埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



出発点

何をそんなに心配しているのですか?

明日を気にする者に、明日はありません。

成功しない人、幸せになれない人に共通すること。

それは、覚悟の欠如です。

絶対に成功する。

何があっても幸せになる。

という覚悟に、決定的に欠けているのです。

成功も幸せも、リスクと背中合わせであることを理解しましょう。

ここは大事なポイントです。

楽な生き方に流されて、ゆとりを弛(ゆる)みと勘違いした人は、リスクを取ることを極度に嫌います。

一方で、高みを目指した人たちは、リスクに飛び込まなければサクセスはあり得ないことを、当然のこととして語ります。

伸びない人ほど、いつもささいなことに引っ掛かって、先のことを心配しています。

何故彼らは、いつもいつも心配ばかりして、悩んでも仕方のないことに振り回されて、自らテンションを落とすのでしょう。

それは、リスクに飛び込む勇気を忘れたからです。

勇気は、リスクに飛び込む中で試され、そして磨かれて、本物の胆力に変わります。

勇気が心にあれば、心配することはありません。

やがてその勇気が胆力に変わり、デンと構えて、時を待つことが出来るようになるからです。

起こってくる様々な障害も、ありのままに、あるがままに眺めることが出来れば、今の心配が杞憂(きゆう)に過ぎなかったことに気付きます。

リスクを取るなどと言うと、何かとんでもないことをするように感じるかもしれませんが、そんなことはありません。

現代のリスクテイクとは、他者からの批判を恐れないことです。

批判を恐れて無難な道を歩んでも、サクセスはありません。

ダーウィンは進化論の中で「強いものが生き残ったのではなく、変化に適応したものが生き残った」と述べていますが、これからの時代は、さらに一歩上をいかなければ生き残れない時代です。

変化に適応するという受け身ではなく、変化を自ら巻き起こしていくという、能動的な態度が必要な時代となったからです。

変化を巻き起こしていこうとする、革新的な気概で事に臨めば、無責任で気まぐれな他者は、そんなあなたを批判するでしょう。

しかし、そうしたことを恐れてはいけません。

そのポジショニングこそが、サクセス・ストーリーの出発点となるからです。

批判なき行動は、遊びと同じです。

恐れず、真っ向からリスクに立ち向かっていきましょう。

人生において、リスクを恐れて何もしないという生き方が、最大のリスクになることを忘れてはなりません。



やさしさ

人の心を打つ話。

人情や思いやりに溢れた話に触れたが最後、条件反射というか、速攻で涙が溢れ出てきてしまいます。

人は、一人では生きていけません。

温かい気持ちに包まれて、人は人として成長していけるのです。

優しさを持ちましょう。

人に対して、優しい眼差しを向けることが出来る人は強く豊かな人です。

強さの中の優しさ。

ここに、真の優しさと豊かさがあります。

ある時、こんな話を耳にして心に風が吹き抜けました。

「涙はストレス」

本当にそうでしょうか?

人それぞれの捉え方がありますから、それが良いとか悪いとかではありません。

ただ、私にはその響きに冷たさを覚えるです。

涙をストレスと捉えるのでは、あまりに心が貧弱です。

涙は心を洗う。

私は、こう捉えたいと思います。

目指せば目指すほど人生は過酷であり、傷付くことも山ほどあります。

自分という人間の未熟さや至らなさを突き付けられた時の衝撃は、その場から逃げ出したくなるほどの痛みとなります。

これだけ頑張っているのに結果が出ない。

性格の良い人ほど、些細なことにうちひしがれて、その全てを自分に返してしまいます。

心が張り裂けそうになるのは、その人が善人だからです。

どこか冷めていて、性格がデジタルな人には、心が痛む感覚は理解不能でしょう。

人が人知れず涙を流すのは、笑顔を取り戻す為です。

さめざめと泣くのは、心を洗って再出発する為の儀式なのです。

血も涙もある、人情味に溢れた人格を目指しましょう。

人は、そうした温かい心に包まれて蘇生するからです。

泣きたい時には、号泣すればいいのです。

心が震えるような感動をしたら、人目なんか憚(はばか)らないで、思い切り泣けばいいのです。

そんなあなたを見て、誰も笑ったりしませんから。


こんな目まぐるしい世の中だからこそ、遠慮なく感動の涙を流して、自らの心を洗って、そして会心の笑顔でお互いを包み合いましょう。



決断の欠如

“ぼくの前に道はない/ぼくの後に道はできる”


高村光太郎の詩の一節です。


自分の可能性を探る旅が、人生です。


それは、自分にとってはいつも未踏未開の旅です。

旅ですから、晴れの日も雨の日も曇りの日も、嵐の日もあります。


雨の日には、雨の中を。


風の日には、風の中を。


晴れの日に油断せず。


嵐の日に動じず。


そんな毅然とした人生の進み方を決意した、高村光太郎の思いが伝わってきます。


結局人生は、どこでどう腹を決めるかだけです。


起死回生を図るターニングポイントは、この一点にしか集約されないからです。


腹を決めれば、進むべき道が拓けてきます。


腹を決めると、進むべき道がはっきり見えてきます。


道が見えれば、人は見違えるようなパワーを発揮できます。


ですから、進むべき道が見えていれば、それでよいのです。


進むべき道が見えていれば、迷うことはありません。


迷いを「無明(むみょう)」と言います。


「無明」とは何か?


例えば、闇について多くの人は「闇は存在する」と漠然と考えています。


しかし、闇は光が当たると、その瞬間に消えて無くなります。


それは、闇がどこか別のところに移動した訳ではありません。


それはつまり、光が当たったらたちまち消滅するような存在である闇は、はじめから存在していなかったと考えることも出来るということです。


それは即ち、闇とは「光の欠如」ということであり、闇と呼ばれる「何か」が客観的に存在する訳ではありません。


それは、精神的な苦しみにも同じように言えます。


進むべき道をはっきりと見据えて、腹を決めた人だけが持つ英知の光によって、精神的な苦しみはたちどころに、その姿を消してしまうということです。


即ち、苦しみとは「決断の欠如」だったのです。


苦しみの多くは、迷いから出発しています。


そして、その苦しみは実体を伴って存在している訳ではありません。


そうした実体のない苦しみを、有ると考えることが「無明」なのです。


「無明」を瞬間に消滅させる光は、あなたが腹を決めた時に現れます。


無いものに怯えて、歩むべき道を自ら退いてはいけません。

あなたが潔く腹を決めて、進むべき道を歩き始めた時、あなたの心の奥深くに潜む、あなたの知らない英知の力が、あなたの無明を晴らして、あなたを目標に近づけるのです。



的外れの執着心

「志を実現する為には、覚悟が必要である」


明治維新の逸材を輩出した、吉田松蔭の言です。


覚悟とは、事に当たって動じない心をいいます。


ただひたすら目標だけを見つめる。


焦点は目標だけに合わせる。


起こってきた現象に、いちいち執着しない。


基本的な心の態度は、細かく囚われないということです。


囚われて執着する心は、必ず恐怖心に変わります。


恐怖心は行動を躊躇(ちゅうちょ)させ、微々たる出来事にいちいち動じてしまう、小さな自分を作っていくからです。


起こってくる現象のほとんどは、やがて消えてなくなるものであるということを、しっかりと理解しましょう。


消えて無くなるものにエネルギーを投入しても、その先はありません。


前に進めなくなったとしたら、その理由は簡単です。


それは的外れの執着心です。


囚われの我から出た執着心なのです。


囚われの我とは何か?


それは、「人に囚われている我れ」ということです。


人の言動や動向に囚われると、訳が分からなくなってきます。


例えばあなたを好きな人は、理由があってあなたを好きな訳ではありません。


初めから、あなたが好きなのです。


出会った時から、あなたが好きだったのです。


それと同じように、あなたを嫌いな人は、何か嫌いになる理由があって、あなたが嫌いなのではありません。


初めから、あなたが嫌いなのです。


要は、あなたの波動と初めから合わないのです。


ですから、いくらあなたが頑張っても、あなたを好きになってはくれません。


こういうところに執着しても、先はないのです。


本質的なものの見方をすれば、嫌われようが好かれようがさほどのことはありません。


そんなことよりも、どうでもよいことに囚われて、やるべきことに集中できないことの方が危ないのです。


勝負の時は、過去や人に囚われてはいけません。


勝負の時は過去を一切振り返らないで、今日一日、只今この時を始まりとして、未来だけを見て進んでいくのです。


覚悟とは、前進の異名です。

何があっても、どんな状況であっても前進していく人こそが、真実の覚悟の人なのです。



代償

逃げた先にある一瞬の安堵感は、不安という代償を要求する!

現実は思いの投影です。

ですから、まず自分自身の思いを変えない限り、 現実という映像は変わりません。

「粘り強く!より粘り強く!さらに粘り強く!」 チャーチルの至言です。

強い思いは、集中力に変化します。

集中こそが力です。

単なるだらだらした継続は、力にはなりません。

一ヶ月のスケジュールの中で、今月はどこが最大のヤマ場なのかを、まず自分が明確に理解しているかをチェックしましょう。

その上で、集中するところは集中してやる。

そして、息を抜くところは息を抜いてリラックス する。

メリハリを付けた意識した継続こそが、集中力の意味するところなのです。

出発点は、知識より意識。

スキルよりウイル。

事実より真実です。

闇が深ければ深いほど、夜明けは近いことを知りましょう。

春の来ない冬など、絶対にないことを理解しましょう。

逆境は必ず、時を得て次の時代を開く力となりま す。

ですから、何があっても目標は変えてはいけません。

変えるのは、やり方と発想です。

しつこさと熱心さは紙一重ですが、やり遂げる目 標に対しては、しつこさや熱心さ程度の思いでは、まだまだ足りません。

やると決めた目標に対しては、執念を持ってやる のです。

執念とは、しつこさ+熱心さ+捨て身の集中力で す。

やると決めたことは、断じてやるのです。

この五体を、大地にたたきつけるような気迫でやりきるのです。

他人の目なんて気にしてたらアウトです。

今日一日、これとこれとこれはやる!

絶対にやる!

そう決意して、今日という一日と真っ向から渡り合っていくのです。



アップグレード

豊かさとは、感動の数です。

どれだけお金を持っていても、心が乾いていては、真の豊かさを感じることは出来ません。

それでは一体、感動の数を多く持つ為には、どのようにすればよいのでしょう。

まず人生に対する考え方をアップグレードすることです。

考え方のアップグレード。

それは、日常と非日常のリンクにあります。

日常とは、「・・せねばならない事」の繰り返しです。

非日常とは、「自分がやってみたい事」への挑戦です。

毎日毎日知っている事を繰り返すだけの生活は、知らず知らずのうちに、心や考え方を老化させていきます。

老化とは記憶力の低下から始まるのではなく、チャレンジ精神の低下から始まります。

未知のものに触れて驚きを感じ、そして日常に戻って、その無事安穏であることの幸せを思う。

こうした中で、人は今自分のいる立ち位置を再認識するのです。

心は、帰るべきベースを再認識して落ち着きを取り戻します。

そして、落ち着きを取り戻した心は、「好奇心」というより積極的な心に進化して、人生をより豊かにする冒険の旅に出ようとするのです。

日常のルーティンから、非日常という冒険の旅に出て、今まで見たこともない風景に心踊らせ、今まで会ったこともない人と出会って、はじめて自分という人間を見つめることが出来ます。

異質なものと出会って、そしてそのことで心に驚きを感じ、人は進化するということを知りましょう。

チャレンジ精神を失った人は、年齢のいかんを問わず老化が始まっている人です。

無難に穏便にやり慣れたことをやり、刺激のない会い慣れた人とばかり会っていても、そこに新しい発見はありません。

新しい発見とは、驚きであり感動です。

豊かさは、感動の数です。

さあ、億劫がらず、手を抜かず、あなたが真にやりたいことの扉を開きましょう。

一歩を踏み出す勇気。

感動という豊かさは、いつもここから始まることを忘れてはなりません。



流れ

人生は、精神戦です。


体力も大事ですが、余程の事がない限り、その全てが気持ちの問題です。


ですから、起こって来た出来事に気持ちを合わせてはいけません。


それよりも、もっと高いテンションに気持ちを向けていく。


そうすると、そのテンションにアクセスする人がひとりふたりと現れてきます。


そこに、出会いという流れが起こります。


その流れが、あなたの人生のステージを劇的に変えていくのです。


結局は、テンションの問題。


結局は、もっと高いテンションがあれば、簡単に乗り越えられた問題。


結局は、立ち向かっていく気持ちが足りなかっただけ。


結局は、簡単に諦めたから負けたのです。


結局は、目指す気持ちを持ち続けることが全てでした。


もっともっと高いテンションを追求しましょう。


まだ何もやっていないのに、分かった風な顔をして平常心などと言うのは、今はやめましょう。


今は、鍛練の時です。


今は、気付きの時です。


今は、勝負の時なのです。


もう、行くしかないのです。


だから今は、テンション一本。


だから今は、テンション最優先。


だから今は、その時その時を、その時その時のありったけの力で乗り切っていきましょう。


敗れて悔いなしの境地に至るほどの力で今の課題に立ち向かえば、結果がどうあれ、それこそが目的だったことにいずれ気付く時がきます。


その域まで来て初めて、本気で取り組むことの意味が分かるのです。


人は本気で目指した人を、たとえその人が如何なる結果に終わったとしても、決して非難する事はありません。

リーダーたる人たちに共通する要件は、何もしない人には到底理解することの出来ない、高い高いテンションなのです。



ゴールデンルール

物事を成し遂げようとする出発点において、根拠を探している人は、もうそれだけで数十歩の遅れを取っています。

スタートラインで感じる根拠とは、いつも気持ち的な問題だけだからです。

そうした曖昧模糊とした感覚を探しているうちに、タイミングが過ぎ去ってしまうのです。

出発点において、一番大事なこと。

それは、立ち向かおうとする気持ちに根拠を求めないことです。

あなたの内面で気力が充溢して、何者をも恐れない迫力がみなぎってさえいれば、只それだけでよいのです。

根拠なき自信。

その感覚の中に、決断力が潜んでいます。

スタートラインに立ってしまえば、心配してもしなくても結果は変わりません。

ですから、くよくよメソメソ弱気の塊となっていることが最悪なのです。

強気のつまずきはあっても、弱気の成功は絶対にありません。

しかし、出発してから先で根拠なき自信だけを頼りとしていては、望む結果を得ることは出来ません。

決断のあとは、根拠のある行動を取ることが鉄則だからです。

何をどのようにするのか。

その為の準備を手抜きせずに、ちゃんとチェックしたか。

決断は、華やかに。

しかし、行動は地道に根拠を伴って。

単発的な思いつきで、闇雲に動いても結果は出ません。

決断力と行動力が絶妙な力のバランスを醸し出した時、結果に向けてあなたという車は走り出すのです。

右の車輪は、決断力。

左の車輪は、行動力。

それらの車輪をつなぐ車軸は、継続という名の車軸です。

思いきった決断と、持続する狙いを定めた行動。

誰もが出来そうで、誰もがやらない成功へのゴールデンルールがここにあります。



三つのバランス

今、何をしていいのか分からない時は、どうしたら未来の選択肢が増えるのかを考えてみましょう。

何が、自分の未来の幅を広げるのか。

ここがポイントなのです。

未来の選択肢を多く持つということは、自分に選択権が多くあるということです。

しかし、選択肢が無いか或いは少ない人は、選ぶ権利は自分にはありません。

有無を言わさず突き付けられたことを、嫌々やらなければならなくなってしまいます。

本当はやりたいこと、即ち好きなことをやりたいのに、現実はやりたくもない嫌なことを余儀なくやらなければならなくなるのです。

それでは今の状況から出発して、未来の選択肢を広げる為には一体何が必要なのでしょう。

それは、まず第一に「お金」です。

お金が無ければ、やりたいことが出て来ても、お金が無いばっかりに諦めなければならないことがほとんどだからです。

お金で夢を諦めた時、あなたの魂は深く傷付きます。

二番目は、「時間」を自由にコントロール出来る収入を目指すことです。

いくらお金を稼いでも、自分の時間が無くなっていくような収入は頂けません。

それではやりたいことと出会う前に、あなたの魂が疲れてしまうからです。

三番目は、「仲間」です。

良好な人間関係は、必ず良好な経済的バックアップをもたらします。

これら三つを意識しておくことが、未来の選択肢を多く持つことにつながるのです。

こうした、「マネーリッチ」「タイムリッチ」「フレンドリッチ」という三つのバランスが、あなたにやりたいことをやる自由をもたらします。

現実の状況は思うに任せないことばかりかも知れませんが、そうした中で大切なことは、未来への視点をぶれさせないことです。

行動の中にある視点の大切さを忘れた時、人は日々の雑事に流されて、やりたくもないことを続ける毎日の中で、夢とは遠くかけ離れた人生を歩むことになるからです。



唯一の証

迷った分だけボールは曲がる。

ゴルフの名言です。

迷えば迷うほど、ボールは曲がる。

これは、全てのことに当てはまるのではないでしょうか。

迷うのは何故か。

考えてみたことはありますか?

それは、あなたがその道の王道を歩んでいないからです。

どこか、小手先でごまかしている。

だから、事に直面して迷ってばかりいるのです。

恐れずに、王道を歩みましょう。

今こそ、ごちゃごちゃとややこしい状況からではなく、胸に思い描く理想から出発するのです。

その為には、人を変えようとするのではなく、まず自分が変わることです。

自分を変えると決意しましょう。

素直な気持ちで、自分の理想とする人から真摯に学ぶのです。

その人から、徹底的に吸収するのです。

本物の考え方に貫かれた行動は、必ず通用します。

それを徹底的に学んで、まずはその通りに実行すれば、誰でも必ず同じ結果が出ます。

そうして、自分を変化させていくのです。

学ぶことの唯一の証は、変わることです。

人を変えようとするのではなく、自分を変えることを第一義とする。

変わった自分が引き寄せた人が、今のややこしい状況を王道へと導いていきます。

即ち、状況を変えるということは、自分を変えるということだったのです。

迷っている暇があったら、ごちゃごちゃ考えてないで、自分を無にして学ぶことに徹してしまいましょう。

迷った挙げ句、どれだけ大きなティーショットを放っても、ボールが曲がってしまえば、ただのOBでしかないからです。



未来の宝

真に決意出来た時、全てがつながっていたことに気がつきます。

あのこともこのことも、それら全てが、私をここに導く為に起きた出来事だったのだと。

神は、偶然をつくりません。

時という柔らかな毛布にその人の運命をくるんで、気付け気付けと機会(チャンス)をくれているのです。

あなたを証明する大きな仕事を成し遂げるには時間がかかるということを、まずはしっかりと理解しましょう。

高い山こそ、慌てず遅れずじっくり登る。

時間をかけなくてはいけない局面では、じっくり腰を据えて、手を抜かず、面倒くさがらずに勝負することが大切です。

この小さな一つ一つの時間をかけた戦いこそが、揺るぎない未来の宝を構築するからです。

時間をかけてつくり上げたものは、簡単には崩れません。

しかし、促成栽培でつくったものは、簡単にしなびてしまいます。

時は裏切らない!

時は嘘をつかない!

ですから、高い山こそじっくり登るのです。

その遅々とした歩みと一つ一つの細かな仕事が、どこでどうつながっていくのか、全く理解不能に陥る時があります。

暗中模索。

しかし、神は偶然をつくりません。

つながり合わない「時」と「出来事」が、ただひたすらやり抜いた先に理解出来る瞬間があるのです。

「それでも、私はやる!」

「私は、諦めない!」

こう腹の底から決意した時、全てがつながり合い、あなたに不動の落ち着きが訪れます。

決意こそが、始まりであり、プロセスであり、そして終着点であることを知りましょう。

真の決意はあなたに、揺るぎない不動の力と安らぎをもたらすのです。



道標

研さんをしっかりと積んでいる人は、でんとして落ち着いた迫力があります。

人と戦うのではなく、自分と勝負しているという自信が、何ともいえない落ち着きと共に、静かな迫力となって迫ってくるのです。

余程のことでない限り、身に付かないスキルなど、この世にはないことを自分自身に刷り込みましょう。

あなたが真に望めば、世の中の大半のことは習得出来るからです。

誰もが出来ることを、誰もが出来ないくらいやる。

その核を為す考え方は、「繰り返し」にあります。

やり続ける!

この姿勢が、道を切り開きます。

うまくいっている人がいたら、ためらうことなく、その人を真似ましょう。

本気で真似るのです。

真似るとは、学ぶということに通じます。

徹底的に学び真似ることが、誰もが出来て、誰もがやらないことと心得ましょう。

徹底的に真似て、そこにオリジナルな何かを加える。

このワンポイントが重要です。

何故ならば、いくら真似るといっても、こちらの思考を完全に止めてしまっては、走るものも走らなくなってしまうからです。

思考停止は命取りになるということも知った上で、粗末な発明より、クオリティーの高いイミテーションを選択し、そこをベースにして進化発展させた方がベターなこともあるのです。

心を開きましょう。

あなたがたどり着きたいところへ行く為には、心を開いて真摯に学ばねばなりません。

何もアクションを起こさなければ、ずっと今のままであることを、危機感を持って受け入れましょう。

うまくいっている人を真似て、さらに研さんを積んでいく。

この姿勢こそが探求心であり、あなたを本物へと導いていく道標となるのです。




リスク

ギャンブルと、リスクを取ることは違います。

成長出来るという信念や希望のないところには、成長の試みは起きません。

真に成長しようと試みる時、リスクを取るということは避けて通ることが出来ません。

事実、リスクを取る能力は、真の勝者とその他大勢の中の一人を分ける重要な要素の一つだからです。

進化成長する人は、自分の快適ゾーンから飛び出してリスクを取ります。

しかし、その他大勢の中の一人から抜け出せない人は、いつも自分の快適ゾーンに留まることばかりを考えて、チャンスがきてもそのチャンスに何も響かず反応せず、それどころかそのチャンスをうとましくさえ感じ始めるのです。

チャンスをうとましく感じる者の骨格をなす考え方は、怠け癖ともとれる消極性にあります。

面倒くさい、ウザイ。

そうして誰かに何かに依存して生きて、次第に追い込まれていくのです。

追い込まれていく中で、これではいけないと感じて、その時の思い付きで勝負に出る。

これが、ギャンブルです。

ギャンブルとリスクは違います。

リスクに飛び込むということは、考えて戦うということです。

最悪を想定しながら、次の飛躍を期して果敢に挑戦する。

こうした行動は、追い込まれた者には出来ません。

快適ゾーンにいる時に、次の飛躍に向けて勝負に向かえるかどうか。

そうした意味において、リスクを積極的に取りにいくことと、一時の差し迫った焦りからギャンブルに出るのとでは、全く意味が違うのです。

失敗とは停滞することです。

リスクを取りにいけるという精神性こそが、人生に一線を画す決定的な要素であることを忘れてはなりません。




重要な戦略

あなたにやましいところがないのなら、堂々としていればよいのです。

人を後退させる最大の要因は、後ろめたさです。

簡単にそうした後ろめたさを感じる人は、自ら墓穴を掘っているに等しいことを知るべきです。

「いつの世も、雑魚は謳い、雑魚は踊る」

作家、吉川英治が残した言葉です。

そして、彼はこう締めくくります。

「しかし、誰か知ろう。百尺下の水の流れを。水の心を」

誰でも彼でもに良く思われようとすると、自分の中にある何かが狂い始めてきます。

そこを無難につないでいこうとすれば、自分の本音を殺して相手の本音に合わせなくてはなりません。

自分の中に本来ないものを相手に合わせて無理やりつくろうとすれば、今まで自分が築き上げてきたものが後ろめたく感じるのは当然です。

そもそも雑魚を気に掛け、雑魚に振り回されても、雑魚の餌にしかならないことを分かっていないことが問題なのです。

雑魚の批判には、馬耳東風。

神経衰弱のような生き方は、こちらから放棄しましょう。

自分が決めたことに、自信を持つ!

やましさを感じたら、何をやましく感じているのかを、徹底的に自分に問いかけることが必要です。

自信がないとか心配だとか、そうした類いの一切合切も、それら全ては何かにすがろうとする未熟さから来ています。

やましさや後ろめたさを感じて生きることが、人生を急降下させる最悪の生き方であることを痛烈に知らなければ、真の前進は叶いません。

人にすがることなく、好きは好き。

嫌いは嫌いと割りきって進むことも、時には重要な戦略となることを忘れてはなりません。