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豊翔のブログ



捨て身

人生の宝は、逆説のなかに潜む真実に巡り合うことで得ることができます。

人生の逆説。

それは一体、何を指すのでしょうか。

それは、ある種の「諦観」にあります。

よく岐路に立ったとき、「腹を決める!」という言葉が使われます。

腹を決める!

この言葉が意味するものは、一体何なのでしょうか。

それは、結果が吉と出ようが凶と出ようが、そんなことには囚われずに私は行く、といった感覚です。

実は、結果がどうあれ私は行くという解釈こそが、人間の取る行動に力を与えるのです。

人生を展開させるものは、断固とした態度以外にはありません。

断固とした態度の基底部にあるものこそが、健全な人生の諦観なのです。

人生には、行かなければならない時があります。

その時こそが、そうそう巡り合うことのできない真実の瞬間となるからです。

あなたが、あなたであることを証明できる真実の瞬間。

ここを逃げて、真の人生を歩むことはできません。

その瞬間に直面して、細かい結果をいちいち気にしているようでは、到底次の展望など開けてはこないからです。

そうしたことが分かりかけてきた時、あなたの心を押す人生の逆説に巡り合うことができます。

「人生はなるようにしかならない」

「心配してもしなくても、結果は収まるところに収まるようにできている」

こうした感覚が、あなたに今の一歩を進める勇気を与えます。

勇気を得たあなたがたどり着く境地。

それは・・・

「よし、死ぬ気でやってやる」

これです。

死ぬ気とは、結果を気にせず「捨て身」で戦うということです。

敢えて大袈裟な表現をすれば、「自分から死にに行く」ということです。

この境地に、人生の逆説に秘された宝があります。

いいですか?

ここから先は、心して読んでください。

人間というものは死ぬ気になったとき、言い換えれば命を捨てにいこうと決めた時に、何故か生きる力が湧いてくる生き物であるということを。

ここに、決断することの本質的な意味があります。

即ち、決断とは捨てることにあったのです。

ですから、ごちゃごちゃといつまでもどうでもよい小さなことに囚われていないで、薄っぺらで表面的なポジティブ思考に影響されることなく、我が身の奥にある本質的な力に目を向けてみましょう。


そこにある人生の逆説こそが、あなたに真の生きる力を呼び覚ましてくれるからです。



両極

まず、思いから1日をスタートさせましょう。

ややこしい手続きから、発想のスタートを切ってはいけません。

始まりは望洋と考えた方がよいのです。

奇跡はいつも、不可能という出発点から始まります。

物事に絶対はありませんが、絶対を信じない者に成功が訪れることはありません。

今のままの自分じゃダメ!

変わらなくてはダメ!

こう自覚出来た人が、サクセスの具体的な一歩を踏み出すことが出来るのです。

では、具体的な一歩を踏み出しさえすれば、順風満帆の旅が出来るのでしょうか?

答えは、残念ながらNOです。

あなたの決意が強ければ強いほど、宇宙はあなたに試しの時を与えます。

しかし、それは神秘的な理由からではありません。

きわめて当たり前の理由からです。

飛行機が空を飛べるのは、抵抗があるからです。

抵抗がなかったら飛ぶことは出来ません。

鳥も空を飛ぶことは出来ないでしょう。

同じく、抵抗がなければ、魚は泳げず、人も歩くことは出来ません。

エンジンの回転が早まると、飛行機の勢いが増してきます。

すると飛行機を支える抵抗も、より大きなものとなります。

そうして抵抗が増すことによって、勢いが増せば増すほど、飛行機はより高く飛ぶことが出来るのです。

決断が意味するものは、

「抵抗との遭遇」

であることを、受け入れましょう。

あなたが真に決断すれば、あなたは必ず抵抗に遭います。

あなたの決断した行動そのものが抵抗を作るのです。

それは何故でしょうか?

先ほどの飛行機と同じです。

あなたを作り上げるあなたの行動も、それを支える反作用を必要としているからです。

抵抗はマイナスの極であり、行動はプラスの極なのです。

そして、あなたが成長するためには、その両極が必要なのです。

私たちが高い目標を達成するためには、勢いを得て、それを持続しなくてはなりません。

勢いを得るとは、より強い抵抗に遭遇することです。

逆説的に理解すれば、抵抗が現れて来たら、勢いを得るチャンスとも言えるのです。

故に抵抗と遭遇した時は、心に不敵な笑みを浮かべて、凛として対峙するのです。

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魂のアドレス

決断とは、迷わないことです。

真実と向き合うことが出来れば、迷うことはありません。

進むのか、進まないのか。

前進か、撤退か。

「戦(いくさ)で迷うは、命取り」

武門の習いとされる考え方です。

進むも引くも、その動機は同じでなくてはなりません。

屈(かが)むのは、天に向けて飛び上がるため。

一歩引くのは、勢いよく飛び出すためです。

進むも引くもその動機は、勝利への明確なビジョンに裏打ちされていることが重要なのです。

事に直面して迷った時は、決断力の棚卸しをしましょう。

迷ったり、悩んだりするのは、決断力が落ちてきているからです。

進むか引くかで迷うのは、あなたの基本的な態度が揺らいでいるからです。

何があっても、魂の眼(まなこ)を曇らせてはいけません。

目指す一点から、目を背けてはいけません。

逃げたら終わり。

いつまで迷っていても、あなたの未来が開けてくることなどないのです。

決断とは、迷わないことです。

迷った時はGO!

魂のアドレスがここに戻れていれば、少々つまづいても大丈夫です。

要は、あなたの魂の眼がどこを向いているか。


全ては、ここだけの問題なのです。



姿勢

「見ているのは、舞いの上手い下手ではない。やる気を見ている。本気度合いを見ている」

舞妓を育てる師匠の言葉です。

ちゃんとやっていれば、舞いの技術はやがて上がってきます。

大切なことは、ちゃんとやろうとしているかどうか。

この姿勢にあります。

成功した人は、その道の技術を会得したから成功したのではありません。

成功者の姿勢になったから、成功したのです。

二流は、技術さえ上がれば成功出来ると思っています。

実は、そこに落とし穴があります。

技術だけを会得しようとするから、本物の色あせない技が身に付かないのです。

一流には、心があります。

その心が技術を通して表れてきて、人の心を打つのです。

全ての始まりは、あなたの姿勢から。

ここを忘れてはなりません。

人生は、その道の一流を目指す中にあります。

二流では届きません。

技術を習得しながら、人生と向き合う。

そこにひたむきな姿勢が出来上がってきます。

結果が出ようが出まいが、成功者の持つ姿勢に近付くことを目指しましょう。


何故ならば、本気度合いとはその全てが、あなたの姿勢に表れてくるからです。



真の才能

幸せになりたければ、本気でそう思わなければなりません。

本気で幸せになろうとするなら、実際の行動で努力しなければなりません。

何も努力しないでボーッとしているくせに、人を見て「いいな、ああなりたいな」と人を羨む人生。

人生に禍根を残す生き方の典型が、ここにあります。

本気で幸せを求めようとする態度は、その人の才能に火を付けます。

何故ならば、幸せになろうとすることは、自分自身を見つめ直し、他人の道ではなく、自分が歩むべき道を行くと決意することだからです。

他人を見て羨むのは、自分自身の過去の歴史と未来の可能性の否定です。

他人を見て慌てたり焦ったりするのは、自分が歩むべき道を歩いていない証拠。

心が、只今この時に定まっていないのです。

幸せへの第一歩は、心を只今この時に定めることからしか始まりません。

心を定めるから、今やるべき事が見えてくるのです。

その為に、自分と向き合い、自分の使命とは一体何なのかを考えてみましょう。

真の目標は、使命感から発信された閃きの中にあります。

次元の低い生き方が身に付いてしまった人の辞書に、使命感という文字はありません。

いつも、自分オンリーだからです。

人生を変えるもの。

それは、真実の情報です。

しかし、何故その情報が人生を変えるほど素晴らしいのかを、自分の為だけのこととして理解している限り、その情報が本来持っている力を開花させることは出来ません。

何が言いたいのかと言えば、この情報は相手が喜ぶ情報なのだという、自分のことではなく、相手のことを思う気持ちによって、その情報が花開くと言っているのです。

使命感と目標。

ここに、あなたの能力を最大限に引き出す鍵があります。

幸せへの第一歩は、あなたの才能に火を付ける第一歩です。


真の才能は、他者を思いやる温かい気持ちに裏打ちされた、使命感と目標に宿ることを忘れてはなりません。



何のため?

目標が、あなたの敵となることがあります。

あなたが、その目標を越えることが出来なければ。

しかし、あなたが目標を越えることが出来れば、その目標はあなたの味方となり財産となります。

目標を、敵に回してはいけません。

目標は、我が財産とするべきものだからです。

「人生は、一に目標設定能力にかかっている」

このように言い切っても構わないと感じます。

自らの心に高い目標を掲げて前進しようとする時、人はその心に熔鉱炉を持つことが出来ます。

熱くたぎる心の熔鉱炉で、如何なる困難をも溶かして、折れることのない鋼(はがね)の如き意志を醸成することが出来るのです。

その鋼の意志が目標を越えていく原動力となって、人を高見へと押し上げていくことになります。

その原点となる能力。

それが、目標設定能力です。

目標設定に、根拠など必要ありません。

必要なのは、イメージを書き換える力です。

イメージを書き換える力は、あなたのテンションの高さにかかっています。

テンションを高める為には、あなたを引っ張り上げてくれる人に、何があっても付き切っていこうという固い決意が必要です。

真の成功者に共通するものは、「何の為?」という問い掛けが、常に行動の底辺にあるということです。

この問い掛けこそが、目標と手段をリンクさせていきます。

目標と手段がリンクして、あなたの想像力の限界を書き換えてゆくのです。

目標を設定する時が、スタートラインに立つ時です。

その時に、考え方の基本があります。

それは・・・

「やってみなければ分からない!」

これです。

人生万般何事も、やってみなくては分からないのです。

ですから大事なことは、本気でやってみようと思えているかどうかだけなのです。

そうであるが故に、やってみたくなる、即ちあなたの魂がトキメクような目標が設定出来ているかどうか。

ここにかかっているのです。

目標設定というスタートラインで、魂が喜ばないレベルの目標を掲げれば、その人はもうそれだけで宇宙から見放されています。

目標を設定するその時は、自分自身のイメージとの格闘の時であることを知りましょう。

そこで敗れれば、あなたの目標はあなたの敵に変わります。

そこで勝利すれば、あなたの目標はあなたの味方となり財産となって、あなたを目標へと近付ける力となるのです。


イメージする力をあなどってはいけません。

イメージを書き換えることを、甘く見てはいけません。


変更されたイメージが心トキメク目標を産み出し、その目標があなたを再生するからです。



前進の異名

自分が、本当にやりきった時の充実感。

人生で、これ以上の感動はありません。

楽しいことだけを続けていても、それだけで人生が実ることはありません。

人生は楽があって、苦があるからです。

この関係は表裏の関係であり、人生の本質です。

ですから、苦しまない人生などあり得ないし、苦しまなければ、そこに喜びもないのです。

苦しむといっても、苦しむ為に苦しむのではありません。

一つの目標に向かって、真剣に自分を追い込むということです。

追い込むとは、真剣にやるということ。

何でも、真剣にやると楽しくなってきます。

あなたのその目標に、真剣に心を傾けましょう。

一切の妥協を排して、一度ぐらい自分を追い込んでみるのです。

敢えて今を逆境と定義して、目指す一点だけを見据えて前に進む。

生きるとは、前進することの異名だからです。

ここで一つ、充実した人生を送る為に、知っておかなくてはいけない真実があります。

それは、人は決して頂点に立ち続けることはなくて、学び続ける存在であるということです。

学び続けるとは、前進し続けるということです。

真の偉大さは、その業績にあるのではなく、前向きに前進し続けようとする姿勢にあることを忘れてはなりません。

何があっても、前向きに前進することが、人として大切なことだからです。

逆境の中で前向きでいる為には、ユーモアを忘れてはいけません。

時にユーモアをたたえながら、苦しみの中をいく。


いにしえの勇者が辿った道を、明日への道しるべとして、弱い自分を鼓舞して前進するのです。


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『最初に乗り越える壁は囚われの我』

あなたは、一体何から逃げているのですか?

あなたは、一体何を守ろうとしているのですか?

あなたは、一体何を慌てているのですか?

あなたは、一体何に怯えているのですか?

あなたは、一体何を分かってもらいたいのですか?

あなたは、一体何に腹をたてているのですか?

あなたは、一体何が気になっているのですか?

あなたは、一体何に囚われているのですか?

幸せに生きる人が最初に乗り越えた壁は、「囚われの我」という壁です。

何故、いつもいつもちょっと何かをする度に、簡単に傷付くのでしょう?

もういい加減、あなたを嫌いな人に、自分を売り込むための努力はやめましょう。

人はあなたが断固とした態度を持ったとき、はじめてあなたを受け入れるのです。

人からどう思われているのか。

人からどう思われたいのか。

そうした人生の神経衰弱ゲームは、もうやめにしましょう。

ハッキリ言います。

世の中は、光と影の五分五分です。

ですから世の中は、ナイスが50%と、そうではない人が50%です。

有精卵50%と無精卵50%なのです。

賢者の最大の恥辱は、愚者に誉められることです。

今日は、更にハッキリ言います。

愚かな振る舞いを続ける人と一緒にいると、こちらの具合が悪くなってきます。

あなたがどれだけ成功しても、あなたを嫌いな人は、どこまでもあなたを悪く言うのです。

あなたを嫌う人を気にしたら、もう人生はそれだけで台無しなのです。

「囚われの我」を削ぎ落として、人生をシンプルなものにしましょう。

「囚われの我」を削ぎ落とす努力を続けることが、日々の雑事に流されずに、自分らしく生きる基本になるからです。



意識の底上げ

人の格は、何を当たり前としているかで決まります。

当たり前のレベルを上げる。

ここを意識することから、独りよがりではない真の成長が始まります。

プロ野球選手の悩みと草野球の愛好家の悩みが同じである訳がないように、真の自己実現を目指す人と、何の目的意識もなく毎日を何となく生きている人との間には、明確な差がなければ嘘なのです。

明確な差。

それは、意識の差を意味します。

人生のいっさいがっさいは、その全てが意識の差です。

何故ならば、あなたが手に入れたいものの全てを決めているものが、意識だからです。

収入は意識が決めます。

ライフスタイルも、家族関係も、健康も、仲間も何もかも、それら全ては意識が決めているのです。

意識とは、あなたの当たり前のレベルです。

言い換えれば、当たり前のレベルを上げるとは、最低のレベルを上げるということに通じます。

これより下はないという、最低レベルの水準を引っ張り上げることです。

低いレベルで生きて平気なことを続けていると、やがてあなたは「安物」になっていきます。

自らをディスカウントするような生き方をしてはなりません。

当たり前のレベルとは、あなたという一個の人格の値段です。

値引きしなければならないようなレベルで生きて、あなたの魂が喜ぶことなど決してないのです。

当たり前のレベルを上げましょう。

その為に、人と会うのです。

あなたを成長させてくれる人を求め、人と会う。


いつの世も、人は人からしか影響を受けないことを忘れてはなりません。



理由

何もやっていなのだから、何も結果が出るはずがない。

これがロジックであり、ものの筋道です。

あなたは、何かを本当に狙っていますか?

本当に、そこにたどり着きたいと思っていますか?

もしそうならば、何故そのことに関係することをやらないのですか。

そのことと関係ないことに追われて、どれだけ忙しがっていても、大事なことは何も起こらないのに。

前進したいのなら、動くことです。

あなたが狙う一点に的を絞って、ごちゃごちゃ余計なことを考えないで、ただやればいいのです。

やらなければ、何も始まらない。

人は何故、こんなに簡単なことを忘れてしまうのでしょう。

行動を先延ばしにしても、良いことは何も起こりません。

過去にしがみついていても、今がより良く変わることなど絶対にないのです。

停滞には理由があります。

それは、ただやっていないだけ。

あと、もう一つ。

ズレている。

この二つです。

さあ、動け、動け!


こう自分を鼓舞して、状況を一気に変えてしまいましょう。



心が止まったから

人生の不幸は、脳ミソを止めた瞬間から始まります。


思考を止めると、弱気の虫がムクムクと頭をもたげて来るからです。


世の中の大半の人たちは、安全な道を行こうとする安易な選択が、結局は茨(いばら)の道を歩むことになるとういうことの恐ろしさを、真に理解しようとはしません。


実は人生に、安全な道などありません。


あるのは賭けだけです。


無難な人生は、波乱の人生!


これが真実です。


人生の門に入る時は、直観という唯一無二の究極の力に、覚悟というスパイスを振りかけて進む以外にありません。


今、変わらなくては!


そう思った事が、宇宙という大いなる存在からの啓示です。


あなたは、本当はたどり着きたいのです。


でも、いつも何かが足りなかった。


その何かは、もう本当は、あなたには分かっていますよね。


その理由は簡単でした。


ほんの少しだけ、勇気と覚悟に欠けていたのです。


やった事で得る何かと、やった事で失うかもしれない代償を覚悟していなかったのです。


いいですか?


今から言うことを、心して聞いてください。


「人生は失うから進める!」


傷つくかもしれないから、成長出来るのです。


覚悟の川を渡りましょう。


いっそのこと、あなたが結果を出すまでは、世の中の全てが、あなたにとって逆境なのだと覚悟してしまいましましょう。


世の中は残念ながら、そのほとんどが現金なものと言わざるを得ません。


プロセスという覚悟の川を渡ろうとする、孤高の人の崇高なスピリットを、平均値という物差ししか持たない世の大半の人々は、そう簡単に理解しようとはしないからです。


しかし、そうは分かっていても、人は何故疲れてしまうのでしょう?


それは、身体が疲れたからではありません。


心が止まったから、疲れたのです。


心さえ前を向いていれば、本質的な疲労感はありません。


生きる基本は、とにかく前へ、前へ!

弱気は最大の敵であることを、肝に銘じて進みましょう。