人生の宝は、逆説のなかに潜む真実に巡り合うことで得ることができます。
人生の逆説。
それは一体、何を指すのでしょうか。
それは、ある種の「諦観」にあります。
よく岐路に立ったとき、「腹を決める!」という言葉が使われます。
腹を決める!
この言葉が意味するものは、一体何なのでしょうか。
それは、結果が吉と出ようが凶と出ようが、そんなことには囚われずに私は行く、といった感覚です。
実は、結果がどうあれ私は行くという解釈こそが、人間の取る行動に力を与えるのです。
人生を展開させるものは、断固とした態度以外にはありません。
断固とした態度の基底部にあるものこそが、健全な人生の諦観なのです。
人生には、行かなければならない時があります。
その時こそが、そうそう巡り合うことのできない真実の瞬間となるからです。
あなたが、あなたであることを証明できる真実の瞬間。
ここを逃げて、真の人生を歩むことはできません。
その瞬間に直面して、細かい結果をいちいち気にしているようでは、到底次の展望など開けてはこないからです。
そうしたことが分かりかけてきた時、あなたの心を押す人生の逆説に巡り合うことができます。
「人生はなるようにしかならない」
「心配してもしなくても、結果は収まるところに収まるようにできている」
こうした感覚が、あなたに今の一歩を進める勇気を与えます。
勇気を得たあなたがたどり着く境地。
それは・・・
「よし、死ぬ気でやってやる」
これです。
死ぬ気とは、結果を気にせず「捨て身」で戦うということです。
敢えて大袈裟な表現をすれば、「自分から死にに行く」ということです。
この境地に、人生の逆説に秘された宝があります。
いいですか?
ここから先は、心して読んでください。
人間というものは死ぬ気になったとき、言い換えれば命を捨てにいこうと決めた時に、何故か生きる力が湧いてくる生き物であるということを。
ここに、決断することの本質的な意味があります。
即ち、決断とは捨てることにあったのです。
ですから、ごちゃごちゃといつまでもどうでもよい小さなことに囚われていないで、薄っぺらで表面的なポジティブ思考に影響されることなく、我が身の奥にある本質的な力に目を向けてみましょう。
そこにある人生の逆説こそが、あなたに真の生きる力を呼び覚ましてくれるからです。