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全盲マッサージ師 震災で不明の家族、待ち続ける 気仙沼
 | お年寄りの脚や腰を丁寧にマッサージする永沼さん |
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宮城県気仙沼市の仮設住宅に暮らす全盲のマッサージ師永沼靖浩さん(47)は、東日本大震災で行方が分からない家族の帰りを今も待ち続ける。生まれつき弱視だった妻千春さん=不明当時(44)=と、2人の「目」にもなってくれた長男千尋君=同(8)=。「夢でもいいから会いたい」。変わらぬ思いを心に刻みながら仕事に励む。
震災から2年となった11日朝、永沼さんは2人の写真に語り掛けた。「時間が止まったままだ。早く帰ってきて」。千尋君には好きだったサイダー、千春さんにはビールを供えた。 19歳の時に緑内障を患い、視力を失った。宮城県立視覚支援学校で千春さんと知り合い結婚。千尋君を授かった。 小学生になった千尋君は、両親の目となって支えた。出勤前にはテレビを見た千尋君が「雨のマークがあるから傘を持っていった方がいいよ」とよく教えてくれた。 2010年夏、ヘルパーの介助を伴わず、初めて家族3人で盛岡市の遊園地に出掛けた。永沼さんは千尋君の肩に手を置き、千春さんは腕を組んで歩いた。「階段も駅の改札も案内してくれ、頼りになる息子だった」と思い起こす。 11年1月には東京ディズニーランドにも遊びに行った。アトラクションに乗り「楽しかった」と喜ぶ声が今も耳に残る。 あの日、2人は千尋君が鹿折小から下校中、一緒に被災したとみられる。仕事中だった永沼さんは、気仙沼湾近くのビルに取り残され、翌日ヘリで救助された。携帯電話をかけ続けたが、全く通じなかった。 「目が見えれば捜しに行きたかった。動けないのが、もどかしかった」。避難所、知人宅、仮設住宅と移りながら待った。 石巻市雄勝町の生家が津波で流されたことは後で知った。陸前高田市に暮らす千春さんの両親も津波の犠牲になった。 悲しみの中で支えとなったのが、震災1カ月後に再開したマッサージの仕事。「家族を捜す患者もいて、つらいのは自分だけではないと気付いた」と振り返る。忙しさが気を紛らわせてくれた。 震災から2年が過ぎても、ぽっかりと空いた心の空白は埋まらない。「ただいま」と言って2人がふらっと帰ってくるのではないか、と思う時がある。 「夢に出てきてくれればいいのに」。鹿折小に残っていた千尋君のランドセルを手に、永沼さんがつぶやいた。
2013年03月25日月曜日
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