埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



前兆

自分が自分の内側で負けていなければ、何が起きても跳ね返すことができます。

大切なことは、いま自分に起きていることを、自分がどのようにとらえているかです。

他人が、どう思っているかではありません。

出来事や状況や事情それ自体には、さほどの意味はないからです。

そうした様々な出来事に、意味を付けるのは他ならぬ自分だけです。

要は自分自身の心、即ち魂が折れていなければ、それ以外は何の問題もないということです。

人生は、意図的に攻略しようとしなければ、思わぬところで牙をむいて襲いかかってきます。

その時、何よりも恐ろしいことは、心に錯覚を起こすことです。

その錯覚とは、ありもしないことを根拠にすえて自滅していくことです。

ありもしないこと。

それは、他人からどう見られているかという妄想です。

こうしたことが、自分という人間の主導権を、自ら放棄することにつながっていきます。

少し、ストイックで自虐的な言い方をすれば、今まで大したこともしてきていないのに、そんな自分に自分が自分を思うほど注目している他人などいるはずがないのです。

考え過ぎ!

そうです。

いちいち考え過ぎです。

考え過ぎて、益々他人にどう思われているのかを気にして、その挙げ句に自分がいま集中すべきことから離れていく!

そして、どんどん変になっていくのです。

勝負の時には、考えてはなりません。

考えるのは、勝負する前だけです。

しっかり考えたら、後は考えない。

勝負するその時に、考えたら負け!

考えなければ敵なし、と心得ましょう。

息がつまってきたら、無になるのです。

「お前が消えて喜ぶ者に、お前のオールを任せるな!」

中島みゆきは、こう歌いました。

他人はあなたのことを、あなたが考えているほど思ってなどいません。

要するに、あなたを四六時中見ている暇など無いということです。

人生を劇的に切り開く鍵は、集中力以外にありません。

自分が、今やるべきことに集中する!

余事に、余念をはさんではいけません。

大切なのは、自分の根本にある精神です。

一時的な勝ち負けに翻弄(ほんろう)されて、ましてや自分の人生に関係のない人たちの気まぐれな心理に振り回されて、そこに自分の生き方などあるはずがありません。

自分を証明するものは、自分自身です。

心さえ折れなければ、それ以外の現象や出来事は一切関係ありません。


人が滅び去る前兆は、例外なく心の内側から始まること忘れてはなりません。



誘発

引っ掛かりが多いほど、人はやるべきことが出来なくなります。

「でも」「だって」「どうせ」

こうした言葉を使うのは、今日からは止めにしましょう。

否定的な言葉は、あなたの内にある否定的な態度を誘発させるからです。

そもそも、否定的な言葉を使っている時は、誰かに対して腹が立っていることの方が圧倒的に多いのです。

否定的な言葉は、意味のない怒りを誘引し、あなたの心を乱していきます。

心が乱れていて、やるべきことに集中出来る訳がありません。

やるべきことをスルーさせれば、次々に不都合なことが沸き起こることになります。

そして、善意の友人からそれを指摘されると、またまた腹立ち紛れに否定的な言葉を使う。

そのうち、訳が分からなくなってきて、どうでもよいことにいちいち引っ掛かかるようになっていくのです。

意味のないことに腹を立て、物腰は険しく、そして余裕のない表情で事に当たれば、当然の帰結としてそこに残るものは、ギスギスしたとげとげしい人間関係だけです。

引っ掛かってばかりいる人は、やるべきことが出来ていません。

やるべきことをやらずに、どれだけ言い訳をして腹を立てても、人生が変わるどころか嫌なことが起きるだけなのです。

まず言葉を改めて、姿勢を内側から正していく。


努力の始まりが、ここにあります。



底力

チャレンジとは、リスクと向き合うことです。

チャレンジとは、覚悟の異名です。

迷ったり不安が襲って来たりした時は、考え込んではいけません。

意識することは、ただ一つ。

腹を決める。

全ての迷いや不安は、腹が定まっていないところから生まれてきます。

まず、この原理原則を理解しましょう。

事を神秘的に捉えるから、神秘的に恐れるようになるのです。

事を成し遂げるのに、根拠など要りません。

潜在意識は、根拠を理解しないからです。

根拠とは、過去の実績です。

潜在意識は、過去の出来事を理解しません。

そして、未来の絵空事も理解することは出来ないのです。

潜在意識が理解出来ることは、ただ一つ。

それは、今という現実の中で、あなたが本当に考えていることだけです。

何が言いたいのかといえば、根拠などあっても無くても、未来をイメージ出来なくても、「私はやれる!」と思えていたら、その思いだけが潜在意識に届いて、それがあなたという人間の本質になっていくのだということです。

根拠無き自信。

これが、最強の力へと変換される。

これこそが、人間の持つ底力なのです。

だから、今の状況に振り回されてはいけません。

状況は、言い訳だからです。

状況なんて、関係ない!

チャレンジしましょう。

腹を決めて、立ち向かっていきましょう。

腹が決まれば、リスクは消えて無くなります。

チャレンジとは、覚悟の異名です。


一人の覚悟こそが道を開き、人に夢と希望を差し示す根源の底力となるのです。



創発

言い訳を止めたときから、真の成長が始まる。

今を真剣に生き抜くと、必ず期待以上の何かが起きます。

自分がやると決めたことに、一切の言い訳をせずに立ち向かったときに、自分では予想もしなかった何かが起きるのです。

「創発」という言葉があります。

少し難しい説明になりますが、創発とは、部分部分が持つそれぞれの単純な性質が複雑に絡み合うことによって、個別の要素の振る舞いからは予測もできないようなシステムが構成されることを言います。

何が言いたいのかと言えば、運命はそのときそのときに起きてくる様々な現象を経て、創発を起こしながらその人の人生を形創っていくということです。

例えば、ある一つのことが閃いて行動を起こしたとします。

その行動が新しい出会いを生み、出会ったその人からつながる新しい出会いが、次の新しい何かを引き寄せるといったことです。

よくよく考えてみれば、私たち人間も無生物から生物へと何かが起きて進化していったとしか、考えようがないのではないでしょうか。

私は考えます。

奇跡とは何かを起こすことであり、その基本のメカニズムこそが創発なのではないかと。

部分部分の、単純な足し算にとどまらない何かが全体として現れて、それまでに考えていたことからは予測もできない何かが起きる。

宇宙の真実が、ここにあるように思われてなりません。

そうであるならば、道が見えてきます。

今という一つの状況は、創発を起こすための部分なのだと理解できたとき、その状況に対する関わり方が変わってくるはずです。

手を抜け、と言っているのではありません。

囚われるな、と言っているのです。

物事に適当に手を抜いて関わっても、創発は起きません。

落胆することなく、真剣にもがいてみるのです。

もがいて、もがいて、ある時は痛烈な後悔の念に襲われながらも、とにかく前へ前へと進んでいく。

そうすると、思いもかけない追い風が吹く。

それが創発なのだと理解しましょう。

ですから、やらないことにどれだけ言い訳をしても、そこに成長は全くありません。

今という時間は、決して今という部分に収まりません。

だからこそ、今というこの空間でもがくのです。


何故ならば、そのもがきこそが創発の予兆となるからです。



アクシデント

何か不慮のアクシデントが起きた時に、その人の本性が表れます。

予期せぬ事態に取り乱す人。

逃げて、音信不通になる人。

凛として動じることなく、落ち着いて対処する人。

常日頃、何を意識して生きてきたのかが遺憾なく発揮されてしまうのです。

アクシデントが起きた時には、まずこう思いましょう。

「神様、そう来ましたか!」

そのアクシデントに対して臆することなく、あくまでも対等の立場を取るのです。

弱気はいけません。

弱気こそが、人生最大の敵だからです。

あなたに起きる様々な出来事には、その全てが未来をよりよく輝かせる為という意味が込められています。

その秘されたメッセージを、あなたが受け取ることが出来るかどうか。

問題はここにあるのです。

人間は、少々のことで死んだりはしません。

死ぬこと以外はかすり傷。


アクシデントが起きたその時こそが、あなたの常日頃が試される時なのです。



戦う相手は胸中に

戦いは、静かに始める。

今あなたがやらねばならないことは、本当はもうあなたはとっくに気が付いています。

しかし、それをやろうとしないのは、あなた自身がそのことを、見て見ぬふりをして済ませているからです。

真に決意した時、人は静かに動き始めます。

一人静かに、そして深く、その事だけを思うからです。

腰を据えてやり抜くと決めた瞬間、静かで力強い精神の力が全身にみなぎり始めます。

その力が、これから巻き起こるであろう困難や批判を、甘んじて受けて立つ覚悟を呼び覚ますのです。

精神力を信じない者に、大きな仕事を成し遂げることは出来ません。

自分という未熟性は、精神という本質をシャンと立たせない限り、明日に向けて動き出すことはないのです。

決断は深く持つ。

深い決断は、時空を超えて響いていくからです。

いつの世も、真の戦いは一人の胸の中から始まります。

形のない思いから、形はつくられていくからです。

それはまず、我が想念と戦うことから全てが始まります。

人は、外からの何かで敗北することはありません。

敗れ去る時はいつも内側から、即ちわが胸中の想念に敗れ去るのです。

戦う相手は、他者ではありません。

あなたの胸の中にある想念です。

ここをどう乗り越えていくか。

自分と向き合うということは、自分と勝負するということです。

勝負とは、決断です。

心をたぎらせる。

心をしっかりと燃やす。

そして、気持ちを戦闘モードに切り替えていくのです。

大切なことは、燃え上がるような思いを持続すること。

だから、静かに燃えるのです。

真の決断力は、静寂の中にあります。

本当にやると決めたら、そこには楽観も感傷も悲観もないからです。

腹を据えて、じっくりゆっくりと取り組みましょう。

大きな山は、ゆっくり登る。

これが鉄則だからです。




第二印象

人は見かけが9割と、第一印象をすこぶる重要視する人がいます。

その考え方の全てを、否定するものではありません。

しかし、一つ注意しなければならないことがあります。

それは見かけとはあくまで見かけであって、本質ではないということです。

それは、初対面の人と会う際の最低限のマナーであって、それ以上の意味を見かけによって醸し出そうとすることに無理を感じるからです。

「ボロは着てても、心は錦」

昔流行った歌に、こんな一節がありました。

心情的には好きな一節ですが、今の時代にはそぐわない考え方です。

初対面の人と会う時にボロを着ていたら、それは相手に対するマナー違反だからです。

初対面同士でお互いを感じ合う印象のことを、第一印象と言います。

見かけが9割と思っている人は、この第一印象がその人との人間関係においてずっと続いていく、変更不可能なファクターになると感じているのかもしれません。

しかし、それは違います。

真に人間関係をつむぐ重要なファクターは、むしろ第一印象の次にあるのです。

それが、第二印象です。

見かけが9割とばかりにどれだけ装いに工夫を凝らしお金をかけても、その人に中身がなければ、それ以上の関係は決してつくれません。

例えつくれたとしても、それは表層的な関係で、そこから創造的な何かを産み出していくことは難しいでしょう。

それでは一体、第二印象とは何を意味するのでしょうか。

それはズバリ「態度」です。

態度とは、所作を言います。

第一印象で、「パッと見」という初対面の儀式を済ませます。

これは数秒で終わります。

そして、その後に続く時間こそが、その人とどういう人間関係が築けるかの大切な時間となります。

この空間を支配するものこそが、「振る舞いの哲学」なのです。

深刻ではなく真剣。

おちゃらけではなくユーモア。

ユーファースト、ミーセカンドの謙虚な姿勢。

オープンマインドで相手を受け入れて、言い方を配慮しながらも自分の考え方は真摯に伝える。

相手が本物ならば、こうした振る舞いが第二印象となって、別れた後、相手の心に強いインパクトを残すのです。

危ないのは、人は見かけが9割という丁か半かの単純な考え方をもって、思考を停止させてしまうことです。

そんな発想が身に付いてしまえば、人間としての中身がどんどん軽薄になっていくことは間違いありません。

例え相手の見かけや見栄えが今ひとつであったとしても、あなたはそんなことで人を評価してはいけません。

温かい眼差しをもって、人を理解する努力を心掛けましょう。

人生を変える本質的な出会いが何処にあるのかは、誰にも分からないからです。



栄光の時

試練の時が、「栄光の時」です。

起こってくる全ての出来事に、「ありがとう!」と心底思えた時、結果が雪崩の如く押し寄せて来ます。

目に見えるところを変えたければ、目に見えない心と戦わなくてはなりません。

心が白けていると、何をやってもうまくいきませんし、そんなことより何もやる気になりません。

まず、戦う態勢をハッキリと創りましょう。

戦う態勢とは「心構え」です。

1日1日の積み重ねを甘く見てはいけません。

やると決めたことに例外を作らない。

これが、本当にやると決めたことに対する1日1日の姿勢であり真剣さです。

事を成就させるためには、深刻にやる必要などありません。

しかし、真剣に心を傾けなくてはなりません。

深刻と真剣は違います。

やると決めたそのことを寝ても覚めても思い続けて、そこに例外を絶対に作らなければ、必ず辿り着きます。

結局物事を成し遂げる最後の砦は、目には見えない心との格闘だったのです。

格闘とは、試練の時を指します。

試練の時は、「ありがとう!」という言葉で、自分を落ち着かせ、腹を決めて人生を拓く「勝負のリング」へと足を進めましょう。

あなたが真の人材である限り、試練は必ずやって来ます。

望むところとばかりに、受けて立ちましょう。

何故ならば、その時こそが「栄光の時」だからです。



誤差

あなたの人生と関係のない人に、一体自分はどのように思われているのかを気にし出したら、もうそれだけであなたの人生の全てが狂ってきます。

人生とは、自分の人生と関係のある人と共に歩く旅だからです。

あなたを嫌う人は、あなたに嫌いなところがあるから嫌うのではありません。

その感情には、特段の理由など何もないのです。

身も蓋もないことを言えば、あなたを嫌いな人は、あなたと出会ったその瞬間から、訳もなくあなたが嫌いなのです。

要するに、縁がないということです。

そうした時には、達観してしまいましょう。

「縁のない人にどれだけ頑張ってみても、あなたの素晴らしさは分からせようがないですよ」


3,000年前に、お釈迦様がこう教えてくれています。

縁を、無理やりつむぐことは出来ません。

出会い任せ。

人生の妙味が、ここにあります。

時にはあるがままに、成るがままに事の運びを受け入れてみましょう。

そこにある少しのイメージの狂いは、冷静に考えてみれば「誤差」のレベルだからです。

誤差に振り回されて、人生がより良く変わることはありません。

あなたの中に確たるぶれない軸があれば、人があなたのことをどう見ようが、そのようなことは全て誤差に過ぎません。

人の見方とあなたの本質は、何の関係もないからです。

自分の人生と関係のないことを気にして生きれば、それは他人の人生を生きることになります。

他人の人生を生きて幸せを掴んだ人は、この世に一人たりともいません。

もう一度言います。

一人たりとも、いません。


あなたの人生と関係ない人の言葉を、寸分たりとも気にしてはいけません。

あなたは、あなたの人生を生きると決めるのです。

この決断こそが、道を切り開くことを忘れてはなりません。




願い

あなたの本当の願いを見つけない限り、あなたが本当のあなたと出会うことはありません。

あなたが、真に望み願うことは何ですか?

毎日の忙しさにかまけて、自分が一体どこに向かっているのかなどまるで気に掛けることもなく、それが当たり前だからと、望まないことを何の疑問も抱かずにやり続ける。

自分が行う様々な行為の中で、何に疑問を持っているのかが、あなたという人間を形づくっていきます。

あなたが、飛躍するための大切な発想。

それは、あなたの願いを知ろうとする態度を持つことです。

人は、願いを知って変わり始めます。

願いは、人を変えるのです。

それでは、願いを知った時、人はどのように変わるのでしょう。

やはり、発想。

発想が変わるのです。

こうなりたい、ああなりたいでは、そこにたどり着くことは出来ません。

自分を変化させる発想、それは。

「こんな生活イヤ!」

これです。

真に願いを叶える原点は、ここにあるのです。

何がイヤで、何がオーケーなのか。

自分と向き合うということは、本当の願いを知り、そしてそこから今の生活を見つめることです。

あなたの中にある「本音」を、ごまかしてはいけません。

真の願いを知らずに漠然と繰り返す生活は、やがてその人生を生存へと劣化させていきます。

願いという本音を無視して、あなたが輝くことなどあり得ないからです。

願いと勝負。

この発想を忘れてはなりません。



輝く未来

奇跡を起こす。

土壇場で踏ん張る最後の気力は、この思い以外にはありません。

自らの全存在を賭けて、この逆境をはねのけてみせる!

何があってもやりきってみせる!

最後は、こうした強い思いを持って戦えたかどうかで決まります。

人生は戦いです。

戦いの場でひるんで逃げれば、その撤退の傷痕は終生、心に刻まれてしまいます。

人生は、逃げたら終わりです。

逃げても逃げても逃げ切れないものが、この世にはあるのです。

そこに気付かぬ振り、見て見ぬ振りをしても、そのようなことは通用しません。

実は、あなたが今、一番やりたくないことが、あなたが今、一番やらなければならないことです。

人生の真実は、逆説の中に隠されています。

戦いを避けて、輝く未来はありません。

さあ、そろそろ目を覚ましましょう。

人生のゴングは、とっくに鳴っているのです。

勝負の舞台に戻りましょう。

人生の最前線から陣を引いている限り、あなたに幸せや成功が訪れることはあり得ないからです。



急所の一手

「強きけいこ/もの数をつくせよ」

世阿弥の教えです。

手足の練習量のないものは駄目。

体得したもの以外は、全く使えない。

頭から上でいくら分かったつもりになっても、そのレベルでは役に立たないという意味です。

あくまでも、手足を動かした練習の量が、人生の結果を左右するという世阿弥の考え方。

能を極めた達人の考え方は、シンプルにして正鵠を射ています。

行き詰まってきたら、頭であれこれ考えても事は進みません。

あれこれ頭をこねくり回すのではなく、手足を動かして、その局面を打開していくのです。

頭は緊張したり不安を覚えたりしますが、手足にはそうした雑念はありません。

ですから、息苦しくなってきたら手足で稼ぐのです。

世の中は無常です。

無常とは、常でないということ。

即ち、変わらないものは何一つとしてないということです。

それは、苦しい状況ばかりが常であることなどあり得ない、ということでもあります。

どれだけ苦しい状況でも、必ず良き状況へと変わります。

但し、あなたがその苦しさから逃げなければ。

恐れや不安を持たない手足を使って、我慢しながら動ききれれば。

苦しい時ほど、手足を動かしましょう。

動きに動くのです。

「強きけいこ/もの数をつくせよ」

ごちゃごちゃ考えてばかりいても、状況は何も良くなりません。

もの数をつくす。

局面打開の急所の一手が、ここにあるのです。



1つだけ

思っていないと巡り合えません。

例えば流れ星に願いをかけるにしても、四六時中その願いを思っていなければ、流れ星はあっという間に過ぎ去ってしまいます。

自分の人生を大きく転換するものは、一体何なのか。

1つだけ、しっかりと考えてみましょう。

1つだけです。

これが、人生で一番大切な仕事です。

考えたら、そのたった1つの重要なことを四六時中思い続けることです。

寝ても覚めても!

これができる人は、そうそういません。

素敵な人と巡り合いたいのなら、素敵な人と巡り合いたいと四六時中思うことです。

思いの強さは時空を超えます。

思いには質量があるからです。

思いは力です。

思いの力を甘くみてはいけません。

世界を変えてやるという思いを四六時中持った人しか、世界を変えるような仕事はできません。

ただ行動しても駄目です。

思いを強く込めて動かなければ、願いは叶わないのです。

心の眼が何を見ているか。

やみくもに動いても、思うような成果はでません。

人生のそのほとんどの戦いが、意志の戦いだからです。

ですから、気持ちで負けていたら、もうそれだけでアウトです。

目指す目標から、いかに気持ちが離れないでいるか。

ここが勝負処です。

たどり着きたい処を四六時中胸に抱いて、思いを込めた行動を取りましょう。

真に味方を呼び寄せる力は、思いを込めた行動のなか以外にはないことを忘れてはなりません。



チームワーク

毎日の一つ一つの気持ちが積み重なり、つながりあって、人間関係の和が出来上がっていきます。

人間関係の和。

アマチュアは、チームワークで和をつくろうとします。

しかし、そうした和をつくっても、そこから強いチームはできません。

プロは違います。

プロは、結果によって和をつくろうとするからです。

人生は、どこかの領域でプロ意識を持たなければ拓けてはきません。

プロ意識を持つということができない人は、ずっと善き人のままです。

善き人であることは必ずしも悪いことではありませんが、これからの時代を標榜したとき、善き人だけでは様々な想定外の局面を乗り切ることはできません。

善き人から強き人へ。

ここ一番のときには、打たれ強い、絶対にやりきる強さを持つことを意識しましょう。

打たれ強いということは、ディフェンスがしっかりしているということです。

守りがだだ漏れなら、どれだけ攻めが強くても、そこに効果は現れません。

足元をまずしっかりと固めて、攻めに転じましょう。

無防備な攻めは思慮なき行動であり、ひいてはそれが和を壊していきます。

戦う意識を持つということは、同時に武器を持つということです。

あなたの武器は何ですか?

ドラッカーはこう言いました。

「強みの上に築け!」と。

自分の強みとは一体何なのか。

ここを知ることは、同時に自分の弱点を知るヒントになります。

自分の強みと弱みを知って戦うのと、何もそうしたことを知ろうとせずに勢いだけで飛び出していくのとでは訳が違います。

戦う意志と武器を持って、足元を固めつつ打って出る一人一人の気持ちが通い合ったとき、そこに最強の人間関係の和が出来上がります。

その和のなかに、不可能を可能にする力が宿ることを忘れてはなりません。



エッセンス

ある自動車販売店でのひとコマです。

人当たりのよい、いつも笑顔を絶やさない新入社員がいました。

毎日自分のエリアを小まめに回り、コミュニケーションを絶やすことなく、健気なくらいに自動車販売という仕事に打ち込んでいました。

しかし、彼女には頭から離れない困った問題がありました。

コツコツ頑張っているわりに結果が出ないのです。

お客様とは、コミュニケーションは取れている。

勿論、人間関係だって悪くない。

でも、結果が出ない。

彼女は一人で悶々とします。

そうした彼女を、じっと見ていた一人の男がいました。
彼女の先輩です。

彼は、静かに彼女に語りかけました。

「ただお客様と仲良くなるだけでは駄目。それだけでは、車は売れない。
そこから本音でどう切り込んでいくか。どう具体的に、こちらが売りたい車に試乗してもらうか。いずれ車を買い換えるのなら、今が下取り価格で有利なことを伝えて、とにかく試乗してもらう。君はそこを外している。こちらが腹をくくっていないと、そこから先の戦略は出てこない」

彼女は素直に、その先輩の助言を受け止めて実行に移しました。

すると、車が売れ始めたのです。

彼女は壁を乗り越えました。

経験の重みがここにあります。

流れを変え、壁を乗り越えるためには、考え方を改めるだけでは叶いません。

行動というシステムだけを変更しても、それだけで劇的に状況が変わるというものでもありません。

この話に含まれている大切なエッセンス。

それは、考え方とシステムを同時に変えることの重要性です。

行き詰まりの劇的な打開策が、ここにあります。



紙一重

人の成敗、みな時ありです。

勝っても負けても、過ぎ去ったことは全て過去。

負けて落胆せず、勝っておごらず。

負けには負けの意味があり、勝ちには勝ちの意味があります。

勝ち負けは、表裏の関係であると理解しましょう。

今日の負けのなかにあるメリットを、考え抜くことが大切です。

負けた原因を明日の勝ちへのメリットと捉えることが、「紙一重」で勝者へのターニングポイントとなるからです。

負けて後悔の念だけに囚われて、くよくよしていてはいけません。

それでは、人生のなかでそうそう出会うことの出来ないメリットを、みすみす逃してしまうからです。

しかし、誰でも人間です。

悔しがるなら、感覚ではなく、本気で悔しがりましょう。

そして、その悔しさを資産に変えるのです。

忘れない!

この悔しさを、必ずリベンジする!

こうして、その悔しさを決意に変えていくのです。

あとは、負けて気付いた様々なことに対して、サバサバとした気持ちで対策を講じていけばよいのです。

必要でないことを削ぎ落とす。

そうして出来たスペースに、負けから分析した勝ちへのビジョンを具体的に落としていく。


あとは、そのビジョンを淡々とやり続ければよいのです。

プロには、プロとしての試練があります。

途中の勝ち負けに一喜一憂することなく、最後の勝ちを目指して、我が道を淡々と歩くのです。



夢の途中

ものの感じ方が広がれば、表現の仕方も広がります。

ものの感じ方が広がりを持つと、情報に対する価値が、今までとは違って感じることが出来ます。

視点を広く持ちましょう。

ワンサイドからの発想は、考え方を窮屈にするからです。

窮屈な考え方は、窮屈な行動を促します。

窮屈な行動を続けていると、行く先に光は見えません。

窮屈な行動とは、正しいことだけをワンサイドから考えて、「こうしなくてはならない!」といった強迫観念から出発する行為です。

この窮屈な空気を、人は嫌います。

不真面目にやれと言っているのではありません。

いくら正しくても、楽しくないと人は集まってこないのです。

そういう意味で、「正しいことより楽しいこと」という物の見方を持ってみましょう。

しかし、いくら楽しくても、やっていることがめちゃくちゃでは、それは論外であることは言うまでもありません。

楽しさの究極は、ロマンを持つことです。

あなたのロマンはなんですか?

あなたは、自らのロマンを語れていますか?

自らのロマンに心が震えたとき、その振動は人に伝播(でんぱ)していきます。

その振動の共有が、あなたと共に人生を歩む人たちを引き寄せるのです。

物の見方や感じ方は、自らのロマンを語ることで広がっていきます。

夢やロマンを語りましょう。

真の人生は、ロマンを語りながら歩む「夢の途中」にあるからです。