時事解説

2013年03月25日号

【クローズアップ】
時代錯誤の経営者の視点=土佐電気鉄道社長の山口組との関係誇示、鷲見一雄の解説


●高知新聞掲載記事
 高知新聞は22日、《土電社長 組との関係誇示 株主に  山口組組長名も  昨年5月  「やかましいき言うた」》という見出しで次の記事を配信した。
 土佐電気鉄道(高知市桟橋通4丁目)の竹本昭和社長(72)が昨年5月、土電本社で面談した男性株主(63)=土佐市出身=に対し、元暴力団組長=故人=の写真を見せ、「(元組長から)名刺ももろうちゅう。何かあったら、わしの名刺を見せたらえいきと言われちょった」などと発言していたことが分かった。竹本社長はその際、指定暴力団山口組トップの篠田建市(通称・司忍)6代目組長、同ナンバー2の高山清司弘道会会長の名前も口にした。竹本社長は取材に対し、元組長との関係を誇示したことは認め、「(男性株主が)あんまりやかましいき言うた」と説明している。(本紙取材班)
 県暴力団排除条例は、事業者が事業に関して暴力団を利用することを禁止。土電の有価証券報告書(2012年3月期)は「自ら反社会的勢力の力を利用いたしません」と記載している。
 一連の事実は複数の関係者証言や資料などから分かった。
 元組長は本県出身で、1960年代に名古屋市で弘道会の前身となる暴力団を結成。84年に「引退」した際、組織をナンバー2だった篠田組長に譲った。元組長は篠田組長の「親分筋」に当たり、引退後も弘道会などに強い影響力を持っていたとみられる。2009年11月に死去した際は「準山口組葬」が行われたという。
 問題の面談は昨年5月8日にあり、土電側は竹本社長のほか、代表取締役会長の西岡寅八郎県議(77)ら3人も同席した。株主側は1人だった。
 証言などによると、竹本社長は席上、事前に用意した大型封筒から元組長の顔写真を取り出し、株主の面前で示した。その上で「(元組長は)平成19(2007)年5月に高知へ来た。(土電に)いらんことすなよと(広島県に本部を置く指定暴力団)侠道会に言うちゃある、高山にも言うちゃあるきなあと言われ、(名古屋へ)帰られた」と発言した。
 株主が「どこの高山さんか」と尋ねると、竹本社長は「弘道会。今(山口組)ナンバー2やき」と言い、高山弘道会会長であることを示唆した。さらに「忍=篠田組長=に紹介するきんなあと(元組長は)言うたけど(実現する前に)亡くなった」「僕らは必ず(名古屋へ)お参りに行きゆう」などと語った。
 これについて、竹本社長は昨年8月の取材で「(元組長の)写真か名刺を(株主に)見せた」と説明。元組長との関係は、2000年代の後半に「名古屋へあいさつに行った」ことで始まったと述べた。元組長の「引退」後についても「(暴力団社会への影響力は)ある。(暴力団の)顧問みたいなことをしよった」とも話した。ただ、元組長以外の名前を自分から出したことはない、としている。
 西岡会長は取材に「面談に同席したが、そんなやりとりがあったかどうか分からない。(男性株主は)総会屋」と言っている。
 土電側によると、男性株主は少なくとも6、7年前から土電に「便宜供与」を要求。株主が関係する印刷物への広告掲載や土電が保有する全日空株主優待券の提供などを再三求めていたという。
 株主は取材に対し、面談内容を大筋で認めている。その上で、「(高知市内の大株主から昨年6月の)株主総会の委任状をもらったので、株主総会の前に経営のことを言いに行った」と説明している。委任状を託したとされた高知市内の大株主は「そんな事実はない」と話している。
 本紙は今年2月から竹本社長に再取材を申し込んでいるが、同社長は応じていない。

●鷲見一雄の解説
 元組長というのは60年代に弘田組を起こした弘田武志氏(三代目山口組若中 旧鈴木組若頭)のことだと思う。弘田組長は84年に引退、弘田組組織は司忍・司興業組長=篠田建市組長=が引き継ぎ、弘道会を設立、再スタートした。高山清司現弘道会会長は若頭。

 弘田氏は引退しても、高山会長に影響力があって当然といえる。

 弘田氏の時代はそれが通用したが今は通用しない。しかし、都内や大都市には竹本社長のような感覚の社長はいないと思うが、地方都市にはまだ、まだ存在するようだ。時代錯誤も甚だしいが、それが現実といえよう。後藤忠正氏も弘田氏と同じように影響力が現在もなお残っている。それで旧真珠宮ビルはコンプライアンス違反となるから、買い手が名乗り出られないのである。後藤氏は2010年5月、自叙伝「憚りながら」を上梓したことで一般人にはなりにくくなったということではないか。高山弘道会会長が共犯で何故、後藤氏は共犯でないのか、警視庁と京都府警の基準が違うのではないか。

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