島泰三『孫の力』4_4

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島さんの著作について、わたしなりに感じる「魅力の中心」ということで、偏りをおそれずに綴ってきました。勿論、この本は霊長類学の部分にそんなに関心が深くない読者でも読み物として楽しめるように書かれています。

この本の帯には「かつて孫だった人、これから孫を持つことになるすべての人へ。」とあります。これはヒトが繁殖適齢期を過ぎても生き続ける(ことには女性では繁殖期の終わりをはっきりと超えて生き続ける)中で、単に生物学的な意味(我が子の子ども)という以上に「孫と対面し交流する」特殊性を意識してのことでもあるでしょう。実際、ニホンザルは物理的には「孫」に対面しますが、孫である子ザルを群れの中の他の子ザルとあからさまに差別化して扱うことはありません(※)。わたしたちはついついどんな動物にも「人間的図式」を当てはめて納得してしまいがちですので、これは強く意識しておいていいでしょう。

※何より、彼女たち自身が自前の子を生み続けており、その世話に追われています。

けれど、それはともあれ、この本自体は「我が子が幼児期を過ぎた、まだまだ若い親」といった人が読んでもいろいろ思い当って面白いのではないかと思います。そういう意味では「孫-祖父母」を軸とした観察記録・論考というだけでなく「家族」全体を考えることも出来るヒントが豊富に盛り込まれています。ひいては「わたしたちが生きる現代社会」を検討する糸口もあることは前節の保育園のエピソードで触れました。すぐれた観察記録は、そこに込められた意識・無意識の書き手の考えや想いともども、さまざまな枠を超えて刺激的なのだと思います。

では最後に余談めいたことも二つばかり。

島さんの学問のもうひとつの柱、マダガスカルのアイアイについて、孫のあいちゃんはどんな反応を示したでしょう?

上野動物園の写真を見ながら、あいちゃんが尋ねます。

「あい、あい。ジイジ、これ、アイアイ?」、「そうだね」、「うわ!きもちわる」、「そんなこと言っちゃいけません」……

アイアイはその奇妙な容姿や夜行性であることなども影響してか、マダガスカルでは伝統的に「不幸を呼ぶ悪霊」だと考えられてきました。その意味では、あいちゃんの反応は素朴で妥当かもしれませんね(´∀`;)元よりそれは迷信といってよく、また、わたしたちは上野動物園の「アイアイのすむ森」を訪れることで、よりくっきりと実際のアイアイを見知ることが出来ます。

「アイアイのすむ森」は不忍池に張り出した一角で、アイアイのほかにも水面で隔離して檻を排したキツネザルの、いわば「島池展示」や、その他固有種の多いマダガスカルのさまざまな動物たちを展示しています。この施設については近々に再度訪れてレポートしたいと思います。

もうひとつだけ。既に哺乳類たちの「遊び」についての島さんの叙述は御紹介しましたが、島さんは「笑い」についても書いています。ヒトは「笑う動物」だとも言えます。さまざまな種類の笑いをさまざま場面で作り出していきます。

さらに島さんは霊長類学の師匠であるチンパンジー研究者・西田利貞さんの記述を引いています。チンパンジーの母親はヒト以上に子どもと遊び、赤ん坊へのくすぐりから始まって、子どもが長じるにつれ、母子の取っ組み合いや咬み合いは遊びでありつも「真剣」とでも言うべきものになり、そうやって心底熱心に戯れながら「笑う」、と。現在、日本の動物園でもチンパンジーは大なり小なり三頭以上の「群れ」を成すようになってきていますので、チンパンジーたちの賑やかさ・感情の豊かさはわたしたちも目の当たりで観察する機会があります。

けれど、島さんはこんなチンパンジーに対して「オランウータンでは赤ん坊のころは表情が豊かでくすぐると笑うが、どんどん表情を失い、三~四歳では笑うことはなくなり、ことにオスはまったく無表情になるという」と記しています。

熱帯雨林の樹上で暮らすオランウータンは野生下では母親と独立前の子ども以外は単独生活者であり、特に子育てに参加しない大人のオスは交尾の時以外はほとんど独りで暮らしています。その意味では普段「笑わない」のが自然なのかもしれません。けれど飼育下の場合、たとえ一頭でいても飼育員さんとは日々対面するし、放飼場に出れば来園者もいます。

千葉県・市川市動植物園のスマトラオランウータンの大人オス「イーバン」氏です。この放飼場はポールや捩じってロープ状にした消防ホースなどを活かして、熱帯雨林の樹冠に張った枝の広がりやそこから垂れる蔓などの様子を再現しています。見た目は明らかな人工物でもオランウータンの体の構造や機能にはよく合っているようで、いかにも樹冠風の運動が見られます。イーバンの場合、ギャラリー(来園者)が多いと燃えるようでもあり、施設を利用してのパフォーマンスも派手に盛んになるようです。そして、ひとしきり観客を沸かせてからポーズを決めて、どうやらわたしたちもまた彼に観察されているようです。

そんな時の彼の顔。やはり得意げに、もしかたらにんまりしてるようにも見えませんか?

わたしたちの一見(いちげん)の感覚で決めてかかるのは慎重でなければならないでしょう。

また、野生下のオランウータンが「正常に成長するとともに笑わなくなる」という報告に対して、格別反証したいというわけでもありません。

しかし、ここに挙げた姿は健やかなものに見えるし、飼育下の条件の与えられ方によっては、大人のオランウータンにも豊かな感情が見て取れる可能性はあるのではないでしょうか?むしろ、こんな場面を手掛かりに、オランウータンがどんなポテンシャルを持っており、普段の野生では稀であるにしろ、どんな時にそのポテンシャルを発揮して見せるのか、そんな探究も促されるように思います。

では、随分長々と書いてしまいましたが、皆様が島さんの著作を手に取られ、直接にそこで語られることばや思考・想いに触れてくだされば、何よりもさいわいです。

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