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第一章
 寒くて、雨が冷たかった。
 竹塀が行儀良く並ぶ、狭い小路こみちに男が立っている。塀の途切れ目には提灯ちょうちんがその赤い顔を覗かせていた。石畳を打つ雨は流れ、折り目正しい並びに小さな河を作る。
 死臭がする。
 湿気が肌にうっとうしく絡む宵の更けだった。この下町に起きている異変に気付く者は、まだいない。
 男は牧師風の装いを纏っていた。細く息を漏らすと白く煙る。目下には死骸。力なく手足を投げ出した、首と胴が離れた女子高生のそれ。流れる朱色は粘りつく血脂の余熱を鼻腔に届かせた。
 枯木色の竹塀から頭半分だけ見せている柳の樹が蕭々《しょうしょう》と囁く。指の先から感覚を奪う寒気だけが通り過ぎていった。

 大通りから、誰かが歩いてくる。雨の降るなかにローファーの軽い靴音が妙に響く。男がそちらに眼をやると、首から上は白い傘で隠されている一人の女がいた。紺色の膝丈スカート、同色のブレザー。ちょうど、男の足元に倒れている屍骸と同じ格好。
 稲光が少女に陰影をつける。次いで雷音が小路を駆け抜けた。しめやかに彼女が放つのは、魔除けの文言。
「くわばら、くわばら」
 傘の下から覗かせた顔には、凛とした涼やかな眼光を宿す双眸がある。武芸を嗜む者特有のきよげな佇まいからは身を引き締める清廉な気帛が放たれていた。
 まるで自然体。このような凄惨極まる光景を見ても顔に恐れや戸惑いの色がないというのは、この牧師には素直に頷けるものではないようだった。
 今まで手にかけてきた少女達とはどこか、しかし明確な違いを感じさせる――美貌の少女。
「こんな夜に犯行か。精が出るな、殺人鬼」
 後頭部の低い位置で束ねた一条縛りを揺らして、少女が歩を進める。男は首を刎ねた女子高生の遺体をどう処理するかというところで発見され、あと一歩遅かった自らの詰めの悪さに舌打ちを禁じ得なかった。
 鬱々とした声が、自然と口をついて出る。
「誰だ、お前は。〈魔女〉か?」
 少女、僅かに口角を吊り上げるのが見える。返ってくる声は通りの良いはっきりとしたものだ。
「いいや、私はお前達の言うそれ――災いを呼ぶナントカじゃあ、ない。普段は探偵まがいの事をやってる。まあ、そんな事はどうでもいいじゃないか」
 少女が右手の指で示した先にあるのは、男を通り過ぎた先の遺体。
「その子が最後に抱いた遺言ゆいごんを回収させてもらう。お前は無慈悲に、容赦なくその命を奪った。彼女には夢があったかも知れないのにな。大切な人に伝えていない想いがあったかも知れない。恋人が、友達が、兄妹がまだ帰りを待っているかも知れない――私はそうして言葉にされなかった想いを回収する、伝言屋さ」
 ただ、と続ける。言葉の割りにこの少女、徐々に殺気を放ち始めている。
 伝言屋とは、名ばかりではないのか。男にその疑いが生まれるのも、不思議ではない。
「まあ、その前にやる事もある――殺人鬼。このまま逃げられるとは、まさか思っていないよな?」
 男の眼が細まる。この犯人、牧師然としたカソックを纏っていながら、表情は感情を殺した冷酷なそれだった。少し前傾になり、冷静の中に殺意を覗かせる面でもって少女を睨む。
 牧師が殺人を犯したというのは、神に使える者として信仰の冒涜でさえあろう。一体何が彼をそうさせたのかは解らないが、およそ尋常でない様子だけは肌で感じられた。
 少女は想う。この男もまた、心のしじまに怪異を宿してしまった者の一人だと。
 それは彼女が見据える男の右手――その甲に薄らと、彼女にしか視えない一つの文字が示していた。
 ゴスペル・ワード。
 常識から非常識に傾いた者が持つ、対価を払って異能を発揮する一つの形象だ。

「それは、お前の方だ。見られたからには」
 氷柱のような殺意。襲いかかる気配を浴びせられながらも、少女は怖気づく様子を一片たりとも見せない。
 気負いもせず物憂げな溜息をつく。どこか諦観を滲ませる退廃がある。
「こういう仕事をしていると、自衛について造詣が深くなる。とりわけ私のように〈怪異〉に携わる立場だと、お前のような異能者を相手にする事も多い。先に言っておくが、私は少し乱暴だぞ」
 少女が傘を上に投げる。それが合図となった。
 前傾よりも更に低い、地を這うような姿勢で駆け出した少女の体は弾丸じみた速度で牧師に迫る。一気に距離を潰して肉迫すると、スカート下、右の腿に備えていたナイフを取り出して――
 急停止。目前を不可視の刃が右から左へと駆け抜けた。牧師の持つ技、異能という超常現象だ。
 咄嗟にそうと認め、少女の眼が赤く変色する。煌々と尾を引く紅色の瞳は霊障によって変化したもの。他者のそれを認められるのも、同じ性質を持つが故である。彼女はこれを用いて事象の解読を行い、正体を暴くのだ。
 その眼が視たところ、牧師のそれは切断を具現する異能に違いないようだ。切れ味については遺体の首からも推察出来た。骨や血管がしっかりと確認出来る綺麗な断面。
 互いの距離、およそ三メートル。牧師は眼光鋭く睨みつけてくる。少女は再び異能が駆使される気配を感じ取った。
 飛来する不可視の刃。本来どこから襲ってくるのか解らないであろうそれを、どういう理屈か彼女は間一髪のところで屈み、避けた。頭上を水平にひた走る刃筋のゆらめきを、刺すような眼で見据えている。
 瞠目しながらも男は更に追撃を重ねた。だがそのいずれも少女を傷つけるには至らない。
 左の頭上から、ぎらつくような殺意の乗った軌跡が弧を描いて迫る。最低限、僅かに首を逸らすと風切り音が肌を撫でていった。尚も繰り返される異能の活断、その一切を届かせない。
 おかしい、と牧師が感じたのはとうに遅かった。
「何故だ!」
 納得が行かないのだろう、腕を振り続ける男の顔には憤怒の色がある。しかし涼しい表情を崩さない彼女は、宵闇に赤い双眸を爛々と輝かせて。
 至極当然のように、迫る刃へとナイフをぶつけてみせた。
 これまたどういう訳か、異能の刃が音もなく砕かれる。しかれども少女のナイフは健在で、鈍い銀色が提灯の赤い光を照り返す。
 ぞぶり、とそれは男の右肩を穿ち、肉の感触を直に伝えてくる。少女の腰まである一条縛りが大きく靡いた。
 低く呻き、密着している今ならと渾身の異能を放とうとするものの、突き刺さったナイフを捻られ、激痛に意識が冒される――不発。だが力なら、と足掻いて、少女の右手首を掴む。竹塀に押し付けた。
 牧師には解らない。何故こうも圧倒されるのか。どうして不可視の異能を見切れたのか。何が、敗因だったのかも。
 まるで悪夢。
「――最後に言い遺す、言葉はあるか?」
 無為に、無情にも、無慈悲なまでに。
 空いた左手。少女が隠し持っていた二本目のナイフが、男の脇腹へと突き入れられた。
 苦悶に喘ぎ、くずおれた男の首へと止めを振り上げる。少女の心中は最後まで空疎だった。


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