目次
子は怪力乱神を語らず。怪は怪奇現象、力は唯物論、乱は文字そのま
まで乱れ事。神は神様仏様、また預言者様にお教祖様やら尊師様、それ
らの類の何か様、その方々とのお付き合い。その四つは孔子は語らなか
った、です。
この言葉は自然科学などそもそも最初から存在していなかったニ千五
百年前の中国で、しかもその春秋の時代に言われたのです。怪奇・怪事
件は日常的にありふれています。より適した者ではなくてより欲の深い
者が勝ち残る、のダーウイ二ズム進化論、世の中銭や権力や、の唯物論
だけが倫理です。そして不義理不人情諍い無責任無反省、愛だ恋だセッ
クスだ、はいつの時代もこればっかりは同じ事、春秋戦国もまた同じ。
更には、神霊で根拠付けられた結論は絶対真実で人間は反論できません。
その時代に言われた言葉なのです。もう感嘆するしかありません。
さて、しかし。そう、唯、語らず、なだけなのです。そしてその事の
故に、また驚嘆する所です。
さて時代は下って現代での、怪力乱神を語らざる人々も、その人も怪
奇現象を実体験しているかも知れません。世の中やっぱり金なんだ、と
仮令芳しからざる事をしても金を儲けようと企てているのかも知れませ
ん。乱れた欲情劣情にしかし囚われまた興味を抱き、穏やかならざる心
で日暮れを迎える日々なのかも知れません。叶わぬ時の神頼み、そして
勿論、しかしこれは人情です。
しかしそうであっても、しかしながら、語らず、なのです。怪力乱神
が世間通用の常識だなどとはしないのです。怪力乱神が人間共通の性向
だとはしないのです。自分一人が無知なために、説明できない怪と神。
自分一人の不徳の致す力と乱。他人は自分より遥かに賢く、自分より遥
かに有徳。だから我が身に怪力乱神はあっても他人にはそれは無い。故
に、語らず、なのです。
もっとも本当は現代でも、怪力乱神を語っている人ばっかりで、だか
らそれを自分でも面白がって話さないと仲間はずれにされてしまうのか
もと。しかしそれでも、そうであっても、怪力乱神は語らず、です。
蛇足ですが、愚痴や繰言、恨み辛みも怪力乱神。矢張りそれらも、語
らず、です。これは自戒でもありますが。
小人とは、つまりはつまらない人のこと。つまらない人とは、つまら
ない事を面白がる人のこと。つまらない事とは、つまりは怪力乱神を語
る事。
怪力乱神を語る事で世に名を有している人は数多くいるけれど、その
中に唯の一人も君子はいない、そう言いきってもよろしいかと。
天の命ずる、これを性と謂う。性の善は即ち天命の善。性悪はただ天命を
知らざるのみ。
天と云う概念は現象世界(人の五感で自明な実在とされる世界)では、神
様仏様と同様の抽象概念だ、と云う事は誰でも認めます。ところで形而上の
世界(五感によっては実在と認識されない世界(故に形而上的にでさえ形而
上世界など存在しない、としても全くかまわない)その世界)では、神様仏
様は具象概念です。そこでは神様も仏様もそれどころかお化けや幽霊の類で
さえ、形を持ち、重さを持ち、声を持ちます。解りやすく言います。天国極
楽の快楽はいざ知らず(どっちみち私には死後のその地は無縁ですけど)地
獄の苦しみは、肉体の存在を前提にしない限りあり得ないものでしょう?詰
まり、死後(形而上世界)に失われるものは霊魂(形而上)なのです。そこ
で得られているものは、実は肉体(形而下)なのです。
ところがこの形而上世界でも、天は矢張り抽象概念です。(天帝と云う立
派な具象がある?しかしそれは別論です。)それでそのため、天とは?のき
ちんとした説明はかなりぐぐっちいものになります。しかし、以下その七面
倒臭い説明をやってみますので、お付き合い下さい。
顔回が死んだ時孔子は「天我を滅ぼしたり。」と言って嘆き悲しみます。
その天は、時間です。今でも気象情報でお天気と言っているその天は、空間
です。天文学の天は、物理法則です。天命革まる革命の天は、生態系として
の国家生活です。朱熹が真っ直ぐに伸びる竹に天を見た時、その天は、義の
理です。「朱熹がそう言ってるから竹を何百何千と割って調べたけど、かぐ
や姫も天も見つからなかったね。ははは。」王陽明がそう言った時、竹の中
に見つけようとした天は、人の情です。天は人の上に人を造らず、人の下に
人を造らず、の天は、ファンダメンタル ヒューマン ライトです。元女子
アナの政治家が日陰に咲く恋を白日の下に実らせて「私達のこの結婚は天命
です。」と言う時のその天は、運命の恋です。(しかし天命にも変な天命が
ある)政治テロリスト、と云うよりただのゴロツキ、が「天誅」と叫ぶ時、
その天は絶対正義です。(天誅は、冗談抜きで、ただの殺人)
さてこれら総ての天を、一言で括れる言葉は何でしょうか?です。「環境
だ!天命とは、だから自然保護なのだ!」うーん。えーと。えーと。
一言で括れる言葉は、普遍、です。つまり天とは普遍そのものの事なのだ
と云う事です。ここで言う、普遍、は勿論中世神学上有名な普遍論争の普遍
ではありません。中世で論争された普遍は神に根拠を持つ、神が自然に属性
として与えた普遍、ですから。(この普遍論争は朱熹派と陽明派の論争に良
く似ています。つまり、朱熹と陽明も間違い無く、中世、です。)
天は属性ではなく本体の本質です。普遍である事にのみ根拠を持つ、誤解
を覚悟して言いますが、実存としての普遍、その普遍が天だと言う事です。
天が形而上世界ででさえも、具象ではなくて抽象なのだと言うのは、この理
由が有るからです。
天の説明は以上で終わり(あー疲れた)本論です。変な天命も有る、また
ゴロツキ連中も天命を嘯いてはばからない、しかし兎にも角にも天命の善な
る事は普通疑われる事は有りません。人の性は天の命ずる所となれば、さて
、故に、人の性は善、も疑う余地の無い自明の真理となります。
しかしこうして性善説を天と天命によって根拠付けても、実に数多くの人
々が、罰当たりにも、性悪説を主張する事を止めません(天罰があたるよ、
本当に)。しかしながらそれはそう。性悪説は、現実生活世界に存在する無
数の悪事背徳と云う、その説を根拠づける絶対自明の事実をもっているんで
すから。その上、煩悩とか原罪とかまた人は泣きながら生まれて来るとかな
んとかかんとかと戯言を言って、宗教は性悪説の一大拠点を作り上げていま
すしね。そんな訳で性悪説はそれを主張する彼らには、現実世界では勿論の
事、宗教においてもまた更にで、何人も疑うべくも無い明白自明の絶対真実
で有り続けます。でも、です。
性悪説はサデイズムとマゾヒズム、つまり選良意識と劣等感、と実は全く同
じ物です。「俺は強い意志で性悪を克服しているのだ。だから俺はエリート
なのだ。」「私は意志が弱いから性悪のままだ。だから私はダメ人間なのだ。
」この人間心理が差別や苛めの根拠にならない理由が有りますか?俺は、を
あなたは、私は、をお前は、と読み替えて見ればすぐに分かるでしょう?
そして日常の生活では実に便利な言い訳として使われています。「人間は
性悪、俺は人間、根性が悪いのは当たり前。」これは、これ以上の、何の説
明も要りませんよね。
「人間は性善、お前の性も善、それなのに何故悪事を働き背徳を為すのだ。
バカモノオ!」悪事背徳を専らにしている人が、しかし性善説を認めている
なら、こう叱られた時、その人は一体何と言って言い訳をするんですか?
性悪説を事ある毎に主張している人達って、どんな性癖を持っていてどん
な日常を暮らしているのか、ですから、わかるでしょう?そうです、あの人
達です。
しかし、性悪説の主張者の、そのあの人達も矢張り、ただ天命を知らざる
のみ、です。変な天命はしかし勿論、沢山知っている人達ではありますけど。
小徳は川流し、萬物は竝び育きて相害さず。大徳は敦化し、道は竝び行
なわれて相悖(もと)らず。
下手な現代語訳をするよりはこれはこのままの方が勿論よろしい。ただ、
現代語訳しないために誤解されてしまう懼れが、これは多分にありますか
らお分かりの方は鬱陶しいでしょうが付け加えますと、小徳とは小さい徳
とか小人の徳と云う意味ではなく、各自各個々に存する個物としての徳で
あり、それが川流するとは、各自各個々かつ合いかつ岐かれ、妨げる事な
く妨げず、切れず淀まず、正に水の流れる如く個の徳は流れて遊ぶ、と云
うことです。そして大徳とは小徳の総体であり、つまり普遍としての天の
全体としての徳であり、それが敦化するとは、小徳川流を中庸と成しかつ
天そのもののそれ自身と為す、と云う事です。
子思(子思は孔子の孫。ただ中庸と云う書が本当に子思によるものか?
は疑いも有る様です)によると云うこの言葉は(それを言ったのは誰?は
問題ではありません)正に儒教形而上学の極致、この言葉を遺すために儒
教は存在しているのだ、です。小徳川流大徳敦化、この言葉に、性善説世
界観の総てがあります。
しかし当然にこの形而上学この世界観は、そんな物の見方は余りに呑気
でお気楽で恐ろしいまでのノーテンキに過ぎるから現実世界の解析理解に
は全く役に立たない、との攻撃に曝されるに違い有りません。しかしなが
ら、そもそも形而上学は現象には縛られないし、それによる世界観もまた
当然に現実の世界の解析に役立とうとしてあるものではありません。形而
上学や世界観は哲学であることはあっても、宗教ではないからです。勿論
宗教は形而上学、哲学をその根拠付けに使い、世界観を拘束しますが。し
かし形而上学そのもの哲学そのもの世界観そのものは、勿論宗教ではあり
ません。
神はかくある、故に世界はかくあるのである。仏とはこのようである、
故に世界はこう解釈される。そんな神様仏様とのしがらみがそもそも存在
しないのです。形而上学や世界観とは、私はこう想う(信じている、では
勿論ありません、念のため)何の根拠もないけれど、と云うだけのことで
す。想う事の表象としての世界、証明としての世界解析を誰にも主張なん
かしません。つまりただの、人文、なのです。以上でもなく以下でもなく
て。
花が咲いて散る、草木が生い茂ってまた枯れる。それを諸行無常色即是
空と観るよりも、それを小徳川流また大徳敦化と感じながらのんびりぶら
ぶら散歩をする方が、遥かに快く楽しいではないですか、そういうことで
す。更には、赤ちょうちんの手招きに、小徳川流と頷き、大徳敦化と嘯い
て縄のれんをくぐる、亦楽しからずや、ではないですか。
応用は、一風呂浴びて小徳川流、その湯上りにビールを飲んで大徳敦化、
などなどなどなど、と、この亦楽しからずやは融通無碍、その適用に困る
快楽は有りません。困ったら、それはつまり、あなた自身の不徳です。
子路は孔子物語の中では余り思慮深くない学生として描かれています。
しかしそれだけに性格明るく素直で、また曲がったことは大嫌いの直情径
行の愛すべき人物として描かれている訳です。もっともそうですから、時
々ジョークの対象ともされますが。
さてこの子路もそれは勿論学ぶ人、多少は、はて?これはこれで良いの
かしらん?と考え思い悩む事もあったようです。
子路のような人間が、人にとって最も大切な徳は強さだ、と考えるのは
至極当然です。また子路はその、強い、と云う言葉の意味を自分流に理解
していた筈です。しかし或時、ちょっと思うところあって、というより多
分自分の考えをより強固にしたいと考えて、孔子に「先生、強いという事
はどう云う事なんでしょうか?」と尋ねたことがあります。それが中庸に
ある、子路強を問う、です。
孔子の答えは「お前は強さとは何だ?と訊くが、それは北方の人達の言
う強さの事か?それとも南の人達の言う強さの事か?それとも私がお前に
強くあってほしいと願うその強さの事なのか?」です。こう逆問されてし
かし子路は「え?」です。と言うのも、当然に期待していた答えは「意思
だ。勇気だ。根性だ!!」だったのですから。で、子路は(一体何のこっ
ちゃ?)と首をかしげます。
その子路に孔子は笑って続けます。「北の人々は戦う事を強さだとする
。勝つ事を名誉とし負ける事を恥とする。名誉を守るためには、恥をさら
さないためには、自分の生死さえ重いとしない。つまりそこでは強いとは
、お前が好きな、格好良い、と云う事とおなじものなのだ。そして一般に
、強い人と言われている人達はこの人の事だ。ところが南の人々は和する
事を強さだとする。寛容と謙遜で暴力を諭す。無法に対しても無法を以っ
ては報復しない。勝敗のために生命を犠牲にはしない。そこでは強いとは
、お前が嫌いな、みっともない、と云う事だ。しかし普通に君子と言われ
ている人はその地の人の事なのだ。」
こう言われて子路は自分の強さに対しての考えが浅かった事に気付きま
す。
さて閑話休題。時代は下り、地は移り、とある国でのお話です(日本で
はありません。念のため。)。
ノストラダムスの大予言、1999年7の月、天から恐怖の大王が降り
て来る、は正にこの事だったのか、のプロ野球監督某夫人事件です(世に
言うサッチー騒動の事ではありません。乱(怪?)は語らず、ですから。
念のため)。
ま、ともかく、あのあれ、の、その事件の事ですがあれの面白さはその
登場人物の面白さにあります。古株芸能人、女占い師、美容外科医、元お
妾さん、骨董品屋、礼法家元、風俗評論家などなどの人達が(そんな世界
とは無縁に生きている人は(どいつもこいつも、海で千年生き残り山で千
年生き延びました、の古狸と化け狐)と偏見を持ってしまう)まあ、その
類のその人達が、俺がアタシがで主役を張り合い、人の振り見て吾が振り
を見ず、正に目クソ鼻クソを嗤うで大乱闘を繰り広げているんですから面
白くないわけがありません。揚句、食堂のコックが店員に、お前ちょっと
ここに来てあの徳目を言え、と「一つ、有難うございますと言う感謝の心。
一つ、済みませんと言う素直な心。一つ、・・・・・。」などと全国放送
オンエア中のテレビカメラの前で直立不動で言わせて、(こんな素晴らし
い店員教育をやっているんですよ全国の皆さん!)と一人悦に入る。など
などなどと。これほどの笑劇はシェイクスピアだってモリエールだってと
てもじゃないけど作れやしない、人類史上稀に見る、大笑いの大傑作です。
もう腹を抱えて笑い転げる事しか出来やしません。
さてこの事件のスーパーヒロイン(余りに主役が多いので、張本人を便
宜上こう呼びますが)が自分で自分を一言で語り、自分の人生を一言で語
った言葉が次の言葉です。「私って強いのよ。ただ格好良く生きていたい
だけなのよ。」しかしこのスーパーヒロインのその強さとその格好良さは
一人彼女の物だけではなく、この事件に登場する人達総てが持っている強
さと格好良さでもあるのは勿論です。
ところでではしかし、この人達の強さとは?格好良さとは?それは言う
までも無く南方の強さでは無く、また勿論北方の格好良さでも更に無く・
・・・。では一体何処の地の?
おそらくは、南極の強さ、北極の格好良さ。おー寒。さぶ。さぶ。さぶ
ーい。
さて閑話はここまで。本題に戻り、では孔子が子路にそうあれかしと願
う強さとは?です。「ところで私がお前に願う強さだが・・・・。」
子曰く「故に君子は和して流れず。強なるかな矯たり。中庸してかたよ
らず。強なるかな矯たり。国に道あれば志を棄てず、国に道無ければ死に
至るまで誠を変ぜず。強なるかな矯たり」と。
この言葉は、民衆は従わせるだけだ、何も教えるな、で儒教の封建道徳性
と反民主主義を自己証明する好例として実に良く引き合いに出されるもので
す。この文章中の、べしべからず、を命令禁止ではなくて可能不可能だとし
て読んで、民衆を信じさせる事はできるが彼らに理解させることはできない、
としてもそれは正に官僚の傲慢さの現れだとされるだけです。反民主主義思
想だと言われれば全くもってそのとうりです。
まあしかし実際のところ、民主主義なんてその毛ほどのものでさえ神様だ
って想像だにできない(アテネは違う?しかしそれは勿論別論です)、その
時代の思想です、そう思い想ったのもしかたがが無いんじゃありませんか?
とは言ってもしかし逆に、民主主義以外は考えられない現代では、どう文
面を解釈してもその採用は無理だ、と大抵の人はします。この言葉に限らず
、とてもハイそうですかとは頷けない言葉は、四書五経には沢山あります。
また勿論、それは政治思想の分野だけにはとどまりません。その上に現代の
感覚では野蛮どころか残虐酸鼻、悪魔だって目を覆う、の文章さえ幾つも有
ります。だからもう四書五経などそんな事が書いてあると言うだけで嫌だ、
御免蒙る、秦の始皇帝じゃないけど儒教関係の書物など全部石油ぶっかけて
燃しちまう、と言う人がいても当然です。しかしながらこれは、洋の東西を
問わず、古代中古中世のどんな優れた古典にも、共通に有る酸鼻さです。ひ
とり中国、ひとり儒教のものではありません。(現代の書籍にもいっぱい有
る?しかしそれは勿論別論です)
ただ論語の例のように、個々各々の思想が個条書きになっている本は、読
むのが嫌だの部分は飛ばしてしまえば良いだけです。仮に目に触れて読んで
しまったとしても、記憶しないと云う方法を使えば良い訳です。そんなの知
らない、で引用しないと云う事です。原理主義でやったら、どんな聖何とか
でもただの馬鹿、です。訓古学者でも考証学者でも中国研究者でもなく、そ
れどころか所詮中国人に非ざる日本人、つまり翻訳でしかその国を知ること
ができない他国人、です。原理原則訓古考証で、正しいのはこれこれだと、
嫌でもせざるを得ない本国人ではありません。翻訳は所詮翻訳、原典そのも
のの翻訳なんてそもそも有る訳無いんですから、それで少しもかまいません。
と言うより、これが一番良いお付き合いの仕方です。
ルターとエックの神学論争のようなもののために、つまり枝葉末節
重箱の隅を突ついて穿り出したような、教学者以外の誰も知らない話をこれ
を知らなきゃ話にならんと持ち出して、相手を攻撃する自分を防御する、そ
んな事のために古典を勉強する訳じゃありません。でも学者哲学者って、東洋西
洋にかかわらず、免罪符販売の正当不当を古典で争う、その論争の準備のた
めの暗記勉強が哲学の研究だって言ってますけどね。科挙でも受験する心算
りなんでしょうかね。
さて、とにかくそんな訳で、四書五経の都合の悪い部分は、知らないよ、
で白ばくれて済ませてしまう訳ですが。しかし、民は寄らしむべし・・のよう
な有名な言葉でちょいちょい引用されるものはさすがに白ばくれる事はでき
ません。しかしこれ故に、天下の大悪人お尋ね者孔丘。又の名仲尼。中国の
停滞と日本の悪徳を産んだ人類史上最大最悪の思想犯。とするのも実に忍び
ない、です。この言葉の故を以って孔子を抹殺するわけには行きません。そ
して、しかし、実は、です。
本当はこれは民主主義を根拠付ける言葉なのです。民に任命された公務員
は(*注*選挙と云うのは公募に応じて履歴書を持って来た就職希望者の中
から被雇用者を採用し職に任ずる、と云う民の主権の発動です。代表を選ぶ、
ではありません。だから、当選証書を渡す事が即ち採用辞令の付与、任命行
為そのものなのです。彼らは代表ではなく、被使用人なのです)微に入り細に渉る
までキチンとやっているのだと信用されていなければならない。おおまかな
事しか説明のパンフレットには書けないのだから、と云う意味なのです。つ
まり、最初のべしは命令で後のべしは不可能なのです。教科書書き達が間違
っていただけなんです。封建道徳だ反民主主義だなんて言うのは、ですから
とんでもない誤解です。
更にこれは、民は知らしむべからず、寄らしむべし、の倒置です。こう言
った倒置形は論語以下、四書には多々有ります。また単なる文章装飾のため
に挿入しただけの無視して差し支えない無意味な言葉も多々有ります。で、
ここはこのままでは変な風に誤解されてしまうかも、と云う部分は日本語の
(いわゆる読み下し文も日本語訳です、念のため)現代文にする際にはキチ
ンと本意に直し、整形して置く(本当かなあ・・・)と云う訳です。
さてこの民は、の文章は疑いの余地が全く無い倒置形ですから、そうです、
教科書の方が間違っているのです、日本語としては次のように読むのが正し
いのです。
有名人だまた公人だといってもそのプライバシーを全部世間に公表して教
えしむるなんて事ができないのは当然の事。しかしだからこそ、(やったん
に決まってるじゃない。あいつがやんないわけがない。)などと言われるよ
うな事はしてはいけません。民は建前で信頼してる振りをしているだけです
けど、それでも兎に角信頼されるしかないんですからね。です。
それが、民は寄らしむべし、知らしむべからず、と云う事なんです。分か
りましたね?管さん、クリントンさん、ノックさん。
天下を平らかにせんとする者は国を安んずる。国を安んぜんとする者は
その家を和ませる。その家を和ませんとする者は自らを修身する。自らを
修身せんとする者は格物致知。
要するに、天下国家を論じたがる人は、先ずその前に、自分の生活をキ
ッチリキチンとし自分の人生をちゃんと正しいものに直しなさい、そうし
てから天下国家を論じると云う事はするものなんですよ、と云う事です。
もっとも、そうしていないのに天下国家を論じている人が、これがもう余
りにも多いので、当然に都合が悪いだけのこの文章は殆ど誰にも引用され
ることが無く、終に現代では全くの死文と化し、そして誰も知っていなく
なった、の文章です。しかしこの文章の最後に有る、格物致知だけは誰で
も知っている(俺は知らない?じゃあ日本史教科書の大塩平八郎の乱の所
をよみ直しなさい)言葉です。
さてこの格物致知をどう読むか?が朱熹(朱子の子は勿論、先生です。
王陽明を普通王子とは呼ばないので(王子様と間違えるから?)同じく平
等無差別で朱熹、です)学派と陽明学派の最大の対立点です。その違いは
どなたもご存知のものでしょうが、一応説明しておきますと、格物致知を
朱熹は物をきわめて知を致すと読みますが、王陽明は(良)知を致して物
を正すと読む、その違いに有ります。朱熹の意味は、物事の良し悪しを学
んで自分の良心を確固のものとしなさい、です。王陽明の意味は、自分の
良心に尋ねて物事の良し悪しを判断して行動しなさい、です。
つまり朱熹の修身教育は徳目とされているものの数々を先ずは正しく勉
強させて道理を理解させると云う、教養教育主義です。それに対して王陽
明の修身教育は先ずボランテイア活動をさせて徳目を発現させることによ
って道理を行なわせると云う、創造教育主義(創造教育って本当に創造を
教育しているの?はここでは勿論別論)です。正統と普通されている儒教
は性善説ではあっても伝統的に教養教育主義ですから、創造教育主義の陽
明学派の方が当然異端っぽい訳ですが、封建道徳の絶対的支柱と化してし
まった朱熹学派の悪名の高さから、異端的であるからこそむしろ人間主義
っぽく見える陽明学派の方が現代では評判が良い訳です。しかしどちらも
勿論、中世スコラ哲学と同じ類いの神学儒教、そのままでは朱熹も王陽明
も現代では全く使えません。
しかし他に依拠する思想がまだ西洋からは輸入されていない江戸時代で
は、この格物致知論争は、どちらに立つかがその人間の保守革新を分ける、
それこそ食うか食われるかの争いでもあった訳ですが。しかし現代の感覚
では「それさあ、鳥が羽を翔ばせているのか?羽が鳥を翔ばせているのか?
の論争でしょう?そんな事で大喧嘩してたのお?ウッソオー、バッカみた
い。」でしか有りませんけど。
でもこの、バッカみたい論争は、今時流行の教育論争と寸分違いが無いも
のでもあります。ただ、今の状況は、実に教養教育主義の旗色が悪く、そ
れどころか教養教育主義は今や滅亡の淵にありますが。
さて最初の文章に戻りましょう。逆に読みます。王また朱のどちらの読
み方であれ、格物致知が無い人は私生活を正しくしていない。私生活を正
しくしていない人は世間でロクな事はやってない。世間でロクな事をやっ
ていない人が何んで国家をどうするこうするだの世界を平和にするだのな
んて事をしようと思うんだい?です。
しかしどう云う訳からか、もう最初で躓き転んで起き上がれない人達が、
これが最後を仕切っていると云うのが 、いつの時代も世の中です。しかし
それが何故そうなのかは、孔子孟子の時代から、儒教では絶対に解く事が
できない謎なんです、と。
♪孔子〜孟子〜を読んでは見たが〜酒を飲めとは書いてない〜。ご存知
デカンショ節の一節です。しかし直ぐにお分かりいただけるでしょうが、
この作詞者は孔子孟子など読んではいません。何故なら論語にはこうある
からです。子酒を好む、しかし乱れず、と。
で、自然とわきあがる疑問は、一体何故論語の編者はこの文を論語に入
れておいたのか?です。孔子が酒好きだった事を記録に残しておきたいだ
けなら、子酒を好む、だけで良い筈です。後に続く、しかし乱れず、など
正に蛇足に履かせるその草鞋。そんな言葉を付け加えておかなくても誰も
孔子が酒乱っぽかったなどとは思いません。それなのに思わせぶりにこん
な言葉を付け加えておけば、孔子もひょっとして何処ぞの宜しくない場所
で「ネエちゃん、今晩付き合えよ。お小遣い上げるからさあ。」とかなん
とかと酒を言い訳にして、良い齢こいてこのスケベ、だったのかも?と、
勘ぐられなくてもいいことを返って勘ぐられるだけの事です。(そんな勘
ぐりをするのは私生活極めて不届き千万のお前のような小人だけだ。バカ
モノ(スミマセン、、、)。)
さてそれでは一体何故、子酒を好む、の後に、しかし乱れず、の言葉を
わざわざ編者は置いたのでしょう?「酒と云うものは聖人さえも乱れさせ
るものである。しかし先生は決して乱れることが無かった。君たち君子諸
君も、先生を見習い、くれぐれも酒の上での間違い事は犯さないように。」
と云うのが普通の解釈なのでしょうが、酒を飲んでも乱れるな、のそんな
当たり前の事を言うだけならなにも大袈裟に孔大先生を引っ張り出してお
説教を権威付けなくても良い訳です。では何故?ですが。
要するに論語の編者はつまり全くの下戸だったのです。ホント可哀想に、
ですが、下戸なら下戸ほど酒飲みの悪行蛮行の犠牲者にされてしまいます。
花見だ、顔合わせ会だ、林間学校の二次会だ、運動会の三次会だ、忘年会
だ、新年会だ、ご苦労様会だ、と何か口実を付けては酒を飲みたがる君子
達に、下戸はしかし付き合わざるを得ません。飲み会は嫌だ出席しないと
は、地獄に堕ちる覚悟があっても言えません。それにそんな事を仮に言っ
たとしても無駄な事、そう言っても下戸は縄で縛られ、牽きずられ、宴会
の席に連れて行かれるだけの事です。
さてこうして無理矢理付き合わせた下戸を下座に置いて、君子達は「♪
孔〜子〜孟子〜を〜 」などとデカンショ節を唄いながら、皿を二枚持っ
て裸踊りで上機嫌。下戸は、ウンザリだ、はしかしおくびにも出さないで、
ただ拍手拍手面白い面白いで座の盛り立てに励みます。まあそれだけなら
乱れず、なのでしょうが。しかし、です。
「テメエ、俺の酒が飲めねえってえのかあ、コノ野郎。」と君子達は無
理矢理下戸に酒を飲ませます。「もうホラ顔が真っ赤でしょ。堪忍してく
ださいよ。」と哀願する下戸を更に「アホンダラ。何が真っ赤だ勘弁しろ
だ。真っ青になったら勘弁してやる。バッカヤロー。」と苛め続けます。
それが何時の時代でも君子達の宴会での行動の常なのです。
しかし孔子が酒好きだった事は皆んなが知っている有名な話です。下戸
の編者も、子曰く酒を飲むな、とは論語に書けません。それでさりげなく、
しかしイジイジと、子酒を好む、しかし乱れず、なのです。宴会宴席と聞
いただけで身の毛がよだつ下戸ならこの編者のいじましさが良く分かり、
彼に深い同情の心を寄せる所以です。
さて論語には酒を飲めどころではなく、博打をしなさい、などとまで言
うとんでもない孔子の言葉が有ります。さすがに、女を買うべしなどとは
言っていませんが。
「♪孔子〜孟子〜を〜読んでは見たら〜飲めや打てや〜と〜お〜書いて
ある〜」困った事にそれが本当の事なのです。デカンショ節の作詞家の無
教養無才能は、ですから、むしろ賞賛すべきものなのではありますが。
学んで時にこれを習う、亦楽しからずや。などなどと孔子がなにかの倫理
的な価値を行う際の心の状態を表現する時に良く使うこの、亦楽しからずや、
は知らない人はいないでしょう。勿論、孔子の倫理学の本質が快楽主義であ
る事を実によく表している言葉です。倫理は快い、道徳は楽しい、そしてそ
うだから倫理道徳は価値がある。本当に心から孔子はそう思い、楽しんでい
るのだ、それを疑わせないのが、亦楽しからずや、です。渇しても盗泉の水
は飲まず、それは楽しくないからです。盗泉の水には飲みたい欲望がそもそ
も存在しないから飲まないだけなのなです。欲望を抑えて飲む事を禁じてい
るのではありません。
快楽主義とは正にこの人、のエピクロスでさえも、この快楽主義にまでは
到達し得ませんでした。エピクロスの思想の背景となる色々な文明が孔子の
それとは違っていたせいも勿論ありますが。
しかしながらこの、亦楽しからずや、は時代が下るに連れて、そのような
心は孔子のような聖人にして初めて持てる心なのだとして、一般人通用の心
もその本来は同じなのだとはされなくなって行きます。後生展ぶる者の説を
権威としてそのまま受け入れるしかない本国(だってまず科挙で首席を取ら
なきゃ、がいろはのい、でしょ、本国の学者さんの?)またやむを得ず本国
の権威を正統として墨守反復する事しかなし得ない直輸入国(だってどんな
に頑張ったって二番煎じの中の一番でしょ?)ではいざ知らず、この日本国
に於いてでは、ですが。
儒教が一般の人々にまで普及した江戸期日本では、倫理は辛い、道徳は苦
しい、しかしだからこそ倫理道徳は価値がある、です。水が飲みたい欲望を、
しかし盗泉の名の故に禁ずる、その禁欲主義者が孔子です。亦苦しからずや、
になってしまっているのです。しかしこれでは孔子(彼は二宮尊徳が大嫌
いでした)と二宮尊徳(彼は孔子が大嫌いでした)が全く同一人物になって
しまって困ります。(私も二宮金次郎君はとても立派で愛すべき子供だとは
思いますが二宮尊徳は、因業ジジイ、としか思いませんので。)
では何故孔子の快楽主義が、武士は三年で片頬一つ(しか笑わない)、の
禁欲主義に化けてしまったのでしょうか?
エピクロス快楽主義が、テレムの僧院快楽主義(その欲望の種類を問わな
い、何でも構わないの単純な欲望肯定快楽主義(つまりそれをやっている人
がエピキュリアンです。エピキュリアンという言葉に良い意味は全く存在し
ません。))に化けてしまったのは勿論、圧倒的に巨大なキリスト教道徳に
圧し潰されてしまったからです。これは、エピクロス快楽主義の形而上学的
根拠になり得ただろう新プラトン主義が、結局はグノーシスに化けざるを得
なかったのと同じ事です。しかしそんな巨大な宗教道徳はそもそもその存在
が許されない、したがって存在しない日本文明下で、何故快楽主義が禁欲主
義に翻訳されてしまったのでしょうか?
「よきも着ずうまきも食わず然れども児らと楽しみ心足らへり」「いとけ
なきめぐしき児等が丹の面の輝く今を貧といはめや」伊藤左千夫の歌です。
伊藤左千夫が実際にはどの程度の経済生活だったのかは短歌史に暗いので知
りませんが、まあ、この歌のような経済状態だったとして、です。
この歌に、本当に、作者の心からの楽しさ、豊かさの実感を感じますか?
むしろ石川啄木の歌同様の私小説的貧乏ったらしさばかりを感じませんか?
(貧乏と貧乏ったらしさ、とは言葉が似ていると云うだけで、全く別の概念
です、念のため)前の歌で本当に、楽しみ足らへり、を感じているなら、そ
れ以前の、よきも…然れども、は心には無いのです。次の歌で、いとけなき
…輝く今を、で本当に豊かな心になっているなら、後の、貧とは言わめや、
は心に浮かんでこない感情なのです。
つまり、貧乏なんか笑っちゃえ、という落語の長屋の花見みたいな、あっ
けらかんとした明るさが無いということです。
「大家さん、そのうち長屋にいい事が起こりますよ。」「おや、どうして?」
「だって酒柱が立ってますから。」
左千夫の歌にはその酒柱が立っていないのです。だからこの私生活の歌に
は救いが無いのです。それなのに楽しいと言い豊かだと言う、そこにどうし
ようもない貧乏ったらしさを感じるのです。「辛いよー、悲しいよー。」と
愚痴っているだけの石川啄木の方が、だからまだずっとましです。
この種の私小説的な心情には、自然主義をサデイステイックに自分にぶつけ
て、それによってマゾヒステイックに自分を慰めるという汚ったならしさがあ
りますから、それが誰であれまた何を言っているのであれ、心の豊かさなん
て、もう全く感じられないのです。
しかしこの私小説的心情は何時の時代も文学青年(年齢は関係有りません)
の通性です。江戸時代でも勿論同じです。ただ江戸期では、文学(そんな言
葉は当時は無かったんでしょうが)などは女人の好むもの、男子のたしなむ
ものにあらず、は絶対命題ですから、潜在的文学青年は思想家として世に顕
在しているしかありません。つまり潜在的文学青年である当時の儒者は、儒
教を私小説で翻訳したのです。結果、見た目外観、禁欲主義になってしまっ
たということなのです。江戸期儒教がちょっとマゾっぽく見えるのもその故
のためです。
かくして、亦楽しからずや、は、ただお説教のために書かれているだけの
修飾語、になってしまったと云う訳です。
孟子は言います「人は貧賎を卑しみ富貴を尊ぶ。これを小人は性だから仕
方が無いとし、君子は法だから仕方が無いとする。また人は背徳を卑しみ有
徳を尊ぶ。これを小人は法だから仕方が無いとし、君子は性だから仕方が無
いとする」と。
孔子が校長を勤める学校にどのくらいの数の学生がいたのかは知りません。
まあしかしかなりの数の学生数だったろうは想像に難くありません。しかし
何時の時代のどんな学校でも同じですが、優秀な学生だけがいる、と言うわ
けには行きません。一を聞いて十を知る天才は顔回たった一人だけ、十を聞
いて十を知る所謂秀才もほんの少しを数えるばかり。多数派は十を聞いたら
一つくらいは解るかも、の真面目なしかし普通の学生。そしてかなりの数の
、百を聞こうが千を聞こうが丸きり全然解らない、茶髪だピアスだラメファ
ンだ、の遊んでばっかりの学生達、と。しかし、です。
孔子でさえ、三十才まではスネカジリだったのです。四十迄は誘惑に負け
たのです。五十迄は何をしたら良いのか解らなかったのです。六十になる迄
は他人から言われる言葉を素直には聞けなかったのです。やる事が言ってい
る事と一致するようになったのは、やっと七十才になってからです。
孔子でさえそうなんですから、今も昔も学生さんは、明るく元気で他人様
に迷惑をかけなければそれで良い、です。でも、遊んでばっかりで勉強しな
くても良いと云うのは、十四才迄なんですよ、学生さん。
さてそう云った数多くの学生達の中には、しかしどうにもこうにも困った
の学生も、数の多少はともかくとして、いるのは普通の当然です。勿論犯罪
に走る学生は論外、即刻退学除籍で縁を切り、後は警察にまかせるしかあり
ません。で、それは別として、しかし他にも色んな種類の、困った、の学生
がいます。孔子の学校でもそれは矢張りまた同じです。
「人生不可解」と言って滝に飛び込もうなどと考える「お前が不可解」の
人もいたのです。女と見れば「ネエちゃん一緒に死のう、お願いだネエちゃ
ん一緒に死んでくれ」と変な口説き方をする「一人で死んでよ、頼むから」
の人もいたのです。(冗談では有りません。心中は仮令合意であっても単な
る殺人です。従ってそれを性懲りも無く、と云うよりはもう趣味として、何
度も何度も繰り返すという人は、ただの連続殺人鬼です)
で、アイツはこのまま放って置くと本当に何処か水の深い所に飛び込んじゃ
うかも、と心配した担任の先生が、しかしはて、では当人にどう言ってやっ
たらよいものか?とその言い方を孔子に問いました。「先生、一体どう言っ
て彼に思い止まらせたら良いものでしょうか」その時の孔子の答えが「朝た
に道を聞かざれば夕べに死すは不可なり、と言ってあげなさい」です。
ただこの言葉はこのままでは解りにくく、返って誤解されるかも、なので
「朝たに道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と否定文形ではなく肯定文形
で教科書には書かれていますけれど。(もっとも肯定文形では、死ぬ事への
潔さと誤解される心配が有る訳ですが。)勿論、肯定文形の方が解りやすい
のです。死ぬのは夕方にしなさい、今朝は道を知ろうとしなさい、そうすれ
ば、日暮れて道遠し、朝からの一日では終わらないから、今日の夕方に死ぬ
ことはない、です。来る日も来る日もこうして先ず朝に道を知ろうとすれば、
何時までたっても終わりにはならないから、何時になっても死ぬ事は出来な
い、です。何かの間違いで終にある朝道を聞く事が出来たとしても、死にな
さい、などと云う道は無いから大丈夫、です。どっちにしてもどのみち、ど
っかの淵に身を投げることにはならなくて済む、です。
小人とは、死ぬ事を自分の人生だとする人のこと。故に彼は小人。
邪人とは、小人の人生を、死を以って語る人のこと。故に彼は邪人。
馬鹿とは、邪人の語る所に、自分の人生を見る人のこと。「嗚呼、ここに
私の哀しみが在る。嗚呼、これは私の苦悩そのもの。嗚呼、これは、これは、
私、、、。ここに、ここに、私が、私が、私が、、居、、、る、、、、。」
故に彼は馬鹿。
馬鹿は何を聞いても誤解をするだけで返って悪くなる事の方が多いと云う
事もままありますから、言ってあげない方が返って親切、馬鹿のため、なの
かも知れません。しかし、です。
その人が何処のどんな誰であれ、子曰く「教えずして殺すなかれ。知らず
して死ぬなかれ。」と、です。
そうならば、勿論、他人を殺す事はなく、自ら生命を絶つ事もありません。
何処の国のどんな言語でも、複雑で細かな表現が出来、緻密で論理的な
説明が出来るようになっているのは当たり前のことです。日本語だから出
来る日本語だから出来ないと云う事は従って勿論ありません。よく、日本
語は論理に不向きだと言う人がいますがそんな事も勿論ありません。それ
は日本語が論理に弱いのではなくて、それを言う人の頭が弱いのです。自
分の頭が悪くて論理的に説明出来ないと云うだけのことです。その彼の頭
では仮令外国語を用いたところで非論理的な話しか矢張り出来はしません。
さてしかし、勿論日本語だけの固有特徴的な感情表現、論理説明がある
事は当然です。iikagenと云う言葉はその説明のために良く引き合
いに出される言葉です。「イイカゲンにしろ!」「イイカゲンにするな!」
はどちらも否定的表現ですが、その非難の意味する所は全く逆です。また
これを「良い加減」と漢字仮名混じりで表すと極めて肯定的表現になり、
人のあるべき中庸そのものです。そしてこれを「いいかげん」と平仮名に
すると、肯定否定とは離れて、物理的化学的なほどほど(風呂の湯加減や
料理の味付けの塩梅)の意味になります。同じ様な言葉に「適当」があり
ますが、これは漢字表現しかないので、最もふさわしい、と云う意味しか
本来はなく、これをiikagenと同じ言葉として使うのは(そう使わ
れている事の方が遥かに多いのですが)全くの誤用です。
要するに、iikagenは言葉が使われている背景事情を知っていな
ければ、平仮名書きにするのか片仮名書きにするのか或いは漢字仮名混じ
り書きにするのか判断がつかない言葉だと云うことです。その上に、片仮
名書きにする場合は両極端に対峙している一方の意味として使う訳ですか
ら、絶対に背景事情を説明して置かない訳には行きません。iikage
nとはとてもじゃないけどiikagenには使えない言葉です。もっとも皆んなiikagenに使っていますけれど。
ところで日本語には、その言葉の正しい意味を正しい意味だとして了解
するのはとんでもない間違いで、正しい意味の全く逆の間違っている意味
が正しいのだと云う言葉も沢山あります。謙遜のための言葉はどこの国の
言語にもありますが、その謙遜の表現ではなく、正に正しくないが故に正
しい、と云う言葉の事です。そしてその代表例が、私の不徳の致すところ、
です。
「浅野殿、この吉良があれ程サンマは目黒で求められよと申して置いた
ではないか。それを築地(当時は日本橋?)などで手に入れられるとは、
何たる失態。浅野殿、江戸に暗い田舎者でござりましたので、では、済ま
されませぬぞ。」と例によって例の如く内匠頭をイビル上野介に「あいや
吉良殿、『目黒がサンマの名産地、などとは下世話な下々が不埒にも大名
また高家を物知らずとからかった落語のオチ。魚市場は江東区(先取り?)
でござるによって、そこで購いなされよ。』と知ったかぶって浅野殿にそ
う進め申したのは実はこの脇坂。全くそれがしの不徳の致すところ。申し
訳ござりませぬ。」とこう、見るに見かねてその場に割って入った脇坂淡
路守が取り成してくれれば、なんびとからもその有徳を疑われない淡路守、
逆に上野介の方がバツが悪くなり「いや浅野殿、これは身共の口が過ぎ申
した。お気を悪くされぬよう。」と、ひとまずはイビリを止めてくれます。
で後は二人双方共々に「済みませんでした」「いやこちらこそ済みません
でした」と頭を下げあって揉め事は丸く納まり、刃傷沙汰は起こらず、メ
デタシメデタシで終わりになる、と。(超楽観的過ぎるかしらん?)
つまり「私の不徳の致す所」は、その結果に責任が無く、そしてこれが
絶対必要条件ですが、有徳な人が、何がしかの失敗をおかした他人に、し
かし責任を負わせないために使う言葉なのです。この言葉を使うためには
「私の有徳の致さない所」の背景事情がなければならないのです。ですか
ら、全く正しくない意味での全くの誤解が全く正しい意味での全く正しい
理解なのです。
ところがこの言葉を正しい意味として正しくない意味で使う正しい理解
を正しくない理解でしている人が多いので正しい意味が正しくない意味な
のだから正しくない意味が正しい意味であるのに正しい意味が正しくない
意味になり正しくない意味が正しいとされそれで正しくなく何故かと言う
と正しいとつまり正しくならないからだから、、えーと、、、。
要するに、不徳の人が使える言葉じゃないんです。不徳の人がこの言葉
を使うと、正しい間違い理解誤解が大混乱してしまい、聞いている人の頭
の中がパニックに陥ってしまうからです。でも自他共に認める紛れも無い
不徳の人ばっかりですね、この言葉を使っている人は。
さて、吉良上野介が徹底的に浅野内匠頭をイビレたのは彼が指南役(上
司)だったからと云うよりは、彼が吉良流礼法の宗家の当主だったと云う
絶対的な優位があったからです。勅使接待の礼法は吉良流で執り行う、と
なればこの吉良上野介が正に礼法そのもの。故に彼以外には誰も正しい礼
法を知っている者がいなくなってしまうのです。となれば勿論、吉良にと
っては相手が何処の誰様であろうとも、箸の上げ下ろしから始まってその
人のやる事為す事全部にいちゃもん付けて「こんな事も知らんのか。馬鹿
だコケだノーナシだ」とイビリ苛めるのなんか赤子の手をひねるより簡単
な事です。兎に角どんなに理にかなっている礼儀作法でも、吉良が駄目だ
と言えば全部無礼無作法なものになってしまうのです。その故にです。し
かし、です。
或時、何故孔子はいにしえの礼を研究するだけで今のための礼を創作は
しなかったのかを疑問に思った人が、孔子を良く知っているお孫さん(子
思)に、どうして孔子は礼を作らなかったんですか?と尋ねたことがあり
ます。その時の子思の答えが次のとうりです。
「礼を定められる者は唯一天命を受けた天子のみ。歴代の天子は天子にあ
っても天命を受けざるが故に礼を作らず。孔子のみが唯一人天命を受けた
れども天子にあらざるが故に礼を作らず。天命を受けずして礼を作る者は
愚にして自ら用うる事を好む者なり。天子にあらずして礼を作る者は卑し
くして自ら専っぱらにする事を好む者なり。故に孔子は礼を作らず」と。
つまり自然発生的に出来あがる礼儀作法以外の礼、天命も受けずまた天
子にもあらざる、即ち愚鈍の上に卑しさのオマケ付き(*注*私がそう思ってい
ると言う訳ではありません。単に子思が言った事を書いているというだけ
です。念のため)の礼法家がおこがましくも礼だと定めている礼法など全
く礼ではないのです。それは仁あること少ない巧言令色のためにある小人
の厚化粧。それを倣岸不遜にも礼だと称して商売をする、単なる礼法家の
生活のための商品です。しかし勿論商品、気の向いた人は買えば良い、で
はありますが。
ですからね、浅野さん、吉良程度の人間くんだりには、誉められる事が
恥辱、辱められる事が名誉、なんですよ。憂き世の義理の辛さをもうちょ
っとだけ辛抱してやり過ごしたら、後はこんな嫌な事もみんな忘れて暮ら
して行けますよ。ね、出来ぬ堪忍するのが堪忍、ただひたすら我慢をしな
さいよ。でも、そう、無理だったんですよね、それはやっぱり。
”宗教か宗教でないかは絶対概念による区分だ”は一般通用の普通の常識で
す。しかしおよそ人間の世界認識は、相対概念のあやふさからは離れられませ
ん。
嘗て唯物論的弁証法による世界観、つまりマルキシズム、が現実の人間社会
を完全に説明し得る唯一の科学、即ち”実学”として色々な学校の沢山の先生
から数多くの生徒さん達に教え込まれていた時代がありましたけれど、その時
代でもその反対者(私もその一人(の生徒?))にとっては「マルキシズムな
んて宗教さ」でした。そしてそれが宗教である以上”マルキシズムは邪教”と
云う相対主張も、然るべし、でした。
しかして同じく、資本主義しかなくなってしまった今でも、その反対者、と
云うよりその嫌悪者(私もその一人)にとっては「資本主義なんて宗教さ」は
成立する認識です。そうだとするその理由は、ダーウイニズムに対する反論、
と云うよりは嫌悪感と同じものですので割愛しますが。故に同じく”資本主義
は邪教”もまた相対的に成立、です。
”儒教は宗教にあらず”の命題も勿論全く同様で、同じく相対概念でしかあ
りません。むしろそれどころか宗教としての儒教の事例が今でも沢山あるわけ
です。従って当然に”儒教は邪教”との主張のために引っ張り出される事例に
も事欠きません。
そう云った事例を、ではどう処理するのか?は、近代の儒教には当然に発生
する問題です。もっともそれは、その時のその事情に応じて、で対応するしか
ありませんが。
しかしながら、無条件かつ絶対だ、として「陰陽易占は愚論迷妄だ」としま
す。どなた様に如何様に言われましょうと”陰陽易占を儒教とするなら儒教は邪
教”の命題は真(絶対)だとします。近代で儒教なんぞと云うものを云々してい
る以上はそれは致し方なく、やむをえませんので。蛇足ですが念のため。
徒然草の中の北条時頼の逸話です。徒然草は高校古文の標準教材ですか
らその中の話はどれもこれも有名なものなので、勿論細かい引用は必要あ
りませんが。
或る夜更け、時頼が台所で酒と味噌を見つけ、しかしそれだけでで「ご馳走してやるから」と郎党のだれそれを早馬で呼んだと云う話です。そして吉田兼好はこれを、しかしながら「質素倹約」の教訓話としている訳ですが。しかしそれだけなら、これはただのケチ話です。教訓どころか嘲笑の例示としかされないそのそれです。
詰まり、この逸話をこう解く吉田兼好は、心の雅が解からない人間だと云うことなのです。
この話をケチな教訓話ではなく、風流風雅の話なのだとする解釈はこう
です。眠れない夜、腹が空いたので台所に行ったのです。そしたら酒があ
ったのです。じゃあ酒にしよう、です。(なにせ当時の酒は玄米ドブロク
でしょうから、お粥みたいなもんです。)何かつまみは、と捜したら味噌
があったのです。では、月の綺麗な夜のこと、縁側でそれを肴に酒を飲み、
ウトウトと眠くなるのを待とう、です。しかし何となく一人で飲むのは嫌
なのです。では誰にお相伴を頼むか?ですが。美味珍味のご馳走があるな
ら、時の執権、呼んでそれでもてなして喜ばせる客など沢山います。しか
しただ味噌があるだけ。しかしそれだけでも、あいつなら、俺に呼ばれた
と云うだけで喜んで来てくれる。月を観ながら味噌を肴に酒を飲む、その
客にと招くのは、あいつを置いては他にない。だからその男の家に早馬を
出して呼び出したのです。何事か一大事か、とおっとり刀で息を切らせて
来てみれば、その男が頼まれた事はそれだけの事。しかしその男にとって
これ以上の嬉しい命令は有りません。人の徳にまみえられるのは自らに徳
のある故。男は喜んで時頼の一夜のつれづれのなぐさみに付き合います。
月あり、酒あり、味噌あり、更にその上に、友あり遠方より来たる、亦楽
しからずや。それがまた、その夜の時頼の快楽です。
ですからこの逸話も勿論、禁欲原理ではなくて快楽原理で解釈をする話
です。質素倹約のケチ話ではなく、ひどい無駄使いの贅沢話だからです。
人を贅沢として贅沢を楽しむ。心くるる友が最良の友。それが時頼の徳。
俗を贅沢として贅沢を避ける。そう言っておきながらしかし、物くるる友
が最良の友。それが兼好の不徳。徒然草もまたそれ故に、非道くつまらな
い小人の説、と。
更に。連帯保証人になってくるる友が最良の友。これは、走れメロスの
邪人の説、と。しかし全くの所、この文部省特選の童話が、どれほど沢山
の良友達を、友情嫌いにしてしまった事か、と。
漢の始祖であり、儒教を国教化してその後の儒教の運命を良かれ悪しかれ
決定付けた沛が、新国家の統治方針として国民(当時は国民なんて概念があ
ったとは思えませんが、便宜上)に示したものは、先ず法治国家たる秦の否
定です。もとより国家が移木の信を破らないのは当然ですが、古代法治国で
ある秦、微に入り細に渉る煩瑣な法治などただの恐怖政治(全国家が法治国
である近代でも、それは同じだと云う国々もある?でもそう云う国家って案
外徳治を気取ってるんですけどね)国民の怨嗟の声は勿論甚だしかった訳で
すから。
「人は殺すな。物は盗むな。その二つは処罰する。」新国家漢にはこの三
つの法律しかない。法治を否定する象徴として国民に宣言されたものが、つ
まりこの、法三章、です。
ちなみにしかし沛は、他の多くの政治家達と同じく、およそ徳治には似合
わない人物でした。我執たくましく私利私欲を満足させたいだけの人物です。
その人物が泥棒にも詐欺師にもならずに済んだのは、勿論、国家の最高権力
者だったからです。我執や私利私欲を満足させるために我執や私利私欲を剥
き出しにする必要が全く無いんですからね。鷹揚な風を気取っていても結果
は寸分変わりません。もっともそれは、一人沛にだけあてはまる、ではあり
ませんが。(あの人もそう、そっちの人もそう、あそこの、またあっちの人
もそう、です)そして当然に、他の総ての始祖天下人の例には洩れず、猜疑
心の塊りで冷酷無惨な人間です。建国後の彼の最初の政治は、従ってこれも
他の例と同じく、かつての同志を政敵として次々と粛清して行く事でした。
権力奪取までは同志、絶対に必要な人々。しかし権力掌握後はただの政敵、
完全に無用な人々。それは正に「狡兎捕まって走狗煮らる」です。それが何
時の世も、偉大な革命指導者が反革命の似非同志を建国後に抹殺する理由で
す。
さてそれはそれ、法三章の話です。要するに、法律が無くてもトラブルが
発生しないなら、法律なんか無い方が良いと云うことです。と言うよりその
ような所では法律があるとかえって、起こらない筈のトラブルが起こってし
まうのが世の中の経験則です。しかし「その場合にでさえ困らないように、
だから前もって法律を作って置くのだ」と法家は言う訳ですが。
「日本人は水と安全はタダだと思っている」と云う言葉は随分と昔に言わ
れたものですが、今でも、日本の常識は世界の非常識だとして、法家(国際
派?)から何かに付けてはぶつけられる言葉です。でも「ふ山戯た事を言う
んじゃない!」です。水と安全はタダなのです。それを有料だとする国は狂
っている国なのです。人間にとって水と安全がタダではないなら、人間も常
に生存の不安に怯えながら暮らしている野山の禽獣と全く変わる所が無いじ
ゃありませんか。タダだと思っている日本人が正常なのです。金を払えと要
求する非日本人が異常なのです。水と安全の有料が世界の常識だと言うなら、
世界の方が狂っているのです。何で正常な方が狂っている方に合わせなきゃ
ならんのだ?です。「逆だ。狂ってる方が正常に合わせろ。バカ。」日本人
なら声を大にして世界の人々に叫びましょう。「水と安全はタダだ!!!」
水と安全がタダでもしかし衣食住もタダではないと法三章と云う訳には参
りません。儒家は実は(孔子孟子にもう始まって)衣食住は自然発生をし、
さながら雑草が生えて来るように、勝手にどこからともなく生えて来るもの
だと想っています。それで、世の中は法三章でよろしいとするのです。勿論
衣食住が自然発生する訳ですから、生存競争とか適者生存とか自然選択とか
見えざる手だとかの概念が儒教に入る余地は全く無い訳です。ちなみに儒家
は、酒も自然発生すると想っているフシがありますが。
しかし男の甲斐性とは、世の中まではとても無理でも、自分の家人達には、
衣食住は自然発生していると信じさせて置く事にある、と云うのが勿論です。
故にどこの家庭でも、法はただ三章あるのみ、なのです。もっとも家人が殺
人窃盗を犯す事を日夜心配している家庭はそうは多くないでしょうから、普
通一般の家庭では「他人様に迷惑をかけるな。暴力を振るうな。その二つの
非行は絶対に許さない。(それ以外の非行ならやって良い、とは言わないが、
大目には見てやる)」の法三章でしょう。(本当にそれが普通一般の家庭な
ら、しかしどんなに良い事かと…)これを良くある卑近な例で具体的に説明
しますと、連れ合いのある人の浮気は勿論非行。しかしそれを「夫は妻のた
めに隠し、妻は夫のために隠す。それをこれ正直と云う」でよろしいと云う
ことです。(うん?)
兎に角家庭においては、法律が三つより多いなら、そこにある法治は古代
秦の法治と同じレベルの、法治にあらざる恐怖支配でしかありえません。家
を整えるためには三つを越える法がなければ整えられない、と言うのであれ
ば、整えられない原因は正に整えようとする者の不徳にあります。故に、親
の顔が見たい、なのです。
法律は全部足し合わせても、たった三つの条文しかないのです。そのどの
条文も全く短くて簡単な文章です。ですからその三つを憶えられない人は一
人もいません。そう言う事なんですから、前の二つの条文はちゃんと守って
下さい。守らないなら、最後の一つの条文で、絶対に許しませんよ。それが
法三章です。