琉球大学教授 島袋純
 
琉球大学の島袋純と申します。

今日は、基地問題と沖縄振興というお話をさせていただきます。
論点は三つです。
まず、沖縄の基地問題の根源は何か?
つぎに、沖縄の施政権返還の目的と返還後の沖縄統治の核心は何か?
についてです。それが明らかになると、第三に、沖縄振興開発体制はどういう仕組みと役割を持つものかが分かるかと思います。また、最後に1996年以来この振興開発体制が大きく変容していきますので、その理由を検討し現在の沖縄振興体制の特徴を明らかにしたいと思います。

第一に沖縄の米軍基地の問題の根源についてですが、それは、米軍の基地建設の経緯に由来します。一般住民の土地に対する強制的な取り上げ「強制収用」に関して日本本土とは全く異なる米軍基地の作られ方をしているのです。

まず日本本土の米軍基地は、
(1)旧日本軍の基地を戦後米軍が接収
(2)旧日本軍基地は、ほとんどが国有地
(3)新たな民間地の収用はほとんどない

米軍のための「全土基地化」と「自由使用」を支えるために1952年に制定された駐留軍用地特別措置法を発動する必要がない状況です。

したがって、土地の強制収用の問題はほとんどありません。

沖縄の場合を比較します。
(1) 一般住民の土地を戦時中に米軍が接収
(2) 大半が民間地
(3) 伊江島や伊佐浜など新たな接収地もある
 
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つまり、基地問題の根源は、あまりにも乱暴な住民の権利や生活を無視した強制収用の問題であり、沖縄の人々からすれば、「住民の自分達の土地に対する基本的権利の侵害」にあるのです。では次の論点です。施政権の返還、復帰とは何だったのかについて、です。

沖縄の人々にとって、日本に復帰すれば、日本国民として権利が回復、問題が解決できるのではという期待が、復帰運動の原動力でした。  
第一に積極的に日本に同化し日本人として同情・共感してもらうことによって権利回復していくことが期待され、第二に、日本国憲法への期待、つまり立憲主義に基づいた憲法による人権回復が求められたと思います。

しかし、1972年沖縄の日本への施政権返還は、一部を除き、返還前と同じレベルの米軍基地の存続と自由使用が条件でした。つまり沖縄の基地、米軍の特権は復帰してもほとんどそのままでそれを日本政府が確約・保障することで実現したのです。
これがが、日本政府の沖縄統治の根幹です。

そのための権利侵害状況を回復するどころか固定化する「ムチ」の制度化こそが沖縄統治にとって最も重要でした。そこで実質的に沖縄にしか適用されない、多数の法律や特別法を制定しました。公用地暫定使用法、地籍明確化法、駐留軍用地特措法などが中心です。

日本政府による沖縄の統治体制は、沖縄の期待「日本人として同情・共感に基づく権利回復」に応えるえる形で、基地の維持政策と抵触しないように、または、結果としてそれを間接的支えるものとして創設されたと言うことができます。

◎「沖縄振興開発特別措置法」「沖縄開発庁設置法」
◎「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」

などです。

71年の臨時国会における山中貞則(さだのり)総務長官の立法趣旨説明では、
「日本国民と政府は、多年にわたる忍耐と苦難の歴史の中で生き抜いてこられた沖縄県民の心情に深く思いをいたし、『償いの心』を持って復帰関連法律を策定する」とありました。
 
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 当時は「ムチ」に対する見返り「アメ」だと主張することは不可能であり、日本人としての同情や共感、国民としての一体感を前面に出して沖縄の日本への統合を進める必要があったわけです。同時に沖縄の最も重要な問題を,「沖縄振興」にずらし、沖縄の基地問題を「非争点化」する役割を持っていました。これが、第三番目の問い、沖縄振興体制とは何か、に対する一つの答えです。

しかし、1996年以降、この基地問題の非争点化の制度は、大田県政の挑戦を受けて、動揺し、その後大きく変化していきます。
国政において沖縄基地問題の争点化したのは、1996年土地を強制収用するため「代理署名」という国から委任された事務を大田知事が拒否したことがきっかけです。国が知事を裁判に訴えることで打開を求めたためです。国は基地問題を政治的争点とさせないような制度に仕組みを変えていきます。

1997年、国は、軍用地の強制収用に関する権限強化を図りつつ、同時に基地に関連する直接的な支援策、補償的な色合いの強い事業の導入に取り組みます。つまり、「ムチ」の強化と「アメ」の拡充を同時に取り組むことになります。

ムチの強化の中心は、駐留軍用地特措法の改正であり、地主の契約の拒否や収用委員会の却下に関わらず、国の都合で永久的な強制収用を可能にするものでした。さらに、1997年以降、次つぎとムチとアメの直接的な関係がつくられていきました。
沖縄米軍基地所在市町村活性化特別事業、部振興事業、米軍再編交付金などです。

このような基地を置く見返りとしての振興事業が拡大し、国レベルでは沖縄振興とは、沖縄から基地の引き換えに要求されたアメであるという認識に大きく変化します。見返りの問題として基地問題は矮小化され、同時に国における『償いの心』は完全に失われ、それによる沖縄の日本への統合が崩壊し、断絶はより深くなっていきます。

そうした中で2012年4月に沖縄振興法が改正され、新たな仕組み「沖縄振興一括交付金」が導入されました。地域主権改革の先導的モデルという名目で、これまで厳格に自治体の使い道や使い方に対して国が事業ごとに統制していた国庫補助金と異なり、かなり自由に自治体が使えるようになりました。

しかしその捉え方も大きく分裂しています。国レベルでは、辺野古の移設など、基地政策を推進するための次のムチを用意するための実質的な見返りという見方が一般化していると思います。実際に、一括交付金は算出の根拠に客観性が乏しく総額の決定が、政治的に決められるようになっています。個々の事業の統制は弱まりましたが、政治の都合で総額を左右し、沖縄の自治体を統制する力を持っているわけです。

他方、沖縄では、オスプレイの配備に端的に表わされるように権利侵害状況はむしろ悪くなっています。それを容認するのは自己尊厳の否定であり、何らかの見返りとの取引もできるものではないという考えと、国による沖縄振興は、基地を押し付けるだけで沖縄の経済発展に結びついておらず、復帰後の返還地の驚異的な経済発展を見るにつけ、基地の存在そのものが経済発展の阻害要因であるという見方がいっそう強くなっています。一括交付金は、国による統制を小さくし自治体の自由度を拡大することによって効果ある事業を組み立て自治を充実していくことで、さらに基地の整理縮小に結び付けるものという考え方です。
一括交付金はどちらの性格も併せ持っており、実際にどう発展するかみていく必要があります。その際に最も注意を要するのは、米軍基地の存在があまりにも大きく、沖縄の人々の尊厳を深く傷つける状況になっていることに対して、国や日本国民全体がその痛みを共有する姿勢を喪失している点です。断絶は深まり国民としての一体感が急速に失われつつあります。基地問題と沖縄振興をムチとアメとするとらえ方では、決して解決できないどころか、断絶は修復できないレベルに拡大し、国家としての存続を危機に陥れるものだということ点を強調して終わりたいと思います。