それでもまだ医師を責め続ける遺族達
どうも、ニーナです。
福島県の大野病院事件に関しては、過去にこのブログでも取り上げたことがあったのですが、加藤医師の無罪判決が決まり(そのときに書いた記事はこちら)、とりあえずは一段落したかと思っていたら、
ま た 毎 日 か
と思わず顔が引きつってしまったニュースがあったので、ここにその記事を全文掲載することにします。
あれだけ大恥をかいたのに、未だに懲りていないご様子で、全く開いた口が塞がりません。
毎日には、青木絵美という奈良県南部の産婦人科を破壊した悪名高い記者がいるのですが、今回もそういうことを危惧した上で、しっかり記者名入りでUPします。
『福島・大野病院医療事故:「裁判での解明不十分」 弁護団、再発防止へ報告書』(毎日新聞)
産科医が逮捕され医療界に衝撃を与えた04年12月の福島県立大野病院の医療事故について、各種の医療事故で患者を支援している弁護士で構成する「医療問題弁護団」が、遺族の協力を得て取り組んだ独自の検証結果をまとめた。
裁判では採用される証拠が限定的となり「再発防止策を講じるのに必要な論点が、刑事訴訟手続きでは十分に解明されていない」と総括した。
弁護団は関係学会などに報告書を配布し、再発防止に向けた活用を求めている。
大野病院の医療事故では、妊婦が出血多量で死亡した帝王切開手術を執刀した医師が業務上過失致死罪などに問われたが、1審で「標準的な医療を逸脱した過失はなかった」として無罪が言い渡され、判決が確定した。
弁護団は遺族から訴訟記録の提供を受け、裁判で証拠採用された10倍以上の医学文献も参照して、診療経過や事故後の対応など5項目を検証した。
その結果(1)争点となった、胎盤をクーパー(手術用はさみ)ではがした行為の医学的妥当性(2)手術前の準備や家族への説明、事故後の対応(3)地域医療や輸血供給体制など医療制度上の課題--といった問題が裁判では十分に解明されなかったと指摘。
有罪か無罪かの判断を目的とする刑事裁判では、再発防止の教訓をくみとることに限界があると結論付けた。
弁護団は報告書を、日本産科婦人科学会など3団体に送付し、事故調査委員会の設置などを要望した。
厚生労働省などにも近く提出する。
報告書をまとめた松井菜採(なつみ)弁護士(東京弁護士会)は「無罪判決ですべてを幕引きしてしまっては、再発防止につながらない」と話している。【清水健二】
ロハスメディカルのロハスメディカルブログに、大野病院事件の遺族の言葉が掲載してあるのですが(記事はこちら)、それとこの記事を併せて読むと、「早急に再発防止策を打って欲しい」という気持ちはよく分かるのですが、申し訳ないんだけれども、それと同時に、正直、「何がしたいのか分からない」という気持ちも同時に湧いてくるんですよね。
一度読んでみていただけるとお分かりになるかと思いますが、とにかく「酷い」の一言です。
以下、個人的に突っ込みたい部分はアンダーラインを引いております。
(ロハスメディカルブログの該当記事より抜粋)
旦那さん
被害者の夫です。
このたびは、私のために貴重なお時間をさいていただいてありがとうございます。私の立場で心境について述べるのはありがたいことです。
妻の出産について、天国から地獄、そのとおりのことがあてはまる状況でした。
以前帝王切開で前置胎盤であるということで、早めの入院を勧められて入院しました。
帝王切開について先生より説明があり、出血が多いと子宮をとること、輸血は1000ccと充分準備すること、何かあれば厚生病院の先生を呼ぶと万全の体制でのぞみますと説明を受け、私どもは、そこまでしていただけるのか、なんて力強い、と思い、全てを先生に託しました。
手術の当日は安心して、子供の誕生を待ち、生まれたことがわかると、家族全員喜びました。
しかし、いつまでたっても、妻が戻ってきません。
病院の人にたずねてもあいまいな答えしか返ってきませんでした。
しばらくして、先生から説明があるとのことで、部屋に入ると、いきなり、申し訳ありません、亡くなりました、ただ今蘇生しています、と話されました。
手術経過の説明をされましたが、とても納得できる内容ではありませんでした。
私は今、父親として、責任をもって二人の子を育てています。
親として当然であります。
今回、私がお話したいのは、責任についてです。
手術を受ける患者は、手術中、自分の力ではどうしようもありません。
信頼する先生に命を預けるのです。
当然、先生には責任があると思います。
加藤先生には、いいわけや責任転嫁をせず、何が欠けていたのか、正面から向き合ってほしいです。
加藤先生の手術の内容は、弁護側の先生からは誰でもする、特に問題がなかった、と言われました。
何も問題がなければ、なぜ、妻は死んでしまったのか、とても疑問です。
人はそれぞれ異なります。
それを、医学的に同一と言われ扱っても良いものでしょうか。
病院は、必要な安全のためのものが整っているところです。
医師の機転や処置のとりかた、手術に間違いがなければ、なぜ妻は死んでしまったのでしょうか。
関係者は、来る日も来る日もつらい悲しい思いです。
あの日以来、平安がなくなりました。
こんな苦しさを一生になっていくのかと思うと真っ暗になります。
私もそうですが、誰でも自分がかわいい。
しかし、自分のとった行動、言動には責任をもつことが、大人として当然だと思います。
いいわけをせず、大人として責任をとっていただきたいです。
子供と妻のために、責任を追及し、責任をとってもらいます。
私も父親の責任として、子供を育てていきます。
私は社会生活は、あらゆる分野があつまって成り立っていると思います。
医療は、これまで一般の人、素人が立ち入ることができない聖域だと考えられていました。
今回、司法に介入され、閉鎖的であった医療が、国民の関心をよび、社会的にひらかれたと思っています。
真実はひとつだと思います。
この裁判が、医療の実態の探究につながります。
そして、妻の死の原因の解明につながり、私のような家族を再び生まないことにつながると思います。
全国の女性の安心しておこなえる出産につながります。
未熟なものなので、誤解があるかもしれない部分はお許しください。
お父さん
今回の事件の被害者の父として心境を述べます。
娘から、今回の手術について、リスクが高いとは聞いていませんでした。
2004年12月17日、当日仕事を終えてから病院に向かいました。
娘に何と言おうかと思いながら、運転しました。
18時前に病院につきました。
病室について家内に娘の様子を尋ねると、まだ、と言いました。
私はナースステーションに行って尋ねましたが、ちょっとお待ち下さいという返答でした。
私は連絡がすぐくると思っていました。
私がステーションに行くと、ナースは足早に奥の方に入っていき、私が少し離れたところで振り返ると、ナース達は私の目線をさける。
ナースステーションで、ナースが逃げ隠れするのを目の当たりにして、異様な雰囲気でしたが、そういう時間が30分続きました。
私は娘がまさに命を落とす状況になっているとは知りませんでした。
ナースが私たちに、執刀医の説明があると、18時45分に案内されました。
先生からは、突然、なくなりました、と、淡々と説明されました。
直後からナースステーションは悲鳴の中にありました。
21時前に、再度説明がありました。
私は先生が淡々と話す姿に疑問がありました。
娘が私たちが来るのを待っていたかのような記録、くやしさの痕跡が残っていて、親として、これは何かがおかしいと感じ、事故の真相を解明したいと感じ、その場で、娘に最善をつくしたのか、ときき、カルテのコピーももらいました。
病院の裏玄関で、娘のなきがらを引き取る際、先生から病理解剖をしますか、ときかれて、しない、と即答しました。
先生は、子宮はあずかっていると言われました。
この悔しさを記憶しながら、病院を出ました。
加藤先生の説明では、超音波検査で一週間に一回、みさせていただき、胎盤は子宮の後ろ側にあり、胎盤が子宮につきすぎ、剥がすと出血した。
それほどひどい癒着ではないと思ったが、ひどい癒着だった。
剥離も、はさみで切らないといけないほどの癒着だった。
出血がとても多かった。
剥離にかかった時間は 15分で、15分の間に、5000mlも血を失ってしまって、血圧がさがってしまった。
60、50と血圧が下がり、ショックをかえられなかった。
子宮をおさえこんで、待機となった。
いざすすめると、前置胎盤、癒着胎盤、予想もしない出血にみまわれた。
その状態が長く続いた。
2004年12月26日の病院の説明でした。
加藤先生の法廷での説明は、当時私のきいた説明をかなりちがうので、何故変わったのか不思議な気持ちです。
翌日から病院に相談しようか、警察はとりあげないだろう、自問自答し、家族の苦悩はつづきました。
娘の死以来、眠れない日が肉親に続きました。
家内は、先生を信じていたのにと落胆して口をとじてしまっています。
娘がなくなってから半年過ぎると、早くも示談の話が病院からきました。
私は何故事故がおきたのか、納得できず、研究報告書等を入手していたことから、示談は時期尚早と考えて、質問を病院に送ったところ、中断したままです。
何一つ、真実がひきだせず、苦悩がつづいていました。
ただ時間が経過していました。
病院関係者から、娘の死にあたっては、他の病院、十分設備も整った他の病院であれば良かった、安全対策をしなかったという内容がわかりました。
肉親にとっては、大学病院の調査報告と報道と同じ内容でした。
大野病院でなければ、娘を亡くさずにすんだと、強く感じました。
これで何故事故が起きたのか、真相を究明できると感謝しました。
1年がすぎ、加藤医師が逮捕されました。
癒着胎盤が極めて稀で、1万分の1、とか、2万分の1とか、難易度が高いとか、大出血は稀だとか、亡くなったのは娘のせいだとか、言われました。
これらは、娘に対する人権侵害、誹謗であり、遺族は逆境の中にいます。
医学の真実を集めていない書き込みや、誤解のないようにしてくださることをお願いします。
事前に、術前に、病院内外に色々意見があったのに、私たちにインフォームドコンセントや、セカンドオピニオンがなかったのは、何故なの、と、先生にしつこく訊いたであろう、娘の言葉の代弁です。
長男はクリスマスに、お母さん、起きて、と泣きました。やさしいお母さんを返して、というのが、長男の言葉、今回生まれた孫の代弁です。
肉親は、術前診断から癒着胎盤の疑いがあったにもかかわらず、関係者からのアドバイスを無視し、暴走し、手術中の数々の警鐘にかかわらず、命を奪った、加藤先生の行為が許せません。
経験のない先生とわかっていたら、娘を預けませんでした。
事故がなぜおきたのかの原因、病院の安全を強化して、二度と娘におこったような悲劇がおこらないように、してほしいです。
医師不足と今回の事件とは、別の問題です。
患者に安心安全を与える医療のために、邁進していただきたいと思います。
これで肉親の心境を終わります。
お弟さん
今回の被害者の弟として、心境を述べます。
女の子だったら、一緒にお料理したりかわいい服をいっぱい着せたい、と生前言っていた姉の夢を思い出します。
姉は明るく元気で社交的でした。
近くでイベントがあれば、家族を誘い、楽しく過ごしました。
姉が亡くなり、3年たった今も、元気だった姉がどこかで生きている気がして現実をうけとめられません。
2004年12月17日の、赤ちゃん誕生の喜びを祝いあうはずだったのに、一瞬にして、悪夢のはじまりとなりました。
手術当日、生まれた赤ちゃんに、姉の夢がかなったね、と胸がいっぱいになりました。
保育器の赤ちゃんをみながら、長い時間、姉を待っていました。
しかし、待てども待てども出てくる気配がありません。
看護師から、病室で待つように指示され、待機していました。
看護師の行動が、家族との接点を拒んでいるようで、あきらかにおかしい状態でした。
父が来て、看護師らに問いかけした様子でした。
その後しばらくして、ナースステーションの奥に移動して、重い空気が流れました。
時間がたって、父が戻って、親戚を前につぶやきました。
ダメだった、娘がダメだった、亡くなった。
親戚は、泣き叫ぶ声、悲鳴、怒鳴り声、地獄と化しました。
2004年12月17日、長時間、手術で最善をつくしていたのか、もしつくしていてくれたなら、待機していた家族に、一報をいれる配慮があったはずです。
病院に緊急の体制があれば、納得のいく対応があったはずです。
医師から、亡くなりました、と言われ、納得がいくわけもなく、本当に最善をつくしたのか、不信感を持つのは当然です。
姉が息をひきとる前、わずかな間、赤ちゃんと対面し、ちっちゃい手だね、と言ったことを聞いて、喜ぶ姉の顔が浮かびました。
それなのにどうしてこうなったのか。
私も、一生懸命に生きた姉が、無念な思いでこの世を去った姉が、不憫で悔しくて、許せません。
事実をうけとめながら、明るく元気な姉、お母さんである姉に会いたいと思っています。
2004年12月17日から、肉親家族の中で、くやしさにくれる日々の中、残された二人の孫をひきとり、両親は二人の子を不幸にしたくない思いで育ててきました。
病気に勝てず二人の子は入院もしましたが、高齢をおして徹夜で看病した両親によって、大きく成長した子供に、真実をつたえるため、姉の分も両親には長生きして欲しいと思います。
病院から、姉がなぜ死ななければならなかったのか、説明がなく、真実が解明できず、苦悩していた両親に、光をさしのべてくれた、警察、検察に、感謝しています。
姉は1ヶ月前から病院に長期入院していたのにもかかわらず、このような事故がおきて残念です。
何故おきたのか検討し、再び事故のおきない体制にするため、監視を強化し、二度と事故がおきないことを祈っています。
これを天国の姉の代弁とします。
転載に次ぐ転載で、文章が長くなってしまって申し訳ありませんm(_ _)m
ただ、今回の話を進めていく上で、どうしてもその必要があると思い、端折らずに転載しました。
これらの遺族の声と毎日新聞の今回の記事を読んで、あたしが非常に気になったのは、
自分達は善意の第三者であり、何も落ち度がなく、被害者だと思っている
ということ、
とにかく何もかも悪いのは加藤医師である
ということです。
無罪判決が下されたにもかかわらず、未だに納得していないし、未だにそういう考え方をしているから、今回のような行動に出たのでしょう。
亡くなった患者さんの命を無駄にしたくないのは、医師サイドも同じです。
誰もが、現在の産科医療のシステムを改善する必要があると思っているし、1日も早くそうしたいと思っています。
しかし、それにはどうしても時間もかかるし、費用もかかる。
今回の裁判に伴い、弁護側が集めた資料を「ほらよ」と出したところで、それがストレートに現場の改善に繋がるか?というと、決してそうではないのです。
実際に臨床に立った経験があるわけでもないし、医療の現場を熟知しているわけでもない彼等が、いくら自らが調べたという知識を羅列しても、現場の状況と噛み合わなければ、それらは全て理想論であり、机上の空論だからです。
むしろ、遺族側や弁護側が思うようにはいかないことだらけです。
それで何とかなるようなレベルの話であったら、ここまで現場は疲弊していませんよ。
それだけ、実際の現場は滅茶苦茶だということです。
それに、やたら“経験”の二文字を引き合いに出しているけれども、1万人に1人いるかどうかのレアケースで“経験”と言われても、非常に困るんですよね。
あたしも過去に『医療を救え!』という記事でもある程度触れているのですが、大野病院事件のケースは、
①1万人に1人程度の非常に稀なケースであったこと
②1人医長状態だったために限界があったこと
③異状死の具体的な判断基準というものが日本に存在しないこと
という条件下だっただけでなく、
④初産から前置胎盤で帝王切開による出産だった
⑤「2人目は妊娠すべきでない」と加藤医師から言われていたのにもかかわらず妊娠
⑥万が一の事態を考えて何度も大学病院への転院を勧めたのに「遠い上に交通費がかかるのが嫌だから」と拒否
⑦安全性を考えて、子宮の摘出を打診したのに「3人目が欲しいから」と拒否(家族までも断固拒否)
という、患者&その家族の側も「どうかなぁ…」といった状態だったんですね。
それなのに、「病院から説明がない」だの、「何で転院させなかったんだ」などゴネまくり。
挙句の果てには、そんな加藤医師に対して、
墓前で土下座させる
という始末で、その上に刑事告訴ですよ?
無罪判決が下っても、まだ噛み付いているんですよ?
亡くなった事は気の毒だけれども、加藤医師は妊娠前から再三にわたって忠告をしていて、転院も勧めていたにも関わらず、「遠い病院へ通うのは嫌だ」とか、「3人目が欲しいから子宮はとっておいて」とか、母体を軽視していたように思うんだよね。
亡くなったら亡くなったで批難轟々。
ちょっとそれって、あまりにも傲慢過ぎやしませんか?
「自分達は素人だから」と、やたら“素人”であることを全面に出しているけれども、妊娠を希望したらその時点で、男も女もある程度お勉強しなくちゃならないことは当たり前のことでしょう。
医師ばかりにリスクを押し付けるのは間違ってるよ
責めなければならないのは、己の無知さ、傲慢さ、計画性のなさだと思う。
もし「次の妊娠は難しい」と言われたとして、大抵の人はその時点で避妊手術を受けたりして手を打つよ。
それでもどうしても2人目が欲しいなら、事前にしっかり相談した上で、入院する病院の手配など計画性をもって妊娠するよ。
「病院に行けば何とかなるだろう」って言うけれど、医師はどんな面倒なことでも何とかしてくれる解決屋じゃないんだよ!
“医師”っていう言葉で濁されちゃっている部分があるけれども、所詮は他人だよ?
自分のことは自分で管理するのが基本でしょ。
それを棚に上げて、医師をやんややんや責めるのは、筋が違うと思うんだよね。
って言うか、ハッキリ言わせてくれ。
大の大人が何やってんだよ!
人として物凄く恥ずかしい。
それに、「今後こういうことを二度と起きないようにして欲しい」と願っているのであれば、こういう形ではなく、別の形で産科医療の改善を訴えるべきだと思う。
悪いけど、やってることが真逆だよ。
一石を投じたつもりなのかも知れないけれど、むしろ更に追い詰めてしまっただけ
ということに、遺族だけでなく、警察も検察も、弁護側も、マスコミも何故気付けないのだろう?
今回の毎日の報道の件で、頭が痛いと思っている医師は非常に多いと思うよ。
「頼むから、これ以上余計なことするな!」って思ったのは、あたしだけじゃない筈。
あたしもブログという媒体で、素人ながらにごちゃごちゃ言っちゃってるけれども、
何も知らない素人が土足で入ってきて、あーだこーだ訳の分からないことをほざいては、やたらちょっかいを出してくるようになってから、医療崩壊が一気に加速した
ように思うんだよね。
「敷居が高い」って言うけれど、そんなのは医療の世界だけでなく、どの世界にも共通すること。
相手と対峙したいと思ったら、こちら側もある程度相手のことを勉強しなければならないのは当然なのよ。
それを放棄して、あーだこーだ言うのは、ルール違反なの。
それに、昔と比べたら、医療の世界も随分開かれたものになったと思うよ。
まだまだ敷居が高いように感じられるかも知れないけれども、それでも患者側に歩み寄ろうと努力してるよ。
むしろ、歩み寄ろうとしていないのは患者側だよ。
病院や医師の評判や、名医だの、病院ランキングだの、そういうものを気にする前に、
こちら側も患者力を高めるべき
であって、そのためにはどうしても、
自己管理能力
が必要になってくる。
それにはどうしても、「知る努力」が必要不可欠で、それを放棄してリスクを他に擦り付けるのは、いい大人がやることじゃない。
今回の一件で、また現場の先生方(特に産科)が意欲を失くしたんじゃないかと思うんだけれども、
もうこれ以上、医者イジメは止めようぜ
それで困るのはこっちなんだからさ。
マスコミも便乗すんなよ!(特に毎日)
「マスコミこそ社会の病理である」ということに、頼むから、そろそろ本気で気付こうよ。