麻生内閣が発足した頃にマル激では、その経済政策に対して「世紀の愚策」というような表現を使っていた。これは神保哲生氏が紹介していたもので、霞ヶ関の埋蔵金を探し当てたといわれている高橋洋一さんがそう呼んでいたということだ。
高橋さんによれば、経済政策の効果としては、為替の変動相場制の下では財政出動よりも金融政策の方が効果的であるということが経済学では常識となっているということだった。景気の浮揚のためには、金をばらまくよりも金融政策の方が重要だということだった。その金融政策が補正予算案には盛り込まれていなかったので、景気浮揚のための政策としてはほとんど役に立たないという評価から「世紀の愚策」という言い方をしていたようだ。
補正予算の段階でも「世紀の愚策」と呼ばれていたものが、今回の金融危機に対する経済政策ではさらにばらまき度が増したような提案がなされているようだ。特に批判されているのは給付金という形でばらまかれる2兆円の金についてだ。これについては、他の面で麻生内閣の政策をプラスに評価しているように見える新聞の社説でも、ほとんどすべての社説で疑問を投げかけられている。給付金は、国民が個人としては助かるかもしれないが、それが経済的な面での影響をどの程度与えるかといえば、ほとんど期待が出来ないというのがその評価のようだ。このことは、政策の提出者である麻生内閣の方でも分かっているのではないかと思われるのに、どうして「世紀の愚策」といわれるものが提案されてしまうのか。このことの合理的(論理的)な理解を考えてみたいと思う。
まずは給付金というものに対する批判をいくつか見てみよう。
「ただ、旧経済産業省の調査では地域振興券が新たな消費に向けられたのは約30%とされている。首相は「経済状況が全然違う。今の方がきついから効果が大きい」とするが、景気刺激になるのか疑問が残る。」(徳島新聞社説 10月31日付 「追加経済対策 ばらまきの感 ぬぐえない」)
「どれほど消費を拡大するかは不明だ。朗報と受け止める向きもあろうが、麻生首相は三年後の消費税引き上げも明言したので、家計は一層、生活防衛意識を高め、余分な消費を控えて貯蓄に励む可能性もある。」(中日新聞【社説】「追加経済対策 国民に安心を与えるか」2008年10月31日)
「ただ「給付金」については懸念が残る。政府・与党は、景気刺激策の目玉としてきた「定額減税」を、現金やクーポン券などをすべての世帯に支給する「給付金方式」に切り替えた。定額減税は非課税の低所得者層が外れ、個人住民税の減税が来年度にずれ込むなどの問題点があるからだ。
不況を克服するにはスピードが必要なことは分かる。しかし、目の前にカネをぶらさげ、対象者に「もらえるものはもらっておこう」という気持ちを抱かせるとすれば、あまりにも安直だ。」(中国新聞社説「追加経済対策 給付金で景気動くのか」 '08/10/31)
「かつて小渕内閣が実施した個人消費の刺激策に似たやり方だ。当時国民に配った地域振興券は大半が預金に回り、消費は増えなかった。最大規模という住宅ローン減税や高速料金下げも、生活防衛意識の強い国民が消費に動く契機になるかどうか。」(神戸新聞社説 (10/31 09:00)「追加経済対策/危機緩和へ効果どこまで」)
「「家計に少しでも恩恵を」という狙いだろうが、こうした「ばらまき」でしかない対策が盛り込まれるのも緊急対策という座標軸があいまいになった結果だ。」(岐阜新聞社説 2008年10月31日(金)「追加経済対策 金融危機打開へ全力を」)
「与党の顔が見えにくい減税より、現金給付やクーポン券配布の方が、実績を印象付けやすい。総選挙や来年夏の東京都議選に向け「票をカネで買う」手法とみられてもやむを得ない。
中長期も見据えているというのであれば、抜本的な個人消費振興策として所得税を含む税の再配分機能を高める施策を検討する必要がある。その中で、消費税率の引き上げも位置付けることができる。」(毎日新聞社説 2008年10月31日「追加経済対策 これは究極のばらまきだ」)
これら社説では、給付金という政策が「ばらまき」であり経済効果が期待できないと言うことが批判されているが、それが説得的に腑に落ちるように説明されているのは
「ヘリコプター・マネーという愚民政策」というエントリーだ。ここではこの政策が愚策であるといわれる理由を次のように説明している。
「あなたが市役所に行くと、1世帯4万円のクーポン券をもらえる。これが他人の金だったらうれしいだろうが、その財源はあなたの税金だ。「埋蔵金」を使うなどというのはまやかしで、そのぶん国債の償還財源が減るのだから同じことだ。つまり4万円の税金で4万円のクーポンを買うだけなので、あなたが合理的ならバラマキ財政政策に効果はない――というのが中立命題としてよく知られている理論だ。」
個人的にはお金がもらえることは嬉しいことなのではないかとも思えるのだが、実はそれもタダで手に入れた利得ではなく、結局は税金として自分が払う分を先にもらっているだけなのだという。経済効果が薄い上に、個人的には得だと思っていたことも実はそうでなかったということになれば、その愚策ぶりは、それがいいと思い込んだりすると愚かであるのはだまされる国民の方ということになるだろう。
このブログの作者である池田信夫さんは耳に痛い言葉も語っている。それは
「しかし実証的には、この理論は厳密には成り立たない。それは人々が近視眼的で、将来の課税より現在の現金の価値を高く評価するからだ。朝三暮四というやつだ。つまりバラマキ政策は、国民が猿のようにバカであればあるほど効果の大きい愚民政策なのである。」
という言葉だ。これは耳に痛い言葉ではあるけれど、ここから麻生内閣がなぜこのような愚策を提案するかということの合理的な理解も得られる。麻生内閣は、実質的な経済効果よりも愚民政策として効果の大きい方を選んだのだと理解すれば、その提案も合理的だということが判る。
しかし、それには条件がいる。それは池田さんが語るように「国民が猿のようにバカであればあるほど」ということだ。この条件がなければ愚民政策は効果を上げない。麻生内閣の支持率が、この政策によって上がるようなことにでもなると、自民党の予想通りということになる。そうなると、前提条件としての「国民は猿のようにバカだ」ということが当たっていることになってしまうだろう。
国民の一人としては、この前提がぜひ間違っていることを自民党に思い知らせてやりたいと思うものだ。麻生内閣は選挙管理内閣ともいわれているのだが、今回の「ばらまき」も一つの選挙対策だということが批判されている。マル激では、ジャーナリストの上杉隆さんが、公職選挙法違反ではないかというようなことを語っていた。選挙の支持を得るために金をばらまいているように見えるからだ。これは税金を使ってばらまくのだから、自分の金で票を買うよりももっと悪質ではないかとも考えられる。
新聞社説などでも給付金という「ばらまき」は選挙対策であるということが指摘されている。
「与党の顔が見えにくい減税より、現金給付やクーポン券配布の方が、実績を印象付けやすい。総選挙や来年夏の東京都議選に向け「票をカネで買う」手法とみられてもやむを得ない。」(毎日新聞)
「衆院選に向け中低所得者層にアピールしたい公明党と、選挙協力をスムーズに進めたい自民党の思惑が合致したこともある。野党側から「選挙目当てのばらまき」と非難されても仕方がなかろう。」(中国新聞)
麻生内閣が、経済的には愚策である給付金という政策を出してきたのは、ほとんど100%選挙対策だと考えていいだろう。そう考えない限り、愚策であることが分かっていながら提案するという合理性が理解できなくなる。しかし、愚策であってもあえて出してくるというのは、「国民が猿と同じくらいバカだ」という認識がなければ出来ないことだろう。その認識の間違いを自民党に教えなければならないのではないか。池田さんの
「この意味で今回のヘリコプター・マネーは、公明党の選挙対策に自民党(財務省)が屈して行なわれるという経緯が見え見えだから、国民は「こんな政府にまかせたら税金はどう浪費されるかわからない」と恐れて、クーポンのぶんだけ現金支出を減らすだろう。これによって日本経済が回復するどころか国民の政治不信が増幅され、日本経済は収縮して、次の「失われた10年」に入ってゆくのではないか。」
という予想はおそらく当たるのではないだろうか。今の時点では権力の座にいるのは自民党であり、その自民党は自らの愚策が分かっていながら、選挙対策というエゴのためにその愚策を修正することが出来ないでいるからだ。
自民党はもはやそのエゴを克服することが全く期待できないだろう。国家全体の利益を考えて、本当に国民のための政治を行う能力がないと思う。その自民党を選挙で延命させるのは国民が猿のようにバカだということを証明してしまうことになるのではないだろうか。それだけは何とか避けたいものだと思う。
このように言うと、それでは民主党には期待できるのかという反論が聞こえてきそうだが、たとえ期待が薄いとしても、自民を選ばない方向という選択肢で考えると、それは民主を選ぶことしかないのではないかと思う。幸い、民主党は自らの政策を4年間のサイクルで考えているという。その4年間で実績が上がらなければ政権を去る覚悟でいるということだ。民主党は、今まで野党でいたことでエゴを克服する可能性を持つことが出来ている。自民党も下野することによってその可能性を模索するだろう。いつまでも政権に居続ける自民党にエゴを克服する期待は出来ない。政権交代こそが、エゴの克服という構造改革に何らかの期待を抱かせるものではないかと思う。