神謀艶虜


「ほらほら、どうしたんですか?動きが鈍くなっていますよ」
「こ、この天使…、なんて強さなの…?!」
大きく肩で息を切るカレンに、屈辱とも称賛とも取れない表情が浮かんだ。
はっきり言って剣術には自信があった。若くして神羅連和国・飛天騎士団の筆頭将軍を務め、直属の
上司であるサイアスを除けば自分とまともに剣を交わせる相手など誰もいなかった。
それが自惚れに繋がったということを否定するつもりは無い。
が、それを抜きにしても目の前にいる天使は強大に過ぎた。
カレンの繰り出す剣戟をまるで訓練でもしてるかのように悠々と受け流し、まるで崩れる様子を見せ
ないばかりか時折カレンへ向けて鋭い打ち込みをしてくる。
その動作はあくまで泰然綽々として力みがなく、余裕の笑みを浮かべる顔には汗の一滴も流れてはいない。
カレンの目から見ても、この天使が自分よりはるかに高い技量を持っていることは間違いなかった。
そして、自分が完全に遊ばれていることも。
「どうしました?もう疲れてしまわれたのですか?なんでしたらここで終わりということで…」
金の長髪を揺らし四枚の黒い羽を生やした天使は、まるで生徒を諭すかのようにカレンに語りかけてきた。
「冗談はやめて…。このまま続けて結構です…」
あまりに力量が違いすぎるが、こうまで舐められてはさすがにプライドを傷つけられる。
敵わずともせめて一太刀…。カレンは残った力を振り絞って目の前の天使に対峙した。が。
「いえ、正直言って貴方と遣りあっても退屈なんですよ。あまりにも弱すぎて、ね」

ガィン!!

「キャッ!」
天使が軽く振るった一薙ぎはものの見事にカレンの細剣を捕らえ、衝撃で右手からはじき出された細剣
は真っ二つに折れて地面に転がり落ちた。
「さて…、これで勝負あり。ですかな?」
突き出された剣が喉元に突きつけられる。これでは何か動作を起こした瞬間に剣が首に埋められるのは
疑うべくも無い。もはや逆転の機会は永遠に失われた。
「そうね……。私の負けだわ。剣技で私に勝てるのはサイアス様だけかと思っていたけれど、まさか
サイアス様と互角に近い使い手がいたなんてね…。さすがは天使といったところかしら………
もういいわ。殺して」
覚悟を決めたカレンは、スッと目を閉じて目の前の剣が自分につきたてられるのを待った。
が、いつまでたっても喉に剣が刺さる感触はやってこなかった。
不審に思ったカレンが双眸を見開くと、目の前にあった剣は既に天使の腰の鞘の中におさまっていた。
「何をしているの………?早く殺しなさい!貴方には、戦士の情けというものが無いのですか!
これ以上辱めを受ける気はありません。さあ、早く!」
他者から見たら多少理不尽ともいえる怒りを爆発させ、カレンは声高に叫び上げた。
その様に天使は多少苦笑を浮かべつつも、あくまでも柔和な表情でカレンへ語りかけてきた。
「ご安心下さい。私としてはこれ以上、貴方へ危害を加えることはいたしませんよ」
「ふざけたことを言わないで!私は貴方の敵よ。なぜ!」
「なぜと言われても………。そう、あえて言うならば……」
天使はそこでわざともったいぶったように言葉を詰まらせ、両膝を地につけているカレンへ顔を近づけ、
「貴方のような美しい方を斬るような剣を、このナルキッソスは持っておりませんから」
と、まるで異性を口説くかのような口調でカレンへと語りかけてきた。

「!!」


その声、その表情を叩きつけられた瞬間、カレンの心が一瞬ではあるが歓喜に戦慄いた。
瞳は大きく見開かれ、頬はサッと朱に染まり、鼓動は一段階高く刻み始める。
(ど、どうしたの私………。目の前にいるのは敵なのよ?!何ときめいているのよ!)
突然湧き上がった感覚を打ち消そうと、カレンはぶんぶんと頭を振り払い、深く息を吸い込んで心を
落ち着かせようとした。
さいわい体の熱はスゥッと引いていったが、そのことで逆にナルキッソスの存在を強く意識してしまう
ようになってしまった。

(どうしよう…。あの男の顔を見てまた今みたいな気分になったら…)

カレンは網膜に焼きついたナルキッソスの影を必死に打ち消そうと試みた。
が、意識をすればするほどその画像は鮮明になり、カレンの意識の奥底にまで深く潜り込んでくる。
心の中で、次第にナルキッソスの存在が大きくなり始めている。
両肩に当てている掌が次第に細かく震え始め、吐息の間隔が細やかになりつつある。
「おや?お加減がよろしくないようですね。どうなされましたか?」
カレンに伸ばしたナルキッソスの掌が肩にかけた手に触れた瞬間、カレンの背筋にぞわわっとした感
触が湧き上がった。
「ひゃあぁっ!!」
ビクンッ!と背筋を伸ばして反応するカレンを、ナルキッソスは目尻を歪ませて眺めていた。
「おやおや…。男の前で淑女がそんな声を上げるものではないですよ」
思わず自分が上げた嬌声と、それをナルキッソスに指摘されたことでカレンは羞恥で顔を耳の先まで
真っ赤に染め上げ、ぺたんと尻餅をついてしまった。

(わ、私ったら……、なんてはしたない声を……)

恥ずかしさと情けなさで胸が詰まりそうになり、自然と両目から涙が溢れてくる。眼鏡越しの視界が
ぼんやりと濁り始め、頬を伝って零れ落ちていく。
「もう…、もうこんな屈辱耐えられない!
殺して。お願い!私を殺して!!」
地面にうずくまり、あらん限りの声を張り上げてカレンはナルキッソスに懇願した。
が、ナルキッソスはそんなカレンにやさしく、しかしどこか冷たく言い放った。
「いいえ、貴方を殺しはしません。貴方には是非ともやって貰いたいことがあるのですから」

やって…、もらいたいこと?

「ええ。実に簡単なことです。
貴方の上司であるサイアスを、貴方達の手で殺してきて欲しいのですよ」
「……………」

ちょっと待て。今、目の前の男は何を口走ったのだ?!
「私に………、サイアス様を殺せ………?」
「ええそうです。貴方達ならばさすがにあの男も油断するでしょう。え?それでも敵うはずも無い?!
ご安心ください。あの男に負けないほどの力を貴方に差し上げましょう」
「……………」
カレンの直属の上司であるサイアスは『剣聖』の二つ名を持つほどの凄腕の剣士であり、地上に襲い
掛かる天使に対する迎撃の総指揮を取っている。確かに天使にとってはこの上なく厄介な存在だ。
サイアスを排除することが出来れば、天使にとって地上侵攻のこの上ない好機となるのは間違いない。
(だからと言って、私にサイアス様を手にかけろと言うの?!)
カレンにとってサイアスは敬うべき上司であり、尊敬する剣術の師匠でもあり、恋慕を抱く男性である。
そんな自分にとって無二の人物を、この天使は殺せというのか。
あまりも達の悪い冗談に羞恥もなにも彼方へ吹っ飛び、カレンはナルキッソスへ怒りの視線をキッと向けた。

「確かにサイアス様がいなくなれば貴方達の地上侵攻は楽になるでしょうね………。
でも、私がサイアス様の命を奪うわけないじゃない!冗談も大概にして!」
怒りで声をまくし立てるカレンだが、ナルキッソスから返ってきた返事は予想もしないものだった。
「いえいえ、別に私は地上侵攻が楽になるとか、そんなことを考えてはいません。
というか、私にとっては地上侵攻なんかどうでもいいんですよ」
「…………え?貴方……、何を言ってるの?」
地上侵攻なんかどうでもいい?
「だって貴方達は地上に攻めてきたじゃないの。なのに、それがどうでもいいってどういう意味なの?!」
カレンは目の前にいるナルキッソスが、その強さから天使の中でも相当な地位にいる者だと感じていた。
その人物から、地上侵攻などどうでもいいという言葉が出てくるのが理解できなかった。
「まあ、地上に神罰を与えよと言い始めたのは上の方ですから、私自身が人間をどう思っているかは
また別問題でして。ただ、この件が私の目的を容易にしたのは否定しませんが」
「目的………?」
そこまで聞いてカレンは悟った。地上侵攻などどうでもいいと言いきったナルキッソスが『目的』としていることを。
「まさか貴方………、サイアス様を殺害するためだけに?!」
「ご名答です。私が地上に降りてきた目的はただ一つ。あの忌々しい男の血を引くサイアスに引導を渡すためですよ。
今までは我らが主の命で地上界に手を出すことは出来なかったのですが…、ようやっと我が念願が叶う機会を得たのです」
それまで柔和な表情を崩さなかったナルキッソスの顔に、明らかにそれまでと違う感情…憎悪が浮かび上がった。
「なんで?!なんの恨みがあってサイアス様の命を狙うのよ!」
カレンが発した『恨み』という単語。この言葉にナルキッソスはピクリと眉を動かした。
「そうですね………。では、昔話をいたしましょう。
今から1000年前…、私はちょっとした戯れで地上界に降りたことがありました。勿論天使としての
身分は隠し、比較的外見が似ていた飛天の民に紛れ込んで」
1000年前、その頃の世界は今より各部族の身体的特徴が強く出ていたと聞いている。
聖龍族は角、飛天族は羽といった按配に。
確かに今でも先天的に魔力の強い人間は、先祖帰りのように羽根や角が生えている場合がある。
ましてや1000年前のより特徴が強い世代ならば、飛天族に天使が紛れ込んでも見分けはつきにくかったのだろう。
「最初に私が使えた飛天の王。あれは人間の割りに頭が切れ、なかなかに愉しませて貰ったものです。
彼の息子もいいものを持っていましたが、やはり父には及びませんでしたね…」
「………」
古い思い出に浸っているのか、ナルキッソスの瞳が薄く閉じられる。
その憂いを帯びた表情に、カレンは心がまた少し揺さぶられた感じがした。
「そしてある日、私は一人の女性に恥ずかしながら一目惚れをしてしまったのです。
彼女を手に入れるためなら、私は天使としての身分も使命も捨て、地上で一人の人間として生を全う
するのもよい。と考えたこともありました」
さっきまでとは違い顔をうっすらと赤く染め、照れ隠しかちょっとはにかんだ笑みをカレンへと向けている。
(この人……、こんな顔を作ることも出来るのね……)
何故かは分からない。何故かは分からないが少しずつ目の前の天使に心惹かれていくのを感じる。
その一挙手一投足が心の琴線に引っかかってくる。
知らず、ナルキッソスを見るカレンの瞳は潤み、艶っぽくなってきていた。

「ですが」

と、話を区切ったところで、ナルキッソスの顔に今度は明らかな怒気が浮かび上がった。
「彼女が私に振り向くことはありませんでした。私は彼女を振り向かせるため懸命に努力をしました。
が、どれほどの努力を重ねようとも決して彼女は私を受け入れようとしませんでした。そして………」
ナルキッソスの体から肉眼でも見えそうなほどの憤怒の『気』が噴出している。先程までの柔和な雰囲気は
消え失せ、触れなば斬らんといわんばかりの気配に満ち満ちている。
が、カレンにはそれすらもこの天使の美しさを引き立たせるものに見えた。

「彼女は私の前から消えました。あの薄汚い下衆に絆され、私の手から離れていってしまいました。
その後私は天界へ戻され、地上界と天界の交流は制限されることになりましたのであの二人に手を下すことは
出来なくなりました………
ですから、今回の地上侵攻は待ちに待った機会だったのですよ。あの屑野郎・シェイドに復讐するためのね!!」
「シェイド………?!」
その名前には覚えがある。
以前、サイアスが自身の出生を明かしたことがある。自分の父母はかつて争いあっていた種族同士だったこと。
そして、種族の壁、憎悪の障害を乗り越えて結ばれたこと。
その名前は母はクラウディア、父はシェイド………
「まさか、恨みって!」
「そうです。かつて、私の前から最愛の女性を奪っていった男。そして、その一人息子。
私はただ、その男を地獄に叩き落すためだけにやってきたのですよ。
コア・キューブもデストールも私には関係ありません。ただただ、あの男の死のみが私の望みなのですから!」
もう怒りや恨みという言葉では形容できないほどの、底知れない闇をナルキッソスは纏っていた。
(な、なにそれ…。つまり、振られた男の逆恨みってこと?!)
一体どれほどの過去の因縁があるのかと思ったが、蓋を開けてみればなんと言うことはない。あまりの
事の矮小さにカレンは軽い眩暈を感じていた。
(でも………、この人から恋人を横から奪い取っていったって言うなら仕方が無いのかも…。私だって
許せないと思うし…。だとしたら、サイアス様が咎を受けるのも止むを得ない………
って、私は何を考えているの!!)
自分の心にポッと浮かんだ恐ろしい思考。まるでサイアスが殺されても仕方が無いというような考えに
ごく自然に至ったことにカレンは愕然とした。
(なんで、なんで私はそんなことを思ったの?!おかしい!私の心が何かおかしい!
サイアス様が殺されるのは当たり前じゃない!そんなことを考えてしまうなんて!
違う!!
私、いったいどうしちゃったのよ!!)

サイアスは死んで当然。サイアスは殺されるべき。サイアスは死ななければならない。

カレンの心の中で、『サイアス』という固有名詞がどんどん負のイメージ方向へ向っていく。
「や、やだぁっ!私、こんなこと考えたくない!こんなこと、したくない!!」
「さあ、太陽騎士カレン、貴方にも協力して頂きますよ。あの男のことをよく知り、全幅の信頼を置かれている
貴方が刺客として送り込まれる。あの男にとってこれほど辛いことは、ないでしょうからね!」
自らの脳内の思考にに抵抗し続けるカレンの頬に、グッと力をこめた手が添えられてきた。
ナルキッソスがカレンの顔を両手で掴み上げ、強引に自分のほうに振り向かせる。涙で霞むカレンの視界に
ナルキッソスの瑠璃色の瞳が映しこまれた。
深く深く、暗い瑠璃色がカレンの瞳を通して脳髄を焼き貫いてくる。やがて映る視界は瑠璃色で占められ
聞こえる音はナルキッソスの声しか聞こえなくなってきていた。
「カレン、貴方はサイアスを殺すのです。私の為に殺すのです。殺すのです!
貴方のその手でサイアスを血の海に沈め、私の前に奴の素っ首を捧げるのです!」
「わ、私は………。あ、あああっ!」
ナルキッソスの言葉が凄まじい強制力を伴ってカレンへと襲い掛かる。

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
(こ、この御方の為に、サイアス様を……)
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺
(殺さなければ…殺さなければ…私の主であるこの御方の為…)
殺せ殺殺殺せせ殺せ殺せ殺せ殺殺せ殺せ殺殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ

「わ、私は………さ、サイアスさまを…、こ、こ、ころ………」

殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ…

「いやあああぁぁあぁぁっ!!絶対にいや!サイアス様を殺すなんて、絶対にいやあぁぁっ!!」
頭の中に鳴り響く「サイアスを殺せ」の大合唱。
激しい頭痛と強制力を伴ったその言葉に、カレンは両手で頭を抱え、歯を食いしばって必死に耐えた。
「いや……、いや……、いやぁ………」
その姿に、ナルキッソスは感心とも驚きとも取れる表情を浮かべた。
(これは…、なかなかの精神力を持っているようですね。魅了に加え言霊も用いたのにまさか人間如きが
抗しきるとは……。では少し手を変えてみますか……)
「そうですか。それはこちらとしては残念なことです。しかし…」
ナルキッソスは蹲るカレンに顔を近づけ、耳元でぼそりと呟いた。
「貴方の弟君は、快く私に協力してくれると言ってくれたんですけれどね………」
「…え………?」
弟君?!誰の?貴方の?私の?!
「さあ、こちらへ来てください」
ナルキッソスに促され、物陰からふらりと出てきた影。
「シ、ショウ………?!」
「姉さん………」
カレンの前に現れたもの。それはカレンの実弟であり、三年前の聖龍石盗難事件の際復活を果たした
マステリオンを倒した光の戦士の一人でもあるショウだった。
が、そこにいたのはカレンが知っているショウではなかった。
強い意志を秘めていた瞳は光を失って薄暗く濁り、顔には白痴のような笑みを浮かべている。
着ている詰襟はだらしなく前をはだけ、上気した肌を露出させている。
「っ…………!!」
それだけでもカレンにとっては悪夢のような光景なのだが、カレンの目を見開かせたのはショウの肉体
に付いているありえないモノだった。
服の生地を引き裂いて飛び出しているモノ。両耳の付け根から伸びているモノ。
それは漆黒に濡れる一対の翼。
目の前にいるナルキッソス=天使と全く同じ物が、自分の肉親から生えていた。
「どうしたんですか…姉さん。僕の体、どこかおかしいですかぁ……」
事態が飲み込めず当惑しているカレンに、ショウはわざとらしく問い掛けてきた。
「な、なによそれ………。ショウ…、あなた、ど、どうして………?」
頭痛に苛まれ手足の自由もままならない中、ぶるぶると震える手でカレンはショウの羽を指差した。
「ああぁ、この羽ですか。どこか変ですか?
姉さん、僕たちは飛天族の血を引いているんですよ。羽が生えていたっておかしくは無いじゃないですかぁ」
確かにかつて、飛天族は背中に雄々しい羽根を持ち、大空を自由に飛びまわれたと聞いている。
現在でも潜在的に魔力の高い飛天の人間は背中に羽を持って生まれてくる例はある。
しかし、それはとても小さいものでとても空を飛べるような代物ではない。ショウの体から伸びている
ような巨大な羽を持つ人間は、現在の人間では存在しない。
「どうですか姉さぁん、この大きな羽は。これのせいで体中から魔力が溢れてきて、もう、堪らないんですよぉ…」
ショウはわさわさと羽を動かし、恍惚からか全身を時折ピクピクと震わせている。
実の弟の変わり果てた姿に、カレンは一瞬目の前が真っ暗になった。
「ナルキッソス………、貴方、私の弟に何を………」
「ああ、貴方の弟君には私の為す事に協力していただくために私の力の一部を与えたのですよ。
感謝してください。ただの人間に天界の力を付すなんてこの上ない名誉なんですからね」
ナルキッソスは身悶えるショウに近づき、その顎をつい、と撫で上げた。
「あぁ……」
ナルキッソスに触れられたショウは、これ以上ないというほどの幸せな笑みを浮かべ、ナルキッソスの体に寄りかかった。
「今の彼は私の眷族にして忠実な部下です。そう、命令すればどのようなことでも遂行する、ね………」
「あ、あ、あ、ああっ!ナ、ナルキッソス様ぁぁ…」
ナルキッソスにもたれかかっているショウは、全身をナルキッソスに擦りつけ感じ取ろうと蠢いている。
(な、なにしているのよあの子……、あんなにいやらしく体を動かして…)
目の前で紡がれるショウの痴態。とても正視に耐えない光景だが、何故かカレンは目を離すことが出来ない。
一挙手一投足に目が釘付けになり、瞬きをする暇さえない。

(あんな…、気持ちよさそうな顔をして……)
見ているカレンの顔にだんだん赤味が差してくる。自身の鼓動の音がやけに大きく感じられ、胸の奥がちりちりと痛み始める。
股下は触らなくても分かるほど熱もち、ショーツから溢れたものが太腿を伝っている。
それに伴ってショウを見つめる瞳に、次第にどす黒いものが混じってきていた。
(ショウだけ、あんなにいい思いして………。んっ…)
無意識に伸ばした右手が胸に触れると、服の上からにもかかわらず全身に震えるような刺激が走った。
「な、なんでぇ…。私、こんなに、興奮してるぅ………」
一度快感を味わうともう止めることは出来ない。カレンは服越しに自分の胸をギュッ、ギュッとこねく
りあげ、空いたもう片方の手をズボンの中へ潜ませて、物欲しそうに濡れ動く部分に自らの指をあてがっている。

「ああぁっ、あんっ、あん、あふぅ………」
私の胸を揉む手は『あの人』の手。私のあそこを埋めるものは『あの人』のモノ。
今までも特定の人物を対象にして自慰に耽ることは何度もあった。
その時思い浮かべる人物は、いつも決まって『あの人』。あの人とは………


誰だろう?
いつも考えているのに、いつもそばにいたのに、今、その姿はおぼろげにしか思い出せない。
その人はいつも私に優しくしてくれた。いつもわたしのことを見ていてくれた。
そう、その人は背中に四枚の羽根があった。
あれは、確か、確か………


「ナ、ナルキッソス様ぁ、僕もう、もう!ああああぁっ!!」
霞む思考で自慰を続けるカレンの前で、ショウは目を見開きひときわ大きな声をあげ、腰をガクガク
揺すらせた後、糸がぷっつり切れたかのようにその場にくてんとへたり込んでしまった。
荒い息を吐く半開きになった口からはつぅと涎がこぼれ、テントを張ったズボンの股下がうっすらと滲んできている。
(やだ………。あの子ったら、射精している………?!)
自分がしている行為も忘れ、カレンの視線は時折ビクビクと体を振るわせるショウの下半身に向けられていた。
「おや?どうしましたかな。妙齢の女性がこんな所ではしたない姿を晒してしまって。
弟君の姿を見て我慢が出来なくなりましたか?」
ショウをジッと見つめるカレンの前へ、ナルキッソスが意地悪く問い掛けてきた。
「あ、あぅ……。それわぁ……」

ショウはこの人に触れるだけで、あんなにも快楽に蕩けた表情を浮かべ、あまつさえ射精までしてしまった。
もし自分がこの人に体を預けたら、どれほど気持ちよくなるのだろうか?

ナルキッソスの表情が視界に入った瞬間、熱く濡れる股間からまたじゅわっと蜜が溢れこぼれてきた。
目の前がピンク色のフィルターに被われ、ナルキッソスの姿以外が掻き消えていく。
「あ、あ、あぁ………」
ろくに動かない下半身を芋虫のように這いずって前進させ、震える手をゆっくりとナルキッソスの体へと伸ばしていく。
触ってみたい。ほんの少しでも触れることが出来たら、自分もショウと同じ思いを味わえることが出来るかもしれない。
もう目の前にいるのが何者なのかも関係ない。
ただ、自分の体が求める快楽を思う様満たしたい。
(もう少し…、もう少しぃ…)
あとひと伸ばしでナルキッソスの体に触れようとするその瞬間、
ナルキッソスはすい、と身を翻しカレンの手が届かないところへと移った。
「な、なんでぇ……」
あと少し、というところで『おあずけ』を喰らったことに、カレンはあからさまに不満な表情を浮かべた。

「フフフ、なにをしようとしていたんですか?まさか、私の体を使って自らの欲望を満たそうとしていたとでも?」
明らかにカレンの意図を知っていて、ナルキッソスはカレンへと語りかけてきた。
「ち、違…。そ、そ、それは………」
カレンは何とか適当な言い訳で取り繕うとしたが、ナルキッソスの言っていることこそ真実なため続く
言葉が思い浮かばない。それ以前に快感でのぼせた頭が思考するということを実行してくれない。
その間にも肢体から湧き上がる火照りはますます広がり、脳を焼け付くさんばかりになってきている。
言葉を紡げず口をパクパクさせるだけのカレンをしげしげと眺めてから、ナルキッソスは不意に後ろへと振り返った。
「ショウ君、いつまで座っているんですか。早くこちらへ来てください」
ナルキッソスの言葉に反応したのか、それまで放心していたショウがゆらりと立ち上がり、虚ろな表情のまま近づいてきた。
「ナルキッソス様……、なにか御用でしょうかぁ……」
「ほら、君の姉君を見て見なさい。とっても、苦しそうな表情をしているでしょう?」
ナルキッソスに促されて、ショウはカレンのほうへ顔を動かした。
カレンの視界にショウの呆けた顔が入り込んでくる。その表情が、カレンには自分に対する侮蔑の感情を
見せているように感じられた。
「や、やぁ………。お願い、ショウ。見ない、でぇ………」
ショウの視線に耐えられず、カレンはきゅっと目を閉じた。が、その間も全身の疼きは収まることを知らず
自身を苛む指を止めることは適わなかった。
「あ、あ、あっ!ショウ、見ないで!今の私の姿を見ないで!見な、見ないでぇっ!!」
口からは悲鳴、瞳からは羞恥の涙が零れながら自らを慰める。その様をナルキッソスとショウはジッと眺めていた。
「可哀相に、このままでは姉君は肉体の渇望から気が触れてしまうかもしれません。
ショウ君、あなたが姉君の苦痛を取り除いてあげなさい。その体を使って、ね………」
「僕が……、姉さんの………。姉さんの……、姉さんを………」
熱に浮かされたような顔でカレンを見つめるショウ。その瞳に、次第に欲望の色が浮かんでくる。
「僕が……、姉さんを、犯す………。犯す、犯す………」
「そうです。たっぷりと刺し貫いてあげなさい。きっと姉君は涙を流して喜ぶでしょうよ」
「姉さんが、喜ぶ……よろこぶ、悦ぶぅ………」
最早隠しようのない肉への欲望を滾らせ、ショウはカレンへゆっくりと歩を進めていく。
「姉さん………」
意外なほど近くで聞こえたショウの声にカレンが思わず目を開けると、そこにはズボンを傍らに脱ぎ捨て、
剥き出しになった怒張を握り締めた弟の姿があった。
「ヒィッ!シ、ショウ?!」
「姉さん…、とても、苦しそうだから……、僕が、介抱してあげるよ…。僕の、こいつで……」
華奢な肉体に不釣合いなほど大きいショウのそれは、ビクビクと脈動し先端から先走りの液を滴らせている。
目の前に突きつけられたモノに、カレンは弟の言わんとしている事を霞む思考の中即座に理解した。
「や、やめなさいショウ!私たち、姉弟なのよ!!そんなことしちゃ、絶対にダメ!」
弱々しく首を振りながらじりじりと後ずさりするカレン。かつて見たことがない弱い姉の姿に、ショウの
嗜虐心がメラメラと燃えあがってきた。
「ふふふ、情けない姿だね姉さん。そんな姉さんを見てたら…、ますます興奮してきた、よぉ!」
我慢の限界とでも言うのか、後ずさるカレンに飛び掛ったショウはそのまま体重をかけてカレンを押し倒し
強引にズボンをずり下ろすと、いきり立った自分のモノをカレンの秘部へ強引に突っ込ませた。

「いやぁーーーっ!!」

今まで散々弄っていたからか挿入そのものはすんなりと受け入れられたが、実の弟に犯されるという
背徳と恐怖から、カレンは体の奥から絞りださんばかりの絶叫を上げた。
「うぁはぁ…、姉さんの中、とってもあったかくて、気持ちいいよぉ………!」
「やめてショウ!早く抜いて!お願い、お願いだからぁ!!」
姉弟の悲鳴が交錯している最中、ナルキッソスはポツリとある言葉を呟いた。
「ああそうそう。勝手にイッたりしてはだめですよ。私がいいというまでイクことは許しません。
いいですね………」
が、姉を犯すことに夢中のショウと弟を引き剥がすことに必死のカレンにその言葉を聞き取り理解する余裕は無かった。

「あああぁっ!腰が、腰が止まらないよぉ!」
「ダメェッ…こんなの、絶対おかしい………」
あれからどれほど時が過ぎたのか。カレンとショウは未だに繋がりあい互いの肉体を貪っていた。
腰と腰がぶつかり合う音が鳴り響き、繋がった部分からぐちぐちと泡立った体液が零れ落ちてくる。
ショウは涌き昇る快感に完全に溺れ、姉の奥へ奥へと進もうと一心不乱に腰を突き立てている。
カレンも口では否定の言葉を並べているが、その表情には先程と違い僅かながら快楽を求める虚ろな笑みを浮かべていた。
「そんなこと言って……、姉さんも気持ちいいんでしょ。さっきから僕の腰に足を絡めて…
そんなに弟のチ○ポを味わいたいの?このド変態姉さん…」
「ち、違うの。これ……、そんなこと、アアッ!ないのぉ…」
そう、カレンの肉体は発する言葉と裏腹にショウをより感じようとするかのように足を腰に絡めてグイグイと
自らの方へと導き、両手は背中へ回して双乳が変形するくらいショウの胸へ押し付けている。
「そんなに強がらないで、もう楽になっちゃいなよ。口でどんなにごまかしても。姉さんの体はもう
嘘はつけないようになってるんだからさ」
ショウに言われるまでもない。カレンはこの快楽を受け入れ始めている。
ショウのペニスが自分の膣内を一擦りするごとにゾクゾクとした快感が全身を駆け巡る。腰と腰がぶつかる
ごとに心地よい圧迫感が下半身を支配する。乳房が胸と胸に挟まれ揉まれる度に脳髄に電気が走るような間隔が走る。
だが、実の弟と行為に及び、かつそれにより湧き上がる快楽を享受することを残る一片の理性が食い止めていた。
「こんなこと…、ダメ……。ダメなの……」

『ダメではありませんよ』

どこからか声が聞こえる。

『受け入れなさい。自分の心に素直になりなさい』

疲れ果て、弱りきった心にずぶずぶと染み渡ってくる声が聞こえる。

『何をそんなに苦しがるのです?今ある自分を認めれば、苦しみなどすぐになくなるのに』

抗いがたい、甘い誘惑の声が聞こえる。
心の中で、ズクン、と振り子が揺れてきている。弱々しくも守ってきた理性という殻にピシリとひびが入るのを感じる。
(受け入れれば……、楽になれる………?)
快楽を受け入れる自分と拒絶する自分。両方がせめぎあい争いあいどっちにも舵を取れず衰弱しきった心に
聞こえてくる声は、カレンが進む方向へ明確な舵を切らせんとしていた。
(そうか………、楽に、なれるんだ………)
カレンの瞳に僅かながら残っていた理性の光がみるみる消えていく。
「ああぁ……、シ、ショウゥ…、お願い……」
カレンがショウへ顔を向ける。その視線は、それまで無かった媚と情欲の色に染められていた。
「お願い……。もっと、激しくして!
姉さん、こんなんじゃ全然イケないのぉ!!」
それまで控えめだった腰の動きが一気に激しくなり、全身をガクガク揺すってショウのペニスを舐めつくさん
ばかりに味わおうとする。呻き声を上げていた口からは喘ぎ声と共に涎が零れ、激しく息を吐き続ける。
「ね、姉さん!そんな……っ、急に!」
「早く、早く突いて!もっと深く!!」
『自分の心』に『忠実』になったカレンに、それまで余裕を持って姉を弄っていたショウは一気に
主導権を奪われ、翻弄される立場となってしまった。
突いていた腰は突かされるようになり、自分の意志で快感を制御することが出来なくなっている。

「あっ、あぁっ!姉さぁん!!激し、すぎるよぉ!!」
「気持ちいい!気持ちいいのぉ!!お○んこをショウのち○ちんがゴリゴリ擦ってぇ……!溶けちゃいそぉ!!」
それまで必死に快感を抑えてきた反動からか、カレンは貪欲に快感を求め、高みへと達しようとしている。
頭の中で火花がパチパチと弾け、胸の中でむくむくと絶頂の頂がせり上がって来る。
「あ、来る。来るぅ、来ちゃうぅっ!!」
その頂が今正に爆ぜようとする瞬間。

「あ………ぇ……?」

爆発寸前だった心の中が無理やり止められたかのように急速に萎えていく。上り詰めた達成感、爽快感
などが全て雲散霧消し、残されたのは達することの出来なかった不快感だけ。
「な、なんでぇ………」
ならば次こそはと再び肢体を動かすが、やはりあと少しというところで心が萎えてしまい最後まで行き着くことが出来ない。
何度も何度も繰り返すが、どうしても最後まで達することが出来ない。
「どうしてよぉ………、どうしてイケないのよぉ!!」
半泣きになって声を張り上げるカレンだが、ショウも立場は同じだった。
「あ、あが……、あ………」
姉にいくら搾取されても、あと少しというところで輸精管を伝うはずの精液が止まり、体の中へと戻ってしまう。
いつまでも終わることのない快感に、ショウは半ば意識を失い機械的に腰を振るだけになっていた。
「ねえ、ショウ。イって!あなたがイカないと姉さんもイケないのよぉ!!」
しゃかりきになってショウを急かすカレンだが、ショウの方も限界なのか全く反応しようとしない。
イキたいのにどうしてもイケない。
いつしかカレンは『イキたい』ことしか頭の中に入らなくなっていた。
「お願い、ショウ!イって、イって!イってよぉぉっ!!」

『イケはしませんよ』

またさっきの声が聞こえてくる。

『聞いていませんでしたか?貴方達は私がいいというまでイクことは出来ないんですよ』

いいというまでイクことができない?
「え………、じ、じゃあイかせて!お願い!このままじゃ私、気がおかしくなっちゃう!!」
どこからか聞こえる声に、カレンは涙を浮かべて声を上げた。しかし、

『ダメです』

その声は無情にもカレンの願いを拒絶した。
「そ、そんな!お願い、イかせて!いや、お願いします!!私をイかせて下さい!!!
後生ですから、お願いします。お願いします!お願いしますぅぅ!!」
もうカレンはなりふり構っていられなかった。顔は涙と汗と涎でベトベトに濡れ、張り上げ続けた嬌声で
疲れ果てた声帯から声を絞り出し、必死になって懇願した。

『そうですか…。では私の言うことを聞いてくれたら、イカせてあげましょう』

「!!
な、何でも聞きます!聞きますから、早く、はやく!!」

『貴方の上司であるサイアスを、その手で殺すのです。そうすることをこの場で誓えば、イカせてあげましょう』

サイアス様を………、殺す?
以前、どこかで聞いたことのある言葉だった。どこでだかは思い出せないけれど………
私がサイアス様を殺す。そう誓えばイクことができる。
サイアス様を殺せばイクことができる。
イきたい。イきたい。イきたい!!!
自分がサイアスを殺す。ということが何を意味するか、現在のカレンは理解する思考を失っていた。

『さあ、どうします?』

もう答えがなんなのかわかっているかのようだが、あえて声は語りかけてきた。
「ち………」
そこまで言いかかけて一瞬言葉が詰まる。残っていた最後の理性がその後を言い切るのを拒んでいる。
が、それも一瞬だった。
「誓います!私が、私がサイアス様を殺しますぅ!!だから、イかせて!イかせてぇ!!」
快楽を求める心。それが全身を支配したとき、カレンの口から言ってはならない言葉が飛び出していた。

『貴方もショウ君と同じように、私の眷属となって協力してくれるのですね?』

「なります!なりますからぁぁぁぁっはやくぅぅぅっ!!」
もう自分がどうなるのかもカレンの思考の中には存在しない。ただただ『イきたい』この事のみに支配されていた。

『分かりました。では、貴方にも私の力の一部を差し上げましょう』

何かがちくりとカレンのこめかみに刺さる感触がした。カレンからは見えないが、それは一枚の漆黒の羽だった。
「あぃっ…」
それが刺さった箇所から何かがどくどくと溢れ、自分の体の中に染み渡っていく。体が、心が何か別のものに
変わっていく感触がする。
が、それがなにかを反芻する間もなく、待ちかねていた声が聞こえてきた。

『さあお待たせしました。カレン君、ショウ君、思うがままイってしまっていいですよ』

「「!!」」
その声を聞いた瞬間、カレンの心の奥から爆発的な快感が恐ろしい速さで込み上げてきた。
「「あ、あ、あ、あ、あ!!」」
今までどうしても行き着けなかった絶頂の高み、その頂点が見え始めたカレンの瞳孔は開ききり
歓喜の笑みを浮かべてその瞬間を待ち構えている。
それはショウも同じで、今まで抑えに抑えられていた射精感が一気に下半身に襲い掛かり、
カレンの腰へ突き破らんばかりにペニスを押し付けている。
「ね、姉さん!僕もうだめ!来る、来ちゃうよぉぉっ!!」
「ショウ!早く、早く射精して!姉さんも、もう我慢できないのぉ!!」
ひときわ大きくショウがカレンへつきを入れた瞬間。
「うあああああああぁぁっ!!!」
ショウの中から発した溜まりに溜まった迸りがカレンの膣内を焼き尽くした。
「あ、あつぅういいいぃぃぁぁぁあぁっ!!」
それを受けたカレンも待ちかねた絶頂へ行き着き、背中をキュゥッと反らしてショウの出したものを受け止めていた。
「あ、あひいいぃ…」
「ふわあぁ………」
そして、許容量の限界を超えた快感を受けた姉弟は、意識が耐えきれずその場に糸が切れた
操り人形のように突っ伏してしまった。
が、気を失いつつもショウのペニスからは耐えることなく精液が噴き出し、カレンの股下はそれを
呑みつくさんと貪欲に蠢いていた。
そして、その間にカレンのこめかみに刺さった羽はずぶずぶとカレンの肢体に潜り込み、やがて完全に
その姿を没してしまった。

「さあ、二人とも起きて下さい」
ナルキッソスの声に、重なったまま突っ伏していたカレンとショウはぴくりと反応し、どちらともなく
ゆらりと立ち上がった。

「「……………」」

ショウもカレンも先程までの情事の疲労からか、目の焦点はあっておらず全身が倦怠感で覆い尽くされ
いるかのように力が抜けている。いや、未だ肢体に残る快感に溺れているのかもしれない。
「う…、うぁ………」
白痴のように佇むカレンの口から、苦しいような喘ぐような声が零れている。全身が細かく打ち震え
時折ビクッと大きく跳ね上げている。
そのような状態が少し続いてから、全く突然、カレンがひときわ大きな嬌声を上げた。

「あぁ…………っ!!いぃぃっ!!」

首を大きく仰け反らせ、震える手で両肩を抱え、まるで内から湧き上がる何かを抑えるように全身をくねらせている。
メリメリ……バキバキ………
カレンの肢体から何か嫌な音が発している。筋肉が、骨格が軋み、変形し全く別なモノを構成しようとしている。
「あああああいいいいいいいひぃぃっ!!」
自分の肢体が再構成される。物凄い激痛を感じているはずなのだが、カレンの顔に張り付いているのは
生まれ変われることに対する無上の幸福を感じる笑みだった。
やがて、服を突き破りカレンの背中と髪を掻き分けこめかみから生えてきたもの。
それは弟と同じ、艶やかな黒曜色をした大きな鳥の羽だった。
「……………、うはぁぁっ!!」
カレンの声がひときわ響くと、はえた四枚の羽がブワッと広がり、辺りに闇色の羽毛を撒き散らした。
………新しい使徒の誕生だった。

「ふわあぁ……、いぃ……」
「………どうですかカレン君?新しい肢体の感想は」
自身の変化の余韻に浸るカレンに、新しい主が声をかけてきた。
光を失っていた目でナルキッソスを見ると、たちまちその瞳が歓喜に染まった。
「あぁ………!ナルキッソス様ぁ………
この力、凄いです………。もう抑え切れなくて、溢れ出しちゃうくらい……です………」
カレンがまだ覚束ない脚でじりじりとナルキッソスににじり寄ると、ナルキッソスはカレンのうなじを
優しく撫で上げてきた。
「ひぃんっ!!」
敬愛する主人に体を触れられ、カレンは全身を歓喜で震わせその行為に報いた。
「ああぁ……嬉しいです、ナルキッソス様………」
「ふふ……、健気なものですね。ではカレン君、貴方にとってサイアスはなんですか?」
サイアスという言葉を聞いて。カレンの体がぴくりと動いた。
「私にとって………、『サイアス』は……」
サイアスという言葉を放った直後、カレンの顔に憎悪が浮かび上がった。
「サイアスは、憎むべき私たちの『敵』。決して揺るされざる業を背負った奈落の堕天使…」
カレンの返答に、ナルキッソスはにっこりと微笑んだ。
「そうです。あの男はこの世にに存在してはならない悪漢。必ず撃ち滅ぼさねばなりません。
そのために私は貴方達に力を授けたのです。その力を以って、あの男を滅ぼすのです」
「はい!貴方様から頂いたこの力で、必ずやあの男に死を!」
ナルキッソスの言葉に、カレンはぴっと襟を正し、凛とした声で答えた。
「殺してやるわ…。私の大事な主を苦しめ続けたあの男。決して生かしておきはしない……」
かつて尊敬し、敬愛し、恋慕していた上司。そのような記憶など涅槃の彼方へ消し去り、カレンは
サイアスに対する憎しみに全身を震わせていた。
「やろう姉さん。あの男に、生きていることが苦痛になるくらいの責め苦を与えて、絶望の淵に
叩き落してからゆっくりと息の根を止めてやろうよ」
「ええ。いくらあの男でも、ナルキッソス様から力を授かった私たち二人が相手なら勝てる道理はないわ。
せいぜい嬲って、縊り殺しましょう……」
サイアスを殺害する様を想像し悦に浸る二人を、ナルキッソスは冷ややかな視線で見つめていた。
(まあ、せいぜい頑張ってください。いくらお前達を強化したところであの男に適うはずもありませんけどね。
お前達はあの男をいたぶる餌なんですよ。信頼する部下と弟子に牙を剥かれ、本気で殺しに来る時
あいつはどう反応するでしょうかね?我が身可愛さに殺しますかね?それとも………、ククク………)
「ナルキッソス様?いかがなさいましたか?」
「いえ、何でもありませんよ。
それより二人とも、必ずやあの男を殺すのですよ。期待していますからね」
主人に自分たちは期待されている。そう思うとカレンとショウはパッと顔を輝かせた。
「分かりました。ナルキッソス様!」
「必ずや貴方様のご期待に応えて見せます!」
嬉々として反応する下僕の様に、ナルキッソスは嬉しげな、しかしどこか蔑んだ微笑を浮かべた。