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クローズアップ

「スーパーニュース」最後の1週間を前に
フジテレビの“ニュースの顔”が今思うこと

木村太郎 (ジャーナリスト)

きむらたろう/1938年アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレイ生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、NHKに入局。82年「ニュースセンター9時」のメインキャスターとなり、88年フリーに転身。逗子・葉山コミュニティ放送(湘南ビーチFM)の代表取締役社長も務めている。

「去年の暮れに報道局の人から連絡がありましてね。話があるから会いたいと言うので、ぴんときました。僕も75歳ですし、そろそろかなとは思っていましたからね」

 フジテレビの看板報道番組「スーパーニュース」のコメンテーターを務める木村太郎氏が、今月28日の放送をもって番組を降板する。NHK出身で、89年4月以来、24年間にわたって「FNN NEWS COM」「ニュースJAPAN」など、フジの帯ニュース番組の顔だった。

「50歳でNHKを辞めたとき、フジの人が『一緒に仕事をしませんか、うちは木村さんのことを大事にしますよ』と誘ってくれた。それから24年。NHKにも24年勤めていたので、ちょうど同じだけ続けさせてもらったことになりますから、確かに大事にされたんですね(笑)」

 89年にはベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結。まさに世界史の転換点というに相応しい激動の時代だ。木村氏も転身後間もなく起った天安門事件の取材に飛んだという。

「この24年間で印象に残っている出来事を振り返ると、とてつもなく大きいのはやはり3・11。これは報道に携わる人なら誰でもそうでしょう。

 それを別にすれば、僕にとって最も印象深いのは9・11。家でご飯を食べ終わってCNNをつけたら、世界貿易センタービルから煙が出ている映像が流れている。しばらくしたら、飛行機が飛んできて突っ込んだ。それを生で観て、すぐにタクシーを拾ってフジテレビに急ぎ、朝までぶっ通しで番組をやりました。その後のアフガン侵攻では、パキスタンのアフガン国境まで取材に行きました」

 スタジオに坐る印象の強い木村氏だが、時に積極的に現場に出た。が、普段は規則正しい毎日を送っていたようだ。

「ちっとも遊んでいないんですよ。起床は朝6時。ルームバイクで10キロ走り、お風呂に入り、朝ご飯を食べてメールチェックして、事務所に出てきます。昼にフジテレビへ行き、午後はその日の番組について打ち合わせをして、本番。夜の約束がなければ帰宅して原稿を書いたりしていました。お酒は好きですが、週末に家で飲むくらい」

 24年の間には、テレビ報道のあり方もずいぶん変わって来た。

「かつては肩ひじ張って、天下国家を見据えてニュースを伝えようとするという姿勢が残っていた。今はそういう雰囲気はなくなりました。もはや、情報源としてのテレビはそんなに大事じゃなくなったんです。ネットの普及でテレビにはかつてとは違う形の情報が求められています。解説よりも、たとえば鮮明な映像と音声、それらがより大事になっている。ネットの力は無視できませんね。何しろ僕が今回辞めるのもヤフーのヘッドラインで知ったという人が多いんです(笑)」

 長く務めた「スーパーニュース」降板の日が迫る現在の心境は、意外にも「待ち遠しい」のだそうだ。

「暇になったら何をしようかといろいろ考えています。女房とクルーズ船に乗ろうかとか(笑)。でも、まだまだやらなきゃいけないこともあります。ひとつは立ち上げたデジタルラジオ放送局が、ものになるのかどうか、実証実験をやっていること。これが正念場です。あるいは日米関係は僕のライフワークだと思っていますが、そこでもやりたいことはいろいろあります」

 先日の安倍総理の訪米に前後してワシントンに出張したが、民主党政権時代に比べればかなり改善されているものの、将来の日米関係を担う人材の薄さも痛感したという。今後も様々なチャンネルを通じて発言を続ける。

「僕はコメンテーターとして、キャスターの安藤優子さんとは違うことを言おうとしていました。安藤さんが右と言えば僕は左という。理屈は後から考える。それは、やはり民主主義とは思惟の多様性だと思うからです。考え方はいっぱいあった方がいい。違う見方を提示する役割、それが僕がやってきたことで、まだまだ世の中には必要なことなんじゃないかとは思っています」

「週刊文春」編集部

※この記事の公開期間は、2013年04月20日までです。

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