2011年 11月 05日
映画に愛をこめて アメリカの夜(1973) ☆☆☆☆☆
監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォー
ジャン=ルイ・リシャール
シュザンヌ・シフマン
撮影:ピエール=ウィリアム・グレン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:
フランソワ・トリュフォー (監督・フェラン)
ナタリー・バイ (ジョエル)
ジャクリーン・ビセット (主演女優・ジュリー)
× × ×
ナタリー・バイ燃えるううううううう!!
<アメリカの夜>というのは、アメリカ映画などでよくつかわれる手法で、夜のシーンを撮影するとき、昼間撮影してそれに青黒のパラフィンのせて夜のようにみせる手法。まあ、明らかに地面の影がこかったりして昼間に撮影されたことは分かるのだけど・・。
で、この映画、たまたまテレビをつけたらBS2で『映画に愛をこめて アメリカの夜』をやっていた。ちょうど舞踏会のロウソクのトリックをみせてるしーんで、覚えの悪い年配の女優さんがなかなか芝居が出来ないでカンニングペーパーをカメラからみえないところに張っていくくだりのシーン。
そのシーンがどのあたりにあったのか定かではなかったが、まだジャクリーン・ビセットはでてないので始まったばっかりっぽい。そんなわけでついつい最後までみてしまった。
いや~~~~、この映画好きなんだ。
だいたいトリュフォーの映画で面白い映画はほとんどない(年配の評論家さんには怒られそうだが)といっていいのだけど、それでも時々あたりがるから捨てきれない。これがゴダールくらいに確実にいつもハズレ(年配の評論家さんには怒られそうだが)ならあっさり見捨てられるのに(苦笑)。
そんなトリュフォーのなかでもまれにみる大好きな映画。
この映画は『〇〇〇』という映画を撮影しているスタジオ内でおきる悲喜こもごものエピソードを映画の完成までの道のりとともに描いている散文的映画で、一貫性のあるストーリー主体の映画ではない。なので私の趣味としてはいまいちはずれているのだけど、見終わったあとに「ああ、みんな映画づくりがすきなんだなあ」とおもわせてくれるハートフルなエピソードのつまった映画。主人公のこの映画の監督さんはトリュフォー自身が演じており、ぐれる主演男優やら引きこもる主演女優やら、撮影途中に交通事故で死んでしまう男優さんんやら、つぎからつぎへおこる難題をなんとかごまかしながらクランクアップへもっていく監督を演じている。
実際監督などという職業はそういうものなのだ。
世間では絶対的権力ある立場のように思われてるかもしれないが(確かにそういう人もごくまれにいるかもしれないが)、実際はなんとか壊れそうになる製作過程をぎりぎりのところでたもちつつ、妥協に妥協をかさね妥協の産物として一本のフィルムにしていくのが監督の仕事といっても過言ではない。
私も監督をやったことがあるものとして切実にその不憫さは理解できる。
私の場合は、コンテを描いているときまではとても幸せなのだ。この作品はとんでもなくいいものになるって尾確信しながら、自分に良いながら描いているのだが、それがいったん作画にはいるとその夢はがらがらとくずれていく。なんでこいつらはこんな絵しかかけないんだ??って思うことがほとんど。それで作画なら時間の許す限りで自分がなとか直せばいいけれど、背景だとそうもいかない。音楽の選曲が全然とんちんかんな音響監督もいる。それでも直してくれればいいが、怒って出て行くクソ音響監督もいた。
時間がなければ全部直せないので、直せる優先順位をつけてやるはめになる。『ガンダムS/スターゲイザー』のときなんか、もう直しのキャパはいっぱいだというので監督なのに動画までやったよ。まあ、作品が良くなるために出来る総てのことをやるのが監督の仕事だと思ってるのでそれでもいいんだけど・・。
そんなトラブルを乗り越えてなんとか映画を完成させようとするトリュフォー演じる〇〇監督だが、そんな彼を補佐する役の(役職は・・・なんなんでしょうね?監督補佐かタイムキーパーだと思う)ナタリー・バイがとても素敵。
もちろんこの映画のテロップ上の主演はジャクリーン・ビセットなのだけど、圧倒的な存在感はナタリー・バイなのだ。もし彼女がいなかったらこの映画はぜったい完成しないんじゃないだろうかっておもわせるほど、きびきびてきぱき物事をこなす。このナタリーバイの演じた監督補佐の彼女は最高ですね。この映画のなかでぴかぴか輝いているのは彼女ですよ。
おかげでナタリー・バイのファンになってしまった。おかげで他の映画でもしゃべらなければナタリー・バイは『アメリカの夜』のあの監督補佐の性格だと勝手にきめてほれ込んでいる私。
のちに同じトリュフォーの『緑色の部屋』に主演ででているのだけど、これも良かった。
ちなみにこの『アメリカの夜』では、最後の最後で主演の男優さんが交通事故にあい、あと5日をのこしてラストシーンがとれないことになってしまう。しかたがないのでそこはそれ映画のエンディングを変えて、その男は最後殺されるという展開に。でも代役つかわなければいけないので顔もみせず背から撃たれて死ぬという展開に変更。そんなこんなで段取りのいじくりでなんとか切り抜けて映画は完成させる映画はまさに妥協の産物なのだが、出来ないよりはいい。そして出来てしまえばみんな幸せ。
映画もアニメも実に大勢の人がからんでいて、それぞれが何かしらの思いをもってその物語を具現化していく。みんながこの一本をささえているんだって感謝したくなるときがある。
見終わったあとに妙にあったかくなれる映画なのでした。
ちなみに音楽はジャック・ドルリュー、『イルカの日』よかったですね。ドルリューの音楽にあわせてカットがつながっていくシークエンスは実に心地よいです。
<この映画のなかで撮られている映画が『パメラ』という映画のあらすじ>
英国で婚約者みつけて主人公が、フランスに新妻ジャクリーン・ビセットをつれて帰ってくる。
しかし、ジャクリーン・ビセットと主人公の父親が愛し合ってしまい、ビセットは交通事故で死に、主人公の父は主人公に撃ち殺されるという話。
by ssm2438 | 2011-11-05 03:07 | F・トリュフォー(1932)