社説
埋め立て申請/沖縄の民意を軽んじるな
見切り発車、強行突破、ごり押し…。民主主義社会にふさわしくない、こわばった言葉しか思い浮かばない。 政府は22日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先としている同県名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認申請書を沖縄県に提出した。 許可権限を持つ仲井真弘多沖縄県知事はじめ、県民の理解が得られるめどは全く立っていない。沖縄がたどってきた歴史的経緯、移設の理不尽さを考えると、条件交渉で打開策を見いだすことなど、もはや不可能だ。 安倍晋三首相は対米公約を優先するあまり、民意を無視していないか。普天間代替案は、首相の常套句(じょうとうく)である「ゼロベースで見直す」こと以外に展望が開けないことを知るべきだ。 市街地にあり、「世界一危険」と称される普天間飛行場返還と沖縄県内移設で日米両政府が合意したのは1996年。辺野古沿岸とする移設案には、当初から反対の声が多かった。 政権交代で、鳩山由紀夫首相(当時)が県外移設を表明したものの、最終的に断念。期待値を高めた上での原案回帰に、県内世論は一層、硬化した。 民主党政権の「外交敗北」を指弾する安倍首相の運びは前のめりだ。アセス関連手続きを完了させ、2月にはオバマ米大統領と会談、移設を早期に進める方針を確認した。 基地負担軽減や振興策を話し合う沖縄政策協議会を19日に開いて地ならし。沖縄防衛局は22日、電話連絡から5分後に、埋め立て申請書類を詰めた段ボールを県土木事務所に持ち込んだ。 反対派との摩擦を避ける狙いがあったのだろうが、これでは抜き打ち同然。名護市の稲嶺進市長が「とても許せない。本当に怒っている」と語気を強めたのはもっともなことだ。 「沖縄の方々の声に耳を傾け、信頼関係を構築する」。首相は2月の施政方針演説で、こう述べた。言行不一致というより、行動が言葉を裏切っている。 サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日(1952年)を「主権回復の日」として、式典を開催することを閣議決定したことも、県民の神経を逆なでしている。 この日は沖縄が本土から切り離され、米国の施政権下に入った日でもある。本土の「祝賀」は沖縄の「屈辱」であることに思いが至らない。歴史に対する無理解と言わざるを得ない。 辺野古移設をめぐっては、米国の軍事専門家からも滑走路の短さなど技術的な観点から再検証を求める提言が出されている。原案に固執することは、むしろ日米同盟にマイナスとなる。 東日本大震災後、辺野古で抗議活動を続ける市民団体は「米軍への思いやり予算を凍結し、被災地支援に充てよ」と署名活動を展開した。琉球新報はことしも、3月11日付の被災3県の地元紙社説を転載した。 沖縄から寄せられている厚情に、東北としてどう応えるのか。基地移設問題を「わが事」として受け止める。
2013年03月24日日曜日
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