「基地の沖縄県。原子力の青森県」という言葉があります。国策としての米軍基地が沖縄に、核のゴミが青森に置き続けられている、という意味です。福島第1原発の事故をうけ、政府は「原発ゼロ」を言いだしました。しかし、根本的な問題はなにひとつ解決されていないのです。
「基地の沖縄県。原子力の青森県」という言葉があります。国策としての米軍基地が沖縄に、核のゴミが青森に置き続けられている、という意味です。福島第1原発の事故をうけ、政府は「原発ゼロ」を言いだしました。しかし、根本的な問題はなにひとつ解決されていないのです。
私はかつて原発を容認していました。変わるきっかけになったのは、中部電力の浜岡原発(静岡県御前崎市)の問題でした。浜岡原発は父・水野茂夫(故人、フジサンケイグループの創始者、「財界四天王」と呼ばれる)が誘致したものです。父は、政府が全国に原発をつくるという方針を出したとき、故郷の浜岡町(2004年に合併して御前崎市に)を説得したのです。その後、私は、東海地震の発生が近いことや浜岡原発付近に活断層がいくつもあることを知り、非常に心配になりました。
大飯原発の再稼働の問題では、政府は基準を明確にすべきです。あいまいにしたまま、なしくずし的に全50基を動かし、あわよくば上関(山口県)に原発を造ろうとしている。"政治判断"で動かしていくなんてとんでもない。
すべての原発が止まった今、いよいよ私たち一人ひとりがこの国の未来について、真剣に考えなければいけない時期が来たと思います。
原発が行き詰まっていることは誰の目にも明らかです。使用済み核燃料は捨てる場所がない。再処理も全然できない。コストがかかりすぎる。危険が高すぎる。もう当たり前のことなのに、今までのシステムに乗っかってきた人たちは、オルタナティブ(対案)を考えようとしない。
私の「脱原発」のスタートは11年前の米国9・11同時多発テロです。原発がテロの標的になったら、ひとたまりもないと。しかし昨年の福島第1原発事故が起きるまでは、地震大国である日本の原発は地震や津波に耐えられると、日本の技術力を過信していました。
3月20日に「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」を立ち上げました。賛同者は400人を超えました。多くのメディアは「経済界は原発は必要と言っている」と報道します。今、経済界からの声として「原発なしでやっていこう」と発信しないと、多くの人は危険性に気づきながらも「原発は怖いけど、ご飯を食べられなくなったら困る」と黙ってしまうと思いました。
1962年初来日してから50年を迎えた作家のC・W・ニコルさん(71)。日本列島の自然と人に魅せられ、長野県で森の再生に取り組みながら、日本国籍を得ました。東日本大震災後、宮城県東松島市で復興に協力する今、目に涙をうかべ、「地震と津波の国に原子力発電所はいらない」と思いを語ります。
「いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~」。日本のカトリック教会が昨年11月に発表した司教団メッセージです。日本にいる3人の大司教の一人、東京大司教の岡田武夫さんに聞きました。
「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を発表したのは、福島第1原発事故から3カ月後の6月上旬でした。インターネットで動画を配信すると、ひと晩で1万件のアクセスがあり、反響の大きさに本当にびっくりしました。たくさんの共感や声援をいただきました。
講談を聴いたことがある人は少ないですよね。講談は、歴史的事件をわかりやすい物語にして語り伝える伝統芸能です。講談師は、ノンフィクション作家やジャーナリストのような面もあります。まあ、「講釈師、見てきたようなうそをつき」とも言われますが。
原発には、以前から、きなくささを感じていました。僕は前に、自分のホームページで、核廃棄物処理施設をテーマにした「番犬は庭を守る」という連載小説を書いていましたが、原発に対する取り組みは緩やかすぎた。下の世代に申し訳ないという思いでいっぱいです。
チェルノブイリの原発事故が起きたとき、私たちもささやかな反原発運動をしたんですが、その後、持続してきませんでした。それに対する反省と、今度こそ原発ゼロを選択しなければという思いが強いです。
私は浜岡原発から3㌔、原発の排気塔が見えるところに住んでいます。福島第1原発の事故が起きた3月11日以降、まず自分が「怖い、恐ろしい」と思いました。市民からも不安の声が相次ぎました。
原発事故の深刻さを目の当たりにして、私はとても後悔しました。ほかの社会運動には関心をもってきたけれど、なぜ原発反対運動をちゃんとやってこなかったのだろう、どうしてきちんと考えてこなかったのだろう、と。
原発については、これまでも大変な事故があったにもかかわらず、それほど深い問題意識を持っていませんでした。
私たちは、戦後、曲がりなりにも民主主義を手に入れたと思ってきたけれど、エネルギーには民主主義がなかったことに、今回の事故でやっと気が付きました。
自然災害については地震、火山、台風の多い列島に暮らす国民はある程度、覚悟していますが、東日本大震災で被害を拡大したのは人災です。人災は、基本的に利益優先の資本主義や電力会社の秘密主義、そして情報伝達の錯綜(さくそう)によって引き起こされたものといえます。
原子力発電所は「核の平和利用」と触れ込む日米安保や冷戦時代のイデオロギーのもと、「低コスト」と「安全」、「クリーン」を売りに、高度経済成長期から建設されていったが、長期的なコスト計算をすると、資本の原理にもかなっていない。原発が廃炉になったあとの後始末のコストも計上したら、水力や火力よりはるかに高い。メルトダウン(炉心溶融)した福島第1原発の事故によって生じた被害まで計上すると、何兆円の単位です。そういう原発が全国に54基もあるという事態は今、見直さなくて、いつ見直すのか。
福島の事故が起きたときに感じたのは、何よりも痛恨の念です。ずっと原発に反対してきたのに、止められなかった。自分自身の本気度というか、ルポはいくつも書いていても、運動をしてこなかった責任を感じます。
われわれは、歴史の中継ランナーです。先祖から受け継いできた環境、生き方や知恵、文化遺産などを子孫にバトンタッチしなければならない。
東電の原発が放射能汚染水を海に流した―。この20年ぐらいの出来事のなかで一番驚いたことです。地球全体につながる水の世界に毒物を流したことに、世界がもっと怒っていいと思います。
『地球がもし100cmの球だったら』(世界文化社)という絵本を愛読しています。地球を1㍍の球とすると海の深さは平均0・3㍉㍍。世界の海水はビール大びん1本程度。飲み水に利用できる淡水はスプーン1杯にも満たない、とあります。
中央アジアのアラル海はかんがいによって消えつつあります。ぼくが子どものころ、非常に興味を持った探検家ヘディンが書いた『さまよえる湖』、中国のロプノールも琵琶湖の50倍ぐらいの広さだったのに消えました。水の世界って非常にはかない。それを放射能で汚染するなんて。
原発に関していろんな人がろうらくされました。ああいう人間が制御できないシステムをつくるのは、どうなんだろうと思っていましたから多くの有名人が簡単にそのPRに加担していくのが不思議でした。
ダムの反対運動に関与するなかで、ダムをつくったのに発電していない事例が案外多いことを知りました。調べたら、原発が代わりに電気をつくっていた。せっかく水の流れで発電できるのに、それを止めてしまっていることにも疑問を持ちましたね。
ぼくは風力や地熱など地球のいろいろな自然現象を利用した発電に興味があります。南米のイグアスの滝を見たときに、ものすごい水量で落ちてくる、あの滝の途中で水車をがーっと回せば、たくさんの電気ができるんじゃないかとか。すさまじい自然のエネルギーは世界各地にたくさんあるんです。原発よりそれを利用したほうがいいと思っています。
原発事故前、私は1カ月のうち半分は埼玉の仕事場で、半分は6年前に引っ越した福島県天栄(てんえい)村の自宅で生活していました。天栄村は妻の両親が生まれたところで、自然が豊かで米も野菜もうまい。
ここでの生活を描いたのが、「赤旗」日曜版に2009年の1年間連載した「今日もいい天気」です。
それが原発事故で一変してしまいました。いまは、埼玉に一時的に自主避難している状況です。
福島に移るとき、「原発が多いね」「でも、離れているから大丈夫だよ」。こんな会話を夫婦で交わした覚えがあります。
私は長崎県生まれなので、放射能の恐ろしさは知っていたつもりです。
しかし、まさか原発で大事故が起きるとも、それがこれほどの被害を引き起こすとも、考えたことはありませんでした。いま思えば、原発に関心を払ってこなかったことがよくなかった。
事故後、私は多くのことを学びました。
一つは、原発政策自体がでたらめの集積だということです。やらせや情報操作で「安全」だと信じ込ませ、自治体にお金をばらまいて原発をつくってきた。
電力会社は、事故後も何の反省もなく、事故を収束させるすべもないのに、まだやりたいという。
政府も原発をやめると言いません。民主党には本当にがっかりしました。
被災者の悲惨な状況がこれだけ報道されているにもかかわらず、人の痛みがまったくわからないのでしょうか。農家の人たちの不安、子どもたちのことを思うと、腹が立ってなりません。
原発はなくすしかありません。
20年以上前ですが、東京電力の招待で福島第1原発の視察に行ったことがあるんです。その時は安全なんだろうと思っていましたが、見るとプールの中に核燃料が水につかっておいてあるんです。もしまわりに亀裂が入ったら、どうなるんだろうと思いましたね。今回、事故で吹きとんだ建屋を見て、あの恐ろしい核燃料が、あの程度のものの中に入っていたのかと改めて驚きました。
東日本大震災から1カ月の4月11日。私は福島第1原発事故で被災した町をドキュメンタリー映画に記録するため、原発のある大熊町から避難した男性の一時帰宅を取材していました。その時、震度6弱の余震が発生し、激しい揺れと停電で取材を中断しました。
私は、敦賀原発(福井県)近くの女子大で4年ほど学長をやっていたことがあります。行ってすぐ、〝原発見せてくれ〟って言い、嫌がるのを強硬に見せてもらいました。そのとき、案内してくれる人に、何を聞いてもちゃんと説明できない。不気味なところに来たと恐ろしい思いがしたものです。
それで、いろいろと原発のことを勉強しました。そしたら、もし敦賀で事故が起きたら、京都も大阪も危ない。京都は80㌔圏内に入ってしまうということがよくわかりました。
今回の福島原発事故でも、政府は「安全だ」と、繰り返してきたけど、全然違う。人間の知識なんてたかが知れているんですよ。人間は放射能を無害化できる技術さえ、まだ開発できていないんです。
国民は、原発事故の危険性を本当に知らされてこなかった。
日本共産党の不破(哲三社研所長)さんや、吉井(英勝衆院議員)さんは、随分前から原発の危険性を訴えてきましたよね。政府や電力会社が聞く耳を持っていればと、本当に残念です。原発事故は人災です。戦争が人災と同じように。絶対許せません。
私たちは今からでも知らなきゃいけない。原発のこと、震災のこと。それから、黙っているんじゃなく、行動しなくてはいけない。でないと自分の意思は伝わりません。だから私は、9月の「脱原発」の集会(注)の呼びかけ人も引き受けさせていただきました。
日本の国民はおとなしすぎる。私は身を挺(てい)してでも原発に反対していきたいと思っています。
「原発ゼロ」というと、すぐ「電力が足りなくなる」という人がいる。でも、ちょっと前までは、いまみたいにクーラーをがんがん使わなかったでしょう。日本人は優秀で、きっと風力発電も太陽光発電もできます。少し節電して、努力すれば原発に頼らなくても、電気は足りますよ。
私は、大震災で犠牲になられた方々は、生き残っているものの代わりになってくれたと思っています。私たちは彼らのおかげで生きている。だから、亡くなった人の分までがんばって、大震災からの復興と、原発を止めることをやらなければいけないと思うんです。