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ニッポンチャチャチャ [2012年12月12日(Wed)]

いよいよ年末にさしかかり、今年もあとわずか。
このクライマックスに韓国でも日本でも政局が動く。

今日は日本について書きたい気分だ。

新聞は常にテレビ欄、読書はもっての他、勉強もロクにせず、とにかく流されるように生きてきた僕が真面目に新聞を読み、読書をし始めたのは大学生の時。別に確固たる夢も近い将来の目標さえもなく、別段目的意識的に読み始めたわけではなかったが、きっかけは在日コリアンの問題に触れたこと。よく分からんなりにもどうやら在日コリアンは「社会から規定される存在」であるようで自分自身を知るためには在日コリアンを取り巻く社会を理解しないといけないと。最初は新書を読むのさえ相当な時間を費やしたが、読み続ける内に在日コリアンと社会の関係性、それは翻れば自分自身と社会の関係性が何となく分かってきたようで面白かった。しかし、知れば知るほど暗い気持ちにもなった。時の執権者は常に欺瞞的だし、弱い者を虐げる。国という舞台で踊らされる人間。踊らされていることを悟られまいとシステムを複雑にし、おべんちゃらを垂れる。何も知らない者は右往左往。そんな右往左往させられていた自分に気が付けば付くほど悲しく滑稽ですらあった。

そんな気持ちと比例して「考える」という作業を覚えていったように思う。この当たり前のようなことが以外とできていなかったことに気付かされた。要はいったん知識として吸収したものを自分で噛み砕き自分の意志を導く作業だ。この作業を今でも意識して行っている。本や雑誌、ニュースやネット、活字はあくまでも題材に過ぎない。どんな高尚な知識人やコメンテーターが何を垂れようがそれはあくまで題材だ。大切なのはそれを咀嚼した自分の意志なのだ。それをしない人間があまりにも多い気がする。考えないこと、つまりは自分の意志を示さないことは立派な加担だと思う。世の中にグレーはないと思う。自分自身がNoと言わない限りそれはYesだろう。きっと僕も何かに加担してしまっている。今はただそれに気付いていないだけ。知らなかったで済まされるだろうか?だから知ることは大事なのだ。そしてそれ以上に考えることは大事なのだ。

何が言いたいのかというと日本やばいよってこと。
ここ2、3年急速にやばい。思考停止というか無関心というか諦めというか、蔓延する何となくの無力感がたまらない。通勤電車で笑顔の大人はいない。どこもかしこも険しい表情。ビルの窓から明かりが消えることはない。結局みんな自分自身のことで精一杯なのだ。他人のことなどにかまってなどいられない。政治が自分たちを救わないのは分かっている。だから期待などしない。見えない将来は自分自身で掴むしかない。新自由主義?生存競争で生き残るには人の倍働くしかないんだよ。大抵の人間は天才ではない。政治はヒマジンでやってくれ。倒れてる人間はヒマジンが救ってくれ。。。誰もが考えることを止めた(ように僕は思う、というか僕だけがそう思うだけかもしれない)

そんなヒマジンは今日も叫んでる。「日本が嫌なら帰れ」「朝鮮人殺す」まあ、なんでもいい。

僕は改める。
「今の在日は一世や二世が経験したような露骨な差別はなくなって幾分生きやすくなった。。。」
そうだった。確かに何年か前はこんなこと言ってた。けど、今は違う。

今日ほど在日コリアンにとって露骨な差別があるだろうか。

今の状況は正確には差別と呼べる質のものでもないのだが、そんなことはどうでもいい。僕が憂うのは子供であり、ハルモニ、ハラボジなのだ。ほんとうにいたたまれなくなくなる。彼や彼女達の存在否定ほど耐え難いものはない。

よく決壊した堤防の映像を思い出す。確実に今堤防は決壊している。今まで守ってきたものや大切にしてきたもの、一縷の希望さえも突き破った感がある。

今一度思う日本やばい。
僕は在日コリアンですがとても生き苦しく思う。
正直、ここまで来られると心が折れる。

でも、折れるわけにはいかない。
僕の心が折れようが折れまいが世界にとってどうでもいいことだし、1ミリの影響も与えない。

でも、折れるわけにはいかない。
知ることを、考えることを止めるわけにはいかない。
ただただ、加担者になりたくはない。
自分を、在日コリアンを貶めることだけはしたくない。

何もできないからこそKEYに関わっている。
何もできないからこそ名前を名乗っている。
何もできないからこそ在日コリアンをやっている。

全てはNoと言うために。
生き様で意志表示する。これからも。
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