「グローバルエリート」の代名詞、田村さんの新刊。こちらはグローバルではなく、国内で生き抜く術を説いた一冊です。ぼくはグローバルに戦うつもりはあまりないので、かなり参考になりました。
社長も役員もただのおっさん
特に印象的だったのが、「上下関係意識」が日本のガラパゴス化を招いているという指摘。書中ではライフネット生命の社長、副社長のことばが引用されています。
「年が離れているからこそ実は気を使わない。うちの副社長の岩瀬はまさに息子世代。われわれ世代も家で息子にダメ出しされることがある。岩瀬に何か指摘されても息子にダメだしされたと思っておけばいい。女性や若者の遠慮のない鋭い指摘に救われたことも少なくない(出口)」
「年齢や役職にかかわらず、お互いがプロフェッショナルとしてリスペクトを忘れないこと。どんな役割をチームの中で担っているのか、それをお互いに認識して、それぞれの得意技を活かしながらチームプレーができることが大事。年齢の異なる人たちと、年上か年下を意に介さず仕事をすることが基本スタンスです(岩瀬)」
ここでは明示的に語られていませんが、年下が年上に対してフラットにコミュニケーションを取ることこそ、実は難しいことだったりします。
ぼくも大企業時代を思い出すと、「社長」も「役員」は雲の上の人でした。社長室に用事があるときなんかは、マジで手が震えたことを覚えています。あのマインドじゃダメだしなんかできるわけがありません。
今から考えると「社長っていってもただのオッサンだよなぁ」と思えますが、やっぱり当時は空気感というか、疑うことを知らずに仕事をしてしまいました。社長から直接「私にはフラットに接しなさい」といわれても、実行には移せなかったでしょう。
「年齢や役職にかかわらず、お互いがプロフェッショナルとしてリスペクトを忘れないこと」というのは理想論としては非常に分かりやすいのですが、現実問題として残りつづけるであろうものは、年上よりも、むしろ年下の「上下意識」です。
実際は、ぼくら若者こそが「上下意識」を生み出す原因になっているということです。ぼくたちは「年上とフラットにやり取りをする」というコミュニケーションの作法を学んでいません。「社長」だろうが「役員」だろうが、ただのオッサンなのに、それを肌感として理解することができないのです。
ぼく自身も、学生の方なんかと話していると、「若者の方が上下意識を生み出している」ことを頻繁に感じます。
こちらは対等に扱おうとしているんですが、あちらは「上下」がデフォルトなんですよね。いくら「ぼくはテキトーな人間なので、フラットにやりましょう」と伝えても、なかなか変わってくれません。この関係性を突破するのはなかなか難しいです。
重要なのは、年下、年上問わず、相手をひとりの人間として尊重することです。相手に対して関心を持つ態度、劣ったものと見なさない態度が、フラットなコミュニケーションの源泉になります。いくらことばが丁寧でも、相手を劣った未熟者だと思っているのなら、それはフラットではありません。
役職や年齢に関わらずコミュニケーションを取っていくためには、ぼくは若者の方こそが「社長も役員も、ただのおっさんだ」と相対化する視点を獲得する必要があると考えます。これは、相当難しいことであるのも分かっています。身体に染み込んでますから。
ぼくはフリーランスになってようやく「えらい人も貧しい人も、みんな同じ人間だ」とジョン・レノンのことばが身体で理解できるようになりました。
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3/23に発売されたばかりの新刊です。グローバリゼーションの波を、日本にいながらにしてどう乗り切るか。世界を見たエリートが語ります。