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それではたと思い出したのが、またしても月刊アスキーの取材でなのだが、「カブトモネット」というSNSを運営している株式会社スペイロンにお邪魔したときのことだった。カブトモネットはデイトレーダーが集まる株SNSだ。求心力となっているのは、現役トレーダーでなおかつ株式会社スペイロンの取締役になっている3人の人物で、このなかの森貴義氏は資産50億という、スタープレイヤーである(ネット界隈では彼のハンドルネームであるcisという名のほうが知られているらしい)。カブトモネットに登録すると彼の相場録が読めるとあって、このところ急激に会員数を伸ばしている。で、わたしは代表取締役の河田正広氏と取締役の池谷大輔氏のお話を伺うチャンスを得られたんだが、何にびっくりしたって、その若さである。池谷大輔氏なんて億トレーダーなのに、まだ大学生なんである。で、今となってはどうしてそんな頭の悪い話を池谷氏にしたのか、そのきっかけはさっぱり忘れてしまったんだが、
「近所のパン屋さんが原材料費の高騰で全品値上げすんですよ」
というようなことを池谷氏相手に語ったところ、池谷氏が目をきらきらさせて、
「それなら、小麦の先物を買えばいいじゃないですか!」
と言ったんである。そして、
「それが資本主義というものだと、僕は思うんですよ」
と続けた。
このときわたしは、ものすごい衝撃とともに、自分が旧日本人であると悟ったのだ。わたしが中学生から高校生であった頃、日本は巨大な貿易黒字を得ていて、アメリカ人が日本車に火をつけたりしてジャパンバッシングに熱狂してたんである。そういう国で育ったため、わたしは「金というのは、ものを作って生み出すもの」という固定概念のようなものがあった。その後、日本企業が国内から逃げ出して海外に設備投資を行うように切り替わって国内の製造業が空洞化したあとも、なぜか頑迷に「金はものづくりによって稼ぐもの」という思い込みがあった。それじゃおまえは何を作って食ってきたんだといわれそうだが、フリーライターというのは一文字なんぼの商売なので、一文字打っては数円稼ぎ、一文字打っては数円稼ぎ、その繰り返しで生活費を稼いでいるわけで、「文章の製造業に携わっています」という、じつに地道な感覚で生きてきたわけである。無論、投資をしたこともない。わたしと同年代でも時代の流れに敏感な友人などは、BRICsの投資信託でがっちり儲けたりして(かなりのハイリターンなんですね、驚いた)そういう話も耳では聞いているというのに、わたしときたらば相変わらず一文字打っては数円稼ぎ、一文字打っては数円稼ぎの繰り返し。で、株式会社スペイロンにお邪魔したあと、さすがに、
「このままではいかんのじゃないか」
と思わなくもなかったのだが、池谷氏のあのときの顔を思い出すと、どう考えても自分とは違う人種なのを自覚せざるを得ない。投資で食べるということを、
「それが資本主義でしょ」
と言ってのける感覚が、わたしにはないのである。それどころか、投資というものを、なぜか後ろめたいもののように感じてさえいる。先にあげた藤巻氏の論説によれば、
ところで、この一五五〇兆円の個人資産は、今までそのほとんどが国内の安全資産に投資され、低い配当金や利息に甘んじてきた。この数年間に世界中で起きた株や不動産等の高騰に対し、唯一乗り遅れたのが日本人だったのである。この資産高騰の波に乗っていれば、国民の資産は膨れ上がり、年金資金も数倍に膨れ上がって、年金制度も安泰だったに違いない。
とあるのだが、この好機を逃した日本人気質というのが、わたしには痛いほどわかる。いくら友人に、
「山崎はロバート・キヨサキの『金持ち父さん 貧乏父さん』を読め!」
と、本を押し付けるようにして貸してもらっても(かいつまんで説明すると、お金に関する技術を得、投資というものを覚えない限り、永遠に貧乏から抜け出せませんよということを、くどいぐらいに説明してる本)、本を片手に茫然自失としてしまう。そして横井庄一さんに思いを馳せるのだ。豊かになってしまっていた日本に馴染めず、ジャングルを恋しがった横井庄一さんを。
いま、新しい世代は、急速に「投資で生きる」ということに馴染みつつあるのだと思う。いいか悪いかではなく、それが「資本主義というもの」だから、適応していこうとしている。旧日本人がすべきことは、それに対して善や悪という間違った基準で語らないことではないかと、わたしは思うが、どうなのだろう。
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