埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

 

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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

豊翔のブログ



設備投資

我が主体性を止めるような行動は、意図的に止めにしましょう。

自らの下すジャッジメントによって起こす行動が、未来の負債となるのか、それとも資産となるのか。

心しなくてはならないことは、未来に負債となって残る行動は、厳に戒めるべきであるということです。

その一方で、今は資産化していないけれど、将来大きく花開いて資産となる可能性を秘めた行動は、リスクを恐れず積極的に行わねばなりません。

人間一個の盛衰も事業と同じで、新しく前向きな「設備投資」をしなければ、今はそこそこ良くても必ずその順調さはしなびてきます。

未来のリターンは、資産化する積極的な行動以外に期待することは出来ません。

単なる願いは、白日夢と同じです。

夢に、期日とか予算とかの数字を加えた時に、白日夢が目標に変わります。

目標を実現するためには、具体的な計画と、その局面局面で「発明」を心掛けなくてはなりません。

発明とは、どういう言い方をしたら相手が分かってくれるのかとか、どういうタイミングだったらスムーズに事が運ぶのかといったことを、自分で考えて自分でやることを意味します。

ひと手間かけた隠し味のような労力が、最後の最後に物を言うことを覚えておきましょう。

具体的な計画と発明。

しかし、これだけでは目標達成に向かって実施した行動が、資産化されることはありません。

もう一つ重要な要素が必要なのです。

それは決断です。

それでは、未来に資産化する行動を生み出す決断とは、一体何を指すのでしょうか。

それは、「差し出すものを明確にする!」という吹っ切れた態度です。

人は、差し出すものを明快にした時、真に戦う体勢を整えることが出来るからです。

座して敗れるのではなく、打って出ましょう。

時として人生は、「しない後悔よりした後悔」のなかに深みが増していくからです。



ゲーム

強迫観念で動くのはもう止めにしましょう。

考えても意味のない、自分ではどうしようもないことを繰り返し考えて、その結果何々をせねばならないと思って行動する。

これが強迫観念です。

腹を決める。

全てが、ここからしか始まらないことをしみじみと感じます。

いちいち気にして、いちいちオドオドすることは止めましょう。

分かりあえない人に分かってもらおうとするから、強迫観念に襲われるのです。

嫌いな人と付き合おうとなんてしなくてもいいのです。

人生はうまく出来ていて、ネガティブがあれば必ず反対側にポジティブがあり、マイナスがあれば必ずプラスがあるというように設計されています。

私はこうです!

こうキッパリ宣言してしまいましょう。

人生はこの指止まれゲームです。

この指に止まってくれる人だけ相手にすればよいのです。

善人は傷付きやすくセンシィティブですが、敢えてそこをひとつ超えていきましょう。

敢えて面の皮を厚く!

いちいち傷付かないメンタルを持ちましょう。

ネガティブの向こう側にあるポジティブを信じて、一日一日を積み上げていくのです。

人生最後は皆、灰です。

どうせ相手にするなら大物を相手にしましょう。

気分や気紛れで動く小物を相手にしているから、些細なことで悩み傷付くのです。

小物を相手にしている限り、道は拓けません。

勝負は大物とする!

小物とは勝負以前の問題であり、相手にならないという前提を持つことが大切なのです。




境地

フランスの作家、マルセル・プルーストはこう記しました。

「真の発見の旅は、新たな景色を見ることではなく、新たな目を持つことにあるのだ」

起こってくる出来事は、どういう目で眺めるかによってその意味がまるで変わります。

事の本質は何か。

常にこの視点を外してはなりません。

脈拍をグラフに映せば、必ず山と谷が交互につながる線が表れます。

横一線はありません。

山と谷の振幅がなければ、その人は脈がない状態といえます。

かろうじて生存しているかもしれませんが、何かを成し遂げる生気を宿してはいません。

つまり、生きているとは山と谷が共存するということなのです。

それを人生に例えれば、調子のよい時と調子の悪い時が必ずあるということです。

逆にいえば、調子のよい時ばかりが一本調子で続くことはあり得ません。

そして、調子が悪い時も、そればかりが続くことはないのです。

何がその現象を問題化させているのかを、一度違う目で眺め直してみましょう。

違う目で眺めた時、問題の本質が見えてくることがあるからです。

それは、ゴールへのビジョンがないということです。

ゴールへのビジョンを真に理解し、そのビジョンに沿った行動をする!

ビジョンから外れたことはしない!

何のビジョンもなく、その時だけの対処療法では、逆境を乗り越えることは出来ません。

人生は山あり谷ありの連続です。

今こそ、あなたの心が震えるような人生のビジョンを立てて、そのビジョンを真に理解して、一点の曇りもなくビジョンに沿った行動をしていきましょう。

新しい目とは、自分が頑張ることを再確認した時に得られる「境地」なのです。




一流

二流にスランプはない!

野村克也の言葉です。

三流は無視、二流は称賛、一流は非難。

これが選手を引っ張っていく際の野村流の手法とか。

三流は無視というのが何とも痛烈ですが、プロフェッショナルを彷彿とさせます。

いかなる世界であれ、成功する人は皆プロフェッショナル意識を持っています。

自分がやると決めたことに、絶対に手を抜くことはしません。

石にかじりついてでも結果を出してきます。

プロの世界は結果が全てだからです。

翻って私たちも、自分が勝負する舞台はどこなのかをハッキリさせて、その分野におけるプロフェッショナルを目指さなければなりません。

しかし、いくらその分野でプロ意識を醸成しても、現実に結果を出すことが出来なければ三流の烙印を押されてしまいます。

三流は無視されます。

しかし、そこで一流になっても、非難が待ち受けています。

即ち、天狗にならないで常に原点に戻り、更に飛躍せよと叱咤激励されるのです。

人は期待されてやる気になります。

だから二流は誉められるのです。

しかし一流は非難されることによって、やる気を本気に変えます。

つまり、期待されて喜んでいるのは二流なのです。

非難されて、期待を超えていこうとするのが一流です。

一流を目指しましょう。

あなたの戦うゾーンをハッキリと決めて、そこで一切の言い訳や妥協を排して、ナンバーワンを目指すのです。

オンリーワンたる存在は、ナンバーワンを目指してこそなのです。



空気

やる人の空気を創れば、やらない人はいなくなります。

やる人もやらない人も、全ての人を平等に拾おうとすれば、そこには必ずやらない人の空気が蔓延します。

人を差別をしてはいけませんが、区別はしなくてはなりません。

何故ならば、やった人とやらなかった人が同じように扱われたとしたら、悪貨が良貨を駆逐するようなことになるからです。

空気を創るということが如何に大切なことか。

リーダーたる者は心しなくてはなりません。

人は誰に影響を受けるかで、その人生がまるで違ったものになります。

人間は、最後は動物です。

結局人生は、運も出会いも引きも、その人が出している空気で決まってしまうことを理解しましょう。

そうであるが故に、やる人の空気でチームを満たすことが最重要なことになるのです。

やらない人の空気を入れてはなりません。

人もチームも低きに流れた時、その空気を高きに戻すことは、川の水を川下から川上に逆流させるが如くに困難だからです。

目標を見据えた、考えて動く個人個人の和としての強いチームを創る!

この土台となるものが、やる人の空気なのです。



最短ルート

練習は、不可能を可能にします。

やるべきことが出来ないのは致命傷です。

好きとか嫌いとかでなく、次のステップに飛躍するためには、今まで避けてきた課題に取り組まなければなりません。

新しいゾーンにある課題は、いきなり初めからうまくは出来ません。

段階を追って、自分の流れをつくって取り組むことが、新しい能力を手に入れる最短ルートです。

逃げきれないものが、人生には必ず定期的に現れてきます。

その時は観念して、じっくりゆっくりとその課題を練習しましょう。

練習は不可能を可能にします。

天才も繰り返される練習には負けるのです。

そして、繰り返される練習がこそ天才を創るのです。

勝つためには、考えて行動しなければなりません。

意識は、必死で考えて行動するなかで醸成されるからです。

醸成された意識は、必ず自分を訓練していく流れをプログラムしようとします。

一流と称される人たちはみな、自分を更に高めていく「流れ」を大切にします。

その流れこそが練習なのです。

一日ひとつ、練習する習慣をつくりあげましょう。

スキルを具体的にアップしなければ、現実は動かないからです。



最低と最高

情熱こそが発明の母!

かつて発明王エジソンは、このように語りました。

リーダーたる者は、冷めたら終わりです。

閃きもアイデアも、枯れることのない情熱が引き寄せるからです。

今日1日をどのようにクリエイトしてゆくかを、熱く思考しましょう。

どのようにしたらうまくいくのかをイメージしてみるのです。

その時、最低と最高の両極端でイメージすることが有効です。

最低を先に。

最高を後にイメージする。

最低とは、これ以上下がない、あるのは上だけと訳します。

最低ということがしっかりイメージ出来ていれば、恐れはなくなります。

その上で、最高をイメージしましょう。

しかし、最高という意味にしても、これ以上上がない、あるのは下だけとも解せます。

要するに、その状況をどのように解釈するかなのです。

最低を理解して腹を決める。

あとはネガティブ思考をしないで、最高なシーンを思い描けばよいのです。

どう転んでも私はやる!

これがリーダーが持つべき情熱です。

なにがあっても明るく、熱くいきましょう。

冷めた人間が百千万人いても、未来を見据えた一人の熱い情熱には遠く及ばないからです。



仕事密度

発想を大胆に変えれば、無駄が見えてくる!

これは優れた経営者が、効率を追及するときの考え方です。

仕事はかけた時間ではなく、密度で決まります。

一時間あたりの仕事密度を上げる!

ここが意識の置き所です。

仕事の密度を上げるために、まず大切なことは完璧主義を排除することです。

70点でよしとすることを是としましょう。

仕事に完璧を求め続けると、かえって仕事の密度を上げることが出来なくなります。

それどころか、自分が思う完璧が実現出来なかったときに、やる気が湧かなくなってしまいます。

仕事密度を上げるとは、レンガを一個一個きっちり積み上げていくようなことではありません。

壁にペンキを塗るような仕事をすること、と捉えるのが正解です。

最初は粗塗りする。

完璧に塗ろうと焦らない。

そして、その上から二回目、三回目とペンキを重ねていくのです。

質は量によってもたらされます。

完璧主義は、量をこなすことの妨げとなってしまうのです。

仕事密度とは、時間の圧縮です。

時間の圧縮とは一つのあるべき結果をイメージして、ただそれだけを心に思い浮かべて、何回も壁にペンキを塗る無心の境地をいいます。

ここに仕事密度が堆積されて、あなたのイメージが現実となるのです。

邪念が入った仕事にどれだけ時間をかけても、仕事密度が上がることはありません。

没頭没我の境地で繰り返すことが、究極の仕事密度となることを忘れてはなりません。



杞憂の正体

成功の扉は押さなくては開きません。

成功の扉は引いても開かないのです。

あまり真面目に考え過ぎないで、今あなたの目の前にある扉を押してみましょう。

扉を開ければ、次の現実が待っています。

次の現実に足を踏み入れたあなたは、その現実がそんなに複雑ではなかったことに気付くはずです。

心配していたほどややこしいものではなく、スッと事が運ぶことに気が付くのです。

「杞憂(きゆう)」という言葉があります。

この言葉は、杞の国の人が天が落ちてこないか憂いたという故事より、取り越し苦労の意味で使われます。

まだ起きてもいない事を、取り越し苦労をして心配するのは止めにしましょう。

取り越し苦労は繰り越し苦労となって、やがてあなたを疲れさせていくからです。

人生「出たとこ勝負」、くらいのハンドルの遊びがあった方がよいのです。

達観して眺めれば、物事はなるようにしかなりません。

うまくいかない時は、何をやってもうまくいかないからです。

うまくいかない時は流れに身を任せて、あまり細かく考え過ぎないことが大切です。

心を穏やかに、平静に保ちましょう。

心配や怒りこそが杞憂の正体だからです。

真の成功は、落ち着きのなかにあります。

落ち着いて、平静な心を持って、いま目の前にある扉を押してみてください。

あなたを導く、次の新しい物語がそこに待っています。




あるがまま

「もう、相手がどう出てくるのかを考えることは止めた!」

先日外国で行われた剣道の世界選手権で、見事に優勝を果たした日本チームのある剣士の言葉です。

彼は今まで勝てなかったことの理由と、このように向き合いました。

負けることを恐れるあまり、相手に惑わされていた!

その心こそが敵であったのであり、その心に打ち勝つことが全ての鍵なのだ!

彼は言います。

無心で戦う心こそが、何者にも揺らぐことのない不動の力を生み出すのだ、と。

勝つとも思わない。

負けるとも思わない。

あるがまま。

なるがまま。

喜んで受け入れて、感謝して味わう。

これだけ目まぐるしく動く時代のなかで、時にはひとり、このように「達観」してみましょう。

心を静めて「我れ思う、故に我れあり」という、自分自身の存在の在り方に思いを馳せてみましょう。

全ては、あなたの意識で決まります。

夢忘れてはならないことは、状況が意識を作るのではなく、意識が状況を創るのだということです。

相手が問題なのではなく、相手に振り回されているあなたの意識が問題なのです。

人は、少々のことで行き詰まったりはしないのです。

あなたが、さほど意味のない状況や人に振り回されて、自分を見失ったからそう感じたのです。

「もう、相手がどう出てくるのかを考えるのは止めた!」

剣豪の悟りを、爪の垢(あか)ほどでも頂ければと思います。



怠惰

簡単な道を選ぶと弱い人になります。

あなたは、弱さの本質を考えてみたことがありますか?

弱さとは、怠惰を意味します。

怠惰な人は、先伸ばしの人です。

なぜ先伸ばしにするのか?

出来る要因を考えずに、いつも「出来ない理由」を最初に考えるからです。

出来ない理由を探さない!

ここを発想の原点に据えることが、一番重要なことです。

自分が本当にやると決めたことに対して、絶対にぶれてはなりません。

ぶれは迷いです。

悩んでもいいから、迷ってはいけません。

堂々巡りの生き方ほど、見ていて歯がゆくなる生き方はありません。

人は確信に付いてきます。

確信とは、自分を信じることから始まります。

他人を信じることは難しいかもしれませんが、せめて自分で自分を信じることも出来ないで、どうして人を引っ張っていくリーダーになることが出来るでしょうか。

こんなことを言って、本当に通じるのだろうか。

こんなことをしているだけで、本当に通用するのだろうか。

こうした漠然とした不安の発信基地は、全て自分で自分を信じることができないという一点にあるのです。

大切なことは、技術よりも、技術の向こう側にある自分を信じる力であり、その自信の波動が相手に通じていくのだ、ということを知らずして成功することはできません。

自信が怠惰の上に築かれることは絶対にありません。

易き道を安易にチョイスすれば、その道は滅びの道となります。

真のプロフェッショナルは、築くは難く、滅ぶは易しという法則をしかと心得ています。

易き道、簡単な道を選んではなりません。

その道がどうあれ、あなたはあなたが行くべき道を行かなければなりません。

困難は、負荷となって人を磨きます。

易き道に負荷はありません。

だから簡単な道を選ぶと、弱い人になるのです。

弱い人が、人生を勝ち取ることなどできません。

簡単な道には、必ず落とし穴があります。

易きを去って、難きに就く。

ひとつ上をいく精神力を意識しましょう。

人と同じところで引っ掛かって、人と同じところで悩んでも、あなたに成功が訪れることはありません。

ワンランク上の発想と情熱と行動が、あなたの道を拓く要諦であることを忘れてはなりません。



グレシャムの法則

「悪貨は良貨を駆逐する」という経済用語があります。

グレシャムの法則といいます。

人間も同じです。

人間は何のために生まれてきたのでしょうか。

幸せになるためです。

幸せとは良好な人間関係のなかで、共に築き上げていくものです。

その骨格を成すものこそが「マナー」なのです。

伸びない人は、例外なくマナーに欠けています。

要するに、決定的に失礼なのです。

世の中には、言ってはいけないこと、やってはいけないこと、出してはいけない空気があります。

これがマナーです。

言ってはいけないことを言い、やってはいけないことをやり、出してはいけない空気を出す人が「悪貨」となって、「良貨」を駆逐していくのです。

良き人間関係の構築こそが人生の目的であり、そこには必ず良き経済的なバックアップがあります。

良き人間関係を築いた方が、結局成功への近道であることを忘れてはなりません。



迷わず仕掛ける

行動に見合うものしか、結果となって現れることはありません。

収穫物が欲しいのなら、まず種を蒔かなくてはならないということです。

もやしの種を撒くのか、大根の種を撒くのか、それともスイカの種を撒くのか。

何を収穫したいのかを、まず自分がしっかりと分かっていなくてはなりません。

魚釣りも同じです。

金魚が欲しいのなら、金魚の餌を用意する。

マグロが欲しいのなら、マグロの餌を用意しなくてはなりません。

何かを得たいという時に、種を撒いて育てるのか、それとも出来上がっているものを吊り上げるのか。

農耕型か狩猟型か。

安定した収益を長期的にもたらすビジネスは、どちらかといえば農耕型です。

農耕型といっても、ただ単純に種を蒔けばよいのではありません。

種を撒く準備が必要です。

そして、そこからプロセスを追って育てていくのです。

耕す→種を撒く→水をやる→肥料をやる→見守る→収穫する。

このプロセスを通ることによって、狙った収穫物が手に入ります。

ここで特に大事なことは、「見守る」というプロセスです。

これは人間関係においても同じです。

じっと静かに見守る。

見守るとは、観察することを意味します。

相手が成長するためのニーズを見極めるのです。

見極めたら、ためらわずに仕掛けることが重要です。

どれだけ仕掛けたかの量が、最後に行動の質へと転換して収穫へと導くからです。

このように書くとややこしそうに思うかもしれませんが、こうしたプロセスを一瞬に凝縮して、瞬間の判断で事を起こしている人が成功を手にしている人たちなのです。

いかに仕掛けるかが、結果を引き寄せるポイントです。

迷わずどんどん仕掛けていきましょう。

人生はやるかやらないかであり、やった者勝ちであることは、否定の出来ない事実なのです。



秘義

物事を真に理解するためには、秘訣があります。

その秘訣とは、素直になることです。

理解に苦しんだり、疑いを持って人を斜めから見ることは誰にでも出来ます。

誰にでも出来ることを何の考えもなしに続けていても、富が独りでに集まってくることはありません。

大切なことは、まず信じる心構えをつくることです。

これはやや、無神論者と神の関係に似ています。

これを世間一般の成功に置き換えれば、この場合それが神ではなく、富であるというだけの話です。

もし全知全能の神が存在すれば、それを信じる者はあらゆるものを手に入れることが出来ます。

もし神が存在しなかったとしても、それで何を失うというものでもありません。

富を手に入れる秘訣について、成功者の人たちはみな同じような考え方をしています。

例えばお金です。

お金持ちになる簡単な秘訣を、世界中の億万長者はこうサゼスチョンしています。

本当にお金持ちになりたいのなら、自分がいくら稼ぎたいのか、それをいつまでに稼ぐのかを一枚の真っ白な紙に書き入れなさい!

それが、富を得る不思議な秘訣である、と。

紙に数字を書いただけで、空からお金が降ってくるとでも言うのでしょうか?

答えは、


YES!

成功者の人々は、それ以外に答えはないと言うのです。

秘訣はごくごく簡単なことだ、と。

世界中の億万長者はみな例外なく、稼ごうとする金額と期限とを決めたときからお金が稼げるようになったと告白しています。

それでも、信じる心構えの出来ていないその他大勢の人たちは、こう言います。

金額と期限とを書き込むことが、一体何の助けになるのか、と。

しかし、まず自分が何処へ向かって歩けばいいのかが分からなければ、何処へもたどり着くことは出来ません。

このことを、「目標明示の秘義」と呼びます。

言葉はその場で消えてなくなりますが、書き記せば後々まで残ります。

それは人生全般にいえることです。

成功に縁のない類いの人間が、いつまでも気付かずにいることがあります。

それは、人は自分が求めたものしか人生から受け取ることは出来ない、ということです。

故にまず最初にすべきことは、自分が人生に何を求めているのかをはっきりさせる、ということなのです。

要求があいまいでは、結果もあいまいなものにならざるを得ません。

僅かしか望まなければ、僅かしか得られません。

実りが少なかったからといって嘆くことはナンセンスです。

何故ならば、そのように望んだのは、他ならぬ自分自身だったからです。



REBOOT

あなたを取り巻く一切の環境は、あなたの意識の投影です。

生活環境も収入も、その全てはあなたの意識が決めていることを忘れてはなりません。

あなたが当然重要だと思っていることも、実はそう思っているだけで、あなたの全てを決定する意識をスルーして、思考停止の材料となっているのかもしれません。

自分と向き合うことが大切です。

自分と向き合うとは、そんなの当たり前と思っていることに、改めて意識の光を当てることを意味します。

自分と向き合い、自分と渡り合うことによって、思いもかけない方向から「転機」が訪れます。

転機を誘導する最大の要因は、「意味」です。

その状況や現象の奥に潜む意味を建設的な態度で見つめ直した時、人はハッとして再起動します。

事が動かないのは、あなたが動かそうとしなかったからです。

原因を外に求めてはいけません。

取るに足らざる者にいつまでも引っ掛かっているのは、あなたが思考停止に陥っているからです。

思考停止は、後ろ向きな態度で状況を意味付けします。

その結果、全ての原因を自分以外の何者かのせいにして、結局何もしないのです。

全ての停滞の原因は、あなたの意識にあります。

要するに、戦おうとする気持ちが決定的に欠如しているのです。

立ち向かっていく精神、戦う気持ちを持つことが、事を動かしていく本質です。

戦う気持ちをなくして、先に進むことなど出来ないからです。



定理

「99.9%は仮説」という本によると、私たちが、
そんなの当たり前だと思っている事が
意外に証明されていないそうです。

例えば、飛行機は何故飛ぶか?

揚力があるからとか言ってますが、
最後の最後まで飛ぶ理由を突き詰めていくと、
結局は分からないのだそうです。

飛行機は何故飛ぶか?

いま僕の考え方で、
この問いに答えるのではなく、
この問いに感じてみたいと思います。

飛行機は何故落ちないで、空を飛ぶのか?

それは、落ちる前に進んでいるからです。

落ちる前に進んでいるのですから、
落ちるはずはないのです。

迷ったり、悩んだり、行き詰まった時の、
たった一つの答えは、とにかく前に進んでいく事。

これだけです。

悩むなら、前向きに悩む。

迷うなら、前向きに迷う。

行き詰まるなら、挑戦的な態度で行き詰まる。

悩みや、迷いや、行き詰まりは、
あなたが人生という空を飛んでいるから起こるのです。

飛行機と同じです。

あなたが、現役で頑張っているから起こるのです。

あなたが、逃げなかったから起こるのです。

飛行機は向かい風を受けて飛びます。

向かい風が強ければ強いほど、飛行機は高きを飛びます。

あなたも同じです。

人生の最前線では、何があっても、
前に進みきる者だけが栄光を掴むという
“定理”を忘れてはなりません。

ただ前へ進むのではありません。

意志をしっかり持って、
前へ前へと、進みきるのです。

意志あるところ道は拓ける、ではありません。

これは、やや言葉足らずです。

人生の最前線で起こるミラクルは、

意志あるところ、道は「突然」拓ける!

この感覚です。

意味のある「突然」を、引き寄せましょう。

ミラクルは、何があっても前へ前へと
進みきる者にのみ起こる事を肝に銘じましょう。



ひとつの真実

状況よりあなたが小さいと、あなたは緊張します。

状況よりあなたが小さいと、あなたの心拍数は上がります。

状況よりあなたが小さいと、あなたは自分を見失います。

状況よりあなたが小さいと、あなたは動転します。

状況よりあなたが小さいと、あなたはその瞬間、最悪をイメージします。

状況よりあなたが小さいと、あなたの呼吸は荒くなってきます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは余計な事が気になってきます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは急に怖じ気づきます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは勇気を忘れます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは心配します。

状況よりあなたが小さいと、あなたは不安になります。

状況よりあなたが小さいと、あなたは卑屈になります。

状況よりあなたが小さいと、あなたは気後れします。

状況よりあなたが小さいと、あなたは戦う前にすでに負けている事に気付きません。

状況よりあなたが小さいと、あなたは去り行く者に未練を持ちます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは硬直します。

状況よりあなたが小さいと、あなたは思考停止に陥ります。

状況よりあなたが小さいと・・

状況よりあなたが小さいと・・

勝負するその時に、プロが唯一意識する事。

それは、全ての始まりは取り組む前のメンタルなんだという事。

状況よりあなたが小さいと、あなたは緊張します。

状況よりあなたが大きければ、あなたは緊張しません。

状況よりあなたが大きければ、あなたは穏やかです。

状況よりあなたが大きければ、あなたは怯えません。

状況よりあなたが大きければ、あなたは在るがままのあなたです。

状況よりあなたが大きければ・・

状況よりあなたが大きければ・・

ただ、それだけです。

ただそれだけの、ひとつの真実。

でも、これこそがシンプルにして、最大の関門であり、いにしえの賢者が挑んだ高いハードルだったのです。



負けの質

「不可能は、臆病者の言い訳である」

ナポレオンが好んだ言葉です。

状況は常に、未来への連続線のなかにあります。

特に意識しなくてはならないのは、初戦の「一勝」です。

初戦の一敗は、それを取り返そうとするとき、何倍ものパワーを必要とするからです。

全てを俯瞰(ふかん)するものは、意識です。

状況はすぐに変わりませんが、心構えはすぐに変えることが出来ます。

状況が問題なのではなく、あなたの意識が何を見ているのかが問題なのです。

勝負処では、原点に戻りましょう。

ここ一番の時にあなたの意識がひるんでいたら、あなたがチャンスを手にすることは永遠にありません。

状況に挑んで、たとえ敗れたとしても、その事実が問題なのではありません。

「負けの質」が問題なのです。

勝負して負けたのか。

はなから諦めて、逃げて負けたのか。

後者に未来が訪れることはないのです。

勝負処におけるキーワードは、「戦う楽観主義」です。

深刻にやるのではなく、真剣にやる!

人生がいつも、あなたを試しています。

死ぬこと以外はかすり傷です。

全ては、あなたの意識が決めることを忘れてはなりません。



凡を極めて

「凡を極めて非凡に至る」ことが、仕事の奥義です。

自分一人で出す知恵など、たかが知れています。

それよりも、道の先を行く先輩の優れた話をよく聞き、その優れた部分を学んで応用しましょう。

まずは真似から先人の知恵を頂くのです。

仕事というのは、過去の仕事のなかにヒントがいくつもあります。

仕事の大半は、同じことの繰り返しにすぎないからです。

そのルーティンのなかで、自分が今何をなすべきかというイメージが、はっきりと持てているかどうかが重要なのです。

実は、仕事で全く初めての事態というのは、ほとんど存在しません。

過去の事例と何かしらの共通性があるものなのです。

仕事でもスポーツでもそうですが、効率のよいやり方や方法は必ずあります。

無駄な動きをしていては速くは走れませんし、相手の動きを読んでそれをかわす頭脳プレーをしなければ、試合には勝てません。

仕事でも無駄な努力をしていては、成果は上がらないのです。

よい仕事をしたければ、「勝利の方程式」を作り上げる必要があることを理解しなくてはなりません。

高校野球で甲子園の常連校をみると、有望な中学生を授業料免除や奨学金で集め、充実したグランドや屋内練習場を備えて、選手たちが勝つための技術を効率よく体得できる「システム」を持っていることに気付きます。

投手には、速い球を投げるための体の動かし方があり、ピンチになったときには打者の裏をかく配球テクニックがいるはずです。

バントや盗塁などを教えるにしても、技術を確実に身に付けさせる練習方法やスケジュールの立て方があるはずで、そうしたことを考えずに、生徒がやみくもに練習してもなかなか上達することは出来ません。

技術面だけではありません。

大舞台で上がらないようにするメンタルトレーニングでも、何かしら蓄積されたノウハウがあるはずです。

つまり強い学校には、生徒の力を最大限に引き出し、勝てるチームを作り上げる「勝利の方程式」があるのです。

この方程式は、プアなイノベーションより、優れたイミテーションから生まれます。

プアなイノベーションのために、多くの手間と時間をかけるのではなく、優れたイミテーションを積み重ねた先に、優れたイノベーションが生まれてくるという発想を持つことも大切ことなのです。



人知れず・・

華やかなステージの裏側に、真実の人生があります。

人をその表層のみで見ていると、人生の進み方を誤ってしまいます。

高い山であればあるほど、その裾野は広大です。

山の高さだけを見てそこに追い付こうと思っても、その山を支える裾野を見ない限り、追い付くことは出来ません。

輝く光を放っている人たちは皆例外なく、人知れずの努力を黙々と積み上げていることを知らなくてはなりません。

彼らは、そうした陰の努力を決して人に見せません。

弱音を吐くこともしません。

ただ黙々と、自分がやるべきことに徹して、自分を追い込んでいくのです。

そうした努力のなかで、高き山の裾野のように形創られていくものがあります。

それが、「在り方」です。

事を処すに当たって、「どうするか」よりも大切なものがあります。

それは、「どう在るか」です。

人は、在り方によって人生を創り上げていくからです。

ここ一番の人生のステージに直面した時、付け焼き刃の行動は通用しません。

人生は、その行動を担保する「態度」が決めるからです。

やると決めたことは、やり続けましょう。

やると決めたことに、例外を作ってはいけません。

何があってもやり続けようとする態度が、やがてあなたの在り方を形創り、その在り方が存在感となってあなたの行動を担保するのです。

真実の人生は、ステージの裏側にあります。

人知れずの努力の継続こそが、真のプライドある人生への直道なのです。



浮かむ瀬

天国に行きたければ、地獄を見る覚悟がなくてはなりません。

楽なことばかりを夢見て、楽な道ばかりを選ぼうとするから、途切れることなく地獄が続くのです。

人生の転機は、「逆説」のなかにあります。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺(ことわざ)があります。

一身を犠牲にするだけの覚悟があって、初めて活路も見出だせるという意味です。

これは、空也上人の作と伝えられています。

「山川の末に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」

(山あいの川を流れてきたトチの実は、自分から川に身を投げたからこそやがては浮かび上がり、こうして広い下流に到達することができたのだ)-空也上人絵詞伝-

という歌が出典とされています。

「浮かむ瀬」とは、原歌では仏の悟りを得る機縁、成仏の意ですが、これを窮地から脱して安泰を得るという世俗一般のこととして、この諺は使われています。

自分を大事と思って我(が)に執着していては、なかなか道は開けてこないと、空也は教えてくれています。

楽な生き方はしない!

この決然とした態度を持つことが、安泰の人生を形創る出発点となるのです。

あなたの弱気や弱音は、決然たる意思の力を見くびって、絶対的な安全策を取ろうという老婆心から発せられていることを、そろそろ理解しなくてはなりません。

成功者にあって、失敗者に100%ないものは、リスクに飛び込む覚悟です。

凛として表情を引き締めて、今やるべき事に、この身を投じていきましょう。

戦う意思を放棄した者に、安泰の明日がくることなどあり得ないのです。



しない!

結果を出す人は、人に左右されない、自分の意志さえあれば守れる目標を持っています。

人生は人との競争のようであって、実はそうではない様々な様相を併せ持っています。

自立とは「自律」です。

いつの時代も、「敵は我れにあり」だからです。

自分を律するための有効な方法を聞きました。

それは、“Not To Do List"の作成です。

普通、“To Do List"即ち「やるべき事リスト」を書き出すということは普通によく聞く話ですが、「やらない事リスト」という発想はあまり耳にしません。

実際にやってみると何か新しいことを始めるよりも、より自分と向き合い、自分と対決する要素が強いことに気が付きます。

だらだらテレビを見ない。

ネットサーフィンはしない。

今日はお酒は飲まない。

こうした、「何々をしない」ということが、Not To Do Listです。

時間を再生産するためには、今までしてきた何かを「しない」という発想が有効なのです。

「産みの苦しみ」という言葉があります。

歓喜や達成感や充実感は、産みの苦しみを経由して得られる幸せです。

幸せは、弱い自分を律していく戦いから始まります。

何々をしないということは、一見消極的な態度に見えますが、実はそうではありません。

知らず知らずのうちに溢れんばかりの情報と物の洪水に巻き込まれて、油断をすれば本来の自分を見失いかねない現代社会のなかで、自らの力で自分を自分足らしめていかなければならない時代であるという認識が、今ほど強く求められている時はありません。

そうした時代を真に生き抜くために重要なことは、主体性をなくすことは止めるという姿勢です。

主体性の喪失は、思考停止につながります。

思考停止は脳死と同じです。

体は生きていても、脳死状態ではただ生存しているだけで、そこに価値が創造されることは稀です。

今日からせめて月に一つ、あなたの主体性を停止させることを止めてみましょう。

その挑戦のなかに、あなたを本来のあなた足らしめていく真の主体性が確立されていくからです。