何のため?
戦い方を知る!
勝負の要諦は、知識よりもこの発想にあります。
ですから、人生とは知識の勝負と言うよりは、戦い方の勝負にあることを知らなくてはなりません。
成功者はみな例外なく、その時々の戦い方を心得ています。
パッと状況状況の空気と流れを読んで、そのときを乗り切るというより、とにかく先へ、とにかく次へつなぐための空気を新たに創り出そうとするのです。
戦い方の基本は、次の展望が開けているかという視点を持つことにあります。
ですからうまくいっている人の発想と行動は、そのときのその立ち居振舞いのほとんどが、次につなげるための空気創りなのです。
空気とは、その人の全身から醸し出される意識の投影です。
言葉を超えて人にインパクトを与えるものは、紛れもなくその人からほとばしる空気感なのです。
空気は意識の投影!
不快感を人に与える人は、その意識がいつも独りよがりだからです。
その意識が幼稚であるか、高慢だからです。
成功のエンジンとなるもの。
それが意識です。
意識を育てましょう。
そのためには、言葉を磨くことです。
思考するなかで、決して言葉を省略してはなりません。
丁寧に、自らに問いを発するのです。
その問いとは、いつも一つの真理から発せられます。
それは・・・
「何のため?」
このたった一つの問いかけこそが、自らの心に真実の動機を呼び醒まし、そしてそこに次の展望を開く戦い方の基本を、知らず知らずのうちに会得させる力となるからです。
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トライアル&エラー
そんなことにいつまでも引っ掛かっていて、どうするのですか?
やることをやれば、心配してもしなくても結果は同じと割り切りましょう。
そう割り切れれば、引っ掛かからなくてはいけないところは、やるべきことをやったのかどうかということだけになります。
余計なことを心配して、些細なことにいちいち引っ掛かっていると、そのときやるべきことが見えなくなります。
やるべきことが、見えているか!
まずここが、視点の置き処です。
いちいち引っ掛かってどうでもよいことに悩むのは、やるべきことが見えていないからです。
迷ったときは、自分という人間を成立させている根源に迫りましょう。
為さねばならぬことを見分ける本質が、そこにあるからです。
違う言い方をすれば、それ以外のことはどうでもよいことです。
それを「余事」と言います。
余事に振り回されてはいけません。
余事をどれだけ完璧にこなしても、そのことで人生は進展しないからです。
常に、自分自身に問いかけ続けなければならないことがあります。
それは、「今は何を為すべきときなのか!」という一点です。
その問いかけは、自らを成り立たせている本質をさらに強固に建設していくために、必須の意識をあぶり出していきます。
迷ったときは、今、為さねばならないことだけを考える!
それ以外は全て余事!
全て、余事です。
余事に心を囚われれば、それはそのまま心の乱れとなって、取るに足らざる人間に振り回され続けることになります。
そうした人間にぐるぐる振り回されて、人生を達成した人は一人もいません。
成功の入り口が、ここにあります。
どうでもよい人に、いちいち影響されてはいけません。
我が道を、しっかりと歩むのです。
その道程は、試行錯誤です。
そんなのは、当たり前の話です。
何故ならば、初めから完成形の人生などあり得ないからです。
完璧に進もうなどと、夢考えてはいけません。
トライアル&エラー。
これが人生だからです。
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偽りの前提
いくら思っていても、いくら考えていても、動かなければ何も起こりません。
足を一歩前に踏み出す!
今のその状況の打開策は、まさに自分の足を一歩踏み出すという行動のなかにしかありません。
そうと分かっていながら、何故その一歩を踏み出すことができないのでしょう。
それは、恐れです。
その一歩を踏み出すことによって、何かを失うことを恐れているのです。
では、具体的に失うものとは、一体何なのでしょう。
答えは、この問いかけ自体にあります。
それは、この問いかけ自体が、前提として正しくないということです。
人は問いかけによって、自らの方向性を決めて、自らを方向づけていきます。
ですから、その問いかけを前提で間違えたとき、自らの方向づけも間違うのです。
動けば、何かを失う!
行動の足かせとなるこの前提を、一気に払拭しなければなりません。
その答えは、自分を冷静かつ客観的に見つめる態度にあります。
こうした態度は、能力と呼べます。
この能力が導き出す、自分を動かしていく解は、もともと今の自分に失うものなど何もないと気がつくことです。
失うものなど何もないのに、何かを失うと初めから思い込んでいるのです。
そして、その思い込みを行動しようとする際の無条件の前提として、全てに当てはめるのです。
これほど愚かな行為はありません。
人は自らを解き放ったときに、思いもよらない力を発揮します。
自らを解放する鍵は、信じたこの道を歩むと決めきれば、失うものなど何もないと気がつくことにあります。
偽りの前提に、たぶらかされてはなりません。
恐れを超える最大のヒントが、偽りの前提を払拭することにあるからです。
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シフトチェンジ
原因が分かっていれば、それでオーケーです。
どうしたらうまくいくかより、うまくいかない原因は何かと考えることの方が、はるかに効果性は高まります。
自らのうちにある根本的な敗因を、客観的に知りましょう。
それは恐らく、考え方のクセにあります。
性格は変わりませんが、考え方のクセを変えることは可能です。
ですから、自分の今現在の考え方のクセを明確に知ったうえで、それを勝つための原因に変えていくのです。
脳を良い方向に騙しましょう!
そのためには、力のある言葉を持つことです。
力ある言葉は、魂を揺り動かしていくからです。
よくよく考えてみれば、人は言葉で思考して行動を決定していきます。
脳のなかで、どのような言葉を浮かべ、そしてその言葉にいかにリアルに反応していくかで、それから取る行動が決定されていくのです。
それは、言葉こそが遺伝子となって、我が人生の配列を決めていくということです。
言葉の持つ力を、侮ってはいけません。
現に愚かな者は、愚かな言葉をしゃべり、軽い者はその言葉もまた軽く上滑りしています。
命を稼働させる燃料は、ほとばしる情熱を掻き立てる言葉以外にはありません。
何があっても前向きに!
何があってもポジティブに!
我が道に立ちはだかる障壁は、乗り越えていかなければなりません。
ぼんやりした平和ボケ発想は捨てましょう!
何とかなるさと、思考を止めてはなりません。
何とかするのです。
諦めない限り、道は必ずあります。
今こそ、頭の回路を切り替えるのです。
人生はやったか、やらなかったかだけであることをちゃんと学べているならば、そこに迷いはないはずです。
弱気から強気へと、考え方のクセをシフトチェンジする!
強気のつまずきはあっても、弱気の成功は絶対にないからです。
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イーブン
人生を決めるものは何か。
それは、紛れもなく情報です。
情報は、目には見えません。
しかし、その目に見えないインフォメーションのなかに、次の局面を良くするか悪くするかの道標が確かにあります。
人間の究極のセンスとは、その局面局面において、どのような情報に響いていけるかにあるのではないかと思います。
命には、感度があります。
ですから、命の感度を上げましょう。
そのためには、時代を感じなければなりません。
時代が動いているときに、自らの不動の立ち位置をしっかりと再確認するのです。
人生は、時代が動いているときに動き、そこに新しい何かが現れて、次のステージへと自らを導く展開が始まるからです。
いつの時代にも、必ずチャンスがあります。
まずそこをしっかりと、我が腑に落としましょう。
その上で重要なことは、何としても生き延びると腹を決めることです。
生き残りをかけた戦いを、好むと好まざるとに関わらず、覚悟しなければならない時代に入りました。
問われるのは、知恵と度胸です。
いつの時代も、人生には必ず光と影があります。
それは光だけでは光たりえず、影だけでは影たりえないということです。
光と影はイーブンです。
その意味は、闇があればその闇の分量だけ光があるということです。
言い換えれば、ピンチの分だけ、同量のチャンスがあります。
「谷深ければ、山高し」という言葉があります。
闇が深ければ深いほど、そこを抜けたときの光は強く明るいのです。
今こそ、突き抜ける勇気と覇気を持ちましょう。
知恵と度胸を駆使して、信じて頑張るのです。
私たちは、生かされています。
どう喜ぼうが、落ち込もうが、死ぬときには死にます。
ということは、死ぬときまでは死なないということでもあります。
試されるのは、いつも知恵と度胸と自分を信じる力であることを忘れてはなりません。
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イメージで負けない
出来なかったときに、気付かなければいけないことがあります。
それは、出来なかったという事実の奥に潜む本質です。
出来っこないと初めから決めていたのは、他ならぬ自分自身であったということです。
初めから出来ないという結論を、やる前から決定していた自分が、そこにいました。
決定された思いはストレートにその方向に向かい、出来ないという事実を創り上げていきます。
かたや、初めから出来ると決めて、事に臨む人がいます。
その人は、事を実現させるための言葉を口にして、その言葉に沿った行動を取ります。
初めから諦めた人は、その事を実現するための言葉を口にすることはなく、当然そのための行動も初めから封印して、かすかな希望を、自分さえやればそれでいいとするところに置くのです。
可能性ゼロに、かすかな希望を置くことのはかなさに、後日強く後悔することになります。
自分がいま手にしている仲間や運を、決して過小評価してはなりません。
やってみなければ分からない!
これが、人生の真実だからです。
ですから、挑む以前の戦いで、自ら敗れてはならないのです。
挑む以前の戦い。
それは一体、何を指すのでしょう。
それこそが、イメージなのです。
イメージをどう超えていくか。
これこそが、真実の戦いです。
イメージが変更出来れば、運命を変更できます。
人生は紛れもなく、精神の土壌で行うイメージの戦いだからです。
イメージで敗れれば、その結末がひっくり返ることはありません。
出来ないのではないかというイメージを、出来るというイメージに、どう変えていけるか。
ここに言葉を超えた、沈黙の戦いがあるのです。
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心の導火線
人生は暇に生きたか、エキサイティングに生きたかの、二者択一です。
どちらがナイスな生き方なのかは、言わなくても決まっています。
エキサイティングに生きようとするのなら、忘れてはならないことがあります。
それは、絶えず進化しようとの思いを捨てないことです。
進化と変化は違います。
似ているようで、全くの異なる領域です。
例えれば、飛行機の空を飛ぶ高度のようなものです。
高度を変えずに、空を飛び進むことが変化です。
進化とは、高度をさらに高く上げて飛び進むことを意味します。
それを私たちに置き換えれば、生きる目線を上げるということです。
それは今の自分の位置から、さらに高みを目指すという姿勢を持つことです。
生きる目線を上げるとは、生きる姿勢をより高く維持することを意味します。
プロとアマチュアの違いは、一にその姿勢にあります。
姿勢は、より高みにいる人と自分との差をはっきりと認識して初めて変わっていきます。
それでは、そうしたはっきりとした差の認識は、何によってもたらされるのでしょうか。
それは、「衝撃」です。
人は、衝撃的な何かを直に目撃したときに変わるからです。
そして、その衝撃的な何かを我が物としていこうと、自らに鍛練を課したときから進化し始めるのです。
真に前進したければ、自分よりも進化した人を素直に見て、心に圧倒的な衝撃を受けなければなりません。
進化とは、人から衝撃を受けて火が付く「心の導火線」のようなものだからです。
この導火線を、湿らせてはなりません。
そのために、関わる人を間違えてはなりません。
何を言っても聞いても冷めている人を、分からせようとする焦りは禁物です。
心の導火線が湿っている人に、何を言ってもやっても、そこに火が付くことはないからです。
まず、自分自身の心の導火線に火を付けましょう。
心に衝撃を受けた数こそが、進化の証であることを忘れてはなりません。
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限りある命
起きてしまったことは、仕方がありません。
正面からそのことを見据えて、どうその問題を突破していくのかだけを真剣に考えましょう。
常に考える!
行動しながら、考える!
この姿勢が大切です。
そして、いつも意識しなければいけないこと。
それは、リーダーたる者の一念です。
まず自分の発想が、リーダーたる者としての発想になっているか。
打って出ること以外に道はないことを理解しているか。
真剣に考え抜いて動ききれば、必ず起死回生が起きることを信じているか。
人は、確信に付いていきます。
確信なきリーダーに、人が集まることはありません。
余計なノイズを振り払って、吹っ切れて動ききりましょう。
後退すれば、そこにあるものは痛烈な後悔です。
前進は生、後退は死と心しましょう。
限りある命です。
使うべきところで使わずして、何のための人生か。
こう思いきって、性根を据えて、やるべきことをやりきりましょう。
人生のエンドは、予想もしないときにいきなりやって来ます。
ゲームは始まっているのです。
一目散にゴール目指して走り、シュートを放つのです。
我が一念を、どこに定めるか!
不安か、恐れか、それとも挑戦か。
今、自らに起きていることを、真正面から見つめましょう。
そこからしか道は拓けないと、腹を決めましょう。
戦う気持ちを創って、そこに一念を定めて打って出る以外に、状況打開の道はあり得ないのです。
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チャンスの重み
どれだけ才能があっても、チャンスに巡り合うことができなければ、その才能が花開くことはありません。
人生をものにすることができるかどうかは、才能があるかないかの問題ではありません。
チャンスに、巡り合うことができたかどうか。
この一点にあります。
しかし、ここで一つ、しっかりと分かっておかなくてはならないことがあります。
それは、チャンスは待っていても、向こうから勝手にやって来ないということです。
チャンスは、こちらが求めて初めて振り向くからです。
しかし、振り向くだけで、決して向こうからこちらに近づいて来ることはありません。
少し離れたところから、ただじっと見ているだけです。
それではチャンスは、こちらの何を見ているのでしょう。
それは、心のバーです。
こちらの心のバーが、どれ位の高さなのかを見ているのです。
それは、今の高さだけを見ているのではありません。
未来への、「伸びしろ」を見ているのです。
今、心のバーが低いことを、どうのこうのと問題にしているのではありません。
未来へ向けて、そのバーを上げ続けようとしているのかどうかだけを見ているのです。
心のバーを上げ続ける!
この意識が、チャンスを引き寄せます。
そのためには今の現状をありのままに受け入れて、様々な問題の根本的な原因が、心のバーの低さにあることを認めなくてはいけません。
目には見えない心のバーの低さが、生活全般のレベルを落としてきた理由であることを知らなければ、チャンスは見向きもしないからです。
心のバーを上げましょう。
そのためには、誰とつながっているのかを、しっかりと考え直さなくてはなりません。
人生は、誰から影響を受けるかではありません。
誰とつながっているかです。
一時的な影響を誰かから受けても、それは心のバーを上げ続けるインパクトにはなりません。
一時的な影響よりも、つながりなのです。
人生を根本的に変えるもの。
それは、つながることから生まれる絆以外にはありません。
チャンスは、人と人とのつながりから生まれる「運」であることを忘れてはなりません。
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本気の向こう側
逆境のなかで、人生があなたの本気を試しています。
「本気でやりたいのかどうか」。
問われているのはその一点です。
目指す者にしか、逆境が訪れることはありません。
逆境が教えるものはただ一つ。
それは、自分自身の本気度合いを見つめ直すこと。
本気で立ち向かっていないから、活路が拓けてこない。
ここが原点です。
私たちが逆境から学ぶこと。
それは、本気の向こう側にある風景を見ようとすることの大切さです。
逆境は、それを気付かせるために、あなたの前に現れたのです。
やる気と本気は違います。
いくらやる気のスイッチを入れたところで、それだけで逆境は突破できません。
何故ならば、やる気は所詮、気分だからです。
気まぐれな気分で、やったりやらなかったりの繰り返しが、壁を突破する力になることはありません。
本気でなくては、壁は突破できないのです。
やる気は漠然と頑張ることであり、本気は具体的に目指すことを意味します。
漠然と頑張っても、風が吹くことはありません。
しかし、具体的に目指せば風が吹き始めます。
本気の向こう側にある風景。
そこには、不可能を可能にする風が吹いています。
今、自分は本気で取り組もうとしているのか。
勝敗を分けるラインが、この一線にあります。
本気の行動は、本気の出会いを生みます。
そして、その出会いが道を拓くのです。
本気の向こう側には、風景があります。
その風景を見つけたときこそが、自分が変わる瞬間なのです。
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いずれ何かを
人が変わるときは、ある日突然です。
意志とイメージの力が、ある日突然、人を変えるのです。
意志とイメージの力が、胸の奥に眠っていた情熱を呼び醒ますからです。
大切なことは、呼び醒まされた情熱を持続させることが出来るかどうか。
ここが、物事を成し遂げるポイントです。
胸の内側からほとばしるような情熱が、自分がこれから取ろうとする行動の中心に流れているか。
この感覚こそが、何事かを成し遂げるための行動を支える心臓部となります。
情熱なき行動が、人を動かすことはありません。
人は不思議なもので、その人が言ってる言葉や直接的な行動よりも、その背後にある気配を感じて、自分の取る行動を決定していきます。
この人が何を言っているのかはよく分からないけれど、何かこの人について行ったら大丈夫なんじゃないか。
何故か、この人のことが気になる。
こうしたことは、全てその人の中心に流れている情熱が気配となって伝わっているからです。
熱くたぎる情熱を抱ける人は、いずれ何かをやり遂げる人です。
そうした情熱は目には見えませんが、それを甘く見てはいけません。
何事かを成し遂げる人とそうでない人との差は、それを1日というスパンで眺めれば、その差はごくごく微少です。
しかし、その微細な差を、ほとばしる情熱で積み上げた人には奇跡が起こります。
その奇跡を起こしてくれるものこそが、情熱を気配として感じた人たちなのです。
熱い思いを内包した気配が情報を運ぶとき、それは人を揺り動かす力を持ちます。
心の奥底に、決して消えることのない熔鉱炉を持ちましょう。
その熔鉱炉こそがあらゆる難局を溶かして、それを前進のための気配に変え、人を揺り動かしていく力を創る源泉となるからです。
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立ち上がる
周りの、「何となくやる気がしない」という空気に飲まれてはいけません。
悲しみは悲しみとして、やる気をカタチに変えていくところに、次の飛躍があるからです。
非常事態とは、常に非(あら)ざる事態です。
それは、いつか常に戻らなくてはなりません。
2週間経った今、動ける者が気分的なものでやる気を削がれていることは、決して被災された方々への共感とはなりません。
やれる状況にある者から、立ち上がる!
やる気という空気を、自ら創るのです。
周りの何となくそんな気になれないという空気に、戦いを挑みましょう。
そうした空気を知ったうえで、戦うのです。
周りのやれない空気を認めて、戦う前から白旗を揚げてはなりません。
やると決めて、心眼を凝らせば、必ず突破口があります。
例えそれが独りの戦いであっても、そうであるが故に燃えることが出来るのだと思えるか。
ここが、事の成否を分ける勝負処です。
成功者は、少数派です。
皆が空気を創れないときに、やる気の空気を創ろうとする人が、成功の道を歩める人なのです。
本当の敵は、周りの空気ではありません。
自分自身の決意の甘さであり、弱さなのです。
敵は我れにあり、です。
弱い自分の気持ちに打ち勝ちましょう。
精神一到、何事か成らざらん。
最後は気持ちの問題であり、決意の深さの問題であることを忘れてはなりません。
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