東日本大震災

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第二部 安全の指標(11) 揺らいだ基準 「幻」となった勉強会

小佐古と空本は報道機関向け勉強会のために想定問答を作っていたが急きょ中止になった

 「菅内閣に原発事故対応ができないと分かった以上、ひっくり返すしかなかった。あの辞任会見はある意味でクーデターだった」
 政府の非公式な助言チームを束ねた民主党の衆院議員空本誠喜(47)は振り返った。
 平成23年4月29日。内閣官房参与で東大教授の小佐古敏荘(61)が辞令を受けてからわずか45日で反旗を翻し、参与を辞めた。その「辞任劇」には、2人の官邸への積もり積もった不信感があった。
 小佐古は国際放射線防護委員会(ICRP)の委員を長年務めた経験をもとに多くの提言をしたが、官邸になかなか採用されないことに不満を募らせていた。4月中ごろ「提言すべきは提言した。この内閣と一緒にドボンしたくない(沈みたくない)」と空本に辞意を漏らした。
 「こうなったら小佐古先生に内閣批判をやってもらうしかない」。空本は小佐古の参与辞任と引き換えに、記者会見で官邸の場当たり的な政策決定、内閣府原子力安全委員会の機能不全など問題点を提起することにした。官邸と刺し違える覚悟だった。
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 「この数値(年間積算放射線量20ミリシーベルト)を乳児、幼児、小学生に求めることは学問上の見地からのみならず、わたしのヒューマニズムからしても受け入れがたい」
 辞任会見で小佐古は、官邸と各省庁はその場限りの対応で事態収束を遅らせていると涙ながらに訴え、法、正義、国際的常識、ヒューマニズムに背くとした。
 聞き慣れない単語や放射線防護の考え方について報道陣から質問が相次いだ。小佐古と空本は3日後の5月2日、報道機関向け勉強会として再び記者会見を開くことにした。
 勉強会に備えて、空本と小佐古は想定問答を作っていた。
 (質問)<何ミリシーベルトが妥当か>
 (小佐古)<ICRP勧告に1~20ミリシーベルトの下方部分から選定すべきという記述がある。チェルノブイリ事故でも1年間は最大5ミリシーベルトとしたが、その後は1ミリシーベルトにした>
 想定問答で小佐古は、子どもの被ばく限度は多くても年間5ミリシーベルトにとどめるべきだと考えていた。辞任会見で「20ミリシーベルトは不適切」とした小佐古の批判の真意は、「20ミリシーベルトありき」の官邸の「決め方」にあった。それを訴えたかった。
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 だが、勉強会は直前で中止された。小佐古が官邸から「守秘義務がある」との指摘を受けたことが理由だった。小佐古から詳しい根拠が説明されないまま、「20ミリシーベルト」は「子どもにとって大丈夫なのか」という漠然とした不安となり、県内の母親らを困惑させた。当時、県民に放射線リスクを説明していた長崎大大学院医歯薬学総合研究科長の山下俊一(58)=現福島医大副学長=ら専門家にも不信の目が向けられることになった。
 想定問答で小佐古らは「放射線の人体への影響」についても記していた。
 (小佐古)<放射線のリスクは確定的影響と確率的影響に分けられる。確定的影響には脱毛や不妊が挙げられるが比較的高い線量の被ばくによって起こる。一方、代表的な確率的影響は発がんで、低線量でも起こる可能性がある。(中略)ただし、人口の大集団について評価しないと実際の影響は不明である>
 根拠としたのは主に広島、長崎の原爆による被ばく者の影響評価だった。長崎大で放射線の人体影響などを長年研究してきた山下も「長期の低線量被ばくのデータの蓄積は少ないので、影響のある、なしでは答えられないグレーゾーン」としている。小佐古が説明しようとした内容は、多くの専門家の認識と変わらないものだった。しかし、勉強会は幻となり、小佐古の口から重要な部分は語られなかった。(文中敬称略、肩書と年齢は当時)

カテゴリー:ベクレルの嘆き 放射線との戦い

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