出来なかったときに、気付かなければいけないことがあります。
それは、出来なかったという事実の奥に潜む本質です。
出来っこないと初めから決めていたのは、他ならぬ自分自身であったということです。
初めから出来ないという結論を、やる前から決定していた自分が、そこにいました。
決定された思いはストレートにその方向に向かい、
出来ないという事実を創り上げていきます。
かたや、初めから出来ると決めて、事に臨む人がいます。
その人は、事を実現させるための言葉を口にして、
その言葉に沿った行動を取ります。
初めから諦めた人は、その事を実現するための言葉を口にすることはなく、
当然そのための行動も初めから封印して、
かすかな希望を、自分さえやればそれでいいとするところに置くのです。
可能性ゼロに、かすかな希望を置くことのはかなさに、後日強く後悔することになります。
自分がいま手にしている仲間や運を、決して過小評価してはなりません。
やってみなければ分からない!
これが、人生の真実だからです。
ですから、挑む以前の戦いで、自ら敗れてはならないのです。
挑む以前の戦い。
それは一体、何を指すのでしょう。
それこそが、イメージなのです。
イメージをどう超えていくか。
これこそが、真実の戦いです。
イメージが変更出来れば、運命を変更できます。
人生は紛れもなく、
精神の土壌で行うイメージの戦いだからです。
イメージで敗れれば、
その結末がひっくり返ることはありません。
出来ないのではないかというイメージを、
出来るというイメージに、どう変えていけるか。
ここに言葉を超えた、沈黙の戦いがあるのです。