埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

 | ホーム | お問い合わせ |

埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



コミットメント

心を研ぎ澄ます。

余計なことを、いちいちこちらから勝手に思い描かない。

誰かに心のどこかで何かを期待していると、あなたの心に何の意味もない邪念が思い浮かんで、自ら墓穴を掘ることになります。

それを妄想といいます。

人が何かを自分の為にしてくれることを、漠然と期待してはいけません。

何故ならば、人があなたの為に、何かを根拠なく行うなどということはあり得ないからです。

そこを無視して自分の都合の良いことだけを考えていると、思わぬところで足をすくわれることになります。

あなたが何かをする時に、その行為に動機があるように、相手が何かをあなたの為にする時も、あなたと同じように何らかの動機があることを前提として織り込んでおきましょう。

こうしたクールな読み筋を持たずして、人を引っ張っていくことは難しいのです。

人は、気持ちと経済との背中合わせで生きています。

人が崩れてくる時は、何らかの経済的な逼迫感がその兆候として表れてきます。

その微弱電波を逃してはなりません。

充実した仕事をコンスタントに続けている人には、共通した特徴があります。

それは、そうした仕事をする人たちは決して仕事だけに集中している訳ではなく、人生全般に心を傾けているという点です。

崩れてくる人は、人生の豊かさをきちんと理解出来ていません。

豊かさとは、ただ仕事をしてお金を稼ぐということだけではないということを。

豊かさとは、詰まるところバランスの問題なのです。

収入、時間、仲間、健康の四つのバランスが、人生の豊かさに直結するのです。

この価値観を共有している仲間は、簡単には崩れません。

簡単に崩れ去る人は、この価値観を持とうとしない人です。

ここが理解出来ない人に期待した時、あなたはその結末に愕然とします。

心を研ぎ澄ましましょう。

期待より決意。

人に漠然と期待するのではなく、自分がコミットメントする。

この発想こそが道を切り開き、そして戻るべき原点となるのです。



新しい力

全て訓練です。

如何なる道に入ろうとも、訓練なくして価値ある人材となることはありません。

自分を鍛える。

鍛えのないところに、持続的な成長はないからです。

自分を鍛え、訓練しようとしないから、毎回毎回知らず知らずのうちに同じことを繰り返して、同じ負けパターンにはまるのです。

何かを変えなくてはならない。

あなたが、そう思った時が勝負です。

その何かを変える為に、真剣に考えてみてください。

そして、その後は実行です。

今を何とかつなぐことと、未来への流れを本質的に変えることは全く違います。

これは違うなということを続けていては、駄目なのです。

現実から、目を背けてはいけません。

今、何とかつながったとしても、それが負けパターンならば、あなたに未来はありません。

勇気を持って、変えましょう。

まず、自分自身を変える。

その力は、訓練からです。

自分に新しい力を加える。

自分を鍛え、訓練して、意志の力を呼び醒ますのです。

鍛えのないところに、明日はありません。

心に負荷をかけて、意志という心の筋肉をつくりましょう。

心が贅肉だらけでは、やがて動けなくなってしまうからです。



ピンチの中の平静

真の勇者は常に最悪に備え、最悪を覚悟しています。

事を為さんとしてプランを練る時に、甘さは禁物です。

プランは常に、最悪を想定して組み立てる。

これが鉄則です。

そして、いざ取り掛かったら、大胆不敵に立ち向かう。

何かをやり始めたら、「立ち向かっていく楽観主義」、これだけを是として迷わず前進する。

想定は最悪を視野に入れて、あなどることなく立てておきましょう。

そして、やり始めたらとことんやる。

その強い思いを支える考え方は、「毒を喰らわば皿までも」です。

やり始めたら、徹底的にやりきりましょう。

これだけやって駄目だったら仕方がない。

心底そう納得出来るくらいやって、次の展望が開けてくるからです。

人生のターニングポイントは、矢尽き刀折れたところまで戦い抜いた時に訪れます。

中途半端に戦っても、何も糧となって残ることはありません。

人生の局面には、時として避けて通れない戦いがあります。

その時逃げれば、そのツケは死ぬ間際まで追いかけてきます。

敗れるかもしれない戦いでも、受けて立たなければならない戦いもある。

これが、人生なのです。

その時に最悪が想定出来ていれば、いざ何かが起きても、起きたそれらの出来事は、それら全てが想定の範囲内です。

想定の範囲内として出来事を処理出来れば、そこに冷静さを保てます。

ここ一番という時こそが、人生を動かしていく真実の瞬間です。

ピンチの時に、如何に平静を保てるか。

最悪を想定して戦うことの意味が、ここにあるのです。



摂理

人生はイーブンに出来ています。

何かを失っても、失ったものと同等かそれ以上の何かを必ず手にすることが出来る。

そのように出来ているからです。

失うことを、過度に恐れてはいけません。

失うものは、失うように出来ているからです。

例えば、あなたが信じる行動を貫いた時に、仲間があなたを拒絶したとします。

その時に、悩むのは二流です。

悩むのではなく、感謝しなくてはいけません。

心の中で、「ありがとう!」。

これが正解です。

何故ならば、その拒絶は、あなたに啓示を与えてくれるからです。

それは、今までのあなたの人間関係のつくり方であったり、人との接し方であったり。

要するに、反省しなさいと、天があなたに言っているのです。

ちゃんと反省したら、あとは切り替える。

そうすると、新しい仲間が出来ます。

今度は、あなたと志を同じくする仲間です。

イーブンな人生を紐解く鍵は、感謝付きプラス発想です。

しっかり反省して、あとは明るく切り替える。

これが、感謝付きプラス発想です。

失うことを恐れてビクビクした行動を取っても、そこに展開されるドラマは、あなたが端役を演じるドラマでしかありません。

端役をどれだけ演じても、面白く豊かな人生は歩めません。

何故ならば、あなたの人生は、あなたが主役でなくてはならないからです。

人生がイーブンに出来ていることを真に理解出来れば、恐怖感は消えます。

人生で失うものなど、何もないということを知るからです。

ですから、ビクビク心配しないで、勇気と希望を持って歩き出しましょう。

とにかく、前へ前へ。

この姿勢の中に、あなたを目標に近付ける「摂理」が回り始めるのです。



痛烈な後悔

人生がやっと分かりはじめたところで、「ハイ、そこまで!」

こんなことにならないように、精神の背骨をスクッと立てて、毎日を意欲的に生きていきましょう。

消極的な人生は、痛烈な後悔の念を後々まで引きずることになります。

言いたいことも言えず言わず、人に何か言われるのではないかとひたすら心配して、遠慮のかたまりのようにこじんまりとまとまっていく生き方。

傷付かないように、傷付かないように。

そればかり考え続けて生きた先に待っているもの。

それは、想像もしていなかった大きな後悔の念です。

傷付くことを気にして生きていると、死ぬ間際に思いきり傷付くことになります。

その大きな後悔の源は、人からの批判や嘲笑を過大に恐れたことです。

人に何か言われても、命まで盗られることはありません。

人生はメッセージです。

ですから、どのようなメッセージを発信したかが、その人の人生を決定していくのです。

メッセージを発信すれば、人に拒絶されることがあるのは当然です。

当然あることにいちいち振り回されていたら、もうそれだけで疲れてしまいます。

どうでもいいことにエネルギーを使い果たしていると、勝負のその時に怖じ気付いて腑抜けになってしまいます。

あなたの生き方に一本筋の通った真実が貫かれていれば、その真実が必ずあなたを輝かせていきます。

棺桶に片足を突っ込んだ時に、「ああ、我が人生に悔いなし」、こう思えてニコッと笑えたら、その人生は大勝利の人生です。

心配しても、しなくても、結果は同じ。

人生は、心配した者負けです。

いちいち細かく心配しないで、やると決めたことをサッとやってしまいましょう。

そのスピード感が、やがて充実感に変わっていくからです。



痛烈な後悔

人生がやっと分かりはじめたところで、「ハイ、そこまで!」

こんなことにならないように、精神の背骨をスクッと立てて、毎日を意欲的に生きていきましょう。

消極的な人生は、痛烈な後悔の念を後々まで引きずることになります。

言いたいことも言えず言わず、人に何か言われるのではないかとひたすら心配して、遠慮のかたまりのようにこじんまりとまとまっていく生き方。

傷付かないように、傷付かないように。

そればかり考え続けて生きた先に待っているもの。

それは、想像もしていなかった大きな後悔の念です。

傷付くことを気にして生きていると、死ぬ間際に思いきり傷付くことになります。

その大きな後悔の源は、人からの批判や嘲笑を過大に恐れたことです。

人に何か言われても、命まで盗られることはありません。

人生はメッセージです。

ですから、どのようなメッセージを発信したかが、その人の人生を決定していくのです。

メッセージを発信すれば、人に拒絶されることがあるのは当然です。

当然あることにいちいち振り回されていたら、もうそれだけで疲れてしまいます。

どうでもいいことにエネルギーを使い果たしていると、勝負のその時に怖じ気付いて腑抜けになってしまいます。

あなたの生き方に一本筋の通った真実が貫かれていれば、その真実が必ずあなたを輝かせていきます。

棺桶に片足を突っ込んだ時に、「ああ、我が人生に悔いなし」、こう思えてニコッと笑えたら、その人生は大勝利の人生です。

心配しても、しなくても、結果は同じ。

人生は、心配した者負けです。

いちいち細かく心配しないで、やると決めたことをサッとやってしまいましょう。

そのスピード感が、やがて充実感に変わっていくからです。



最大の力

考え方を変える。

これが、行き詰まりを感じた時の特効薬です。

何故、お金がないのか。

何故、ライフスタイルが変わらないのか。

その全ての解は、考え方にあります。

何故、お金がないのか。

考え方が貧乏だからです。

何故、ライフスタイルが変わらないのか。

変えてみせると、考えて来なかったからです。

考え方を変える。

これが、人生を変える特効薬なのです。

その為には、素直な自分をつくり上げなくてはなりません。

人の言うことを斜めから聞くのではなく、もっと大らかな広やかな気持ちで、自分を無にして耳を傾けてみるのです。

素直さこそが、人間の最大最強の力となることを忘れてはなりません。

考え方を変えるとは、自分の古い殻を打ち破るということです。

その核となるものは、勇気です。

勇気を持って、今まで自分の中に存在しなかった考え方に、影響を受けてみるのです。

豊かになりたければ、豊かな人から影響を受けましょう。

ライフスタイルを変えたいのなら、あなたの前を走るライフスタイルを変えた人から影響を受けるのです。

自分の中にある、頑固な壁を突破しましょう。

人生は、誰から影響を受けるか。

ここに、あなたを根底から進化・成長させる鍵があるからです。



リスタート

成功は能力が決めます。

しかし、幸せは性格が決めます。

あなたは、どんな性格になりたいですか?

大切なことは「自己イメージ」にあります。

これまでの自分の自己イメージを、一度思いきって吹っ切ってみることにあるのです。

現在の自分を見つめるのではなく、本当にこんな性格だったらどんなに楽しくハッピーだろう、と思える性格に焦点を当ててみるのです。

心の中に、具体的に絵を描いてみてください。

大切なことは、こうして描かれた内側のイメージは、どんなことでも心の奥の奥の奥で種となって蒔かれ、あなたの知らないところで手塩にかけて育てられているということです。

この種こそがイメージであり、このイメージは必ず具体的な行動となって外側に現れてきます。

あなたがこの世に生を受けてから今日に至るまで、現実にしてきたことの全てが、あなたの内側のイメージの投影であったことを理解しなくてはなりません。

あなたは気が付いていないかもしれませんが、あなたはこれまでずっと多かれ少なかれ自分自身をイメージして生きてきたのです。

例えば、自信があるとか無いとか、暗いとか明るいとか。

そして、そうしたイメージに基づいて行動し、あなたという性格を形創ってきたのです。

あなたがこの世に生まれてきた「意味」を、最後の最後に埋めるもの。

それは、性格です。

自分がこの世に存在している目的を満足させることの出来る性格は、自分の力で選択出来ることを知りましょう。

性格はイメージで変えることが出来るからです。

このことを疑うのではなく理解した時に、あなたの理想とする人生の再出発(リスタート)が始まります。

それこそが変化の始まりであり、その変化こそがミラクルを引き寄せるのだということを受け取りましょう。

必ずあなたの中で、何かが変わります。




座標軸

「煩悩即菩提」という考え方が、仏教にあります。

煩悩(ぼんのう)とは悩みをいい、菩提(ぼだい)とは悟りをいうのだそうです。

悩むことが、即悟りに通じる。

究極のポジティブ・シンキングだと思います。

人は何故悩むのでしょうか?

その生き方をまだ捨てていないからです。

悩むと捨てるは全くの別物です。

捨てるとは、逃げ出すことに他なりません。

逃げてないから、勝負の間(はざま)で心が揺れ動くのです。

戦おうとするから、心が不安になったり、心配したり、怯えたりするのです。

そうした心の状態を煩悩というのだと思います。

しかし、煩悩は即菩提という悟りでした。

これは一体どう解釈すればよいのでしょうか?

煩悩を感じたのは何故か。

それは、未来の自分を探す為の戦場にあなたが居るからです。

自分自身の輝く人生を構築せんが為に、時には様々な矛盾と不合理の間で、それでも自分だけは諦めないで前だけを見て進もうとしたからです。

煩悩渦巻くこの現実社会の中で、清濁合わせて、そして順逆合わせて飲み込みながらも、絶対に挫(くじ)けない。

その決意という気持ちを更に高みへと上昇させる気流こそが、煩悩なのだと理解しましょう。

戦う者にとって、悩むのは当たり前。

戦う者にとって、不安は当たり前。

戦う者にとって、恐れは当たり前。

人生という勝負の最前線にあなたがいるからこそ、それらの煩悩はあなたを飛躍させる為に、起こるべくして起こる当然の現象だからです。

そうした一見嵐にも思える勝負の舞台で、一歩も引かずに戦おうとしたあなたの姿勢それ自体が悟りだったのです。

悩みは、それ自体が悟りに通じる。

精神の座標軸にしていきましょう。




不安の正体

個人に於いても、組織に於いても、敗れ去るときはいつも内側からです。

外側が誰かに攻撃されて敗れ去ることなど、今の社会では稀なことだからです。

この事実を理解出来れば、一つの気付きが生まれます。

それは、心さえ引かなければ敗北などないということです。

何かに怯えることはあるかもしれません。

生きるとは、恐れも、喜びも、悲しみも、怒りも全てを味わうことだからです。

人は、何かを恐れて初めて自分の力を知ります。

未知に立ち向かうから、緊張したり、時には身体がブルブル震えてきたりするのです。

未知とは、未だ知らぬ未来の自分です。

好奇心の究極は、ここにあるのではないでしょうか。

不安の正体は可能性です。

不安という、未知の領域への扉を開く鍵は勝負です。

勝負に際して恐れを感じたら、自分自身にこう言い聞かせましょう。

「引くのは身体であって心ではない。」

勝負するその時に、自分が自分の敵に回ることほど愚かな行為はありません。

もっと自分を大らかに見てあげましょう。

現実という外側は、あなたの心という目に見えない内側から形創られていきます。

ですから、全てのスタートラインに於いて、心構えが大切なのです。

毎朝、自分自身に力を与えるストローク(声掛け)をする習慣を持ちましょう。

人間の本質は、言葉であることを理解出来た時、あなたは力ある重要人物としての第一歩を歩み出せるからです。




基本

一流の人物は、みな一様に笑顔をたたえています。

会った瞬間、サッと笑顔を浮かべて既知の友であるかの如くに、空気を温かく支配します。

会話の最中も隙あらば笑おうとして、相手に媚びることなく盛り上げていこうとするのです。

彼等は、人間関係の基本をしっかりと理解しています。

人間関係の基本とは何か。

それは、笑顔と元気な挨拶です。

古今東西の成功への手引き書を紐解いてみると、皆一様に書かれていることがあります。

それは、成功するためには「まず与える」ということです。

与えるというと、何か財布からお金を出してきて人に与えるという印象がありますが、そんなことを言っているのではありません。

成功の手引き書は、そもそもまだ成功していない貧乏な人に書かれたものであり、その貧乏な人にお金を出せと言ったりはしません。

貧乏から抜け出せない人の共通項の一つは、自分の頭を使って資本のかからないことをするという発想が、なかなか理解出来ないということです。

笑顔に資本はかかりません。

それどころか、笑顔は人を幸せにする最大のプレゼントです。

自分を幸せにしてくれるプレゼントをもらって、怒る人はいません。

それどころかそのプレゼントは、あげたその人に返ってくるのです。

元気な挨拶も同じです。

電話がかかって来たら、どんなに気持ちが沈んでいても、元気よくテンション高く第一声をあげましょう。

脳は行動に付いて来るからです。

面白いから笑うのではありません。

笑うから面白くなってくるのです。

明るくハイテンションで振る舞うから、元気になってくるのです。

見返りを求めず、第一級の人材へと成長していきましょう。

立ち居振る舞いの基本は、笑顔と元気な挨拶であり、この基本なくして運は拓けてこないことを忘れてはなりません。



問答無用

目の前の一打だけに集中する。

他のことは一切考えない。

一流のプロゴルファーが、行き着く境地です。

今、自分が置かれている場所で、自分がこれからやろうとすることだけに集中する。

それ以外の余計なことは、全く考えない。

楽観も悲観もなく、この一打を打つことだけしか考えない。

結果は関係ない。

ここを突き詰めていく人が、結局は多くのことを成し遂げていく人です。

悩んでも、悩まなくても、結果は同じです。

ならば、悩まないと決めて、この一打を振り切ると決めましょう。

勝負の時に、一番良くないこと。

それは、中途半端な態度です。

煮えたのか、煮えてないのか分からない態度で事に臨んで、良い結果を期待している方がおかしいことに早く気付きましょう。

旗色を明確にする。

自分がこの人生で何をやるのかをハッキリさせずして、一体どこに進むべき道があるというのでしょう。

今、目の前にある課題に集中するのです。

その課題に取り掛かったら、没頭没我、他の何ものをも気にかけない。

弱い自分に鞭打って、自分という命の駒を前へ前へと進めるのです。

あまり大きなことを考えるのではなく、只今この時の一歩を進める。

雑念を振り払って前進した事実が、あなたの精神を引っ張っていきます。

時に精神は、問答無用の行動で引っ張っていくのです。

今、目の前にある一打に集中しましょう。

過去も未来も、この一瞬の中に凝縮されているからです。



出会いと可能性

「出会いこそが道を開く」

坂本龍馬の言葉です。

龍馬は距離にして地球一周半を歩いて、人との出会いを求めに求め抜きました。

人生を変えていくものは、情報です。

その情報は人が持って来るということを、龍馬は知っていたのです。

龍馬にとって、人との出会いは情報だけではなく、新しい自分を見つける旅でもありました。

様々な人と触れ合うことで、新しい視点で自分を見詰め直すことが出来るからです。

自分と人に対する見方を変える。

「見方が変われば、味方が増える。」

ファッションモデル、押切もえの名言です。

見方を変えれば、味方が増える。

出会いの妙が、ここにあります。

人に興味を持ちましょう。

人と会いたくない、などと言っていては駄目なのです。

それでは何の為に生まれてきたのか、まるで意味がないからです。

出会いは道を開き、運命までも変更します。

誰と出会ったかが人生。

人と出会って、新たな可能性に気づく。

龍馬の生き様を思いながら、出会いの妙に心を洗い、生きることの意味を再確認しましょう。

出会いが全てを変えます。

人生を突き詰めれば、とことん人に興味を持つということに尽きます。

人との出会いは、新しい可能性との出会いだからです。



ある解釈

「生々流転(しょうじょうるてん)」という言葉があります。

生きとし生けるものは、必ず変わるという意味です。

無常とも読みます。

常でない、必ず変化していく。

人が生きるとは、この必ず変わるという意味をどう解釈できるかにあるとつくづく思います。

これを前向きに解釈すれば、「私は今のままでいい!」という発想は成り立ちません。

何故ならば、変わりたくなくても、時が全てを変えていくからです。

「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない!」

「山猫」という作品に出てくる言葉です。

変わりたくなくても変えられてしまうのなら、望むところよと自ら前向きに変わっていく!

何が起きても、徹底的にプラス思考で人生をよりよく変えていく!

これが、生き方のプロフェッショナルなのではないかと思います。

プロフェッショナルとは、神の前で告白する人の意であると聞きました。

できないと告白するのか、それともやってみせると告白するのか。

どちらを選ぶかで、未来が変わります。



魂の休息

「足るを知る」

老子の言葉です。

あれが欲しい。

これが欲しい。

こうしたい、ああしたい。

そうした欲求から、目標が設定され夢が生まれます。

人生は常に、何かを求めて突き進む旅である。

確かにそうなのかも知れませんが、それは人生の一面に過ぎません。

「形あるものは朽ちる」、という言葉があります。

あれもこれもと物を追いかけても、その物自体が朽ちていく。

ならば、そんな行為は止めたらいいとか、そんなことを言っているのではありません。

何の為に物を追いかけているのかという、意味を理解することが大切だと言っているのです。

目標を設定し夢を追いかけるのは、心を豊かにするためです。

心を豊かにするのは、人に本当に優しい人間になるため。

人に優しい人は強い人であり、人の心を育んでいける人だからです。

何かをガムシャラに追いかけていくことは、自分という人間をつくっていく為には外せない行為です。

しかし、その行為の過程にある「落とし穴」に、気を付けなくてはなりません。

落とし穴とは、一体何か。

それは、疲労感です。

あまりに前向きに追いかけてばかりいると、疲れてくるのです。

自分がだんだん、燃え尽きていくような疲労感に襲われてくる時があるのです。

だからたまには、我が魂に休息を与えましょう。

魂の休息とは、何なのでしょう。

それは、言葉です。

観念です。

我が魂が、「これでいいんだ!」と落ち着くことが出来る言葉をプレゼントしてあげるのです。

その言葉は、

「求めない!」

この、ワンフレーズです。

人にあれこれ求めない。

あれが欲しい、これが欲しいと、求めない。

足るを知る。

時には魂に休息を与えながら、明日の戦いのために、自分を取り戻す時間を持ちましょう。


こうしたひと時を持つことも、大切な戦いだからです。



腹の決め方

腹を決める。

人生は、腹を決めた者勝ちです。

方針を明快に持って、やるべき時には迷わず全身全霊でぶつかってくる人には、とてもかないません。

人生における学びの一つに、「腹の決め方」があります。

岐路に立って、どう決断を下すか。

いかに動揺することなく、クールな頭で落ち着いた決断が出来るか。

岐路に立つとは、恐れや不安と向き合うということに他なりません。

それでも、そうした不安を乗り越えて前進するのか。

それとも、撤退するのか。

前進する意味は何?

かたや、なぜ引き下がろうとしているのか。

引き下がることの意味は何?

等身大の自分と向き合い、そして勝負する。

そこに、岐路があるのです。

腹を決めてしまいましょう。

人生の展望は、先が見えたから開けてくるのではありません。

決めたから、開けてくるのです。

迷ったら行くと決める。

退いて道が開けてくることなど、絶対にないからです。

しない後悔より、した後悔。


ここに、腹の決め方を学ぶ真のエッセンスがあるのです。



因果の法則

勝利に偶然はない。

ニーチェは語ります。

そうなのです。

勝利に偶然などないのです。

勝つ人は、必ず勝つと決めて、勝つ為の作戦を立てて、勝つ為の行動を日々黙々と繰り返したのです。

人には、「あれは運が良かった」などと言っていますが、本人の心の奥底にあるものは、「勝つべくして勝った」という自負の念です。

勝つと心底決めたから、勝ったのです。

必ず勝利すると、結果を先に決めたから、そこにつながる条件や状況を選択出来たのです。

勝つと決めていない人は、負けを決定付ける条件や状況を、自ら何処かで知らず知らずのうちに選択していきます。

何故ならば、勝つと決めていないということは、負けを受け入れているからです。

勝利に、偶然はありません。

勝つと決めたから勝った。

結果を決めて、原因をつくる。


全てはシンプルな、因果の法則に貫かれているのです。



確かな一歩

人間は忘却の動物です。

脳がいつまでも済んだことを覚えていて、いつまでも同じことに引っ掛かっていたら、次に進むことが出来なくなってしまうからです。

しかし、いくら脳の構造がそのように出来ているからといっても、昨日起こった出来事をスパッと忘れてしまうほど単純ではありません。

切り替えるということと、能天気は違います。

過ぎ去ったことは、確かに過ぎ去ったことです。

しかし、そうだからといって簡単に忘却するというのでは、そこに潜んでいる真実に気付くことは出来ません。

物事の全てには、光と影、プラスとマイナスがあります。

例えば、後悔にも光と影の意味合いが宿っています。

出来なかったことに対する後悔。

強烈な悔しさと共に、胸に刻印しなくてはならないこともあるのです。

一番大事なことは、その時の自分自身の態度です。

その時、タカをくくってはいなかったか。

油断していなかったか。

伸びない人の特徴は、いつも同じところで引っ掛かって、同じところでつまずいているということです。

彼らのほとんどが、反省などという言葉とは無縁の人たちです。

真実の後悔と反省は、未来への決断に変わります。

悔しさを忘れない。


ここを理解することが、次の確かな一歩へとあなたを導いていく力となるのです。



響く人

猫に小判。

馬耳東風。

物事の価値が分からない人にどれだけこちらが誠心誠意を尽くしても、それは徒労に終わります。

価値観の違う人を、口説き落とそうとしてはいけません。

価値観が違えば、ニーズが違うからです。

人生に求めるものがあなたと違う人に近づこうとすること自体、無理があるのです。

価値観の相違は、人生観の相違につながります。

人生観とは、魂の住所です。

魂の住所が違う人は、必ず何処かであなたから離れていきます。

それは、必定です。

だから、人は見極めなくてはいけないのです。

見極めてアプローチ。

これが鉄則です。

愚かな人を相手にしてはなりません。

愚かな人とは、人の気持ちが理解出来ない人のことです。

人の気持ちが分からないのは、自分に余裕がないからです。

自分に余裕がない人は、人のことはおろか、自分自身のことも冷静に見つめることは出来ません。

自分を見つめることが出来ないということは、自分の時々の気分に振り回されて、場合によってはいとも簡単に取り乱すということです。

自分を見失って簡単に取り乱す人は、やがて被害者意識の塊となります。

かくして、何を聞いても見ても、猫に小判。

馬耳東風となるのです。

人生を大きく変える為には、自分自身が何かに響き、何かに気付いていかなくてはなりません。

そこを外して誰かを待ち、何かが変わることを期待しても、そうしたことが神秘的に起きることなどあり得ないのです。

響く人へと進化しましょう。

そうすれば、響く人と出会えます。

人生とは自らが響き、そして響いた人に響き合う、人と人とのハーモニーだからです。



今日の課題

逃げずに課題を克服しようとする姿勢に、人生が切り開かれていきます。

ロンドンオリンピックを観ていて、つくづくそう感じました。

ただ漠然とやみくもに頑張ってもダメです。

何にどう頑張るのかをハッキリさせる。

それを、目指すと言います。

そこに、自ずと課題が見えてきます。

課題の見つからない頑張りをどれだけ続けても、そこに望む未来はありません。

気分と決意が違うことを知らなければ、頑張ると目指すの違いも分かりません。

漠然と気分で好き勝手に動いて結果が出るなら、誰しもが成功していてよいはずです。

漠然とした思いは、漠然とした気分に行き着きます。

漠然とした気分が行き当たりバッタリの行動を生み、その浅い行動が積み上げることの出来ない浅い経験となって、後々自分を追い込んでいくことになるのです。

目指しましょう!

具体的に。

課題を見つけることこそが、能力であることを知りましょう。

課題を目標に変え、その目標に向かう自分を決意の人に変えるのです。

成功する人は少数派です。

成功しようとする人は、成功しようとしない人の発想や発言に興味を持ちません。

当たり前以下のところで引っ掛かっている人を、相手にしないのです。

人間、課題を持たないで生きていると、いつの間にか魂が劣化していきます。

そうした人は、まず目から死んでいきます。

目が死んで魂が劣化すれば、その空気が引き寄せる人は当然のこととして、その域を出ない人です。

今日の課題をハッキリさせて、今日の課題に挑みましょう。


逃げずに、今日の課題を一つずつクリヤーするなかにしか、望む未来は来ないことを忘れてはなりません。



迷ったら

「最近、記憶力が落ちて」



誰もが、歳を一つ取る度に感じることです。



しかし、真実は違います。



実は、記憶力よりも先に減少してくるものがあるのです。



それは、チャレンジ精神です。



記憶力よりも、チャレンジ精神の方が先に減少する。



これが真実です。



成功も幸せも、その全ての始まりはチャレンジ精神の中にあります。



人生は、冷めたら終わりです。



冷静さと冷めていることは、同じではありません。



落ち着きと無関心が違うのと同じです。



冷静に燃える。



一見矛盾するようですが、そこに矛盾はいささかもありません。



テンションの高い平常心を持つ、ということです。



その中心にある軸こそが、チャレンジ精神なのです。



迷ったらチャレンジする!



迷ったらやってみる!



人生には、事実と真実があります。



事実をいくら分析しても、その中から真実をあぶり出さなければ、人生を理解し前進させることは出来ません。



人生の真実は、時に冷静に、時に熱く挑戦する姿勢の中からしか、あぶり出されることはないのです。



チャレンジしようとする気持ちが弱くなってきたら、その時は要注意です。



老化とは、記憶力の低下ではなく、チャレンジ精神の減少を意味するからです。



生き残りの力

今、時代が閉塞感を深めています。

一番大切なことは、生きるということの意味、即ち人としての原点に立ち返った発想を取り戻すことではないかと感じます。

良い大学を出て、良い会社に入って長年頑張ってきた人が、いとも簡単にリストラされていく。

東大を卒業して、就職難民となる。

地球の裏側で起きたことが、今まで真面目に勤めてきた会社の業績に、深刻な影響を与えてしまう。

そして、リストラ。

その一方で、リストラから何とか逃れた社員は安泰なのかといえば、そんなことはありません。

よく見る報道の通り大規模なリストラが実施されたとすれば、それはリストラされた人たちだけの問題ではありません。

会社に残った人たちも、大変な状況のなかで仕事を続けていくことになるからです。

今まで三人でやっていた仕事を、今度は一人でカバーしなくてはなりません。

当然そこで推測されることは、サービス残業やサービス出勤の嵐です。

さらに首都圏に出勤する人たちの通勤地獄は、今に始まったことではありません。

リストラ、サービス残業、サービス出勤、賃金カット、ボーナスカット、退職金のカット、そして年金減額。

こうした状況に対して、素朴な疑問が湧いて来なければ嘘なのではないかと思います。

それは、「真面目に働くことの意味って、一体何だったのか」という疑問です。

何も、不真面目を奨励している訳ではありません。

生き方の軸を変えなければいけない時代になったのではないか、ということです。

生き方の軸。

それは、何をもって本業とするのかということです。

本業は人生。

仕事は、人生という大空を飛ぶための翼。

ですから、翼は選ばなければいけません。

人生の目的は、愛する人を守ることです。

サラリーマンだけやっていたら、愛する人は守れない時代に入ったのです。

激動の時代に思考を停止した働き方をしていては、気が付いた時にはにっちもさっちもいかない状況になっています。

変化に適応するのではなく、変化を巻き起こす。


この精神こそが、生き残りの力となることを忘れてはなりません。



たったひとつ

こちらの本気度が相手に伝わっていないから、事が動き出さないのです。



溢れんばかりの思いが足りないから、風が起こらないのです。



本気の出会いは、本気のときにしか起こりません。



気持ちがあちらこちらに分散していて、事が成るということなどあり得ないのです。



一途に思う。



ひたすら、あなたが望むことだけを願うのです。



しかし大多数の人たちは、自分が望まないものに意識を合わせています。



出来なかったらどうしよう。



変に思われたらどうしよう。



こうした思いが、望まないものに意識を向けている行為そのものなのです。



本気という気を吐かなければ、事は動き出しません。



風は、起こらないのです。



大切なことは、十年先を読むことではなく、一歩先の決意です。



あなたが今、真に望むことは何ですか?



まず、そこをはっきりさせなくてはいけません。



そこをはっきりさせて、あとはあなたが真に望むこと「ひとつだけ」に集中する。



ひとつだけです。



あれもこれもはいけません。



本気とは、真に望むことひとつに「没頭没我」の境地で集中することだからです。



風を起こしましょう。



為せば成るの信念を持って、熱くたぎるような空気で事に当たるのです。



人を動かし、風を起こすものは、熱くたぎるような情熱以外にはないことを忘れてはなりません。



生き方の原点

過去のデータを分析して、どれだけ未来を予測しても、そこに自分が真に望む未来はありません。

何故ならば、未来は分析して得るものではなく、強い思いで決めることによって得られるものだからです。

自分は一体どうなりたいのか!

では、ありません。

自分は3年後どうなるのかをはっきりと決めることから、未来が始まります。

ここが、生き方の原点になります。

生き方の原点。

何かあると簡単に状況に振り回される人に共通することは、生き方の原点を持っていないということです。

世界を制覇することよりも、もっと難しいことがあります。

それは、自分という人間を制覇することです。

今、自分の目の前に起きている状況が先か。

それとも、自分のなかにある思いが先か。

何を優先して考えているのかを、人生はいつも問いかけてきます。

自分を制覇しない限り、未来の始まりを創ることは出来ません。

自分とは何なのか!

ここが、自分と向き合うスタートラインです。

人間は、どうやら4つの要素で成り立っているようです。

それは、考え方、情念、言葉、振舞いの4つです。

この4つの最初にくるのが、考え方です。

考え方が情念という感情を創り、感情が言葉を生み、言葉がその人の振舞いという行為を決めていくのです。

ですから人生を変えたければ、考え方のクセを変えなければなりません。

どういう存在になるのかという自分の未来を強く決断出来れば、その決断が心に力を与え、その力が迷いのない行動となって状況を少しずつ変えていきます。

その変化の過程のなかで、直面する状況の見方が変わり、今まで気付かずにいた、その状況の奥に潜む利点を見据えることが出来ます。

あとは、その利点にいかに迫るかだけです。

心しなくてはいけないこと。

それは、どんな状況においても、生きている限り行き詰まりなどないということ。

何故ならば、闇は光があってこそ闇となって存在するからです。

光とは利点です。

利点とはチャンスです。

ですから、チャンスを包含しない闇などあり得ないのです。

必ず成し遂げることが出来る!

こう深く思考に刻み付ける!

あとはスピードとタフさだけです。

やるべきことを、どんどんやりましょう。

うまくいかなかったときは、タフな自分を創るための糧ととらえて、とにかくどんどんやるのです。


人生最後は、やり続けた者勝ちであり、諦めた者負けであることを忘れてはなりません。