士はおらず俯いた侍女が一人立っているだけだった。
「…随分早かったな。で、兵士はどこだ?」
「………」
アレクサンダーの質問にも侍女は俯いたままで何の反応も返そうとしない。心なしか、口元が微笑んでいるようにも見える。
「おい、何とか言え!こんな所で立っていて、吸血鬼がやってきたらどうするんだ!!」
「吸血鬼、ですか……?それなら……」
笑いを堪えているのか、ぷるぷると肩を振るわせていた侍女が突然顔をアレクサンダーへと振り上げる。
その瞳は、真っ赤な血の色をしていおり、唇からは長い牙が伸びていた。
「もうここにいますよぉ!!」
侍女…だった吸血鬼はそのままアレクサンダーにドカン!とぶつかり床へと押し倒し、そのまま肩を掴んで馬乗りになってきた。
「なっ……?!お前…、なんで?!」
つい今しがたまで間違いなく人間だった侍女がいきなり吸血鬼になって戻ってきたことにアレクサンダーは驚きを隠せなかった。
吸血鬼が人間を襲って仲間を増やすというのは勿論知っているが、侍女が離れて戻ってくるまで数分も経ってはいない。
それほど短時間で人間が吸血鬼化するとは予想もしていなかった。
「うふふふ……王子様の、王子様の血ぃぃ……、とぉっても美味しそぉぉ〜〜〜」
侍女は血への渇望を隠しもせずアレクサンダーを艶かしく見つめ、興奮に渇いた唇をペロペロと嘗め回している。
「く、くそっ……どけぇ……」
アレクサンダーは侍女を突き飛ばそうと体に力をこめるが、どうしたことか指先一本自由に動かせない。それどころか、
徐々に体を傾けてくる侍女に併せて頭が勝手に動いて、その喉首を侍女の眼前に晒す様な体勢になってきている。
「な、なんだぁ…?体が勝手に……ハッ!」
その時アレクサンダーは悟った。今侍女が自分を真っ赤な瞳で見つめた時、その時既に自分は魔眼を受けていたのだ。
「ふふふ…王子様ぁ、じっとしていてくださいねぇ〜。すぐにとぉっても気持ちよくしてあげますからぁ〜〜!
そして王子様にも教えて差し上げますわ。赤い命の水を飲むことの素晴らしさを!!」
口元から涎をだらだらとこぼす侍女は、一刻も我慢できないといった様子でアレクサンダーの喉にむしゃぶりつこうと顔
をアレクサンダーへと埋めてきた。
「ぐっ!!!」
もうこうなっては逃げる術はない。アルマリスを置き去りにして化け物にされてしまうのか……。とアレクサンダーの心
に激しい後悔の念が湧き上がる。
アレクサンダーは観念してぎゅっと瞳を閉じた。だが、侍女の牙が皮膚を突き破る感触が一向にやってこない。
「……?」
不審に思ったアレクサンダーがうっすらと目を開けると…、そこには真っ赤な目を限界まで見開いた侍女の顔が見える。
そして、その胸からは剣の切っ先がひょっこりと覗いていた。
「あ…?あぅ………あぁーーっ!!」
ありえない痛みに胸を押さえた侍女の体が剣が刺さった胸から発火し、たちまちのうちに燃え尽きて灰となって消えていく。
そして、侍女の体が燃え尽きて広がった視界の先には、荒い息を吐きながら剣を突き出しているララディアの姿が見えていた。
- 「ハアッ、ハアッ……。王子、ご無事でしたか………!」
「ラ……ララディア!!」
絶体絶命の危機に現れてくれたララディアに、アレクサンダーは驚きと喜びが入り混じったような複雑な表情を浮かべた。
本当なら素直に謝辞を述べるところなのだが、昼間のわだかまりからなんとなく自分から頭を下げることがしづらい心境
になってきている。
さっきまではよりを戻そうとしていたのに、本人を目の当たりにした瞬間にどうも意固地になってしまうのは多少なりと
も想いを抱いている相手に弱みを見せたくないという青い思いからだろうか。
「………お、遅いぞ。もう少しで殺されるところだったじゃないか……」
少し頬を赤らめ、拗ねるように顔をそむけてボソッと呟いた言葉はとても感謝を述べたとは言いにくいものだったが、こ
れが今のアレクサンダーに出来る精一杯の謝辞だと感じたララディアはクスッと笑うと剣を腰に収めた。
「申し訳ありません。ここに来るまで少々手間取りまして…。でも、王子が予想通りの場所にいて助かりました」
「うっ…!」
そう、ララディアはアレクサンダーの自室ではなくアルマリスの部屋に向って真っ直ぐに進んでいた。何よりもアルマリ
スを大事にするアレクサンダーが、城内の異変に気づいたならいの一番にアルマリスの下へ向うと確信していたからだ。
アレクサンダーもララディアがそこまで自分の行動を読み、躊躇うことなくアルマリスの部屋に向って来たことを理解し
赤かった顔がさらに赤くなった。
それは勿論単純な自分に恥じ入る意味もあるのだが、目の前にいる女性が自分のことをそこまで理解しているということ
への嬉しさから来る照れもあったのだろう。
「…と、とにかく!今はここからすぐに逃げ出さないと!」
アレクサンダーは照れ隠しからか乱暴に起き上がると、わざと大声で捲し立てた。その姿がまたララディアにはひどく年
相応の可愛げのあるものに見える。
だが事態はアレクサンダーが考えている以上に深刻なのだ。ララディアは綻びそうな顔をキリリと引き締めると、アレク
サンダーに語りかけた。
「ええ。ですが、既に城の外も酷い状況です。もしかすると、このメルキルス全土に化け物が襲い掛かってきたのかもしれません」
「?!どういうことだ、ララディア!」
酷く狼狽したアレクサンダーに、ララディアは黙って窓を指差した。
そこからは、赤々と燃える城外の炎が見えている。アルマリスの安否ばかりを心配していたアレクサンダーは、ここで初
めて惨禍がメルキルス全体に広がっていることを知った。
「な、なんてことだ……。これじゃあ、どこにも逃げ場が……」
「…こうなったら、馬で一旦山岳部まで避難しないと収拾がつかないかもしれません……」
勿論これはアルマリスに余計な負担をかける危険な行為だ。だが、現状これ以外にこれといった策も思い浮かばない。
「…ララディア、父上たちの寝室まで僕たちを連れて行けるか…?僕たちだけで城を逃げるわけにはいかない。
なんとしても父上と母上もつれていかないと…。もちろん、アルマリスは僕がおぶっていく」
「………」
正直、戦力にならない二人を抱えてどこから吸血鬼が現れるかわからない城内を駆け、さらに寄り道してまでは守りきれ
る保障などとてもない。王と王妃を見捨てて二人だけを逃がすほうがまだしも可能性がある。
「…うん、難しいのは解る。でも、父上と母上を見捨てるわけにはいかないんだ。頼む、ララディア……」
「王子…」
ララディアはアレクサンダーが他人に対して頭を下げたのをはじめて見た。あのプライドが高いアレクサンダーが頭を下
げるのだから、アレクサンダーにとっては相当切実なことなのだろう。
自分が仕えている相手にここまでされては、とてもではないが出来ないとは言えない。
「……わかりました。この身命を賭してでも、王子の願いをかなえて差し上げます!」
「…ダメだ。ララディアも絶対に生き残るんだ。僕より先に死ぬことは絶対に許さないからな!」
姉弟ともいえる年齢差の主従は、互いの顔を見合って軽く微笑を交わした。
-
アルマリスの部屋に戻ったアレクサンダーは、寝ているアルマリスをそっと抱え上げた。殆ど重さを感じさせないアルマ
リスに、アレクサンダーの顔が僅かに曇る。
薬が効いているアルマリスはまったく起きる気配を見せない。まあ、今起きられてもそれはそれで困るのだが。
「アルマリス…、暫く辛抱してくれ。絶対、無事に逃げ出して見せるからな…」
アルマリスをおぶったアレクサンダーは、途中で落さないように寝巻きの帯でアルマリスの体を自らに縛りつけた。
「ティフォン、お前も絶対にはぐれるんじゃないぞ。お前には、アルマリスを守るという使命があるんだからな」
「…ワウ」
ティフォンは同意したと言わんばかりに軽く吠えた。いよいよ三人と一匹の脱出劇の開始である。
「じゃあ…、行こうか」
「…はい」
"バン!"
覚悟を決めた二人が部屋から飛び出そうとした時、唐突に部屋のドアが開かれた。
「?!」
すわ吸血鬼か!とララディアは剣を構えたが、そこに現れたのは執事長のシャップスだった。
「おお、王子!王女もご無事でしたか!!」
「爺!」
「執事長殿!」
意外な人物の乱入にアレクサンダーもララディアも驚きの声を上げた。
「いやいや、城中化け物ばかりでどうなることかと思いましたわい。なんにせよ、お二人が無事で何よりです!」
「爺も、よくもまあ……」
アレクサンダーの顔には親しい人間が無事でいてくれたことへの安堵の笑みが浮かんでいる。なにしろシャップスとの付
き合いは生まれてすぐからまで遡るのだ。殆ど身内といってもよい。
「ささ、王子。王女は私めが預かりますゆえ、ララディア殿とともに血路をお開きくださいませ!
爺はここまで来るのに剣を振るいすぎ、少々疲れましたわい……」
「いや、アルマリスは僕が連れて行く。これは兄として……」
「そうおっしゃらずに、さぁ王女を……」
何故か強引にシャップスはアレクサンダーにアルマリスを引き渡すようにせがんでくる。
「ダメだ。アルマリスは、僕が……」
そう言いつつ、何故かアレクサンダーは縛っている帯を解き始めた。不審に思ったララディアがアレクサンダーのほうを
見ると、アレクサンダーの瞳は赤く輝いておりその瞳孔には何も写してはいない。
「王子…!」
「ガルルゥーッ!!」
ギョッとしたララディアがアレクサンダーの肩に手を掛けるより早く、傍らにいたティフォンがシャップス目掛けて飛び掛っていった。
「グォッ!!」
自分の右腕に食いつかれ、シャップスは顔を苦痛に歪めた。その目は赤く光っており、呻き声を上げた口からは牙が見えている。
「……ハッ!」
そのショックでアレクサンダーへの魔眼が解けたのか、アレクサンダーの瞳は急激に焦点を取り戻し、アルマリスの帯を
解きかけていた自分の行為にビックリして慌てて帯を締めなおした。
「ええぃ!犬コロが!離さんかぁ!!」
- シャップス…だった吸血鬼は腕を力任せに振り回し、強引にティフォンの牙を引き抜いた。
「ギャイン!」
そしてそのままの勢いでティフォンは宙を飛び、あろうことかガラス窓をぶち破って外まで放り出されてしまった。
「ティ、ティフォン!!」
ララディアが悲鳴をあげた一瞬あとに、ドザン!と地面に何かが落ちた音がした。この部屋は三階に位置しているのでど
う考えても無事にはすまない。
「全く…鬱陶しいケダモノめ…。この傷の代償は、飼い主である王女様の血で償ってもらわねば、なりませんなぁぁ……」
傷口から流れる血を忌々しげに眺めたシャップスは、もはや血への欲望を隠しもしないでアレクサンダーへと眼差しをむける。
「そ、そんな……。爺まで、吸血鬼に……」
アレクサンダーはとても信じられないという風に首を振り、吸血鬼になったシャップスを見ている。そんなアレクサンダ
ーを、シャップスは下賎の者を見るかのように見下していた。
「ああ、これはこれでなってしまえばよろしいものですよ、王子。
なんなら、爺が王子の血を吸って吸血鬼にして差し上げましょうか?また一から、その体にじっくりたっぷりと躾けて差
し上げましょう。この爺の忠実な下僕としての心得をですね!グフフフ!!」
「し、執事長殿……」
ララディアの持つ剣の切っ先もガクガクと揺れている。なにしろアレクサンダーの養育方法を日々語り合っていた者が吸
血鬼として目の前にいるのだ。剣を向けるのもさすがに躊躇ってしまう。
「グハハハァーッ!血を寄越せぇーーっ!!」
シャップスは両手を振り上げ、アレクサンダーに覆い被さろうと飛び掛ってきた。勿論狙いは背中のアルマリスだ。
「や、止めてください執事長殿!!」
シャップスの腕がアレクサンダーに届きそうになるところにララディアが剣を構えて体ごと割り込んできた。が、勢いよ
く飛び掛ってきた上に吸血鬼の持つ怪力に圧されて危うくアレクサンダーの上に倒れそうになり、ララディアは必死に腰
を踏ん張って崩れ落ちるのを防いだ。
「ぬうぅ!邪魔をするなララディアァ!!」
獣欲を剥き出しにしたシャップスの眼が、ララディア目掛けて魔眼を発動させる。人間を支配する赤光がララディアの網
膜に焼き付くが、あらゆる外部からの魔力を無効化する特異体質のララディアには当然ながら効かない。
「ふん!そう言えば大して剣の技量も無い貴様が王子の護衛についていたのはそんな体質だったからじゃな!なら!!」
ララディアの剣を素手で掴み、じりじりと押し込んでいたシャップスは突然膝を突き出しララディアの鳩尾にめり込ませてきた。
「ぐはっ!」
めこり、と食い込んだ膝を中心に体を『く』の字に折ったララディアはそのままアレクサンダーとともに後ろへと吹き飛
ばされ、アルマリスを含めた三人ははそのまま床に折り重なるように倒れてしまった。
「げほっ…、す、すいません王子……」
「ぼ、僕は大丈夫だ……。ア、アルマリスは……」
息苦しさで歪む目で見えるアルマリスはとりあえずは目立った外傷はない。だが、弱っている体にとってこのようなことがいいはずがない。
「ふっふっふ…、どうやらおとなしくなったようですなぁ……」
思うように体が動かないララディアたちへシャップスが舌なめずりをしながらゆっくり近づいてくる。抵抗できなくなっ
た獲物を前に、じっくりと嬲ろうとしているかのようだ。
「では王子、王女を渡していただきましょうか…」
「うっ……」
シャップスの魔眼がアレクサンダーを捕らえ、アレクサンダーの意思とは無関係に手が動き出す。アレクサンダーは力を
振り絞って腕を動かさまいとしているが、それでもじわじわとアルマリスを縛る帯へと手はかかっていく。
「くそーっ!やめろ!やめてくれ爺!!僕にそんなことをさせるなぁーっ!!」
「グハハハッ!!いい、いいですぞ王子!その魂を揺さぶる慟哭!今まで散々ワシの手を焼かせてくれた報いですぞ!
せいぜい絶望に沈みながら、大事な大事な王女をワシに差し出してしまえ!お前の悔しがる顔を肴に、王女の血を吸い尽くしてやる!」
アレクサンダーを見るシャップスの顔は歪んだ爽快感に包まれている。確かにこれまで散々アレクサンダーに振り回され
てきた不満はあるのだろうが、吸血鬼化してそれがさらに醜く歪んだ形で発露されているようだ。
- 「やだっ…いやだぁっ……!」
アレクサンダーはくやしさに泣きながらじわり、じわりと帯を解いていっている。その姿をみてシャップスは嗜虐心を満
たしているのか満足そうにケタケタと笑っている。
「執事長……あなたって人は!」
シャップスのあまりに非道な振る舞いに、ララディアの怒りは一気にも燃え上がった。それまではよく見知った相手、尊
敬する上役、という記憶が先に立ちどうしても剣をむけることに躊躇いがあったが、ここまでアレクサンダーを貶められ
てはそんな思いも吹き飛んでしまう。
「ん?なんじゃララディア、ワシに剣を向けるか?そんなことをしてみろ、お前の剣がワシに届く前に、王子に自分の舌
を噛み切らせてしまうぞ。それでもいいのじゃな?」
「なっ?!」
見ると、アレクサンダーの歯と歯の間にいつの間にか舌がはさみこまれている。もしララディアが少しでも動いたら、シ
ャップスは躊躇いなくアレクサンダーを殺すであろう。
「ひ、卑怯な……」
「あ〜〜?!聞こえんのう。まあ暫くそこでおとなしく見ておれ。王女の血を吸った後でお前の血も……」
"バシュン!!"
「お前の血もす…?!」
そこでシャップスの声は唐突に途切れた。
「あぇ……?」
突然胸に熱い痛みを覚えたシャップスが自分の胸を見ると、そこには焦げ臭い刺激臭とともにぽっかりと貫通した穴が開いていた。
勿論、正確に心臓を貫いている。
「え?な、ななな!!何が起こったの、じゃ!あぁーーーっ!!」
自分に起こった事態がよく飲み込めないシャップスは、その疑問を解決できないままボンッ!っと発火し、あっという間
に灰になって崩れ落ちてしまった。
「「え………?!」」
突然シャップスが燃えて崩れていくところを、ララディアもアレクサンダーも呆然と眺めていた。扉の向こうがいきなり
眩しく光ったかと思うと、次の瞬間にはシャップスの胸板を光の矢が通り抜けていたのだ。
「……よかった。間に合ったみたいね!」
安堵の声を上げて部屋の中に入ってきたのは、突き出した掌から白煙をあげるサンディだった。
「サンディ!無事だったのね!」
ララディアは見知った友の闖入にパッを顔を明るくした。
「全く…油断しすぎよララディア。今は誰が吸血鬼になっていても、躊躇なく手を下さないといけないわ。
例え過去に恩があった人でも、下手に躊躇していたらあなたも餌食にされてしまうわよ」
こんな事態にも関わらず相変わらずのサンディの厳しい舌禍に、ララディアはかえって心が落ち着いた。
だが、アレクサンダーのほうはそんなサンディを疑わしい目で見ている。
「うん、そうだ。油断してはいけない…
サンディ、ちょっとそこで止まるんだ。お前が吸血鬼じゃないという保障は、どこにもないんだからな」
「えっ?!」
アレクサンダーが突然放った言葉に、ララディアは耳を疑った。
「さっきのシャップスだって、人間のふりをして僕たちに近づいてきたんだ。お前がそうしているってのは、十分にありえる」
どうやらアレクサンダーは先ほどのシャップスの件が相当にトラウマになっているようだ。長年仕えて来た爺が吸血鬼に
なり、自分に対して辛辣な罵声を浴びせてきたのだからそれも当然と言えるが。
「お、王子?何を言っているんですか!サンディが吸血鬼だなんて、そんなはずは……」
「そ、そうですよ。ほら、私のどこに牙がありますか?私の瞳のどこが赤いですか?」
サンディもアレクサンダーがそんなことを言うとは思っていなかったようで、慌てて自分の口を開き、眼を見せた。
- その口の中の犬歯は人並みの短さで、瞳は淡く青みがかっている。
それを見てもなおアレクサンダーは注意深くサンディを見ていたが、まあ納得したと言う風にこくりと頷いた。
「……わかった、サンディ。疑って悪かった」
「…いえ。今の王子の考えももっともです。今は誰が自分に襲ってきてもおかしくはない事態なんですから…」
「サンディさん!!」
その時、また扉の向こうからララディアにとって聞きなれた声が聞こえてきた。物凄い速さで部屋の中に飛び込んできた
のは、長槍を携えたクーラだった。
「サンディさん!国王陛下の……ああぁぁっ!!先輩!!」
「……クーラ!!」
いましがたサンディを目にした時もホッとしたものだが、今度のクーラとの再会はララディアにとってはまさに僥倖と言えるものだった。
今朝の件でもしっかり謝りきれなかったのではないかと心にずっと引っかかっており、アレクサンダーを探している時も
心の隅でクーラの安否をずっと気遣っていたりしていたのだ。
「よかった……!あなたも無事だったのね……」
「せ、先輩も……、無事で何よりです…!」
少し瞳が潤んでいるララディアに対し、クーラもボロボロと涙を流してきた。よっぽど無事に再会できたのが嬉しいのだろう。
だが、再会を喜んでいる時間はなかった。実際にそんな余裕はないというのもあるのだが、アレクサンダーが血相を変え
て二人の間に割り込んできたのだ。
「父上が?!父上がどうしたと言うんだ!おい!!」
クーラがサンディに言おうとした『国王陛下が』という単語に目ざとく反応したのだろう、アレクサンダーはアルマリス
を抱えたままクーラへとがぶり寄っていった。
「おい!早く答えろ!!」
「えっ…ああ!そうそう!
陛下の寝所の周りの部屋から火が出たみたいで、慌ててみんなで火を消そうとしたらどこからかわらわらと化け物が現れて…
みんな、陛下を守るのと火を消すので大パニックになっているんです!」
「?!」
それはアレクサンダーだけでなくララディアにも大きなショックを与えてきた。クーラの言うことが事実だとしたら、城
中を捲いている黒煙の元は国王の部屋近くであり、昨日から出てきていた吸血鬼たちの目標が国王その人であるかもしれ
ないと言うことを意味しているからだ。
「お、おい!父上は、母上は無事なんだな!そうと言え!!」
「そ、それが…、火の周りの速さと化け物への対処に追われて陛下の安否はまだよくは…
なにしろ、寝所の扉もずっと閉ざされたままで中からは何の声も聞こえなくて……」
つまり、安否は全くの未確認ということである。アレクサンダーの顔から血の気がザアァっと引いていった。
「そ、そんな…父上、ははうぇ……」
腰が抜けたようにへなへなと崩れ落ちていくアレクサンダーを、ララディアは何とか途中で抱きかかえた。
「しっかりしてください王子!まだ国王陛下も王妃様も死んだと決まったわけではありません!
私が何としてでも、陛下と王妃様をお救い致してまいります!」
もともと、アレクサンダーの願いで国王夫妻を救出に行く予定だったのだ。現場の状況がわかったのは、むしろ救出する
にあたって都合がよいことであろう。
「王子がそんな弱気なことでどうするのですか!今の王子はアルマリス様の命も握っておられるのですよ!
そんな心持ちで、アルマリス様を無事にここから脱出させられると思っておられるのですか!」
「!!」
ララディアの激しい檄に、アレクサンダーはハッと顔を上げた。そう、今のアレクサンダーは自分だけを考えていればいい
というのではない。アルマリスの無事も考えなければならないのだ。
- 「…そうだ。僕はどうなっても、アルマリスだけは助けないといけない……。弱気になんて、なっていられないんだ…!」
「王子、アルマリス様のこと…お任せできますね?」
ララディアの問いかけにアレクサンダーは僅かに、しかし力強く頭を縦に振った。
「ああ…、勿論だ!」
しっかりとした男の顔を見せたアレクサンダーに、ララディアは慈しむような微笑を向けた。
「では、アルマリス様は王子が責任を持って守ってくださいね…
サンディ、王子と王女を何とかして城の外に逃がしてあげて頂戴。かなり困難だとは思うけれど…」
「なによ、バカにしないでよね。王子と王女を吸血鬼の群れから逃がすなんて訳も無いことよ。
私の面子にかけて、王子と王女は絶対に安全な場所に連れて行くわ」
サンディもこんな絶望的な局面にもかかわらず努めて明るく笑顔を湛え、親指をグッと上げてララディアに応えた。
ララディアもああは言ったが、サンディになら任せられるという安心感もあった。吸血鬼などの化け物を相手にする時は
ララディアみたいな力押ししか出来ない戦士より、いざというときには相手をかく乱できたりもする魔導士のほうが都合がいい。
「じゃあ任せたわサンディ!
王子!陛下と王妃様を必ずお連れしてきますから安心なさってください!」
「あぁ待ってください先輩!!私も行きます!」
そう言うなり、ララディアは扉の外へと飛び出して行き、その後を慌ててクーラが追いかけていった。
「…では王子、決して私から離れないでくださいね。ララディアとの約束どおり、王子を『絶対に安全な場所』までお連れしますので」
「あ…、ああ」
いつにない真剣な眼差しのサンディに、アレクサンダーは思わず無意識にこくりと頷いてしまった。
いや、はたしてそれは本当に『無意識』であったのだろうか…?
「クーラ!ちゃんと付いてきている?!」
「は、はい!!」
王と王妃の寝室へ向う道は、やはりというかかなりの数の吸血鬼が列をなしていた。それらの多くは吸血の本能に脳内を
支配され、闇雲にララディアたちに突っ込んでくるので対処はしやすいのだがとにかく数が多い。おまけにもうもうと煙
る黒煙が視界を悪くしているので自分のほうにかかりっきりになり、クーラにまで注意を回せなくなっている。
(くそっ!なんでこんなに吸血鬼が多いのよ!)
吸血鬼に血を吸い殺された犠牲者は新しい吸血鬼になる。これはララディアも知っている一般的な吸血鬼への知識だ。だ
から吸血鬼を放っておくとどんどん吸血鬼が増えていって手遅れになることも承知している。
だが、にしてもこの吸血鬼の数は異常だ。昨日の夜まで、吸血鬼の『き』の字すら見たことがなかったのに、一夜にして
こうも数を増すなどというのは理解が出来ない。が、現実に吸血鬼が溢れている状況は変わりはしない。
(とにかく…、早く陛下と王妃様を!!)
状況から見て手遅れという可能性は非常に高いが、ララディアは『約束』を守るため国王の部屋へとひたすら進んでいった。
後ろからはクーラがわぁわぁ言いながら槍を振るっている音が聴こえて来る。吸血鬼の攻撃の苛烈さからクーラの状況ま
で見る余裕はないが、この声が聞こえている限りは問題はないだろう。
何か心に引っかかるものはあったが、ララディアは後ろを押さえるクーラを信頼して前へと血路を開いていった。
「これは…」
国王の部屋へと辿り着いた時、そこは一寸先が見えないほどの煙に覆われていた。そのまわりには吸血鬼はいないが、国
王を守る衛兵も姿を消していた。吸血鬼を追い払いに行ったのか、それとも吸血鬼に追われていったのかはわからない。
「陛下…陛下!!」
ララディアは閉ざされた扉をがんがんと叩いた。が、中から返事が聞こえてくる気配はない。
「陛下、陛下…ハッ!」
- その時ララディアは恐るべき事態に気がついた。あたりを漂う黒煙が、国王の部屋の扉の隙間からもくもくと漏れていることに。
それはつまり、ここの煙の発生源が国王の部屋の中という可能性があるということだ。
「へ、陛下ぁ……?!えっ、鍵が……開いている?!」
血相を変えたララディアが思わず扉を押すと、鉄製の扉は軋んだ音を立てて動いた。この時間なら鍵がかかり、決して外
から開くはずのない扉が。
(まさか、中に吸血鬼が……?!)
事は一刻を争う。もうララディアは後先考えずに扉をこじ開け、ブワッと噴出してくる煙に構わず部屋の中に入っていった。
部屋中に充満する煙で視界が奪われるが、そんなことに構っている暇はない。
どうやら煙は全開に開け放たれた窓から入ってきているようだ。部屋が直接燃えているのではないので多少は安心したが
二人を見つからなくては意味がない。
「陛下!王妃様!!」
ララディアは必死に王たちに呼びかけたが、やはり返事は帰って来ない。というより、この部屋の中に生きている人間の
気配はまったくしない。
「陛下……?王妃様……?」
ベッドの布団も捲ってみたがもちろん誰もいない。敷布団を触ってみたが、そこには温もりは感じられなかった。
ということは、相当前から王も王妃もこの部屋にはいなかったということになる。
「でも、クーラが言うことには……」
待て
何かおかしくないか。クーラは部屋の周りから火が出たといっていた。確かに部屋は煙に撒かれているが火が出ている気配はない。
輻射熱もないし、延焼もしている様子はない。
部屋の中も争った気配が全くない。吸血鬼と兵士が打ち合っていたのならそれなりに被害が出ていなければおかしい。
そして、さっきは気づきもしなかったが…、部屋の外に火を消した形跡が全くなかった。クーラは確かに火を消すと言っていた。
「…クーラ……、いるの?」
「えっ?何言ってるですか?もちろんいますよ〜〜」
ララディアの後ろからはクーラの能天気そうな声が聞こえてくる。この場には酷く不釣合いなほど明るい声が。
「あなた…、さっきこの部屋の周りが燃えているって…言ってたわよね?」
「はい。でもどうやら消えたみたいですね。よかったです」
後ろからクーラの声は聞こえる。だが、ララディアにはどんなに神経を尖らしてもこの部屋に自分以外の人の気配を感じることが出来ない。
「陛下も王妃様も……、随分前からこの部屋にはいないみたいなんだけれど……」
「多分先輩の気のせいです…」
そうだ、さっきから何の違和感があったのかをようやく確信することが出来た。
自分の後ろからついてきたクーラ。掛け声や剣戟の音は聞こえていたのだが…、なんでか足音は全く聞こえていなかった…
(……まさか…?まさか……!)
ララディアの心に考えたくない、しかし、考えざるを得ない思いが浮かび上がってくる。
「…どうしました?先輩。そんなに固まっちゃって……」
心なしか、クーラの声が大きくなっている気がする。クーラがこっちに近づいてきた足音はしていないのに。
「クーラ……、つかぬ事を聞くけれど……。あなた、昨夜私の部屋に来なかった……?」
あまりに直球な質問。だが、こうなったら早く白黒はっきりつけたほうがいい。
「………」
クーラの返事はない。だが、代わりにララディアは背後に強烈な殺気を感じた。
「!!」
ある程度予感はしていたララディアはすぐに腰を浮かせ前へと飛びのいた。直後、ララディアがいた空間を凄まじい風切
り音を伴ったクーラの掌が横薙いでいった。
- 「クーラ?!」
「ちぇっ、やっぱ先輩は勘がいいですね。完璧に騙せたと思ったですのに…」
背後からクーラの舌打ちと心底悔しそうな声が聞こえてくる。いまだ信じられないという面持ちで振り返ったララディア
が見たものは、自分を慕う後輩という仮面を脱ぎ吸血鬼の本性をあらわにしたクーラの姿だった。
「クーラ…、やっぱり……。でも、あなたまで……!」
予想はできていたが信じたくない現実に、ララディアの顔には怒りとも悲しみともつかない涙が流れてくる。
が、クーラはそんなララディアへ小馬鹿にした嘲笑を向けていた。
「あっ、先輩。私を心配してくださるんですか?やっぱ先輩は優しいですね〜〜〜
でも、大きなお世話です。私は望んでこの体になったんです。先輩をこの手に入れられる。素晴らしい体に」
ララディアを見るクーラの赤い目は酷く淫靡な輝きを放っており、そのおぞましさにララディアの背筋にゾクッと悪寒が走った。
今までもクーラにこんな視線を向けられたことはあった。だが、今のクーラからは明らかにララディアの体を狙っている
という明確な意思が感じられている。
「全く…、普通ならこれでもう先輩は私の言いなりになるのに…。先輩の力、やっぱり厄介ですね。ここにつれてきて正解でした」
「何を……ああ、昨日と同じ事ね……お生憎様、私には魔眼は効かないから……?!」
つまり、クーラは昨夜と同様魔眼を放っているのだろう。魔力が効かないララディアには、ただクーラが自分を睨んでい
るようにしか感じないが、普通の人間ならこの時点でクーラに心を奪われているに違いない。
少しは心にゆとりを持ったと思ったララディアだったが、クーラの言葉のある部分にひどく違和感を覚えた。
クーラは『ここにつれてきて正解』と言った……?
「ってちょっと待って!『ここにつれてきて』ってどういうこと?!」
「言葉どおりです。私と先輩と一対一になれたということ。先輩がご主人様の邪魔をすることなく、私がゆっくりと先輩
の血を吸えるということですよ……。なにしろ、先輩はいつも王子にピッタリ寄り添ってましたからね……!」
最後のほうにはクーラの声には明らかな毒が含まれていっていた。もしかするとアレクサンダーに対する嫉妬だろうか。
「クーラ?!それってどういうこと!答えなさい!!」
クーラが言ったことではララディアの質問に対する明確な答えにはならない。が、ララディアにはある嫌な予感があった。
クーラにはララディアの血を邪魔されずに吸いたいという思惑があるのは間違いない。だが、それは副次的な思惑ではないのか。
ララディアの血を吸うために邪魔なアレクサンダーを取り除いたのではなく、アレクサンダーをララディアの手から離さ
せることで、結果ララディアを孤立させることになったのではないか……
「うふふ。その焦り顔……。先輩ももう分かっているんじゃないですか?
陛下も、王妃も、王子も王女もその血をご主人様に捧げられるために集められているんですよ。あ、もう王妃は死んじゃってますけど」
「!!そんな…、だって王子はサンディが……まさか!!」
「そうです。サンディさんもとっくの昔に吸血鬼…ご主人様の下僕になっていたですよ。知らないのは間抜けな先輩だけ…キャハハ!」
ララディアはあまりの事態に愕然とした。自分が気づかぬ間に、友人と後輩が吸血鬼に堕ちていたなんて!
しかも、それにまんまと嵌められアレクサンダーとアルマリスを命の危機に晒すことになってしまった。
これを不覚と言わずしてなんと呼ぶだろうか。
「そんなに悲しまないでください先輩…。先輩もすぐに分かります……。血を吸われることの気持ちよさを!!」
そう言うなり、クーラは両腕を振り上げ牙を剥き出しにして襲い掛かってきた。そこにはもう闇に隠す必要もなくなった
欲望剥き出しの獣としてのクーラがいた。
「…クーラ!」
ララディアも内心ではクーラを討ちたくはなかった。いくら人外に堕ちたとはいえ、今までのクーラの記憶も人格も持っ
ているのだから躊躇いも生じるというものだ。
だが、今は一刻も早くクーラを排除しなければならない。クーラに手間取れば手間取るほど、アレクサンダーの命が危なくなるのだ。
「どきなさい、クーラ!」
ララディアの剣が手加減無しにクーラへと振り下ろされる。クーラも鋭利な爪をぶつけて剣を弾くが、その顔には躊躇い
なく剣を奮ってきたララディアへの驚きと、ララディアが剣を容赦なく振るっている理由への強い嫉妬が見えている。
- 「先輩……、そんなに王子のことが大事ですか……。私より、王子のことがずっとずっと大事なんですね……。許せない……
絶対に許せない!あんなバカ王子なんかより、私のほうが先輩のことをずっとずっと大事に思っています!!
私の力で、先輩の心からバカ王子のことを消してあげます!私しか見えない、私しか考えられない、私だけの先輩にしてあげます!!」
嫉妬に狂ったクーラはメチャメチャに腕を振り、ララディアに齧り付こうと牙をガチガチ鳴らしてきている。その迫力に
ララディアも次第に圧され始めていた。が、ララディアも引くわけにはいかない。
ガィン、ガィンと剣と爪がかち合うたび、薄暗い部屋で眩しい火花が飛んでいる。クーラが必死ならララディアも必死だ。
「…いい加減にしてください、せんぱぁいーーーっ!!」
少し間を開けていたクーラが、一気に片をつけようと思いっきり踏み込んでララディア目掛け突っ込んできた。その勢い
でララディアの懐に一気に飛び込む算段なのだろうが、これはララディアも読んでいた。
「クーラ……ごめん!」
ララディアの手に持った剣が、疾風の勢いでクーラ目掛け突き出された。狙いは勿論クーラの心臓である。その速さとク
ーラの突進力を考えれば、とてもかわせるものではなかった。
が、クーラもそれを読んでいた。
ニィッと笑ったクーラは突き出されてきた剣に対し、左手を下からブンと振り上げた。勿論クーラの左手は切っ先が入っ
た肘からスパーンと両断されたが、その勢いで剣を持つララディアの手も思い切り上へと開け放たれてしまった。
「あっ……!」
クーラの捨て身の戦法にララディアは完全に虚を突かれてしまい、気が付いた時にはもはや手遅れな位置まで接近を許してしまった。
「せんぱいーーーっ!!」
クーラは残る右手をララディアの肩口に回してしっかりと押さえ込み、その勢いに乗って一気にララディアの喉笛に牙を穿った。
「あぐっ!!」
クーラの牙が刺さった瞬間ララディアの体には鋭い痛みが走り、その次に全身が蕩けるような気だるさに包まれていった。
吸血の悦楽は吸血鬼の魔力によってもたらされるものだが、いくら魔力を弾く力を持っているといっても体に直接流し込
まれてしまっては全く効果がないというわけにもいかないのだろう。
ララディアの顔は見る見るうちに快楽に蕩け、呆けたような表情へと変わっていく。
「はぁ……はぐっ……!」
『うふふっ。先輩…気持ちいいんですね。私の牙で気持ちよくなっているんですね…?』
頭に響くクーラの声にもララディアは全く反応できない。今まで感じたこともない自分を蝕む魔力の奔流に、全身が軽い
パニックを起こしているのだ。
ガタガタと震える下半身はララディアの体重を維持できずガクンと崩れ落ち、そのままクーラを巻き込んで床へと倒れこんでしまった。
『あ〜あ、腰抜かしちゃってぇ…。先輩、かわいぃ……!』
クーラはそのままララディアに覆い被さる形になり、じっくりとララディアの血の味を堪能した。吸われる快感にドロド
ロに蕩けているララディアと同様、クーラもまた想い人の血を吸う快感に紅い瞳を潤ませ、鼻を鳴らしながら血を飲み続けた。
「ぷはぁ……おいしぃ……。先輩の血の味、思っていた以上の美味しさでしたよぉ……」
ある程度吸って満足したのか、クーラは長いこと埋めていた牙をぬぬっと引き抜いた。ララディアの噛み跡からは真っ赤
な血がこぷこぷと湧き出し、ララディアの白い肌に艶かしいアクセントを添えている。
「ハァッ……ハァッ……。ク、クーラァ……」
ララディアのほうは顔を真っ赤にし、全速で走った後のように全身汗だくでゼェゼェと荒い息を吐いていた。その体質か
らかクーラを見る目にはまだ正気の光が宿っているものの、血を吸われた事による軽い貧血と全身を包む吸血の快楽の余
韻で体が全く言うことを聞かない。
完全に抵抗する術を失っていつつもいまだに自分の手に堕ちないララディアに、クーラは嗜虐心を剥き出しにした笑みを浮かべた。
「そうです、先輩。先輩はそうでなくてはいけないです。簡単に堕ちる先輩なんて興ざめもいいところです。
んふふふ……先輩。これからじぃっくりと、先輩に私を刻んでいってあげます。そして、身も心も完全に私のものにな
ってもらいますからぁ……。アハハ、すっごい愉しみぃ……!」
これから繰り広げられる素晴らしい光景を想像し、クーラは股間に手を添えながら血の付いた唇をぺろりと舐めた。
「クーゥ、ラァ……」
そんなクーラの姿を、ララディアは泣きそうな顔で見ていた。
続
-
一方、ララディアと別れたアレクサンダーはサンディと一緒に所々燃え上がる城内を駆け抜けていた。
アレクサンダーはアルマリスを抱えているために両手が塞がっており、もし吸血鬼が襲ってきたら為す術がないが、サン
ディの誘導がいいのかそれともまだこの辺りまで吸血鬼が侵入していないのか、アレクサンダーたちの行く手に吸血鬼が
現れたことはまだなかった。
ただ、気になることはある。
(…なんですぐに城の外に出ようとしないんだ…?)
そう。なぜかサンディは王室関係者なら誰もが知っている裏手の隠し扉へ通じる道を進まず、回り道をするように先を進んでいた。
その結果、吸血鬼と会わずにすんでいるならそれはそれでよいことなのだがそれにしても不自然だ。
「サンディ、なんで隠し扉のほうへ進まないんだ?!」
「…こっちの道のほうがより安全だからです」
周りへの注意が散漫になるのを承知でアレクサンダーはサンディに呼びかけたが、サンディはこっちへ振り返りもせずし
れっと言葉を返してきた。
まあ、そう言われてしまえば身も蓋もないし吸血鬼と遭遇しないのは事実なのだがそれでもアレクサンダーには納得がいかない。
アレクサンダーとしては、一刻も早く城から出てアルマリスを安全なところに避難させたいのだから。
「今は安全でも、これからも安全ということはないだろう。アルマリスのことを考えても、一刻も早く城をでなければ…」
「大丈夫です。大丈夫ですから全てこの私にお任せください」
サンディはアレクサンダーの言うことを全く聞こうともせず、急かすようにずんずんと先に進んでいく。アレクサンダー
もさすがに少々ムッとしたが、ここでサンディとはぐれてしまうと吸血鬼たちの真っ只中に抵抗も出来ない状態で取り残
されてしまうので渋々ながらついていくしかなかった。
とは言っても、ここまで無視されると反抗したくもなってくる。
(ここからなら、まだ隠し扉までは遠くはないはずだ…)
途中で助けも得られない状態で吸血鬼に襲われるリスクを承知しながら、アレクサンダーは単独で隠し扉のほうへと進も
うと決意し、そちらのほうへ脚を進めようとした。ところが、
「王子、そちらではありません。ちゃんと私についてきてください」
後ろに目でもあるのか、サンディは前を向いたままアレクサンダーに声をかけてきた。その声は冷静ではあるのだが、異論、
反論を許さない圧倒的な威圧感を伴っていた。
「うっ……」
最初はサンディの言うことなど無視しようとすら考えていたアレクサンダーだったが、その声に気圧されるかのように踵
を返して素直にサンディの後を追い始めた。
(なんだ……今の感覚は……)
サンディが発した、まるでアレクサンダーの魂に直接呼びかけるような声に、アレクサンダーは軽い戦慄を覚えた。サン
ディの声を聞いた途端、自分の心がそれに拘束され否応なしに従ってしまったような反吐が出そうな感覚。
束縛されることが何よりも嫌いな自分が、その意に反して無理矢理従わされたみたいで非常に腹立たしい。はずなのだが
それがまるで当たり前のようにも感じられる。それがまたアレクサンダーの癇に障っていた。
(本当に…このままサンディについていっていいのだろうか……?)
サンディが自分を陥れるとは考えられないが、なぜかアレクサンダーにはサンディが外に出る気がないような気がしてならなかった。
まるで、自分たち二人をどこかに誘導しているような…
「………っ!」
このままサンディについていったら危険だ!アレクサンダーの直感はそう判断し、サンディについていこうとする体を無
理矢理押さえつけ、元来た道を全速で駆け始めた。
「…あっ、王子…!」
後ろでサンディが何事か喚いているがそんなものを聞いている余裕なんかない。とにかくアレクサンダーは本来行こうと
していた隠し扉へのほうへ走っていった。
「ハアッ、ハアッ…!!」
決して重くはないアルマリスの体が、疲労のためかやけに重く感じる。でも、苦しいのはアルマリスのほうがずっと大きいはずだ。
とにかく安全なところまで逃げ延びて、アルマリスを休ませないといけない。
とにかくアルマリスを助けないと!の一点だけを思って疲れた体に鞭をうち、アレクサンダーは隠し扉へ向う廊下をつき当たった。
その時、
「いけませんねぇ王子、勝手に道を進まれては…」
廊下の真ん中に、置き去りにしたはずのサンディが不機嫌そうに立ちはだかっていた。
- 「……なっ?!」
アレクサンダーは目の前に立っているサンディを見てギョッとした。
サンディがこの場所に先回りできるはずがない。さっきの場所からここに通じる道はほぼ一本道だ。
自分はサンディに抜かされた記憶はない。サンディが自分より速く走れるとも思えない。外壁を渡れば回りこむことがで
きるかもしれないが、そんなことは人間には不可能だ。
「うろちょろされたらこっちもいい迷惑なんですよ。時間通りに事が運ばないではないですか……」
サンディは頭をこりこりと掻きながら、面倒くさそうにアレクサンダーに話し掛けている。それはどう見ても、この国の
王子に対してかける態度ではない。
「とにかく、王子は私の後をついてきてくれればいいんです。余計は事は一切しないようにお願い致します」
「うるさい!僕は自分の判断でこっちのほうが安全だと感じたんだ!僕はこっちの道から外に出る!
サンディ、そこをどけ!!これは命令だ!!」
あくまでも自分の後をついてこさせようとさせるサンディに、アレクサンダーはとうとうぶち切れた。本来こうやって高
圧的に接するのはアレクサンダーは嫌っているのだが、サンディへの不信感も相まってついついアレクサンダーはサンディに
派手に怒鳴りつけてしまった。
ここまでアレクサンダーを怒らせてしまっては、普通なら辟易していいようにさせるか逆切れしてアレクサンダーを叱り
飛ばすかの2択になるはずだ。
だが、サンディはそんなムキムキしているアレクサンダーを、ひどく醒めた目で見ていた。口元には嘲笑すら浮かんでいる。
「命令?命令ですってぇ……。私に、命令するんですか……」
「ああ!命令だ!メルキルスの王子アレクサンダーとして……」
「うるさい」
カァッ!
その時、アレクサンダーをギロッと睨んだサンディの瞳が突然赤く光った。まるで血のような赤い光は、そのままアレク
サンダーの目の中に飛び込んでいった。
「うっ!」
その光を目にした途端、アレクサンダーの体は全く動かなくなり、声さえ発することが出来なくなってしまった。
「あ……、あ ぁ…?!」
「ふぅ……。こんなことなら、最初から使っていればよかったわね。全く余計な時間と力を使わせてくれるわ。このバカ王子は…」
何が起こったかわからず混乱するアレクサンダーに、サンディは悪意まるだしの視線を向けていた。
「さあ王子、今度こそ私の後を付いてきてもらいますよ。もう絶対に寄り道なんかさせませんから……」
目を赤く輝かせたまま、サンディは元来た道を進み始め、その後をまるで操り人形のようにアレクサンダーはついていった。
(な、なんだ?!声が出せない!体が勝手に動く!!)
自分の体が自分の思い通りにならない。それはさっき吸血鬼化した侍女やシャップスにされたのと同様のことであり、そ
うされるということは、つまり前にいるサンディは…
(まさか……っ!)
その時、アレクサンダーはようやっと気がついた。前を歩くサンディから、全く足音が聞こえていないことに。
「ふふふ…、いい子ですね王子は。いつもこんなに聞き分けがよろしかったら、私も苦労しないですんだんですけれどね」
アレクサンダーが自分の正体に気づいたのを悟ったのか、それとももう隠すこともないと考えたのか、サンディは口元か
ら獣のような牙を覗かせながら低く笑った。
「………っ!」
声を出せない口をパクパクと動かし、止められない足をなんとかしようともがくが、魔眼に囚われてしまった体はもはや
指一本すらアレクサンダーの自由にはならなかった。
しかも、先ほど助かったのもアレクサンダー自身が吸血鬼の呪いを解いたり倒したのではなく、何かしらの乱入者があっ
てのことだ。アレクサンダー本人には吸血鬼と対峙し倒せる力など持っているわけがない。
「さあ参りましょう王子。これからあなたと王女を『絶対に安全な場所』までご案内いたしますから。
有象無象の吸血鬼など絶対に手出しができない。私たちの主のおわす場所に、ねぇ……」
「……ぐっ……!!」
唯一意志のままに動く顔を悔しさに歪ませながら、アレクサンダーはサンディの後をふらふらとついていった。
-
所変わって、こちらは国王の寝室。
クーラに血を吸われ、強烈な脱力感と陶酔から立ち上がることが出来ないララディアにクーラがゆっくり跨ってきた。
その股間の鎧の隙間からはぽたぽたと蜜が漏れララディアの胸元に垂れ落ちてきている。普通、それは体温で温められて
いて少々温いはずなのだが、吸血鬼となって体温が失われているクーラの体から溢れてくるそれはまるで氷水のように冷たかった。
「あははぁ……、私の下に先輩がいるぅ……!何の抵抗もできない先輩がぁ……!!
もう、もう先輩は私のものなんです。この口も……」
鋭く爪が伸びたクーラの指がララディアの口内を舐る。
「このおっぱいも……」
急ぎのあまり鎧を着てこなかったララディアの上着の上から、クーラが胸をぎゅっと掴む。
「この大事な大事なところも、全部私のものです……」
ズボンの隙間から冷たいクーラの掌が下腹部を通ってララディアの股下に潜り込んだ。
「くっ……」
自分の体のあらゆる部分をクーラに蹂躙され、ララディアは屈辱と羞恥で顔を真っ赤に染めた。が、抵抗しようにもその
身体はいまだに言うことを聞かず、クーラのなすがままにされるしかなかった。
「ふふふ…。じゃあまず先輩に、自分が誰の所有物なのかということをその身に教えてあげます」
鎧の腰巻に手を伸ばしたクーラは、そのままララディアの真上で金具を外しぼたりと腰巻をララディアの胸の上に落とした。
軽い衝撃にララディアは少し目を細めたが、次の瞬間その双眸は驚きで大きく見開かれた。
「ク、クーラ……。あなた、それ……」
ララディアの目に入ってきたのは、自分の頭上で隆々とそそり立つクーラの股間から生えた男性器だった。
それは今まで鎧で押さえつけられていた反動からか猛々しいまでに膨れ上がり、青筋が張った幹は非常におぞましく、竿
の天辺からはこぷこぷと先走りの液が湧き出て逸物全体を妖しく滑り光らせていた。
「ひ、ひどい…。なんてことを……」
女性には絶対にあるはずのない器官。それを目の当たりにしララディアは大きな悲しみと憤りを感じていた。それは、ク
ーラに生えたそれがクーラが吸血鬼にされた際につけられたものだと思ったからだ。
「あ、勘違いしないでくださいね先輩。これは、元々私の体にあったものなんですから」
だからクーラは、ララディアが見せた感情の動きを察知してすぐに否定してみせた。
「そう。このおちんぽは生まれた時から私の体に付いていたんです。これを知っているのは両親とご主人様たち吸血鬼の
仲間だけです。あ、先輩はもうすぐ仲間になりますから後者ですね。うふふっ」
バキバキに勃起したペニスを右手で扱きながら、クーラは愉しそうに目を細めた。
「大変だったんですよ。先輩がそばにいる時、いっつもおちんぽが破裂しそうなくらいおっきくなって、ちょっと下着と
擦れただけで軽く射精しそうになるんです。
そんな時はすぐに部屋に戻って、両手で思いっきりおちんぽ扱いて抜くんです。ベッド一杯に精液吹き飛んで、いっつも
洗濯に苦労したんですぅ」
その時の光景を思い出しているのか、クーラはうっとりとした目であさっての方向を向いていた。手元のペニスはますま
す大きくなり、何かもう別の生き物のように見えてくる。
「これを膨らますたび先輩のことで心が一杯になり、とっても切なかったです。先輩のことを想って真夜中に千擦りした
ことも一度や二度じゃありません…」
「クー、ラ……」
少し物憂げにしながら肉棒を擦るクーラを見て、ララディアは後輩のずっと秘めていた想いを知り言葉に詰ってしまった。
確かにクーラは自分に懐きよく後ろをついてきたものだ。でも、それが敬愛ではなく恋慕からくるものとは思いもよらなかった。
しかも、単純な同性愛的な感情ではなく、本人に男性器が付いていて本当に結ばれたいと思っていたなどとは。
「ずっと…、先輩のことを想ってました。でも、こんな不気味な体で想いを口にすることなんてできるわけないです。
言っても、絶対先輩は気味悪がって私のことを拒絶するに決まってます…」
自分で言っていて鬱になったのか、クーラの顔はずぅんと沈んだ暗いものになっていた。
- 「でも……」
そこまで言ってクーラはペニスから手を離し、沈んでだ顔にはニィッと嗜虐的な笑みを浮かべ、ララディアの後頭部をガッと掴んだ。
「吸血鬼になって手に入れたんです。欲しいものを手に入れる力と心を!!」
そのままクーラは腰を前に突き出し、ララディアの口に自らの膨らみきった怒張を突き入れた。
「んんぅっ!!」
口一杯に入り込んできたクーラのものは、体温が無いはずなのに燃えるような熱さをもち、肉棒の周りにへばりついた粘
液の塩っぽい味とともにララディアの口の中に広がっていった。
「きゃはあぁっ!!先輩の口、やっぱりとぉっても気持ちいい〜〜〜っ!!」
口と気道の一部を塞がれた事で顔を苦しそうに歪めるララディアとは対照的に、クーラはララディアを征服できた悦びと
粘膜を包む熱い感触に満面の壊れた笑みを浮かべていた。
あまりの気持ちよさから中腰になっている脚はガクガクと細かく揺れ、瞳は半分白目をむいている。牙が覗く口はだらし
なく開き、本来必要ないはずの荒い吐息を絶えず吐き続けていた。
「あ…あぁ……」
ララディアの口に挿してから少しの間、クーラはぴくりとも動かなかった。ララディアの口の感触を愉しんでいたのか、
あまりの気持ちよさに動くことを忘れていたのかは分からない。だが、
「ああぁっ!もっと、もっと気持ちよくなりたい!もっとぉ、もっとぉぉ!!」
物足りなくなったのか、クーラは一言吠えるとララディアの頭を掴んだまま猛然と腰を動かし始めた。腰を浮かしては沈
め浮かしては沈め、寝たままのララディアの頭だけを持ち上げ、その喉の奥まで肉棒を打ちつけた。
「んはぁぁ!気持ちいい、気持ちいい、きもひいよぉ〜〜〜〜!!」
「んっ!んぐぅっ!!んぐっ!!」
自らの唾液とクーラの先走りが潤滑油になり、ぬるぬるとした嫌な感触を伴ってララディアの口腔をペニスが行き来していた。
その動きには労りとか手加減といったものは無く、クーラがただただ我欲を満たすためのものしか感じられなかった。
何しろあまりの勢いのためララディアは呼吸すら満足に出来ず、開きっぱなしでだるくなった顎を休ませることすらできないのだ。
おまけにどぷどぷと喉に流れ込んでくるクーラの体液がより一層ララディアの呼吸を困難なものにしていた。粘り気のあ
るそれは即座に飲み込まないと喉に絡んで気道を止めてしまうが、飲み込もうにもその粘り気が邪魔して一気に喉を通らない。
「ク、クーラァ……、ひゃめ……ひょっと…ひゃふまふぇ………」
あまりに息苦しさに気が遠くなってきたララディアは、何とか声を振り絞ってクーラにお願いするが、聞こえてないのか
聞き取れないのか、聞いていても無視しているのかクーラの腰の動きは全く収まらない。むしろより激しくなっている。
「あっあっあっっ!!で、出る!出ちゃう!でちゃうぅぅ〜〜っ!!」
だがそれも仕方がないだろう。もうすぐに絶頂に達しようとしてたクーラがその手を緩める理由などどこにもなかった。
クーラはララディアに宛がった手を思いっきり引き、ペニスを根元までララディアの口の中に埋めこんだ。そのまま両腿
でララディアの頭を押さえつけ、その直後ララディアの喉奥でクーラのものがバチン!と弾けた。
「んはぁぁ〜〜〜〜っ!!」
”ドピュウウウウウゥゥッ!!”
「んぐうぅぅっ!!!」
先走りののカウパーとは比べ物にならない、物凄い粘度を持ち、凄まじい量を持ち、熱い肉棒からは想像も出来ないほど
冷やされた精液がララディアの喉に直接噴出された。
「ぐっ!ぐふっ!ぐ、ぶぅぅぅっ!!」
その膨大な量の精液は食道のみならず器官の方にも流れていき、間違って入ってきた精液を押し出そうと横隔膜が激しく
動き、ララディアは口にペニスを咥えたまま思いっきりむせ返った。
もっとも流し込まれる量が多すぎたため殆ど意味はなさなかったのだが、それでも少なからぬ量の精液が口とペニスの僅
かな隙間からどぼどぼと吹きこぼれ、どろりと顎を伝って零れ落ちていった。
「う〜〜〜、あぁ〜〜〜〜……」
クーラのほうはそんな苦しみを味わっているララディアのことは全く無視し、だらしない笑みを浮かべて絶え間なく噴き
出てくる射精の快楽に酔っていた。
そして完全に出し尽くした後、ちゅぽっと音を立ててララディアの口からペニスを引き抜いた。
- 「あはぁぁ〜〜、気持ちよかったぁ〜〜〜〜…!ね、先輩。先輩もとってもよかったですよね…ん?」
「げほっ!げほっ!!がはぁっ!!」
放出の快楽にうっとりと頬を染めるクーラとは対照的に、ララディアは顔を横にそむけながら苦しそうに咳き込み、喉に
絡みついた精液を吐き出し続けていた。
「あぁ……勿体無いですねぇ……。人がせっかく飲ませてあげたのに……」
そんな光景がまるで自分が出した精液を粗末にされているような気がして、顔をぷぅと顔を膨らませたクーラは床に落ち
た精液を掬い取ると、そのままララディアの口に指を突っ込んだ。
「ぐっ!」
「ほらほら先輩、先輩のご主人様の精液です。その先輩の舌でご主人様の指を綺麗にしてください」
「……クーラ……、もうやめ……むぐっ!!」
自分のことをご主人様と称し冷たい目で見下してくるクーラを何とか止めようとしたララディアだが、次の瞬間クーラの
指がララディアの喉まで突き込んできた。
「…ご主人様って言いなさい!!先輩は私の所有物、モノなんですよ!!私に血を吸われ、私の奴隷になるんですよ!
奴隷がご主人様に命令するんじゃありません!今度そんな口を叩いたら、ご主人様に頼んであのバカ王子を殺しますよ!!」
「っ?!ぐぅ……」
ララディアを見るクーラの目には、冷たい怒りと狂気の光が宿っている。もしここで下手に抵抗したりしたら、クーラは
本当にアレクサンダーを殺そうとするだろう。
(う……)
今にも泣きそうな顔をしたララディアは、黙ってクーラの冷たい指をちゅぷちゅぷと舐め始めた。
苦しょっぱい精液の味が屈辱の味となって、ララディアの口一杯に広がっていく。
「あ、あはは!あははは!そう、それでいいんですよ先輩!
ああぁっ!あの凛々しい先輩がおいしそうに私の指と精液舐めてるです!いやらしすぎてゾクゾクしちゃいますぅ!」
憧れだった先輩を傅かせたことで極度の興奮に達したのか、出したばっかりの肉棒が再び雁首を持ち上げねっとりとした
カウパーをララディアの腹に垂らしはじめた。
「ほぉら!私は先輩のことをちょっと想っただけで、すぐにおちんぽが勃起しちゃうんです!ご主人様より、バカ王子より
他の誰よりも先輩のことが大好きなんです!先輩は私のものです!他の誰にも渡しません!!『そうですね先輩!』」
「は……はい……。わ、私は……、ご主人様の……も、ものです……。ご主人様の…、奴隷、です」
肺の奥から振り絞るような小さな声で奴隷宣言をしたララディアに、クーラはこの上ない達成感を感じていた。
(ああぁっ!つ、ついに先輩が私のものになった!先輩の口から、私のものだって言わせた!)
これが魅了の下に言わせたのならここまでの高揚感は無かっただろう。あくまでもララディアの意思でララディア本人に
奴隷宣言をさせたことは非常にクーラの心を満足させるものになっていた。
「やっと、やっと私のものになってくれましたね先輩!う、嬉しいです!!」
顔を喜色満面に染めたクーラはそのまま立ち上がると着ている物をぽんと脱ぎ捨てるとララディアの下半身へと体の向き
を換え、右手でズボンを掴み吸血鬼の怪力でショーツごと一気に破り取った。
「きゃっ…クーラ…何を……?!」
予想もしなかったことにララディアはクーラを敬称で呼ぶのも忘れたが、クーラは気にしていないのかそのまま体を屈めてきた。
その顔は、露わになったララディアの下腹部に近づいている。
「先輩が私のものになった記念です。これからこのまま先輩と一つになるんです!!そうして、先輩の子宮の隅の隅まで
私の精液で清めてあげます。あのバカ王子に汚された体を、私が綺麗にしてあげます!」
「けが……?!何を言ってるの……?」
「どうせ、バカ王子に先輩はとっくに純潔を奪われているんでしょ?!毎日男と女が一緒にいればしないはずないじゃないですか!
あの低脳で色好きっぽいバカが綺麗な先輩に手を出していないはずないです!先輩だっていくら相手がバカでも一国の王
子なら喜んで股開くに決まってます!そんな先輩の身も心も、私が綺麗にしてあげるのです!」
どうやらクーラはララディアがアレクサンダーにとっくに手をつけられたと思い込んでいるらしい。
確かに王族が戯れに部下に手をつけるのはそんなおかしいことではない。まして放蕩者と思われているアレクサンダーが
そんなことをしていると思っている人間は決して少なくはないだろうとも思われる。
- が、勿論アレクサンダーはそんなことをする人間ではなく、それを誰よりも知っているララディアにしては今のクーラの
発言は侮辱以外の何者でもない。
「バ、バカなこと言わないで!私が、王子と……。そんな真似、するわけないでしょ!」
真っ赤に顔を染めたララディアの声は思いっきり裏返っている。これほどまでララディアがクーラへ激高したのは自分が
貶められた以上にアレクサンダーを貶められたことへの怒り。そして、クーラに図らずも自身も自覚していなかった心の
奥底の願望を指摘された事への無意識の憤りがあった。
「いくらなんでも、王子と床を共にするなんて…、そんな大それたこと出来るわけないじゃないの!!」
「……本当ですかぁ?」
なおも疑うクーラに、ララディアはむきになって答えた。
「本当よ!私は今だに誰とも寝たことなんてないわ!ましてや王子とだなんてとんでもない!
今までずっと剣一筋に生きてきた私に、恋愛する暇なんてあるわけないじゃないのよ!!」
ある意味、自分の男日照りを暴露している結果になっているがそれに気づかないほど頭に血が上っていた。
だが、それを聞いたクーラの顔は、それまでの嫉妬に狂った表情から一点して明るくなった。
「本当なんですね……。嬉しいです!ありがとうございます先輩!」
「はぁ?」
突然クーラに感謝されたララディアは、最初何でお礼を言われたのか全くわからなかった。
だが、吸血鬼らしからぬ晴れ晴れとした顔のクーラの口から飛び出した言葉を聞いて合点がいった。
「先輩は私のために純潔でいてくれたんですね!私のちんぽで女になりたくて操を通していたんですね!!
最高です先輩!やっぱ先輩は私の憧れの人です!!」
「……えっ…」
ちょっと待て。何でそんな話になる。論理の飛躍ってレベルの話ではない。何で今の今まで彼女の秘密を知らなかった自
分が、そんなことをできるのか。
「そ、そんなわけな……」
「じゃあ私からのお礼です!先輩のアソコ、最高に気持ちよくしてあげます!!」
焦ってクーラに反論しようとしたララディアだったが、それより早く嬉々とした笑みを浮かべたクーラが口元の牙を煌か
せてララディアの下の唇に牙を打ち込んできた。
”プシュッ”
「?!がっ!」
先ほど気が遠くなるまで味わった吸血のもたらす快楽。それが燎原に巻き起こる炎の如くあっという間にララディアの体全体に回っていく。
ましてや、皮膚を食い破ったのではなく敏感な粘膜に刺してきたのだからその刺激たるや先ほどの何倍にも達している。
「あ、あ!あああぁぁっ!!!」
今まで感じたことも無かった吸血がもたらす快楽。感じたこともないので満足に抗する事も出来ず、ララディアは吸血の
快楽を全身全霊で感じ取っていた。
『あはっ、先輩。血の味だけでなく別の味もしてきましたよ〜〜〜』
美味しそうに血を啜るクーラの舌に、ララディアの体の奥から溢れてきた蜜の味が混ざってきている。それまで禁欲的な
生活をしてきたララディアが、初めて他人の手による行為で感じ、濡れ始めてきていた。
『血も美味しいですけど、溢れてくる蜜も美味しいです〜〜』
肉に埋めた牙はそのままに、長く伸びた舌がララディアの媚肉の内側へと潜り込みちるちると舐めまわしてくる。
「ひぃっ……、ひっ……!」
(ダ、ダメ……。何も、かんがえられなく……)
血を吸われる快感と共に肉を嬲られる快感まで襲ってきて、ララディアの視界と思考は次第にぼんやりと霞んできていた。
その目の前に、興奮で破裂せんばかりに大きくなったクーラの怒張がでろんと降ってきた。
それ自体は非常におぞましいものだが、何故か目が離せない。
『せ、先輩……。また、私のも舐めてくださいです……。私にばかりさせて、不公平ですぅ……』
(…あぁ……)
そんなことはしたくないのに、まるで頭に響くクーラの声に導かれるようにララディアの舌がクーラのものへと近づいていく。
- ぷるぷると震える舌が舐めたい、さわりたい、感じたいとララディアの意思に訴えてきている。だがララディアは理性を
総動員して舌の要求を退けていた。
(だめ…。気を、気をしっかりもたないと!!)
ララディアは目をつぶり、必死に誘惑に耐えていた。が、いつまでもしゃぶってこないララディアにクーラのほうが焦れてきた。
『もう、先輩ったらご主人様の言うことは聞くものなのです!』
苛立った声と共に、ララディアの肉に埋まっている牙がずぐぐっ!とさらに深く奥へと穿っていく。それは周りの肉を削ぎ
神経を千切り、ララディアの理性をこそぎ落としていった。
「いひいいぃぃぃっ!!んぐっ!!」
その悦楽にたまらずララディアは悲鳴を上げ、思わず目の前のクーラのペニスを咥えてしまった。
咽かえるような牡の匂いと舌を焼く熱さに、ララディアの顔はたちまちとろんと蕩けていく。
『あはぁ!それでいいんです先輩!!すっごい気持ちいいです〜〜!』
熱く包まれる快楽をようやっと感じたクーラは歓喜に打ち震えて腰を振り、ララディアは口の中で暴れる肉棒を放すまい
とクーラの腰に手を回して押さえつけ、根元まで深く咥えこんでいった。
射精もしてないのにどろりとした粘液が亀頭から次々と噴出してララディアの体内に流し込まれていき、それがララディ
アの理性をさらに蕩かしていった。
「んっ……んぐっ……ちゅぅ……」
「ひゃああ!先輩最高です!おちんぽ溶けちゃいます!」
今までマーシュやサンディによって得られてきたフェラチオの快感に比べれば、ララディアの愛撫はいかにも稚拙なのだが、
それが逆に新鮮なのと、愛する先輩に自分のを舐められているという思いがクーラの体をさらに昂ぶらせていっている。
もうクーラは血を吸う事も忘れ、ララディアの股間に顔を埋めながら腰を揺すってララディアからもたらされる快感に溺
れており、ララディアもその隙に逃げ出すという発想すら思いつかずに一心不乱にクーラのペニスをしゃぶり続けていた。
「あっあっ、あっ!!」
そのうちクーラの下半身がガタガタと震えてきた。先ほど出したにもかかわらずすぐにはちきれんばかりに補充された欲
望の滾りを放出しようと、竿の根元までララディアの口内に突っ込んでぐりぐりとかき回している。
「ま、また出る!出ちゃいま、あぁ―――っ!!」
”ドプドプゥッ!”
「ぐむぅっ?!」
ララディアの口の中のペニスが一瞬ブクッと膨れ上がったかと思うと、喉に一度出したとは思えないほどの膨大な量の精
液が堰を切って流れ込んできた。先ほどは苦しさのあまりむせ返って相当な量の精液を吐き出したのだが、今回は暴れる
腰を抱きしめながらしっかりと咥えこみ、鼻を鳴らして全て飲み干してしまった。
「ふぅーっ、ふぅーっ!」
もう既に出切って滴も出てこないペニスを、ララディアは口から放そうともせず一心不乱に舐め続けていた。度重なる陵
辱で理性が焼き切れてしまったのか、血走った目からは人の意思は感じられない。
「あはっ…。ようやっと先輩も素直になりましたですね。それじゃあ…」
ララディアの蕩け具合に満足したクーラはよっこいっしょといった感じでその場に立ち上がった。ちゅるっと口から抜け
ていったクーラのペニスに、ララディアが物欲しげな視線を投げかけている。
「そんなに悲しそうな顔をしないでください先輩。これからこれを、先輩の一番大事なところにぶち込んであげるんですから」
その顔に爛れた笑みを浮かべ、クーラはララディアの足元へと回りこんだ。クーラが見下ろす先にいるララディアは、股
間を流れ出す愛液と血でどろどろに濡らし、真っ赤に火照った顔は切なそうにクーラを見ている。
「うふふ〜〜、可愛いですよ先輩〜〜。さ、入れやすいように股を開いてください」
「………」
その言葉を待っていたかのように、ララディアは顔を輝かせながら脚を左右に開いた。ぱかりと割れた股の間から、熱い
赤い汁と白い汁がとろとろと零れ落ちクーラの鼻腔をくすぐってくる。
「あぁ……先輩の、先輩が目の前に……」
既に二度大量に出しているペニスが、ララディアの姿を見た途端すぐさまがちがちに勃ってきた。正直吸血衝動も相当に
昂ぶっているのだが、それより何より今はこの勃起したものをララディアの中に入れたくて仕方が無い。
- あの膣中に入れる…そう考えただけで海綿体にドクドクと血液流れ込み、今にも破裂しそうなまでに膨れ上がってくる。
「あ、ぁ…、ご主人様ぁ……は、はやく……」
青黒いまで膨れ上がったペニスを前にして我慢しきれないのか、ララディアは右手で陰唇を押し開きながら左手で中に指
を突きいれグチュグチュとかき回していた。
その姿を目にして、クーラの昂ぶりはさらに高まっていく。
「ま、待てないんですね先輩!私のおちんぽ入れて欲しくてたまらないんですね!!
わかりました!今すぐに入れてあげます!これで先輩は本当に身も心も私のものになるです!!」
ララディアが自分を求めていることに狂喜したクーラは、そのままガバッとララディアに倒れこむと、右手を添えたペニ
スを一気にズブリ!とララディアの膣に押し込んだ。
途中でビチィ!っと何かを引き裂く感触がし、そのことにクーラが歓喜の悲鳴を上げた。
「あはぁぁ!!先輩の処女膜破っちゃったぁ!!本当に先輩処女だったんですねぇ!!
うわぁぁ、気持ちいい〜〜っ!!お口も良かったけど先輩のおまんこきもちよすぎるぅ〜〜〜っ!!」
クーラの剛直がララディアの処女膜を突き破ってことで流れ出てきた血の芳香が、それよりなにより、自分の手でララデ
ィアを『女』にしたことがクーラの気持ちをこれ以上ないくらい高揚させていた。
「くはっ!あぁっ熱いぃ!!」
一方ララディアのほうも、初めて牡の肉棒を体に受け入れ、破瓜の痛みに顔を歪ませるどころか光を失った瞳を歓喜に潤ませていた。
少なくとも見た目には痛がっている風には全然見えない。
「はぁっ!はあっ!!せ、先輩どうですか、気持ちいいですか?!」
「うあぁっ!き、きもちいいの、きもひいのぉ!!ごしゅじんさまのちんちん気持ちいい!!
もっと、もっと私を突いて!口に抜けるくらい奥まで、深く深く刺して!!」
これがあの凛々しくてクーラの憧れだったララディアと同一人物なのだろうか。発情した顔で後輩におねだりをする姿は
かつてのララディアを知る者からすれば想像もつかない代物だろう。
そして、自分の手でララディアをそこまで堕としたということがクーラにこれ以上ない満足感を与えていた。
「あぁ!最高です先輩!こんなに素直でいやらしくなってくれて私はとっても嬉しいです!
先輩も私たちのご主人様の下に仕えて、吸血鬼の国になるここでで永遠に暮らしましょう!
もっとも先輩は私の穴ペットですけれどねぇ!!キャハハハァッ!!」
「わ、私たちの、ご主人様……?あうっ!」
「そうです!今の王に代わって新しくこの国の王になるわたしたち吸血鬼を束ねるご主人様、ナルスト様です!
王も王子も王女も、今頃はナルスト様の口付けを受けて吸血鬼に生まれ変わっているはずです!」
「ナル……スト……」
聞いたこともない名前に、ララディアの口からついナルストという言葉が漏れてしまう。
それを耳にした途端、クーラの顔つきがむすっと曇った。それまでも快楽を求めて激しく動かしていた腰をさらに激しく
強くしてララディアの膣内をガンガン突き刺してくる。
「あ、あぁぅ!」
「先輩!私に抱かれている時に他の人の名前を言わないでください!それがたとえナルスト様でも許しません!
それに、ナルスト様は先輩もよぉ〜〜く知っている人です!名前は変えてますけれど!!」
「よ、よく…しって…?」
「ええ!宮廷医師のナールス様、あの方こそ吸血鬼ナルスト様です!ナルスト様は私たちが思いもつかない方法でこの国
を一夜にして吸血鬼の国に変えようとしてます。そして、それはもうすぐ達成されます!」
「ナ、ナール、ス……!」
その名前を口にした際、僅かではあるがララディアの瞳に悪意といえる光が瞬いた。が、ララディアを犯すのに夢中なクーラ
はそのことには気づかない。
「本当はご主人様も先輩を狙っていたんです。でも、先輩だけはたとえご主人様の命令でも譲るわけにはいきません!
先輩の血を吸って吸血鬼にするのはこの私です!あのバカ王子より、ぽっと出のナルスト様より、私のほうがずっとずっと
昔から先輩のことを慕ってきたんですから!」
「………」
- あくまでも自分の手でララディアを。その妄念に取り付かれたクーラの表情は鬼気迫るものがある。が、その奥に根ざす
思いはあくまでも純粋なものだ。自分が誰よりもララディアのことを思っている。その感情はララディアにも痛いくらい理解できた。
それが分かるからこそ、自分の中で暴れるクーラの怒張にも耐えられる。膣壁を抉られる激しい痛みにも堪えることができる。
「あぁ先輩!もう我慢できません!先輩の、先輩のこども袋にたっぷりザーメンぶちまけてあげます!これで先輩は私の
所有物です!これからずっと、ずぅ〜〜と先輩は私のハメ奴隷です!いつでもどこでも好きな時に私に穴を差し出さなけ
ればならないんです!!いいですね!!」
「…わ、わかった!わかったわ!!だから、だから早く、はやくぅ!!」
クーラが肉棒を突き刺すタイミングに併せて、ララディアのほうも脚をクーラの腰に回し、くいくい腰を揺すりながらク
ーラの射精を促している。
そのため、クーラの射精感は一気に高まり、輸精管の奥から精液がマグマ溜まりとなって込み上げてきた。
「あ、あぁぁ!出る、出ちゃいますせんぱぁぁいぃぃっ!!」
もうこれ以上堪えきれなくなったクーラがこれまで以上に深くララディアの中に突き刺した瞬間、ビクッと震えたペニス
の奥から熱い…もとい、凍えるほどに冷たい精液がドッとララディアの中に噴き出してきた。
「いっ!あああああぁぁっ……」
その勢いある冷たい精液はララディアの子宮の奥の奥まで一気に達し、その衝撃にまたララディアも一気に上りつめ頭を
反らしながら派手に達し……
「ああああぁぁっ!!」
その流れのまま、手元にあった愛剣を右手でがしっと掴むと、一気にクーラ目掛けて突き入れてきた。
「?!」
ありえない瞬間の突然の不意打ちに一瞬反応が遅れたクーラが、慌てて剣を受け止めようと左腕を動かそうとして…
さっきララディアに肘からズッパリと斬られたままにしていたことき気づいてギョッとなり、次の瞬間ララディアの剣が
クーラの左わき腹から右鎖骨へ向けてぶっすりと貫いていた。
「え………」
ずぬっとした痛みの次に、喉の奥からごぽりと血が込み上げてくる。下から刺した不安定な状況にも関わらず、ララディ
アの剣はクーラの心臓を正確に貫いていた。
「な、なんで……、先輩……?」
「…ごめんなさい、クーラ……」
まだ信じられないといったクーラを見るララディアの表情には、先ほどは感じられなかった理性がしっかりと戻っていた。
「知っているでしょ…。私には魔力の類は聞かないって」
確かにクーラから与えられてくる快楽に、ララディアの肉体と精神は翻弄され続けてはいた。が、肝心の相手を虜にする
吸血鬼の魔力はララディアの心身についに染み込む事は無かった。
だからこそ、こうやって血を吸われたクーラにも抵抗することが出来続けたのだ。
「じ、じゃあ……、先輩には私の吸血の呪縛も効かなかった、んですか……」
愕然としたクーラの体のあちこちからぶすぶすと煙が上がってきている。一度死んで吸血鬼としての生を受けたクーラが
今度は吸血鬼としての死を迎えつつあった。
だが、その顔には自分を殺したララディアへの恨み憎しみは見えない。むしろ、慕うララディアの手で滅ぼされることに
満足してさえいるのかその顔は晴れ晴れと輝いている。
「さ、さすが先輩です……。私の、負けです。でも、一つだけ教えてください……
なんで、私に抱かれてくれたんですか…?私がイクまで待ってくれたんですか…?」
「…それは……」
答えを言うのに一瞬ララディアは躊躇した。が、その間にもクーラの体はどんどん崩壊を始めている。もし今この場で喋
らないと、今後二度とその機会は訪れない。
- 「それは……、せめて最後にあなたの願いを叶えてあげたいと、思ったから……」
もちろんそれは一番の理由ではない。ボロボロになった体でクーラを確実に滅ぼすためには、射精後の無防備になった一
瞬、しかも互いの距離が近くなる正常位での時を狙うしかない思ったからこそその瞬間まで堪えに堪えたというのが真実であろう。
だが、その気持ちも全く無かったわけではない。吸血鬼に変わっていてもクーラの自分を思う気持ちは本物だった。今ま
でずっと慕ってきた後輩を、無下に滅ぼすのに遠慮があったというのは否定できなかった。
「あぁ……、やっぱり先輩は優しいです ね……。それでこそ、私が好き にな った、先輩です……
ひどいことして……ごめんな さ、い……」
ララディアの言葉を額面どおりに受け取ったのか、それとも真意に気づいていたがララディアの思いを汲み取ったのか、
半分炎に包まれながらもクーラの顔は満足そうに微笑んでいた。
「あ…りが とうご ざいます先ぱ い……。さよう な……ら……」
最後に深々とララディアに頭を下げた直後、クーラの全身は青い炎を噴出して燃え上がり、あっというまに灰となって崩
れ落ち、ララディアの体の上にばさばさと降り積もってきた。
つい今まで自分の上で腰を振っていたクーラがこうもあっさりと灰になってしまった様を見て、改めてクーラが吸血鬼に
なってしまっていたこと、そしてそんな光景がこの国のあらゆるところで起こっていることを思い起こした。
「クーラ……。くっ……」
クーラが滅ぼされてしまっても、それまで責められていた股間からは破瓜の血とクーラが流し込んだ精液がこぷこぷと湧
き出てきており、内壁を突きまくられたことによる鈍痛も頭にガンガンと響いている。息つく間もなく犯され続けたので
疲労も酷いし、下半身は腰が抜けたみたいに力が入らない。おまけに吸血されたことによる貧血で頭が重く、吸血で与え
られた甘い愉悦が重だるい倦怠感となって全身を包んでいる。はっきり言って体の調子はガタガタだ。
でも、行かなければいけない。この国をメチャメチャにした元凶の下へ。自分の主を、想い人を手にかけようとしている
屑の下へ。可愛い後輩をこんな姿にした憎むべき仇の下へ。
剣を杖代わりにしてふらふらと立ち上がったララディアの腹から、何かがちゃらんと澄んだ音を立てて零れ落ちた。
「これは……」
なんだろうと腰を屈めてみてみると、それはクーラが両耳につけていた少々趣味の悪いピアスだった。
「………」
あまり色気は無くピアスなどつけたこともなかったが、ララディアは躊躇うことなくピアスの針先を耳たぶにつけると、
そのままぶっすりと突き刺した。激しい痛みと共に血が耳を伝って落ちていくが、今のララディアには関係ない。
この痛みはクーラを殺したことへの贖罪であり、クーラのものを身に纏うのはクーラを変えた者を滅ぼす時、クーラにも
目の前で見ていてもらいたいからという思いから。
「待ってなさい、ナールス……、いや、ナルスト……!」
ナールスが危険だというアレクサンダーの言葉は正鵠を得ていた。例えそれが嫉妬からくる見当違いからだったとしても
ナールスに危険な気配を感じていたのは間違いではなかった。
もしアレクサンダーの言うことをもう少し真面目に捉えナールスの行動を注視していれば、果たして今日の事態は防げただろうか。
いや、できなかっただろう。ここまで周到に準備をしてこれる男だ。自分の目を掻い潜ることなど容易だろうし、自分の
任務もあるので四六時中ナールスを看視するわけにはいかないからだ。
でも、それでもララディアの心には後悔が残る。もう少し注意していれば、その思いだけが頭をグルグルと回っている。
そしてその後悔は強烈な殺意に変わり、ララディアを復讐の鬼へと変貌させていた。
「絶対に、殺してやる……!」
例え我が身と引き換えにしてでも。そこまでの決意を胸に秘め、ララディアは足を引きずりながら部屋を後にしていった。
続
- ○五章
「さあ王子、ここが私たちのご主人様のおられるお部屋ですよ」
吸血鬼化したサンディに体の自由を奪われ、無理矢理に後をつけさせられて付いたところはある意味アレクサンダーの予想通りの場所だった。
そこは、現在アレクサンダーが城内で最も憎み、最も心を許していない男の部屋。
自分の母親の関心を取り、自分たち兄妹をないがしろにさせた男。
(……やっぱり、あいつは早々に追い出しておくべきだった……)
喋ることすら満足にに出来ない中で、アレクサンダーは激しく後悔していた。
もし自分がもう少し強く父親や母親にあいつを放逐するように言っていれば、こんな事態にはならなかったのではないのだろうか。
「早く入りなさい王子。ご主人様もいい加減待ちくたびれておりますから」
サンディは重そうな扉を開くと、煩わしそうにアレクサンダーの背中をドンと押して無理矢理部屋の中に入れた。
そこは城内が大混乱の最中にある中、異様なほど静まり返っていた。
(うわっ!とととっ……)
結構な力で押されたために体のバランスが崩れたアレクサンダーは、アルマリスを落すまいと腰を落として踏ん張り、たたらを踏んで堪えきった。
「…な、何をするんだサンディ!……?!」
自分への仕打ちに思わず怒鳴ったアレクサンダーは、そこで初めて自分の体がサンディの呪縛から解放されていることに気がついた。
普通に足も動かせるし、声も放つことが出来る。
だからと言って逃げることは出来ない。唯一の出口はサンディによって塞がれているし、窓から逃げようにもアルマリスを抱えていてはそれも叶わない。
「くぅ…!」
いやらしそうに口元歪めて笑うサンディに悔しさからアレクサンダーは唇を噛み締めたが、そのサンディがちょいちょいと自分の後ろを指差している。
「……?」
思わずアレクサンダーは後ろを向いてしまったが、そのアレクサンダーの目に予想もしないものが飛び込んできた。
「おお…、アレクサンダー……、アルマリス………」
「ち、父上!ご無事で……?!」
アレクサンダーの後ろに立っていたのは、行方の知れていなかった父親メルキル15世だった。思わぬ再開にアレクサンダーの顔が一瞬緩むが、次の瞬間その顔は凍りついた。
メルキル15世の肩襟は流れる血で赤く染まり、顔色は死人のような白蝋色になっている。
そしてなにより、異様に赤く光る目。そして口元に光る牙。
メルキル15世は、すでに吸血鬼と化していた。
「そんな……父上……!」
肉親が吸血鬼になってしまっていたことに愕然とするアレクサンダーだが、よくみると父親の動きがおかしい。
自分たちに襲い掛かるでもなく、その場でかくかくと体を震わせ突っ立ったままだ。
「お……あぁ……」
国王が震える手を自分の胸へと持っていっている。不審に思ったアレクサンダーがよく見ると、国王の胸のど真ん中から何か突き出ているものがあった。
そこから次第にぶすぶすと煙が吹き上がり、国王の体のところどころから火が噴出してきている。
「あ、あお――――っ!!」
- 熱さに耐えられなくなったのか、一際大きく吼えたメルキル15世の口から青い炎が高々と噴き上がってあっという間に全身が火達磨と化し、立ちながら消し炭になった国王はそのまま灰となって崩れ落ちてしまった。
「ち、ち……うえ……?!」
思わぬ再会を果たした父親は吸血鬼となっており、目の前でいきなり燃え崩れてしまった。
あまりにも急転直下な惨状に、さすがのアレクサンダーも思考が止まってしまい呆然と父親の燃えカスを眺めていた。
その積もった灰の天辺に、国王の胴体から覗いていた物体の先端が乗っかっていた。
それは銀色の光沢を放った金属錐で、後ろにはしなやかな皮状のムチが灰と化した国王の後ろに向って伸びていた。
「危なかったですねぇ王子。もう少しで吸血鬼に襲われるところでしたよ。一歩遅かったら、今頃どうなっていたか……」
「っ!!」
その声に我に帰ったアレクサンダーがムチの伸びる先に顔を上げると、右手にムチの柄を持ったナールスがわざとらしくアレクサンダーに頭を下げてきていた。
その容姿は既に人間のそれではなく、吸血鬼のものへと変貌している。
すなわち、この城を一夜にして吸血鬼の魔窟へと変え、父親を吸血鬼にしたのみならず目の前で殺害した憎むべき男。
「ナ、ナールス……貴様…!」
アレクサンダーはアルマリスを床に下ろし腰の剣をすらりと抜いた。ただ、先ほどから吸血鬼の魔眼に散々自由を奪われてきているのでナールスの顔を直接見るのは避けている。
「おやおや、せっかく安全な場所に連れてこさせたというのに随分な挨拶ですね。それに、私の名前はナールスではありません。
我が名はナルスト。偉大なる吸血子爵、『傾国のナルスト』が私の本当の名前です」
もはや自分の正体を隠す必要もなくなり、ナルストは非常にわざとらしく丁寧にアレクサンダーに頭を下げた。
その態度にアレクサンダーの怒りはいや増したが、同時に疑問も生じた。
ナルストが吸血鬼だというのなら、なぜこいつはこれまで普通に日中に外にいられたのか。確か吸血鬼は日光を浴びると灰になるはず。
「……貴様、何で吸血鬼なのに普通に昼間も出歩いていたんだ…?
いや、お前だけじゃない。そこにいるサンディも、爺も、僕が見る限りは普通の人間だった。
それが、一夜にして全員吸血鬼になるなんて、そんなことが……」
「う〜ん、サンディや私とシャップス殿は少し違うのですが……。まあ、説明した方がいいでしょうか。
王子、私の後ろを良くごらんください」
ナルストが指差したところ。そこにはこの場には不釣合いな異様に目立つ大きな白磁の浴槽が置かれている。
「この浴槽に満たされている私の発明品『除光液』は一定時間吸血鬼の肌に日光に対する耐性を与え、その外見を人間のものとすることが出来ます。
サンディはもう何週間も前から吸血鬼となって、この液の効果で人間の姿を保ってきていたのです。そして、夜な夜な街に、城に繰り出し人間の血を吸い続けていたのですよ」
「なっ……」
サンディが既に何週間も前から吸血鬼になっていた。自分の後ろでニヤニヤと佇むサンディを見返しアレクサンダーは言葉を失っていた。
きっと今、サンディは『今頃気づいたのですか?馬鹿な王子』とでも思っているに違いない。
「そしてシャップス殿は、サンディに吸血鬼化しない程度に血を吸われ、現在漂っているこの『転生の煙』によって吸血鬼となったのです。
現在、転生の煙はメルキルス全土を覆い尽くし、吸血鬼化した人間があらゆるところで人間を襲って仲間を増やしていますよ!」
ということは、今夜に突然吸血鬼が大量に発生したのはあらかじめ仕組まれていたことであるということになる。城で、街で人間だったものが突如吸血鬼となって隣人を襲い始め、襲われたものが吸血鬼となりまた新たな犠牲者を…
「ま…待てナルスト!!」
そう言えば、ここには父はいたが母はいなかった。父が吸血鬼となっていた以上、母が無事であるとはとても思えない。
もし、母が他の犠牲者と同じように吸血鬼となり、この城を徘徊して逃げ惑う者の首に喰らいついてなんかしていたら…
- 「お、お前、母上はどうした!!まさか母上まで手にかけてはいないだろうな!!」
冷静に考えれば、ナルストと国王より深く関係していた王妃が手にかかっていないわけがないのだが、アレクサンダーは敢えてその現実を見ずに質問した。
あの母上がやすやすと他の男に体を許すわけがない。そういった肉親に対する想いも少しはあったのだろう。
だが、ナルストはそんなアレクサンダーの願いを粉々に打ち砕いてきた。
「……してないとでもお思いですか?そんなわけありません。
あの女は非常に役に立ってくれました。私の欲望を発散してくれたのみならずその高貴な血を残らず捧げていただき、最後には私の計画の総仕上げをしてくれたのですから」
「…総仕上げ?!」
「そうです。吸血鬼となったあの女の灰こそ『転生の煙』を生み出した元なのです!!いわば、今メルキルス中に溢れる吸血鬼は王妃の手で作られたのですよ!
どうです、滑稽でしょう!国を治める王の妻が、国を滅ぼす元凶となったのでうから!!クハハハハ!!」
ということは、城中、国中に溢れる真っ黒な煙はすべて王妃の成れの果てということなのだろう。
つまり、侍女を、シャップスを吸血鬼に変えたのは母上だというのか!
「そんな…は、母上が…。母上まで……」
あんまりな事実にアレクサンダーは言葉を失い、つい構えていた剣を落としそうになってしまった。
その光景が心底面白いのか、ナルストは腹を抱えて盛大に笑い転げていた。が、逆にアレクサンダーは怒りのあまり顔面は真っ赤を通り越して蒼白になっていた。
「き、貴様……、母上を吸血鬼にしたのみならず、その死まで侮辱するというのかぁ!!」
「侮辱などいたしておりませんよ!あの女は最高です!最高の私の道具でしたよ!!あの女がいなければ私の企てもこうは巧くは進まなかったでしょう!
何しろあの女のおかげで、私はこうして城中に入れることが出来たのですからね!!いくら感謝してもし足りませんよ!ヒーッヒヒヒ!」
あくまでも自分を利する道具としては最高だったという、王妃にとってはまったくありがたくない理由だが、ひょっとしたらナルストは本当に王妃に感謝しているのかもしれなかった。
「……許さない。貴様は断じて許さない!!」
その顔に似合わず下品にゲラゲラと笑うナルストに堪忍袋の緒が切れたのか、アレクサンダーは剣を小脇に構えるとナルスト向けて突進していった。
もちろん魔眼を喰らわないように目線はナルストの腹あたりに落としている。
「でぇい!」
「おっとと、危ないですねぇ」
だがやはりちゃんと目で動きを追えない状態では狙いもきちんと定まらず、アレクサンダーの突きをナルストはいとも簡単に回避してしまった。
「そういきり立たないでくださいよ。私は、あなた方兄妹を助けようとここに連れて来るように命令したのですから」
「うるさい!父上も母上も殺したお前の言うことなど聞く気はない!!」
アレクサンダーはナルストの胸下の動きだけを頼りに剣を振るうが、やはりナルストは余裕をもって剣筋を見切っており当る気配は全く見られない。
「まあ少しは話を聞きなさい。このままでは、あなたの大事な妹君は亡くなりますよ」
「お前の言うことは、聞かないといった!!」
どうせ自分を惑わすための繰言だろう。アレクサンダーはそう決め込みなおもナルストに向って剣を振り続けた。
そのあまりにも頑なな態度にさすがにナルストもうんざりとし、とん、と軽く床を蹴ってアレクサンダーとの間合いを広げた。
「王子、嘘ではありません。アルマリス王女の命の力はここ数日で殆ど失われております。もはや、どのような治療もその意味をなしません」
顔こそ見てはいないが、ナルストの声には戯れの類は全く感じられない。そのあまりの真剣さに、アレクサンダーの剣の動きがぴたりと止まった。
「……う、嘘を言うな……!アルマリスが、死ぬわけがない……」
- 「私は人の命を喰らう吸血鬼ですよ?その人間の命の力がどれほど残っているかは一目見れば分かります。それに、私は医者としてこの城にもぐりこんだのですよ。医学、薬学の知識もそれなりにあります。
敢えて断言しましょう。アルマリス王女の命は、持って後半日です」
「っ!!」
そのあまりに冷酷な断言に、反射的にアレクサンダーは言い出したのナルストの顔を見てしまった。
幸い魔眼は発動していなかったが、その顔は冗談を言っているようにはとても思えない真剣なものだ。
「ほ、本当なのか……?!」
「事実です。アルマリス王女は病弱なゆえ、元々命の力は大きくありませんでした。そのまま成長しても、おそらく20歳を超えることはなかったでしょう。
そして、今回の病気で体内の力が急激に失われていきました。もう王女の体には命の力は数滴程度しか残っておりません。
このままでは明日の朝日を見ることなく、アルマリス王女はその幼い命を終えることになるでしょう」
それは、アレクサンダーにとって受け入れ難い事実だった。
僅か一晩で父と母を同時に失い、今また絶対に助け出そうとしていた妹にまで確実な死が訪れようとしている。
しかも、父と母の命を奪ったのは目の前にいるナルストだが、アルマリスの死の遠因になったのは自分が無理にアルマリスを外に連れ出したからだと推測される。
つまり、アルマリスを殺したのはアレクサンダーと言うことも出来る。というかそうだろう。。
アレクサンダーは床におろしたアルマリスを改めて振り返ってみた。
その顔はすでに土気色に変わりつつあり、苦しそうに吐く息も非常に弱々しくなってきている。
アルマリスが瀕死の状態なのは明らかだった。
「そんな……」
こんなにも妹が弱っていたことに今まで気づかなかった自分。それをナルストに指摘されて始めて気がついた自分。
この城から脱出すればなんとかなる。ただそれだけを思ってアルマリスの体が非常に弱っていたことをまったく考慮に入れていなかった。
「そんな………」
もっとも、このまま城の中にいたとしても間違いなくアルマリスは命を落としていただろう。そういう意味では、アルマリスの死は避けられない必然と言える。
ただ、そのきっかけを作ったのは間違いなく自分だとアレクサンダーは思っていた。アルマリスを無茶して連れ出していなかったら、ここから逃げるだけの体力は残っていたかもしれないのだ。
「あ、あぁ……」
それまでの気迫はどこへやら、アレクサンダーは腰からふらふらと崩れ落ちてしまった。たった二人残された兄妹、その妹までもが今目の前でその幼い命を散らそうとしている。しかも自分のせいで。
そう考えただけでアレクサンダーの胸は裂けそうに痛み、深い絶望が心を覆っていく。
「ああ……、感じますよ。王子の心が例えようもない絶望で染まっていくのが……。そうですね、肉親を失うというのはとても悲しむべきことです」
アレクサンダーの両親を殺して今さら何をであるが、ナルストは非常にわざとらしく嘆き悲しんでみせた。
アレクサンダーも普段ならそこに突っ込むのだろうが、とてもそんな方にまで気をまわす心の余裕などない。
だが、次のナルストの言葉にはさすがに反応せざるを得なかった。
「ですが、希望を捨ててはいけませんよ王子。まだアルマリス王女を助ける方法はあるのです」
「………、なんだ、って……」
アルマリスを助けることが出来る。このあまりにも絶望的な状況に、それはなんという甘い響きをもたらすことか。
- 「私が吸血鬼ということをお忘れですか?
もはや無くなりかけているとはいえ、アルマリス王女の体にはまだ命が残っております。それを私が血と共に吸い出せば、アルマリス王女は新しい、永遠に滅びない命を得ることが出来るのです」
ナルストの口から覗く牙がキラリと光っている。確かに、不老不死の吸血鬼になれば、アルマリスの命を救うことは出来るだろう。
「さあ王子、もうあまり悩む時間は残っておりません。アルマリス王女の命を助けたいのならば、私の手を借りるしかありません。
ああ、ご安心ください。王子にも私の手で永遠の命を与えて差し上げますよ。兄妹揃って仲良く、永遠を謳歌してください」
「………」
目の前の吸血鬼は、父と母を殺した憎むべき仇敵だ。
だが、この吸血鬼の力を借りない限り、アルマリスを救うことは出来ない。この男と敵対することは、すなわちアルマリスを殺すことになる。
もう死んだ親と、今死のうとしている妹。
仇でもあり、救いの主でもある吸血鬼。
手を切るべきか、手を組むべきか。
「………そうだね」
しばし無言だったアレクサンダーは無表情のままゆっくりと立ち上がるとナルストのほうへと歩み始めた。
剣を持たない左手は襟元にかけ、瑞々しい肌を露出させている。
「ほほう、まずは王子からですか。よろしいでしょう。いたずらしか知らない王子に、大人の世界というものを見せて上げましょう」
ナルストはゆっくりと近づいてくるアレクサンダーを抱きとめようと両手をゆっくりと大きく開いた。
そんなナルストへ、アレクサンダーは吸い込まれるように入っていき……
ドシュ
ナルストの胸を、剣で深々と貫いた。
「がぁっ!!お、王子、なにを………」
予想もしない事態と激痛にナルストの顔は凍りつき、反対にアレクサンダーの顔は怒りで赤く燃え上がっていた。
「ふざけるな……!父を、母を殺したお前の言うことなど誰が聞くものか!
いや、もしお前の言うことが本当だったとしても、お前にアルマリスを捧げる気なんかない!
お前に血を吸われるということは、アルマリスも僕もお前の下僕になってしまうということだろ。そんなこと、僕が認めると思っているのか!」
アレクサンダーは剣を引き抜くと、ナルストの腹を渾身の力をこめて蹴り飛ばした。たまらずナルストは後方へと倒れこんでしまう。
「僕は、僕の自由を奪うものを、アルマリスの自由を奪うものを決して許しはしない!!ましてや、この国を滅茶苦茶にしたお前はなおさらだ!
このアレクサンダー・イル・メルキル、死んだ父に代わってこの国を背負うものとして…貴様を滅ぼす!!」
「お、おのれ……糞ガキめぇ!!」
吸血鬼の急所である心臓を外したのか、ナルストの体は燃え上がる気配は見せない。だが、刺された胸からは真っ黒な血がだくだくと噴き出し相当な深手だということはわかる。
倒すなら今しかチャンスはない!アレクサンダーは躊躇うことなく剣をナルスト目掛け突き下ろしてきた。
「でえぇぃ!!」
「ぐおっ!」
自分の胸に迫る剣をナルストは不様に横に転がって逃れた。もっと体が動くと思ったが、胸の傷がズキズキと痛み俊敏な動きを妨げており、立ち上がる余裕すら生まれてこない。
だからと言って魔眼を喰らわせようと思ってもアレクサンダーはたくみに視線を逸らせてナルストの顔を凝視するのを避けている
思わぬピンチにナルストは本気で焦り、床を転げて攻撃を避け続けた。
「!!お、王子!やめなさい!!」
予想もしないナルストの危機に、扉の前で立っていたサンディは泡を食って主を助けようと駆け出した。
が、そのときサンディの横っ腹に何かがドカン!とぶつかってきた。
- 「なっ?!」
重い衝撃に横に吹っ飛ばされたサンディが見たものは、先ほどシャップスにより階下に振り落とされたティフォンだった。
燃える城内を駆け上ってきたからか白い毛は所々がすすで汚れ、尻尾の先は移り火で焼け焦げている。
落とされた時に折ったのか右前足はびっこを引いており、腹部は血で赤く滲んでいる。
ただでさえ老齢に域に達しているティフォンにとっては、これらの傷は決して軽いものではない。
だが、ティフォンはアルマリスを守るという使命を忠実に果たすため、悲鳴を上げる体に鞭打ってわずかな匂いを頼りにここまでたどり着いた。
そして、主の兄に向おうとしたサンディに先ほどの爺と同じ人ならざる気配を感じたティフォンは躊躇うことなくサンディに体当たりをかけてきたのだ。
「ガウウウゥッ!」
「くっ…この犬っころがぁ!!」
主の危機を救うのを邪魔されたサンディは激怒してティフォンに鋭利な爪を振るった。が、片足をやられているとはいえティフォンも獣の素早さと反応速度でそれをかわしている。
本来なら吸血鬼の身体能力を持ってすれば犬を捕らえることは難しくはないのだが、サンディは元々体を動かす仕事をしていない上に吸血鬼になって日も浅いのでどう攻撃すればいいのかいまいち理解していなかった。
そのためサンディはティフォンに釘付けにされてしまい、ナルストの援護に向うことが出来ない。
「ティフォン……頼む!」
アレクサンダーはティフォンが生きていたこと、ボロボロになりながらもアルマリスへの忠義を果たそうとするその姿に胸が込み上げてきたが、これぞまたとない好機と受け止めた。
今ならサンディに邪魔されることなくナルストへの攻撃に専念できる。
(ティフォン…、もう少しサンディを受け止めておいてくれ!)
おそらくあの傷ではティフォンも長い間は持たない。ならばティフォンが動けるうちにナルストを倒さないと流石にアレクサンダーに勝ち目はない。
アレクサンダーはその剣筋をますます鋭くさせてナルストへの攻撃を増していった。
「ええい、サンディ!何をしているのですか!!そんな犬など早く潰して私を助け……うわっ!!」
一方ナルストのほうも普段ならアレクサンダー相手に遅れを取るようなことはないのだが、胸の傷に加え怒りに燃えるアレクサンダーの攻撃が非常に苛烈で反撃に転じる時間を与えてくれない。
(く、くそっ!!調子に乗りやがって……)
せっかくここまで順調に来たというのに、まさかアレクサンダーに命の危機に晒されるなどとナルストにとっては全く予想外の事態だった。
信じたくはないのだが、このままでは本当に4百数十年続いた命を失いかねない。
(なんとかしなければ、なんとか!!)
そんな焦るナルストの目に、アレクサンダーの後ろでぴくりと動く『あるもの』が入ってきた。
(………これです!!)
この危機的な状況を逆転できる手を瞬時に思いついたナルストの目が歓喜にギラリと光った。
「このおぉ!!」
床を這い蹲り、転げ回って逃げるナルストに、アレクサンダーは何とか致命の一撃を加えようと躍起になっていた。
ただ下手にナルストに一撃を見舞おうとすると魔眼を食らってしまう可能性があるので、どうしてもアレクサンダーの攻撃は正確さに欠けナルストに致命打を与えることが出来ないでいた。
だが、アレクサンダーの猛撃は確実にナルストの逃げ道を削いでいっていた。ただでさえ深手を負っている上に体の所々にアレクサンダーの剣を受け続けているのでその動きはだんだんと鈍ってきている。
「くぅぅっ…、ぬおっ!!」
逃げ回っているナルストが勢いよく壁にぶつかった。とうとうナルストの逃げ場はなくなってしまったのだ。
- アレクサンダーの後ろではまだサンディがティフォンと取っ組み合っている音が聞こえる。つまりアレクサンダーの邪魔をするものはいない。
「もらったぞナルスト、父の、母の仇!!」
勝ちを確信したアレクサンダーはナルストの胸目掛け剣を突き出した。顔は見れないのでどんな表情をしているかはわからないが、きっと自分にやられるなんて信じられないといった顔をしているのであろうとアレクサンダーはほくそ笑んだ。
が、その体が突然ガクンと揺れた。
「?!」
アレクサンダーの後ろから、不意に何者かが組み付きその体を羽交い締めにしたのだ。
「なっ?!サンディか?!く、くそっ!放せサンディ……」
最初、アレクサンダーはサンディが自分を抑えてきたと思ったが、耳を澄ますと後ろからは相変わらずサンディの怒声が聴こえて来る。
ということは自分を掴んでいるのはサンディではない。そういえば、背中越しに伝わる感触もアレクサンダーよりずっと背が小さそうに感じる。じゃあ、一体誰が……
アレクサンダーが精一杯首を捻って後ろを確かめて見たものは、予想もしないものだった。
「…ア、アルマリス?!」
そう、アレクサンダーを掴んでいたのは後ろで寝かしておいたアルマリスだった。ただ、その顔には表情といったものはなく、光を失った目を虚ろに開きながらアレクサンダーを抑えている。
「な、何をするんだ!放せ、放せアルマリス!!」
思わぬことにアレクサンダーはじたばたともがくが、アルマリスは異様な力でアレクサンダーを締め付け全く放そうとしない。
「…ガッ?!」
この兄妹の異常な事態に、サンディと交戦していたティフォンは思わずアレクサンダーの方へと気を移してしまった。
そして、その隙をサンディは見逃さなかった。
ドボッ!
「ギャイン!!」
サンディの突きが動きの止まったティフォンを捉え、爪で腹を深々と抉られたティフォンは傷口から派手に血を吹き上げ苦悶の悲鳴を上げた。
「寝てろ、クソ犬!!」
動きが止まったティフォンをサンディは思いっきり蹴り飛ばし、ティフォンは床を数回バウンドしながら壁に叩きつけらればったりと倒れてしまった。
「ご主人様!!」
ようやっとティフォンを退けることが出来たサンディは急いでナルストのほうへと駆け寄ろうとしていた。
だが、向こうでも既に形勢は決していた。
☆
アルマリスに動きを封じられ身動きが取れないアレクサンダーに余裕を取り戻したナルストがゆっくりと近づいてきた。
「……、言ったはずですよ王子。私は吸血鬼だって。
先ほど王女の意識が少しだけ戻ったのが見えましたので、僭越ながら魔眼を使わせていただきました」
「……き、貴様!アルマリスを操ったのか?!この卑怯も…」
「やかましい!!」
- べキッと嫌な音を立てて、怒り狂ったナルストの鉄拳がアレクサンダーの左頬にめり込んだ。
「せっかく人が下手に出てやったのに、よくもあんな不様な目にあわせましたね!!このクソガキが!」
今度は反対側の頬に鉄拳が飛ぶ。
「この私のせっかく誘いを受けないばかりか私の命を狙うとは…、不遜にも程があります!」
間髪をいれず鳩尾に膝が食い込んでくる。
「げはぁ!!」
その容赦ない責めにたまらずむせたアレクサンダーの髪をがききと掴み、強引に自分の方へと向けさせた。
「兄妹仲良く一緒に下僕に変えてみようと思っていましたが……、気が変わりました。
お前には、死に勝る苦痛と恥辱を与えてあげます!!」
ナルストは自由になっている右手でアレクサンダーの襟を引きちぎると、露わになった喉首にがっぷりと喰らいついた。
「あっ!ああぁ――――っ!!」
ズキン!と首にきた鋭い痛み。だがアレクサンダーの慟哭はそれに対してのものではなかった。
その直後に襲ってきた体が奥から爆発するような快感。ナルストが食いついているところから物凄い勢いで自分のなかのものが吸い取られていき、代わりに目に見えそうなほどドス黒いものが流れ込んでくる。
それがたまらなく心地よく、そして恐ろしい。
「や、やめろぉぉ……!」
身動きの取れないアレクサンダーは懸命に身を捩って抵抗するが、それは抵抗と言うより快楽に戦慄いているようにしか見えない。
現に、口では拒絶の言葉を吐いているものの、吐息には甘いものが混じり目は熱く潤みはじめている。
頭は急激な貧血で思考が働かなくなって体全体が強烈な虚脱感に包まれ、首から発せられる破滅的な快感が全身にどろどろと染み渡っていっていった。
「や、やだぁぁ………。こんな、ぁ……」
ついには抵抗する力も消え去り、アレクサンダーはナルストに思うがまま血を吸われ時折弱々しい呻き声を上げる以外何をすることも出来なくなっていった。
「ふん……、こんなものですかな」
やがてナルストがアレクサンダーから口を離すと、腰が抜けてしまったのかアレクサンダーは膝からガクガクと崩れ落ち、アルマリスの手から滑り落ちてしまった。
「ハ、ハアッ!ハアァッ……、ハアァァ………!」
アレクサンダーはまるで全力疾走をした後のように肩で息を吐き、真っ赤に上気した顔は吸血の快楽に蕩けきっている。
「ふふ…、どうですかな?吸血が与える快楽は。他のことを全て捨てたくなるくらい強烈でしょう?」
ナルストが息も絶え絶えのアレクサンダーの腰を踵でぐりぐりと踏みつけた。
アレクサンダーにしてみればこの上ない屈辱だが、抵抗しようにも体に力は入らず貧血で頭もうまく働いてくれないので減らず口の一つも出てこない。
「どうしました?何も言わないのではわかりませんよ?ほら、ほら!ほらぁ!!」
アレクサンダーからたっぷり血を搾取したので胸の傷もすっかり癒えたナルストは、今までの恨みをぶつけるようにアレクサンダーを足蹴にした。
その横で、サンディが申し訳なさそうにナルストに頭を下げている。
「も、申し訳ありませんご主人様。ご主人様の危機になにもすることができず……」
だが、当人のナルストはそんなサンディを冷たく一瞥し、興味なさそうに視線を外した。
「…犬如きに遅れをとって私を守ることすら出来ないとは、使えない下僕ですねぇ」
「!!」
それは、サンディにとって死刑宣告のようなものだった。ナルストのためだけに存在しているサンディが、ナルストに使えないと言われたら一体これからどうすればいいのか。
「……お前が、お前のせいで!!」
- そんなサンディの焦りは、すぐ傍にいたアレクサンダーに怒りとなってぶつけられた。これまで手を焼かせられてきた恨みが一気に爆発し、半ば八つ当たりのようにアレクサンダーをげしげしと踏みつけた。
「がっ…げはっ!!」
顔を、腹を、脚を容赦なく踏みつけられ、アレクサンダーの体には所々に死斑のような青痣が浮いてきた。それでもサンディは蹴るのを止めず、殺しそうな勢いでアレクサンダーを叩きのめした。
「…勝手に王子を痛めつけるのはそれくらいにしなさい。全く、下手をしたら王子が死んでしまうではないですか……」
結局ナルストが止めるまで、サンディは延々とアレクサンダーを足蹴にし続けた。
「サンディ、王子を起こして差し上げなさい」
「は、はい…」
サンディは言われるままほとんど気絶状態のアレクサンダーの首根っこを掴んで起き上がらせ、鳩尾に一発鉄拳を振る舞った。
「……?!ぐふっ!」
その一撃でアレクサンダーは意識を強引に引き戻され、涙と涎でグチャグチャになった顔をサンディに掴まれると強引にナルストのほうへと向かされてしまった。
「おお、お目覚めですかな王子。私の下僕が随分と勝手な真似をして申し訳ありませんでした」
「ナ、ナルスト……っ?!」
痛みで焦点があわせづらい瞳をなんとか絞ってナルストを睨みつけたアレクサンダーは、次の瞬間言葉を失った。
「………」
ナルストの懐には、魔眼で催眠状態にあるアルマリスが抱き寄せられていた。
「せっかくのショーを見られないのでは王子も不本意でしょうからな……。ハハハ!」
「ま、まさかお前……、アルマリスを!!」
あまりにも嫌な、絶望的な予感。アレクサンダーは言うことを聞かない体を何とか動かしてナルストの下へ駆け寄ろうとしたが、それを阻止するようにサンディがアレクサンダーの両腕を掴んできた。
「ふふっ、ダメですよ王子。舞台の上に観客は行ってはいけないのは常識じゃないですか」
「やめろ、やめろナルストォ!僕は、僕はどうなってもいいからアルマリスだけはぁ!!」
どこにそんな力が残っていたのか、アレクサンダーはサンディを振りほどきそうな勢いでナルストに訴えかけていた。が、そんなことを聞くナルストではもちろんない。
「王子の血もなかなかに『おつ』なものでしたが…、死にかけの王女の血はどんな味がするのか非常に愉しみですよ!」
服を剥くのももどかしかったのか、ナルストはぎりぎりと伸ばした牙を服の上から直接アルマリスに突き刺した。
「………あっ」
牙が刺さった痛みに反応したのかアルマリスの頭がビクンと動き、魔眼で暗く濁っていた瞳が僅かに煌めいた。
「あ……」
病気のため青ざめていた肌はほんのりと赤く染まり、苦しみ以外の表情を作ることを忘れていた顔には緩い笑みが浮かんできている。
「あはあぁ……」
小さく開いた口から漏れる溜息は、それまでアレクサンダーが聞いたことがないほど艶っぽくて蠱惑的で、いやらしいものだった。
ナルストの喉仏がごくり、ごくりと上下するたび、アルマリスはその小さな体をピクン、ピクンと戦慄かせ、喜色に染めた顔でうっとりと虚空を眺めていた。
「あ、これきもちい……。とけちゃいそ…」
明らかにアルマリスはナルストの吸血に悦楽を感じ、それをもっと深く感じようと自由な手をナルストの頭に添え自分の首へと押し付けている。
「や、やめろぉ……!アルマリスに、そんなことさせるなぁ……」
自分が知っているアルマリスとは明らかに違うアルマリスを見せ付けられ、アレクサンダーはじたばたと暴れながら悔しさで目を真っ赤にして叫び続けた。
「何言ってるんですか王子。王女は今、天にも昇る心地を味わっているんですよ。決して人同士では得られない快楽をね。
それに、王女はこのままでは確実に死ぬんです。これをご主人様の御慈悲とは思いませんか?」
「うるさいサンディ!!僕は許さない。アルマリスをあいつの下僕にするなんて絶対に認めない!!アルマリスを何者にも束縛させはしない!アルマリスを吸血鬼になんてさせはしない!!」
- 「ククク!もう遅いですよ。もうすぐ王女も血を吸い尽くされて吸血鬼になり………?」
「さて、もういいでしょう」
ぎゃあぎゃあ喚くアレクサンダーをさも面白そうに見ていたサンディだったが、そんな中ナルストはアルマリスに埋めていた牙をぬぬっと引き抜いてしまった。
アルマリスの顔は吸血と病気で真っ青になってはいるものの、吸血を始めた時間からしてもまだ血を吸い尽くしたとまでは言い難い。
「あれ……?ご主人様、何で……?」
その疑問はアレクサンダーも同じだった。この状態ならナルストは誰にも邪魔されることなくアルマリスの血を吸い尽くすことが出来る。わざわざ途中で止める理由が見つからない。
まさかアレクサンダーの願いを聞き届けたわけでもあるまい。先ほどナルストはアレクサンダーに『死にも勝る苦痛と恥辱を与える』
と言っているのだから。
「ハアッ、ハアッ……。も、もっと……吸ってくださ……。お願い、します…」
一方すっかり吸血の虜になっているアルマリスは、途中で吸血を止められた苦痛から潤んだ瞳をナルストに向け更なる吸血を迫ってきた。
だがナルストは無視してアルマリスを床に下ろすと自らの指を噛み、滴ってきた血ごとアルマリスの口へちゅぷりと含ませた。
「………はぅっ!」
その瞬間ドクン!とアルマリスの体が跳ね、大きく開いた瞳がボゥッと赤く輝いた。
「ふふふ…。アルマリス王女、これであなたはこの私の忠実な下僕…。わかりますね?」
「……はい」
ナルストの血を飲まされ、それまで快楽に緩んでいたアルマリスの顔はまるで人形のように表情を無くし、瞳を赤く輝かせながらナルストに対し機械的に頷いた。
「うん、いい子です。ではあなたに命令を下します。そこで内なる熱さに悶えるあなたの兄をその体で慰めて差し上げなさい」
ナルストはアルマリスの耳元でそう呟くと、その喉にかぷりと喰らいついた。
「あぅ……はい。畏まりました……」
喉に埋まる牙の感触にアルマリスは軽く戦慄き、口が離れたところでこくりと頷くとアレクサンダーの方へと振り向くとフラフラと近づいてきた。
「お、おいアルマリス……!」
自分のことをまるで路傍の石ころのように無機質な目で見るアルマリスに、アレクサンダーは何をされるか分からない恐怖に身を強張らせた。
「兄様……、アルマリスが兄様を慰めて差し上げます……」
アルマリスはアレクサンダーの前に四つん這いになってしゃがみこむと、突然アレクサンダーのズボンのベルトを外し始めた。
「な!ア、アルマリス?!待て、やめろ!!」
だがアレクサンダーの制止など全く聞かず、アルマリスは器用にアレクサンダーのズボンを下ろしパンツを剥ぎ取っていき、あっという間にアレクサンダーの下半身を露出させてしまった。
その太腿の間にある男のものは、先ほどまでの吸血による異常興奮によるものか、はたまた妹の痴態を間近で見たからか天井を指差すかのように勃起している。
「あらあら、実の妹が吸われている姿を見て勃っちゃったんですかぁ?なんて卑猥な兄様なんでしょうねぇ」
「ぐぅっ…」
サンディの鼻につくようなねちねちとした嬲り言葉にアレクサンダーの顔が耳まで真っ赤になる。こんな恥ずかしい姿をアルマリスや他の人間の前で見られるなどこれ以上ない屈辱だ。
だが、アレクサンダーへの責めはその程度では済まなかった。
アレクサンダーの下半身を剥いたアルマリスは、そのままその上半身をアレクサンダーの股間へと近づけてきた。無表情な顔に、心なしか薄く朱が注しているようにも見える。
- 「兄様を……慰めて差し上げます……」
ナルストから受けた命令を再確認するかのようにアルマリスは一定の時を置いて呟き続けている。ここまで来ると、アルマリスの『慰める』の意味が何をなしているかはアレクサンダーにも理解できる。
「んぅっ……」
「やめろ!それだけはやめるんだアルマリス!!ぼ、僕たちは兄妹……っ!あああぉ――――っ!!!」
妹が行おうとしている禁断の行為に取り乱し、必死に止めさせようとするアレクサンダーの口から獣の咆哮が上がった。
アルマリスの小さな口がくぱぁと開き、いきり立っているアレクサンダーの肉棒の先端をぱくりと咥え込んだのだ。
吸血による失血で体内の体温が相当に奪われている中、アルマリスの口内粘膜の感触は寒空の焚き火のような暖かさと腰が抜けるような心地よさをアレクサンダーに与えてきた。
「あぁ…兄様の、すごぉく熱い……」
アルマリスはうっとりとした目でアレクサンダーのペニスを眺めながら、どこで覚えたのか口の中でゆっくりと舐り、転がし、じゅぷじゅぷと音を立てながら奉仕を捧げてくる。
もちろん今までそんなことをされたことのないアレクサンダーに、この刺激はあまりにも強烈すぎた。
アレクサンダーの腰には絶えず雷でも落ちたような痺れる刺激が襲い掛かり、反射的にガクガクと揺すりどおしになっている。恐らくサンディが抑えていなかったら腰でアルマリスを突き飛ばしていただろう。
「あぁぁ!!やめ、もうこれ以上はやめてくれアルマリス――ッ!!これ以上したら僕は、ぼくはぁぁ!!」
なんとかアルマリスに口を離してもらおうとアレクサンダーは切羽詰った調子で懇願するが、もう手遅れだった。
アルマリスの奉仕で体内で急速に増産された精液がどくどくと輸精管に注がれ、出口目掛けて込み上げてくる。それを止めることはもうアレクサンダーにはできなかった。
「く、口を離せアルマリスぅ!も、もう出る!出るうぅぅあああああぁ!!」
なんとかアルマリスが離れるまではと懸命に腰に力を入れたアレクサンダーだがそれも叶わず、アルマリスが咥えた亀頭から大量の白濁がアルマリスの口に噴き出してきた。
「んぷっ……!」
不意に噴き出してきた精液にアルマリスは対処できず、口と肉棒の間からどぷりと精液が吹きこぼれ、ぼたぼたと顎を伝って床に垂れていく。
「あ……あひ……、はあぁ………」
実の妹に股間を舐められあまつさえ口の中に射精してしまい、アレクサンダーは強烈な放出感と妹を汚した後悔で半ば放心状態に陥っていた。
が、それも一瞬のことだった。
「慰める…。慰めるの…」
アルマリスが口から収まりきらなかった精液をどろりとこぼしながら、アレクサンダーのペニスに再びしゃぶりついてきたのだ。
「うぁっ!も、もうやめてくれぇアルマリス!!」
今出したばかりで刺激に非常に敏感になっているところで再び熱いものに包まれ、先ほどに倍する快感にアレクサンダーは涙声になって実の妹に懇願した。
だがナルストの言いなりになっているアルマリスはもちろん兄の言うことなど聞く気もなく、器用に舌と喉を動かして兄のものへ奉仕を続けている。
それだけでもすでにアレクサンダーの下腹部には猛烈な射精感が湧き出ているというのに、後ろにいるサンディがさらに余計なことをアルマリスに吹き込んできた。
「王女、口だけ使っては王子も物足りないと思いますわ。手も使って、王子の下の袋も愉しませてあげましょう」
同じ吸血鬼の命令だからだろうか、アルマリスはペニスを含んだままこくりと頷くと両手をアレクサンダーの股下に潜り込ませ、睾丸をこりこりと包むようにいじり始めた。
「ひぎっ!!や、やめれええぇぇっ!!ま、また出る!出ちゃううぅ!!」
アルマリスのほんのりと暖かい体温と適度な圧力が睾丸にかかり、その刺激で精巣内で物凄い勢いで精液が生産されていく。
もはや止めることなどできようもなく、アレクサンダーは2度目とは思えないほどの大量の精液をアルマリスへとぶち撒けた。
「おやおや。実の妹の愛撫で短時間に2度も気をやるとは。もしかして、王子は王女に禁断の愛でも抱いておりましたかな?」
- 射精後の痺れるような余韻で朦朧としている中ナルストの嘲笑が聴こえて来る。その声は、快楽に沈みかけていたアレクサンダーの心に再び燃えるような怒りを呼び戻してきた。
「うる…さい……!人の不様な姿を見て笑ってるんじゃない…。この、変態が………」
腰は射精後の名残りでビクビクと痙攣し、口からは溢れ出る涎が糸を引いていながらも、ナルストを睨むアレクサンダーの目にははっきりと理性が宿っている。
正直ナルストはアレクサンダーの意志の強さに驚いていた。吸血の快感を与えられ、実の妹にしゃぶられるという恥辱を受けてなお消えない強さを持つ自我。
それはナルストにとっては別の意味で屈辱だった。自分の命を危機に陥れただけでなく、自分の牙の虜にすらならないというのはナルストのプライドを酷く傷つけていた。
だからこそ、素直に殺すことも簡単に下僕にすることもしない。徹底的に嬲って心身をずたぼろにし、心の底から自分に屈するように仕向けなければ気がすまなかった。
「ふふ…、変態はどちらですかね。妹にしゃぶられて興奮して、精を吐き出すほうがよほど変態ではありませんか。
まあ、王女には吸血した際男の悦ばせかたを頭に刷り込ませましたが、それにしてもその様はないかと……」
「なっ……!」
つまり、どう考えてもアルマリスが知るはずがない奉仕の技はナルストが教えたと言うことになる。
「遠慮することはないのですよ王子。存分に吐き出しなさい。王女のその美しい顔を、あなたの精で真っ白になるまで汚してあげなさい!」
「こ、この外道…!!よくもアルマリスに…ひあぁあ!!」
ナルストへ向けてこの世の全ての憎しみをぶつけるようなアレクサンダーの声が途中で裏返った。またしてもアルマリスがアレクサンダーへの愛撫を再会したのだ。
ナルストの知識を受けたアルマリスの奉仕は濃厚かつ繊細で、二度の射精を経てなおアレクサンダーのペニスは雄々しく起立し始めてきている。
「う…あぁ!アルマリス、目を覚ますんだぁ……!こ、このままじゃ気持ちよすぎて、また出ちゃう……!!」
まるで熟練の情婦のような愛撫にアレクサンダーの怒りの表情はあっという間に蕩け、体から力がくたくたと抜けていってきている。
このまま一晩中アルマリスに奉仕を続けさせれば、さすがのアレクサンダーの強靭な意思も爛れた肉欲に溺れきってしまうだろう。
それはそれで見ものではあるのだが、ナルストはもっと残酷なことを考えていた。
「そうでしょう。気持ちいいでしょう。血が繋がっている人間に不浄の器官を舐められるのはさぞ心地よいことでしょう!!
ですが、気をつけたほうがいいですよ。あまり射精しすぎると……、王子も吸血鬼になってしまいますよ!」
「な………に………?!」
脳内をばしばしと快楽の火花が飛ぶ中、聞き捨てならないことを耳にしてアレクサンダーはナルストの方へゆっくりと顔を向けた。
「どういう……こと、だ……。ナルストぉ……」
「先ほどの私の吸血で、王子の体の命の力は相当吸い出されております。
そして、ここでさらに射精によって残りの命も全て放出されて死に至れば……、死した王子は吸血鬼の力に染め上げられ、新しい吸血鬼として蘇るいうことですよ!」
「っ!!」
ということは、このままアルマリスによってアレクサンダーが射精し続けると、いつかは吸血鬼になってしまうということだ。
「もし王子が吸血鬼になったら、目の前にいる王女を食べる権利を与えましょう。そのために、王女を吸血鬼にしなかったのですから。
あれだけ我々から守ろうとした王女を、他ならぬ王子自身の手で吸血鬼に変えるのですよ。なんて面白いことでしょうかねぇ!クハハハ!!」
「そ、そんな…!」
このままでは自分がナルストの下僕になるどころか、アルマリスを自分の下僕にしてしまうということになる。
それは束縛されることを、することを好まないアレクサンダーにとっては悪夢でしかない。
- 「なぁに。それが嫌でしたら射精をしなければ良いのです。これ以上王子の命を外に噴出しさえしなければ、吸血鬼化することもありますまい。
もしこの一晩、王子が耐え切れたら…、その首を跳ねて吸血鬼にせずに殺してあげます。王子は吸血鬼になるのがお嫌いなようですから。もっとも……」
今でもアレクサンダーのペニスを一心不乱にしゃぶり続けるアルマリスを見ながら、ナルストは王子に言い放った。
「可愛い王女の性技を一晩中受けて、耐え切れるものならですがねぇ!さあ王女、王子の体内の精を一滴残らず搾り出して差し上げなさい!」
「…ふぁい。かしこまりました……」
ナルストの命令に頷いたアルマリスは、今にもましてアレクサンダーへの責めを強くしていった。口に含んだ亀頭の裏筋を舌でなぞり、口を細めてちゅうちゅうと吸引してくる。
陰嚢をいじる指はイソギンチャクのようにまとわりつき、時折後ろの窄まりの入口に指を這わせてつぷつぷと出し入れもしてくる。
それは先ほどまでの相手を蕩かすような奉仕とは異なり、無理矢理に快楽を高めて精を吐き出させるといったものへと変化していた。
その刺激の強烈さは、常人ならたちまちのうちに精を天井まで吹き上げるほどのものであり、弱りきったアレクサンダーにまさに止めをさすものであった。
「………?」
だが、アルマリスの口にはすぐにでも出るはずの粘り気のある精液が噴出してこなかった。
「ぐ……ぐああぁ………!」
変に思ったアルマリスが顔を上げると、顔を真っ赤にしたアレクサンダーが脂汗を流しながら必死になって射精を堪えている姿が見えた。
普通に考えれば無駄な抵抗でしかないのだが、このままナルストの思い通りになるのはアレクサンダーにとってどうしても許すことは出来なかった。
今にも尿道から迫り出して噴き上がりかねない精液を腰に渾身の力を込めて止め、アルマリスを汚さないように努力をしている。
とにかく出来る限り抵抗し、意地を貫いてみせる。今アレクサンダーが出来る抵抗はこれしか残されていなかった。
だが、ナルストに兄の精を全て出すよう命令されているアルマリスにとってアレクサンダーの抵抗は邪魔なものでしかない。
「ダメ…、兄様。我慢しないで……。いっぱい、いっぱい出して……」
アルマリスはアレクサンダーのモノを口どころか喉まで使って包み込み、喉できゅうきゅうと擦って射精を促してきた。
新たな責めにアレクサンダーの腰にビリッとした電気が走るが、それでもアレクサンダーは射精を拒み続けた。
腰は溶けそうなほど心地よく、頭の中は考えることを拒むかのように情欲によってピンク色に染まりつつある。吸血された後遺症か噛み跡はズキズキと疼き、弱りつつある心が吸血を渇望する思考を抑え切れなくなりつつある。
出ることを許されず溢れつつある精液が放出を望んでアレクサンダーの脳に出せ出せと訴えてきている。
いっそのこのまま快楽に屈し、アルマリスの口の中に射精すればどれほど楽になることか。一瞬アレクサンダーはそう思ったが、それをニヤニヤとナルストが眺めるのかと思うとそんな意思も消えていく。
「だ、出すものかぁ、出すものかあ!!ナルスト、お前の思い通りになんか絶対にぃ………!!」
アレクサンダーは萎えそうになる心を奮い立たせるかのように大声を上げて抵抗した。並みの人間なら数回は達しているであろうにいまだに抑え続けているのは驚異的な意志の強さによるものだった。
「んふふっ…。王子、そんなに我慢しては王女がかわいそうではありませんか……」
そんなアレクサンダーに後ろのサンディが耳元で呟いてきた。
「王女は王子を気持ちよくしたくて、王子のおちんちんをしゃぶっているのですよ?気持ちいいなら気持ちいいでちゃんと反応してあげないと…」
「うる……さぁいサンディ!!僕は気持ちよくなんかない!気持ちよくないから射精しないんだぁ!!!」
もはや意地になるアレクサンダーを、サンディは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ふん、そうですか……。じゃあ私も少し王子を気持ちよくする努力をしましょう!!」
不敵に笑ったサンディの口がクワッと開かれる。その中で長く伸びる牙を、先ほどナルストが噛み付いたところにサンディはずっぷりと挿し込んできた。
「っ!!?ひあぁぁ!!」
- あまりに突然の牙の感触。ナルストに噛まれ全身が怖気を伴う快楽に戦慄いたのを全身の細胞が思い出す。一旦牙の快楽を知った体はそれを拒むことは出来なかった。
アレクサンダーの顔はたちまち快楽に緩んで下半身の暴走を抑えていた力もスッと抜けてしまい、抑えに抑えていた精液が堰を切ったかのようにアルマリスの口の中に迸った。
「あっ…。んっ、んぐっ……」
我慢し続けただけあってそれまでの射精で一番の量をアレクサンダーは噴き出したが、アルマリスはそれを嬉々として飲み込み、ついには一滴も零すことなく体内に入れてしまった。
「ふふっ…。兄様、やっと出してくれた……。でも、もっと出すの。もっともっと、兄様の中がからっぽになるまで」
精液が糸を引く青白い顔に娼婦のような熟れた笑みを浮かべ、アルマリスはまだ少し精が噴出しているペニスをぱくりと咥え、尿道に残った精を吸い始めた。
「はあぁ!だ、ダメ!そんな、そんな吸ったらまた、またぁ!」
その体内にさっきから作り続けていた精液がたっぷり残っているのか、殆ど間をおかずにアレクサンダーのペニスは4回目の噴射に至った。
「はあぁ…。出ちゃう。僕の命が出て行っちゃうよぉぉ……。嫌なのに、嫌なのに……、気持ちよすぎて止められないぃ……」
アルマリスの顔が、体が自分の出す精でベトベトに汚していっている。その光景をアレクサンダーは涙目で見ていたが、口元には放出の快楽に悦ぶ壊れた笑みが浮かんでいた。
「うふふ…。王子もやっと素直になりましたね。まったく、いつもこうだったら私もあんな苦労しないですんだんですけど」
ようやっと堕ちたアレクサンダーにサンディはクスクスと笑い、今度は反対側の首に牙を打ち込み、軽く血を啜り上げた。
「かぁぁっ!き、気持ちいい!噛まれるの気持ちいい!吸われるの気持ちいいぃ!!」
もう拒む気配すら見せず、アレクサンダーはアルマリスとサンディから送り込まれる快楽に全身を預けているように見えた。ペニスは壊れた蛇口のように精液を噴き出し、アレクサンダーの命を外へぶちまけ続けていた。
「出して…、兄様。兄様の全てを」
射精を促すアルマリスの顔とドレスはアレクサンダーの精液でどろどろになり、吹きこぼれた白濁が赤い絨毯の上に卑猥なコントラストを形成していた。
「はぁぁ!でるぅ!出したくないのに、またでるぅぅ!!」
時折振動でシャンデリアの灯りがゆらゆらと揺れる中、アレクサンダーは妹と吸血鬼の奉仕に幾度目とも知れぬ精を吐き出していた。
☆
その後アレクサンダーは10回以上も強制的に射精させられた。その顔はげっそりと落ち窪み、肌の色艶は失われてきている。
が、そのペニスだけは相変わらず天を突かんほどに怒張し、先端からどろりと精を零していた。
「ふふふ…。どうやらあと1〜2回射精すれば全て空っぽになりそうですね。では止めといきましょうか。
王女、最後は王女の大事なところを使って、王子の精を吸い尽くしてあげなさい」
「はぁい……」
今までより少しだけ弾んだ返事をアルマリスはして、やおら立ち上がるとその手をドレスの下に潜り込ませた。
もぞもぞと動かした手を下におろすと、その指には履いていた白いショーツが絡んでおり、それを無造作に投げ捨てたアルマリスはアレクサンダーへと振り返ると両手でドレスをぺらりと捲った。
快楽で霞むアレクサンダーの目に、露わになったアルマリスの下腹部が飛び込んでくる。そこは、今までの奉仕で興奮したからか脛まで熱い蜜で濡れていた。
「ふふ…、兄様。最後は私のココで兄様の精を吸ってあげます。私の中にたくさん射精させて、兄様をからっぽにしてあげます」
「あ、あぁ……」
妹の熟れきった秘部にアレクサンダーの目が釘付けになる。今までの奉仕で性感を開発され尽くした体はアルマリスの中に埋まる期待でメラメラと燃えあがっている。
- だが、アレクサンダーの心はそれを頑なに拒んでいた。実妹と繋がることへの不実の恐怖。操られている妹に対しての申し訳なさ。
そしてなにより、自分が本当に望む相手との交合ではないことがアレクサンダーの心に激しい抵抗を覚えさせているのだ。
でも心ではそう思っていても体はそうは思っていない。アレクサンダーのペニスは最後の射精を行うための準備を既に完了させ先端から熱い先走りの液を垂らしていた。
「さあ…、兄様……」
アルマリスが一歩進み、アレクサンダーの上を跨いできた。後はそのまま腰をおろせば、二人は一つになる。
「やめて…やめてくれぇアルマリス……」
もはや何を言っても無駄とは分かっているが、それでもアレクサンダーはアルマリスに思いとどまるよう訴えかけた。
しかしもちろんアルマリスはそんなことには耳を貸さず、ゆっくりと腰を屈め始めた。アルマリスの股から垂れるものがアレクサンダーの腰に落ちてくる。
あれに挿したが最後、自分は膣内に残っている精気を全て搾り尽くされ吸血鬼となってしまい、牙を疼かせながらアルマリスの首に喰らいついてしまうのだろう。
「やだ……いやだぁ……」
せめて繋がる瞬間だけはこの目に入れたくない。アレクサンダーはきゅっと目を瞑り、その時を迎えようとした。
その時、轟音と共に入口の扉が開かれた。
「ナールス!いやナルストーっ!ここにいるか―――っ!!」
扉を開けることも億劫だったのか剣で叩き壊して勢いよく殴りこんできたのは、ナルストへの復讐心に燃え上がったララディアだった。
「うぁ……そ、その声……まさか…?!」
アレクサンダーが最も信頼する者の声。そして最も強く想っている者の声にアレクサンダーは弱々しく目を開いてそっちへと振り向いた。
体中のあちこちに生傷を負い、襟首には吸血鬼に噛まれたのか赤く染まっている。下半身は素っ裸になっており、股間からは赤い液体と白い液体が糸を引いて流れた跡があった。
そしてその顔は今までアレクサンダーが見たことがないほどの怒りで歪んでおり、ぱっと見た目ではララディアと分からないほどだった。
「いたなぁナルスト!大人しくこの剣の錆びに……?!」
シャンデリアの頼りない光輝く部屋の奥に佇むナルストを捉えたララディアは勢いよく剣を振りかざしたが、同時にその手前で睦みあっている男女に目をやってギョッと目を見開いた。
「えぇ……っ?!お、王子!!」
クーラの言うことから、ここにアレクサンダーたちがいることは予測済みだった。だが、まさかこんな状態で会うとは予想外だった。
「ラ、ララディア……。無事、だったぁ……?!」
ララディアが無事だったことに最初アレクサンダーはほっとしたが、次に自分の姿を思い出して愕然とした。
殆ど全裸に剥かれ、首に無数の噛み跡を晒し、周囲に自分が噴き出した大量の淫液の飛沫を残し、弾けそうなほどに勃起した逸物を今まさに妹に挿れられようとしている。
それは、想いを秘めている人間には絶対に見られたくはない姿だった。
「あぁぁ……、み、見るな。ララディア、こんな僕の姿、見ないでぇ……」
アレクサンダーは弱々しく首を振り、恥辱の涙を流してララディアに自分を見ないでくれと訴えた。
「お、王子……。なんて……」
そのあまりにも無残な姿に、ララディアは一瞬自分がここで何をしようとしていたのかすら忘れてしまっていた。
続
- 「あらら、どうしたのかしらぁララディア?王子を見て赤くなっちゃって。もしかして、王子のおちんちん見て興奮しちゃった?」
アレクサンダーを抱えているランディが、王子のほうを向いたまま固まったララディアを見てバカにするかのように顔を醜く歪めた。
その声を聞き、ハッと我に帰ったララディアは吸血鬼に成り果てたサンディの姿を見て、クーラから聞かされていたとはいえ改めてショックを受けた。
眼鏡の奥に赤く光る凶悪な瞳。血色が抜けた死人の肌。嘲笑を浮かべている口から見える白く光る牙。
それは、先ほど別れるときに見せていた友人のものとは全く異なる、心の底まで人外に堕ちきった魔物のものだった。
「サンディ……、なんであなたがみすみす吸血鬼の手に……」
信頼できる友人がすでに吸血鬼化し自分をたばかっていたことにララディアは哀しさから唇を血が滲むくらいに噛み締め、サンディはそんなララディアを見てフンと鼻を鳴らした。
「バカにしないでよねララディア。私は望んで吸血鬼になったのよ。この国のバカな連中を足蹴にし、ご主人様のための素晴らしい国を作るためにね。
もうこの国は吸血鬼で溢れ帰り、新しい世界を開きつつある…。見なさいな、貴方の大事な王子も今や私たちの仲間になりつつあるわ!」
確かにアレクサンダーの顔色は貧血と疲労感で土気色に変化し、今にも息絶えそうなほどに弱々しくなっている。
「このまま王女の中で王子がその命のエキスの最後の一滴まで吐き出して死ねば、すぐに王子は吸血鬼として蘇るわ。
あなたはそこで大人しく見ていなさい。王子が実の妹の手で筆卸しをされ、射精する瞬間をね!!」
「うふふ…、兄様を、兄様を気持ちよくさせるの……」
アレクサンダーに跨っているアルマリスは歳不相応の淫靡な笑みを浮かべ、今にも腰をアレクサンダーに落とそうとしており、
それをアレクサンダーは情けない顔を浮かべたまま為す術もなく動けないでいる。
「ア、アルマリス様!お止めください!!」
ララディアは禁忌を犯そうとしているアルマリスを止めようと駆け出したが、サンディがアレクサンダーの胸に突き当てた刃物のような爪を見てキュッと足を止めた。
「サ、サンディ…?!」
「動かないでララディア。もしそこから一歩でも動いたら王子の胸板を貫くわよ。
もう既に王子の命は生きることが出来るギリギリまで吸われている。今死んだら王子はすぐに吸血鬼として蘇るわよ」
ララディアを見るサンディの眼は決して脅しではないと言っている。なぜなら、この上ないほど面白そうににやけているからだ。
「それとも…、ひょっとしてあなたが王子の筆卸しをしたかった?王子の童貞チンポ、その下の口で咥えたかったのかしら?
それだったら構わないわよ。クーラに散々犯されたそのユルマンで、王子のチンポ汁吸いだしてもさ!キャハハハハ!」
「な?!」
サンディの嘲笑にララディアの顔がボッと赤く染まった。確かに今のララディアはクーラに犯されたときのまま駆けて来たので、下半身は剥き出しになり腿の間には破瓜の血と乾いた精液の跡が伝ったままになっており、
アレクサンダーの痴態とそれほど変わらない淫らな姿を晒している。
さっきまで頭に血が上っていてさして気にもならなかったが、改めて指摘をされて急に羞恥心が湧き上がりララディアは片方の手で自分の股間をサッと隠した。
「バ、バ、バカなこと言わないでよ!!な、なんで私が王子の、王子の……」
顔を真っ赤にしてララディアは否定しようとするが、その次の言葉がどうしても出てこない。
だがそれも仕方がないことかもしれない。サンディが言ったことはララディアの心の奥の願望を正確に言い当てていたのだから。
口をあうあうさせたまま固まっているララディアをサンディはニヤニヤと見つめ、そのままアルマリスに向き直った。
「さあ王女、邪魔もなくなりましたしそろそろ王子を楽にさせて上げましょう。王女の狭い蜜壷で、王子の命を最後の1滴まで搾り尽くして差し上げなさい」
「はい……。私が兄様の全てを、搾り尽くしてあげます……」
思わぬお預けで焦らされたアルマリスの股間からは熱い蜜が糸を引いて零れ落ちてきている。これだけ熱く濡れた膣内に挿入してしまっては恐らく一扱きするかしないかの内に心地よさから射精してしまうだろう。
「うふふ……」
くきっと腰を落としたアルマリスの潤んだ陰唇がアレクサンダーの亀頭にぷちゅっと触れた。
「ひあああぁ――――――っ!!」
それだけで腰が痺れるような快美感がアレクサンダーの全身を貫き、アレクサンダーは魂も震えるような甘い悲鳴を上げた。
- (あああっ!アルマリスのアソコが僕のチンチンに吸い付いてくるぅ!気持ちいいぃ!)
先ほどからさんざん吐き出し続け、もう滴すら残っていないと思っていた精巣の奥で精液が物凄い勢いで製造されているのが感覚で分かる。
しかもその精液は、文字通りアレクサンダーの残り僅かな命そのものから搾り出し精製しているものだ。これをアルマリスの膣内に射精したら間違いなくアレクサンダーは事切れてしまう。
だが分かっていてももう射精を堪えきれるほどの体力、気力は殆ど残っていない。このまま不様に実の妹の中に精を吐き出して死に、吸血鬼として呪われた命を授けられ、妹の首筋に嬉々として牙を突きたてる未来を避ける術はもはやない。
そして、そんな無様な自分の姿を想いを馳せた人間に目の前で見られるという屈辱。
(畜生!畜生!!ごめん、ごめんよアルマリス!ララディア!!)
アレクサンダーは悔しさで真っ赤に腫らした目をぎゅっと瞑りながら歯を食いしばり、アルマリスが自分のモノを埋める快楽に少しでも抵抗しようと覚悟を決めた。
が、いつまで経ってもアルマリスの下の口はアレクサンダーの先端に吸い付いたまま飲み込もうとして来ない。
これはおかしい、と思いアレクサンダーが目をうっすらと開いたその瞬間、ドサリと胸に何かが落ちたショックを感じた。
「……?!」
何事とアレクサンダーがパッチリと開いた目に入ってきたものは、自分の胸の上に倒れ伏したアルマリスの頭だった。
「ぁ……、兄様を、兄様……を、きもち、よくぅ………」
今だ催眠状態は解けていないようでアルマリスは赤い瞳を虚ろに輝かせてはいるが、体のほうは時折ビクッビクッと弱々しい痙攣を起こすだけでまったく動き出す気配は見せない。
「むぅ……、王女の体に先に限界がきてしまいましたか……。少し遊びすぎましたかね…」
その一部始終を見ていたナルストが残念そうに首を振った。
考えてみれば、アルマリスの体はすでに弱り果てており明日をも持たない命だった。それをナルストが吸血と催眠で無理矢理動かしていたのであって、遅かれ早かれその肉体は限界を超えて動かなくなる運命だったのだ。
「ふふっ、王子が我慢しすぎたせいで王女の方が先にダメになってしまいましたわ。これも王子のせいですよ。王子がとっとと屈服して吸血鬼になっていれば、王女も救うことが出来たものを」
サンディはやおら立ち上がると、もう使い物にならなくなったアルマリスの腕を掴みララディアの方へブン!と投げつけた。
「きゃあっ!」
ララディアは結構な勢いで飛んでくるアルマリスをなんとか落とさないようにキャッチできたが、その衝撃でドスンと派手に尻餅をついてしまった。
「サ、サンディ!あなた王女に何を……」
アルマリスへのあまりに酷い扱いにララディは激高したが、サンディはゴミでも見る目でララディアとアルマリスを睨み、フンと鼻を鳴らした。
「フン、そんな動きもしない役立たずもう必要ないわ。私の手で、王子を吸血鬼に変えてあげるわ。ご主人様に指導して頂いたフェラテクとこの牙で、王子の赤と白の命の水の全てを吸い尽くしてやるわ」
ニィッと笑ったサンディの牙がキラリと光る。その牙は今すぐにでも王子の血を啜りたいと主張しているのか、キリキリと音を立てて伸びてきていた。
「さあ王子、あんな小娘とは比べ物にならない大人のテクで王子を文字通り昇天……」
待ちきれないといった感じで王子へ振り返り腰をかがめたサンディの声が不意に止まった。
「あぇ……?」
胸におかしな衝撃を感じたサンディが自分の胸を見ると、そこにはアレクサンダーの手に持った長剣の切っ先がずぶりとめり込んでいた。
「……あまり僕を舐めるな、サンディィ!!」
貧血と大量射精で真っ青な顔をしているアレクサンダーだったが、サンディを見る目は憎悪と怒りで爛々と輝いている。一瞬だがアレクサンダーから気を逸らした隙を逃がさず、残った力を振り絞ってアレクサンダーはサンディの胸に手元にあった剣を突き刺したのだ。
- げぶっと咳き込んだサンディの口からどす黒い血がごぼりと噴き出してくる。
「な、な、な!なんてことしやがりますかこの糞ガキがぁ―――ッ!!」
胸を貫く激痛に怒り狂ったサンディは、半身を起こしていたアレクサンダーの頭を力の限り蹴り飛ばした。アレクサンダーの体は軽く吹き飛ばされ、仰向けに床に転げ落ちた。
「う…うがぁぁ!!血が、血が流れ落ちるぅぅ!!」
どうやら心臓を貫かれはしなかったみたいでサンディの体から火が昇ることはなかった。が、胸を貫かれた以上相当な深手なのは間違いなく、傷口と口からは止まることなく血がだくだくと流れ落ちてきている。
「血が、血が足りないぃぃ!血を、血を吸わないとぉぉお!!」
出血で体の血が少なくなったからか、サンディは血を求める吸血鬼の本能剥き出しにして、力なく横たわるアレクサンダーの首に噛み付こうと腰を屈めようとした。
ドキュ
しかし、それより先に今度はサンディの背中から胸へ何かが貫く感触がした。
何事かと思ったサンディが自分の胸を見ると、今度は胸の谷間から見覚えのある鋭い鞭の先がピンと伸びていた。
もちろんそれはサンディの体の中心を正確に貫き、心臓を完全に潰していた。
「え………?」
サンディは信じられないものを見たような目をし、くるっと首を後ろに向けると、そこにはうんざりした顔で自分へ鞭を伸ばしたナルストの姿があった。
「な、なぁんでぇ…?ごしゅじんさまぁ……?」
サンディには、ナルストが何故自分を殺したのか想像が出来なった。訳がわからず混乱するサンディの体からは早くも所々から煙が湧き出してきている。
「…そんな死にかけの小僧に不覚を取るような情けない下僕などいりません。それに、お前の好色さにはいい加減うんざりきていましたからね。ここいらが捨て所でしょう」
「え……、ど、どぉういうことでぇすかぁ…。ごしゅ……!!」
まるで自分が元々捨て駒だったといわんばかりのナルストに愕然と表情を崩したまま、サンディの体は一気に燃え上がり服と眼鏡を残して灰となって崩れ落ちた。
「な、なんで……サンディを……」
ぐったりとしているアルマリスを抱え起こしながら、ララディアは目の前で起こった光景に目を疑っていた。
アレクサンダーが絶体絶命の危機だと思ったら、勝手な同士討ちでサンディがあっという間に燃え落ちてしまったのだ。
いくら吸血鬼に堕ちていたとはいえ、親友だった人間が目の前で殺される姿を見るのは辛い。が、それよりも何故ナルストがサンディをあっさり殺したのかが理解できなかった。
「ん?せっかく貴方の大事な王子の危機を救ってあげたのですよ。少しは感謝してくれてもよろしいのではないですか?」
「バ、バカを言うな!大体、なんでお前がサンディを殺す!なんで!」
ララディアはサンディを殺した明確な説明をナルストに求めた。そして、それに対する回答は実に辛らつなものだった。
「なぜって……、元々最初から吸血鬼として生かしておく気などなかったからですよ。大して魔力も知識もなく、やれることは血を吸って吸血鬼を増やすことのみ。
そんな役立たずをどうして必要としましょうか?必要ないですよねぇ」
わざとらしく大袈裟に首をすくめるナルストを見て、ララディアはサンディのことが心底哀れに思えてきた。
おそらくサンディはナルストの思惑通りに動き回り、こうやってアレクサンダーとアルマリスを拉致してきたのだろう。
それを褒められるどころか、こうしてナルスト自身の手で処分されるとは悲惨と言う他はない。
だが、その後に続いたナルストの言葉はさらに強烈だった。
「そもそも、私はこの国の吸血鬼全て生かしておく気はないのです。サンディを処分するのも当然でしょう」
「えっ……?」
あまりにも意外すぎる返事にララディアはビックリしたが、それよりもっと仰天したのがアレクサンダーだった。
- 「…なん、だと……?」
アレクサンダーとしては、ナルストが国中に吸血鬼を氾濫させたのはこの国を乗っ取るためだと考えていた。そうでなければこんなに大それた事をする説明がつかない。
ところがナルストは、吸血鬼を生かしておく気がないと答えてきた。これは一体どういうことなのか。
「この際言ってしまいますけれど、私は国盗りとか全く興味ないのです。人の上に立つとか、そんな面倒くさいこと誰が率先してしようと思いましょうか」
そう言いながらナルストはアレクサンダーをじいっと睨みつけてきた。
「ぐぅっ…」
別にアレクサンダーは王になりたくない訳ではない。バカはやっていても将来自分がこの国を背負う存在になるという自覚は持っていた。
だが、ナルストに改めて君主の辛さ、面倒さを言われると果たして自分のしてきたことが現実に対する逃避だったのでは、と思わざるを得なかった。
「私はね、国を盗るのが好きなのではありません…。聞いていませんでしたか王子、私の二つ名を…
私の名は『傾国のナルスト』!国を傾かせ、滅ぼすのが何よりも大好きなのですよ!!クハーッハッハッハァ!!」
顔を抱えて狂ったように笑うナルスト、その姿を見てアレクサンダーは勿論のことララディアも言いようのない吐き気を覚えた。
「じゃあなに?お前がこの国をメチャメチャをしたのは、単にそれが好きだからだとでも言うの?!そんなバカな理由で、私たちの国をこんなことに?!」
たった1体の吸血鬼の暇つぶし。そんな理由でこのメルキルスは滅ばなければいけないのか。あまりにも理不尽な理由にララディアは激高したが、ナルストのほうもそんなララディアに憤りの顔を向けている。
「バカな理由とはなんですか!私のような死すら超越した者とって何が一番苦痛だか分かりますか?
退屈ですよ!なにもせずじーっと過ごすことがどれほどの苦痛か分かりますか?人生適度な刺激がないと、退屈で退屈でたまりません!
ですから私は、時々適当な国に入り込んでその国を内部からぐずぐずに崩すゲームをするのですよ。そして今のように吸血鬼だらけにした後は、その吸血鬼を全て滅ぼし次のゲームの種にするのです。ほら、これを見なさい」
ナルストが懐から取り出したのは、さきほど首を跳ねた王妃の体に振りまいた『転生の煙』の灰が入っていた小瓶だ。勿論今は使いきって空瓶になっている。
「今のように吸血鬼を増やす転生の煙を作り出すには吸血鬼数百体分の灰を凝集させなければいけません。ですから、昼間はまともに動けない吸血鬼をどんどん滅ぼして灰にして集め、煙の素を作らなければいけないのです。
わかりましたか?私がサンディを滅ぼしたわけを!灰にしなければいけない理由がちゃんとあったのですよ!!」
ということは、このナルストは気ままに国中を吸血鬼だらけにしては、その吸血鬼すらも自らの手で滅ぼして次の国を滅ぼす材料にしていることになる。
「こ…この外道ぉ!絶対に…許さない!!」
ナルストのあまりな身勝手さにララディアはその形相を鬼のように険しくし、ぐったりとしたアルマリスを床にそっと下ろすと剣の柄を両手で血が滲み出るほどに握り締めた。
だが、そんなララディアを見てもナルストは余裕の表情を崩すことはなかった。
「お待ちくださいララディア殿、その物騒なものをおろして少し話し合いをしようではありませんか」
そのあまりにいきなりのナルストの問いかけに一瞬ララディアは毒気を抜かれたかのようにきょとんとしたが、すぐに目を険しく細めるとナルストにじゃきん!と剣を向けた。
「まあまあそういきり立たずに。このまま王子と王女を放置していたら確実に死ぬといったら、どうしますかな?」
「っ?!お、王子と王女が死ぬですって!」
『死』と言う単語に流石にララディアは動揺し、剣を構えつつもナルストのほうへ気を向けた。
「ええ。王子も王女もその体内の生命力を著しく減らしており、王子はまだしも王女はあと数時間の命です。
ですが、私の医術を持ってすれば王子も王女も仮死状態のまま保存することは可能です。吸血鬼にせず、人間のまま生かすことが出来るのですよ」
「ララディア!!そいつの言うことなんか聞くな…!そいつの言うことなんか、信用できなぃ……!」
アレクサンダーが瀕死の身でありながら必死に声を張り上げてララディアに訴えてきているが、ララディアはアレクサンダーをチラッと横目で見て一瞬苦しそうに眉をひそめ、すぐにナルストへ向き直った。
- 「これは取引です。もし貴方が私に協力していただけたら、王子と王女を助けてあげましょう。本来なら魔眼で強引に言うことを聞かせるのですが、貴方には魔眼が通じませんからね。
さあどうします?その手で王子たちを救いますか?それとも、見捨てて共に死にますか?」
「くぅっ…」
ララディアの剣を持つ手がぶるぶると震えている。確かにこのまま二人を放っておいたら命を落とすのは間違いない。ナルストの医学の知識は確かなので、アレクサンダーたちの命を繋ぐ方法は実際に持っているのだろう。
親友を、後輩を、国中を取り返しの付かない状態にしたナルストは断じて許せない。だが、そのナルストの手を借りないと二人を助けることは出来ない…
「………それは、真実なのね?」
ダメだ。
自分にはこの二人を見殺しにすることは出来ない。もはや大地から消え去りつつあるこのメルキルスにあって、この二人は残された最後の証なのだ。
「?!ララディア!」
ララディアが剣を下ろしナルストの下へ歩みつつあるのを見てアレクサンダーは目を見開いた。
「やめろララディア!そいつは、そいつは父上の、母上の仇だ!命に代えても、絶対に倒さなければならない奴なんだ!!」
ララディアの横からアレクサンダーの悲痛な叫び声が聞こえる。だが、ララディアは心を鬼にして聞こえないふりをした。
(申し訳ありません、王子。でも、私には王子を王女を失うことは耐えられません。もし王子の命が助かるのであれば、私は、私は…悪魔にも魂を売りましょう!本当に申し訳ありません、王子!)
顔を屈辱に歪ませながら自分の前に歩いてきたララディアに、ナルストは満足そうににやけ顔を浮かべた。
「フフフ、良い選択肢ですよララディア殿。では、私の手足となって働く。そう誓うんですね?」
「……あなたが本当に、約束を守るのならば…」
「いいでしょう!守りましょう守りましょう!!王子と王女はきちんと保存して差し上げますよ。こう見えても私は嘘は言わない主義でして!」
国を陥れた分際で、どの口で嘘は言わないと抜かすかとララディアは不快感を隠せなかったが、ここで逆らって約束を反故にされるわけにはいかないのでグッと堪えた。
「いいですねぇ。その恥辱に堪える顔つき、実にそそられますよ!では、私に忠誠を誓う証として……」
ナルストは屈辱に堪えるララディアの顎をつぃっと掴むと、これまでの激闘で傷だらけの口元に自らの唇を近づけていった。
血を吸うのか唇を貪ろうというのか、ララディアにはナルストの意図は分からない。ただ、逃げるという選択肢はもてなかった。
これは、ナルストがララディアの本気度を確かめているのだ。ここでもしララディアが逃げたら、ナルストは躊躇いなく二人を見捨てるだろう。
「くぅっ……」
止むを得ないとはいえ思いを寄せる人の真ん前で不倶戴天の仇相手に体を蹂躙される悔しさに、固く閉じたララディアの瞳からじんわりと涙がこぼれてきた。
ところが、ナルストの皮膚の冷たさが空気越しに感じられるほど近づいた時、異変が起こった。
「ぐぉわぁ!!」
突如ナルストが苦悶の悲鳴を張り上げ、バッとララディアの顎から手を離した。
何事かとララディアが目を開くと、なんとナルストのわき腹に満身創痍のアレクサンダーが深々と長剣を突き刺していた。
ナルストのわき腹からはドス黒い血が派手に噴き出し、床に黒い染みを広げていっている。
「お、王子?!」
「ふざけろナルストォ……!そう全てがお前の思い通りになると思うなぁ……っ!」
ナルストを見るアレクサンダーの眼は、今までララディアが見たことがないほどの憎悪の炎で燃え輝いている。しかし、それは両親を殺したことに対する怒りでも国を滅ぼしたことへ対する怒りでもなかった。
「お前なんかにララディアを汚されてたまるかぁ!父上を、母上を、アルマリスを、僕自身を汚された上に、このうえララディアまで汚されてたまるかぁ!!
『僕』のララディアを、お前なんかに奪われてたまるかぁぁぁっ!!!」
- それは、極限状況で無意識に飛び出したものとはいえ、明らかにララディアへ対する恋愛感情の発露だった。大好きなララディアが自分たち家族を破滅に追いやった男に奪われることが、アレクサンダーにはどうしても許せなかったのだ。
「王子……!!」
この言葉に、ララディアはぎゅんっと胸が熱くなる思いをした。確かに自分も王子に対し淡い想いは持ってはいた。しかし、アレクサンダーが自分のこともまたこれほど想っていたことを知らされただけでこんなに満ち足りるとは思わなかった。
これが平時だったらどれほど嬉しかっただろうか。せめて昨日、このことを知っていたらどれほど幸せだったろうか。自分のアレクサンダーに対する想いが、これほどまでに大きいものだということを。
「僕のララディアから離れろぉぉ!!ナルストォォォ!!」
アレクサンダーは残り少ない力を振り絞ってナルストの体に長剣をぐいぐいと押し込んでいる。もしこれが心臓に達していたら、ナルストの命はここで終わっていただろう。
「この…小僧がぁ!!調子に乗るなぁぁ!!」
だが哀しいかな、もはや心身ともにガタガタのアレクサンダーにナルストの心臓を確実に狙う余裕など残っていなかった。
アレクサンダーが突いたのはナルストのわき腹であり、吸血鬼にとっては決して致命傷になりえない部分だ。
ナルストは剣を握るアレクサンダーの手を掴むと、そのまま思い切り力をこめてアレクサンダーの体を勢いよく投げ飛ばした。
「ぐわぁっ!!」
そのままアレクサンダーの体は天井から吊り下げられたシャンデリアに直撃し、ぎしぎしと古めかしいシャンデリアは左右に勢いよく揺れ動いた。
「お、王子!!」
シャンデリアに体が乗っかったままになったアレクサンダーにララディアは慌てて呼びかけたが、完全に意識が途絶えたのかアレクサンダーはぴくりともしない。
「ナ、ナルストォ!貴様、よくも王子を!」
「フン、分を弁えない餓鬼を躾けただけですよ。それに、そんな口を叩いて言いのですか?もし私に逆らったら、王子と王女の人間としての命はなくなりますよ?それでもいいのですか?」
腹に刺さった剣を投げ捨てたナルストはララディアに絶望的な選択を迫って来た。王子と王女を助けたくば自分に従うしかない。それでも自分に抗うのか?と暗に迫ってきている。それはララディアにも嫌と言うほど理解できる。しかし
『お前なんかにララディアを汚されてたまるかぁ!父上を、母上を、アルマリスを、僕自身を汚された上に、このうえララディアまで汚されてたまるかぁ!!』
先ほどのアレクサンダーの悲痛な叫びがララディアの耳にいまだに響いている。肉親や自分を悉くナルストの毒牙にかけられた無念さが発する響きは押して余りあるものだ。
あの時のアレクサンダーは間違いなく自分の命を捨ててナルストに向ってきていた。例え自分の命と引き換えにしても、自分の運命をメチャメチャにした吸血鬼に一矢報いるために。
シャンデリアに磔にされたアレクサンダーは血塗れになり意識を失いながらも、その顔には怒りと無念さがはっきりと焼き付いている。
そこから感じられるものは、あくまでもナルストに対する復讐の意思だった。
(王子……いえ、アレクサンダー…)
あくまでも心の中ではあるが、ララディアは始めてアレクサンダーを呼び捨てにした。
(貴方があの男への復讐を望むなら……、貴方に代わって、私がその望みを果たす!!)
この決断の結果、王子と王女は命を失うかもしれない。もしその時は潔く自分も後を追おう。
だがその前に必ず果たさなければないことがある。
「ナルスト……、もう私は迷わない。おう…いえ、アレクサンダーの意思に従い、私はお前を滅ぼす!!」
改めてナルストに剣を構えたララディアの顔からは、ここに入って来た時にあった猛烈な怒気が消え失せている。
個人的な復讐ではない。これはあくまでも最愛の方から託された、果たさなければならない使命なのだ。
- 全身ボロボロにもかかわらず、部屋中の空気が重くなるほどの圧迫感を放ちながら剣を突き立てるララディアに、ナルストは多少顔を引きつらせながらも表向きは余裕ある表情で向きなおした。
「フ、フフフ!そうですか!王子と王女がどうなっても構いませんか!
まあいいでしょう、所詮もう吸うほどの血も残っていない餓鬼どもです。捨て置いても全然構いはしません。
このまま貴方の体を押さえ込んでその首に牙を穿ち、全身の血を吸い尽くせばさすがにわが下僕となるでしょう!
人間の限界と言うものを、思い知らせてあげますよ!」
そう言うなりナルストは腕を奮い、サンディをしとめた鞭をララディア目掛けて打ち放った。
鉄の錐で出来た穂先が唸りを上げて突っ込んでくるが、ララディアは冷静に横に飛んで鞭をかわし、そのままナルストへ一気に駆け進もうとした。
ところが、なんと鞭の穂先はかくんと向きを換えてララディアの左肩を勢いよく掠めた。
「くっ?!これは!」
じんわりと血が滲む肩を見て驚くララディアと正反対に、ナルストは勝ち誇ったように笑みを浮かべていた。
「フ、フフフ!この鞭は特別製でしてね、持ち手がどこを狙いたいかというのを正確に読み取って、自ら指向して攻撃を放てるのですよ。
もちろん孤を描くとかは無理ですが、相当にかわし難いですよこれは!ほらほらぁ!!」
調子に乗ったナルストはびゅんびゅんと鞭を奮い、そのどれもが様々な軌道を描いてララディアに襲い掛かってきた。元々鞭の攻撃は見切りにくい上にそのどれもが自分を確実に捕らえてくるかどうにも始末が悪い。
あまりの攻撃の激しさにナルストに打ち込む隙すら作れず、とうとうララディアの左腕に鞭がグルグルと巻きついてきた。
「ほうら!捕らえましたよぉ!!さあどうします?逃げますかぁ!逃げ切れますかなぁ!!」
網にかかった獲物をいたぶるかのように、ナルストはギリギリと鞭を引っ張ってきた。その勢いにララディアの体がズルズルとナルストのほうへ引っ張られる。
だが、その時ララディアの顔に浮かんだのは、絶望に窮する涙ではなく勝機を掴んだ笑みだった。
「甘いわよナルスト!」
なんとララディアは鞭に抗うのではなく、鞭に絡め獲られたままナルストのほうへ一足飛びに突っ込んできた。
自分に鞭が絡まっている以上、これ以上鞭の攻撃はこない。そして、たわんだ鞭などただの紐でしかない。
「ま、まずい!!」
慌ててナルストは鞭を操ろうとしたが後の祭り。一気に間合いを詰めたララディアはそのまま手に持った剣を大きく横手に振りかざした。
「でぇい!」
ララディアの剣はナルストのいた空間を一気に薙ぐが、ナルストは鞭を離して間一髪のタイミングでララディアの斬激を避けた。
後方に飛びのいて間合いを取ったナルストに、ララディアは撒きついていた鞭を外し剣から持ち替えて構えた。
「ふふん、さっきは使い方のご高説ありがとう様。じゃあさっそくこいつを試してあげるわ!!」
勿論ララディアは鞭を扱ったことなどない。しかし、さっきのナルストの言うとおりならば頭で思ったところへ勝手に鞭が飛んでいくはずだ。
「せーの、どりゃあ!」
ララディアが気合一閃で放った鞭はララディアが狙ったナルストの頭目掛けて一直線に伸びていった。どうやらナルストの言っていたことは本当のようだ。
慌てたナルストは碌にひきつけもせずに鞭をかわそうと身を翻したが、そんなナルストの行動をトレースするかのように鞭の先が動きナルストの頭を掠めていった。
「あ、危ないじゃないですか!当たったらどうする気なんです!」
「当てるために狙っているんだから危ないのは当たり前でしょ!!」
さっきと立場がまるまる逆転し、今度はララディアがぶんぶんと鞭を振るってナルストを追い詰めつつあった。鞭を使ったことがないため一発一発の感覚は遅いのだが、なにしろ狙いが正確なので始末に終えない。
このままではいつか絶対に追い詰められ手傷を負ってしまう。ナルストは次第に余裕を無くしてきていた。
「くそぅ!暫く大人しくしていなさい!」
苦し紛れにナルストはララディアに向けて呪縛の魔眼を放った。とにかく一瞬でも動きを止めて隙を作らないといけない。
- ララディアの視線がまともに魔眼を捕らえたのを見てナルストはニッと微笑んだ。が、あまりに慌てていたのでナルストはつい失念していた。
「隙ありぃ!!」
魔力、魔法効果を無効化する体質のララディアには当然魔眼は通用せず、ナルストの魔眼発動はただいたずらに隙を生んでしまう結果しか残らなかった。
結果、ララディアが放った鞭がもろにナルストの右肩をとらえ、ざっくりと肉を削ぎとった。
「があぁっ!!」
肩から溢れる黒い血を左手で必死に押さえ、ナルストは後ろにぱっと飛んで間合いを開けた。その顔は人間の女に追い詰められていることへの屈辱と怒りの炎で燃え広がっている。
「………?」
ナルスト目掛け開いた間合いをじりじりと狭めていくララディアは、脚を進ませながらナルストの意外なほどのもろさに疑問を抱いていた。
体捌きはもっさりとしており反撃も碌にしてこない。魔眼が通じないから吸血鬼特有の相手を束縛することも出来ないし、飛ぶとか消えるとかの特殊能力も打っては来ない。
はたしてこれがララディアを謀るための作戦なのか。それとも、本当にナルストに余裕が無いのかはわからない。
(でも、なんにしろ今がチャンスなのは変わらない!)
悔しさで唇を噛み締めるナルストに、ララディアはじわじわと近づいていった。
(ぐぅう……非常にまずい!)
肩の傷口から止まらない血がぽたぽたと滴る中で、ナルストはかつてない危機を感じていた。
今まで相対した人間の中にはララディアより強い人間などはごまんといた。だが、吸血鬼の自分にとっては一瞬、一回でも魔眼を見せれば相手は赤ん坊以下に無力化するのでさしたる問題にはならなかった。
だが、目の前の小娘はそんな自分の魔力を悉く無効化してしまう。勝ち誇った顔をしてじわじわと近づいてくる。
まるで、自分を見下しているかのように。
(うぅう……その目で、その目で私を見るな……!)
彼、ナルストはうだつの上がらない薬師だった約400年前に、一人の吸血鬼をだまくらかして口付けを受けて永遠を手に入れることが出来た。
ところが、自身の素質なのか親吸血鬼の影響なのか、彼には吸血鬼としての数々の特殊能力がいつまで経っても手に入らなかった。
普通吸血鬼は100年も経てば肉体再生能力がつき、300年もすれば空が飛べるようになる。
しかしナルストは200年経ってもまともに傷を治すことすら出来なかった。
ちなみに、今でも空は飛べない。
吸血鬼としての力をほとんど持っていないから、様々な武器や道具に頼らざるを得ない。
そのため吸血鬼の中ではナルストはヘボ呼ばわりされ、いつも見下されて生きてきた。
人間だった時も周りからは役立たずとして見られ、そんな周りを見下すために吸血鬼となっても結局自分の評価は変わらない。
そんな周りの自分を見る目に元々ひんまがっていた性根はさらに捻じ曲がり、ナルストはちっぽけな自尊心を満たすために周りの吸血鬼に自分の凄さを見せつけようと行動するようになった。
とはいえ、吸血鬼としてろくな力を持っていないナルストに吸血鬼同士で直接対決するわけにはいかない。
彼が頼りにしたのは人間の時に持っていた数々の薬の知識と人並みはずれた悪知恵だった。これを用いて他の吸血鬼が思いもつかない方法を用いて一国を混乱に陥れたり、国そのものを消滅させたりしてきた。
その手法の鮮やかさと行為の残虐さはたちまち他の吸血鬼に知られるところになり、彼をバカにしていた吸血鬼は口をつぐんだ。
中にはその手口の乱暴さを止めようとした殊勝な吸血鬼もいたが、狡猾なナルストの前に多くが返り討ちにあっていた。
そしていつしか、ナルストは国を滅ぼす『傾国』の二つ名で呼ばれるようになり、本人も堂々と爵位を持って名乗るようになった。
今までバカにしていた吸血鬼たちが、自分を恐れおののいた眼差しで見ていることは、ナルストに言いようのない昂揚感をもたらしていた。
それだけに、見下された表情を向けられると過去のトラウマがドカン!と蘇ってくる。
-
「見るなぁ……見るな!!そんな目で私を見るなぁぁ!!」
それまでの慇懃な態度を豹変させたナルストは、逆上しながらララディアへ向けて突進してきた。
意図も謀もなにもない勢いだけの突撃に一瞬ララディアは戸惑ったが、これ幸いとララディアは鞭をナルスト向けて振り放った。
後は放っておいてもナルストの胴体目掛けて鞭が突っ込んでいく…。ララディアは自分の勝利を確信した。
ところが
「があぁぁっ!!」
鞭がナルストに命中する瞬間、ナルストの手が鞭の穂先をガッチリと掴んだ。もちろんその程度で鞭は止まらずナルストの胸に食い込むが、心臓まで達する前に鞭はその動きを止められてしまった。
「なっ?!」
まさかナルストが捨て身の防御をするとは考えていなかったララディアは一瞬呆然として動きを止めてしまった。。
その隙をナルストは逃がさず、血を吐き出しながらも鞭を引っこ抜き、そのまま力いっぱい鞭を振り回した。
「!!きゃあぁっ!!」
吸血鬼の怪力で振り回された鞭はララディアの体を易々と浮かせ、そのままララディアは横に体を振られて思い切り壁に叩きつけられた。
「ぐあぁっ!!」
鞭を手放すことは何とか避けられたが、横殴りのショックで全身が悲鳴を上げている。肋骨も何本か折れたようで、痛みで体が言うことを聞かない。
ララディアはいつの間にか慢心して油断していたことを後悔した。たいしたことが無いように見えても相手は吸血鬼なのだ。
慎重に慎重を重ねてもしすぎることはない相手だというのに、それを怠ってしまって取り返しのつかないことになってしまった。
「…………」
倒れて動けないララディアに、ナルストが憤怒の表情で近づいてくる。そこには優男でいつも柔和な顔を崩さなかったナルストのイメージはない。
まずい、血を吸われる!そう直感したララディアは左手に持った剣を咄嗟に構え、無用心に近づいてきたナルストにバッと突き出した。
しかし、不用意な体勢で放たれた突きをさすがに食らうはずも無く、ナルストが力一杯に振るった腕に剣はあっさりと弾かれてララディアの手を離れ、はるか遠くに飛んでいってしまった。
「くぅっ……」
これだけ近づかれてはもう鞭も役に立たない。どうするどうする……
ナルストに血を吸われるのを防ぐためか、ララディアは無意識に首筋に手を回して喉元を覆った。
が、ララディアの眼前まできたナルストは、ララディアの喉に顔を近づけることもなくいきなりララディアの腹を思い切り蹴飛ばした。
「ガハッ!!」
折れた肋骨が激痛をもたらし、ララディアの顔が苦痛に歪む。しかしナルストはそんなララディアにお構いなくさらに勢いよく蹴飛ばした。
床をごろごろと転がるララディアの口からは内臓を痛めたのか血が滴ってきており、激しい咳と共に床に血を溢した。
「……てぇ……」
倒れ伏すララディアを見るナルストの目には危険な光が宿り、ずかずかとララディアに歩み寄るとその腹をぐりぐりと踏みつけた。
「バカにしやがってぇ!私は誰だ!私は吸血子爵・傾国のナルストだ!不老不死の超越者だぁ!!貴様如き人間が見下せる存在ではないのだぁぁ!!」
踏みつける足にはめきめきと力が入り、苦しさからララディアの顔は真っ青になっている。が、ナルストは力を緩めようとはしない。
「どいつもこいつもバカにしやがる!貴様といい、あのバカ王子といい、超越者に対する態度がまるでなってない!!
貴様らは私の心を満足させていればそれでいいのだ!私の気分を害することは許さん!!」
- そこにはナルストのおぞましいまでのエゴが浮かび上がってきている。あくまでも自分のことのみを優先させるその態度に、ララディアは酷い吐き気を覚えた。
「あなた……、本当に最低、ね……」
これならナルストがバカ王子と嘲笑してきたアレクサンダーの方がよっぽど人間としての器が大きい。というか比べることすらおこがましい。
こんなクズに国も友も想い人も奪われたかと思うと心底悔しくなる。
「あなたなんかに、アレクサンダーをバカにする資格なんてない…!この…クズ野郎!」
「……まだ言うかぁ!」
あくまでも自分に屈さないララディアに、ナルストは苛立ちを隠そうとしない。
ナルストはもう息も絶え絶えのララディアの頭を掴み上げると、敵意が爛々と篭った視線をぶつけた。
「すこし…躾をしなければいけないなぁ!これからの貴様の主人が誰なのか、その体にたっぷりな!」
完全に無防備なララディアの襟をぐいっと開いたナルストは、クーラの噛み傷がある反対側の喉に自らの牙を『ずぐり』と食い込ませた。
「っはあああぁぁっ!!!」
クーラの牙よりより長く、より太く、より冷たい感触にララディアはたまらず甘い悲鳴を上げてしまった。
クーラに噛まれた時もまるで自分の体が飛んでしまいそうな怪しい感覚を味わったが、親吸血鬼であるナルストのそれはまるでレベルが違う。
一啜りされるだけで頭の芯がビリビリと痺れ、全身がカァッと火照ってくる。
(こ、これ……まずい!まずすぎる!!)
ララディアの特異体質は魔的な効果を全て無効化するが、それによってもたらされる快楽までは無効化できない。
例えば、吸血による魔的な支配は全く受け付けないものの、吸血の快楽自体は感じてしまうのだ。
このまま血を吸われ続けたら、魔力に心は屈しはしないが快感に心が負けてしまいかねない。
危機感を感じたララディアは力が入らない四肢を必死に動かして抵抗し、どうにかナルストを喉から引き剥がすことが出来た。
「ハアッハアッハァァッ!!ハァ……ハァ……ッ!」
まるで1キロメートルを全力疾走したかのように荒い息をララディアはつき、その顔は想像を絶した快楽に赤く潤んでいる。
が、その表情からは悩ましいまでの恐怖の色がありありと浮かんでいた。
「ふははは!どうでしたかなララディア殿、私の牙の味は?女の身でこの牙に抗し得た人間は私の生きている限りではいません。
あのサンディも、王妃も、クーラも私の牙に狂い、自らその身を差し出して吸血鬼となっていったのです!
さあどうですかララディア殿、私の牙が欲しくはありませんかぁ?!」
ナルストはわざと牙を見せ付けるかのように伸ばし、ララディアに近づいてくる。その牙にポーッと無意識に見惚れているのに気づき、ララディアは慌てて頭をぶんぶんと振った。
(しっかりしろ私!あいつは仇だ。国の、友人の、後輩の、仇なんだ!)
あえてアレクサンダーのとは考えない。もしそうであったとしても、ララディアにそれを受け入れる心の余裕など無い。
(なんとしてでもあいつは殺す!それがアレクサンダーの意思なんだ!)
だが現実はかなり厳しい。
先ほどのクーラからの連戦でララディアの体は相当に消耗しており、さらに少なからぬ量の吸血をされているので体の中の血が非常に少ない。
おまけに打ち身、打撲、骨折と全身が悲鳴を上げ、剣ははるか遠くに打ち捨てられて手には接近戦には不向きの鞭が一本のみ。
加えて生物としての基礎能力のあまりの差がここに来て響いてきており、このままでは万が一にも勝ち目は無い。
だが、ララディアはなんとしてもナルストを倒さなければならない。ここでナルストに屈することは絶対にしてはならないのだ。
(どうする…どうする……っ?!)
あせるララディアは何か戦局を変えるものはないかキョロキョロと辺りを見回した。
その時、あるものが目に飛び込んできて一瞬ララディアの目が逡巡した。
が、それも一瞬のことですぐにララディアはナルストに向き直るとズルズルとその場から後ずさりし始めた。本当はもう少し早く動きたいのだが、骨折の激痛と吸血の甘美な快楽に体が思ったとおりに動かないのだ。
「ふはは!どこに逃げようというのですか?どこにも逃げられはしませんよ」
- 血を吸って傷も幾分癒えたナルストは、嬲るようにゆっくりとララディアに近づいてくる。さっきと立場は完全に入れ替わり、今度はナルストがララディアを狩る側になっていた。
もはや抵抗の気配すら見せないララディアにナルストは不用意に向って来ている。油断か誘いかはわからないが、ナルストの胸は隙だらけだ。
「…今っ!」
その一瞬の隙を突くべく、右手に握られた鞭がビュンッ!と一閃した。体勢が大きく崩れているので普通の鞭なら全く効果はないが、これは狙ったところへホーミングしていくナルスト謹製の鞭でありあまり体勢は関係ない。
鞭はもちろんナルストの胴体へ一直線へ伸びていったが…、ナルストはやはりこのことは予想していたらしく軽く腕を振って穂先を弾き飛ばしてしまった。
「ああっ!!」
起死回生の一撃を防がれたからか、ララディアはその場に鞭をぽとりと落としガクガクと腰を崩してへたりこんでしまった。
剣も飛ばされ、鞭も防がれた今、ララディアに自分を倒す手段はなにもない。そう確信したナルストは喜びを隠そうともせずにララディアの上に覆い被さった。
「あ、う…」
ララディアは悔しさを滲ませた目でナルストを見つめている。その顔がまたナルストの被虐心をいたく刺激してくる。
「いい…いいですよララディア殿!さっきまで散々抵抗していたあなたが、今や私の力の前に全く不様な姿をさらしている!
ようやっと私の偉大さが理解できたようですねぇ!!」
ナルストの嘲りにもララディアは全く反論せず、クッと視線を逸らして恥辱に体をカタカタと震わせるだけだった。どことなく、もうどうにでもしてくれという雰囲気が漂っている。
「どうやら観念したようですね。賢明な判断です。ゆっくり、たっぷり血を吸ってあげます!
これからは王子ではなく、この私一人に忠誠を誓うのですよララディアァ!!」
ナルストは先ほど噛み付いた首筋に、再びザクリと牙を打ち込んだ。その瞬間ララディアの体が大きく跳ね、口からは悩ましい悲鳴がこぼれた。
「うぁ……はぁぁあ!!」
ナルストの顔の横のララディアの顔は官能で真っ赤に染まり、口元にはうっすらと壊れた笑みが浮かんでいる。
『そう!それでいいのです!クーラのような成り立ての雑魚ならいざしらず、私のもたらす吸血の魔力には人間の持つ抵抗力など無意味なのです!
このまま深い快楽の中で、私の下僕として生まれ変わるのですよ!!』
あれだけてこずったララディアをようやく屈服させることが出来た悦びでナルストは有頂天になり、より深く牙を突き刺してララディアの生命力を牙全体で感じ取ろうとした。
「ふあぁあ!!すごおぉぉいぃ!」
氷のように冷たい牙が頚動脈を深々と穿つ感触にララディアは感極まったのか、頤を深く仰け反らせながらナルストの背中に左手を回してぎゅうぅっと強く抱きしめた。
『ククク!完全に堕ちましたか!実にいい気分です!!これこそ快感!これこそ悦楽!
私に最後まで抗いきった女が、今やこうして私の腕の中で牙の快楽に酔う。これに勝る悦びなどありませんねぇ!!
ララディア、お前が吸血鬼になった暁には存分に可愛がってあげますよぉ!お前が愛した王子の前でねぇ!!クハハハァ!!』
「うはぁぁ〜〜!はいぃ!と、とても嬉しいですぅ〜〜〜っ!!最高です、ナルストさまぁ〜〜〜!!」
もう目の前の吸血鬼が仇などと微塵も考えている様子も見せず、ララディアはついには足をナルストの腰に回し、自らの腰をカクン、カクンと揺すり始めた。
「ララディアは、ララディアはナルスト様の忠実な下僕ですぅ〜〜っ!どこまでも、どこまでもお供いたしましゅぅ〜〜っ!!」
全身をナルストに預けて隷属の言葉を放つララディアに、ナルストもすっかり気分を良くしてその吸血の速度をいや増していった。
「どこまでも、どこまでもついていきますぅ〜〜〜っ!!そ、それがぁ……
例え、地獄だろうともね!!」
突如、ララディアの緩みきった瞳にギラッと光が戻り、右手が手元にあった鞭を掴むと手首を返してブン!と振るった。
-
普通の鞭ならばその程度では何も起こらないが、そこはナルスト謹製の鞭、穂先はそのまままっすぐに伸び、真上にあったシャンデリアの天井から下がる鎖に命中した。
ただでさえ重いシャンデリアなのに、下げられてから百年以上経つ古めかしいもの。その上先ほどからの爆発で基部が相当緩んでいたことに加え、今このシャンデリアには先ほどナルストに吹き飛ばされたアレクサンダーが乗っていたのだ。
そんなところに鞭の直撃を受けてしまったら鎖の方が堪えられない。
ガキン!と嫌な音を立てて鎖は千切れ、重力の法則にしたがってシャンデリアは真下に落下してきた。
「っ!!」
ナルストも今何が起こっているのかを即座に理解しこの場から離れようとしたが、ナルストの体にはララディアの手と足が絡みついておりとっさの反応が遅れてしまった。
そして、それが致命的だった。
先端の鋭い燭台の下部分が何本もナルストの体の上にドスドスと突き刺さり、その中でシャンデリアの中心の極太の一本がナルストの心臓をぐっさりと貫いたのだ。
しかもご丁寧に、華美な意匠を施したシャンデリアは当然の如く銀製だったからたまらない。
「ぐがぁぁぁぁあああああっ!!!」
銀で心臓を穿たれたナルストは、顔を非常に醜く歪めながら恐ろしい響きの悲鳴を上げた。
だが、重いシャンデリアはその程度では動きを止めることは無く、そのまま燭台の先端はララディアの胸も深々と貫き床に突き刺さって漸く動きを止めた。
「ぐふぅっ!」
胸を熱いものが貫く感触にララディアはくぐもった悲鳴を上げたが、同時に心の中で喜びの声も張り上げた。
もう手立てが無くなったララディアの目に入ってきたアレクサンダーが乗っかっているシャンデリア。ナルストを倒すにはこれを使うしか方法は残っていなかった。
しかし、普通にシャンデリアを落としてもナルストの胸板を貫くことは不可能だし、そんな見え見えの策にナルストが引っかかるとも思えない。
だからこそナルストの油断を誘いつつ、捨て身になってナルストをこの場所に誘導したのだ。
「バ、バカなぁ……!じ、自爆するなんて、なんということをぉ……」
まさかララディアが我が身を犠牲にしてまで自分を騙してくるとは思わなかったナルストは茫然自失になりながら、体の各所からぶすぶすと煙を漂わせ始めた。
「は、ははは……。ざまぁないわね、ナルスト……!」
口から血を滲ませながら、ララディアは仇敵に致命傷を与えたことに凄絶な笑みを浮かべていた。
「自分の人生が、こんな弱っちい人間に、しかもシャンデリアの、下敷きにされて終わる気分は どうよ…?」
その問いにナルストは答えない。答える心の余裕が無い。すでにナルストの全身は発火を始めつつあった。
「ううぅ……。まだだぁ!まだおわりはしないぃぃ!!!」
既に断末魔の様相を見せてきたナルストは、それでも最後の悪あがきとばかりに牙を剥き、ララディアの喉笛に喰らいつこうと顔を傾けてきた。
「お前の血を全部吸い取って、この傷を癒せばあぁぁぁあぁっ!!」
心臓を貫かれた時点で本来もうどうしようもないのだが、一縷の望みをかけてナルストは吸血による回復を図ろうとした。が…
「グァウウウゥゥッ!!」
その時、部屋の隅で倒れていたティフォンが最後の力を振り絞ってナルスト目掛けて突進し、その喉にがぶりと喰らいついてきた。
「ぐがっ!」
当然、ティフォンがつっかえ棒になってしまってナルストは今以上に顔を下ろすことは出来ず、ナルストの牙はララディアの手前数センチのところで止まってしまった。
「がっがぁぁ!!は、離せぇクソ犬ぅ!離さんがぁぁぁぁ!!」
もう一刻の猶予もないナルストは何とかしてティフォンの顎を外そうとするが、元々不自由な体勢の上にすで全身が燃え出しているのだからどうしようもない。
「ティフォン……」
- ララディアはもう瀕死のはずのティフォンの必死の行為に目頭が熱くなりながらも、ナルストにむけて嘲笑を向けた。
「ふ、ふふふ…最後の止めがこれだなんて、貴方にはとってもお似合いよ、ナルスト……
あなたは私にも、アレクサンダーにも、そして……、犬にすら勝てなかったのよ!!」
「ぐ、ぐはぁぁぁぁぁぁあおおおおおっ!!!」
ララディアの悪態にこれ以上ない情けない顔を向けたナルストは…、そのまま目、鼻、口から炎を噴き出しあっという間に燃え尽きてしまった。
そして、わずかな灰しか残っていないララディアの首元に、遂に力尽き息絶えたティフォンの頭がとさりと音を立てて倒れてきた。
「…ご苦労様、ティフォン……。あなたは、その役目を見事に……成し遂げたわ………ゆっくりと、休みなさい…」
自分の前で眠りについたティフォンに最大級の謝辞を述べたララディアの視界が急激に暗くなってきている。
とは言ってもそれは無理からぬこと。ナルストを倒すために自らもシャンデリアの直撃を受けたのだ。その体には無数の燭台が突き刺さり、だくだくと血が流れ落ちている。
「…でも、後悔はしない。王、王妃、クーラ、みんな…。そして、アレクサンダーの仇を討てたのだから……」
こうして、愛するアレクサンダーと一緒に死ねるのだから、自分は幸せだ……
そこまで考えて、ふとララディアは霞む目を上へと向けた。アレクサンダーがいるはずのシャンデリアへ…
しかしそこには、アレクサンダーはいなかった。
「………?」
おかしい、あそこにはさっきまで確かにアレクサンダーがいたはず……。そう訝しむララディアの体から、今まであった圧迫感が不意に消えた。
自分を押し潰していたシャンデリアがふわりと浮き上がり、真横へ派手な音を立てて転がり倒れた。何が起こったのか、ララディアがシャンデリアが倒れた反対方向へ顔を向けると
「ララディア……」
そこには、伏していたはずのアレクサンダーがしっかりと立っていた。
「ア……王子、ご無事だったの、ですか……!」
まさかのアレクサンダーの姿にララディアは安堵の声を上げた。が、それを見るアレクサンダーの顔は何故か寂しげだ。
「……無事、とは言えないんだな。ほら、僕をよく見てくれよ……」
「……?」
ララディアは酷く霞む目を凝らしてアレクサンダーを眺めた。すると、そこに見えるアレクサンダーの瞳は…血のような真っ赤な虹彩になっていた。
「…ね。ほら、ちゃんと牙もある……」
そういって指でいっと口を歪めたアレクサンダーの口内には、確かに鋭い牙が生えていた。
「王子……っ!」
アレクサンダーが吸血鬼になっている光景に、ララディアは一瞬目を引きつらせた。が、すぐにそれは安堵の笑みに変わる。
「…よかった。王子が生きていて……」
「ふふ……生きているか、死んでいるかよくわからないけれどね……」
吸血鬼になっていながら、アレクサンダーの立ち振る舞いは以前とそう変わりはしない。それが資質なのかそれとも猫を被っているだけなのかはわからない。
「ララディア……、そんな姿になってまでナルストを……。ありがとう。そして、ごめん」
「いえ…王子が謝ることはありません……。これは、王子から託された当然の任務……くぅぅ!!」
弱々しい笑みを浮かべるララディアの顔が苦痛に歪む。シャンデリアが取り払われたといっても、体中にある刺し傷は変わらないのだから。
「ハアッ、ハアッ……王子……、見ての通り、私はもう……。最後までお仕えすることが出来ないのが、心残りです……げふっ」
ララディアの顔から急速に生気が抜けていってきている。が、それを見下ろすアレクサンダーの顔は怒りに燃え上がっていた。
「だめだ……。ララディア、ここで死ぬなんて許さない。ララディアが僕の前から去るなんて許さない」
「…無理言わないでください、王子……。もう、手遅れで……」
- 「手遅れなんかじゃない!今の僕には、ララディアを助けることが出来る!!」
大声を張り上げるアレクサンダーの双眸がギラリと紅く光った。その口元からは、牙がギリギリと伸び始めている。
「僕がララディアの血を吸えば、ララディアは助かるんだ!!」
確かに、死にかけとはいえ吸血鬼の牙を受けて吸血鬼の力を注ぎこまれれば、吸血鬼としての命を授かることはできる。ただ
「…無駄です、王子。私の体があらゆる魔的効果を無効化してしまうのはご存知でしょ……
ナルストの牙すら私には効かなかったのです。ましてや吸血鬼になりたての王子の……」
「無駄かどうか、やってみなけりゃわかるものかぁ!!」
ララディアの言葉を無視し、アレクサンダーはララディアに覆い被さるとその牙をララディアの首筋へと埋めていった。
ただ、そこには餓えを満たす。欲望を満たすといった吸血行為は感じられない。
『ララディア!死なせはしない!絶対に助ける!助けてやるんだぁ!!』
あくまでもララディアの生命の維持を最優先させるといった叫びが、牙を通してララディアの心に染み渡ってくる。
「はぁ……あぁぁ……。お、おうじ、ぃ………」
その思いと、クーラの時より、ナルストの時よりさらに甘美な悦楽がララディアの全身を駆け巡る中、ララディアの意識はまどろみながら次第に薄れていった。
☆
「…ぷぁっ」
吸い込む血の量が微々たるものになったところで、アレクサンダーは口をララディアの喉から離した。
吸血鬼化した時に得た本能で、ララディアの体の中には血の代わりに満たしすぎるほどの吸血鬼の力を注ぎ込んだ。普通ならその力に体が反応して、吸血鬼として生まれ変わることになる。
が、なにしろララディアはそういった効果を全て無効化する特異体質なので、生き返るかどうかは全くわからない。
「お願いだ……、死なないでくれ、ララディア………」
アレクサンダーが祈るような気持ちの中で横たわるララディアを見つめていると、不意にララディアの手がピクリと動いた。
「………!!」
アレクサンダーが目を見張る中、固く閉じられていたララディアの目がうっすらと開き、重だるそうに体をゆっくりと起き上がらせた。
「ララディア、ララディア!よかった!!生き返ってくれた!僕と同じになってくれた!!」
まるで幼い子供のようにはしゃぎ、胸元に飛び込んできたアレクサンダーをララディアはきゅっと抱きしめた。
が、その顔は何故か憂いを帯びたものになっている。
「王子……、申し訳ありません……」
寂しそうにうな垂れるララディアに、アレクサンダーはギョッとした。
それは、アレクサンダーに血を吸われ下僕となっているはずのララディアからは絶対に出てこない『王子』という単語。
「やっぱり…私の体は王子の力を完全に受け入れることは出来なかったみたいです…」
アレクサンダーを見るララディアの瞳は、紅ではなく淡い紫色に輝いている。
アレクサンダーを抱きしめるララディアの腕は、病的に白いもののかすかな赤みを伴っている。
アレクサンダーに押し付けられるララディアの胸からは、弱々しくはあるが鼓動が脈打っている。
アレクサンダーに謝罪を述べる口からは、牙と言うには憚るほどの短さの犬歯が伸びていた。
確かにララディアの体には吸血鬼の力は浸透している。しかし、ララディアの特異体質は完全に染まりきることをあくまでも拒み、結果ララディアは人間とも吸血鬼とも取れない、実に中途半端な状態で生き返ってしまった。
もっとも、だからこそ人間だった時の心を持ち続けることができたのだろう。
ララディアが吸血鬼になりきらなかったことに一瞬アレクサンダーは体を硬直させたが、すぐにニッと微笑んで再びララディアをぎゅっと抱きしめた。
- 「…構わない。ララディアが吸血鬼になりきっていなくても全然構わない!
こうしてララディアが生きていてくれる。それだけで僕は全然満足だ!しかも、僕の人形ではなくちゃんと僕の大好きなララディアの心も持ったままで!こんなに嬉しいことはないよ!!」
「……王子…」
心底嬉しそうにほお擦りをしてくるアレクサンダーを、ララディアも愛しげに力強く抱きしめた。赤い血の通わない体は当然冷たかったが、ララディアの心は熱く高鳴っていった。
二人は暫く互いを抱きしめあっていたが、ふとアレクサンダーが手を離し、言い出しにくそうに口をもごもごさせながら語りかけてきた。
「…で、申し訳ないけれど、ララディア」
「なんでしょうか?」
「今からここに人間…いや、吸血鬼でいい。一体捕まえてきてくれないか?出来れば男の方がいい」
アレクサンダーの注文にララディアは小首を傾げた。一体アレクサンダーは何をしようとしているのかが理解しかねるからだ。
困った顔を向けるララディアに、アレクサンダーはスッと視線を動かした。その先にあるのは、ぐったりと倒れ伏しているアルマリスの姿がある。
「………それでよろしいのですか?」
それだけで全てを悟ったララディアは、あえてアレクサンダーに再考を促した。しかし、アレクサンダーは躊躇うことなくこくりと頷いた。
「ああ。このままではアルマリスが可哀相過ぎる。例えどんな結果が待とうとも、僕はアルマリスも救いたい」
「…分かりました。すぐにご用意いたします」
アレクサンダーの決意が固いことを知ったララディアは、吸血鬼を捕らえてこようと背を向けた。が、その手をアレクサンダーがぐっと掴んだ。
「ああララディア。それと…ティフォンを葬ってきてくれないか?アルマリスにティフォンが死んだ姿を見せたくはないんだ…」
「…そうですね。アルマリス様はティフォンを大層可愛がっておりましたからね…」
アルマリスを守り、ララディアを助け、ナルストへ止めをさした勇者の亡骸をララディアはそっと持ち上げると、そのままスタタッと駆けて部屋を後にした。
後に残されたアレクサンダーは、もはや息も絶え絶えのアルマリスの元へと近寄ると襟をくいっと広げ、その喉笛に牙を埋めようとした。その時、
「えっ、えええぇっ?!こ、これは一体どうなっているんですか?!」
ララディアと入れ違いの形で部屋に飛び込んできたのはナルストの下へと戻ろうとやってきたマーシュだった。
当然部屋の中にはナルストがいると思っていたマーシュの目に入ってきたのは、吸血鬼化したアレクサンダーと死にかけのアルマリスだった。
「えっ?なんでバカ王子が吸血鬼に…?ナルスト様はどこ?なんで王子が王女の………」
「…丁度良かった。おいお前、ちょっとこっちに来い」
わけがわからず混乱するマーシュに、アレクサンダーは指をくいくいと動かしてマーシュに来るように促した。
その傍若無人な態度に混乱していたマーシュの頭にガッと血が昇り、マーシュは牙を剥き出しにしてアレクサンダーに食いかかった。
「ハァ?何私に命令しているんですか王子!私に命令できるのはご主人様とナルスト様だけ……」
「いいから、こっちに来い!」
だが、そんな口答えするマーシュにアレクサンダーは苛立ったように声を荒げた。
「っ?!は、はいっ!!」
そのあまりの威圧感に、マーシュはビクッと背筋を伸ばすと躊躇うことなくアレクサンダーの下へと駆け出していた。
確かにアレクサンダーの親吸血鬼はナルストでマーシュのはクーラだから、アレクサンダーのほうが吸血鬼としては格上だ。
ただこれはもう親吸血鬼がどうとかいう問題ではなく、資質というか器というか、人としての根本的な部分がアレクサンダーとマーシュでは雲泥の差があったと言うべきだろう。
「な、なにをなさればよいのでしょうか、王子……」
おどおどとアレクサンダーの前で佇むマーシュに、アレクサンダーはアルマリスの首をちょんちょんと指差した。
「命令だ。お前、アルマリスの血を吸え」
「……えっ、えええっ?!」
そのあまりに唐突な、そしてとんでもない命令にマーシュは一瞬声が裏返るほど驚いた。
- ナルストからも王族の血を吸うことは厳禁されていたのに、アレクサンダーは実の妹の血をマーシュに吸えと命令してきたのだ。
あまりにうまい話に固まってしまったマーシュに、アレクサンダーは怒りを露わにした。
「早くしろ!このまま放っておいて、アルマリスが手遅れになったらどうする気だ!早く血を吸え!!」
「はっ、はいぃ!!」
一体アレクサンダーがなにを考えているのかはわからないが、これは役得と思ったマーシュは槍を投げ捨てると嬉々とした笑みを浮かべてアルマリスにむしゃぶりついた。
「ぁ、ぅ……」
もう命の灯火を消しかけているアルマリスは、吸血の感触にも弱々しい呻き声を上げてわずかに身を捩じらす程度の抵抗しかしなかった。
「………」
瞳をぎらつかせて血を吸うマーシュと吸血による死を迎えつつあるアルマリスを、アレクサンダーは冷ややかな目で見つめていた。
「……んんんっ…、ぷはぁ……。ああぁ…やっぱり王家の血って美味しいぃ……。王子、ありがとうございますぅ……」
「そうか、それはよかった」
ドキュ
血を吸い尽くしたマーシュは血塗れの口元を歪めながらアレクサンダーにうっとりした笑みを向け、アレクサンダーはそんなマーシュの胸板を躊躇い無く剣で突き刺した。
「え………?!」
どすんという鈍い痛みと共に自分の胸を剣が貫いた感触に、一瞬マーシュの目が点になった。が、それも本当に一瞬のことで、すぐさまマーシュの体からは青い火が吹き始めた。
「え…ええぇ……?!なんでぇ、王子ぃ……」
呆然として燃える手をアレクサンダーに伸ばすマーシュを見るアレクサンダーの目は、凍りつきそうなほどに冷徹な光を放っている。
「なんでって…。このままお前を生かしておいたら、アルマリスがお前の下僕になっちゃうじゃないか。
僕がアルマリスをお前如きの下僕にすることを許すと思うのかい?冗談じゃない」
本当ならアレクサンダーがアルマリスの血を吸うはずだったのだが、自分の妹に『ご主人様』と呼ばれることに躊躇いがあったのは事実だ。
それでもアルマリスが死ぬよりはマシだと牙を立てようとしたとところにこの女吸血鬼が飛び込んできた。
アレクサンダーにとってはまさに僥倖。こいつの手を借りれば、今までどおり兄妹の関係のままアルマリスを吸血鬼に出来る。
もちろんアレクサンダーにマーシュを生かしておく理由は無い。アルマリスが吸血鬼として蘇る前に殺さないと、アルマリスは例えマーシュが死んだとしても永遠にマーシュの下僕になってしまうからだ。
「お前如きにアルマリスの血を吸わせたんだ。もう満足だろ?だから心置きなく滅びてくれ」
「ひ、ひどすぎますぅ……この、ばかおうじぃ……!」
もう全身に火が回ったマーシュは、怨念の篭った目でアレクサンダーを睨みながら灰となって崩れ落ちた。
「…フン、なにがひどすぎますだ。お前達のせいで、僕は母上も父上も、国も亡くしてしまったんだぞ……」
アレクサンダーは忌々しそうにマーシュの灰を踏みしだき、あちこちに蹴って拡散させた。それでも気がすまないのか、飛び散っている灰をげしげしと蹴っていると、不意に後ろのほうで衣擦れの音がした。
「……兄様…」
アレクサンダーが振り返ると、そこには紅い目を輝かせたアルマリスが腰立ちになっていた。
「アルマリス!!」
「兄様……。私、なんかおかしいです……。さっきまでとっても苦しかったはずなのに、今は全然苦しくありませんの……
でも、そのかわりにとっても喉が渇くの……。もうカラカラでカラカラで……」
舌を出してハァハァと荒い息を吐くアルマリスの口から牙がぎりぎりと伸びてきている。その切なげな表情から察するに、相当な乾きに苛まれているようだ。
「兄様……。欲しい、水が……。ううん、水じゃない…。もっと、熱くて、甘くて、赤くて………あぁ……そぅよ……
……血。血が、血が欲しいの……。真っ赤な血をいっぱい飲みたいのぉ……」
- ゆっくりと腰をあげたアルマリスはふらふらとアレクサンダーに近寄り、錐のように伸びた爪を食い込ませながらアレクサンダーの肩に抱きついた。
「お願い……兄様。兄様の血を、飲ませて……」
自分の血を吸い取ろうとする妹の懇願に、アレクサンダーは微笑を浮かべながらゆっくりと頷いた。
「いいよ、アルマリス。気が済むまでたっぷりと吸っても。
でも、もう少ししたらララディアがもっとたっぷり血が詰まった皮袋を持ってくるから、そうしたら三人でゆっくりと食事をしよう」
「あはぁっ…、それはとても愉しみです……。あれ?そう言えば父様や母様は……?ティフォンは……?」
アルマリスは不思議そうに辺りをキョロキョロと見回したが、視界内に見当たらないことがわかるとすぐに嬉々とした目をアレクサンダーに向けた。
「……まあいいです。そんなことよりもう待ちきれません!兄様の血、戴きますね!」
まるで血を吸うこと以外のことがどうでもいいと言わんばかりにアルマリスはアレクサンダーの喉に喰らいついてきた。
「あぁっ!兄様、美味しいです!私、兄様の血がこれほどまでに美味しいとは思いませんでした!
もっと、もっと欲しいです兄様!血を、血を!!熱い血を咽るほどに飲みたいのです!」
「ああ……、いいよアルマリス……。これからはいくらでも時間はある……
思うまま、欲しいままに血を吸おう。な……」
ここまで闊達なアルマリスを今まで見たことがないアレクサンダーは、そのことに嬉しいとも悲しいとも取れない複雑な笑みを浮かべながら、自らの喉に喰らいつくアルマリスの後頭部を優しくぽんぽんと叩いた。
外では、相変わらず炎が燃え狂い、人間の逃げる悲鳴と吸血鬼の嬌声が国中に響き渡っていた…
○エピローグ
翌日、ララディアとアレクサンダーとアルマリスはヴァゼットが引いた馬車に乗ってあの北の小山へと赴いていた。
眼下に広がるメルキルスには動いているものはほとんどない。あえてあるとすれば廃墟から立ち昇る煙くらいのものだ。
所々にある衣服は、おそらく吸血鬼が日光を浴びて灰になったなれの果てだろう。すでに生きている人間は皆無であり、人間から変わった吸血鬼は日を恐れて日陰の中に閉じこもっている。
人間がいないのだからそれら吸血鬼が餓えを凌ぐには、山を越えて国の外に出るか吸血鬼同士で共食いをするほかはない。
しかし、険峻なメルキルスを超えるにはどうやっても一夜では無理であり、実質的に吸血鬼はこの国を出ることは出来ない。
つまり吸血鬼たちは共食いをするしかなくなり、それとて最後の一体になった時点で終わりである。
王家が途絶えた時点でメルキルス王朝は滅びたも同じだが、このことで完全にメルキルスという国は滅亡したと言っていい。
ではなぜ日中にこの三人が出られるのかと言うと、アレクサンダーとアルマリスはナルストの置き土産である除光液に浸かって日光への耐性を付けていた。
ただ、除光液の入った水槽を持ち出すことは大きすぎて不可能で、除光液の組成も当然知らないのでこの後除光液を使うことは不可能であり、これが兄妹が日光に体を晒す生涯最後の機会である。
一方ララディアの方は普通に日光の下を歩くことが出来た。最初は可能かどうかおっかなびっくりだったのだが、木漏れ日に手を晒しても何とも無かったので無問題だった。
ただ、さすがに長時間日に晒されていると気分が悪くなってくる。悪くなるだけで灰になったりはしないが、どうも実に中途半端に吸血鬼の特性を受け継いだみたいである。
実は昨晩ララディアは兄妹が無我夢中で血を貪っている最中にもどうしても吸血衝動が沸かなかった。
試しにと短い牙でむりやり突き刺してみたものの、滲み出てきた血はまずくはないものの決して美味しいとは思えず、しかめっ面をして口を離してしまった。
吸血鬼が血を飲めないなんてことは考えられず、そういった意味ではララディアは吸血鬼とは別の存在である。
もっとも、その方がララディアにとっては都合がよかった。自分まで吸血鬼になってしまっていたら、日中誰がアレクサンダーたちを守れるのか。
はたして吸血鬼になりきれなかった自分がどこまでアレクサンダーたちと共に生きていけるのかはわからない。
だが、命ある限りはこの身を賭してでも守り抜こうという決意を新たにしていた。
- 「もう僕たちの故郷であるメルキルスはない。あそこにあるのは滅びを待つだけの吸血鬼の巣窟だ」
自分の故郷がなくなったというのに、アレクサンダーの心には不思議と悲哀の感情は湧いてこない。
自分はこの国を愛していたはずなのに。なくなったことに寧ろ嬉しさすら感じてしまっている。
…もしかしたら、メルキルスがなくなったことで自分が王として縛られる事がなくなったことへの喜びの思いがあるのかもしれない。
「そして、昨日までの僕もいない。今の僕は、夜に生きて人の血を啜る化け物だ…」
「…化け物でもよろしいではありませんか、王子。その自覚を持っている限り、本当の化け物にはなりはしませんよ」
眼下を憂いを帯びた目で見下ろすアレクサンダーに、ララディアが白い花をスッと差し出した。
「化け物でもこの花を美しいと思う気持ちは変わりません。もっとも、この花のせいでアルマリス様は酷い目にあいましたけど…」
「…そうだったな」
アレクサンダーは花を手に取るとくるくると回し、しばらくしてからぽいと斜面に投げ捨てた。花は風に乗って舞い上がり、下に広がるメルキルスの町のほうへと飛んでいった。
「あら、あの花は気に入りませんか?」
「そうじゃない。あれは手向けだよ。僕たちはここから去らないといけない。滅びたとはいえ生まれ故郷を永遠に離れるんだから、一輪の花ぐらい捧げたっていいだろう。それに…」
アレクサンダーはララディアに向けてピッと指を突き出した。
「僕を王子と呼ぶな、ララディア。メルキルス王朝皇太子アレクサンダー・イル・メルキルは死んだ。今ここにいるはただのアレクサンダーだ。
だ、だからララディアも僕のことはアレクサンダーと言え。いいか、これは命令だ」
口調こそきつい命令形だが、アレクサンダーの視線は微妙に外を泳いでいる。要するに自分のことを名前で呼べと言うのであり、それは主君と家臣の垣根を外せと言っているのと同じだ。
「あら、王子でもなんでもないのに命令ですか?ただのアレクサンダーの言葉なら、別に従わなくてもいいのではないでしょうか?」
もちろんそれを察知し、意地悪く微笑むララディアにアレクサンダーの顔がカァッと赤くなった。
「う、うるさい!ララディアは僕に血を吸われただろ!つ、つまりララディアは僕の下僕だ!下僕が命令を聞かない道理は無い!!」
「はいはい。わかりましたよ王子」
「だから王子と呼ぶな……!?」
ムキになって叫ぶアレクサンダーの視界に、不意にララディアの顔が迫ってきた。その顔は今一瞬前の小馬鹿にしたものではなく溢れるくらいの慈愛の笑みに溢れている。
「あの時の『僕のララディアを、お前なんかに奪われてたまるか』って言葉、とっても嬉しかったですよ…アレク」
そう言ってララディアは、アレクサンダーの額に軽く口付けをした。そのふわりとした感触に一瞬アレクサンダーは固まり、次の瞬間には耳まで真っ赤に染まっていた。
そのあまりの激しい感情は除光液の効果を消し飛ばしかけてしまうほどで、日光で体のあちこちがちくちく痛み始めたアレクサンダーは慌てて馬車の中へと逃げ込んでしまった。
「ラ、ラ、ララディア!!不意打ちとは卑怯だぞ、ずるいぞ!!」
「今までずっと、王子の不意打ちに付き合ってきた私のことを少しは察してくださいね」
アレクサンダーの取り乱しようにクスクスと笑うララディアに、手に編んだ花輪を持ったアルマリスが不思議そうな顔をして近づいてきた。
「??どうして兄様はいきなり馬車に戻ってしまわれたの?せっかく暖かい日の光を浴びることのできる最後の機会ですのに…」
「王子は今体中が暖かくって、日の光なんか浴びたら火傷しそうなんですって」
「…ララディア!!」
馬車の中から怒声が聞こえているような気がするが気にしない。
「ねえララディア、この国のお外にはもっとたくさんの人間がいるのですよね?」
「そうですよアルマリス様。こんな小さいメルキルスとは比べ物にならないくらいの大きな国や街が、いたるところにございます。もちろんそこに住む人間もメルキルス以上におりますよ」
たくさんの人間がいる。それを聞いてアルマリスの顔がパッと輝いた。
「まあ!それは楽しみ!!昨日は吸血鬼の血しか飲めませんでしたから人間の血は結局味わえませんでしたのよ。
でもそんなに人間がいるんでしたら、この体いっぱいに熱い血を飲むことが出来ます。もう今から待ちきれませんわ!」
- 血の味を思い起こしているのだろうか、アルマリスはうっとりと目を細めて唇を軽く舐めた。その口からは興奮からか牙がじんわりと伸び始めている。
「ああぁ…アルマリス様、そんなに興奮なさっては体に毒です。
ささ、そろそろ馬車の中へ…。今日の内に山脈の中腹までは進みたいと思っておりますので」
「そうですか…。では名残惜しいですが……さようなら、お日様。さようなら、青い空。
さようなら……メルキルス」
アルマリスは目の前にそそり立つ巨木に別れの手を振ると、音も立てずに馬車の中へと入り込んだ。そこは目張りがしてあって完全に日光を遮断することが出来るものの、代償として光が中に入らないために全く外を窺うことが出来ない。
もっとも吸血鬼は夜目が聞くので内部を見ることには問題はない。
作った花輪を弄んではしゃぐアルマリスを見て、アレクサンダーはフッと軽く笑った。
無くしたものは実に多い。しかし、得られたものもまた多いのだ。
この先、自分たちがどうなるのかは想像も出来ないが、せっかく手に入れた力と命だ。精々活用していこうではないか。
「では出発しますよ王子ー」
「ああ、出してくれ。それと、僕を王子と呼ぶなと言っただろ!!」
聞こえているはずなのだがララディアはアレクサンダーの文句を完全に無視して馬車を動かし始めた。
ガラガラと遠ざかっていく馬車を、巨木は見えなくなるまでじっと見つめていた。
『彼』は思い出す。
もう400年以上前のことなのに、昨日のことのように鮮烈に思い出すことが出来る。
一瞬にして訪れたこの国の最後、そしてあの三人。
あの兄妹はどうなったのか。あの戦士はどうなったのか。
この場所に国があったことを知っている、この場所に人が生きていたことを知っている。たったの三人。
願わくば、そのことを語り伝えていて欲しい。この国に起こった災厄のことを。
願わくば、もう一度この地に戻ってきて欲しい。この地に今ひとたび、言葉と営みを見せて欲しい。
人がそれほど長く生きられないことは重々承知している。だが、例えそうだとしても、願わずにはいられない。
『彼』は今でも待っている。
最後にこの地を離れていった、二人の兄妹と一人の戦士を。
『猟血の狩人・緋が暮れた国の王子と王女』終
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